『見習い君主の混沌戦線』第9回結果報告


AK++「逢魔ヶ時に舞う河童」


「久しぶりだねー。約束どーり、力をつけてきたよー」

 ヴァーミリオン騎士団の ハウメア・キュビワノ は、ルーラーとして新たな力に覚醒した聖印を掲げながら、隠神刑部、お白、田沼意次などが寝泊まりする宿に現れる。
+ 隠神刑部

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.240)
+ 小梅鼓のお白

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.16)
+ 田沼意次

(出典:『天下繚乱RPG』p.235)
 その場には、彼女達の他にも、ハウメア不在時に調査任務を続けていた、ハウメアの同僚の ユーグ・グラムウェル と、星屑十字軍の ユリム の姿もあった。

「おかえりー。またよろしくねー」
「今度こそ、任務を完了させたいところだな」

 二人がそう答えたところで、ハウメアは皆に改めて頭を下げる。

「たぬきさんがめーわくかけたみたいで、ごめんねー?」

 その言い方に対して隠神刑部がやや不満そうな表情を浮かべているが、ハウメアは気にせず笑顔で語りかける。

「待たせちゃったねー? じゃ、今度はあーしと一緒に化かしちゃおっかー?」
「ふん、本来の力を取り戻した儂を、お主如きが本当に制御出来るのか?」
「だいじょーぶだよー。この聖印があればねー」

 彼女はそう答えつつ、聖印を妖狸に対して向ける。

「む……、この圧力、確かに前とは全く別も……」

 隠神刑部が言い終える前に、その身体が完全に聖印の光によって包まれていく。

「……お、おぉぉ、なんだこれは……、今まで感じたことがない感覚……」
「安心してー、好きなだけー、力をつかってくれていいよー」

 そんな会話を交わしている中、宿屋に更なる来訪者が現れる。最初に入って来たのは、鋼球走破隊の ファニル・リンドヴルム アルエット である。

「よぉ! 来たぜ、ハウメア!」
「時間がかかっていると聞かせてもらった。できることがあれば、私を存分に使ってくれ」

 この二人は、いずれもハウメアから話を聞いた上で参戦することになった面々である。ここ最近、魔境浄化任務での戦いが続いていたファニルであったが、今回はあえて《暴風の印》に頼らない戦いに立ち戻ろうという考えもあり、久しぶりに調査任務での警護組に加わることにしたらしい。アルエットもまた、ユリムからも話を聞いた上で、今回は純粋な戦闘要員として参加するつもりで、今の時点から既に「戦場」を想定した表情を浮かべていた。

「二人とも、来てくれてありがとー。がんばろーねー」

 ハウメアがそう耐えたところで、彼女達の後方から、更に二人の従騎士が現れる。

「潮流戦線の カノープス・クーガー だ」
「だ、第六投石船団の……、 シューネ・レウコート 、です……」

 対象的な面持ちで入って来た二人を見て、ユリムがカノープスに声をかける。

「五重塔以来、だな」
「あぁ。今回も俺は前衛要員だ。よろしく頼む」

 一方で、ユーグはシューネに話しかけた。

「なんか、面白そうな武器、持ってるね。君も前線組?」
「い、いえ……、その、私はまだちょっと……、戦いでは、その、役に立ちそうにないので……、河童さん達の説得に、協力出来たらいいかな、なんて……」
「あ、そうなんだ! じゃあ、僕と同じだね。何か、説得する上でいい方法とか、思いついた?」
「それが……、まだ、具体的には、何も……、すみません……」
「うんうん、それも僕と同じだね。まぁ、話してみればどうにかなると思うよ、多分」

 二人がそんな会話を交わしているところへ、田沼が割って入る。

「一つ、聞きたいのだが、何か胡瓜を用いたオススメの調理法などは知らないか?」
「胡瓜、ですか……? 私の故郷の料理でいいなら、ザジキというのがありますけど……」
「ほほう? 詳しく聞かせてくれ」

 彼女達がそんな言葉を交わす一方で、憑神使いのお白は不安そうな表情を浮かべながら、自身の憑神である座敷童子のお市に心の中で語りかける。
+ お市

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.195)

(河童と共闘なんて、本当に出来るのかしら……)

 お市はそれに対して、黙って首を傾げる。そんな様々な想いが交錯する中、やがて彼等は「第四次・江戸調査隊」として、出立することになるのであった。

 *******

 魔境へと足を踏み入れた時点で、まずは前回、田沼とユーグが胡瓜や酒で接待した河童達を相手に交渉するために、江戸城の堀へと向かう。ただ、前回の潜入作戦に参加していたユリムや隠神刑部が姿を見せると最初から態度を硬直化される可能性もあったため、ひとまず、田沼、ユーグ、シューネの三人が「接待用の胡瓜料理」を載せた荷車と共に表に立ち、他の者達は(交渉が失敗した時に備えて)後方で隠れて待機することにした。

「河童のみんなー! また胡瓜持って来たよー!」
「今度は、新しい料理もありますわ。よろしかったら、ご一緒しません?」

 ユーグと田沼(女装)が堀に対してそう声をかける中、シューネもそれをに続こうとするが、なかなか踏ん切りがつかず、声が出ない。

(や、やっぱり、怖い……、というか、私が何かしたところで、逆効果かもしれないというか……、何もしない方がいいのかも……)

 明らかに怖気づいた様子のシューネであったが、ここで後方から見守っていたハウメアが、彼女の「心」に対して《巻き戻しの印》を発動する。

(……違う、それじゃダメ! 私も少しは頑張ってみたいと思って、ここに来たんだから!)

 シューネは勇気を振り絞って、全力で声を張り上げる。

「わ、わわ……、私の、こ、故郷の、キュ、キュキュキュ……、キュウリ料理を、持って来ました! よ、よかったら、その……」

 その声に対して、堀川から次々と河童が現れる。
+ 河童/一般的な姿

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.236)

「このあいだとはまた別の胡瓜、とな?」
「どれどれ、見せてみるが良い」
「まずかったら、口直しに尻子玉をいただくぞ」

 荷車の周囲を取り囲むように近付いてくる河童達を前にして、シューネは再び怯え始めるが、それでもどうにか気力を振り絞って、荷車から箱を降ろし、河童達の前で開いて見せる。すると、そこには乳白色の半液体状の何かが詰められていた。

「ふーむ、これはまた面妖な香りじゃな……」
「あ、あの、これはですね……、ええーっと……、その、ハマーンの、きょ、郷土料理で……、胡瓜を微塵切りにして、ヨーグルトに浸したもので……」
「よーぐると? なんじゃ、それは?」

 顔を突きつけながらそう問いかけてくる河童に対し、横から田沼が口を挟む。

「南蛮渡来の、牛の乳を用いた食物ですわ」
「牛の乳? 牛頭天王にゆかりのある品、ということか?」
「我が国においても、古の時代には『酪』と呼ばれて重宝されていた代物です。きっとお口に合のではないかと」

 田沼がそう告げたところで、再びシューネが口を開く。その手には、正方形の板状に切り取られた焼き菓子が詰まった箱が抱えられていた。

「も、もし、よかったら、これを漬けて一緒に食べると、お、美味しいかも……、です……」

 それに対して、先頭にいた河童は怪訝そうな顔をしながらも、言われた通りの手法で焼き菓子と「胡瓜入りヨーグルト」を一緒に食べてみる。

「ほう……、これは確かに今までに食べたことのない食感……。奇っ怪な匂いと風味に包まれることによって、逆に胡瓜のさわやかな瑞々しさが際立って感じられる……」
「どれ、儂にも食わせてみろ!」
「儂も! 儂もじゃ!」

 次々と河童達がそれらに群がり、そのまま前回同様、宴会状態へと突入していき、その雰囲気に興味を示した周囲の河童達も次々と集まってくる。そんな彼等に対して、ユーグもまた次々と様々な胡瓜料理を差し出しつつ、徐々に「本題」を切り出していく。

「ところで、最近、おいてけ堀の近くで、いろんな憑神が出てきて、川太郎さんの庭を荒らしてるみたいなんだけど、知ってる?」

 彼がそう切り出したのに対し、河童達の何体かが反応する。

「うむ、聞いたことはあるな。妖狸と人間どもが何かをやらかそうとした瞬間、これまで人間達に与しておった憑神達が突然現れて、暴れ始めたのを見た、とかなんとか」
「つまりは、人間同士の争いじゃろ? 儂らには関係のない話じゃ」
「そうじゃそうじゃ。勝手に人間同士で争っておれば良いだけのことじゃ」

 胡瓜を貪りながら河童達がそんな反応を示す中、今度は田沼がボソリと呟く。

「でも、残念ですわね。せっかく、南蛮最強の横綱が来訪して、最高の一番が見られそうでしたのに……」

 その「横綱」という言葉に、河童達が食いついた。

「南蛮の横綱じゃと?」
「えぇ、そう伺っておりますわ」
「そやつ、強いのか? 本当に強いのか?」
「さぁ……? ただ、阿蘭陀場所でも英吉利場所でも敵無しで、その力士こそが真の日下開山ではないかと謳われているとか、いないとか……」

 いけしゃあしゃあと嘘八百を並べる田沼であったが、河童達は俄然興味を掻き立てられていく。ここで、ユーグが改めて河童達に訴える。

「そう、僕もその取組を楽しみにしてるんだよ。でも、憑神達が邪魔して、川太郎さんのところまで行けないから、今のままじゃ実現出来ないんだ。だから、憑神を憑神を追い払うのに協力してくれないかな? 一緒に桟敷席で胡瓜を齧りながら、『最強王座決定戦』を観戦しようよ」

 ユーグのこの言葉に対して、河童達の心は揺れ動く。彼等もまた、いたずらの対象となる人間不在のこの空間において、娯楽に飢えていたのである。

「……もし、取るに足らぬ力士だった時は、お前達の尻子玉を貰うぞ」
「うん、いいよ。シューネさんも、いいよね?」
「えぇ!? ……な、何なんですか? 尻子玉って?」
「僕もよく知らないけど、まぁ、心配ないよ。『あの人』が負ける筈ないし」

 この時点で、ユーグの中で想定されていた「あの人」が誰なのか(もしくは、そもそも誰を想定していた訳でもないのか)は分からないが、その確信に満ち溢れた言い方に、河童達の興味は最高潮に達した。

「よし! 分かった! 手を貸してやろう!」
「もともと、あの憑神共は気に入らなかったからな!」
「人間や狸の手助けをするのは不本意じゃが、これも相撲のためじゃ!」

 こうして、本来は主要な浄化対象である筈の河童達との「奇妙な共闘」が実現することになったのである。

 ******

 多くの河童達と同行する形で、従騎士達が「おいてけ堀」に到着すると、隠神刑部を中心に、その真後ろにハウメア、その周囲に他の従騎士達やお白&お市、田沼意次、そして河童達が取り囲むような形で陣形を組む。

「邪魔はあーしが抑えるからー、存分にやっちゃってねー!」
「ふん、どうなっても知らぬぞ」

 妖狸はそう呟きつつ、ハウメアの聖印が輝く下で妖力を開放し、再び異界((アヤカシ)界)への扉を開き始める。すると、前回同様、次々と周囲で混沌核の収束が始まろうとするのに対し、ハウメアは聖印の力を用いつつ、少しでも混沌を散らそうと試みる。ルーラーの聖印の持ち主の中には、魔法師のように混沌を発散させる技術に長けている者もいるのだが、さすがにまだ見習い君主にすぎないハウメアでは、混沌の動きをある程度止めることで収束を遅らせるのが精一杯で、収束そのものを完全に止めることは出来ない。

「ごめんね、もれた!」

 ハウメアがそう叫ぶと、その周囲に少しずつ、多種多様な妖怪(憑神)達が姿を現す。だが、最初から臨戦態勢に入っていた周囲の者達は全く動じることなく、武器を構える。

「微力でも、助けがあればいいのだったな」

 アルエットはそう呟きつつ、ハウメアの近くにいた「最初に収束を完了しそうな混沌核」の前へと走り込み、ハウメアを守るように立ちはだかる。

「任せるよ!」

 ハウメアがそう答えつつ、周囲の混沌の抑制に努めようとする中、アルエットの目の前の混沌核は、不気味な四足の投影体へと変わっていく。その身体は細長く、蛇のような尾と、虎のように鋭い爪を持ち、身体全体からは稲光と雷鳴が放たれていた。
+ 稲妻と雷鳴をまとった獣

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.191)

「その子は雷獣よ! その爪に気をつけて!」

 お白がそう叫ぶと、アルエットは、目の前の敵の様相と周囲で収束しつつある混沌核の数などを考慮した上で、今のこの戦局で自分が果たすべき役割について考える。

「一つでも多く打ちのめす、なら……」

 彼女はそう呟きつつ、いつもは片手で扱っている棍棒を両手に持ち変える。そして、彼女の傍らにはユリムが「聖印から生み出した光剣」を手に駆け込んで来た。雷獣が相手ということであれば、金属武器を持たない自分が助成に入るべき、と判断したのであろう(なお、アルエットもの棍棒には金属の鋲が打ち込まれてはいるものの、本体は木製なので、彼女もまた感電のリスクは比較的低い)。アルエットはその意図を理解した上で、ユリムと並び立ちながら敵を見据える。

「さて、やろうか」
「あぁ」

 二人はそう言葉を交わした上で、アルエットは棍棒を横薙ぎにして雷獣の右前足へと向かって殴りつけ、ユリムは光剣で左前足に斬りかかる。だが、雷獣は即座にその動きを察して後方へと飛び跳ねることでその攻撃をかわし、その直後に再び前方へと跳躍しながら、まずはアルエットに対して巨大な爪で襲いかかる。アルエットは棍棒でそれを受け止めるが、飛びかかってきた圧力で、そのまま後方へと数尺ほど弾き飛ばされた。

(お、重い……、見た目よりも重量があるのか……)

 かろうじて倒れずに踏みとどまってはいるものの、そう簡単には勝てない相手であろうことを彼女は実感する。その上で、雷獣は今度はユリムへとその鋭爪を振り下ろすと、ユリムはかろうじて光剣で受け流す。

(素早いな……。これは、隙を探すのに骨が折れそうだ)

 彼がそんな時間を抱いている間に、アルエットは再び棍棒を持って後方から突撃してくるが、またしても雷獣はそれに先んじて後方へと飛び跳ねる。その俊敏な動きに、二人の従騎士はしばし翻弄され続けることになるが、ひとまず「妖狸への妨害を防ぐ」という最低限の目的を果たすことは出来ていた。
 一方、彼等の反対側に陣取っていたファニルとカノープスの前には、その全長が人間の数倍はあると思しき巨大な怪物が現れていた。
+ 巨大な怪物

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.190)

「なんだ? こいつ……、妙な既視感が……」

 ファニルがそう呟いたところで、横からお白が声を掛ける。

「龍神よ! その子は牙が危険だわ!」

 その言葉を聞いて、ファニルの中では奇妙な感慨が広がる。彼女の中では「龍」にそこまで特別な思い入れはない筈だが、なぜか心のどこかで何かが引っかかっているような気がする。

「なるほど、龍か。さすがにデカいな……」

 そんな率直な感想を口にする中、隣りにいたカノープスもまたボソッと呟く。

「あの時の氷竜ほどじゃない……」

 おそらくその言葉は、カノープスにとってはただの独り言だろう。ただ、カノープスが前回の浄化任務において「氷竜」を仕留めたという話はファニルも聞いていたこともあり、彼女の中でまた別の感情が湧き上がってきたようで、彼女は大剣を構えながら大声を上げる。

「……こいつは、俺が倒す!」
「分かった。それなら、俺は陽動に回ろう」

 カノープスは静かにそう応えると、あえて龍神の目を引き付けるように刀を大きく振りかざしつつ、いつでも相手の間合いの外へと逃れられる距離で龍神を挑発し、その彼と反対側からファニルが大剣で斬りかかる。所属は違うが過去に何度も共闘している二人の息の合ったコンビネーションによって翻弄されながらも、龍神はひとまずファニルに対して襲いかかろうとするが、彼女はここで自身の尾を用いて周囲の土をすくい上げるように砂埃を巻き上げることで、龍神に対して「目潰し」を試みる。

「!?」

 龍神が想定外のその動きに戸惑う中、ファニルはそのまま身体を一回転させることで、その尾を龍頭に叩きつける。

(剣だけじゃない、使えるものは全部使ってでも、こいつを倒す!)

 ファニルがそんな強い決意と共に龍神相手に立ち向かっている一方で、田沼意次の前には天狗、お白とお市の前には猫神、そしてユリムやシューネと共に集まっていた河童達の前には土蜘蛛や雪女が現れ、おいてけ堀全体が乱戦状態となっていく。
+ 天狗

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.192)
+ 猫神

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.193)
+ 土蜘蛛

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.190)
+ 雪女

(出典:『大江戸RPGアヤカシ』p.197)

「その姿、秋葉山の三尺坊か。面白い、この世界では如何程の実力か、見せてもらおう」
「ごめんね、仁助。今は、邪魔される訳にはいかないの」
「相撲の邪魔する奴等は、まとめて叩き潰せぇ!」

 そんな状況の中、カノープスは龍神に対峙しつつも、冷静に戦場全体を見渡していた。

(ハウメアの混沌制御のおかげで、これ以上の混沌核の収束は防げそうだ。妖界への門も、この様子なら、おそらくあと少しで開く。殲滅は難しそうだが、あと少し持ちこたえれば……)

 だが、彼の中でそんな目算が立ち始めていたところで、想定外に強大な混沌核の気配が、明らかに「おいてけ堀」の外側から漂っていることに気付く。

(なんだ……? この気配、明らかに他の妖怪達とは異質……)

 彼がその混沌核の気配のする方向に視線を向けると、そこには確かに一定の「空間の揺らぎ」が感じられた。新たに何かが投影されようとしているのではなく、既にそこに何か「異質なもの」が紛れ込んでいるかのような違和感が感じられたのである。

「すまん、この場は任せる!」

 カノープスはファニルにそう告げると、抜身の刀を手にした状態のまま、その違和感の漂う空間へと走り込む。すると、その空間から一人の「和服を着た女性」の姿がうっすらと浮かび上がってきた。その風貌は、お白とも、そして五重塔で出会った(桶狭間の魔境出身の)今川氏真とも明らかに異なる妖艶な雰囲気をまとい、そして、よく見るとその背後には、九つの狐の尾のような何かが見える。
+ 九尾を持つ女性

(出典:『平安幻想夜話 鵺鏡』p.214)
 これまで幾多の魔境を回ってきた経験から、カノープスはその女性から明らかに「危険な気配」を感じ取る。そんな彼に対して、彼女は不気味な微笑を浮かべながら語りかけてきた。

「ほう、アトラタンの住人が刀を使うとは、珍しいのう……」

 カノープスはその発言から、明らかにこの女性が「他の者達とは明らかに異質な投影体」であることを本能的に実感する。

「貴様……、自分が『投影体』であることを自覚している、のか?」
「うむ。よく存じておるぞ。アトラタンの者共は、わらわたちのことを『混沌』と呼ぶのであろう?」

 どうやら、少なくとも一定期間「投影体」としてこの世界に定着しているか、もしくは過去に投影された経験のある者らしい。カノープスは様々な可能性を考慮しつつ、更に問いかける。

「『ここ』は、貴様の住んでいた世界なのか?」
「ふむ……、確証は持てぬが、おそらくは違うな。少なくとも、わらわの知っている街ではない。もしかしたら、わらわの世界の未来の姿なのかもしれぬがな」

 涼し気な態度で他人事のようにそう語る女性に対し、カノープスは眉間に皺を寄せつつ、質問を続ける。

「では、なぜ貴様はここにいる?」

 おそらく、この女は「この魔境の混沌核から発生した投影体」ではない、という確信の上でのその問いかけに対し、彼女はせせら笑うような顔を浮かべる。

「下賤な狸の気配を感じたのでな。軽く灸の一つでも据えてやろうかと思うたのじゃが……、興が削がれた。今日のところは『わらわの魔境』へ帰ることにしよう」

 彼女はそう告げると同時に、カノープスの目の前から消失していく。それは「姿が消える」というだけでなく、明らかに強大な混沌の気配そのものが目の前から完全に消滅しているということに、カノープスは気付いていた。

「『わらわの魔境』だと……? どこか別の魔境の……、魔境そのものの混沌核、ということなのか?」

 実際、彼女と対峙した時、カノープスは以前に遭遇したいくつかの「魔境全体の混沌核」と似た気配を感じていた。そして現在、このカルタキア近辺にはもう一つ、この魔境とよく似た文化圏の魔境が出現している、という話はカノープスも聞いている。

「とはいえ……、今はひとまず、この魔境の浄化が先だ」

 自分にそう言い聞かせるように、改めて周囲の状況を確認しつつ、カノープスは「おいてけ堀」の戦場へと駆け戻る。そしてこのタイミングで、隠神刑部が叫んだ。

「完成じゃ!」

 その声と同時に、彼等の目の前で異界(妖界)への扉が開く。この時点で、まだ彼等の周囲には多くの憑神達が残っていたが、隠神刑部が妖力の開放を止めた時点で、再び消滅していく。そして、彼等はそのまま「扉」の奥へと駆け込んでいくのであった。

 ******

「ここが、アヤカシの世界……?」

 周囲を見渡しながら、ユリムがそう呟いた。周囲の地形そのものは、先刻までの「おいてけ堀」と大差ない。ただ、空が薄暗く、太陽も月も星もなく、周囲に設置されたいくつかの「ぼんぼり」に灯ったわずかな炎だけが、彼等の視界を照らしている。
 そして、前方から「妖しげながらも眩い光を放つ何か」の存在に、ユーグが気付いた。

「あれだよ! 僕が前に感じ取った『魔境の混沌核』は!」

 彼が指差した先に皆が視線を向けると、そこには、一辺二十尺程度の正方形が上面となるように盛られた土の表面に、直径十三尺程度の円となるように「俵」が埋め込まれた、一種の「祭壇のような何か」が設置されていた。そして従騎士達は皆一様に、その「土俵」こそが魔境の混沌核であることを実感する(なお、カノープスに関してはそれに加えて、先刻の「謎の女性」からもそれと同等の混沌核の気配が漂っていたことを思い出していた)。
 そして、その土俵の隅に設置された階段を登って、一体の河童が姿を現す。以前に「おいてけ堀」で遭遇した、川太郎である。

「怖気づいて逃げ出したかと思うたが、ようやく来おったか」

 これに対して、ハウメアが答える。

「ごめんねー、またせてしまってー。でも、もうすこしまってほしいんだー」
「なんじゃと?」
「せっかくだから、いちばんつよいひとをつれてこよーかなーっておもってー」

 現状、浄化すべき対象が「土俵」であることは分かった。その上で、その浄化のために必要な人員(隊長達)を連れて来るために、一旦カルタキアへと戻る必要がある。そもそも「土」をどうやって浄化すれば良いのかは不明だが、それは従騎士達の考えるべきことではないだろう。
 むしろ問題は、ここで河童が求める「相撲」に付き合うべきかどうか、という点である。浄化対象が分かった以上、隊長達を連れて来た上で問答無用で浄化することも可能かもしれないが、この妖界という特殊空間においては、いかに隊長達といえども、本来の力を発揮出来るとは限らない。完全に敵の術中となる空間において真正面から大量の河童達を敵に回した状態で、無事でいられる保証もないだろう。
 ハウメアがそんな考えを巡らせているところで、彼女と魂が同調した状態の隠神刑部が、川太郎に対して語りかける。

「せっかくの機会じゃ。ここは、互いの魂を賭けた『五番勝負』といこうではないか」
「ほう? 魂を賭けた?」
「そうじゃ。勝ち越した方が、相手の魂を貰い受ける。お主等が勝てば、こやつら全員の尻子玉をくれてやろう。儂等が勝てば、お主の魂であるその『土俵』を我らが貰う。どうじゃ?」

 勝手に従騎士達の魂(尻子玉)を景品として差し出そうとする妖狸であるが、これは確かに、土俵の浄化を目指すハウメア達にとっては望ましい条件ではある。無論、河童が約束を守るという保証もないのだが、どちらにしてもその時は強硬手段に出るしかない。

(でも、ごにんもあつまるかなー?)
(心配ない。いざとなったら、儂が五分身して、まとめて薙ぎ倒してくれるわ)

 ハウメアと隠神刑部が内心でそんな話をしている中、川太郎は興味深そうな顔を浮かべる。

「なるほど……、面白そうじゃな。しかし、そう言ってまた逃げ帰ったまま、戻っては来ぬのではないか?」

 これに対して、今度は田沼意次が割って入った。

「ならば、私が『人質』として、この場に残ろう。それでどうかな?」

 この突然の申し出に対して、従騎士達は驚愕と困惑の表情を浮かべる。そもそも、彼女は投影体である以上、実質的にはカルタキア側にとって「人質」としての価値はないのだが、河童側にはそんな事情は分からない。

(せっかくだから、「この空間」や「私自身」が消滅する前に、「アヤカシの世界」について、河童達から色々と話を聞いてみるのも悪くない)

 田沼としては、そんな純粋な好奇心からの申し出だったのだが、それに対して、横からお白もまた声を上げる。

「そういうことなら、私も残るわ。江戸は『私達の街』だもの。他の世界の人達にだけ任せっきりにする訳にはいかないし」

 彼女の方は純粋な義侠心故の行動らしいが、いずれにせよ「従騎士達にとってはあまり意味のない人質」であることには変わりない。だが、その辺りの関係性について何も知らない川太郎には、それなりに有意義な提案であるように聞こえたようである。

「分かった。ならば連れて来るが良い。この、おもしろきこともなき太平の世を揺るがすような、屈強なる五人の力士達をな!」

 川太郎がそう告げると、隠神刑部は再び「扉」を開き、彼と共に従騎士達は「本来の江戸」へと帰還していくのであった。

 ******

「ようやくこれで一段落、だね」
「そうだな。まだ解決したとは言い難いが……」
「でも、調査任務としては上出来ね。これなら、いつか誘ってくれた店、行けそうじゃない」
「あの狐尾の女……、一体、何者だったんだ……?」
「ちっ、惜しかったな。あと少しで、あの龍にも止めを刺せたんだが……」
「し、尻子玉って……、結局、何なんですか……?」
「みんなー、いろいろ助けてくれてー、ありがとねー」

 従騎士達はそんな会話(?)を交わしつつ、ひとまずは荷車に乗った妖狸と共にカルタキアへと帰還する。こうして、四回に渡った長期の調査任務は完了し、戦いは次の土俵(ステージ)へと移行することになったのである。

☆合計達成値:198(98[加算分]+100[今回分])/160
 →次回「魔境浄化クエスト(BK)」発生確定、その達成値に19点加算

AN「聳え立つ塔」


「これで、よし」

 金剛不壊の ウェーリー・フリード は、前回の地下帝国の調査任務を終えた後、浄化部隊に参加予定の面々を確認した上で、あとは彼等に任せても大丈夫だと判断し、そのための軍議を開催予定の詰め所に「置き手紙」を書き残して、誰にも見つからないよう、軍議開始直前にこっそりと抜け出すことにした。

(ようやく、今度こそ休息を得られる……)

 ウェーリーが安堵の表情を浮かべながら宿舎へと戻ろうとするのだが、運悪く、彼はここで上官であるラマンと遭遇してしまう(この時点で、ラマンの手には紙束が握られていた)。

「おや? 今は、栃木遠征軍の軍議中ではないのか?」
「あー、えーっと、私は浄化部隊の方には参加していないので……」
「ほう。では、今は他の任務に就いているのか?」
「いえ……、それについては、まだ、その具体的には……」

 言葉を濁すウェーリーの様子から、ラマンは概ね状況を察する。

「手が空いているなら、演芸場の復興を手伝ってもらおうか?」
「え? そっちはもう、従騎士の手は必要なくなったと聞いていたのですが……」

 実際、現時点で必要としているのは、単純作業員としての土木工事くらいである。

「土木作業員が従騎士である必要はないが、従騎士が土木作業員をやってはいけない訳ではない。何もせずに暇を持て余すくらいなら、身体を動かせ」
「いやー、肉体労働については、私の力量は一般人以下ですので、お役には立てないかと……」
「そうか。ならば、代わりに頭脳を活かす任務に就くがいい」

 ラマンはそう言って、手にしていた紙束をウェーリーに手渡す。

「え? これは……?」
「例の『塔』に関する資料だ。そちらの調査任務の人員が不足しているようだから、演芸場を手伝うのが嫌なら、そっちを手伝いに行けばいい。このカルタキアにいる限り、仕事はいくらでもある。休みが欲しいなら、一刻も早く全ての魔境を浄化することだ」
「……分かりました。謹んで、調査任務を拝命致します」

 こうして、ウェーリーの休暇はまたしても遠ざかっていくのであった。

 ******

 潮流戦線の ユリアーネ・クロイツェル は、カルタキアの郊外に突如出現した巨大な「塔」に関する情報を少しでも入手すべく、領主ソフィアが所蔵している(先日手に入った一冊を含めた)五冊の「イースの本」の翻訳版を改めて読み込んでいた。
 それぞれの本には「ハダルの章(I)」「トバの章(II)」「ダビーの章(III)」「メサの章(IV)」「ジェンマの章(V)」というタイトルが付けられている。これらは全て、かつての古代王国イースを支えた六人の神官の名前であり、それぞれの本の著者名でもあった(なお、最後の一人の神官の名前から察するに、あと一冊、最終章に相当する「ファクトの章」が存在するものと推測されている)。
 第一章に相当するハダルの章によると、イース文明を支えていたのは「クレリア」と呼ばれる特殊な金属であり、続くトバの章では、「二人の女神」と「六人の神官」によって統治されていたことが記されている。だが、その次のダビーの章によると、そのクレリアによって生み出された「サルモンの神殿」が原因で「大破壊」と呼ばれる災害が発生したらしい。メサの章ではその大破壊をもたらした「六人の巨人」および彼等に率いられた魔物達の詳細について記された上で、ジェンマの章ではその災害の過程で二人の女神が消滅していったことが記されている。
 ユリアーネは一通り目を通した上で、文中に再三登場する「二人の女神」の記述が気になっていた。名前は記されていなかったが、その二人を象徴する記号として「美しい銀髪」という表記が幾度も登場していたのである。

「前回の図書館襲撃時の報告書の中には、二人の銀髪の女性が目撃されている……。一人は『イースの本』のことを知っていて、もう一人は『ハダルの章』を持っていたということは、ほぼ間違いなく、この魔境から出現した投影体ですわね……」

 現時点で、それ以上確かなことは言えない。だが、少なくとも彼女達が何らかの形で今回の魔境探索の鍵を握る存在であろうことを推測しつつ、ひとまずは「メサの章」に記されていた魔物達の詳細について確認するが、そこには以前の図書館襲撃の際に目撃された「炎を操る死神」や「蝙蝠が合体した怪物」についての記述はどこにも記されていなかった。

「この『古代の魔物』とはまた別の系統の魔物、ということなのかしら……?」

 ユリアーネはそう呟きつつ、もしかしたら、このカルタキアの書庫にはこの五冊以外にも、同じ世界に関する関連書籍があるかもしれないという考えに至り、実際に自分の目で確かめてみることにした。

 ******

 書庫に到着したユリアーネは、該当区画の担当司書から、『イースの本』が収納されていた書架の位置を聞き、そこに配架されている「異界の書物」の一つ一つに目を通していく。

「『ザナドゥ』『ロマンシア』『ソーサリアン』……、どれも『イースの本』の中に描かれている世界とは、どこか似ているようにも見えますが、でも、完全に『同じ世界』という訳ではなさそうですね……」

 彼女がそう呟いたところで、誰かが近付いてくる足音が聞こえてくる。視線をそちらに向けると、現れたのはウェーリーであった。彼は、ユリアーネがいる書庫に向かって近付いてくる。

「あら、こちらにいらっしゃったということは、あなたも『塔』の調査に参加される方ですか?」
「あぁ。私は金剛不壊のウェーリー・フリード。よろしく頼むよ」
「私は潮流戦線のユリアーネ・クロイツェルですわ。とりあえず、ここまで私が調べてみましたところ……」

 彼女がそう言って、目の前の書架を指し示そうとするが、ウェーリーの書架ではなく、書架の近くの壁に視線を向けた状態で、「巻き尺」を取り出していた。

「……何を、なさっていますの?」
「例の『火炎使いの死神』の、行動範囲と射程を確認しておこうと思ってね」

 ウェーリーがこの場に来たのは、書架に積まれた異界魔書ではなく、以前にこの場に出現した「死神」についての詳細な戦闘記録を確認するためだった。

(報告書によれば、まだあの「死神」は生きている可能性が高い。現時点で分かっている数少ない敵の情報である以上、なるべく正確に確認しておかなければ……)

 つい先刻まで「楽しい休日計画」で満たされていたウェーリーの頭脳は、既にこの時点で完全に「君主としての思考」へと切り替わっていた。

 ******

 翌日、ウェーリーとユリアーネが五冊の『イースの本』と共に「塔」の前へと到着すると、そこには二人の従騎士が既に到着していた。以前の図書館襲撃の時からこの一件に関わっているヴェント・アウレオの コルネリオ・アージェンテーリ と、ユリアーネの同僚の カリーノ・カリストラトヴァ である。

「屋内戦での弓の扱いには慣れてるから、どんな角度から敵が来ても、対処してみせるよ」
「この編成なら、前衛はアタシ一人だな。いいだろう、望むところだ」

 こうして、今回の塔の調査隊の参加者が揃ったところで、彼等は入口の扉を開く。四人はそれぞれの聖印を松明代わりに掲げながら中を覗くと、扉の先は正方形状の大きな「部屋」のような構造となっており、左右のそれぞれの壁の中央から、部屋の外への通路へと繋がっている。慎重にそれぞれの通路の先を確認してみると、左手側の通路の先は「上り階段」へと続いていたのに対し、右手側の通路の先は「下り階段」となっていることが分かる。

「上に登るだけかと思っていましたが、地下もあったのですね……」
「さすがに、地下の方にも何十階も続いているとは思いたくないが……、どうする? 無視して、まずは先に『上』を確認するか?」

 ユリアーネとカリーノがそう呟く中、ウェーリーは慎重に耳を傾けて物音を確認する。

「……どうやら、『下の階』の方には『誰か』がいるようだ。微妙に足音がする」

 それに対して他の三人も同様に耳を澄ませると、確かに下り階段の先から、おそらく「靴を履いた人間(もしくは二足歩行の何か)」のような足音が聞こえてくる。ただ、階段を登って来ようとする音ではなく、周期的に同じ場所を巡回している足音のようであった。一方で、上り階段の方からは、特に音は聞こえない。

「僕等の存在に気付いているかは分からないけど、背後から不意打ちされたら嫌だし、まずは『下』から確認すべきじゃないかな?」

 コルネリオがそう提案すると、三人も同意し、彼等はなるべく物音を立てないように気を配りながら、下り階段を降りていく。
 最前線に立っているカリーノが真っ先に階段を降りきると、通路は右側へと続いており、そしてその先には巨大な「禍々しい装飾の扉」と、その前に立ちはだかる一人の「女戦士のような鎧を着た、顔のない人型の怪物のような何か」の姿があった。
+ 女戦士型の何か

(出典:『イースTRPG』p.148)

「アタシはカリーノ・カリストラトヴァ! 貴様の名は!?」

 カリーノがそう名乗りを上げたのに対し、その女戦士は(そもそも口がないため、発声機関があるのかどうかも分からないが)何も言わずにカリーノに対して剣で斬りかかろうとする姿勢で駆け込んで来る。

「口も利けない魔物なら、斬り捨てて問題ないな!」

 彼女はそう言い放ちながら、自分の方からも、その女戦士に向かって大剣を掲げて斬りかかる。その後方から他の三人が姿を現すと、ユリアーネが叫んだ。

「あの鎧姿、おそらくイースの書に記されていた、『大災害』の時に現れた魔物の一種です!」

 「メサの章」に記されていた内容を思い出しながら彼女がそう叫ぶと、コルネリオも弓を構え、通路の側面に張り付きながら、カリーノに当たらないギリギリの角度からその女戦士に向かって矢を放とうとする。
 すると、女戦士はその動きにいち早く反応して、その矢の軌道を避けるために身体を傾けようとするが、結果的にその「コルネリオに気を取られた際に生じた隙」を、目の前のカリーノは見逃さず、女戦士の鎧の隙間へと大剣を振り下ろし、一刀両断に斬り伏せる。

「目の前の相手から目を離すような奴が、アタシに勝てる筈もない」

 カリーノはそう呟きながら、目の前に発生した混沌核を聖印で浄化する。そして、後方から近付いてきた他の三人は、通路の先にある「禍々しい扉」に視線を向ける(その扉の他には、扉も脇道も存在しない)。

「この扉の先に、何があるのかしら……?」

 ユリアーネがそう呟く中、ウェーリーは慎重にその扉を調べてみるが、どうやら鍵がかかっているようで、全く開きそうな気配はない。そんな中、扉の向こう側から「女性の声」が聞こえてきた。

「……そこにいるのは、どなたですか?」

 この声に対して、真っ先に反応したのはコルネリオである。彼には、確かにこの声に聞き覚えがあった。

「君! あの時の、僕に本を預けてくれた人だよね?」

 彼がそう叫ぶと、扉の奥から再び同じ女性の声が聞こえてくる。

「あぁ……、あの時の……。そうですか、無事にこの塔を見つけて下さったのですね」
「君は、この扉の先にいるの? どうすれば、この扉は開く?」
「この扉を開くことは、私にも出来ません。ですが、そもそも、あなた方が目指す先は、この扉の先ではありません。この塔の最上階です」
「どういうこと? そもそも、君は何者なの?」

 コルネリオがそう問いかけたところで、ここまでの会話を聞いていたユリアーネが、あえて割って入った。

「あなたは、古代王国イースの二人の女神の中のお一人、なのでは?」

 その問いかけに対して、少し間を空けて、扉の奥の彼女は答える。

「……そうです。それが本来の私。しかし、今の私は同時にエステリアに生まれた人間の少女でもあり、女神としての力は、今の私にはほんの僅かしか宿っていません」

 アトラタン世界には、時として異界の「神」もしくはそれに類する存在が投影されることもある。その力の強さは、投影時の混沌核の大きさに比例するため、元の世界における力の強さとは必ずしも一致しないのだが、現在のこの女神(少女)は、元の世界においてもそこまで強大な力を持ち合わせている訳ではないらしい。
 ひとまずユリアーネは、この少女が語っていることが真実であるという前提の上で、更に質問を続けた。

「あなたが『ハダルの章』を彼に託したのは、この塔に私達を誘導するため、ですか?」
「はい。『ハダルの章』は全ての始まりとなる『鍵』です。それがなければ、この塔を発見することは出来ません。そして、このまま状況を放置しておけば『この世界の人々』が苦しむことになる。それが私には耐えられませんでした」

 それがどういう原理に基づくものなのか、というのも気になるところではあるが、それ以前に確認すべきことがユリアーネにはあった。

「今、あなたは『この世界の人々』と仰っしゃりましたが、あなたは『この世界のこと』をどこまでご存知なのですか?」
「どこまで理解していると言えるのかは分かりません。ただ、この世界が『私達の世界』とは異なるということ。そして、この世界における私達は、『本来の私達』の分身体のような存在であること。そこまでは理解しています。以前に、おそらくはこの世界の別の地方と思われる島国に、投影されたことがありましたから」

 この少女は明確に「投影」という言葉を用いた。そこまで理解しているのであれば話は早いと判断した上で、ユリアーネは話の本題へと切り込む。

「あなたは、私達を助けるために行動されている、ということでよろしいのですか?」
「はい。以前にこの世界に投影された時、私は多くの人々に助けられました。その方々への恩返し、というのもおこがましいですが……、どのような理由であれ、私達の存在が多くの人々の命を奪うことになるのは、それが異界の人々であろうとも、人々を守るべき女神として、耐えられません」

 ここまでの彼女の話が全て真実だと確信出来る論拠はない。とはいえ、今のユリアーネとしては、現時点での貴重な情報源である以上、まずは話を一通り聞いてみる他に道はなかった。

「人々の命が失われる、というのは、どういうことでしょう?」
「このまま状況を放置していれば、いずれ、空から『イース』が落下してきます」
「……『イース』というのは、あなたがたの国の名前ですよね?」
「はい。かつては地上に存在していた王国でしたが、魔物による侵攻から逃れるために、イースの中核となるサルモンの神殿を中心とする大地の一部を、天空へと切り離したのです。しかし、今、その天空の大地であるイースが、この街に向かって落下しようとしている。今は私がかけた魔法の力によって落下を止めていますが、いずれ私の力が尽きれば、その落下の衝撃によって、この街の建物も、人々も、全て吹き飛んでしまうでしょう」

 想像以上に大規模な混沌災害の予見を聞かされた四人は、さすがに驚愕の表情を浮かべる。彼女が語っていることが本当なら、これまでに遭遇した他の魔境よりも遥かに深刻な混沌災害をもたらすことになるだろう。

「……それを防ぐには、どうすれば良いのですか?」
「イースへと乗り込んで、イースそのものを破壊してもらうしかありません。『この世界に投影された大地としてのイース』の混沌核は、おそらく、イースの中心である『サルモンの神殿』です。それを破壊すれば、おそらくイースも、この塔も、私達も、全て消滅するでしょう。本当は、私自身の手でそれを成し遂げたかったのですが……、先程も申し上げた通り、今の私にはそこまでの力がなく、この『牢獄』から脱出することも出来ません」

 どうやら、彼女がいると思われるこの扉の奥は「牢獄」らしい。女神である筈の彼女をそこに監禁したのが誰なのか、ということもユリアーネとしては気になるところではあったが、まずその前に、話の本題を進めることにした。

「イースへと乗り込むには、どうすれば良いのでしょう?」
「この塔の最上階にある装置に六冊のイースの本を掲げれば、その身体はイースへと到達可能な筈です。そして今、あなた方の手にはそのうちの五冊が揃っている。そうですよね?」
「その通りですが……、なぜ、あなたはそのことを知っているのですか?」
「ハダルの章以外の四冊がこの地に存在していた理由は分かりません。もしかしたら、何らかの理由で、以前に投影された時の本がこの世界に残っていたのかもしれませんが……、いずれにせよ、私には、その本の所在を感知することが出来ます。そして、残りの一冊は、この塔の最上階にいる『ダルク・ファクト』という男が持っている筈です」

 その名前を聞いた時点で、ユリアーネはイースの本に記されていた六神官の名前を思い出す。

「『ファクト』ということは……、六神官の……?」
「はい。彼は『心を司る神官』であるファクトの末裔です。しかし、彼は魔物と手を組み、イースを再び地上へと降ろした上で、その地を支配しようと考えています。私は彼に何度も『ここは私達の世界ではない』と説いたのですが、理解してもらえなかったので、私はひとまず『ハダルの章』を持って彼の元から脱出し、『そこにいる方』に託すことまでは成功しましたが、その後、魔物に捕まってしまい、この地下牢に幽閉されることになってしまったのです」

 なぜ、神官の末裔だった者が女神の意に反してそのような行動に走ったのか、ということについても気になるところではあったが、詳しく聞いたところで「異世界人」であるユリアーネ達には理解しきれることではないだろう。
 ここで、これまでずっと横で黙って話を聞いてコルネリオが口を開いた。

「ごめん、僕があの時、君を一緒に連れて行くべきだったんだね……」
「いえ、それは仕方のないことです。むしろ、得体の知れない存在であった私の言葉を信じて、本を預かって下さったことには感謝しています」
「それは、僕等にとっても必要なことなんだから、お礼を言われるのは筋違いだよ」

 コルネリオはそこまで言ったところで、以前に彼女と話していた内容を思い出す。

「ところで、ちょっと気になったんだけど、もしかして『レア』というのは、もう一人の女神なのかな?」
「はい。私と彼女は、元は双子のような存在です。ただ、私はこの世界に投影された時点から、彼女とは会っていません。ですから、彼女がどのような目的で行動しているのかは把握していませんが……、彼女もまた、この世界の人々のために動いているのだと信じたいです」
「そっか……。ところで、彼女は『赤毛の剣士』を探していた、という話も聞いてるんだけど、それって、どんな人なの?」

 「条件に該当する人物」に心当たりがあるコルネリオが(おそらく無関係だろうとは思いながらも)尋ねてみたところ、少し間を空けた上で、明らかに今までとは異なる声色で答える。

「そ、それは……、その……、よく分かりませんが、おそらく、その……、その方がいれば、この状況を改善出来るかもしれない、と、彼女が、考えたのではないか、と、思いますが……」

 明らかに、何かに動揺しているような、微妙に歯切れの悪い語り口ではあったが、ここで彼女は一旦、咳払いをした上で、改めて落ち着いた口調で語り始める。

「……私はこれから、持てる力の限りを尽くして、この塔に救っている魔物や、彼等によって生み出された魔の力を一時的に弱めます。その間に、進めるところまでは進んで下さい」

 その説明に対して、再びユリアーネが口を開く。

「『持てる力の限り』ということは、その力を使ったら、あなたは……?」
「大丈夫です。時間が経てば、また力は戻ります。ただ、一度に放出出来る力には限界がある、というだけです」

 つまり、今回の第一次調査隊で最上階まで到達出来なくても、数日後にもう一度再挑戦することも可能、ということらしい。

「ただ、『六神官の末裔』の力だけは、私の力を以ってしても完全に封じ込めることは出来ません……」
「ダルク・ファクト以外にも、彼に協力する六神官の末裔がいるのですか?」
「はい。と言っても、彼等は既に魔物と化してしまっていて、その大半は、言葉が通じる相手ではありません」

 ここで、コルネリオの脳裏に一つの仮説が思い浮かぶ。

「もしかして、あの時の蝙蝠の魔物も……?」
「はい。彼は本来は『光を司る神官』であるダビーの末裔でした……」

 ここでようやく、以前にシューネ経由でもたらされていたレアの仮説と話が繋がった。レアはシューネから「死神」と「蝙蝠」の話を聞いた時に、「トバの章」と「ダビーの章」の話をしていた。つまり、もう一体の「死神の魔物」の方は、おそらく「神官トバの末裔」なのだろう。
 そして、この先で彼等の前に立ちはだかる魔物がいるとすれば、彼等もまた「イースの本」を手にしている者を狙ってくる可能性が高い、ということになる。

(さて、そうなると、ここから先、『本』を預けるべき相手は……)

 後方で黙って話を聞いていたウェーリーが、今後の戦略を考えながら、隣に立っていたカリーノに視線を向ける中、やがてその禍々しい扉の先から神々しいオーラが放たれ、そして、塔全体がうっすらとした光に包まれていく。

「さぁ、今のうちに……。上の階へと向かう途中で、奇妙な扉や宝箱などを目にするかもしれませんが、基本的には触れずに最上階を目指して下さい……。いずれも、『この世界の人々』にとっては、関わる必要のないものですから……」

 扉の奥から聞こえてきたその声は、先刻までと比べて少し弱々しく感じる。

「分かりました。ありがとうございます」
「絶対に、イースの落下は止めてみせるからね」

 ユリアーネとコルネリオが扉の向こう側の女神に対してそう告げると、彼等は階段へと駆け戻ろうとするが、ここでウェーリーが一旦、彼等を呼び止める。

「ちょっと待って。ここから先の戦術なんだけど……」

 彼等はウェーリーの話に耳を傾けた上で、概ねその方針に同意した上で、改めて上り階段へと向かって駆け出して行った。

 ******

 1階へと駆け戻った彼等は、そのまま通路の反対側へと早足で向かい、そのまま階段を上がって2階へと到達する。
 2階の階段を登った先の通路は、二つに分かれていた。両面を確認したところ、右側の通路の先には「宝箱」が、左側の通路の先には「上り階段」があったが、ひとまず今は女神の言葉を信用した上で、宝箱を放置して、階段を登って3階へと駆け上がる。
 3階の通路は(不自然な形に曲がりくねってはいたものの)純粋な一本道のみで、彼等は難無く次の上り階段へと到達し、そのまま4階へと到達する。 
 そして、この4階の構造は1階と酷似しており、階段を登った先の通路を進んでいった彼等は、1階と同程度の大きさの部屋へと辿り着いた。彼等が通ってきた通路口から見て真正面には(1階と同様に)更に通路が続いているが、それとは別に右手側の壁にも扉があった。

「扉は無視して良いと仰られていましたから、ここは真っ直ぐ進めば……」

 ユリアーネがそこまで言いかけたところで、コルネリオが背後に「何者か」の気配を感じる。

「誰!?」

 彼が振り替えると、そこには「『死神』を連想させるような不気味なローブをまとった何か」の姿があった。
+ 死神のような何か

出典:『イース テーブルトークRPG』 p.91

「貴様が、例の『死神』か!?」

 カリーノがそう叫びながら剣を抜くと、死神は彼女の「足元」に対して炎を放とうとする。だが、この動きは既にカリーノには予測されていた。

(やはり、『本』の持ち主に対しては、炎は打ちにくいということか)

 現在、彼女の鎧の下には『トバの章』が挟み込まれている。これは先刻の女神の説明を聞いた上での、ウェーリーによる献策であった。この状況であれば、狙われるのは「胴体」ではなく「足元」である可能性が高いと判断していた彼女は、その炎の軌道を予想しつつ跳び上がり、そして死神の頭上から大剣を振り下ろそうとする。

「はぁぁぁぁぁぁあああああああ!」

 だが、その刃が死神に届く前に、死神は彼女の視界から消滅する。しかし、これもまた彼女達の想定内の行動であった。この一連の動きを横から見ていたウェーリーは、事前に調べておいた「図書館に死神が現れた時の状況」を踏まえた上で、部屋の構造と自分達の立ち位置から、次に死神が瞬間移動で出現する可能性の高い場所を予想した上で、指差していたのである。
 そして彼の予想通り、まさに彼が指し示した場所に「死神」の姿が現れた瞬間、ウェーリーの指示に従って予め弓を構えていたコルネリオが矢を放つ。

的中(ビンゴ)!」

 コルネリオの矢は死神の胴体部分(と思しき)直撃し、その場に崩れ落ち。そこへカリーノが駆け込み、その大剣で首を一瞬にして薙ぎ払うと、混沌の塵となって消滅していく。

「お見事です、皆さん。さぁ、先を急ぎましょう!」

 ユリアーネがそう告げると、彼等は正面の通路をそのまま直進する。そして(彼女達の予想通りに)その先にあった「上り階段」を発見し、そのまま5階へと向かって行くのであった。

 ******

 5階へと辿り着いた彼等がそのまま通路を進んでいくと、その途中で中規模の部屋へと辿り着き、そこに「三体の石像」が設置されているのを発見するが、特に何の反応も見せなかったので、素通りして部屋の左側が続いている通路を通り、上り階段を発見してそのまま6階へと上がる。
 6階の構造は5階と酷似しており、彼等は通路の途上で再び(5階と同じような)中規模の部屋へと辿り着き、またしても「三体の石像」を発見するが、そこでも何も起きないまま素通りし、(おそらくは4階から5階への階段の真上に相当する位置にある)上り階段を発見し、そのまま7階へと歩を進めて行った。
 7階の通路は途中で左右二つに分かれていたのだが、右手側の方には上り階段、そして左側の通路の先には小部屋へと続いており、その小部屋の中には、不気味な風貌の怪物達の姿が三体ほど発見されたが、いずれもうずくまった状態のまま、何かに苦しんでいるようだった。おそらく、女神の力によって動きを封じられているのだろう。ひとまず彼等は先を急ぐべく、怪物達を無視したまま、右手側の階段を上がって8階へと向かうことにした。
 そして、8階に到達した彼等が、やや入り組んだ構造の通路を進むことになるのだが、その途上、前方に曲がり角を発見した時点で、その先から物音が聞こえてくる。それは、何かの足音のようだが、地下室の時とは異なり、多足の動物の足音のように聞こえる。

「女神の力が効いている状態でも、普通に歩いている足音のように聞こえる……」
「ということは、先程の死神と同様、六神官の末裔なのでしょうか……?」

 ウェーリーとユリアーネが小声でそう呟く中、曲がり角の向こう側から「巨大なカマキリのような怪物」が姿を現した。
+ 巨大なカマキリ

出典:『イース テーブルトークRPG』 p.104

「鞄を置いて下がれ! この通路なら、アタシ一人で食い止められる!」

 カリーノがそう叫ぶと、言われた通りにウェーリーとユリアーネは鞄をその場に置いた上でコルネリオよりも後方へと下がり、そしてコルネリオもまた鞄を真下に置いた上で、弓を構える。現在、ユリアーネの鞄の中には「ハダルの章」と「トバの章」、ウェーリーの鞄の中には「メサの章」、そしてコルネリオの鞄の中には「ジェンマの章」が入っていた(リスク分散のために、あえてバラバラに持たせていた)。
 そして、カリーノがその巨大カマキリに対して大剣で斬りかかろうとする瞬間、カマキリの身体の一部である筈の「鎌」が、その身体から外れて、後方にいるコルネリオに向かって回転しながら飛んで行った。

「えぇ!?」

 突然のその動きにコルネリオは困惑しつつも、その鎌をどうにか避けることに成功する。すると、鎌はブーメランのようにカマキリ本体の方に戻ろうとするが、その軌道上にはカリーノの「首」があった。

「カリーノさん! 後ろ!」

 ユリアーネがそう叫ぶと、カリーノはすぐさま振り返り、大剣でその飛んでくる鎌を弾こうとするが、その結果として背を向けることになってしまったカマキリ本体からも、もう一つの鎌が彼女の背中に対して振り下ろされる。

(まずい!)

 同時に二つの鎌に挟まれたカリーノは、このままではどちらかの鎌によって自分の首が搔き切られる、という判断に至る。しかし、彼女がその未来を予見した瞬間、ユリアーネが《巻き戻しの印》を発動し、カリーノは一瞬巻き戻ったその時間の狭間に最適解を見出した(この時点で、彼女の視線の先には「弓を構えたコルネリオ」の姿があった)。

(……これしかない!)

 カリーノは大剣で「飛んできた方の鎌」を弾きながら、あえてそのまま前屈みになって倒れ込む。その結果、カマキリ本体からの攻撃もかわすことには成功するが、結果的に無防備な背中をさらしたまま蹲る姿勢となってしまう。しかし、カマキリの次の攻撃が放たれる前に、(カリーノが倒れたことで遮蔽物が消滅した状態になった)コルネリオが放った矢がカマキリの頭部に直撃した。

「キェェェエエエエエ!」

 カマキリが奇声を上げるのを確認すると、カリーノは屈んだ状態のまま振り向きざまに大剣を下から振り上げる形でカマキリの胴体を斬り裂いた。

「こ、この、マナル・メサ様が……」

 不気味な色の血液を流しながら、巨大カマキリはそう呟いた。

「貴様……、喋れたのか?」

 どうやら、怪物化した神官の子孫の中にも、会話が出来る者もいるらしい。だが、それ以上何かを口にする前に、巨大カマキリは混沌の残滓となって消滅していった。
 そして、ひとまず各自が鞄を拾い上げつつ、通路の先へと進んでいくと、途中で分岐点に到達し、その右手側には上り階段があった。

「とりあえず、今は最上階を目指すことを優先すべきですし、ここは……」

 ユリアーネがそう呟いた瞬間、塔全体にうっすらと広がっていた光が、唐突に消失する。

「……これは!?」
「女神の力が切れてしまったようだね……。仕方ない、ここが潮時か」

 ウェーリーがそう呟くと、カリーノは顔を顰める。

「そこまで女神の力に頼る必要はあるのか? 六神官の子孫とやらも、戦ってみた感触としては、そこまで警戒すべき相手とは思えない。アタシ達だけでも……」

 そこまで言いかけたところで、コルネリオが口を挟んだ。

「いや、それは違う。今のカマキリも、さっきの死神も、多分、女神の力のおかげで弱体化していたからこそ、僕達だけでも勝てたんだ。少なくとも、前に街で遭遇した蝙蝠の魔物は、さっきの彼等よりもずっと強かった」

 実際、あの時はカエラに率いられた数人の従騎士達が力を合わせることで、どうにか倒せた、というのが実情である。女神の力が消えた状態で、ここから先も四人(しかも、実質的な戦闘要員は二人)だけで進むのは、明らかに危険だろう。

「……そうか、まぁ、そういうことなら、今回はここまでにしておこう」

 カリーノとしても、先刻のカマキリとの戦いではあやうく自分が命を落としかけていたことも自覚している。時間が立てば女神の力が再び回復するという話を信じた上で、四人はひとまず塔の外へと撤退することにしたのであった。

☆合計達成値:66(6[加算分]+60[今回分])/100
 →このまま次回に継続(ただし、目標値は上昇)

AO「魔獣の伝承」

「よし……、もう痛みはない。これなら大丈夫だ」

 ヴァーミリオン騎士団の アレシア・エルス は、自身の左腕が完治したことを確認した上で、従騎士(エスクワイア)達の詰め所(たまりば)へと向かうことにした。
 カルタキアの調査機関に入った最新情報によると、カルタキアから見て遥か南方の丘陵地帯が魔境化し、様々な怪物達が出現しているらしい。左腕は治ったものの、まだ身体全体としては本調子とはいえないアレシアとしては、今回は愛馬アクチュエルの力を借りる形で参加出来る任務が望ましい。その意味でも、比較的広範な領域を対象とする屋外任務であるこの任務への参加が、今の時点では最適と言えよう。

(報告書によると、今のところ、目撃が確認されているのは、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)木登振子豹(ロッキングパンサー)……、どれも聞いたことがない魔物だが、その中で私が主に戦うべき相手は……?)

 そんなことを考えながら彼女が詰め所に到着した時点で、既に幾人かの従騎士(エスクワイア)達による軍議が始まっていた。

「一番厄介なのは、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)だろうな」

 鋼球走破隊の レキア・オーリルデン がそう呟く。今のところ、魔境の外にまで怪物が出現したという報告は出ていないが、その危険性を考慮した場合、足場に関係なく移動出来る飛空型の怪物を最初に警戒すべきなのは当然の話である。
 とはいえ、空が飛べる怪物を相手にする場合、得物が鋼球の付いた棒(モーニングスター)のレキアとしては出来ることが限られる。その点を考慮した上で、第六投石船団の弓使いである リズ・ウェントス は、自分の果たすべき役割について考える。リズとしては、新たにアーチャーとしての力に覚醒したこともあって、飛行型の怪物との戦いを通じて、今の自分の力量を測ろうという思惑もあった。

「ウチがなるべく翼を集中して撃ち抜くことで、地上に叩き落とせればええんやけど、もし敵の数が多かった場合、手数が足りるかどうかっちゅう問題はあるわな」

 リズのこの意見に対して、同じく飛び道具担当である潮流戦線の リンズ も同意する。

「そうですね……、飛行速度の速い敵を相手に、きっちり部位まで狙って撃ち抜けるかというと、私もあまり自信はないです」

 加えて言えば、リンズの武器である(クロスボウ)は、通常の弓に比べると(一本ごとの威力は強いが)連射性には向いていないため、手数に関しては期待出来ない。

「せやね。しびれ薬か毒薬を塗り込んだ矢やったら、どこに命中しても動きは阻害出来ると思うんやけど、そもそも飛行竜(ワイバーン)に効くような毒が手に入るかどうかも分からへんしなぁ……」

 第六投石船団にも潮流戦線にも毒矢は常備されているが、対人用の一般的な毒では怪物相手に通用しない可能性もある。ここで、リンズの幼馴染にして彼女と同じ潮流戦線の一員である ハウラ が口を開いた。

「毒が必要なら、現地調達すればいーんじゃないっすかねー」
「現地?」
「『毒蛇』がいるんすよね?」

 ハウラが今回の任務に参加することを決意したのも、白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)への興味からである。以前に巨大蠍の毒が目当てで廃坑の魔境へと向かった時と同様、今回も出来れば白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)の毒を採取したい、と考えていた。これに対して、ハウラの異母兄にしてヴァーミリオン騎士団の一員である ヴィクトル・サネーエフ が口を挟む。

「おいおい、ハウラ。毒蛇の毒を、採取した後ですぐに毒矢に流用するなんて、そんなこと出来るのか?」
「まー、やってみないと分かんないっすけどねー。そもそも、着実に毒を採取出来るかどうかも分かんないっすー」

 投影体は殺した時点でこの世界から消滅してしまうため、「身体の一部」だけを採取するには、殺す前にその部位を切り取る必要がある。白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)の身体のどこに毒が含まれているのかも分からない以上、殺す前に「毒抜き」するという作業自体、簡単とは言えないだろう。

「出来れば、誰か手伝ってくれる人がいれば、順調(スムーズ)にいくとは思うんすけど」

 彼女がそう言ったところで、(アレシアよりも後に)いつの間にかこの場に入ってきた一人の従騎士(エスクワイア)が声を上げた。

「では、私が同行しましょう」

 その声の主は、ハウラの同僚の アイザック・ハーウッド であった。

「おおー、そうしてもらえると助かるっすー。まー、ダメだったら、その時は(アタシ)が持っている神経毒か麻痺毒を提供するっすよ」

 これに対して、横で聞いていたアレシアは、純粋な疑問を感じて問いかける。

「そもそも毒のアテがあるなら、わざわざ新しく採取しなくても良いのでは?」
「んー、まー、そうかもしれないっすけど、毒にも色々あるんで。多分、毒蛇の毒って、同じ生態系で生きている生き物に対して効くように進化してるんじゃないかと思うんすよねー」

 無論、逆に黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)の方に「同世界の生物の毒に対する免疫」が出来てしまっている可能性も考えられるのだが、ハウラはそこまでは言及しなかった。どちらにしても毒採取には行くつもりであったが、そのまま現地の怪物を治験体にすることの正当性を、わざわざ自分から捨てに行く必要はない。
 そして、ここまでの話を踏まえた上で、レキアが再び口を開いた。

「最悪、毒が効かなかったとしても、矢で狙われていると思えば、向こうから襲いかかって来るだろう。そうなれば、俺が全て叩き落とす」

 これについては、同じ白兵組のヴィクトルも概ね同意する。

「そうだな。もし仮に、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)が矢に怯えて逃げていくようなら、その後を辿ることで、魔境の中心地に辿り着けるかもしれない。その意味では、必ずしも敵の殲滅にこだわる必要もない。だから、ハウラ……」

 ヴィクトルは異母妹に視線を向ける。

「……無理はするなよ」
「了解っす!」

 こうして、従騎士(エスクワイア)七人による南方調査隊が結成されることになった。

 ******

「一応、この辺りで目撃情報があったらしいんすけど……」

 カルタキアの遥か南方の山岳地帯の一角にて、ハウラは茂みをかきわけながら、アイザックと共に白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)の捜索活動を続けていた。見た目にはアトラタンや暗黒大陸と大差ない光景が広がっているため、常人には判別しにくいが、よく見ると微妙に生えている草木の形状などが異なっており、植物に関する見識を持ち合わせているハウラの目には、既にこの地が魔境化していることは分かる。

「とりあえず、蛇の習性を利用しておびき寄せる方法とか、ありますか?」
「んー、どうっすかねー。蛇と言っても、色々ありますし……、笛でも吹いてみますかね」

 アトラタン大陸のシャーン南部(インドっぽいところ)には、笛を吹いて蛇を操る特殊な術士(げいにん)がいる、という噂話は(シャーンは大工房同盟(ファクトリー・アライアンス)の一員なので)潮流戦線内でも流れたことはあるが、さすがに素人の笛で簡単に反応してくれる、という訳でもないだろう。

(そもそも、見つかったとしても、ちゃんと対応出来るかどうかも分からないんすけどね……)

 ハウラはここ最近、あまり戦闘任務に参加していなかったため、短剣の腕が鈍っている恐れもある。アイザックに同行してもらってはいるものの、彼の本分は弓であり、的が小さい(細い)蛇が相手では、実は分が悪い。
 二人がそんな会話を交わしている中、アイザックは後方から何かがガサゴソと音を立てながら近付いているのに気付く。

(これは、好機(チャンス)……?)

 アイザックは、あえてその音がする方向に向けて、無防備に自分の左足を晒すように移動する。すると、彼のその左足に向かって何かがすり寄ってくる音が、ハウラにも聞こえてきた。

「ハーウッドさん!?」

 そう叫びながらハウラがアイザックに視線を向けると、そこに映っていたのは、幅広い胸部を持つ巨大な白い毒蛇がアイザックに噛みつき、その蛇の胴体をアイザックが抱え込んでいる光景であった。
+ 白広胸毒蛇

(出典:『RPGリプレイ 魔獣戦士ルナ・ヴァルガー 呆然』p.240)

「さぁ……、今の、うちに……」

 アイザックはいつも通りの涼し気な表情を浮かべながらも、明らかに声色には余裕がなかった。おそらく、噛みつかれた部分から毒が体内へと回りつつあるのだろう。
 ハウラはすぐさま彼の元へと駆け寄り、身動きが取れなくなっている白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)の身体から、まずは短剣を用いて丁寧に皮を剥ぎ取り、心臓そのものを傷つけないように、器用に食道気管と思しき部位を切り取っていく。そして、「毒」が生成されていると思しき箇所を切り離し終えたところで、白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)は完全に力尽き、そのまま混沌(カオス)の欠片となって消滅し、そしてアイザックもまたバタッとその場に倒れ込む。

「大丈夫っすか……?」

 ハウラはアイザックに問いかけるが、身体が硬直しているのか、返事すら出来ない状態のようである。

「……さすがに、婚約者(ブラックウェル)さんのこともあるので、口移し(ディープキス)はまずいっすよね」

 彼女はそう呟きながら、鞄の中から注射器を取り出す。そして、アイザックに神経毒の中和剤を打ち込んだ上で、毒蛇から切り取った部位の解体作業を始めるのであった。

 ******

 その頃、他の五人もまたそれぞれに魔境化した山岳地帯の探索に回っていた。七人の中で唯一、キャヴァリアーの聖印(クレスト)を持つアレシアは、愛馬アクチュエルの機動力を生かして、他の者達よりも先行する形で奥地へと入り込んでいた。

(今のところ、怪物と呼べるような危険な生き物とは遭遇していないが……、油断は禁物だな)

 彼女はいつ襲撃を受けても対応出来るよう、《王騎の印》を発動した状態のまま魔境を駆け抜けていく。すると、比較的になだらかな森林地帯に差し掛かったところで、彼女は奇妙な違和感を感じ取った。

(この匂い……、湖……? いや、海か?)

 それは確かに「潮の香り」であった。暗黒大陸の南端がどうなっているのかは未だに解明されていないが、少なくとも、カルタキアから見て南方の徒歩圏内に海があるという話は聞いたことがない以上、明らかにそれは魔境の影響によって発生した「異界の海」なのだろう。単騎で深入りしすぎることの危険性は認識しながらも、アレシアはこの先の空間の状況が気になり、そのまま馬を飛ばしていく。
 すると、彼女が森林地帯を抜けようとしたところで、彼女の視界の先にまごうことなき「海」が広がる。しかも、その海の近くにはいくつかの建物が並び立っていたのだが、ひと目見た時点で、アレシアはその並びの不自然(むちゃくちゃ)さに気付く。

「どうやら、元の世界における複数の地区が複合的に投影されてしまったようだな」

 それぞれの建物の形状そのものはアトラタンの建築様式と似通っているからこそ、立地の不自然(むちゃくちゃ)さが際立つ。おそらく、いくつかの(本来は別の場所に建てられていた)建物が、混沌(カオス)の力で無作為(ランダム)に投影されてしまったのだろう。混沌(カオス)によって生じる魔境とは、このような形で「本来の世界の要素を断片的に(つまみぐいして)繋ぎ合わせた空間」として出現することも多い。

「人が投影されているなら、話を聞いてみる価値はあるが……」

 アレシアが遠目に見る限りは あまり人の気配は感じられない。それでも一応、一通り確認してみる必要があるか、と彼女が考えた矢先、彼女の後方の「自分の頭よりも少し高い位置」から、何者かの気配を感じ取る。彼女が即座に振り返ると、そこには「長い尾を近くの木の枝に巻きつけた豹のような生き物」の姿があった。アレシアは即座に、それが話に聞いていた「木登振子豹(ロッキングパンサー)」であることを察する。
+ 木登振子豹

(出典:『RPGリプレイ 魔獣戦士ルナ・ヴァルガー 呆然』p.240)
 この瞬間、アレシアは即座に剣を抜こうとしたが、その前に木登振子豹(ロッキングパンサー)の方が先にアレシアに飛びかかろうとする動作に入ったのを彼女は確認する。

(ダメだ、ここで剣を抜いても、間に合わない)

 彼女がそう判断すると同時に、聖印(クレスト)の力で彼女と人馬一体状態になっている愛馬(アクチュエル)の四肢が即座に反応し、すぐさま前方へと跳躍することで、その迫り来る木登振子豹(ロッキングパンサー)の突撃を回避する。その結果、地上に降り立つことになった木登振子豹(ロッキングパンサー)は、今度は低い姿勢からアクチュエルの後ろ足へと向かって牙を立てようとするが、その動きをアレシアが見切った瞬間、今度はアクチュエルは真上へと跳ね上がり、着地と同時に飛びかかってきた木登振子豹(ロッキングパンサー)の背中を蹄で踏みつける。

「イテッ! やりやがったな!」

 それは、踏みつけた木登振子豹(ロッキングパンサー)の口から発せられた声であった。

「貴様……! 喋れるのか!?」

 アレシアが驚愕の表情を浮かべる中、踏みつけられた木登振子豹(ロッキングパンサー)は強引にアクチュエルを跳ね除けつつ、四足の状態のまま喋り続ける。

「俺は獣人(ゾアン)だ」
「ゾアン?」
「俺達のことを知らないってことは、ここはやっぱり、ゾアン峡谷じゃないんだな……。お前、どこの何者だ? ダンバス人か?」
「……言って伝わるかどうかは分からないが、そちらから見れば異世界の住人だ」
「異世界、だと……? そうか、この異変の原因は、お前達にあるんだな! 何が目的だ!?」

 実際のところ、この魔境の投影の原因は混沌核(カオスコア)であり、アレシア達にある訳ではない。そして、混沌核(カオスコア)の発動それ事態には目的も理由もないのだが、「今のアレシアにとっての目的」は、一つしかなかった。

「……私達の世界を守ることだ」

 当然、その意味がこの木登振子豹(ロッキングパンサー)に通じる訳もない。

「そうか……、どういう理屈は知らんが、俺達の世界を壊すことが、お前達の世界を守ること、なんだな」

 その言葉に対して、アレシアはどう返せば良いのか分からない。そもそも、アレシアの中では今回の任務で対峙する予定の投影体は「ただの怪物」であって、人語を解する(説得することが可能かもしれない)生き物だとは聞いていない。魔境の情報を得る上で、友好的な投影体がいれば会話を通じて情報を引き出すのも一つの手法なのだが、あまりに突然の認識の転換に、頭の処理が追いつけずにいた。

(この投影体は、私に対して有無を言わさず襲ってきたのだから、間違いなく敵対的な存在。だが、もしそれが、突然「世界」が変容してしまったことへの混乱と恐怖から発生した純粋な「自衛行動」なのだとしたら、交渉次第では何らかの情報を引き出せる余地はあるのか……?)

 アレシアの心の中でそんな考えが希望的観測が広がる上がる一方で、悲観的憶測もまた同時に湧き上がる。

(いや、しかし、どちらにしても最終的には私達は「この魔境(せかい)」を消滅させることは事実。そんな私達に対して、彼等(げんじゅうみん)が協力などするのか? 私は従騎士(エスクワイア)として、私達の世界を守るために、侵略者(ごくあくにん)の誹りを受けようとも、ここは問答無用で「敵」(とうえいたい)を排除すべきなのか?)

 彼女がそんな思いから逡巡している間に、木登振子豹(ロッキングパンサー)は再び木の上へと飛び上がり、そのまま尾を高枝に絡ませたかと思うと、そこから更に大きく身体を振子のように揺らしながら別の木へと飛び移り、そのまま森の奥へと去って行った。
 今の木登振子豹(ロッキングパンサー)が、単体で行動している者なのか、それとも他に仲間がいるのかは分からない。とはいえ、今はひとまず魔境の全容を少しでも解明するために、アレシアは眼下に広がる「海」の近くに散在している建物の様子を調べに行くことにした。

 ******

「そろそろ、お昼にしましょうか、ヴィヴィ兄様」

 魔境の一角の、少し開けた見晴らしの良い平原のような区画にて、リンズはヴィクトルに対してそう話しかけた。彼女は現在、ヴィクトルが手綱を取る馬に同乗した状態で、彼と二人で調査に当たっている。そして彼女が背負っている鞄の中には、二人(カップル)分の弁当箱が入っていた。

「そうだな。リンズも、馬には慣れてないだろうから、少し疲れただろう?」

 ヴィクトルはそう呟きながらも、実際には、リンズのことを考えて、なるべく鞍上の揺れを抑えるような静かな手綱捌きを心掛けていた(なお、自分の体温(ひみつ)について察されることがないよう、リンズが触れる部位に関しては、いつもよりも厚手の服を着込んでいた)。

「そんなに心配してくれなくても大丈夫ですよ。私も強くなったのです!」

 リンズはそう答えつつ、ひとまず馬を降り、その場に腰を下ろして弁当箱を広げると、ヴィクトルも彼女の隣に座る。そしてリンズは(元従者として)手慣れた仕草でヴィクトルに給仕しつつ、ここ最近の自分の任務での働きや、自身の聖印(クレスト)の成長などについて、誇らしげに語り始める。

「この間なんて、異界から投影された呪禁花札の力を制御して、魔境の全体の混沌核(カオスコア)を持つ投影体に、私が止めを刺したんですから」
「あぁ。その話は、団長殿からも聞いているよ」
「だから、もう昔のように心配しなくても大丈夫ですよ! 私だって、もう一人前のルーラーなんですから」

 リンズのその言葉に対して、ヴィクトルは理性的にはそれなりに納得しつつも、感情的にはまだ「守るべき、か弱い幼馴染(いもうとぶん)」としてのイメージを拭い去ることは出来ない。

(今はもう、一人の従騎士(エスクワイア)として信頼したいところではあるんだが……)

 ヴィクトルが内心でそんな想いに揺れながら、ふと上空に視線を向けたところで、彼は遠方から、光り輝く何かが飛来してくるのを確認する。

「リンズ、あれは……!」

 彼のその声に反応してリンズが空を見上げた瞬間、その「光り輝く何か」から、「炎をまとった何か」が発射されるのを彼等は確認する。

「「火炎弾(ファイアーボール)!?」」

 それはまさしく彼等に向かって発射された火炎弾(ファイアーボール)であった。即座に二人はそれぞれ左右に飛び跳ねてその一撃を交わしつつ、それぞれの武器である槍斧(ハルバード)(クロスボウ)を構える、そして、その火炎弾(ファイアーボール)を発射したのが、黄金のように光り輝いた飛行竜(ワイバーン)であることを確認する。しかも、現時点で視界に見えるだけで、少なくとも三体は確認出来た。
+ 黄金飛行竜

(出典:『RPGリプレイ 魔獣戦士ルナ・ヴァルガー 呆然』p.243)

(向こうも飛び道具を使うなら、ここは私が!)

 リンズは(クロスボウ)を構えて、一番手前にいる(火炎弾(ファイアーボール)を放ってきた)黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)を相手に、まずは一矢打ち込んでみようと試みる。すると、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)はリンズが矢の装填を終える前に、彼女に向かって急降下してきた。

「リンズ! 」

 ヴィクトルはそう叫びながらリンズの元へと駆け寄ろうとするが、その動きを遮るように、後方にいた黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)のうちの一体の口から、両者の間に別の方向から火炎弾(ファイアーボール)が打ち込まれ、ヴィクトルは反射的に身体を止めて仰け反ることになる。
 そして、この間にリンズの元へと飛び込んだ黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)は、彼女を足で掴んでそのまま飛び上がろうとする。

「きゃ……、きゃぁぁぁぁああああああああ!」

 リンズは掴まれた状態のまま激しく抵抗しようとするが、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)は全く動じずに、そのまま上空へと飛び上がろうとする。だが、ここで遠方から、少女の声が聞こえてきた。

「リンズ! そのまま、しがみついとって!」

 その声の主は、リズである。その傍らには、ハウラとアイザックの姿もあった。つい先刻、リズはハウラから「白広胸毒蛇(ホワイトコブラ)の毒」を受け取り、それを塗り込んだ矢を準備していた状態でリンズ達に合流しようとしていたところで、「リンズを掴んだ黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)」を発見したのである。

(今、あの高さからリンズが落ちたら、助からん!)

 リズはそう判断した上で、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)がリンズを落とさずにいることを願いつつ、毒矢を黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)に向けて放つと、見事にその翼に命中する。

「グゲェェェェェエエエエエエエ!」

 黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)は悲痛な叫び声を上げながら、空中でのたうち回るように不自然(フラフラ)な滑空を始める。どうやら、毒はかなり効いているらしい。この時、そのリンズを掴んでいた両足の握力が緩み、そのまま彼女を手放そうともしたが、リンズも既に「落ちたら助からない高度」にいることには気付いていたため、逆に黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)の「足首」にしがみつこうとする。

(こ、このまま落下するなら……、この「足」の上の部分に回り込むのが一番安全……)

 未体験の高度故の恐怖に震えながらも、なんとか必死に涙を堪えながら生き延びる道を探そうとするリンズであったが、今度は黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)の側が激しく抵抗したこともあって、その勢いに振り落とされそうになった彼女は、足首を掴もうとしたその両手を滑らせてしまう。

(あ……)

 この時、リンズの脳裏には「そのまま頭から落下する未来」が予見され、彼女は一瞬、死を覚悟した。だが、次の瞬間、滑らせたと思った彼女の両手は、がっちりと黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)の足首にしがみついたのである。

(え? 今……、私は確かに手を……)

 それは、ハウラによる《巻き戻しの印》の効果であった。リンズは無意識のうちに時間を戻された状態での再挑戦(やりなおし)に成功し、どうにか、「足」の上(足首)へと回り込むことに成功する。その間に毒が翼全体に回った黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)は地上へと落下し、(リンズの腰の下にある)「足」の部分で着地することになり、その次の瞬間、その黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)に対して、馬に乗ったヴィクトルが駆け込むと同時にハルバードでその首を斬り落としつつ、リンズをそのハルバードの柄の部分に捕まらせた上で、一気に馬上へと引き上げる。

「リンズ! 大丈夫か!?」
「ヴィ、ヴィヴィ兄様……、リンズは、リンズは……」

 ようやく助かった安心感から、彼女は表情を歪ませつつ、気丈に振る舞おうとするが、うまく言葉が出てこない。

「ともかく、無事でよかった……。あの時のようなことになったら……」

 ヴィクトルはそう呟いたところで、自分の中で「何か」が掘り起こされたような感覚を覚える。

(「あの時」……? あの時の俺は、確か、リンズを助けるために、魔境で……)

 それは、彼の中では失われかけていた10年前の記憶である。リンズの危機を目の当たりにしたことで、自分の中で封印されていた記憶が蘇ろうとしていたのだが、そんな感慨を邪魔するように、彼の真横でリンズの声が響き渡る。

「ヴィヴィ兄様! 来ます!」

 彼女のその声で我に返ったヴィクトルが再び空に視線を向けると、残った二体のうちの一体が自分達に向かって火炎弾(ファイアーボール)を放とうとしているのが分かる。ヴィクトルはすぐさま手綱を握り直して、敵に狙いを絞らせないよう全力で駆け回りつつ、リンズが(クロスボウ)に矢を装填するための時間を稼ごうとする。
 一方、その間にもう一体の黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)はリズに対して火炎弾(ファイアーボール)を打ち込もうとするが、ここで横から割って入る従騎士(エスクワイア)が現れた。少し離れたところで調査活動を続けていたレキアが、喧騒(うるさいおと)に気付き、黒馬を駆って走り込んで来たのである。

「下がれ!」

 彼はそう叫びながら、盾を構えた状態でリズの前に立ちはだかり、そして放たれた火炎弾(ファイアーボール)をその盾で受け止める。その間に、リズはレキアの後方から、その黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)に対しても毒矢を射掛け、見事に命中させるが、この二本目は当たりどころが悪かったのか(それとも、一本目が良すぎた(クリティカルだった)だけなのか)、一体目程に痛がる様子もないまま、その黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)は、今度はリズに向かって直接襲いかかろうと上空から迫ってくる。だが、その滑空の軌道上にいるレキアは、即座に馬上で鋼球の付いた棒(モーニングスター)を掲げて迎撃(カウンター)体制に入っていた。

「この高さなら、俺の間合いだ!」

 レキアはそう叫びながら、大柄な体躯と鞍上の高さを生かして、突撃してきた黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)を相手に鋼球の付いた棒(モーニングスター)を叩き込むと、あっさりと一撃で粉砕することに成功する。
 そして、その様子を目の当たりにした残りの一体(いきのこり)に対してリンズが(クロスボウ)を向けると、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)はその矢が放たれるよりも一瞬早く、その場から旋回(Uターン)して遠ざかっていく。

「追うぞ! ヴィクトル!」
「分かった!」

 この場で騎乗状態にあるレキアとヴィクトル(および同乗しているリンズ)は、そのまま黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)の飛び去った方向へと向かって駆け出して行くことになる。

「あんま、深追いせんようにな! 危なくなったら、すぐに返ってくるんやで!」

 リズのその叫び声を背に、三人を載せた二騎はそのまま走り去っていく。その間に、ハウラとアイザックは倒された二体の黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)混沌核(カオスコア)を浄化していた。

「当たりどころによっては、かなり強い効果をもたらす毒みたいっすね」
「えぇ、実際、私も中和剤のおかげで痛みは治まりましたけど、まともに弓を握れないくらいには、腕に違和感が残っていますから」

 二人はそんな会話を交わす中、リズは周囲にこれ以上の敵がいないかどうか、注意深く目を配っていた。

 ******

「やはり、人の気配はないか……」

 騎乗状態のまま「異界の海」の近くに降り立ったアレシアは、明らかに不自然(むちゃくちゃ)に並んだ様々な建物の近辺を駆け回っていたが、人間どころか動物の気配すら感じられない。その意味では、(比較的「自然な山岳地帯」であった他の領域と比べて)この海の近辺は文字通りの「混沌(カオス)」の産物としての様相が強かった。
 そんな中、彼女の脳裏に突然、「謎の声」が響き渡る。

(パワー)が欲しいか?」

 それは、海の周囲に出現したいくつかの建物のうち、最も大きな(城のような形状の)建物から聞こえてきた、「聞き覚えのない男性」の声であった。

「誰だ!?」
「私は只の残留念さ。次代の魔獣(ヴァルガー)頭脳体(ブレイン)のために残した先代の頭脳体(ブレイン)の欠片のような存在、とでも言えば、分かるか?」
「……いや、すまないが、全く分からない。魔獣(ヴァルガー)とは、何だ?」
「それすら知らないということは、偶然(たまたま)ここを通りがかっただけの者か。その割には、強大な『魂の力』を感じたのだがな。先代にも劣らぬ程の、英雄としての魂の力を」

 その話を聞いてもなお混乱し続ける(チンプンカンプンな)アレシアに対して、その声の主はこう告げた。

「一言で言えば、魔獣(ヴァルガー)とは、強大な(パワー)を持つ巨大な怪物だ。そして頭脳体(ブレイン)とは、その魔獣(ヴァルガー)と『合体』した上で、その(パワー)を制御する者。その(パワー)は、使い方次第では世界を救うことも滅ぼすことも可能な程に強大。だからこそ、先代は、その(パワー)をこの地に封印した。次に『その(パワー)』を操るに相応しい者が現れるまで」
「怪物と、合体……?」

 アレシアとしては、今ひとつ明確なイメージが思い描けない。ただ、少なくとも、それが相当に禍々しい(パワー)であるということは、ここまでの説明で概ね理解出来た。

「もし、その(パワー)を欲するのであれば、この城の地下室へ来るが良い。もっとも、なぜかは知らぬが、いつの間にか『他の魔獣(ヴァルガー)』の気配もこの周囲に漂っている。もしかしたら、あいつらもまた、頭脳体(ブレイン)を探しているのかもしれないがな」

 どうやら、彼が言うところの「魔獣(ヴァルガー)」には複数種類いるらしい。もし、混沌(カオス)の作用によって、それらがまとめてこの「海」の近辺に集中投影されるという現象が発生しているのだとしたら、この海岸近辺のどこかに魔境の混沌核(カオスコア)がある可能性も十分に考えられるが、さすがにそうなると、アレシア一人で踏み入るには危険性が高い。

(今の私が、愛馬(アクチュエル)を同行させられないであろう地下に一人で入るのは、さすがに無謀すぎる……)

 アレシアはそう判断した上で、「謎の声」に対して答えた。

「おそらく、その(パワー)を受け取って良いかどうかは、私の独断で決められることではない。ここは一旦、撤退させてもらう」
「分かった。もし、その気になれば、いつでも来る通い。気高き魂の持ち主よ」

 その声に微妙に後ろ髪を引かれながら、アレシアはひとまず他の従騎士(エスクワイア)達と合流するために、この海岸領域から走り去るのであった。

 ******

 その間に、レキア、ヴィクトル、リンズの三人は、黄金飛行竜(ゴールデンワイバーン)の後を置い続けたものの、さすがにその飛行速度についていくことは出来ず、途中でその姿を見失ってしまう。しかし、それでもひとまず視認出来たところまで、その空路を追い続けていった結果、巨大な廃墟のような建物へと辿り着いていた。

「これは……、遺跡か?」
「どうやらそうらしいな。とりあえず、人の気配は無さそうだが……」

 レキアとヴィクトルがそう呟く中、リンズが馬から降りて入口らしき場所へと向かい、状況を確認する。

「魔物の気配も、罠が設置されている様子も無さそうです」

 彼女がそう告げると、ひとまずはレキアが建物の外で周囲を警戒した上で、ヴィクトルとリンズが内部へと入り込んで状況を確認することにした。
 すると、中に入った二人は、建物の内壁に様々な図画(イラスト)と文字が描かれているのを発見する。しかも、その文字はアトラタンの言語に翻訳される形で投影されていた(原語のまま投影されるかどうかは、魔境の性質によって異なる)。
 そこに記されていたのは、どうやらこの魔境の投影元の世界における歴史の断片のようである。細かい部分までは特殊な用語が多くて理解出来なかったが、どうやらこの遺跡には、かつて世界を危険に陥れた闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)と呼ばれる存在が封印されているらしい。

魔獣(ヴァルガー)って、何なんでしょう?」
「よく分からないが、この図で見る限り、巨大な怪物のようだな。巨竜(ドラゴン)型とか、黒蛇(クロスサーペント)型とか、大蛸(クラーケン)型とか、色々あるみたいだが……」

 闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)とは、その多様な魔獣(ヴァルガー)の中の一つらしい。そして、魔獣(ヴァルガー)には、魔獣(ヴァルガー)が近くに出現することによって(パワー)が共鳴する性質があるらしく、もしこの近くで魔獣(ヴァルガー)(パワー)を開放した場合、その影響で封印が解けてしまう可能性があるため絶対に厳禁(やっちゃダメ)、と記されている。
 ただ、この時点で、ヴィクトルもリンズも、この遺跡の奥から確かに「巨大な混沌核(カオスコア)」の気配を感じている。おそらく、その闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)こそが、この魔境の混沌核(カオスコア)なのだろう。だが、それと同時に、おそらくはその封印された闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)の周囲に、立ち入ることすら出来ない程の強力な結界(バリア)が存在していることも確認した時点で、ひとまず遺跡の外に出てレキアと合流し、一旦この場から撤退することにした。

 ******

 その後、改めて合流した七人は、それぞれの情報を照らし合わせた上で、現時点で実現可能なこの魔境を浄化するための選択肢として、以下のような手順が想定されることに気付く

1、海の近くの城で(闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)以外の)魔獣(ヴァルガー)を復活させ、誰かが「合体」する
2、誰かが合体した状態の魔獣(ヴァルガー)を、遺跡へと連れていき、闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)の封印を解く
3、闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)を倒して、その混沌核(カオスコア)を浄化する

 もちろん、闇の魔獣(ダーク・ヴァルガー)が魔境全体の混沌核(カオスコア)であるという保証はないし、そもそも城の地下に眠っているという魔獣(ヴァルガー)を制御出来るかどうかも分からない。ただ、少なくとも「魔境全体の混沌核(カオスコア)」の位置までは概ね特定出来た以上、調査隊としての任務はここで終了である。あとは、この情報を持ち返った上で、各部隊の指揮官達の判断に委ねることになるだろう。従騎士(エスクワイア)達はそれぞれに思うところを色々と抱え込みながら、本拠地(カルタキア)への帰途に就くことになるのであった。

☆今回の合計達成値:105/100
 →次回「魔境浄化クエスト(BO)」発生確定、その達成値に2点加算

AP「暗黒の都」

「ここが、京の都かぁ」

 カルタキア南方の砂漠地帯に再度出現した「京の都」の魔境を目の前にして、金剛不壊の メル・アントレ は、馬上からそう呟いた。
 メルは「以前に出現した京の都」には足を踏み入れていない。だが、実際に調査・浄化の任務に加わった者達から話を聞いて「面白そうだなぁ」と考えていたため、気楽な気持ちで今回の「単騎潜入任務」を担うことになった。

「前に投影された時よりも禍々しい街になってるって言ってたけど、まぁ、とりあえずは、入ってみようか」

 そう呟きながら、メルは《王騎の印》を発動させ、勢い良く魔境の中へと駆け込んでいく。まるでチェスの盤面のように精密に整備された道の両脇には、古びた木造建築が並び、そして「人らしき者達」と「人ならざる者達」が混在している様子が分かる。装束などから感じ取れる雰囲気は、以前にメルが参加した桶狭間の魔境とも、どこか通じる部分があるように思えた。
 一方、そんな奇妙な街の住人達の方からは、突如として現れた「騎乗した異界人」に対して奇異の視線が向けられるが、メルはそのまま街全体の様子を確認するため、気にせず大通りを堂々と駆け抜けていく。

(街全体の混沌濃度が高い……、この街全体の混沌核となると、相当な規模なんだろうな……)

 メルがそんな考えを巡らせながら駆け回っている中、やがてその視線の先に、一つの大きな「鐘」が吊るされた古寺を見つける。その「鐘」から奇妙な混沌の気配を感じたメルは、騎乗状態のまま、背中に背負っていた「弓矢」を手に取る。

「この世界では、こういうの『流鏑馬(やぶさめ)』って言うんだよね。ちょっと、試してみるか」

 そう呟きつつ、メルは馬上から鐘に向かって弓を構え、そのまま矢を放つ。メルにとって弓は本来の得物ではなく、決して使い慣れている訳ではないが、《王騎の印》を発動している状態においてメルが放つ一撃には、常に聖印の力が宿っている。そんな矢が鐘に命中すると、これまで聞いたことがないような不気味な音が周囲に響き渡り、そして、その声に応じるように、一人の幼い少女(下図)がメルの前に現れた。
+ 謎の少女

(出典:『平安幻想夜話 鵺鏡』p.172)

「あなたは……、安珍様! 安珍様なのですね! やっと見つけました!」

 笑顔を浮かべながら駆け寄って来るその少女に対して、メルは当然、困惑する。

「アンチン? え? 君は……?」
「清姫です! 覚えていない、の……?」
「いや、僕はメル……」
「そんな、記憶を無くしてしまったなんて……。でも、大丈夫! 私が全部、思い出させてあげるから!」

 彼女はそう言うと同時に、馬上のメルに向かって飛び上がり、そのまま抱きついてくる。見た目は十代前半程度にしか見えないが、その跳躍力は明らかに「ただの幼子」の身体能力ではない。そして、直に触れてみたことで改めて、メルは彼女の身体から強大な混沌核の力を感じる。

(もしかして、この娘が、この魔境全体の混沌核……?)

 一瞬、そんな考えが頭によぎるが、その直後、メルは自分の周囲に「別の強大な混沌の気配」が近付いてくるのを実感する。その気配の漂う方向に視線を向けると、そこには「二本の角を生やした大柄な女性」と、彼女に従えられた幾体もの「人ならざる者達」の姿があった。
+ 角の生えた女性

(出典:『平安幻想夜話 鵺鏡』p.154)

「アンタ、ただの人間じゃないね。どこ里の者だ!?」

 明らかに異形の存在であるが、少なくとも、ある程度は話が通じそうな相手であろうと判断したメルは、ひとまず答えようとする。

「僕はメル。カルタキアの従騎士だ。君は?」
「あたしは茨木童子。大江山の酒天童子様の命により、この京の治安を託されし者だ。カルタキアとは聞き慣れぬ地名だが、もしや貴様、稀人か?」
「マレビト……? うーん、君達から見れば、そういうことになるのかな……?」

 ここで、メルに抱きついている状態の清姫が割って入る。

「ちょっと! 安珍様に気安く話しかけないで! 安珍様も、こんな女の相手なんてしないで!」

 彼女がそう叫んだのに対し、茨木童子は怪訝そうな表情を浮かべる。

「ははぁ、さては噂に聞こえし気ぶりの幼子だねぇ。その娘に目をつけられたとは、哀れなもんだよ」
「え? どういうこと?」
「だから! こんな女と話なんてしないで! 安珍様!」

 あくまで会話を邪魔しようとする清姫を目の当たりにして、茨木童子は溜息を尽きつつ、メルに語りかける。

「いずれにせよ、この京の都で稀人に好き勝手されると、あたしの沽券に関わるんでね。一旦、あたしらの詰め所にでも来てもらおうか?」
「ダメよ! 安珍様! この女、隙を見て安珍様の貞操を奪うつもりだわ!」

 全く状況がよく分からないまま、メルはひとまず、今の状況で自分がやるべきことを考える。

(少なくとも、これ以上、僕一人で深入りするのは危険だよな……)

 メルの実感としては、自分に抱きついている清姫からも、自分を睨みつけている茨木童子からも、かつて桶狭間で遭遇した今川義元と同程度の強力な混沌核の力を感じる。魔境全体の混沌核が二つに分裂するという可能性は考えにくい以上、おそらく、この二人はどちらも「魔境全体の混沌核」ではない。それはつまり、彼女達と同レベルの混沌核の持ち主が他にも何体も蠢いている、ということになる。迂闊に茨木童子の言葉に従う訳にもいかない。
 一方で、自分にしがみついたまま離れようとしない清姫については、今のところ自分に対しては極めて好意的な感情を示しているが、明らかに「他の誰か」と自分を勘違いしており、その真相次第では、彼女の自分への態度がどうなるかも分からない。ただ、現状において重要な情報源となり得る存在でもある。

(どっちにしても、ここで強引に彼女を振り解くのは難しそうだしな……)

 自分に掴みかかっている彼女の「不気味な力」の強さを実感したメルは、ひとまず彼女を乗せた状態のまま、馬首を返して、その場から逃走する。

「すみません! とりあえず、今は京の都からは出て行きます! 多分、また来ることになるので、詳しい話は、その時に!」

 メルはそう叫んで、一目散に魔境の外へと向かって駆け出して行く。《王騎の印》によって強化されたその圧倒的な脚力を目の当たりにしたことで、茨木童子はひとまずそのままメルを黙って見送ることにした。

「あぁ、愛の逃避行ね! 私をどこにでも連れ去って! 安珍様♥」
「だから、僕はアンチン様じゃないんだけど……、まぁ、とりあえず、そのことはカルタキアに帰ってから、ゆっくり話そうね」

 こうして、メルは一人の少女と共に魔境から帰還することになる。その後、メルは自分があくまで(彼女から見れば)異界の人間であることを説明しようとするが、清姫はあくまでもメルが「安珍」であると主張して譲らず、そのままカルタキアでも常にメルの側に寄り添い続けるのであった。

☆今回の合計達成値:23/100
 →このまま次回に継続(ただし、目標値は上昇)

BJ「黃天神社は血に染まる」


「まさか、こんな古井戸の下に魔境が投影していようとはな……」

 幽幻の血盟の一員である16歳の従騎士 ルーカス・クライスト は、カルタキアの外れの畑にて、今はもう使われていない古井戸を見ながら呟いた。
 彼は先日まで遠方の任務に就いていたため、自分の留守中にカルタキアの地下に魔境が投影されていると知って、少々驚いている様子である。もともとカルタキアは魔境が出現しやすい土地ではあったが、さすがに「地下」に「広大な異世界空間」が投影されたという事例は、地元の従騎士である彼でも聞いたことがなかった。
 その上で、ルーカスはその地下魔境の浄化作戦に加わることになり、ひとまず任務に参加する前に「魔境の入口」を確認しておこうと思い立ち、現場に赴いていたのだが、やがてそこへ、別の従騎士が現れる。それは腰に二本の剣を差した、ルーカスと同世代くらいと思しき、左右の瞳の色が異なる青年であった。彼は古井戸に近付こうとしたところで、ルーカスと目が合うと、相手が従騎士であろうと推察した上で、彼に対して問いかける。

「その古井戸が、地下帝国への入口なのか?」
「どうやら、そのようだ。その身なりからして、お前も従騎士か?」
「あぁ。僕は金剛不壊の スーノ・ヴァレンスエラ 。お前は?」
「俺は幽幻の血盟のルーカス・クライスト。故あって街を離れていたが、先日、任務を終えて戻ってきた。まぁ、よろしくな」
「よろしく頼む。ところで……」

 スーノはルーカスの背中に視線を向けつつ、その背中に弓が背負われていることに気付く。

「……その身なりからして、弓使いか?」
「あぁ。基本的には後方から、戦局全体を見渡した上で、状況に応じて支援の矢を飛ばすのが俺の役割だ。だから、お前が俺と一緒に地下帝国に行くなら、お前の戦い方も把握しておきたい。その双剣からして、前線要員のようだが……」
「僕は、セイバーだ。と言っても、最近になってようやく《疾風剣の印》を使えるようになったばかりだがな」

 その説明を聞いて、ルーカスは素直に感服した表情を浮かべる。

「ほう……、もうその域にまで達しているのか。それは頼もしい」
「あくまでも、『使えるようになった』というだけだ。まだ実践で使ったこともない」

 だからこそ、スーノとしては、今回の任務を通じて「覚醒した自分の『今の時点での強さ』」を確認したいと考えていた。更に言えば、同じセイバーであるジーベンと共に戦うことで、自分と彼との間に、あとどのくらいの隔たりがあるのかを知ることにも繋がるのではないか、という想いもある。

「分かった。それなら、その力を存分に発揮出来る最高の舞台を、俺が整えてやるよ」

 二人はそんな会話を交わしつつ、やがて軍議の場へと向かうことになるのであった。

 ******

「なるほど。つまり、今回の総大将はお前、ってことでいいんだな?」

 領主の館の一角で開かれた地下帝国の浄化隊の軍議において、鋼球走破隊のタウロスは『三国志演義』の翻訳本を手にしながら、金剛不壊の ペドロ・メサ に対して、そう告げた。
+ タウロス

「そう……、なるのですか?」
「今のお前に宿っている『劉備』とかいう奴は、この地下帝国の世界においては、民草を導く象徴なんだろう? だとすれば、お前を総大将として担ぎ上げるのが筋というか、そうしないと魔境の住民達も納得して従わないだろうよ」

 カルタキアの地下に投影された「秦帝国日本州関東郡栃木県」は、現在、栃木県令・程遠志(ていえんし)が率いる黄巾賊と、彼等に反対するレジスタンス勢力の武力闘争が続いている。レジスタンス側の実質的な指揮官は、孔子学校の「二代目・臥龍先生」こと諸葛宮冥(しょかつのみやめい)と、「呂奉先のレイヤード」の投影体・九十九(つくも)ことりであるが、彼等の決起において実質的な旗印となったのは、臥龍学校の孔子廟で劉備(『三国志演義』の主人公)の魂を宿した状態のペドロであった。
 ペドロの魂の中には、現時点においても「劉備の魂」の断片が残っていることは実感しているが、魔境の外においてはその影響力は弱まっている。その点は、彼と同じく関羽(劉備の義弟)の魂を宿した状態にある第六投石船団の キリアン・ノイモンド もまた同様であった。彼は前回の調査任務の時点での状況について、改めてこの場にいる面々に説明する。

「確かに、ペドロが劉備としての『活名之光』を放った時の民衆の反応は、まるで皇帝聖印(グランクレスト)でも見たかのような高揚感だった。あの世界の民衆にとっては、それだけ『劉備』とは特別な存在なのだろう」

 なお、実際に劉備は『三国志演義』に登場する幾人かの「皇帝」の一人なので、「皇帝聖印」という表現もあながち誇張とも言い切れない。キリアンによるその証言を聞いた上で、彼の上官であるカエラもまた、タウロスの意見に賛同した。
+ カエラ

「今回の作戦が、『魔境内の民衆を煽動して戦力として活用すること』を前提としている以上、その将に必要なのは、武勇でも智謀でもない。『彼等を従える能力』だ」

 一方、もう一人の指揮官であるジーベンは、ペドロに対して淡々とした口調で言い放つ。
+ ジーベン

「自分が『器』ではない思うなら、降りる権利はある。『将』からも、『君主』からも」

 ペドロは彼等の言葉の意味を噛み締めた上で、改めて周囲の反応も確認する。この場にいる従騎士は、上述のキリアンに加えて、古井戸の下見を終えて合流したルーカスとスーノ、そしてジーベンの傍らに立つ潮流戦線の マリーナ・ヒッパー と、カエラの傍らに侍る第六投石船団の ユージアル・ポルスレーヌ の五人であるが、誰一人として、異論がありそうな顔を浮かべている者はいなかった。

「分かりました。では……」

 ペドロはそこまで言いかけたところで、あえてタウロス、カエラ、ジーベンの三人ともしっかりと目を合わせた上で、力強く宣言する。

「……皆の命、このペドロ・メサが預からせてもらう!」

 三人が(それぞれの流儀で)「それでいい」という表情を浮かべる中、前回の調査任務にも参加していたユージアルが、ふと三人の指揮官に素朴な疑問を投げかける。

「ところで……、お姉さま達は『英雄の魂』を憑依させるつもりはないのー?」

 前回のペドロとキリアンのように、孔子廟には異界の英雄の魂を憑依させる力がある。彼等にそういった力が加われば鬼に金棒のようにも思えたが、それについてはカエラが答える。

「あくまでも推論だが、私達の聖印は強すぎて、異界の英雄の魂を憑依させようとしても、おそらく聖印が拒絶反応によって弾かれてしまう可能性が高いだろう」
「なるほどなのー……」

 ユージアルは素直に納得した表情を浮かべるが、その声色からカエラは何かを察した。

「お前も『英雄の魂』を宿してみようと考えているのか、ユージアル?」
「そうなの! 私は前にも秘密結社の魔境で異界の力を宿すことは出来たし、三国志のことも少しは知ってるから、きっと適正はあると思うの! 天地を喰らって、無双するの!」

 相変わらず、地球の異界魔書で手に入れたと思しき「よく分からない言葉」を使いながらユージアルが意気込みを語ったところで、中央のテーブルに置かれていた「異界の通信機」が音を立てながら揺れ始める。それは、栃木県の副県令でありながら従騎士達に協力している少女・鄧茂(とうも)からの通信であった。ペドロがその通信機に触れると、部屋全体に拡声する形で彼女の音声が響き渡る。

「大変だ! 程遠志サマが太平要術書の力を使って、他の関東郡の武将達を召喚し始めている。既に群馬県令と茨城県令の召喚には成功して……、あ、程遠志サマ!? いえ、何でもないです、何でも……」

 そこで通信は途絶えた。どうやら、通話中に程遠志に見つかってしまったらしい。「群馬県令」と「茨城県令」なる者が何者なのかは分からないが、この唐突な連絡に対して、ペドロは困惑の表情を浮かべる。

「どういうことだ……? 太平要術書はあくまで地球の魔導具の筈。それが新たな投影体を呼び出すなんてことは……」

 就任したばかりの総指揮官がそう呟いたのに対し、彼の同僚のスーノが、これまでに参加した諸々の作戦における状況を思い出しながら口を開く。

「いや、考えられない話ではない。魔境の混沌核が、時間の経過と共に新たな投影体を誘発するというのは、よくある話だ。その太平要術書が魔境の混沌核であるならば、その持ち主の願いに応じて友軍を呼び寄せたとしても、おかしくはないだろう」
「なるほど……、太平要術書そのものの性質というよりは、魔境の混沌核としての性質がもたらした影響と考えれば、それもありえる話か……」

 その話を聞いた時点で、ルーカスもまた声を上げる。

「じゃあ、急いだ方がいいんじゃないか? 放っておいたら、どんどん敵の勢力が強大化するかもしれないんだろ?」
「そうだな。一刻も早く出立しよう。ただ、そうなると問題は……」

 ペドロは少し困った顔を浮かべつつ、ユージアルに視線を向け、彼女もその意を察する。

「孔子廟に行ってる時間はない……、なの?」
「敵が援軍を召喚しているのなら、こちらも戦力を増強したいところだが、以前に臥龍学校まで移動する時に使った『鉄道』が、今は使えないからな……」
「え? 水行発電所からの配電は、復旧させたんじゃなかったのー?」

 それに対して、横からユージアルの同僚のキリアンが口を挟む。

「配電は戻したが、冥が言うには、列車を動かせる技術者が反乱軍の側にいないらしい」
「そ、そんな……、あんな遠いところまで歩いて行くなんて、さすがに厳しいの……」

 ユージアルが落胆しかけたところで、今度はマリーナがペドロに問いかけた。

「報告書は確認しましたが、その世界でも、交通手段としての『馬』は使われているのですよね?」
「あぁ、そうだな。実際、敵軍も停電中は馬を駆使して攻め込んできた」
「それなら、現地で馬を調達した上で、私がユージアル様を乗せて馬で孔子廟までお送りする、というのはいかがでしょう? キャヴァリアーの人々には及びませんが、馬の操騎に関しては、それなりに自信はあります」

 実際のところ、ユージアルも馬には乗れない訳ではないが、騎乗技術に長けているとは言えない。そして、もし万が一、途中で襲撃に遭う可能性も考慮すれば、ユージアル一人で向かうよりは、二人の方が安全性も高まるだろう。

「分かった。では、二人は今すぐ出立して、孔子廟に向かってくれ。俺達は準備を整え次第、敵の本拠地である黄天神社を包囲している友軍の元へと向かう」
「了解しました」
「ありがとうなのー!」

 こうして、当初の想定よりもやや慌ただしい形で、地下帝国・栃木県の浄化作戦は開始されることになった。

 ******

 先行潜入隊となったユージアルとマリーナは、ユージアルの案内で古井戸からの潜入に成功した上で、ユージアルが前回共闘した現地の反乱軍とすぐに接触出来たことで、あっさりと馬を手に入れることに成功する。そして、マリーナが手綱を握り、ユージアルが道案内する形で、無事に臥龍学校へと到着することになった。

「みんなー! 久しぶりなのー! ユージアルなのー!」

 彼女が入口でそう叫ぶと、中から学徒達が現れる。

「おぉ、攸璽(ユージィ)殿。お戻りになられましたか! 他の皆様方は?」
「多分、そろそろ黄天神社に向かっているのー」
「ということは、いよいよ最終決戦ですな!」
「そうなのー! その前に、一つお願いがあるのー!」

 ユージアルと学徒達がそんな会話を交わす中、マリーナは彼等の装束や臥龍学校の独特の建築様式から、何故か奇妙な「懐かしさ」を感じる。

(私は、ここには来たことがない筈なのに、なぜ……?)

 マリーナがそんな奇妙な感慨に捕らわれている間に、ユージアルは学徒達への事情の説明を終えて、孔子廟へと案内してもらうことになった。ひとまず、マリーナも彼女と共に廟の入口までは同行した上で、入口に立った時点で立ち止まる。

「では、私はここで待っています。もし、何か異変があったら、すぐに声を上げて下さい」
「分かったのー! ここまで、ありがとうなのー!」

 ユージアルはマリーナに対してそう告げた上で、廟内に入り、扉を締め、そして病の中にある「孔子」の像に振れる。

(私にも英雄となれる資質があるのなら……、私の魂に答えてほしいの!)

 彼女が強くそう願った瞬間、彼女と木造の間の「何も無い筈の空間」で、混沌の気配が高まっていくのを感じる。

(これは……、混沌核の収束……、なの?)

 ユージアルは困惑する。ペドロとキリアンから、「英雄の魂を宿した直後に、一度、気を失った」という話は聞いていたが、新たな投影体が出現したという話は聞いていない。

(失敗、なの? 私には、無理だったの……?)

 一瞬、心が絶望に支配されそうになるが、ユージアルはすぐに気を持ち直す。

(そんな筈はないの! 私にも出来る筈なの! 私も君主としての道を見つけるの!)

 彼女がそんな強い決意を込めながら目を見開くと、その眼前の混沌核が、一本の剣へと変わる。その剣には、七つの星の意匠が刻み込まれていた。

(この剣が、私の魂に答えたの……?)

 戸惑いながらもユージアルがその剣を手にした瞬間、彼女の中に「何か」が流れ込み、その「何か」に反応するように、彼女の中に流れる「血」が不思議な高揚感と共に湧き上がろうとする。

「わ、私は……、私は……!」

 それまで心の中に抑えていた感情を、ここで彼女は初めてはっきりと「声」として表に出す。そして、その「明らかにいつものユージアルとは異なる声色」に気付いた(廟の外で待機していた)マリーナが、扉を開いて駆け込んできた。

「ユージアル様! 何が……」

 彼女が廟に入ると、そこには一本の剣を手にして倒れた状態のユージアルの姿があった。

「大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」

 マリーナはそう叫びながらユージアルに触れると、脈拍も息も正常時と変わらない。あくまでも気を失っているだけであることが分かる。

(これは……、成功した、ということ……? ペドロ様もキリアン様も、英霊を宿した時は気を失ったと言っていたし……)

 だが、ユージアルがこの廟に入る時に、このような剣は持っていなかった。そして、部屋全体を見渡しても、剣を飾っておくような場所があるようには見えない。
 何が起きたのか分からずにマリーナが混乱しているところで、彼女は目の前の木像を見た瞬間、自分の中の「何か」が反応しているような感覚を覚える。そして、この臥龍学校に着いた時から感じていた既視感の正体に、ようやく気付いた。

「そうか……、ここはきっと、『あの人』の世界に似ているんだ……」

 かつてマリーナは、「少卿」と名乗る投影体の男性から騎射の腕を学び、その過程において、彼の故郷に関する話も折に触れて伝え聞いていた。そして、この臥龍学校全体に漂う雰囲気が、マリーナが心の中で(彼の話していた内容に基づいて)想像していた「少卿の世界」のイメージと酷似していたのである。
 そのことに気付いたマリーナは、半ば無意識のうちに、その手を孔子像へと伸ばす。もしかしたらそれは、彼女の「聖印」の中に眠る「少卿」の意志がそうさせたのかもしれない。そして彼女の手が孔子廟へと触れた瞬間、マリーナの中でこれまで以上にはっきりと「懐かしい感覚」が湧き上がる。

(あぁ……、これはきっと、「あの人」がよく口にしていた、あの……)

 マリーナは心の中でそう呟きながら、ゆっくりと意識を失っていくのであった。

 ******

「皆の者! 劉備殿と関羽殿のご到着だ!」

 栃木県令・程遠志が立て籠もった「黄天神社」を包囲する反乱軍の本陣から、方天画戟を持つ投影体の少女、九十九ことりの声が響き渡った。彼女に率いられた反乱軍(栃木県民)の兵士達は、その報を聞いた上で、実際にペドロとキリアンが姿を現したのを目の当たりにすると、一斉沸き立ち始める。
+ 九十九ことり

(出典:『コード:レイヤード 拡張ルールブック ベイグランツ・ロード』表紙カバー絵)

「おぉ! 我らが主、劉備北瀞(ペドロ)様だ!」
「武神・関羽桐庵(キリアン)様だ!」
「これでようやく、この栃木県は黄巾賊の手から解放されるんだ!」

 民兵達のその声を目の当たりにして、「劉備の配下」として同行している指揮官達は、想像以上の熱狂ぶりに、やや面食らう。

(まるで、エドキア様を前にしたハマーンの民、いや、それ以上か……?)
(煽動力だけなら、ミルザー閣下よりも上かもしれん……)
(どこか、あの「システィナ生まれの男」にも通じるカリスマ性だな)

 彼等が内心でそんな感慨を抱く中、ペドロの傍らに立つ同僚のスーノは、小声で声を掛ける。

「大した人気だな」
「彼等が求めているのは、あくまで劉備であって、俺じゃない。だが……、それが彼等の望みなら、この地にいる限り、私は劉備だ。私には、民衆を見捨てることはできない」

 そう語りながら、ペドロの口調がいつもと微妙に変わりつつあることにスーノは気付く。ただ、「別の誰か」に身体を乗っ取られているようには見えない。あくまで(全面的にか部分的にかは分からないが)彼の心に劉備の魂が共鳴した上での同調なのだろう。

 一方で、ルーカスはキリアンに声をかけた(彼等は所属は異なるが、この任務の前に、ジーベン指揮下で「列車の魔境」の浄化作戦にも同行していた)。

「武神か……、相当な期待が寄せられているようだが……」
「あぁ。この名を名乗る以上、その期待に答えることが、僕に課せられた使命だ。必ず、やり遂げてみせる」

 どちらかと言えば、キリアンの方がより「本来のキリアンの人格」に近い状態で話しているように見えるが、その原因が同調率の問題なのか、それとも本来の自我の強さに由来するものなのか、それとも英雄の魂の支配力の違いなのか、それは誰にも分からない。
 そして、彼等の前に(ことり同様、別の世界からの投影体である)軍師の諸葛宮冥が現れる。
+ 諸葛宮冥

(出典:『番長学園!! 大吟醸』p.98)

「ようやくおでましだねぇ。随分待たせてくれたおかげで、ちょっと厄介なことになってるよ」

 言葉そのものは恨み節のような言い回しだが、その表情はむしろ嬉しそうな、この状況を楽しんでいるかのような面持ちであった。ひとまず状況確認のために、ペドロが問いかける。

「敵の援軍が現れたという話を聞いたが、本当か?」
「そうだねぇ。アタシは詳しくは知らないんだが、数日前から突如として茨城県令と群馬県令が現れて、この包囲網を突破しようと仕掛けてきた。ことりがどうにか踏ん張ってくれたおかげで阻止出来たが、密偵が確認した情報によると、どうやら昨日の時点で『千葉県令』も姿を現したらしい」
「茨城や群馬というのは、この『栃木』と同じような地名なのか?」
「あぁ、そこら辺は『アタシの世界』と同じなんだが、どっちも栃木の隣県だよ。で、千葉ってのは……」

 彼女はそのまま説明を続けようとしていたが、ここで、彼等が包囲している黄天神社に怪しげな光が灯り始める。そして、聞き覚えのない「女性の声」が聞こえてきた。

「リピート・アフター・ミー。蒼天すでに死す。ハイ?」

 その直後、神社に集っていた黄巾賊の兵士達の大合唱が響き渡る。

「蒼天すでに死す!」

 彼等の声圧に、反乱軍の民兵達が動揺するなか、再び同じような「掛け合い」が巻き起こる。

「リピート・アフター・ミー。黄天まさに立つべし。ハイ?」
「黄天まさに立つべし!」

 その声と共に、黄天神社の屋根の上に、七人の武将が姿を現し、次々と名乗りを上げる。

「栃木県令、程遠志(ていえんし)超強(ちょうきょう)!」

 それは先日の戦いにおいて、ペドロ達の前に完敗を喫した、この栃木県の支配者である。見るからに野盗のようなガラの悪い風貌の男であった。
+ 程遠志

(出典:『転生三国志』p.206)

「茨城県令、鮑三娘(ほうさんじょう)麗姫(れいき)!」

 そう名乗ったのは、ショートカットの赤毛の女性であった。周囲を蔑むような瞳で見下しつつ、その身体全体から激しい闘志を燃やしている。
+ 鮑三娘

(出典:『転生三国志』p.205)

「群馬県令、姜維(きょうい)開明(かいめい)!」

 その声の主は、特殊な眼鏡と謎の機械を頭部に装着した、知的な雰囲気の男性であった。冷静な瞳で値踏みするように反乱軍の全容を見渡している。
+ 姜維

(出典:『転生三国志』p.206)

「千葉県令・周倉(しゅうそう)長生(ちょうせい)!」

 七人の中で最も精悍な顔付きの男は、そう言って拳を握りしめる。その顔には数多の傷跡が刻み込まれており、歴戦の猛者であることを推察させる。
+ 周倉

(出典:『転生三国志』p.207)

「埼玉県令、張梁(ちょうりょう)三烏(さんう)!」

 七人の中で最も大柄な体躯の持ち主であるその男は、ひときわ大きな声でそう叫んだ。口元には髭を生やしており、見た目としては最年長のようにも見える。
+ 張梁

(出典:『転生三国志』p.207)

「神奈川県令、張宝(ちょうほう)片翼(へんう)!」

 七人の中で最も小柄かつ細身のその男は、右手で眼鏡を指で軽く押し上げながら、静かにそう名乗った。左手には一本の杖が握られており、明らかに武将としての体格ではないため、おそらくは仙術使いであろうと推測される。
+ 張宝

(出典:『転生三国志』p.208)

 そして、この六人を従える形で中央に立っていたのは、フードとマフラーで顔の半分が隠れた状態の、穏やかそうな表情の女性であった。張宝同様、左手には一本の杖、そして右手には一冊の「本」が抱えられている。
+ 穏やかそうな表情の女性

(出典:『転生三国志』p.208)
 前回、最前線で程遠志軍と戦っていたキリアンは、その本に確かに見覚えがあった。

「あれは、太平要術書! ということは、彼女が……」

 彼のその言葉に答えるように、その女性は微笑を浮かべながら名乗りを上げる。

「関東守郡太守、張角(ちょうかく)誨幸(かいこう)!」

 彼女が発したその声は、紛れもなく先刻の先導役の女性の声であった。そして、彼女の名乗りと共に、黄巾賊の兵達は激しい雄叫びの声を上げ、反乱軍の民兵からは恐怖に慄く絶望の溜息が広がる。

「関東郡の秦帝国軍が、勢揃い、だと……」
「か、勝てる訳がない……、黄巾賊で一番の小物と言われる程遠志にすら、俺達じゃ刃が立たなかったのに……」
「無理だったんだ……、やっぱり、俺達が黄巾賊に歯向かうなんて……」

 だが、ここで彼等の耳に、新たな乱入者の声が届いた。それは、明らかに若い女性の声でありながら謎の威圧感が込められた、不思議な音色の声であった。

「ここの天下は黄巾のものであるようだな。しかし、我が天下に背くとも、天下を我に背かせはせぬの」

 その声と共に現れたのは、七つの星の意匠が施された剣を手にした、いつもとは明らかに異なる表情を浮かべたユージアルであった。

「我が名は曹操(そうそう)攸璽(ゆうじぃ)。我が志は千里に在る! たとえ何度転生を繰り返しても、我が覇道を止めることは出来ぬの!」

 まだ微妙に「ユージアルとしての心の断片」が感じられる言い回しではあるが、両軍の兵士達からは(「曹操」という名を耳にした時点で)揃ってどよめきの声が上がる。

「劉備、関羽、呂布に続いて……、曹操、だと……?」
「ありえるのか、そんなことが……」
「だが、確かに彼女からは感じられる。乱世の奸雄としての曹操のオーラが……」

 曹操とは、劉備と並び称される「三国時代」における最大の英傑である。事前に『三国志演義』の翻訳本に軽く目を通していたカエラは、直属の部下である彼女のその名乗りに、強烈な違和感を感じた。

「ユージアルが曹操、だと……?」

 カエラが読んだ限りの印象では、曹操とは「覇道を貫く苛烈な改革者」であり、この世界で言えば、ダルタニア太守ミルザーのような魂の持ち主である。とてもユージアルの魂が共鳴するとは思えない。
 だが、現在のユージアルに宿っているのは、確かに曹操の魂である。その理由は、彼女の血統にあった。彼女の実父であるアロンヌ北東部の地方領主がまさに「乱世の奸雄」と評されるに相当する気性の持ち主であったことから、その「血」に曹操の魂が同調したのである(だが、その実父のことを知る者は、ここには誰もいない)。

「ユージィ、それが君が冠すべき『名』なのか……」

 同僚のキリアンも、関羽としての魂と同調した状態のまま、呆然と彼女を見つめる(なお、関羽は劉備の義兄弟だが、同時に曹操とも浅からぬ因縁の持ち主である)。
 だが、彼女の登場によって明らかに「空気」が変わったことを確信した冥は、ここで畳み掛けるように(事前に通信機経由で聞いていた「名前」を思い出しながら)声を張り上げる。

「さぁ! 決戦だ! お前達も、前世の力を取り戻し、この地の悪を滅ぼすがいい!」

 冥は、芝居がかった大仰な動作と共に、近くにいた「三人の来訪者」に向かって叫んだ。

孫悟空(そんごくう)時辯(じいべん)!」
「は?」
沙悟浄(さごじょう)華鰓(かえら)!」
「え?」
猪八戒(ちょはっかい)多虚(たうろ)!」
「俺?」

 突然、意味不明な名前で呼ばれた三人は当然のごとく混乱するが、その名前を聞いた両軍の兵士達は、更に激しい動揺に包まれていた。

「バカな!? 西遊記の妖怪の魂など、ある筈がない!」
「いや、そうとは言い切れないぞ……、明らかに架空の人物の魂も転生していると聞く」
「そもそも、転生者は三国時代の英雄とは限らない。今の転生技術を生み出したのだって、始皇帝や除福じゃないか」

 そんな言葉を口にし続ける兵士達であるが、両軍の様子を見る限り、明らかに黄巾賊に比べて反乱軍の方が、その表情に「期待」の色が感じ取れる。

(なるほど……)
(そういうことか……)
(読めたぜ……、完全に!!)

 三人は一瞬、顔を合わせつつ、それぞれの武器を構えた。

「ようやく今、思い出した」
「まだ目覚めたばかりで、記憶は不鮮明だが……」
「俺の前世は確かにチョハッカイだった! 気がする!」

 彼等はそう宣言した上で、それぞれの聖印を掲げる。それらはいずれも、「劉備」としてのペドロの聖印を遥かに上回る輝きを放っていた。

「こ、この光……、本物だ! 本物の斉天大聖だ!」
「弓使いの沙悟浄って、一体、どんな戦い方なんだ!?」
「ツノの生えた猪八戒って、めっちゃ強そうじゃないか!」

 どうやらこの世界の住人にとって、「この三人」に与えられた名は、三国志の登場人物達と同等以上に心を高揚させる存在らしい。三人とも、その名について何も知らないままの完全な嘘八百であったが、この世界の住人にとっては原典の再現性など些細な問題のようで、両軍の兵士達は完全に騙されてしまい、反乱軍の側の方が精神的に優位な状況へと逆転した。
 この異様な空気の中で、明らかに取り残された状態のルーカスは、スーノに問いかける。

「なんかよく分からないけど、俺達も何か名乗った方がいいのか?」
「いや、それは僕等の仕事じゃない。それに、もうこの状況なら、不要だろう」

 スーノはそう答えつつ、この状況に対して、微妙な違和感を抱いていた。

(『あの女』が持っているのが太平要術書だとすれば、それがこの魔境の混沌核の筈……。確かに、彼女の周辺には強烈な混沌核の力が漂っているが……)

 彼はそう感じながらも、七人の中で左端に陣取っている栃木県令・程遠志を凝視する。

(……だとしたら、彼女と同等以上に『この男』から感じる気配はなんだ? 見た目は他の者達の方が強そうなのに、この男からも、あの女と同等以上の混沌のオーラを感じる……)

 スーノの中でその疑念が解けないまま、やがてペドロが改めて聖印を掲げた上で、「張角の持っている本」を指差しながら、全軍に号令を発する。

「あの『太平要術書』こそが全ての元凶! それを討ち果たし! この地の平和を取り戻すのだ!」

 その声に応じた反乱軍は、黄天神社に向かって一斉に突撃を開始し、決戦の火蓋は切って落とされたのであった。

 ******

「さぁ、派手に行こうか!」

 タウロスはそう叫びながら、モーニングスターを振り回しつつ、太平要術書を持つ張角の元へと突進をかけるが、その前に埼玉県令・張梁が、大量の兵士達と共に立ちはだかる。

「俺が黄巾賊ナンバー3だ! ここは通さん!」
「……いいぜ! 俺の前に兵を集めてくれて、ありがとよ!」

 タウロスはそう叫びつつ、《暴風の印》を発動させることで、辺り一面の兵士達を一気に吹き飛ばす。だが、次の瞬間、彼の視線の先にいた張角が太平要術書を天に向って掲げると、その兵士達に光が注がれ、次々と起き上がってくる。それは(「本来の持ち主」が使ってるためか)前回の戦いで程遠志が使っていた時をも上回る治癒力であった。

「なるほど……、だったら、完膚なきまでに潰してしまえばいいんだな?」

 彼はそう呟いた上で、再びモーニングスターを掲げ、今度は《暴風の印》に加えて《武神の印》を発動させ、自身の体力を犠牲にすることで、より強大な打撃力を以って、大量の兵士達を一撃で完全に混沌の欠片となる程までに粉砕する。

「お、おのれ! だが、その技は貴様の身体を犠牲にする奥義と見た! そう何度もは使えまい!」

 張梁はそう言い放った上で、更に神社の周囲の兵達をかき集めて、タウロスへと向かわせる。しかし、タウロスは余裕の表情で答える。

「悪いが、治癒の力を使えるのは、お前達だけじゃねぇんだよ!」

 彼がそう叫ぶと、後方の「本陣」においてペドロが掲げる聖印から『活命之光』が放たれ、タウロスの身体を癒やしていく。

「く……、だったらお前も、再生する前にぶった切って角煮にしてくれるわ! この豚野郎が! 」
「誰が豚野郎だ!」

 どうやら猪八戒とは豚の妖怪らしいのだが、そんなことをタウロスが知る筈もない。そして、張梁はタウロスを挑発しながらも大量の兵に守られる形で自分から切り込みにいこうとはしないため、戦線は長期化していくことになる。

 ******

 その間に、ジーベンもまた張角の首を狙って神社の境内を駆け上がろうとするが、そんな彼の前には神奈川県令・張宝が立ちはだかる。

「まったく……、最近の栃木の猿は、躾がなっていないようだね」

 彼はそう呟きながら杖を掲げると、ジーベンと彼の間の大地が割れて、そこから巨大な人型の兵器が出現する。その体高はジーベンの10倍にも達する程の、まさに「鋼の巨人」であった。

「見たか! これが秦帝国の科学力だ! このコロッサスの前に、跪いて許しを請うがいい! 」

 張宝がそう叫ぶと、そのコロッサスと呼ばれた人型兵器はジーベンを右足で蹴り上げようとする。しかし、ジーベンはそれをあっさりとかわした。

「……確かに威力だけはあるようだが、それすらも、あの時の氷竜ほどじゃない」

 彼はそう呟きつつ、《疾風剣の印》を用いて、曲刀でコロッサスの関節部分を狙って斬りかかる。コロッサスはその風刃の如き斬撃を避けることは出来ず、ジーベンの鋭刃は腱の部分に直撃したように見えたが、その直後、またしても張角の太平要術書の力で、受けた傷も見る見るうちに回復していく。

「無駄だ! このコロッサスを一撃で壊すことなど、誰にも出来はしない。太平要術書の庇護下にある限り、僕のコロッサスは不死身だ!」
「……ならば、お前自身を倒す!」

 ジーベンはそう言い放った上で、コロッサスを迂回する形で張宝へと斬りかかろうとするが、張宝とコロッサスは絶妙なコンビネーションにより、ジーベンに回り込まれないように立ち回り続ける。だが、この状況においても、ジーベンには焦りはなかった。

(俺がこいつを引き付けている間に、誰かが大将首を取ればいい……)

 そう割り切った上で、彼はこの巨大な人型決戦兵器と対峙し続けることになる。

 ******

 一方、カエラは本陣から、まさにその「大将首」を狙うべく、張角に対して矢を射続けていたが、それらは全て、張角の周囲を飛び回る「円盤型の飛行兵器」によって庇われることによって防がれている。そして、カエラの矢を一撃受けるごとに張角が即座に太平要術書の力で回復させることによって、何度矢を放ってもキリがない状態が続いていた。
 カエラとしては、ここで《光弾の印》などを用いることで一撃で完全に撃墜させることも可能だったのだが、あえて彼女はそうせずに、持久戦を覚悟した上での連射を続けていく。

(もし、あの円盤では防ぎきれないと判断されたら、最悪の場合、仲間を盾にする形でここから逃亡される可能性もある。この広い魔境のどこかに潜伏されることになったら、探し出せるかどうかも分からない)

 なんとしても、この神社での戦いで決着をつけるべきだと判断していたカエラは、あくまで張角には「まだ勝機はある」と思わせた状態で、仙力が尽きるまで、この地に留まってもらう必要があると判断していたのである。

(大丈夫。それまでにきっと、どちらかが辿り着いて、退路を断ってくれる。私が本気の一矢を打ち込むのは、それからだ)

 彼女は内心でそう願いながら、前線で戦う(自身の直属の従騎士である)キリアンとユージアルに視線を向けていた。

 ******

 そんな上官の視線には一切気付かないまま、キリアンは目の前の戦場に全神経を集中させていた。その脳裏には、最初の潜入任務で水行発電所で兵馬俑達と戦った時の光景が思い浮かぶ。

「あの時は不覚を取ったが……、あの時とは僕も違う…!」

 彼はそう呟きつつ、ニヤリと笑いながら、迫り来る敵の兵士達を前にして名乗りを上げる。

「我が名は関羽桐庵! さあ来い!初めの相手は誰だ!」

 大軍を目の前にした状態で、ナックルダスターを嵌めた右手で手招きするような動作でそう叫びながら挑発することよって、個別での一騎討ちを誘う。これは、彼の地元での喧嘩の際によく用いていた手法である。

「騙されるな! こんな栃木のド田舎に、関羽が現れる筈がない!」

 兵士の一人がそう言って真正面から斬りかかってくるが、キリアンはその直線的な攻撃を回避しながら跳び上がり、兵士の首に自身の脚を巻き付け、勢いを利用して他の敵兵達の集団に向かって投げ付ける。

「な、なんだ? 今の動き……? フランケンシュタイナーか!?」

 プロレスに精通していると思しき兵士のそんな声が響き渡る中、投げつけられた集団は混乱し、完全に連携を失った状態でバラバラに攻撃してくる。それに対してキリアンは、まず手前の斬り込んできた敵兵の手首を裏拳で弾き、武器を落としたところで、その膝を蹴りで破壊する。そしてバランスを失った相手を「聖印で強化された貫手」で貫いた。
 そんな彼の動きを見て、既視感を感じた者がいた。遠方から、友軍に対する支援射撃を続けていたルーカスである(彼は、遠方からキリアンを狙おうとする敵の弓兵を先に射抜くなど、影から密かに他の従騎士達を助けていた)。

「あの技……、この間の『列車の魔境』でも使っていたな……」

 実際のところ、キリアンがこの技を編み出したのは、列車の魔境の浄化作戦の決行中であった。あの時、従騎士達は魔境の影響で(本人達には無自覚のうちに)異世界の戦士達の妙技を繰り出していたのだが、その時にキリアンが繰り出していた「相手を衰弱させる部位を的確に撃ち抜く技(コラプス)」を、聖印の力を用いて擬似的に再現してみたのである。
 キリアンは即座に貫手を引き抜き、続いて迫り来る敵の槍兵に向けて、滴る血を飛ばす。その血は敵兵の視界を遮り、軌道の定まらなくなった槍はあっさりとキリアンの手甲で弾かれ、そのまま彼は近づいてきた敵兵に掌打を放つ。

(す、寸勁(すんけい)……!?)

 その一撃を受けた兵士は、それが彼等の世界における武術の動きであることを理解するが、既によろめいていた身体では反応出来ず、立て続けに繰り出された背中からの体当たりによって、大きく吹き飛ばされた。この流れるような連続攻撃に関しては、繰り出したキリアン本人も内心ではやや戸惑っていた。

(体が勝手に技を出す……、関羽の魂が覚えている技か……!)

 だが、キリアンがそう実感した直後、側面から突然、「刀」による斬撃が彼を襲う。咄嗟に反応したキリアンであったが、その威力に抗いきれずに吹き飛ばされてしまう。

鉄山靠(てつざんこう)まで使うとは、確かに多才な武術家ではあるようだが、その程度で武神・関羽を名乗るなど、片腹痛い!」

 その声の主は、千葉県令・周倉であった。彼は前世において、関羽の側近として知られた猛将である。そんな彼の一撃をまともに受けて深手を負ったキリアンであったが、彼は鼻血を吹き飛ばし、膝を叩きながら立ち上がる。

「僕は、こんなものとは比べ物にならない大国を相手にする男だ! ここで負けるようで、船団の前衛が勤まるか!」

 キリアンはそう咆哮しながら、敵将・周倉に立ち向かう。周倉の剣撃をキリアンはナックルダスターで受け流そうとはするものの、その威力を完全に無効化するには至らず、腕に傷を負う。しかし、それもまた「列車の魔境」で身に着けた、自ら傷を受けながら敵を急襲する技術(イラプション)から発想を得た、肉を切らせて骨を断つ戦法だった。キリアンは周倉の刃を握りしめ、そのまま引き寄せる。

「な……?」

 周倉がその動きの意図を理解出来ずにいる中、キリアンは後ろ向きに回転しながら、新たな足技を繰り出す。それは、青龍偃月刀の斬撃に見立てた、下半身を柄にし、足先を刃とした蹴りである。

(この動き……、カポエイラでの「ハボ・ジ・アハイア」か!)

 この男は、周倉としての魂に目覚めた今でこそ刀を用いているが、その魂相を張角によって目覚めさせられる前は、夜の街での喧嘩に明け暮れていた。そのため、世界各地の格闘術については一通り精通している。
 周倉はすぐさまその蹴撃を手の甲で受け止めるが、キリアンは更にそのまま身体を回転させ、「二撃目の蹴り」を繰り出す。速度の上昇に加え、靴に聖印を付与し、インパクトの瞬間に重量を倍加させたその蹴りは、既に一撃目を止める時点で深く損傷していた周倉の手甲を破壊し、そのまま彼の側頭部を撃ち抜いた。

「この一撃……、まさに、俺が追い求めた美髭公の……」

 周倉はそう呟きながら、少しずつ意識が遠のいていくのを実感し、やがてその身体は混沌の残滓へと変わっていった。関東を支配する七人の支配者の一角が文字通り「消滅」するという事態を目の当たりにした兵士達は、恐れ慄いてキリアンの周囲から逃げ去っていく。
 そして、目の前から敵が消えたことで本来の冷静さを取り戻したキリアンは、近くの壁へともたれかかり、今の戦いで受けた傷を癒やすため、懐に仕込んでいた簡易医療具を取り出した。

(治療無しで十分だと「この魂」が言っているが……)

 キリアンは今の戦いにおける自分の言動を振り返りながら、ボソリと呟く。

「全く、昂ぶりすぎだ……」

 彼は薬液を傷口に垂らし、治療を始める。そんな彼の様子を後方からルーカスは「この戦場はもう大丈夫」と判断した上で、次に支援を必要としている従騎士を探そうと周囲を見渡すが、ここで「あること」に気付く。

「スーノが、いない……?」

 戦局全体を見渡していたつもりのルーカスであったが、いつの間にかスーノが視界から消えていることに気付く。彼は直前までの戦場の状態を思い出したながら、改めて今の境内全体の戦況を確認しつつ、このタイミングでスーノが姿を消す理由について熟考し始めるのであった。

 ******

 一方、ユージアルは敵兵の大半がタウロスやキリアンに集中しているのを確認した上で、比較的敵兵の数が手薄なルートを見出し、密かに張角の元へと向かおうとしていたが、そんな彼女の前には、群馬県令・鮑三娘が立ちはだかる。

「味方を囮に使った上で、自分が手柄を掠め取ろうってか? いくらアンタが『乱世の奸雄』だとしても、ちょっとやり方がセコすぎるんじゃないかい?」

 蔑むような目で、鮑三娘はそう言い放つ。彼女の背後には、彼女の配下と思しきガラの悪そうな女性の兵士達が控えていた。

「この戦いは、ただ世界から不要なものを排除するだけの『ゴミ掃除』だ。わざわざ形式などにこだわる価値はないの」

 微妙にユージアルとしての残滓を残しながらも、ほぼ完全に「曹操」の魂に身体を乗っ取られたような口調で、彼女はそう告げた。

「アタシらが『社会のゴミ』だって言うのか!?」
「かつて世の中を乱すだけ乱して、何も成し遂げることが出来なかった黄巾賊の魂が今更蘇ったところで、何の価値があるの?」
「アタシらは黄巾賊じゃねぇ! 秦軍の一員だが、張角の子分じゃねぇんだよ!」
「ほう? だが、茨城県令ということは、関東軍太守の傘下なのでは?」
「たまたま支配地区が近いだけだ! 今の序列はヤツの方が上かもしれないが、いずれひっくり返してやる!」

 ここまでの話を聞いた上で、「ユージアルの中の曹操」は一計を案じる。

「『いずれ』とは、いつだ? 口先で妄想を語っているだけの者には、何も成し遂げられぬぞ」
「黙れ! 貴様の知ったことじゃない!」
「お前にその気があるなら、今すぐにでもその願い、叶えてやろう」
「何だと!?」
「我に降れ。我がものとなれ。さすれば汚れたその刃も、悪賊を誅する天下の剣となるの」

 真剣な表情でそう言い放つユージアルに対して、鮑三娘は一瞬の間を明けつつも、大声で笑い飛ばす。

「女に口説かれたのは初めてだ! お前が本当に『曹操』だというのなら、確かに張角の子分扱いされるよりは遥かにマシだな。だが……」

 鮑三娘は表情を一辺させ、ユージアルを睨みつけながら、腰に携えた刀を抜く。

「……アタシは、自分より弱い奴には従わない。それが男だろうが、女だろうが、曹操だろうが」
「いいだろう。ならばしかと見るがいい。天下に覇を唱える者の掲げる剣の輝きを!」

 ユージアルはそう言い放ちながら、「七つの星の意匠を持つ剣」を鮑三娘に向ける。

「その剣……、まさか本当に『七星剣』なのか……」

 七星剣とは、彼女達の世界における宝剣の名である。様々な伝承があるが、曹操もまたその七星剣に関わる英雄の一人として知られていた。

「どうやら、『本物』を見極める目だけは持ち合わせているようだな。その目の輝きを失わぬうちに、あるべき道へと立ち戻れ! この剣が切り開く覇道の先の世界を見せてやるの!」
「……言っただろ! アタシは、弱い奴には従わないんだよ!」

 鮑三娘はそう叫びながら刀を振り上げて斬りかかってくるが、ここまでの会話を通じて、既に彼女の精神が大きく動揺していることをユージアル(の中の曹操)は見破っていた。

(心が乱れた者の剣筋は、読み取りやすい)

 ユージアルは鮑三娘の大振りの一撃をあっさりと七星剣で受け止め、そこから膝を曲げ、刀ごと鮑三娘を跳ね飛ばしつつ、自らも跳び上がる。

「なに!?」

 そして、空中でそのまま鮑三娘に対して斬撃を繰り出した。

(絶入滅!)

 これは、ユージアルがかつて目にした異界魔書に描かれていた「どこか別の世界の曹操」が用いていた技を応用した剣術である(なお、「その曹操」は剣ではなく、大鎌を用いていたのだが)。今のユージアルの魂は、かなりの部分まで曹操に侵食されているが、ユージアルが得た記憶はそのまま「曹操化したユージアル」の中にも残っていたらしい。
 鮑三娘はその一撃を刀で受け止めるが、七星剣の剣圧を受け止めきれずに、弾き飛ばされてしまう。武器を無くした鮑三娘はそのまま落下と同時に腰を付き、そんな彼女の眼前にユージアルは剣を突きつけた。

「見よ、この剣の輝きが、お前を正道へと導く光だ」

 その言葉に対し、鮑三娘は再び笑い声を上げる。

「そうか……、仕方ねぇな。だったら、アタシがこの手でブッ殺してやるよ、張角を! その首を手土産に、アンタの軍門に下ってやる! それでいいか?」
「あぁ、期待しているぞ、鮑三娘麗華」

 ユージアルはそう答えつつ、自身が弾き飛ばした彼女の刀を拾って手渡す。鮑三娘はそれを受け取った上で、部下の兵士達に向かって叫んだ。

「アタシは今から、張角を討つ! ついて来たい奴だけ、ついて来い!」
「もちろん、ついていきますよ、姐さん!」
「アタシらの命は、麗華さんに預けてるんだ!」
「黄巾賊なんて、蹴散らしてやりましょう!」

 兵士達のその熱狂ぶりとは裏腹に、「ユージアルの中の曹操」はあくまでも冷静に鮑三娘達の戦力を値踏みしていた。

(おそらく、この程度の戦力では、張角の防壁に風穴を空けるのが精一杯。最悪、ただの犬死で終わるかもしれぬが、別に問題はない。どうせ奴等は最終的には魔境と共に消える運命。討ち死にしたところで、その死期がほんの少しだけ早まるだけの話だ)

 本来の曹操は(冷酷・残忍と評される一方で)優秀な人材を厚遇する気性の持ち主である。だが、今の曹操の魂はユージアルと融合しているため、ユージアルの目的である「魔境の浄化」を最優先事項と考えている。鮑三娘に対しては武将として気に入っている感情がある一方で、この世界において自らを支える忠臣とはなり得ない存在であることも理解してるため、彼女達のことも完全に「捨て石」としか見なせなくなっていた。

 ******

「鮑三娘軍、謀反!」

 その報が戦場を駆け巡ることで、秦軍の兵士達には動揺が広がる。しかし、そんな中で(心を持たない)兵馬俑を中心とした群馬県令・姜維の軍勢だけは、反乱軍を相手に優位に戦いを展開していた。

「あなたの動きは、もう完全に見切っているのですよ」

 彼は淡々とした口調で、目の前で多くの兵馬俑達を相手に苦戦する呂奉先のレイヤード・九十九ことりに対して、そう告げる。実際、既にことりは満身創痍の状態へと追い詰められていた。
 鮑三娘と共に早い段階でこの地に出現していた姜維は、既に何度か反乱軍と交戦しており、その度にことりの戦いを目の当たりにしていた。最初は彼女が繰り出す独特の異界の戦術の前に敗戦を繰り返していたが、その度に彼女の戦い方の癖を分析し、彼女を追い詰めるための万全の策を組み立てた上で、この戦いに挑んでいたのである。

「黙れ! この程度で倒れるようでは、呂奉先の名折れ……、私は、絶対に……」
「そもそも、あなたは連戦続きで体力も限界の筈です。もう降参したらどうですか? その独特の技術、私の下で活かす気があるなら、私は快く受け入れますよ」
「……私の方天画戟は、人々を守るためにある! 人々を虐げるためではない!」

 ことりはそう叫びながら、必死で周囲の兵馬俑達を退けようとするが、いくら方天画戟を伸ばしても、姜維には届きそうにない。

「残念ですね……。では、他の者達が苦戦しているようですし、あなたに費やす時間はこれで終わりとしましょう」

 姜維はそう告げると、自分の近くにいる弓兵俑達に、ことりへの一斉射撃を命じようとする。だが、その命が降されることはなかった。彼が右手を挙げようとした瞬間、遥か遠方から放たれた一本の矢が、彼の首筋の頸動脈を貫いたのである。

「え!?」

 その声の主は、ことりである。当の姜維は、あまりに一瞬の出来事であったが故に、何も反応出来ないまま、驚愕の表情を浮かべる間もなく、その場に倒れ、混沌の藻屑と化す。そして心を持たない兵馬俑達は、指揮官の突然の消滅によって行動原理を失い、稼働を停止した。

「い、一体、誰が……?」

 矢が飛んできた方向へとことりが視線を向けると、そこには馬上から弓を構えた一人の女従騎士の姿があった。ことりは、彼女とは初対面である。だが、彼女の姿を見た瞬間、ことりの中の何かが反応していた。

「飛将軍……」

 彼女は無意識のうちに、そう呟いていた。それは、ことりが模倣する呂奉先に与えられた称号である。だが、この称号は本来、呂奉先のためにある言葉ではない。呂奉先よりも数百年も前に、ある一人の名将に冠せられていた名前であり、呂奉先はあくまでも「彼のような豪遊無双の将」という意味で「飛将軍」と呼ばれていたにすぎない。
 この時点で、ことりは確信していた。遠方から一撃で難敵を仕留めたこの矢の射手こそ、「本当の飛将軍の魂相を持つ者」であることを。だが、その女従騎士は名乗りも上げずに、ことりの視界から去っていった。

 ***

(「この力」は、私の力じゃない)

 ことり達の戦場から走り去りながら、彼女は内心でそう呟いていた。

(今の私では「この人の名」は名乗れない)

 劉備や関羽について断片的な知識しか持たないペドロやキリアンとは異なり、彼女にとって「その名」は師匠の祖父の名であり、幼少期からの憧れの存在であった。だからこそ、『三国志演義』とは異なる時代に生きていた筈の「彼」の魂相が、彼女に宿ることになったのだろう。もしかしたらそれは、彼女の聖印の中に残っている師匠の魂が引き寄せたのかもしれない。
 しかし、だからこそ、彼女にとってそれは、安易に名乗れる「名」ではなかった。彼女は本来、「名乗られたら名乗り返すこと」を信条としている。彼女にとって「名を名乗ること」はそれほど重要なことなのだろう。しかし、だからこそ、この場において彼女は「今の自分の名」を名乗ることは出来なかった。
 おそらく、「本来の彼」は、今の「中途半端に魂が憑依しただけの状態の自分」よりも遥かに強い。だからこそ、今の自分がその名を名乗ることは、彼女にとってはあまりにもおこがましい行為であった。しかし、それと同時に「彼の力を借りているだけの自分」が、自らの名の下にこの戦いで功名を上げてしまうことも、彼女としては耐えられなかった。
 だからこそ、なるべく自分の姿を友軍にも見られないように、陰ながら仲間を支援する。それしか選択肢がなかったのである。彼女はユージアルをこの地に連れて来ると同時に、ユージアルの元からすぐに姿を消し、ここまで密かに目立たぬよう、敵から名乗られることもない状態で、影から敵の戦力を削ぎ続けてきたのである。
 このような「不意打ちのような戦い方」も彼女にとっては不本意だったのかもしれない。しかし、だからと言って「力」を預かっている自分が何もしないという訳にもいかない。そんな様々な葛藤と戦いながら、彼女は一人静かに戦場を駆け抜けるのであった。

 ******

 こうして敵軍が次々と崩れていく中、本陣で戦況報告を聞いていたペドロもまた動き出す。

「今こそ勝機。このまま一気に攻め落とす!」

 彼はそう宣言して、キリアン達によってこじ開けられた「道」を直進し、太平要術書を掲げる関東郡太守・張角の元へと迫ろうとする。そんな彼の傍らで、冥は楽しそうな表情を浮かべながら問いかけた。

「最後は、大将同士の一騎打ちかい?」
「彼女が太平要術書を手放す気がないなら、それも選択肢の一つだ」

 ペドロがそう答えたところで、彼は前方から、黄色いフード付きパーカーを羽織った「見覚えのある人物」が駆け寄ってくるのを発見する。

「おや? あれは……」
「助けてくれ! 内通してたのがバレちまった!」

 そう言って駆け寄ってきたのは、ここまで程遠志の側近としてペドロ達に情報提供し続けていた黄巾賊の少女・鄧茂である。彼女は茨城県令達の来訪を告げる連絡をペドロ達に届けて以来、音信不通となっていた。

「無事だったのか、良かった……」

 ペドロはそう呟きつつ、鄧茂に駆け寄ろうとするが、ここで冥が叫ぶ。

「待ちな! 様子が変だよ!」

 彼女のその声に反応してペドロが足を止めると、鄧茂は突然、ペドロに向かって足を向けて飛び掛かってきた。

「ホァーーーーーーーーーーッ!」

 独特の掛け声とともに繰り出された飛び蹴りであったが、ペドロは間一髪のところでそれを避ける。

「どうしたんだ!?」
「蒼天すでに死す! 黄天まさに立つべし!」

 鄧茂はそう叫びながら、ペドロに向かって激しい蹴り技を繰り出す。その出で立ちや表情は、これまでペドロ達に協力していた鄧茂とも、最初に出会った時の(まだ洗脳されていた頃の)鄧茂とも異なっていた。ペドロは必死でそれを避けながら対話を試みようとするが、彼女は全く聞く耳を持とうとしない。

「どうやら、内通がバレたのは本当みたいだねぇ。その上で、再洗脳されちまったってとこか。もしかしたら、前よりも色々と『強化』されてるのかもしれないねぇ」

 哀れみの表情を浮かべながら、冥はそう呟く。困惑した状態のペドロは防戦一方で、反撃しようとはしない。ここまで協力してくれた「恩人」に対して、本気で応戦する気になれないのだろう(それが「劉備」としての心情なのか、「ペドロ」としての心情なのかは不明だが)。
 そんな彼等の様子を、少し離れたところから観察していた者がいた。ユージアルである。彼女は鮑三娘達を離反させた後、ペドロ率いる本隊が突入を始めたのを見て、彼等に合流しようとしていた。

(何をしている? 所詮、奴は投影体。どうせ魔境と共に消してしまう存在だ。一刀のもとに斬り伏せてしまえば良いだろう……)

 彼女はペドロを見ながら呆れた様子でそう呟きつつ、七星剣に手をかけた。

(……それが出来ぬのが「劉備」の「劉備」たる所以だというなら、私がこの手で……)

 だが、ここで彼女の中の「何か」が反発する。

(……ダメなの! いくら投影体でも、消えてしまう存在でも、ここまで協力してくれた仲間を斬り捨てるなんて、絶対にダメなの!)

 ユージアルの中の「本来の自我」がそう叫んだ瞬間、彼女の胸元に聖印が出現する。

(確かに「貴方」は偉大な英雄だったようなの。でも……)

 彼女は、七星剣をその場に投げ捨て、本来の武器である弓へと持ち替えた。

(……大切な人を裏切ったり犠牲にしたり、そんなやり方、私は嫌なの!!)

 心の中でそう宣言すると同時に、「魂の主導権」を取り返したユージアルは、後方から鄧茂の「足元」を狙って、牽制の矢を放つ。

「ホァッ!?」

 鄧茂は驚いて後ろ向きに体勢を崩す。この時、彼女のパーカーのフードがズレて、彼女の頭部が顕になると、彼女の頭部に被せられていた「謎の装置」が姿を顕にする。

(これが、再洗脳の原因か!)

 ペドロはそう判断した上で、彼女の頭部に剣を向ける。

(一歩間違えば、彼女の首が……、だが、やるしかない!)

 そう決意した彼は長剣を閃かせ、鄧茂の頭部そのものには一切傷をつけない絶妙な剣技で、その装置だけを破壊することに成功する。次の瞬間、鄧茂は意識を失って、その場に崩れ落ちた。

「大丈夫か!?」

 駆け寄ったペドロのその声に対して鄧茂は目を覚ます。

「わ、私は……?」
「良かった。無事だったんだな。安心しろ、もうすぐ戦いは終わる。張角が持っている太平要術書を破壊すれば、君達の魂は無事に元の世界に帰ることになるだろう」

 厳密に言えば、魔境を消滅させたことによって、「投影体としての彼女達」は心身共に消滅するのであって、魂が元の世界に帰る訳ではない(元の世界における「本来の彼女達」は、「投影体としての彼女達」が異世界でどうなろうと、変わらず本来の人生を続けている)。しかし、せめてそう告げることによって心安らかに消滅させることが、協力してくれた彼女達に対する最低限の配慮であるとペドロ(劉備?)は考えていたのだろう。
 だが、ここで鄧茂は、衝撃的な一言を告げる。

「え……? いや、違うよ。張角サマが持ってる太平要術書は、アンタ達が言ってた本じゃない」
「なんだと!?」
「張角サマは、程遠志サマが持ってた太平要術書の力で呼び出された時に、『自分の太平要術書』を持ってた。だから、アンタ達が『破壊しなきゃいけない』と言ってた方の太平要術書は、今でも程遠志サマが持ってる筈だよ」

 この世界においては「同じ人物」や「同じ物品」が同時に複数投影される、ということは珍しくない。今回の場合、「程遠志が持っていた(元の世界において張角から借りていた)太平要術書」の力によって張角が呼び出され、その時に張角と共に「元の世界で彼女が持っていた太平要術書」もまた同時に(彼女の付属物として)投影されていたらしい。
 鄧茂の言っていることが正しいなら、「今の張角が持っている太平要術書」は「ただの強大な投影装備」であって、魔境の混沌核ではない。実際、改めてペドロが冷静に張角を凝視してみると、彼女の周囲からは強大な混沌の気配が感じられるが、それはあくまで「ただの強大な投影体」としての彼女自身の混沌の力であって、前回の戦いの際に程遠志が掲げていた太平要術書のオーラとは別物のように感じられる。
 そしてここで、ペドロは更に厄介な事態に気付く。

「そういえば、程遠志の姿が見えない……、彼を誰かが討ち取ったという報告も……」

 今回の浄化作戦の標的はあくまで太平要術書であって、程遠志はその「持ち主」にすぎないと考えていた彼等は、太平要術書が程遠志の手から離れたと判断した時点で、彼のことを「ただの敵将の一人」としか認識していなかったため、殆どの者達は彼の動向に気を配っていなかったのである。
 そう、ただ一人を除いて。

 ******

「冗談じゃねーぜ! 曹操に加えて孫悟空とか、もう俺達の手に終える相手じゃねーよ!」

 黄天神社での激戦が続く中、程遠志は後方で情勢を眺めつつ、旗色が悪くなったと判断した時点で、戦場から逃げ出していた。

「俺にはまだ太平要術書がある。これさえあれば、俺は死なない。いくらでも再起の道は……」

 懐に隠した本を服の上から握りしめつつ、そう呟きながら神社から離れようとしていた程遠志であったが、そんな彼の前に、一人の従騎士が立ちはだかる。

「どこへ行く? 主君と仲間と部下を見捨てて、一人で逃亡か?」

 その声の主は、スーノであった。ペドロやキリアンとは異なり、「三国志の英雄の魂」を宿していなかった彼は、あの戦場における「異様なまでの高揚感」に飲まれることなく、冷静に敵軍を見渡していた。だからこそ、程遠志から発せられていた「不自然な混沌核の強さ」の違和感に気付き、彼の動きをずっと注視した上で、彼が戦場から逃亡しそうな気配を漂わせはじめた時点で、神社から外へと逃げ出せる通路へと先回りしていたのである。

「うっせー! ガキが俺に説教すんな! オレ様は生き延びるんだよ、何があってもな!」

 程遠志はそう言い放ちながら、腰の刀を抜き、スーノに向かって斬りかかる。スーノはその一撃を受け流しつつ、慎重に相手の出方を見極めながら、数合に渡って刃を重ねる。

(やはり、そこまで強大な敵とは思えない……。剣技に関しては、ジーベン殿の方が遥かに上だ。もし、何か切り札があるとしても、この状況なら最初から使ってくる筈……)

 スーノはそう判断した上で、自身の両手に聖印を出現させる。そして、双剣へと聖印の力を注ぎ込むことで《疾風剣の印》を発動させ、二対の烈風の如き連撃を繰り出す。

「お、おぉ……!?」

 その双剣に対して、程遠志は全く反応出来ずに深手を負う。だが、次の瞬間、彼の懐の太平要術書が妖しい光を発し、彼の傷口が一瞬にして塞がっていった。

「なに!?」

 今度はスーノが面食らう中、程遠志は懐から太平要術書を取り出し、スーノに対して見せびらかすように掲げる。

「残念だったな、小僧! この太平要術書がある限り、オレ様は不死身よ! 分かったら、とっととそこをどけ!」

 だが、次の瞬間、魔書を握っていた程遠志のその手に、遠方から放たれた一本の矢が突き刺さった。

「い、痛ェ!」

 程遠志は、太平要術書の力を使うよりも先に、手を離してしまう。その矢を放ったのは、遠方に潜んでいたルーカスであった。

「なんだかよく分からないが、どうやらその本が厄介なようだな」

 ルーカスは程遠志の異変には気付いていなかったが、スーノの姿を見失った時点で「この状況で姿を消すとしたら、敵の退路を断つために動いた可能性が高い」と判断し、彼を探してこの場へと辿り着いていたのである。彼もまた「英雄の魂」を宿していなかったからこそ、本来の「戦場全体を見渡す目」を失わずに済んでいた。それに加えて、スーノもルーカスも軍略知識に精通していた身だからこそ、同じ発想に至れたと言えるのかもしれない。
 その上で、程遠志はすぐにその本を拾い上げようとするが、一瞬早くそれをスーノが遠くへ蹴り飛ばし、更に(本を拾うために前屈みになったことで)完全に無防備な体勢になっていた程遠志に対して、二度目の《疾風剣の印》を解き放つ。

「今度こそ、これで終わりだ!」

 スーノの双剣は程遠志の背中を十字に斬り裂き、彼は断末魔の叫びすら上げることも出来ないまま、混沌核を破壊されて消滅する。スーノが自身の聖印でその混沌の残滓を浄化する中、ルーカスが駆け寄ってきた。

「すげぇな! それがお前の奥義か!」
「まだ奥義と呼べる程の域ではない。この程度の敵を最初の一撃で倒せなかったのは、まだまだ僕が力不足な証拠だ。もっと……」

 スーノはそこまで言った上で、一瞬、口が止まる。

「……いや、その前に言うべき言葉があったな。ありがとう、お前の矢のおかげで、助かった」
「まあ、それが俺の仕事だからな。役に立ったなら、何よりだ。ところで……」

 ルーカスはキョロキョロと周囲を見渡す。

「さっきのあの本、どこに行った?」
「え……?」

 スーノが全力で蹴り飛ばした結果、程遠志が持っていた太平要術書は、彼等二人の視界から完全に消えてしまっていた。

 ******

 その頃、黄天神社では、最後の抵抗を続ける張角・張宝・張梁と、カエラ・ジーベン・タウロスの攻防が未だに続いていた。姜維・周倉の討ち死にと鮑三娘の離反によって、完全に黄巾賊側が追い詰められた状態にはあったものの、張角達は残された兵力を駆使して完全に防備に徹することで、戦線の硬直状態は更に長引き、指揮官達も徐々に苛立ちを感じ始めている。

「あの女の妖力は底なしなのか!?」
「この巨体のどこを斬れば、一撃で倒せる?」
「うぜってーなぁ! いい加減、指揮官が出て来いや!」

 そんな中、後方から矢を放ち続けていたカエラは、遠方から何者かが馬に乗って自分に近付いてくる音に気付く。

(誰だ……? この馬の足音……、かなり馬術に秀でた者のようだが……)

 カエラが視線を向けると、そこにはマリーナの姿があった。そして、彼女の手には一冊の本が握られている。

「そ、その本は……?」
「あの……、よく分からないんですけど、さっき、神社の裏口の辺りを走っていたら、いきなり私のところに飛んできて……」

 それはまさしく、スーノによって蹴り飛ばされた太平要術書であった。マリーナが更なる伏兵や増援を警戒して神社の反対側の様子を確認に行ったところで、このような「明らかに強大すぎる混沌の力を持つ書物」が突然、彼女の目の前に蹴り飛ばされてきたのである。彼女はそれが魔境の混沌核である可能性が高いと思い、ひとまず、最も手近にいた指揮官であるカエラの元に届けに来たのであった。

「ど、どういうことだ……? そもそも、今まで、貴公は一体どこに……?」
「ごめんなさい、その、ユージアル様を届けたあと、色々あって……」

 シドロモドロにごまかそうとするマリーナだったが、実際のところ、カエラとしてはその点についての確認以上に、目の前の太平要術書の方が重要であった。

「私の目に狂いがなければ、これこそ間違いなく、魔境の混沌核の筈……」

 カエラはそう呟いた上で、マリーナから本を受け取ると、それをその場で地に置き、そして真上から弓を構えた上で、全力の聖印の力を注ぎ込んだ矢を放つ。すると、その一撃で本は消滅し、巨大な混沌核が浮かび上がると、彼女は自身の聖印を持ってその混沌核を浄化していく。その結果、カルタキアの地下に出現していた巨大魔境「栃木県」は、その構成員達と共に、静かに消滅していくのであった。

 ******

「え?」
「おい、どこだ、ここ?」

 蹴り飛ばした本を探していたスーノとルーカスは、魔境が消滅したことにより、一瞬にして地上へと弾き出された。カルタキアの街からは少し離れた場所だったため、現在位置をすぐには把握出来ずに、二人はしばらく周囲を彷徨うことになる。
 一方、少し離れたところでは、神社の境内にいたペドロ達もまた、同様に地上へと弾き飛ばされていた。

「どういうことだ……? 誰かが、浄化してくれたのか……?」

 ペドロもまた、鄧茂から真相を聞いて困惑していた最中に「この事態」に至っていたため、状況は全く把握出来ていない。ひとまず周囲を見渡すと、彼の傍らにはユージアルがいる。そして、少し離れた場所にはキリアン、ことり、ジーベン、タウロス、そしてカエラとマリーナの姿も発見出来た。
 その一方で、当然のことながら、鄧茂を初めとする栃木県民達の姿はない。そして、ことりとは異なり、魔境の混沌核から派生した投影体である冥もまた(彼女は別の世界からの投影体だったのだが)魔境と共に消滅したようである。

(彼女達は、苦しまずに消えることが出来たのだろうか……)

 そんな感慨に浸る中、ペドロは「自分の中の劉備」もまた消滅していることに気付く。

(あの時、鄧茂を斬ることに抵抗を感じたのは、俺自身の心だったのか、それとも、劉備の魂だったのか……)

 ペドロが自分自身に対してそんな疑問を投げかけている傍らで、キリアンも、ユージアルも、そしてマリーナも、消えていった英雄達の魂に対してそれぞれに複雑な感慨を抱く。そうこうしているうちに、やがて彼等はスーノやルーカスとも合流した上で、ここに至るまでの状況について互いの情報を整理することで、どうにか状況を把握するに至った。
 一方で、この場に残った唯一の投影体であることりは「この地での自分の役目は終わった」と告げて、アトラタンへ帰ると宣言する。なお、この際に彼女はマリーナとも顔を合わせることになったのだが、「飛将軍」の件についてはマリーナがあまり触れてほしくなさそうな顔を浮かべていたので、あえて何も言わずに立ち去っていった。
 そして、従騎士達もまた三人の指揮官と共にカルタキアへと帰還する中、最初からずっとこの魔境に関わり続けてきたペドロは、改めて『三国志演義』に描かれていた劉備の記述を思い出す。

(義に背かず、徳を以って人を治める……、それが君主としての俺の魂の本質なのか……?)

 だが、劉備は最後は志半ばで命を落とすことになる。そして、劉備の義弟である関羽も、宿敵である曹操も、いずれも最期は非業の死を遂げた。そのことの意味を熟考しながら、キリアンとユージアルに視線を向けつつ、ペドロは改めて「自分の進むべき君主道」について、深く考えを巡らせるのであった。

☆合計達成値:178(26[加算分]+152[今回分])/80
 →成長カウント1上昇、次回の生活支援クエスト(DH)に49点加算

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年01月16日 16:23