『見習い君主の混沌戦線』第9回結果報告


CG「ねらわれた学園」

 カルタキアに新たに開校した基礎教育学校の校舎には、色とりどりの花が植えられた花壇が設置されている。この花壇を管理しているのは、幽幻の血盟の エルダ・イルブレス であった。常に全身鎧を身にまとっていることもあり、実直な武人という印象の強い彼女であるが、実は園芸が趣味という意外な一面も持ち合わせているらしい。
 この日もエルダは早朝から花壇の様子を確認しつつ、その整備に勤しんでいたのだが、そこへ、この学校で馬術の教師を担当しているヴァーミリオン騎士団の ティカ・シャンテリフ が姿を現す。彼は以前にも何度かエルダとは同じ任務に同行した身であった。

「あ、エルダさん。ちょっと聞きたいんですけど、この学校の近辺で、何か怪しい気配とかを感じたことはありませんでしたか?」

 エルダは常人よりも霊感が優れているため、混沌の気配などを察知しやすい。ティカは前回の廃炉の魔境で同行した際にエルダのその能力を目の当たりにしていたため、彼女ならば何かに気付いているのかもしれない、と考えたのだろう。

「怪しい気配、ですか……? この間の花札の騒動以来、特に混沌の気配などを感じることはありませんでしたが……、何かあったのですか?」
「実は、数日前から、何人かの生徒が行方不明となってしまっていて……」
「なんですって!?」

 エルダは声を荒げる。子供を守ることを第一に考えている彼女にとって、その話は冷静さを失わせるに十分な衝撃であった。

「まだ詳細は分かっていないんですが、この学校の近くで、異界の『天使』や『悪魔』のような姿をした者を目撃したという情報もあるので、今、関係を調べているところです」

 アトラタンには本来、(少なくとも記録に残っている限りにおいては)「天使」も「悪魔」もいない。にも関わらず、そのような言葉が存在しているのは、異界からの投影体達がそのように名乗って(もしくは他の投影体達から呼ばれて)いたからである。
 このうち、「悪魔」という言葉に関しては、一般的には「アビス界」もしくは「ディアボロス界」から投影された者達を指すことが多いが、それ以外にも「人間に害をなす不気味な姿の知的生命体」全般を指す言葉としても用いられることが多く、「悪魔のような姿」という言葉が指すところは、必ずしも一意には定まらない。「大きな蝙蝠のような翼」や「不気味に伸びた角」などを持つ者がイメージされることが多いが、「凶悪そうな顔をした人形投影体」という意味で使われることもある。
 一方、「天使」に関しては「悪魔」以上に定義が曖昧であり、「何処かの異界の神の従者のような存在」というニュアンスでその名が用いられることが多いが、一般的には「悪魔と対になる存在」として、「白い鳥のような翼を持ち、神々しい雰囲気を漂わせる、善良な投影体」とみなされることが多い。ただし、あくまでもそれは大衆の間に浸透した世俗的なイメージであって、どのような外見であれ、その投影体がこの世界の人々にとって有益か有害かは「個体による」としか言いようがない。

「その事件、どこまで調査は進んでいるのですか?」
「とりあえず、僕は学校の周囲を歩き回って情報を集めているのですが、今のところまだ有益な情報は得られていません。他の人達もそれぞれに情報収集しているようなので、そちらで何か掴めているのかもしれないですけど」
「今いる子供達の警護は、大丈夫なのですか?」
「一応、校舎内はアストライア団長とレオノール総帥が張り付いています。登下校中については、アルスさんやシオンさんが同行することで警護してくれると言ってましたし、他にも色々な部隊の人達が協力してくれているみたいです」

 アルスやシオンはティカの同僚であり、前回の廃炉の魔境の時にエルダも同行しているため、エルダとしても彼等の実力には信頼が持てる。校舎内に関しても、指揮官二人が校舎内を警備しているのであれば、そちらは任せて大丈夫だろう。

「それならば、私も行方不明の子供達の捜索に協力させて下さい。手遅れになる前に、一刻も早く、助け出さなくては!」
「はい、そうしてもらえるなら、僕としても助かります。カルタキアの民を守るために、一緒に頑張りましょう!」

 こうして、二人はひとまず学校の周辺部分を中心とした捜索に回ることになった。

 ******

 一方、校舎の内側においては、張り込み中の星屑十字軍総帥のレオノールの元に、 コルム・ドハーティ が訪れていた。
+ レオノール

「レオノール様、お仕事中失礼します」
「おや、コルム。こんなところに来るとは、珍しいね」
「最近、生徒たちが行方不明になる事件を調べるために、校舎を張り込んでいると聞いたのですが、張り込んでいる中で何か分かったことや気になったことがあったら、教えていただけないでしょうか?」

 コルムもまた、さらわれる子供を一人でも減らすために、校舎にいる子供や教員への聞き込みに回ろうと考えていたのである。投影体による仕業である可能性が高いという時点で、この事件は彼にとっても見過ごせない案件であった。

「少なくとも、僕等が張り込むようになって以降は、校舎内には混沌の気配が感じられないし、教師や生徒の中に投影体が潜んでいるようには見えない。ただ、僕等が動き出す前の時点では校舎内で明らかに投影体と思しき存在を目撃したという声もあるから、多分、今はこの学校の近くのどこかで身を潜めているんじゃないかと思う」
「なるほど……。ということは、今は校舎の内側よりも外側を重点的に調べた方が手掛かりが掴める可能性が高い、と?」
「そうかもしれない。あと、今言った通り、今の学内にいる人達の中に『投影体が人間になりすました者』はいないと思うから、彼等の証言は信用していいと思う。あくまで、僕の見立てが正しければ、だけどね」

 実際のところ、レオノールだけでなく、共に張り込んでいるアストライアもまたこの見解については一致しているのだが、コルムを相手にその名は出さない方が懸命と判断したレオノールは、あくまでも「自分の独断」として、そう伝える。

「分かりました。では、子供たちがいなくなりやすい場所や、行方不明になりやすい時間帯などに傾向があるかどうか、といったことを中心に、聞き込みして回りたいと思います」
「うん、よろしく頼むよ。僕はあくまで学校の警備に専念するという役回りである上、自分から動き回る訳にはいかないからね」
「はい。非力ではありますが、私もあなたの力になれるよう努力します。それでは」

 コルムがそう言って、足早にレオノールの元を去っていこうとするところで、今度は彼の同僚の リューヌ・エスパス が現れる。すれ違いざまに軽く一例しつつ、その場を去っていくコルムを眺めながら、リューヌはレオノールに問いかける。

「もしや、コルム様も今回の行方不明事件の一件で?」
「あぁ。今回の件は皆、色々と思うところがあるみたいで、積極的に動いてくれる人が多いね」
「やはり、深刻な問題ですからね……」
「で、君もその件で来た、ということでいいのかな?」
「はい。私はこれから、行方不明になった生徒達について情報を集めます。もしかしたら、なにか共通点があるのかもしれませんので」

 今のところ、「大半が孤児院の子供達」ということしか分かっていないが、確かに、そこに何らかの共通点が見出だせるのであれば、今後の対策も立てやすくなるだろう。

「そういうことなら、今はニナが孤児院の警備に回ってくれている筈だがら、彼女から話を聞いてみるのもいいんじゃないかな。もともと彼女は孤児院の子供達とは親しくしていたから、いなくなった子供達についても、ある程度は分かるだろうし」
「なるほど。それなら、私は主に孤児院以外で行方不明となった子供達の傾向を重点的に調べた方が良いかもしれませんね」
「そうだね。事例は少ないとはいえ、一般家庭の子供も行方不明になっている以上、彼等の方にこそ何らかの特殊な共通点があるのかもしれないし、もしかしたら、それが今回の事件解決に向けての突破口になるかもしれない」
「では、私は街の方に情報収集に向かいたいと思います。その上で、行方不明となる直前に何をしていたのか、その周囲で天使や悪魔のような投影体の目撃情報があったのか、ということについても、聞き込みで調べてみます」
「よろしく頼む。リーゼロッテも同じように聞き込み調査をしていて、今、彼女は他の部隊の人達との会議に参加している筈だから、彼女とも連携して動くといいだろう」
「分かりました。では、こちらの警備はお願いします」

 リューヌはそう告げて、行方不明となった「孤児院以外の子供達」についての基礎情報を元に、街へと向かっていった。

 ******

「何方にせよ、犯罪や侵攻は許しません。この地を狙った事を後悔させてやりましょう」

 カルタキアの領主の館の中央会議室において、作戦会議用の円卓の「主席」の座に座った幽幻の血盟の アシーナ・マルティネス が、今回もまた「緑の腕章」を装着した上で、円卓を取り囲むように座る七つの駐留部隊の従騎士達の代表者を前にして、そう告げた。
 この円卓は、日頃はソフィアを含めた八部隊の指揮官達の軍議用に用いられている。今回の事件に対してはそのうちの四人の指揮官がこの事件の解決に乗り出しているが、彼等はいずれも学校や孤児院の警備に専念するという任務に回っており、事件解決に向けての全体の指揮権は(ソフィアからの指名により)アシーナに委ねられることになった。

(このカルタキアで人攫い……、しかも、「種族」が良くありませんね。また「悪魔」な上、今度は「天使」も一緒のようで……)

 彼女は「悪魔」「天使」と呼ばれる投影体に対して、特別な想いがある。と言っても、上述の通り、そう呼ばれる(もしくは自称する)投影体も千差万別であり、先日の「血塗られた館の悪魔」のように「悪魔を気取っているだけの『ただの悪行に酔った異界人』」の可能性もある。

(今回も「アレ」とは限りませんが……、一緒に来ると嫌でも思い出しますね)

 緑の腕章に軽く視線を向けつつ、アシーナがそんな思いを抱いている中、ヴェント・アウレオの ラルフ・ヴィットマン が、円卓の盤上に広げられた地図を指し示しながら、状況を確認する。

「今のところ、悪魔と思しき投影体の目撃情報は学校の近辺、天使のような姿の投影体の目撃情報は孤児院の周辺に多いようです。ただ、ここ数日、どちらも我々が警備体制を敷くようになってからは、新規の目撃情報が入って来ていません」

 現状、彼の同僚達の中では、ジルベルトが学校の近辺、ヴァルタが孤児院の近辺を警護しつつ、ラオリスもまたヴァルタと連携しながら独自の調査行動をおこなっているが、誰一人として「天使」とも「悪魔」とも遭遇出来ていないらしい。
 それに続けて、潮流戦線の エイミー・ブラックウェル と、ヴァーミリオン騎士団の アルス・ギルフォード が発言する。

「潮流戦線としては、私とエーギルさんが生徒達の登下校の護衛、セーラさんが孤児院の警備を担当していますが、いずれもそれらしき目撃情報には至っていません」
「ヴァーミリオン騎士団としても、私とシオンさんが子供達の護送、ティカさんが学校近辺の調査に回っているのですが、こちらとしても今のところ、有益な目撃情報はないです」

 彼女達がそう告げたところで、今度は金剛不壊の ルイス・ウィルドール が口を開く。彼は今回の一件が起きる以前から、教師として定期的に学校に赴いて、子供達に読み書きなどを教えていた。

「もしかしたら、『天使』や『悪魔』の方も、僕達のことを警戒しているのかもしれない。少なくとも、僕が日頃、通学する時に通ってる街道の近辺には悪魔の目撃情報はなかったらしいから、意識的にか本能的にかは分からないけど、『聖印』の持ち主を避けているのかも」

 ルイスがそんな仮説を掲げる中、鋼球走破隊の フォリア・アズリル もまた、一つの可能性を提示する。

「あるいは『移動型の魔境』という可能性もあるのではないでしょうか? 聖印の存在する場所を避ける形で不定的に『異空間への扉』が出現して、そこから投影体が現れる、とか」

 これは、かつてフォリアが遭遇した(その結果として「今のフォリア」が誕生する契機となった)混沌災害を想定した上での発言だが、実際のところ、このカルタキア近辺においても「飛空船の魔境」のような移動式の魔境は発生しているし、「泉の魔境」や「廃炉の魔境」のように街の中に異空間を発生させる形態の魔境も投影されている以上、十分にあり得る話である。
 その話を聞いた上で、星屑十字軍 リーゼロッテ は状況を整理する。

「だとすれば、私達が警戒体勢を続けている限り、これ以上の犠牲者は出ないが、それでは根本的な解決にはならない。もし仮に、子供を攫った者達がこれ以上の誘拐を諦めてこの町から去ってしまったら、既に行方不明になっている子供達の手掛かりは永遠に見つからないままだ」

 最悪の場合、「既にそうなってしまっている可能性」すらあり得る。もっとも、カルタキアから発生した混沌災害は(なぜか)カルタキアの外までは普及しにくい傾向があるため、その可能性は低いと考えられてはいるが、だとしても、連れ去られた子供達の身の安全を考えると、一刻も早く連れ去られた場所を割り出す必要がある。リーゼロッテは表情こそ平静を装ってはいたが、口調には誘拐犯に対する静かな怒りが込められていた。
 そんな彼女に対して、第六投石船団の グレイス・ノーレッジ が声を掛ける。

「とはいえ、学校と孤児院の近辺だけに出没するとは限らない訳ですし、他の場所で子供が攫われる可能性も十分にあり得る訳ですから、子供達の警護を続けつつ、街全体に捜索範囲を広げていくことで、何か手掛かりも見つかるのではないでしょうか?」
「そうだな。実際、我々も様々な人々を相手に聞き込みに回っているのだが……」

 リーゼロッテはそこまで口にしたところで、事前にリューヌから聞いていた話を思い出す。

「……そういえば、私の同僚の一人が『行方不明者の共通点』について調べようとしていたのだが、何か今の時点で分かっていることはあるのか?」

 彼女のその問いに対して、アシーナが手元の報告書に目を通しながら答える。

「その点については、今、ハルさんも色々と調べてくれているようですが、まだ明確な共通点といえる程の要素は判明していないようです。現状で分かっている点としては、年齢的にはいずれも10代前半の子供達で、今のところ、最近になってカルタキアに来た人々は含まれていないらしい、とのことですが……」

 ここまで聞いたところで、フォリアが手を挙げた。

「あの……、合ってるかどうか分からないんですけど、それって、もしかして、『10年前の混沌災害』が影響しているのでは?」

 10年前にカルタキアは大規模な混沌災害に見舞われ、その時に先代領主が命を落とし、街が崩壊寸前に陥り、その際に現れたソフィアが、現在のこの地を治めている。報告書の中にあった「最近」という言葉がどこまでを指しているのかにもよるが、もし、行方不明者の中に「混沌災害以降にカルタキアに来た(もしくは産まれた)子供」が含まれていないのだとすれば、確かに一つの共通項として、意味のある情報かもしれない。
 フォリアは、「自分自身が魔境に取り込まれた過去」を思い返しつつ、自分の「正体」について悟られないように気を配りながら、新たな仮説を提示する。

「混沌災害の影響で、身体の一部に異変が起きてしまうことはよくある、と聞いています。もしかしたら、10年前の混沌災害の時に何らかの『異界からの影響』を受けたことで、本人には気付かれないまま、身体のどこかに『異界の因子』が残っているのかもしれません」

 あくまでも「一つの可能性」として提示された仮説だが、アシーナはその説明を聞きながら、徐々に表情を顰め始める。

(もし仮に……、今回出現している天使や悪魔が「あの世界」からの投影体だとすれば、「彼等の力の影響を受けた子供達」の中に「彼等が求めるもの」をより多く含有している者が多い、という可能性は十分にありうる……)

 アシーナの中で「嫌な予感」が広がりつつある中、彼女の恋人でもあるグレイスは、彼女が「好ましくない感情」に支配されようとしているのを察しつつ、ひとまず冷静さを取り戻させるために、あえて彼女に(あくまでも職務上の口調で)問いかける。

「10年前の混沌災害の時に、『天使』や『悪魔』のような姿の投影体が出現したという記録はありますか?」
「それは……、どうでしょう? 書庫に記録が残っているかもしれないので、確認してみます。もっとも、ソフィア様や、街の住人の人達に聞いてみた方が早いかもしれませんが」

 現在の「幽幻の血盟」の面々の大半はカルタキアの外からの渡来民であり、10年前の時点でカルタキアに住んでいた者は殆どいない。ただ、当時の生存者はまだ数多くカルタキアに残っている以上、調べようと思えば情報源はいくらでもある。
 ここまでの話を聞いた上で、フォリアとリーゼロッテが立ち上がる。

「そういうことなら、ぼくも聞き込みに回ろうと思います。その上で、ハルさんや他の人達の集めた情報を照らし合わせてみれば、何か手掛かりが掴めるかもしれない」
「私も同行しよう。とりあえず、このカルタキアの中で『昔からの住人』が多い地域を教えてくれ」

 二人がそう宣言すると、アシーナは地図を指差しながら、皆に指示を出し始める。

「では、フォリアさんとリーゼロッテさんは、主にこちらの旧市街を中心に、天使および悪魔の目撃情報と、そして10年前の混沌災害の件について、聞き込みをお願いします」
「はい」
「引き受けた」
「ルイスさんは、学校の警備を続けつつ、余裕があれば、子供達からも話を聞いてみて下さい。もしかしたら、10年前のことについて、断片的にでも覚えているかもしれないので」
「了解です」
「エイミーさんとアルスさんは、引き続き、登下校中の子供達の警護をお願いします。今後の情報収集の結果次第では配置変更をお願いするかもしれませんが、今のところは、子供達の出自に関わらず、生徒達全体をまんべんなく警護する方向で」
「では、私はエーギルさん達と一緒に孤児院方面の子供達の登下校の護衛を続けます」
「それなら、私やシオンさんは、それ以外の子供達の警護に回ることにしましょう」
「さて、その上で、私は書庫で10年前の混沌災害について確認してみたいと思うので、その間の対策本部の管理については、ラルフさんにお願いしてもよろしいでしょうか? 本来ならば、私が全体の統括を続けるべきなのでしょうが、書庫に記された情報の確認となると、それもまたソフィア様直属の私の管轄なので……」
「承知しました。では、皆が集めてきた情報を整理して、事件の解決に繋がるように努めます」
「ありがとうございます。そして、グレイスは遊撃兵として、皆が集めてくれた情報を確認した上で、必要だと思われる場所へ回って下さい」
「分かりました。お任せ下さい」

 こうして、留守を任されたラルフ以外の七人の従騎士は円卓を後にして、それぞれの持ち場へと散っていくことになった。

 ******

 カルタキアの孤児院の近くには(将来的には公衆浴場の関連施設を建設する予定のまま、今のところは予算不足故に放置されている)空き地が存在しており、登校前の時間帯になると、子供達の遊び場となっている。この日も、幽幻の血盟の カシュ・コチータ と潮流戦線の セーラ・ドルク が「長縄」の両端を持つ形で、子供達と一緒に「縄跳び」で遊んでいた。

「おっじょうさん〜、おっはいんなさ〜い♪」
「さぁ、どうぞ〜♪」
「あっりがっとう〜♪」
「まったきってね〜♪」

 そんな掛け声に合わせて、子供達が次々と長縄を飛んでいく。現在は誘拐事件が多発していることもあり、子供達を外で遊ばせるのは危険ではないかという声もあるが、ずっと子供達を建物の中に閉じ込めておくのも精神衛生上良くないというカシュの判断から、彼女達が付き添うことを条件に、このような形で外で遊ぶ機会を維持し続けることにしたのである。

(自分も、ソフィア様に拾ってもらえていなかったら……)

 カシュとしては、自分自身も辛い幼少期を過ごした身の上ということもあり、何人もの孤児院の生徒達が行方不明となっている今のこの状況に、もどかしい思いを抱いていた。自分も彼らを守りたい、そして助けたい、という思いは強くあったが、警護も捜索も自分の得意分野ではないため、今の自分に出来ることは何かと考えた結果、残った子供たちを少しでも安心させるために、遊び相手や話し相手となることで、不安を取り除いていこうと考えていたのである。
 一方、セーラもまた、カシュと同等以上に過酷な幼少期を過ごしていた身だが、彼女の場合、そもそも戦場以外での生活を知らずに育ってきたため、普通の子供達が感じる「辛さ」や「楽しさ」の基準すらも理解出来ないまま、まともに何かを考えるということもなく、本能のままにこれまで生きてきた。しかし、先日、「列車の魔境」の浄化作戦の際に出会った地元の少年アナベルの話を聞いて、「こじいん」という施設が何なのか気になり、実際に現地に赴いてみた結果、気付いた時にはカシュと共に子供達の遊び相手となっていたのである。

「じゃあ、次はセーラも一緒に跳ぶから、誰か、回すの代わって」

 セーラが子供達にそう呼びかけると、子供の一人が駆け寄ってくる。

「いいよ〜、でも、セーラちゃん、あんまり高く跳びすぎると引っかかっちゃうから、気をつけてね〜」
「うんうん、大丈夫〜、今度はちゃんと、みんなに合わせるから」

 実際、以前にセーラが長縄跳びに挑戦した時は、その人並み外れた跳躍力で跳び続けた結果、リズムが合わずに、何度も身体を縄に引っ掛けてしまっていた。だが、笑顔でそんな失敗を繰り返す彼女のことが、子供達の目には親しみやすい存在に見えたようで、結果的に今ではすっかり子供達の中に溶け込んでいるようである。
 そして、今まで常に年上の兵士達に囲まれて育ってきたセーラにとって、同年代以下の子供達と触れ合う体験自体が新鮮で、彼女の中に、これまでにない新たな感情が芽生え始めていた。

(この子達のこと……、守らなきゃ!)

 今までのセーラにとって「戦い」とは「人生そのもの」であり、そこに特に理由も思考も必要なかった。ただ自分が生きるために戦う、というだけの生活を送ってきた彼女が、明らかに自分より脆弱な存在と触れ合い、そこに愛着を感じることで、初めて「庇護欲」という感情が芽生え始めていたのである。いわばそれは、これまで「家族」の概念も知らずに育ってきた彼女が、いつの間にか「姉」になったかのような感覚を覚えた、ということなのかもしれない。
 そんな二人と共に朝の縄跳びを楽しんでいる子供達であったが、いくら楽しい時間を過ごしたところで、全ての不安が取り払える訳ではない。

「あー、またジョニーが引っ掛けた。これで3回連続だよ。新記録だよ」
「新記録じゃないよ! こないだバーニィが4回連続で……」

 一人の少年が、そこまで口にしたところで、途端に場の空気が重くなった。バーニィとは、現在行方不明になっている子供の一人である。

「バーニィ、どこに行っちゃったんだろう……?」

 子供の一人がそう呟いたところで、カシュがすぐさま声をかける。

「大丈夫ですよ、バーニィも、他の子達も、僕達が必ず探し出します!」
「本当に? 」
「今、このカルタキアには世界中から『最強の従騎士隊』が集まっているんです。これまでも沢山の魔境を浄化して、沢山の人達を守ってきたんですから!」

 カシュが言い聞かせているところで、更に別の従騎士の声が聞こえてきた。

「そうそう、だから、いつ返ってきても笑顔で迎えられるように、みんなは笑って待ってればいいんだよ」

 その声の主は、潮流戦線の エーギル である。彼はここ数日、エイミーと共に、孤児院の生徒達の登下校時の護衛を担当していた。そんな彼の姿を見て、同僚のセーラが声をかける。

「あ、エーギル。今日もみんなをよろしくね〜」

 セーラはそう告げたところで、ふとエーギルの姿を見て、あることに気付く。

「そういえば、どうして『いつもの剣』を持ってないの?」

 日頃は大剣を愛用しているエーギルだが、ここ最近は片手で扱える程度の長剣を携えていた。

「ん? あぁ、まぁ、子供の護衛にあんまり大きい武器持っていくのもなぁ、って思ってさ」
「ふーん、そういうものなのか……」

 セーラもまた、エーギルと同じ大剣使いであり、ほぼ常に肌見放さず持ち歩いている。ただ、今回の彼女の担当は、あくまでも孤児院の近辺の哨戒であって、敵の殲滅ではない。大剣が必要かと考えると、そうとも言えないように思えてきた。
 彼女がそんな考えに至っているところへ、孤児院の方面から、星屑十字軍の ニナ・ブラン と、孤児院の年長組の一人であるアナベルが現れる。この二人もセーラ同様、先日の「列車の魔境」の調査隊に加わった面々であった。

「皆さ〜ん、そろそろ、登校の時間ですよ〜」
「部屋に戻って、自分の鞄を取ってきな!」

 ニナとアナベルにそう促されると、子供達はすぐさま孤児院へと駆け戻る。カシュが彼等に同行する一方で、セーラはアナベルの方へと向かってテクテクと歩き出し、彼の目の前で立ち止まり、上目遣いでじっと見つめる。

「な、なんだよ……?」
「これ、持っててくれる?」

 そう言って、セーラは自分の大剣を差し出した。

「な、なんで……?」
「今のセーラは、戦うのが仕事じゃないから、預かっててほしいな、って」

 彼女はそう言いながら、コートも脱いで一緒に手渡そうとする。

「いや、そう言われたって、俺だってそんな物騒なもん渡されても困るぜ」

 困惑しながらアナベルがそう答えると、横からニナも口を挟む。

「そうですよ。それに、その剣はあなたにとって大切なものなのですよね? だとしたら、そんな簡単に他人に手渡しては……」

 ニナはそこまで言いかけたところで、先日の「列車の魔境」での一件を思い出す。

(私には、そんなことを言う資格はないですね……)

 「列車の魔境」内において、ニナは投影体の科学者(?)に連れ去られたアナベルの元へと潜入するために、敵の「聖印を捨てろ」という要求に応じる形で、自身の聖印を一時的に同行者であるルーカスに預けようとしたのである(ルーカスが拒否したため、実行はされなかったが)。個人的に思い入れのあるアナベルの身を案じた上での行動とはいえ、聖印教会の一員としてあるまじき前のめりな行為だったと、後になってニナ自身も深く反省することになったのだが、今、目の前でセーラがやろうとしていることを見て、その時のことを思い出し、口籠ってしまう。
 一方、そんなニナの心境には全く気付かないまま、セーラは笑顔で伝える。

「うん、大切なものだよ。だからこそ、孤児院の人に預かってほしいんだ」

 つまり、セーラにとってそれは「信頼の証」ということらしい。アナベルはその意図は理解しつつも、やはり困った顔を浮かべる。

「まぁ、そうだとしても、それを預かるべきなのは俺じゃない、っていうか……」

 アナベルはそう言いながら、自身の腕をまくり上げた。そこには「混沌の力を漂わせた紋様」が刻み込まれている。

「……俺の『邪紋(アート)』は『ライカンスロープ』だからな。武器があっても、かえって邪魔なんだよ」

 「列車の魔境」の浄化作戦において、アナベルは魔境内に現れた投影体の科学者に対して、自らの身を差し出した上で、改造手術を受けることになった。その結果、一時は自我を失いかける状態にまで至ってしまったものの、最終的にはその力を自分自身の魂で制御することによって、邪紋使い(アーティスト)として覚醒することになったのである。
 邪紋使いとは、混沌核を浄化することなく、邪紋としてそのまま身体に取り込むことで超常的な力を手に入れた者であり、(混沌を浄化する力としての)聖印の持ち主である君主とは真逆の性質を持つ特異能力者である。「自分の周囲に浮き出る光の紋章」である聖印とは異なり、邪紋は「自分の身体に直接刻まれる紋様」であり、一度刻まれたら手放すことは出来ない。また、聖印が混沌核を浄化した上で吸収するのとは異なり、邪紋は混沌核をそのまま吸収し続けることでその力を強めることが出来るが、最終的には混沌に飲まれて暴走もしくは消滅(世界への同化)という形でその生涯を終える者が多いと言われている。
 そのため、聖印の持ち主が「人々を統治する者」という意味で「君主」と呼ばれて人々から敬愛されているのに対し、邪紋使いは(君主同様の「混沌災害から人々を守る力の持ち主」であると同時に)「いずれ混沌災害を引き起こすかもしれない危険な存在」として忌避されることも多く、特に聖印教会の過激派の中には「存在そのものを許すべきではない」とする者達もいる。
 だが、邪紋使いとなったアナベルは、「孤児院の仲間達を守れる力」を手に入れたことを純粋に喜んでいた。そして、彼の邪紋は身体の一部を獣化させる「ライカンスロープ」と呼ばれる系統の邪紋であり、その手に爪などを生やすことを可能とする性質を持つため、武器を持つよりも素手格闘の方が向いていると言われている。
 セーラとしては、自分の大剣を武器として使ってほしいというよりは、ただ純粋に預かってほしかっただけなのだが、邪魔だと言われてしまうと、それ以上押し付けることも出来ない。

「そっか……」

 露骨に落ち込んだ表情を浮かべるセーラを目の当たりにして、アナベルが「言い方がまずかった」と反省しかけたところで、横から別の少年が声をかける。先刻の縄跳びの際に足を引っ掛けていた「ジョニー」である。

「じゃあさ、僕が預かっててもいい?」

 彼は、セーラと同世代の少年であり、現在は孤児院に身を置いているが、元々はカルタキアにおける比較的裕福な階層の出身であった。この日の授業は基礎的な読み書きや算術が中心だったが、彼は幼少期の時点で既にその辺りの基礎教育を終えていたため履修しておらず、この日は登校予定が無かったため、この場に残っていたのである。
 興味津々な様子でセーラの大剣を見つめるジョニーに対し、アナベルが口を挟む。

「おいおい、オモチャじゃないんだぞ」
「分かってるよ。今日は僕は学校もないし、孤児院でおとなしくしてるから、その間に預かるってことで、いいでしょ?」

 ジョニーにそう言われたセーラは、笑顔で返す。

「うん。もし、どうしても戦わなきゃいけなくなったら、その時は取りに行くかもしれないけど、それまではお願いね」

 そう言ってセーラはジョニーに大剣とコートを手渡すと、その重さにジョニーは驚く。

「え……? いつも、こんな重いもの持って戦ってるの……?」
「うん、そうだよ〜。なんか、久しぶりに脱いだら、一気に身体が軽くなったみたい」

 自分と同世代のセーラが、それ程までに重い装備を身に着けた状態で、自分達以上の瞬発力で縄跳びを跳んでいたという事実に愕然としつつ、ジョニーは両手でしっかりと彼女の装備を抱えながら、自分の部屋へと戻って行く。
 そんな彼と入れ替わりに、カシュが孤児院から、それぞれに鞄を手にした子供達を連れて空き地へと戻って来た。

「今日、登校予定の子は、これで全員ですね。エーギルさん、今日も護衛をお願いします」

 カシュがエーギルにそう告げたところで、子供の一人がエーギルに問いかける。

「今日はエイミーさん、いないの?」
「あぁ、なんか今日は会議があるんだってよ」
「そうなんだ……、またアイザック仮面の話とか、聞かせて欲しかったんだけどな……」
「まぁ、そうガッカリするなよ。多分、下校の時には来てくれると思うぜ。それに、面白い話なら、俺だって色々話せるぞ。泉の魔境の誘拐事件とか、武装船の乗っ取り事件とか」
「え? 武装船の乗っ取りって、こないだの港の?」
「そう、それそれ。あの時は楽しかったなぁ。俺とツァイスが海から忍び込んでさ……」

 エーギルが子供達を相手にそんな話をしている中、邪紋使いとなったアナベルもまた、自身の鞄を肩に引っ掛けながら、ニナに語りかける。

「じゃあ、今日は俺もこいつらのことを護衛しながら学校に行くから、その……、孤児院のことは、頼んだぜ」
「はい……、気をつけて、行ってきて下さい」

 そう語る二人の様子は、どこかぎこちない。ニナとしては、自分の力で孤児院を守ろうとするアナベルに対して力添えがしたいという想いと同時に、力を手に入れたばかりの彼が無茶をするのでは、という不安もあった。幸いにして、ニナを含めた星屑十字軍の大半は、聖印教会の中でも穏健派であるため、邪紋の力に目覚めたアナベルに対して明確な悪感情を抱いている者は今のところはいないが、あまり彼に肩入れしすぎるのも周囲に誤解を与える可能性があるため、日頃から堂々と彼の傍らに立ち続けるのも望ましくない。
 ただ、アナベルがニナに対して「孤児院を頼む」と言えるようになったのは、以前に比べると大きな前進と言えよう。それはおそらく、彼自身が力を手に入れ、劣等感からある程度解放されたことで、「力を持つ者」に対して素直に敬意を抱けるようになったことと、「列車の魔境」での一件を通じて、ニナ個人に対する信頼感が高まったことが背景にあるのだろう(アナベル自身がその感情をどこまで自覚しているかは不明であるが)。
 こうして、それぞれの想いを抱きながら、エーギルとアナベルに護衛される形で子供達は学校へと向かい、カシュ、セーラ、ニナの三人は孤児院の近辺の哨戒へと回ることになった。

 ******

 一方、そんな三人と入れ替わりに、孤児院近辺の深夜および早朝の哨戒任務を終えたヴェント・アウレオの ヴァルタ・デルトラプス は、孤児院内に控室にて、双子の姉の ラオリス・デルトラプス と、彼等の首魁であるエイシスに、昨晩から今朝までの状況について報告していた。
+ エイシス

「今日も、これといって怪しい者の姿は見当たらなかったんですけど、さっき、少し気になるものを見つけました」

 そう言ってヴァルタが差し出したのは、一枚の「白い羽根」であった。大きさからして、かなり大型の鳥の羽根のように見える。エイシスは眼鏡の角度を調整しつつ、じっくりと凝視しながら問いかける。

「どこで、これを?」
「孤児院の北側の壁の近くの、排水用の側溝です。普通の鳥の羽根にしては随分大きいので、おそらく投影体のものではないかと」

 ヴァルタがそう答えると、改めてエイシスはその羽根の形や大きさを確認しながら呟く。

「そうですね。孤児院の近くで見かけたという『天使』も、大きな白い翼の持ち主だったという証言もある訳ですが……」

 ここでエイシスは、ラオリスに声を掛けた。

「……ラオリス、これまでの調査で、このような羽根を見かけたことはありますか?」

 だが、それに対してラオリスは、虚空を見上げたような表情を浮かべたまま、反応しない。

「姉さん! 姉さん!」
「んぇ? あー、ごめん。聞いてなかった、どうかしたの?」
「どうかしたの、じゃないよ。姉さんこそ、どうしちゃったのさ?」
「あぁ、ええっと……、ちょっと考え事をね」

 ラオリスは現在、「天使」や「悪魔」の出現場所を特定するための調査任務に就いている。だが、今のところ有益な手掛かりが見つからないので、ひとまず孤児院近辺の哨戒を担当するヴァルタやエイシスとの情報交換のために孤児院を訪れていたのだが、その話し合いの最中に、意識が上の空の状態になってしまっていた。
 彼女は先日の「館の魔境」の浄化作戦の時と同様、まだ「聖印を持つこと」の必要性に対する疑義が頭に残ったままであり、時折、そのことについて無意識のうちに考え込んでしまう癖がついてしまっているらしい。
 そんなところへ、また別の従騎士が姿を現す。幽幻の血盟の ローゼル・バルテン である(彼女もまた、天使や悪魔の出現場所の特定に奔走中である)。その背後には、彼女の直属の主君であるソフィアの姿もあった。
+ ソフィア

「何か、手掛かりは見つかった?」

 ローゼルが双子に対してそう問いかけたのに対し、ヴァルタが改めて「白い羽根」について、その場にいる面々に対して説明すると、ローゼルもまたその羽根を凝視する。

「これは……、どう見ても普通の鳥の羽根じゃないわね。少なくとも、カルタキアにはこんな羽根の鳥はいない。この間の白鴉ですら、ここまで大きな羽根ではなかったわ」

 カルタキア出身ではないとはいえ、幽幻の血盟の一員である上に、弓使いでもある(が故におそらくは視力の良い)ローゼルの証言には、それなりに信憑性があるようにヴァルタ達には感じられた。そして、地元の領主であるソフィアもまたその見解に同意する。

「おそらく、例の『天使』から抜け落ちた羽根だろうな。昨日の昼までは雨が降っていたから、それ以前に側溝に落ちていたなら汚水に浸かっていた筈だが、全く汚れた様子もない。つまり、昨日の夕方以降に通った時に抜け落ちた可能性が高い、といったところか」

 ソフィアが淡々とそう推論を述べるが、それに対してヴァルタは首を傾げる。

「しかし、昨日の夕方以降も、孤児院の近辺は交互に哨戒を続けていた筈です。そこまで大きな翼を持つ投影体がいたとしたら、かなり目立つと思うのですが……」

 彼のその疑念に対して、横からラオリスが割って入る。

「もしかしたら、『姿を消せる投影体』なのかも」
「なるほど……。もしそうだとしたら、かなり厄介だね……」
「でも、対処法はあるよ。ちょっとその羽根、貸してみて」

 ラオリスがそう言いながらヴァルタから羽根を受け取ると、彼女はその匂いを嗅いでみる。

「……うん、やっぱり、なんか独特の匂いがする。とりあえず、この孤児院の近くの匂いを探っていけば、その『天使』の足取りが分かるかもしれない」

 「姿を消せるかもしれない投影体」が自身の匂いまで消せるかどうかは不明だが、何の手掛かりもない状態で探し回るよりは、まだやってみる価値はあるだろう。
 そして、ローゼルもローゼルで、別の方向からのアプローチを提案する。

「私は、同じような羽根を見た人がいないかどうか、他の場所でも聞いてみるわ。だから、ちょっとその羽根のスケッチを描かせて」

 ローゼルはそう言いながら筆記用具を取り出そうとするが、ラオリスは手に持っている羽根をそのままローゼルに手渡す。

「人に聞いて回るんだったら、現物があった方がいいでしょ。このまま持っていきなよ」
「え? でも、匂いを頼りに探すなら、あなたの方こそ現物があった方がいいんじゃ……」
「大丈夫。かなり特徴的な匂いだから、もう覚えたし。預けちゃってもいいよね、ヴァルタ?」
「まぁ、姉さんの調査に支障が出ないなら、僕はそれで構わないよ」

 ヴァルタがそう答えるのを確認すると、ローゼルは丁重にその羽根をラオリスから受け取る。その様子を確認した上で、エイシスはヴァルタに語りかけた。

「ともあれ、夜通しでの哨戒、ご苦労さまでした。今のうちに休眠を取っておいて下さい」
「分かりました、ありがとうございます」

 そう言って、ヴァルタは控室を後にして、子供達のいない寝室で一人床に就き、ラオリスとローゼルはそれぞれの調査へと向かうことにした。

 ******

「それでは、息子さんは私が責任をもって学校へとお連れします」

 ヴァーミリオン騎士団の シオン・アスター は、この日に登校予定の生徒の送り迎えのために、それぞれの家庭を回って子供達を預かって回っていた。
 孤児院の子供達とは異なり、当然のごとく一般家庭の子供達の自宅は離れているため、全ての生徒の登下校を集団で一括化することは出来ない。そのため、比較的近くの生徒達を1グループとしてまとめた上で、何人かの従騎士で分担して送迎する形で対応している。そして、この日のシオンが最初に迎えに行った生徒は、学校設立直後に、彼が最初に話しかけた少年であった。

(とりあえず、彼が無事だったのは幸いですが……)

 シオンとしては、やはり自分が直接言葉を交わした生徒達の安否が気になっており、それが今回の任務への参加の大きな誘因であった。

「あんた、本当に従騎士なんだな」

 彼はシオンが携えている突剣を見ながら、そう呟いた。

「えぇ、そうですけど……?」
「いや、まぁ、なんていうか、最初は学者の先生か何かと思っててさ」

 そう言われたシオンは、思わず苦笑する。

「まぁ、確かに僕は、あまり騎士らしくは見えないかもしれませんね」

 実際のところ、シオンは紛れもなく騎士家の出身であり、騎士となるための修行を積んできた身である。ただ、物腰が柔らかく、良くも悪くも威圧感がないため、あまり武人としての気配は漂わせていない。武装状態でなければ、確かに学者のように見えてもおかしくはないだろう。だが、この日の彼はあくまでも従騎士として、子供達を守るために全力を尽くす意気込みで任務に臨んでいた。
 その後、シオンはいくつかの家を訪問し、それぞれの子供達を預かりながら、学校へと向かおうとするが、その途上で、連れている子供達が全体的に「重苦しい空気」に包まれているのを実感する。既に行方不明となっている友人達への心配、不安、恐怖、といったものが、明らかに彼等の精神を蝕んでしまっているようであった。

(こういう時、上手く皆を和ませられれば良いんでしょうけど……)

 そう思いながらも、上手く言葉が出てこない。シオンがそんな心境に陥っている中、少し離れたところに、別の従騎士に護送されている集団を発見する。その従騎士は、幽幻の血盟の ノルマ であった。彼女は兜を手に抱えた上で、黙々と子供達を連れて学校へと向かっていた。

(ノルマさん、僕と歳もあまり変わらないのに、僕よりもずっと堂々としてるよな……)

 シオンはそんな羨望の視線をノルマに向けているが、実際のところ、ノルマに連れられていた生徒達の雰囲気は、シオン達以上に重苦しかった、というよりも、生徒がノルマに対して萎縮しているような印象だった。ノルマとしては子供達を威圧しているつもりはないのだが、周囲に対する緊迫感が強すぎるが故に、子供達は明らかに怯えた表情になっていた。

(ソフィア様からは「子供達の話し相手になってあげなさい」と言われてたけど……、どう話しかければいいのか……)

 とりあえず、話しかけられたら答えよう、という想いはノルマの中にあったのだが、子供達の方から話しかけようという空気にならないため、ノルマとしてもどうして良いのか分からずにいた。
 そんな微妙な空気が広がる中、どちらの集団も学校へと近付いてきたところで、彼等の前に一人の従騎士の姿が現れた。ヴェント・アウレオの ジルベルト・チェルチ である。彼は現在、学校近辺の朝の哨戒任務に就いていた。

「よぉ! お疲れさん!」

 陽気な声で彼が二人に対してそう語りかけると、シオンとノルマはやや戸惑いながら会釈する。

「あ、えーっと……、おはよう、ございます……」
「……お疲れさまです」

 二人がそんな声で返す中、ジルベルトは子供達にもそのまま話しかけた。

「今日も一日、元気で頑張れよ! みんなのことは、俺達が絶対に守ってやるからな!」

 笑顔でそう断言するジルベルトの雰囲気に釣られて、生徒達の表情も思わず緩む。

「うん、わかった!」
「今日も、ちゃんと勉強頑張るよ!」

 子供達はそんな反応を示しつつ、彼の前から通り過ぎていく。いとも容易く子供達を笑顔にしてしまったジルベルトの手腕に対してシオンのノルマが素直に感服している中、やがてジルベルトの視界にまた新たな一団が現れる。今度は、ノルマと同じ幽幻の血盟の レオナルド に引率された子供達であった。

「おはようございます、ジルベルトくん」
「おぉ、おはよう! アンタも警護任務か」
「えぇ。今のところ、特に異変もなく、平和な道中ですが」
「それなら良かった。アンタ、病み上がりなんだろ? 無理すんなよ」

 レオナルドが前回の廃坑の魔境の浄化作戦に直前に「謎の人物」に刺されて入院していたという噂は、ジルベルトの耳にも届いていたようである。

「心配いりません。もう傷跡は塞がりましたから」
「そっか。じゃあ、帰り道もまたよろしくな。皆も、しっかり勉強しろよ!」

 ジルベルトはそう告げつつ、哨戒任務を続ける。レオナルドもまたそのまま学校へと向かっていくが、彼が密かに腹部の傷跡を気にしていることには、この時点では誰も気付いていなかった。

(えぇ、大丈夫……。もう、塞がってる筈ですから……)

 ******

 こうして無事に生徒達が学校へと送り届けられていく中、旧市街地の一角では、幽幻の血盟の ハル が、行方不明になった子供達について、人伝にそれぞれの人脈を探りながら、情報を聞いて回っていた。

「なるほど……。では、この二人の親御さん同士は、それなりに昔から交友があった、ということですね……。ご協力、ありがとうございます」

 ハルは住民達の話を聞いた上で、行方不明になった子供達の関係を書きまとめていく。すると、徐々に一定の共通項が見えてきた。

(孤児院の子供達も、そうでない子供達も、親世代に何らかの繋がりがある人が多い……?)

 そのことに気付いたハルが、今度は親世代の関係性についてより詳しく調べようかと考え始めたところで、一人の従騎士がハルを見つけて声を掛ける。彼と同様に街の人々の聞き込み調査をおこなっていたリューヌである。

「あ、ハルさん。もしかして、あなたも子供達の行方を探しているんですか?」
「はい。とりあえず、彼等に何か共通点があるのではないかと思って、調べていたところです。エスパスさんは?」

 カルタキアにおける従騎士達の呼称としては「名前」(ファーストネーム)が用いられることが多く、ハルのように他人を姓で呼ぶ者は珍しい(そもそも姓がない、もしくは、あっても名乗らない者も多い)。ただ、リューヌの場合、星屑十字軍の中には「姓呼び」を多用する者も何人かいるため、「エスパス」と呼ばれてもあまり違和感はなかった。

「私も行方不明の子供達の共通点を調べていたところです。とりあえず、情報を照らし合わせてみましょうか?」

 リューヌがそう提案すると、ハルは筆記用具を取り出し、自分の中で浮かびかかっていた上述の仮説にリューヌからの情報を加えていく形で、行方不明の子供達の「相関図」を描き始める。すると、思っていた以上にその仮説を裏付けるような情報が彼女の口から語られていく。そして、書き上げられた相関図を見たリューヌも、興味深そうな表情を浮かべながら呟いた。

「なるほど、親世代の繋がり、ですか……」
「全ての子供達が該当する訳ではないみたいですが、どうも話を聞いていると、子供達が生まれるよりも前から交流のある家庭が多いようです。血縁関係にある人達も、何人かいました」
「ということは、親世代の因縁が関係している、と?」
「まだそこまで断言は出来ませんが、ただの偶然とも考えにくい気はしますね。エスパスさんの方は、他に何か分かったことはありますか?」
「とりあえず、行方不明になる直前の子供達の動向も調べてみたのですが、これについては、明確な共通点は見つかりませんでした。ただ、どの子も特に挙動がおかしい様子はなかったらしいので、自らの意志で街を去った、という可能性は低そうです」

 この点についても、ハルの調査結果と概ね一致している。消えた子供達の性格は多様で、特に明確な共通点がある訳でもなく、特に家庭環境や人間関係で深く悩んでいる様子もなかったらしい(とはいえ、さすがに最近になって行方不明になった子供達は、いずれも失踪した友人達のことを心配していたようだが)。つまり、彼等が行方不明となった原因が、彼等自身の人格や生活環境にあったとは考えにくい。

「あとは、『天使のような投影体』と『悪魔のような投影体』の目撃情報についても調べてみたのですが、『天使』は孤児院の近辺、『悪魔』は学校の近辺に集中しているようです。ただ、それに加えて、関係あるかどうかは分からないのですが、少し、気になる話が……」
「ほう?」
「『悪魔』を見た人の中に、『10年前の混沌災害で見た悪魔と似てる』と言っている人がいたのです。本人もうろ覚えの記憶だと言っていたので、どこまで正確かは分からないですが、カルタキアでは同じ魔境が時を越えて再び投影されることもあるらしいですから、もし、その10年前の混沌災害の時の記録が書庫に残っていれば、そこから何か対策を……」

 リューヌがそこまで言ったところで、彼女の後方から女性の声が聞こえてきた。

「その目撃者の話、詳しく教えてくれないか、エスパス」

 彼女のことを姓で呼んだその声の主は、同僚のリーゼロッテである。どうやら彼女も旧市街の聞き込み調査の最中に、同僚の姿を見つけて声をかけたらしい。

「あ、リーゼロッテさん。えーっと、その人自身も、あまりはっきりとは覚えていなかったらしいので、もう一度聞いても詳しい情報が出てくるかどうかは分からないのですが……」
「いや、話の内容よりも、むしろ、その『目撃者』が何者かが重要なのだ」

 リーゼロッテはそう語った上で、リューヌとハルに「フォリアの仮説(10年前の混沌災害による影響の可能性)」を説明する。すると、それを聞いたハルもまた、上述の「関係図」を見せながら、自分とリューヌが集めた情報を彼女に伝えた。

「なるほど……、どうやら話は繋がりそうだな。親同士が『子供が生まれる前からの知り合い』ということは、10年前の混沌災害の時点で既に何らかの接点があった、ということになる。もし、その時点で『彼等』と『その目撃者』の間に何らかの共通体験があるのなら、少なくとも『悪魔』の方の行動原理は、ある程度推測出来るかもしれない」
「そうですね。とりあえず、その目撃者の人の素性を確認してみます。確か、あちらの区画の食堂で働いている人だと言っていたので」
「では、僕は改めて、10年の時点で行方不明者の家族が何をしていたのか、分かる範囲でまた調べてみます」

 こうして、ハルとリューヌは再びそれぞれに情報収集を再開し、リーゼロッテはハルから聞いた情報を(近くで調査活動中の)フォリアに伝えるため、その場を去って行った。

 ******

 その間、リーゼロッテと同様に旧市街の調査に聞き込み調査にあたっていたフォリアは、ローゼルと遭遇していた。

「こんな大きな羽根の投影体、ですか……」
「『天使』のものかどうかは分からないけど、この大きさなら、かなり本体も大型の筈よね。一応、孤児院の近く以外でも目撃情報はないかと思って調べてるんだけど、今のところ、誰に聞いても見たことがないって言ってて……」

 フォリアに対して「白い羽根」を見せながらローゼルがそう説明している途中で、ローゼルの視界に、少し離れたところから興味深そうな視線を向けている一人の女性の姿が映る。年の頃はおそらく20代前半程度で、肌の色や装束などから察するに、おそらくカルタキアの一般市民だと思われる。
 その表情から何か意味深な気配を感じたローゼルは、羽根を手にした状態のまま、その女性へと歩み寄りながら声を掛けた。

「あなた、もしかして、この羽根に見覚えがある?」
「え? あ、はい……、その、子供の頃のことなので、ちょっと記憶は曖昧なんですけど……」

 女性がそう前置きされた時点で、ローゼルの中ではやや期待度が下がり始めるが、逆に傍らにいたフォリアの方が、強い興味を示しながら声を掛ける。

「子供の頃ということは、もしかして、10年前の混沌災害の時、ですか?」
「はい。そうです。あの時、私が住んでいた地区は、異界から現れた『悪魔のような投影体』の襲撃を受けていたんですけど、その時、どこからともなく現れて、私を助けてくれたのが、そのような『白い羽根』を持つ『天使のような投影体』だったんです」

 彼女はそう言いながら、ローゼルが持っている白い羽根を改めて凝視する。

「あぁ……、やっぱり、そうです……。この気配、あの時、私を助けてくれた美しい天使様から零れ落ちた白い羽根と、同じ匂いがする……」

 うっとりとした表情でそう語る女性に対して、ローゼルは問いかける。

「その『天使』ってのは、あなたを助けた後、どうしたの?」
「分かりません。その方が悪魔と戦っている間に、私は家族に連れられてすぐにその場を離れたので……。ソフィア様によって混沌災害が鎮められたことで、おそらく一緒に消えてしまったのではないかと思うのですが、出来ればその前に、一度、ちゃんとお礼を言いたかった……」

 その女性の話を聞きながら、フォリアは脳内で状況を整理する。

(彼女の言うことが本当なら、今回現れた「天使」も、人間にとっての味方なのかもしれない。でも、投影体の行動原理は分からないし、慎重に確認する必要があるな……)

 ひとまず、フォリアはその女性から「10年前の状況」を詳しく聞き出したところ、どうやら彼女がその「天使」に遭遇したのは、当時のカルタキアの地理区分における「第三地区」と呼ばれていた区画であり、当時の彼女はその地の住人であったらしい。その上で、当時の彼女の近くにどのような人々が住んでいたのか、その人達(特に、当時の彼女よりも歳下の子供達)が今どこに住んでいるのか、ということにまで、覚えている範囲での回答を求めていく。
 その後、一通りの話を聞き終えた時点で、フォリアはローゼルにも自身の仮説を伝えつつ、そのまま調査を続けることにした。

 ******

「黒い羊?」
「正確に言えば、『黒い羊のぬいぐるみのような何か』です」

 校内で生徒達が授業を受けている中、コルムは学校近辺の住人達に「怪しい投影体」の目撃情報を聞いて回っていたところで、奇妙な証言に遭遇することになった。その目撃者曰く、数日前の夜に酒に酔った状態で学校の近くを歩いていた時に、「黒い羊のぬいぐるみのような何か」が、学校の塀を登って中に入って行くのを見たらしい。最初は、泥酔していたが故の幻覚だろうと思っていたが、後日、「その時に一緒に歩いていた友人」に聞いてみたところ、彼も同じ光景を見たと言っていたらしい。

(ぬいぐるみが勝手に動く筈がない以上、どう考えても投影体でしかありえない。もし仮に、複数の人間が同時に同じ幻覚を見ていたのだとしても、それはそれで何らかの混沌の作用を受けていたということになる……)

 不審に思ったコルムは、その「黒い羊」が登ったという学校の壁の近辺に、何か痕跡が残っていないかと確認しようと試みるが、学校の外側からは特にそれらしい形跡が見られない。そのため、ひとまず入口から校舎内へ入ろうとするが、ここでティカとエルダに遭遇する。

「おや、あなた達も、誘拐事件の調査ですか?」

 コルムがそう問いかけると、ティカが先に答えた。

「はい、そうです。貴方もそうなら、何か手掛かりがあれば教えてほしいのですが……」
「手掛かりになるかは分かりませんが、少し、気になる情報はあります。ひとまず、一緒に現場に行きましょうか」

 コルムはそう告げた上で、道すがらに二人に状況を説明しつつ、「壁の内側」へと向かう。

「その住人の証言によれば、ここの壁を乗り越えて校舎内に入った、とのことですが、さて……」

 ひとまずコルムは足跡などを確認しようとするが、さすがに数日前である上に、前日が雨天ということもあって、はっきりとした痕跡は見つからない。
 一方、エルダは全神経を霊感に集中させた上で周囲の気配を探ると、壁の近くにある一本の木から、ほんの僅かながらも「混沌の気配」を感じ取る。

「この木の……、おそらくは上の方に、何か混沌の残滓のような気配を感じます」

 彼女がそう告げると、ティカが反応した。

「では、梯子を取ってきます。さっき、あそこの倉庫の中に入っているのを見たので」

 ティカは早朝からひたすら校舎内を歩き回って調べていたため、校舎内の設備の位置は概ね把握していたらしい。
 彼はすぐさま庭師用の大きな三脚梯子を抱えて戻って来ると、それを木の真横に設置して、自ら登って木の頂点の様子を確認する。

「ん? あれは……?」

 その木の上には、一枚の大きな「綺麗な色の羽根」が引っかかっていた。大きさからして、明らかに大型の鳥(もしくはそれに類する翼のある動物)から抜け落ちたものだと思われるが、普通の自然界にいるような鳥の羽根の色には見えない。
 ティカは長身を生かして手を伸ばし、羽根を手に取ろうとするが、あと一歩のところで届きそうにない。そんな彼の様子を下から見ていたコルムが声を掛ける。

「そんなに身体を乗り出すと、危な……」

 彼がそこまで言いかけたところで、三脚梯子が傾き始めた。

「あ……!」

 ティカは咄嗟に梯子から跳び上がり、木へと飛び移る。どうにか枝に張り付いた彼は、そのまま木の上に引っかかっていた「綺麗な色の羽根」を手にして、そのまま木から降りてくる。そんな彼に対して、エルダが心配そうに声を掛ける。

「大丈夫ですか? ティカさん」
「えぇ、どうにか……。それより、混沌の気配というのは、これですか?」

 そう言ってティカが「羽根」を見せると、エルダは鎧兜越しに改めてじっくり凝視する。

「……そうですね、どこの世界のものかは分かりませんが、間違いなく、異界から投影された生き物の羽根だと思います」

 エルダのその説明に対し、隣のコルムが微妙に顔を顰めながら呟く。

「でも、これは明らかに『羊』から生えているものではない……。また別の投影体なのか、それとも……」

 彼が思案を巡らせているところで、この場に誰かが走り込んでくる音が聞こえてくる。

「今、何が倒れた!?」

 そう叫びながら、学校内を哨戒中のジルベルトが駆け込んで来た。どうやら、梯子が倒れる音が聞こえたらしい。

「あー、すみません。心配かけてしまったみたいですけど、大丈夫です。僕がうっかり、梯子を倒してしまっただけで……」
「そっか。まぁ、無事ならいいんだけどよ……、ん? その羽根は?」

 ティカが持っている羽根にジルベルトも興味を示したので、改めてティカが一通りの事情を彼にも説明する。

「……なるほど。だとすると、その羽根が大きな手掛かりになりそうだな」
「そうですね。とはいえ、これだけだと、天使なのか、悪魔なのか、それともまた別の投影体なのかも、僕には分かりませんが……」
「とりあえず、今は皆が街のあちこちで情報収集に回ってて、領主の館でその情報を集めているみたいだから、『黒い羊』の件も含めて、俺が報告に行って来ようか? そこで何かまた新しいことが分かったら、俺が伝えに戻るから」

 ジルベルトがそう提案すると、ひとまずその場の三人も同意した上で、彼に羽根を預ける。そして彼が去っていくのを確認した上で、三人は今度は「黒い羊が現れたとされている壁」の外側の調査へと向かうことにした。

 ******

 その頃、領主の館に併設された書庫では、アシーナが10年前の混沌災害の記録についての記録を一通り確認していた。
 10年前の混沌災害では、様々な異世界の魔境が同時に大量発生した、と言われているが、あまりにも多様な投影体が跳梁跋扈していたため、当時の目撃者の情報も混乱しており、書庫に残された記録もどこまで正確なのかは不明である。そして、出現した投影体達についても、何を目的に行動していたのかが分からないまま、ソフィアによって魔境ごと浄化された事例が多いらしい。

「まぁ、いきなり投影されて、他の様々な世界の投影体と一緒に同じ場所に出現させられたら、彼等も混乱して当然でしょうし、よく分からないまま防衛本能のままに暴れまわっていた者達が大半だったのかもしれませんね」

 なお、中にはカルタキアの住民達に味方する投影体も存在したとされているが、彼等もどのような理由でそのような立場に立ったのかは不明である。そして、そんな「友好的投影体」の事例の一つとして「天使のような投影体」の記述を発見したところで、頁をめくり続けていたアシーナの手が止まる。

「天使、ですか……。まぁ、天使にも色々でしょうからね。『あの世界の天使』とは、おそらく全くの別物だったのでしょう」

 アシーナは自分にそう言い聞かせながら、念の為、その時の住民達の証言を元にした記録に目を通す。しかし、読めば読むほど、その「天使」の特徴は、「アシーナの知っている天使」に酷似してた。

「友好的投影体? 彼等が……?」

 その「天使」達が人間の味方と評されているのは、彼等が「人間を攫おうとした、悪魔のような投影体」から守ってくれたから、ということが論拠らしい。また、その「天使」と「悪魔」は、それぞれに従者のような生き物を連れていたと記されているが、それらの描写にも目を通すことで、アシーナの中で「疑惑」が「確信」へと変わる。

「イフリート、グリフォン、ブラックシープ、デュアル……、これは……、『よく似た別の並行世界』という可能性も無いとは言い切れませんが……」

 彼女はそう呟きながら、その「天使」と「悪魔」に関する記述を更に深く読み込んでいくのであった。

 ******

 それから少し時が流れ、昼の正午を過ぎた頃、領主の館の円卓会議室で留守を任されていたラルフは、次々と入ってくる情報を整理しながら、状況把握に努めていた。

「ここまで皆が集めてくれた情報が正しいなら、おそらくこれが最善手……、いや、本当にそうか? まだ何か見落としていることはないか? 仮にエイシスさんがこの立場にいたとして、同じ結論を下すか……?」

 彼がそんな自問自答を繰り返しているところに、書庫からアシーナが戻ってくる。

「すみません、遅くなりました。皆からの報告は集まりましたか?」
「えぇ。午前中だけでも、当初の想定以上に大きな進展があったようです」

 ラルフはそう答えた上で、まず、リーゼロッテとフォリアが(リューヌ、ハル、ローゼル、ヴァルタといった面々の協力も得た上で)集めてきた情報を、まとめて伝えることにした。

「どうやら、行方不明になった子供達は皆、10年前の混沌災害以前は『旧第三地区』と呼ばれる区域に住んでいた家庭の子供達ばかりのようです。しかし、その混沌災害の時に旧第三地区は『悪魔のような投影体』の襲撃によって壊滅的打撃を受けており、その時に生き残った人々の話を聞いてみたところ、現在、この地で目撃されている『悪魔』と外見も似ているようです」
「なるほど。ということはやはり、『今回の悪魔』と『10年前の悪魔』は、同一もしくは類似個体である可能性が高い、ということですね?」
「はい。そして、その時に生き残った子供達のうち、親や親戚が健在だった子供達は家族ごと別の地区へと引っ越し、親を亡くした子供達は孤児院で暮らすようになった、とのことです」

 つまり、ほぼフォリアの仮設と合致する情報がここまでは集まっている、ということであり、アシーナが今しがた書庫で調べた書類の情報とも一致している。

「そして、その悪魔の襲撃の時に、『天使のような投影体』が助けてくれた、と証言している人もいるようなのですが……」
「ほう?」

 その情報も、アシーナが書庫で得られた情報と合致している。しかし、彼女はあえてそのことは口にせず、そのまま話を聞き続けた。

「……どうやらそれも、現在出現中の『天使』と同一もしくは類似個体の可能性が高そうです。当時の天使の目撃者の話によると、孤児院の近くに落ちていたという、こちらの『白い羽根』から、その当時の天使と同じ匂いがする、とのことでした」

 ラルフがそう言って(ローゼル→フォリア経由で届けられた)「大きな白い羽根」をアシーナに見せる。

(これは……!)

 アシーナは、確かにその羽根の形状に見覚えがある。それは紛れもなく、「彼女がよく知る天使」の羽根であった。更に追い打ちをかけるように、ラルフはもう一つの(コルム、エルダ、ティカが発見した)「綺麗な色の羽根」をアシーナの前に差し出す。

「こちらの羽根は、学校の校内の木の上に引っかかっていたようです。これが悪魔の羽根なのか天使の羽根なのかは分かりませんが、この羽根が発見された場所の近くでは『黒い羊のぬいぐるみのような何か』が動いているのを見た人もいるという話で……」
「悪魔です」
「……え?」
「この、学校の近くで見つかった方の羽根は悪魔、より正確に言うなら、悪魔の下僕『ディアボロ』の一種である『ファウスト』の羽根です。『黒い羊』もおそらくは『ディアボロ』の一種。そして、こちらの孤児院の方で見つかった羽根は、間違いなく天使の羽根です」

 アシーナがこの段階で、はっきりとそこまで断言したことにラルフは驚いたが、おそらくは書庫にあった情報を元に話しているのだろうと推察した上で、ひとまず彼女のその判断が正しいことを前提に話を進める。

「では、やはり10年前の混沌災害が原因である可能性が高い、ということですか?」
「そうですね。ですから、おそらく次に狙われるのは『旧第三地区出身の10歳以上の子供達』でしょう」

 アシーナのその意見にはラルフも概ね同意だったが、一つ気になっていることがあった。

「旧第三地区の生き残りの大人達が狙われる可能性については、考慮しなくても大丈夫なのでしょうか?」

 実際のところ、ここまでの傾向を見る限り、襲われているのは子供達ばかりであるが、その理由がまだ解明されていない以上、「たまたま今まで襲われたのが子供達だっただけ」という可能性も十分にありうる。
 だが、アシーナの中では、既に一つの(かなり確信に近い)仮説があった。

「おそらく彼等は、元の世界において『学校』の近辺に出没していた者達です。その時の習性のようなものが、この世界においても残っているのでしょう」

 更に言ってしまえば、「学校」を建てたことによって、それが触媒となって「彼等」が呼び出されたという可能性すらも考えられたが、ひとまずこの時点において、アシーナそこまでは口には出さなかった。

(せっかく出来た学校を、こんな形で潰させる訳にはいきません。誰にだって、教育を受ける権利も、学園生活を楽しむ権利も、与えられるべきなんです……!)

 明らかに何か特殊な情報源から判断していると思しきアシーナであったが、ひとまずラルフとしても彼女の憶測を信じることにした上で、話を進める。

「では、子供達の割り出しについては、学校でクラスごとに直接聞いてもらうのが早いでしょう。流石に名簿に『10年前に住んでいた場所』までは書いてないでしょうし」
「そうですね。では、その旨の連絡は……」

 アシーナが誰か人を呼ぼうとしたところで、ラルフが制する。

「大丈夫。既にここに一人います」

 ラルフがそう言って指を鳴らすと、扉の外からジルベルトが現れる。彼は先刻から、領主の館と学校の間を何度も連絡要因として往復し続けていたのだが、あまり疲れた様子はない。

「とりあえず、今話してたことを、そのまま伝えればいいんだな?」

 ジルベルトが、今にも走り出しそうな勢いでそう問いかけると、アシーナが引き止める。

「あ、少し、待って下さい。それならば、一緒に伝えてほしいこともありますので」

 そう言って彼女はジルベルト「極めて重要な言伝」を託すことになる。それもまた、特殊な情報に基づく助言であった。

 ******

 それから数刻後、学校で下校時間が近付きつつある中、ジルベルトからの伝言を受けた従騎士達は、ここからどう対処すべきか迷っていた。
 これまでに集めた情報と、それらに基づく憶測が正しければ、これ以上の犠牲者を出さないために、旧第三地区の子供達を重点的に警護するのが、最も安全な対策法だろう。だが、敵が現れ続けない状態が続くだけでは、相変わらず敵の手掛かりが掴めず、既に捕まっている可能性の高い子供達を救う道には繋がらない可能性が高い。
 これに対して、もう一つの選択肢として、あえて「該当者」の子供一人を囮にして、悪魔が出没したと言われている区域を歩かせ、悪魔の出現と同時に遠方から駆けつけることで、悪魔を捕縛、もしくはその後を付けて本拠地を明らかにする、という道もある。これならば、既に行方不明となっている子供達の捜索にも繋がるかもしれない。しかし、当然、その「囮役」の子供を危険に晒すことになるため、あまり好ましい選択肢とは言えない。
 だが、ここで一人の生徒が手を挙げた。それは、この従騎士達の会議の場に出席を許された唯一の生徒である、邪紋使いのアナベルである。

「事情は大体理解した。俺を、奴等をおびき寄せるための『餌』として使ってほしい」

 自身の身体に刻まれた邪紋を従騎士達に対して見せつけながら、アナベルがそう訴えてきた。彼もまた「旧第三地区出身の少年」だったのである。現状、従騎士達が護衛を始めるようになってから誘拐事件が起きていないことを考えると、犯人は彼等の聖印もしくは武器に対して警戒している可能性が高いため、素手で戦える邪紋使いであるアナベルは、確かに適任ではある。
 ただ、いくら邪紋使いになったとはいえ、生徒の一人を囮に使うことに対しては、やはり従騎士達の間でも抵抗はある。しかし、彼は強硬にこう主張した。

「ここで、皆を守るために役に立てないんだったら、力を持ってる意味がない。あんた達だって、俺と同じ立場だったら、同じことをするだろ?」

 そう言われてしまうと、従騎士達も反論は出来ない。更に言えば、連れ去られた子供達の行方について、従騎士達の調査が行き詰まっている以上、彼の申し出を断れる立場でもなかった。
 微妙な空気が広がる中、従騎士達の中でエーギルが立ち上がる。

「よし! 男がそこまで覚悟を決めたんなら、カッコつけさせてやろうぜ、みんな!」

 エーギルはそう言いながらアナベルの肩を叩くと、他の護衛役の者達も(それぞれに思うところはあったようだが)ひとまず同意する。なお、エーギルの心の中では、彼の中の「別の人格」がボソッと呟いていた。

(もっとも、君がカッコつけたい相手は、ここにはいないのかもしれませんけどね)

 ******

「皆さん、今日はこれから課外授業として、演芸場へ舞台演劇を見に行くことになりました」

 ヴァーミリオン騎士団の団長アストライアは、下校直前の全校生徒に対して、そう告げた。突然の申し出に対して困惑する者や反発する者もいたが、年長の生徒達の大半は「誘拐事件絡みの何らかの緊急の事態」が発生したのであろうと察した上で、年少の生徒達を諭しつつ、そのまま全員でアストライアに連れられる形で彼等は学校を後にする。
+ アストライア
 つい先刻まで彼等に読み書きを教えていたルイスは、去りゆく生徒達に笑顔で声をかけた。

「それじゃあ、みんな。せっかくの貴重な機会だから、しっかり楽しんできてね」
「はーい。……あれ? アナベルは?」
「あぁ、彼は昨日の試験の出来が酷かったから、補習を受けてもらうことにしたんだ」
「うわー、かわいそー。まぁ、アナベルなら、仕方ないか」

 実際のところ、別にごまかす必要も無いと言えば無かったのだが、アナベル自身が「本当のことを言うと、皆が心配するかもしれない」と判断した上で、このように口裏を合わせてもらうことにしたのである。
 そして彼等の姿が見えなくなった辺りで、ルイスはくるりと踵を返し、教室で一人待機していたアナベルの元へと向かい、彼に一枚の地図を手渡した上で、学校の近辺の一角を指し示す。

「これまでの情報をまとめると、この辺りが最も『悪魔』の出現率が高い地区みたいです」

 それは、上述の「黒い羊」が目撃された外壁から程近い区画であった。コルム、エルダ、ティカの三人は、木の上の羽根の発見後、その辺りの人々から目撃情報を集めた結果、何人かの住人達から「数日前に奇妙な物音がした」という情報を得ていたのである。それは、子供達の何人かが行方不明になった時間帯と、ほぼ一致していた。

「つまり、俺はこの辺りを適当にブラついていればいい、ってことだな」
「はい。そして、これはあなたと同じ旧第三地区出身の子から聞いた話なのですが、10年前に悪魔と共に現れた『黒い羊』は、遠距離から魔法のようなもので攻撃してくるらしいので、常に周囲に対しての警戒を怠らないで下さい」
「なるほどな……。でも、俺があんまり露骨に警戒しすぎていると、囮だってバレやすいんじゃないのか?」
「それはそうかもしれませんが、あなたは『油断したフリをしながら周囲を警戒する』ということが出来るほど、器用な人ではないですよね?」

 ルイスはこれまでに授業でアナベルの様子を観察しているため、彼の性格などについては、ある程度把握出来ていた。

「ま、まぁ、そうだな。正直、嘘ついたり、ごまかしたりするのは、あんまり得意じゃない……」
「だったら、全力で周囲を警戒しながら慎重に行動して下さい。どちらにしても、これまでに既に何人もの行方不明者が出ている以上、周囲を警戒すること自体は自然な行動です。そこまで怪しまれることはないでしょう。その上で、何かあったらすぐに大声を出して下さい」
「分かった。声のデカさには自信があるからな。街中に響き渡るくらいの声で叫んでやるぜ」

 アナベルはルイスにそう告げた上で、指定された区画へと向かうことにした。

 ******

 ルイスが指定した区画には、一定程度の間隔を明けた上で、従騎士達が個別に配置されている。彼等はアナベルが大声を上げた時点ですぐさま駆けつける算段であったが、いくら急いで駆けつけたところで、人間の足には限界もある以上、間に合う保証はない。

「この状況では、あなたの弓が頼りです、グレイスさん」

 この区画の中で最も高い建物の最上階において、ルイスはグレイスに対してそう告げた。彼等は現在、この位置から「アナベルの通過予定の地区」を見下ろしている。視界の広さだけを考えるなら、屋根の上に陣取った方がより幅広い区域を目視出来るのだが、敵が有翼の投影体である可能性が高い以上、屋根の上では目立ちすぎて敵に警戒されてしまう可能性がある。

(アシーナの認識が正しいとすれば、敵が現れるのはおそらく……)

 グレイスはそんな憶測を巡らせながら周囲を警戒する中、やがて自身の視界にアナベルの姿が映ると、グレイスは視線をアナベルの「真上」の空間へと向け、弓を構える。そしてアナベルの移動に合わせてゆっくりと視線を動かしていく中、やがて空間に微妙な「ゆらぎ」が発生しているのを発見した。

(そこか!)

 彼は即座に矢を放つ。すると、アナベルの頭上に「綺麗な色の翼を生やした、鎌を持つ魔物」が姿を現すが、直後にグレイスの矢がその右翼を直撃した。
+ 有翼で鎌を持つ魔物

「グハッ!」

 その叫び声に気付いたアナベルは反射的にその場から飛び退ると、魔物はそのまま彼の目の前へと落下する。

「な、なんだ、こいつ!?」

 アナベルは驚きの声を上げる中、魔物は即座に立ち上がり、アナベルを凝視する(この時点で、グレイスの地点からは射線上にアナベルが入ってしまうため、弓では狙えない状態になっていた)。これに対して、アナベルは邪紋の力を発動することで、自身の身体を半獣化させる。

「さぁ、来るなら来い、俺がこの手で……」

 彼がそう呟きながら戦闘態勢に入ろうとしたところで、横から一人の従騎士が駆け込んでくる。

「さがって下さい!」

 その声の主は、レオナルドであった。最もこの現場から近い場所に陣取っていた彼は、すぐさまアナベルと魔物の間に割って入り、自らの長剣で魔物の鎌を弾こうとする。しかし、前回の入院以降、しばらく実戦から遠ざかっていたレオナルドにはまだ「本来の握力」が戻っていなかったようで、逆に魔物が振るったその鎌によって、彼の剣が弾き飛ばされてしまう。
 アナベルはその光景を目の当たりにしたことで、この魔物の一撃が相当な威力であることをすぐに実感する。

(今の自分の体皮では、この鎌の威力は防ぎきれない……)

 そう考えたアナベルの脳裏に「自分の身体が鎌で真っ二つに切り裂かれる光景」が思い浮かび、一瞬、身体が硬直する。そんな彼に対して魔物が再び鎌を振り下ろそうとするが、今度はレオナルドが魔物に対して体当たりをかけることで、強引にその凶刃をアナベルから遠ざける。だが、その直後に魔物の鎌がレオナルドを背中から貫いた。

「うっ……」

 その刃は、レオナルドの背中から腹部へと、前回に刺された古傷の部分を抉るように貫いた。これに対して、グレイスの傍らで状況を確認していたルイスは《巻き戻しの印》を発動して刺される直前まで時間を戻すが、それでも運命を覆すことは出来ず、レオナルドはその場に倒れ込む。

「お、おい、アンタ……!」

 アナベルが絶句する中、魔物は再び鎌を構えてアナベルへと近付こうとするが、今度はそこへ、喧騒を聞いて駆けつけたアルスが現れた。

「ギルフォード流わらしべ盾術奥義!『ブラックタイガー』!!」

 彼女はそう叫びながら、魔物に対して斜めに袈裟斬りするように盾を振り下ろすことによって、その鎌を魔物の手から叩き落とし、そのまま体を回転させた上で、その盾をもう一度同じように振り下ろすと、今度は魔物の右腕に直接的に打撃を加える。

(すげぇ……、これが「従騎士」の力……)

 まだ力に目覚めたばかりのアナベルであったが、力を手に入れた今だからこそ、アルスのこの特殊な戦闘法が、長年の鍛錬の上で修得した奥義であることが分かる。
 そして次の瞬間、今度はアナベルの後方から、別の従騎士の声が聞こえた。

「危ない!」

 その声の主は、ノルマであった。彼女が盾を構えてアナベルの背後に現れたと同時に、彼女のその盾に対して、謎の衝撃波が直撃する。驚いたアナベルがその衝撃波の出現元へと目を向けると、そこには「執事服を身にまとった黒い羊のぬいぐるみのような魔物」の姿があった。
+ 執事服の羊

出典:『恋と冒険の学園TRPGエリュシオン』p.129

(気づけなかった……、この人がいなかったら、俺は背後から今の一撃を……)

 アナベルとしてもそれなりの覚悟を抱いて囮役を務めたつもりだったが、従騎士達は「何があっても生徒には危害を与えない」という、アナベル以上の強い決意の上でこの任務に臨んでいた。そして、黒羊はアナベルに対して第二射を放とうとしたが、その直前に黒羊の身体に、横から一本の突剣が突き刺さり、その一撃で黒羊は混沌の残骸となって消滅する。

「どうにか、間に合いましたか……」

 その突剣を握っていたのは、エイミーである。彼女は少し遠い場所で待機していたのだが、最初の魔物の叫び声を聞いた時点で、全力でこちらへと向かって駆け込んで来たのである。

(一撃かよ……、小型の魔物とはいえ、あんな一瞬で倒しちまうなんて……)

 今の自分と彼女達の実力の差を見せつけられたアナベルが愕然とする中、今度は別の方向から、男性の従騎士の声が聞こえる。

「おらよっ! っと」

 その掛け声と共に、エーギルが別の場所からアナベルを狙おうとしていた「別の黒羊」を長剣で叩き斬っていた。どうやら黒羊の投影体は複数体存在しているらしい。

(やっぱり、この人達、ただ者じゃない……。今の俺じゃあ、まだ「守られる側」でしかないのか……、今の俺に出来ることは、何も……)

 アナベルがそんな心境に苛まれつつある中、彼の視界に、最初に自分を庇って倒れたレオナルドの姿が映る。彼の身体からは、今もドクドクと血が流れ続けていた。

(……いや、違う! そうじゃない! 今の俺にも出来ることはある!)

 彼は内心でそう叫びながら、レオナルドの元へと駆け寄る。その突然の動きに、ノルマは一瞬、困惑する。

「アナベルさん!?」
「すまない! 少しの間、俺を守っててくれ!」

 彼はノルマに対してそう叫ぶと、懐から緊急用の医療器具を取り出し、レオナルドに対して応急手当を始める。これは、彼がニナから学んだ技術であった。

(この街を守ってくれている従騎士を、俺のせいで死なせる訳にはいかない! 絶対に!)

 アナベルが必死で治療を続ける中、ノルマは盾を構えて彼とレオナルドを守り続ける。一方、アルスと対峙していた魔物は、鎌を拾い上げた上で、アルスに対して激しい連撃を繰り返していた。

(情報を得るためには生け捕りにすべきですが、そんなことを言っている余裕はないかもしれない……、この投影体、下手したら、アビスラッシャーよりも強い、かも……)

 最初の一撃こそ綺麗に決まったものの、魔物繰り出す一撃一撃の圧力が重く、途中からは完全に防戦一方の状態となっていた。そんな中、魔物の後方から、また新たな従騎士が近付いてくる足音が聞こえる。

(この足音は、おそらく……)

 アルスはその正体に気付いた。そして、魔物の方もその音に反応して振り返ろうとしたが、アルスはその注意を引きつけるために、あえて再び大声で叫ぶ。

「ギルフォード流わらしべ盾術奥義!!!」

 その声に対して魔物は(先刻、その名乗りからの一撃で不覚を取ったこともあり)ビクッと反応し、アルスに対して改めて警戒の構えを取る。そして次の瞬間、アルスが奥義名を叫ぶよりも前に、魔物の背後に一本の突剣の先端が突き立てられた。その一撃は、魔物の体内の急所(混沌核)を一瞬にして破壊し、魔物はそのまま消滅していく。そして消えていく魔物の身体の向こう側からアルスの視界に入ってきたのは、シオンの姿であった。

「遅れてすみません、あの……」

 シオン自身、自分の一撃で魔物が消滅したことに驚いていたが、アルスは笑顔で声を掛ける。

「ありがとうございます、助かりました」
「で、でも、倒してしまって良かったのでしょうか? 魔物の拠点を探すのが目的なのに……」
「あなたが倒してくれなかったら、私が倒されていたかもしれない。これは間違いなくあなたの殊勲です。それに、まだ他にも魔物は……」

 アルスがそう答えたところで、遠方からルイスの叫び声が聞こえてくる。

「エイミーさん! そこから右手側の隣の区画に、黒い羊がいます。逃げようとしているので、そのまま殺さずに追いかけて下さい!」
「分かりました!」

 エイミーはそう答えると、すぐさま言われた方向へと向かうすると、確かにそこには、その場から走り去ろうとする黒い羊の姿があった。

(とりあえず、足は早そうですね……)

 彼女はそう判断した上で、逃げようとした黒い羊の左足に、後ろから突剣を突き刺す。すると、その一撃は程良く黒羊の足の外皮を斬り裂き、微妙に足を痛めた黒羊は、そのままよろけながらも学校の方面へと向かって走り始める。明らかに減速した黒羊に対し、エイミーは他の従騎士達とも合流した上で、余裕をもってその後を追う。
 一方、「囮」としての役目を終えたアナベルは、ひとまず止血を終えたレオナルドを担ぎながら、ノルマに護衛されつつ診療所へと向かっていくのであった。

 ******

(無茶してなければいいんだけどな……)

 孤児院近辺の哨戒を続けていたニナが、学校のある方角を見ながらそんな想いを抱いている中、隣を歩いていたセーラが彼女に声をかける。

「ねーねー、あの坂の上にいるのって、ヴァルタ、じゃない……?」

 微妙に首を傾げつつ、セーラはそう言いながら、坂の上にいる一人の人物を指差す。ニナが視線をそちらに向けると、そこにいたのは、確かにヴァルタとよく似てはいるが、装束も髪型も、何よりも性別が違う人物であった。

「あぁ、あの人は、ヴァルタさんの双子のお姉さんの、ラオリスさんですよ」

 ヴァルタとは数日前から一緒に孤児院近辺を警護していたため、セーラも覚えていたが、ラオリスとは遭遇する機会がなかったらしい。

「へー、双子かぁ。はじめて見た、かも……?」

 厳密に言えば、セーラはこのカルタキアにおける「もう一組の双子」にも会っているのだが(その片割れに関しては、そもそもセーラの同僚なのだが)、その二人が双子だということは、あまり知られていない。
 そして、二人の視線の先にいるラオリスは(彼女達から見て「坂道の上」に位置する場所で)何かを警戒するような視線で、一軒の「赤レンガの建物」を見つめていた。その様子からして、
何か手掛かりを見つけたのかもしれないと判断した二人は、ひっそりとラオリスへと近付く。

「ラオリスさん、あの建物に、何かあったんですか?」

 ニナが小声でそう問いかけると、ラオリスは頷きながら答える。

「あの建物の辺りから、ヴァルタが見つけてきた『天使の翼のような羽根』と同じ匂いがするんだ。だから、もしかして、と思って、とりあえず今は様子を伺ってる」

 その建物は、主に公衆浴場への来訪者を招き入れるために造られた、富裕層向けの高級宿泊施設である。ただ、現在はまだ開館したばかりということもあって、利用者もさほど多くはない。

「なるほど……、カルタキアの外から危険な投影体が紛れて入ってくるという可能性も、確かにありえる話でしょうからね……」

 ニナがそう答えたところで、その建物から、見覚えのある人物が出て来た。

「え? リーゼロッテさん!?」

 その声に、当人も反応する。

「ほう……、そこで張り込んでいるということは、見立ては私と同じのようだな」

 リーゼロッテはそう言いながら、三人の元へと近付いて来た。そんな彼女に対して、改めてニナが問いかける。

「今、中で何をされていたのですか?」
「行方不明になった子供達の目撃情報を確認してみたところ、この辺りで消息を絶っている子が多いようなので、この宿の来客達にも聞き込み調査をしようと思ったのだが、宿主に追い返されてしまった。外国の富裕層のための施設だから、あまりカルタキアのイメージダウンになるようなことはしてほしくないらしい」

 町興しのための公共事業として造られた温泉施設であったが、やはりカルタキアはまだまだ危険というイメージが強いため(実際、危険なのだが)、あまり繁盛してはいないらしい。そのため、宿側としても、あまり危機感を煽るような取り調べは避けてほしいと考えていた。

「観光客に危害が及んでしまっては、それこそイメージも地に落ちるぞ、と言ったのだが、取り合ってはもらえなかった。所詮、私達は『よそ者』だからな。住民の意に反してまで強制捜査出来る権限まで持ち合わせてはいない」

 それに加えて、そもそも今のリーゼロッテの中には強引に強制捜査を主張出来る程の「危険性を示す証拠」がある訳でもない以上、そこまで強く主張することも出来なかった。仮に、そこに「ラオリスの嗅覚に基づく証言」を付け足したとしても、ラオリス自身の出自が出自だけに、店主が納得するかは分からない。

「そうでしたか……。それなら、孤児院にいるソフィア様ご自身に来て頂ければ、店主の方も応じて下さるのではないでしょうか?」

 ニナはそう主張するが、それに対してラオリスが異論を唱える。

「うーん、ここはあんまり、派手に動かない方がいいと思うんだよね。ここまで痕跡が殆ど残ってないことを考えると、この『天使』は姿を消すとか、下手したら瞬間移動したりするような能力の持ち主の可能性もあるから、こちらが本気で調べようとしていると分かったら、あっさりと逃げられてしまうかも」

 ラオリスがあえて踏み込まずに、外からの観察に徹していたのも、それが理由である。実際、ここまで従騎士達が護衛するようになってから失踪者が出ていないことを考えると、相手は聖印の力を察知出来る存在なのかもしれない。ただ、既にリーゼロッテが宿泊施設の中に入った状態でも、その気配が消えていない(とラオリスが感じている)ということは、従騎士だけで乗り込んで調べるのが、今のところは最善手のように思える。
 この状況を踏まえた上で、ニナは現時点でこの近くにいる面々の顔ぶれを思い出しながら、改めて提案する。

「じゃあ……、せめて、地元のカシュさんなら、まだ話を通してもらえるのではないでしょうか? 今は孤児院で待機中だと思うので」
「ほう、幽幻の血盟の従騎士がいるのか。それなら、確かに私よりはまだ話も聞いてもらえる可能性はあるな」

 リーゼロッテがそう答えたところで、セーラが手を挙げる。

「じゃあ、セーラが呼んでくるね!」

 現状、彼女はいつもの装備を身に付けていないため、いつも以上に身軽であり、伝令役としては確かに適任だろう。

「あ、それなら、一緒にヴァルタも連れて来て。多分、もうそろそろ仮眠から起きてる筈だから」

 ラオリスはそう告げた上で、走っていくセーラを見送りつつ、いつ戦闘が起きてもいいように覚悟しつつ、改めて建物の立地と構造を確認する。

(もし、私がこの建物の中に隠れるとしたら……)

 彼女は様々な憶測を巡らせながら、もし敵と遭遇した場合は、ひとまず今は持久戦に徹して、ヴァルタが来るまでの時間を稼ごうと考えていた。

 ******

 その頃、孤児院の警備に就いていたカシュの元には、同僚のハルが訪れていた。彼はカシュに対して、一枚の書類を手渡す。

「これが、旧第三地区に住んでいた子達の一覧、ですか」
「はい。今のところ、このうち10歳以上の子達が狙われる傾向が強いみたいなので、注意して下さい」
「なるほど。了解しました」
「では、私はローゼルさんと一緒に、他の元住民の人達への注意喚起に行ってきます」
「分かりました。お気をつけて」

 そんなやり取りを交わしつつ、カシュは渡された資料を改めて確認する。実際に既に行方不明になっている子の名前が多く並ぶ中、アナベルなどの名前が入っていることにも気付きつつ、まずは、今の時点で学校に行かずに孤児院に残っている子供が含まれているかどうかを確認してみたところ、該当者の名前を一人、発見した。それは、朝の時点で一緒に縄跳びをしていた(そして3回連続で引っ掛けていた)少年、ジョニーである。
 一応、彼にも注意喚起は促しておいた方がいいかもしれないと判断したカシュは、彼の部屋へと向かう。

「ジョニーさん、入ってもいいですか?」

 扉をノックした上で、彼女はそう声をかける。すると、少し間を空けてから、彼の声が聞こえてきた。

「は……、はい!」

 明らかに少し焦ったような口調で、彼は扉を開ける。

「あ、カシュさん……。えーっと、その、な、なにか……、なにかあったんでしょうか?」

 そう語るジョニーの視線は明らかにシドロモドロであり、いつもの彼とは様子が違う。より正確に言えば、朝の時点での縄跳びをしていた時と比べても、明らかに雰囲気が変わっていた。

「別に、何かがあったという訳ではないのですが……」

 ただの言伝のつもりで来たカシュであったが、ジョニーの様子を見て、嫌な予感が脳裏に思い浮かぶ。

「……ジョニーさん、何かあったのなら、教えて下さいませんか?」
「え? いや、その、何かと言われても、別に、何も……」
「僕達は、皆さんを守るために、ここにいるんです。僕に出来ることなんて、不安に思っている皆さんの話を聞くことくらいしか出来ないですけど、でも、だからこそ、せめてそれくらいは役に立ちたいんです」

 カシュにそう言われたジョニーは、悩ましそうな表情を浮かべつつ、下を向きながら、ボソボソと呟き始める。

「そうだよね……、セーラは僕のことを信用して剣まで預けてくれてるんだから、僕だって、従騎士の人達を信用すべきだよね……」

 彼はそこまで言ったところで、カシュを部屋に入れた上で、扉を閉める。そして周囲をキョロキョロと確認しながら、ゆっくりとカシュに語り始めた。

「実は、さっき……、変な声が聞こえたんだ……」
「変な声?」
「誰なのかは分からないけど、男の声だった。それで、このことは絶対に誰にも話しちゃダメだって言われたんだけど……」

 ジョニーは口籠りながら、小声で呟くように語り始める。

「……悪魔から守ってくれるって、言われたんだ」
「守る?」
「どういうことなんだか、よく分からない。ただ、いなくなっちゃったみんなも、その人が『特別な場所』で悪魔から守ってる、って言ってた」
「特別な場所……?」
「それがどこかは分からないけど、とりあえず、孤児院の裏口から坂を登って行った先にある、赤レンガの建物の前に来るように、って言われた。ただ、そこは入口が狭くて、一人ずつしか入れないって。それで、皆に知らせると混乱するから、一人ずつ順番に声をかけてるんだって……」

 そう語るジョニーの声色からは、徐々に恐怖の色合いが強くなっていく。

「……もし、このことが知れ渡ったら、街中がパニックになるから、そうなったら、みんなが助からなくなるから、僕一人が誰かに漏らすだけで、みんなが死んじゃうかもしれない、って言われたんだけど、でも、やっぱり……」

 ジョニーは不安と狼狽で声を震わせながらも、部屋の隅に置いてあるセーラの剣に視線を向けながら、本音を打ち明ける。

「……どこの誰かも分からないような声よりも、僕達に一日中寄り添ってくれたり、大切な剣を預けてくれるような人達のことを信じたい、って思ったから」

 そこまで言い切ったところで、カシュはジョニーの手をぎゅっと握り締める。

「ありがとうございます。僕達を信じてくれたこと、絶対に後悔はさせません」

 カシュがそう告げたところで、唐突に扉がバタンと開き、セーラが現れる。

「あ、いたいた! カシュ、ちょっとお願いが……、って、あれ? ジョニー、どうしたの?」

 二人が重々しい表情を浮かべている様子を見て、セーラはきょとんとした表情を浮かべる。そんな彼女の無邪気な様子を見て、ジョニーの表情には再び笑顔が戻るのであった。

 ******

 その後、孤児院の控室にて、セーラはカシュとヴァルタに一通りの事情を説明する(その傍らでは、ソフィアとエイシスも話を聞いている)。

「なるほど。そういうことなら、確かにカシュさんにソフィアさんの名代として交渉してもらうのが適任でしょうね。そもそも僕や姉さんはあくまでただの海賊ですから、上流階級の人達を相手に交渉するのには向いていないし、聖印教会の人達も、それはそれで相手によっては衝突が起きるかもしれませんし」

 ヴァルタは納得したような表情でそう語るが、カシュはやや戸惑う。

「え……、ぼ、僕がソフィア様の名代、ですか……?」

 さすがに、カシュにとっては荷が重すぎる立場のように思えたようで、明らかに彼女は困惑した顔を浮かべる。
 そんな中、この場に別の従騎士が姿を現した。

「私が行きます。相手が『天使』なのだとしたら、これは私がやらなければならないことです」

 アシーナである。本部の管理はラルフに任せた上で、彼女もまたこの施設に来ていた。そして、どうやら今のセーラの話も(おそらくは偶然)立ち聞きしていたようである。

「カシュさんには、ここで子供達の心のケアをお願いします。それは、あなたにしか出来ないことですから」
「分かりました。あの、それで、実はさっき、ジョニーさんから聞いたんですけど……」

 カシュは彼の証言をそのまま伝える。彼が「謎の声」から聞いたという「坂の上の赤レンガの建物」とは、ほぼ間違いなく、件の高級宿泊施設のことだろう。

「どうやら、姉さん達の見立て通り、その施設が怪しいみたいですね」

 ヴァルタはそう呟く。実際、ここまでの状況証拠が揃えば、強制捜査へと踏み切ることをためらう必要はない。

「じゃあ、いますぐ行こー!」

 セーラがそう言って意気込む一方で、アシーナは静かに怒りに身体を震わせていた。

(それが、あなた達のやり方なんですね……)

 アシーナは改めて、緑の腕章を軽く握りしめる。そんな彼女達の傍らで、黙って話を聞いていたソフィアが声をかける。

「話は了解した。その上で、我等は引き続き、二人でこの孤児院を守れば良いのか? それとも、どちらかは同行すべきか?」

 ラオリスは「ソフィアが来ると犯人が逃げるかもしれない」と言っていたが、それはあくまでソフィアが正面から現れた場合の話であり、非常時に備えて建物の近くで待機する分には、そこまで警戒される可能性も低いだろう(相手がどこまでの範囲で「聖印の力」を察知出来るのかにもよるが)。
 ただ、誘拐犯が何人いるかも分からない以上、ソフィアとエイシスのどちらかには、孤児院に残っている方が望ましい。ここで、ヴァルタは思案を巡らせる。

(ソフィアさんもエイシスさんも、基本的には仲間を支援する聖印の持ち主。ただ、エイシスさんの聖印は治癒能力が高いから、子供や民間人に怪我人が出そうになった時の対応力は高いし、いざとなったら自力で戦うことも出来るので、即座の戦闘になった時の選択肢は広い。一方で、ソフィアさんの《瞬換の印》があれば、あらゆる事態において一瞬で状況を好転出来る……)

 今の戦力と状況を踏まえた上で、どちらが得策かを考えた結果、ヴァルタは結論を出す。

「では、ソフィアさんに御同行をお願いします。エイシスさんは、引き続き、孤児院の子供達を守って下さい」
「うむ、相分かった」
「それでは皆さん、お気をつけて」

 こうして、ヴァルタ、セーラ、アシーナ、ソフィアの四人は、赤レンガの高級宿泊施設へと向かうことになった。

 ******

 ヴァルタ達が戻って来るまでの間、特に大きな動きはなく、やがて無事に七人は合流を果たす。そして改めて状況を確認した上で、アシーナとリーゼロッテが宿内へと乗り込み、ニナ、セーラ、ラオリス、ヴァルタ、ソフィアの五人は、容疑者の逃亡に備えて外で待機することになった。

「一応、確認しておきたんだが、もし仮に、この中に『天使の投影体』がいるのを発見したとしても、最初は対話を通じて情報を聞き出す、という方針でいいんだな?」

 リーゼロッテがそう問いかけると、アシーナは微妙な表情を浮かべながら答える。

「はい。状況次第では最初から戦闘になることも避けられないでしょうが、一般的には『天使』は『悪魔』とは敵対関係にある可能性が高いので、交渉次第では、彼等にとっての『敵』である悪魔の情報は、何か得られるかもしれません。場合によっては、極稀に、ですが、友好的な投影体の可能性もありますから」

 実際、10年前には「天使に助けられた」という証言をフォリアが得ている。しかし、アシーナの声のトーンからは、あまりその可能性を期待しているような印象は得られなかった。

「そうだな。友好的な投影体ならば、こちらから手を出す必要はない。むやみに殺すよりも、情報を得る方が有用だ」

 リーゼロッテは淡々とそう語る。その認識は、君主としての一般論としてはおそらく正しい。聖印教会の中でも、比較的穏健派が多い星屑十字軍の中では、さほど珍しい考え方でもないだろう。人によっては、「浄化する」ではなく「殺す」という表現を用いていることに違和感を感じる者もいるかもしれないが、この時点でその言い回しについて特に言及する者はいなかった。

「では、行きましょう」

 アシーナがそう告げると、二人は宿屋の中に入っていく。店頭にいた従業員が接客しようとしたところで、アシーナは神妙な表情を浮かべながら、静かに声をかけた。

「御用改めです。宿主の方を呼んで下さい」

 その要求に対し、すぐさま宿主が呼び出され、素直に宿帳を提示する。やはり、カルタキアの公共事業の担当者にとっては、領主直属の従騎士達の言葉は重いらしい。
 二人は宿泊客の名簿に記されているチェックインの時期などを調べつつ、店主に、それぞれの客に怪しい動きが無いかどうかを確認していく。そんな中、リーゼロッテは一人の人名を見た時点で、奇妙な違和感を感じる。それは、最初の失踪事件の数日前から宿泊している「アロンヌの地方貴族」という肩書の男性の名であった。

「……すまない、私は貴族の家名などには詳しくないのだが、『このような名前』は、アロンヌでは一般的なのか?」

 リーゼロッテが怪訝そうな表情を浮かべながら、アシーナにそう問いかけると、アシーナもその名前に対しては眉をひそめる。

「これは……、どちらかと言えばアロンヌよりも、むしろファーガルドやメディニアの辺りに多そうな響きですが、それよりも私には……」

 アシーナは少し迷いながら、小声で呟く。

「……異世界人の名前のような響きに聞こえます」
「同感だ」

 なぜそう思ったのか、という点については二人とも語らぬまま(そして、互いに追求もせぬまま)、まずはこの宿泊客の素性から確認してみよう、という方針で見解は一致する。そして、部屋番号を確認した上で、ひとまずリーゼロッテが外にいる面々にこの情報を告げに行った。

 ******

「二階の203号室ってことは、多分、あそこだよね」

 ラオリスはリーゼロッテの話を聞いた上で、外から見える二階の窓のうちの一つを指差した。それを聞いたリーゼロッテは、館内の見取り図を思い出しながら答える。

「そうだな……、確かにあの窓の辺りだと思うが……、それが分かったということは、例の『匂い』もそこから漂っている、ということか?」
「ううん、そこまでは分からない。ただ、もし犯人が空を飛べるとしたら、多分、あの部屋が角度的に一番逃げやすいんじゃないかと思ってね」
「なるほど、そこまで考えているとしたら、少々厄介だな」
「でも、逆に言えばそれは、瞬間移動とかが出来る魔物じゃない、ってことでもあるから、むしろ対応はしやすいよ。とりあえず、『あの木』に登れば、部屋の中は確認出来ると思う」

 そう言ってラオリスは、その窓の近くにある大木を示す。おそらく、彼女ならばあっさりと登ることも出来るのだろう。
 一方、ヴァルタはその話を聞いた上で、ソフィアに問いかけた。

「兵舎横の第四倉庫にある『台車付きのアレ』を借りてもいいですか?」
「おぉ、なるほどな。確かに、この状況なら、それが一番確実だろう。とりあえず、誰か伝令に走ってくれぬか?」

 ソフィアがその場にいる面々にそう伝えると、セーラが手を挙げかけて、一瞬、止まる。

「えーっと、第四倉庫って、どこだっけ?」

 この地に来てまだ日が浅いセーラは、はっきりと地理関係が把握出来ていないらしい。そんな彼女に代わって、ニナが手を挙げる。

「私が行きます。それで、何を取ってくれば良いのでしょう?」
「取ってくるというよりは、担当者に声をかけてくれればいい。さすがに、一人で持ち運べるものではないからな」

 ソフィアはニナに詳細を伝えると、彼女はすぐさま倉庫へと向かって走り出すのであった。

 ******

 それからしばらくして、リーゼロッテは宿泊施設の中へと戻り、アシーナと共に二階の203号室へと向かう。そして、アシーナは扉をノックしながら、中の住人に対して問いかけた。

「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト様、私はカルタキア領主ソフィア・バルカ様の従属君主アシーナ・マルティネスと申します。現在、この近辺にて発生している不審な事件についての目撃情報を収集中ですので、捜査にご協力頂けないでしょうか?」

 その申し出に対して、少し間を空けた後、ゆっくりと扉が開かれ、その中からは一人の金髪の美青年が姿を現す。

「これはこれは、領主様の直属の君主様がいらっしゃるとは。ただの一介の異邦人にすぎない私ごときに協力出来ることがあれば、何なりと応じたいと思っておりますが……、どのような事件なのでしょうか?」
「最近、この辺りの子供達が次々と失踪しているのです。主に孤児院の子供達が」
「ほう、それは大変な事態ですね。犯人の目星はついているのですか?」
「……とりあえず、天使と悪魔の投影体が関わっているらしい、ということころまでは」

 アシーナがそう答えると、その青年は二人の表情を確認し、何かを悟ったような顔をして、そのまま二人を客室の中へと招き入れた。部屋の床には豪華なカーペットが敷かれており、座り心地の良さそうな椅子や、寝心地の良さそうな寝具など、高級客室としての条件が一通り揃っている。おそらく、この施設の中でも「一番いい部屋」の一つなのだろう。
 二人は部屋の中に何かが潜んでいないかと見渡すが、リーゼロッテには特に怪しげなものは見当たらない、一方、アシーナは足元のカーペットを見ながら、内心で密かに呟く。

(これは……)

 だが、あえてここでは何も言わずに、ひとまず目の前の青年の話を聞くことにした。

「さて、既にある程度までお察しのようですが、もしかしたら肝心な部分に関して重要な誤解があるかもしれないので、ここは隠し事なく、全てをお話致しましょう」

 青年は二人にそう告げると同時に、その姿を変容させていく。短めの金髪は白銀の長髪へと変わり、背中には大きな白鳥のような翼が現れ、その装束は純白の鎧へと変容する。その姿はまさに、一般的にイメージされるところの「天使」そのものであった。
+ 天使

「私は『天界』の住人。おそらく、あなた方が仰るところの『天使』とは、私のことでしょう。そして、今の時点で行方知れずとなっている子供達の大半を攫っているのは、おそらく我らの宿敵である『冥界』の『悪魔』です」

 あっさりとそう言ってのけた「天使」に対して、リーゼロッテが問いかける。

「その言い方からすると、お前達は今回の事件とは無関係ということなのか?」
「いえ、関係していることは事実です。というのも、悪魔に狙われていた子供達の何人かは、この私が匿っている状態なのです」
「ほう?」
「おそらく悪魔達は、この街に『冥界のゲート』という名の異空間を作り、その中に子供達を閉じ込めて、その魂を喰らおうとしています。しかし、今のこの町の中にはもう一つ、私の手によって生み出した『天界のゲート』があります。この『天界のゲート』がある限り、『冥界のゲート』の力は半減され、子供達の魂も食らい付くされることはありません。そして、現時点で悪魔に狙われそうな子供達の何割かは『天界のゲート』の中で保護している、という訳です」

 いきなり長々とした説明を施されたリーゼロッテであったが、その言葉の真偽の判断はアシーナに任せた上で、ひとまず相手の言い分を一通り聞き出すことにした。

「その『天界のゲート』は、どこにある?」
「残念ですが、今はまだ教えることは出来ません」
「なぜだ?」
「あなた方の中には、善悪を問わず、異界からの来訪者を全て殲滅しようとする者達がいる、と伺っています。あなた達がそうではないと確信出来るまでは、こちらも手の内を全て見せる訳にはいきません。今まで正体を隠していたのも、そういった野蛮な人々から身を守るためです」

 実際、それはまさにリーゼロッテが所属している星屑十字軍内の一部の者達のことなのだが、その点についてはひとまず触れずに、リーゼロッテは話の主軸を変える。

「お前達の目的は何だ? 子供達を守ること自体が目的なのか?」
「我々は悪しき悪魔を滅することが目的です。当然、無垢な子供達を悪魔の毒牙から守ることも、その目的の一環、ということになります」
「では、悪魔達の目的が何なのか、知っているのか? なぜこの街の子供達が狙われる?」
「この世界の方々に説明して分かってもらえるかどうかは分かりませんが……、我々天使や悪魔の力を浴びた者には『アウル』と呼ばれる力が宿ることがあります。特に、幼少期にその影響を受けた者ほど、強力なアウルが宿る可能性が高い。そして、強いアウルの持ち主の魂ほど、悪魔にとっては美味なのです」

 そこまでの話を聞いた上で、リーゼロッテはフォリア達の調査で聞いた話を思い出す。

「なるほど。それで、10年前の混沌災害の時にお前達の力を浴びた『当時の幼児だった者達』の魂を喰らおうとしている、ということか」
「はい、その通りです。私としても、我々の戦いの巻き添えで子供が犠牲になるのは忍びないので、ぜひとも皆さんの手で、冥界のゲートを破壊してほしい。そのために私に協力出来ることがあるなら、何なりとお申し出下さい」

 天使がそこまで語ったところで、ずっと黙って話を聞いていたアシーナが口を開く。

「……結局、あなた達は皆、同じなのですね。そうやって、人間の味方のフリをして、自らの敵を滅ぼすために、人間を利用し続ける」

 明らかに今までとトーンが異なるその言葉に、リーゼロッテはやや面食らい、そして「天使」は苦笑を浮かべる。

「おや? まだ私のことを疑っているのですか? どうすれば、私が言っていることが真実だと、信じてもらえます?」
「あなたが本当のことを話すなら、もちろん信じますよ」
「本当のことですとも。悪魔は『冥界のゲート』を通じて子供達の魂を喰らおうとしている。それを止めるために、私は『天界のゲート』の中で子供達を匿っている。『天界のゲート』に中にいる限り、子供達の魂は守られる。これは紛れもない事実です」
「百歩譲って、それらが事実だとしても、それらは真実の断片でしかない」
「……どういうことです?」
「『天界のゲート』の中にいる子供達は、確かに『魂』は失わない。しかし、『感情』は失われる。そうですよね?」

 アシーナがそう言い放ったところで、天使の表情が一変する。

「おやおや、そこまで事情を理解している者が、まさかこの世界にようとは……」

 彼は不敵な笑みを浮かべながら、アシーナの「緑の腕章」に視線を向ける。

「……そうか、『あの組織』の者か。なるほど、この世界においても我等の前に立ちはだかるか、撃退士(ブレイカー)!」

 唐突に天使は叫び声を上げると同時に、天使はその手から衝撃波のようなものを放とうとする。しかし、次の瞬間、彼の視界が一変した。

「なに!? これは……」

 たった今まで宿屋の部屋の中にいた筈の彼が、一瞬にして、鉄格子の中に閉じ込められていた。その鉄格子の先には、ヴァルタとセーラの姿がある。

「何をしても無駄ですよ。その檻は、全ての混沌の力を遮断します」
「それに、ふつーの武器では壊せないくらい、がんじょーだからね」

 現在、天使が閉じ込められているのは、ニナの伝言を受けて運ばれてきた「魔獣の捕獲用に造られた可動型の鉄檻」(イナゴ騒動の時の鄧茂の捕獲の際に使用された代物)である。ラオリスと共に木の上から部屋の様子を遠眼鏡で見ていたソフィアが、「あらかじめ檻の中に入っていたニナ」と「彼」を、《瞬間の印》で入れ替えたのであった。
 やがて、木の上から降りてきたラオリスとソフィアもその場に現れる。

「悪いことするなら、カーテンは閉めとかなきゃダメだよ」

 得意気にそう語るラオリスに続いて、ソフィアもまた天使に声をかける。

「ごきげんよう、モーツァルト卿。さぁ、我等の質問に答えてもらおうか」

 ******

 一方、天使が消えた部屋の中では、アシーナとリーゼロッテの前に「先刻まで檻の中にいたニナ」が現れていた。

「え、えーっと、今、どういう状況だったんですか?」

 事前に作戦は聞かされていたものの、部屋の中で何が起きていたのかまでは知る由もないニナは、さすがに困惑していた。そんな彼女に対して、リーゼロッテが簡単に状況を説明する。

「とりあえず、この部屋の中にいた者が天使だった。そして、奴が子供を攫って、『天界のゲート』とやらに閉じ込めているらしい、ということだ」

 そう説明しながらも、リーゼロッテ自身もまだ腑に落ちないことが多い。

「マルティネス殿、天界のゲートにいる子供達は感情を奪われる、と言っていたが、それはどういうことだ?」
「その言葉の通りです。放っておけば、どんどん無気力な状態になっていき、最終的に全ての感情を奪われてしまった人間は、天使達の下僕を作るための材料とされてしまいます。結局のところ、悪魔が魂を奪う行為と、本質的には大差ありません」

 つまり、10年前に天使が悪魔から人間を守っていたというのも「自分の得物を奪われたくなかったから」というだけにすぎない、というのがアシーナの見解である。

「だとしたら、一刻も早く助け出さなければ! 今すぐ奴を尋問して……」
「いえ、その必要はないです。もう目星はついてますから」

 アシーナはそう告げると、足元のカーペットを指差す。そして、リーゼロッテとニナにそのカーペットの上から退くように指示した上でカーペットを引き剥がすと、そこから不気味な「空間への扉」のようなものが出現した。
+ 異空間への扉

「やはり、ここでしたね」
「これが天界のゲート、なのか?」
「はい。間違いありません。この部屋に入った時から、そんな予感はしていました」

 淡々とそう語るアシーナに対して、リーゼロッテは、なぜ彼女がそれを察知出来たのかが気になってはいたが、ひとまず今は口を噤む。

(人にはそれぞれ、話せないこともあるのだろう……)

 リーゼロッテが自分自身のことを思い返しながら黙っていると、アシーナは話を続ける。

「とりあえず、私が今からこの中に入って、子供達を探して来ます。お二人は、誰かが部屋に入ってきた時に備えて、ひとまずここで待機していて下さい」

 アシーナの想定が間違っていなければ、このゲートの中は「ある特殊な力を持った人間」以外が入ると、心身に変調を与える可能性がある。アシーナとしては、たとえ君主であっても、自分以外の人間がこのゲートの中に入って平気でいられるという確信が持てなかったため、これが一番確実な作戦だと考えていた。
 しかし、これに対してニナが異論を唱える。

「私も、一緒に同行させてはもらえませんか? 孤児院や学校の子供達の識別という意味でも、私がいればお役に立てると思うのですが」

 実際、捕らえられている子供達の状況次第では、彼等と親交の深いニナがいてくれた方が良いかもしれない。アシーナは少し迷った上で、首を縦に振る。

「分かりました。ただ、もし精神や身体に異変が起きたと判断したら、すぐに言って下さいね」

 こうして、リーゼロッテに見守られながら、二人はそれぞれの聖印を掲げつつ、「天界のゲート」の中へと踏み込んでいく。この時、アシーナの「背中」に出現した聖印は、いつもとは微妙に異なる輝きを放っているようにも見えたが、アシーナ自身にはその輝きは見えてはいなかった。

 ******

 「ゲート」の内側は、不気味な瘴気が漂う迷宮のような構造となっていた。

(何度来ても、好きにはなれませんね、この空間は……)

 アシーナはそう呟きつつ、隣りにいるニナを心配そうに見つめる。ニナもまた、その瘴気を受けて不快そうな表情を浮かべていた。

「苦しいですか?」
「あ、いえ、確かにイヤな気配のする空間ですけど、今のところは問題ないです」

 どうやら、聖印の力があればゲートがもたらす影響を無効化出来るらしい。やはり、どんな異界の力であっても、この世界においては全て「混沌」の産物である以上、混沌の力を封じる聖印の力は、この空間の中でも有効のようである。

(だからこそ、聖印の持ち主が警備に就いたことで、天使も悪魔も動きが止まった、ということなのですね)

 アシーナはひとまず納得しつつ、ニナと共にゲートの中を歩き回っていく。すると、途中でニナが「何か」に気付いたような反応を見せる。

「あちらの方から、人の気配がしませんか……?」

 彼女が指差した方向へと向かうと、そこには、何人もの子供達が倒れていた。それは、いずれも孤児院の子供達である。

「皆さん! 大丈夫ですか!?」

 ニナは反射的に彼等に向かって駆け寄っていき、彼等の様相を確かめる。いずれも呼吸や脈拍は正常な状態のようだが、起きているのか眠っているのかも分からないまま、うつろな表情を浮かべながら虚空を見ている状態であった。
 アシーナはその光景を見て、改めて怒りに打ち震えつつも、冷静さを失わぬよう、ひと呼吸入れてから、ニナに声をかける。

「今すぐ、ゲートの外に連れ出しましょう。一度に全員は運べませんから、まずは私達で一人ずつ連れて外に出た上で、ニナさんはソフィア様達のところへ行って、応援を連れて来て下さい」
「分かりました」

 こうして、二人はひとまず症状の重そうな子を一人ずつ抱えた状態で、このゲートの外へと戻ることにしたのであった。

 ******

 その後、他の従騎士達とも協力し、ゲートの中と外の往復を何度か繰り返すことで、最終的には全ての子供達の救出に成功する。

「あとは、このゲートを浄化してしまえば良いのですが……、さっき天使が言っていたように、おそらくこの街にはもう一つ、『冥界のゲート』が存在します。それぞれのゲートは相反する力を有しているため、おそらく、このゲートを壊してしまうと、冥界のゲートの方の力が強大化する可能性があるのです」

 アシーナがそう告げたところで、リーゼロッテが口を開く。

「つまり、そちらのゲートの中にも子供達が捕らえられているなら、まずは彼等を解放してからでなければ、このゲートは浄化出来ない、ということか」
「はい。そうしなければ、そちら側のゲートの中にいる子供達の魂が完全に失われてしまうかもしれません。ですから、まずは冥界のゲートの位置を探さないと……」

 彼女達がそんな話をしているところに、一人の従騎士が駆け込んで来た。それは、学校側の状況を伝えるために、伝令役として駆け込んできたジルベルトであった。

「アシーナ! 悪魔に捕まってた子供達、見つけたぜ!」

 ******

 ここで、少し時は遡る。
 エイミーに負傷させられた黒羊は、血を流しながら必死で壁をよじ登り、そのまま校舎の建物へと向かうと、今度はその校舎の壁をよじ登り始めた。
 後を追っていた従騎士達が後方からその様子を凝視する中、やがて黒羊は学校の屋上へと辿り着き、そして、屋上の「床」に相当する石畳の一部を外すと、そこには(上述の「天界のゲート」と形状の)「冥界のゲート」が現れる。

「なるほどね。そこが君達の隠れ家だった、という訳か」

 そう言って黒羊の前に現れたのは、レオノールであった。彼は学校近辺の全体の状況を確認出来るよう、屋上に潜んでいたのである。その姿を見た黒羊が慌ててゲートの中へと飛び込むと、レオノールもまたその後を追って異空間の中へと入り込む。
 その内側の構造は天界のゲートと似通っており、レオノールにとっては当然、初めて足を踏み入れる魔境であったが、彼はその中を慎重に踏破していった結果、悪魔に捕らえられていた(魂を奪われかけていた)子供達の姿を発見し、一旦外に出て学校の近くにいた従騎士達を呼び寄せた上で、無事に解放に成功したのである。

 ******

「……っていう訳だ。お前が『壊すな』って言ってたから、今はまだ浄化は控えてるけどな」

 数刻前、ジルベルトが領主の館から学校へと向かう時に、アシーナは彼に「もし、異空間を発見したとしても、浄化はしばらく控えてほしい」という旨を伝えていた(つまり、アシーナはその時点から、この「二つのゲート」の混在の可能性に気付いていた)のである。

「救出した子供達の名前は、分かりますか?」
「あぁ。学校の先生達に確認してもらった。これがその一覧だ。まだ他にも行方不明の子供達はいるって言ってたけど……」

 ジルベルトはそう言って、一枚の紙をアシーナに手渡す。その上で、彼はアシーナ達の近くにいる子供達を見て、概ねこちら側の状況も理解した。

「……どうやら、そっちも上手いことやったようだな」
「えぇ。とりあえず、これで全員かどうか、今から確認します。ニナさん、この子達の名前、全員分かりますか?」
「はい!」

 ニナはそう答えた上で、この場にいる子供達の名前を一人ずつ告げ、そしてアシーナが行方不明者の一覧と照らし合わせていく。

「……間違いないですね。全員、無事に救出完了です」

 アシーナがそう宣言すると、その場にいる者達は歓喜の声を上げる。

「ということで、今すぐソフィア様に、この忌まわしいゲートの浄化をお願いしましょう。ジルベルトさん、今来てもらったところで立て続けに悪いですが、学校に戻って、レオノール様に『そちら側のゲート』の浄化をお願いして下さい」
「あぁ、分かった!」

 ジルベルトはそう答えると、再び学校へと走って戻って行くのであった。

 ******

 その後、二つのゲートは無事に浄化され、この事件は終幕を迎えることになった。学校の屋上に出現していた「冥界のゲート」に囚われていた子供達は、発見時点ではまさに魂が抜けたような放心状態となっていたが、ゲートを浄化した瞬間、即座に意識を取り戻すことになる。彼等はいずれも、学校の帰りに突然悪魔に襲われ、ゲートの中へと連れ去られていたらしい。
 一方、「天界のゲート」に囚われていた子供達は、ゲートを浄化した後もまだ無気力・無表情な状態が続いていたが、こちらはエイシスの聖印の力によって、どうにか少しずつ気力を取り戻していくことになる。彼等は、相次ぐ友人達の失踪で不安に思っていたところに「庇護の手」を差し出してきた天使の声を信じて、彼について行ってしまったらしい(天使の自白によれば、自分と子供の姿を消した上で、窓から部屋へと連れ込んだ、とのことである)。
 そして、檻に捕らえられた天使は、当初は黙秘を続けていたが、これ以上抵抗しても無駄だと理解した時点で、ソフィアによる尋問に応じることになり、その結果、様々な事実が発覚することになった(ちなみに「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」とはただの偽名あり、元は異世界における著名な音楽家の名前らしい)。
 まず、この天使の本来の出身世界は「天界」だが、この世界に出現する投影される直前の時点での彼は、彼等の天界と密接に繋がっている「(数多の並行世界が存在する)地球(の一つ)」の「人間の子供が通う学校」に潜伏していたらしい。そこから、この世界に「その学校ごと」投影された、というのが彼の認識である(なお、彼自身は過去にもこの世界に投影されたことがあるため、投影という現象についてもある程度は理解している)。
 その学校の名は「久遠ヶ原学園」。一つの小さな島全体を覆い尽くす巨大な教育機関であり、現在はその「島」ごと、カルタキアの沖合に投影されているという。ただ、なぜかその学園内の人間は一切投影されず、彼のような「天使」と(彼等と同様に人間を襲うために潜伏していた)悪魔だけが投影されているらしい。その上で、天使も悪魔も彼等にとってのエネルギー源である「アウル」を手に入れるため、それぞれにカルタキアの子供達を攫おうとした、とのことである。
 彼の証言によれば、まだ多くの天使や悪魔がその「投影島(投影学園)」の中には潜んでいるらしいので、放っておけばいつまた襲撃が起きるか分からない以上、早急に調査隊を出す必要があるだろう。ただ、その学園内の状況に関しては、この天使(自称「モーツァルト」)が詳細な証言を提供しており、魔境全体の混沌核と思しき場所の位置まで正確に伝えてくれているので、彼の言葉が真実ならば、調査無しでいきなり浄化作戦を仕掛けても問題なさそうである。

「とはいえ、一応、確認のための調査隊は出した方が安全だろうな」

 ソフィアはそう判断した上で、ひとまずはその島の位置を確認しつつ、小規模の調査隊を派遣することを決定する。
 ちなみに、今回の事件を通じて唯一の負傷者となったレオナルドは、彼によって助けられたアナベルの適切な応急手当の甲斐もあって、無事に一命を取り留めたようである。

☆合計達成値:313/100
 →次回「魔境探索クエスト(AQ)」発生確定、その達成値に106点加算

DG「演芸場の開設」


 カルタキアに新たに築かれた演芸場は、初日公演の後、相次ぐ豪雨によって休演を余儀なくされ、会場そのもののにも損害を与えることになってしまったが、多くの市民達の尽力によって、どうにか早期の復興を成し遂げることになった。
 そして、その間に(実質的な支配人代行である)金剛不壊のラマンの元には、本国から「援軍」が到着する。
+ ラマン

「お久しぶりです、ラマン提督」

 彼等は、かつてラマン達によって助けられたハルーシアの管弦楽団であった(港町コンチェルト1参照)。当初のラマンの計画では、彼等に初日公演のオープニングアクトを依頼する予定だったのだが、諸々の事情で予定が合わずに先延ばしとなってしまい、ようやくこのタイミングで来訪が実現したのである。
 一方、カルタキアの孤児院の子供達は、以前にエミリーやリューヌに聞かされた「秘密結社の魔境」での彼女達の武勇伝を舞台化しようとする動きが進んでいた。各自がそれぞれにアルスやミョニムやアイザック仮面に扮する中、日頃はあまりこういった企画には興味を示さない優等生のシーマも、なぜか今回は積極的に参加の意を示していた。彼女は白衣に身を包み、眼鏡をかけ、横髪を編み込んだポニーテールの姿で学友達の前に現れる。

「おいおい、なんだよシーマ、その格好?」
「……Dr.ワイズマンです」
「いや、その髪型と眼鏡、どう見てもワイス先生じゃん」
「いいんです! これが私のイメージする『理想のDr.ワイズマン』なんです!」

 シーマはDr.ワイズマンの正体を知らない。だが、彼女の中でのイメージが、なぜかいつの間にか尊敬するワイスと重なってしまっていたらしい(と言っても、元々の瞳と肌と髪の色が異なるため、かなり印象は異なるのだが)。
 そんな子供達の様子をラマンが微笑ましく眺めていると、彼の視線の先に、一人の見慣れない「眼鏡をかけた男性」の姿が映る。その男の装束からして、あきらかに投影体、そしておそらくは地球人であろうことは推測出来た。現在のカルタキアには多くの地球人の演奏家が来訪しており、地球人自体は珍しい存在ではない。だが、ラマンは直感的に、その投影体が「強大な混沌核の持ち主」であることを察する。

(この気配……、明らかに魔境一つ分、いや、それ以上の……)

 ラマンが警戒する視線を向ける中、その男は子供達を眺めながらニヤリと笑いつつ、一瞬にして姿を消す。

(もしや、今の男こそ、「彼女」が言っていた、あの……)

 ラマンがやや険しい表情を浮かべる中、近くを通りかかった劇場の職員が、彼に声をかける。

「……あの、ラマン様、どうかなさいましたか?」
「あ、いや、なんでもない。そちらは、何かあったのか?」
「はい。新たな出演希望者として、二人組の少年が来訪しました。聖印の力を用いた『光の芸術家』と自称しているのですが……、どうしましょう?」
「ほう……、とりあえず、話を聞いてみようか」

 ラマンはそう答えつつ、先刻の「謎の男」のことが心に引っかかった状態のまま、その職員と共にその場を後にする。

 ******

 その後、カルタキアの演芸場では、来訪者と地元民がそれぞれに様々な演目を日々披露するのが定番となり、日々の生活に疲れた人々の心を満たす空間として、街全体の活気の回復に貢献することになる。無論、最近になって魔境が次々と浄化され、安心して娯楽を楽しめる雰囲気が浸透していたこともまた、この成功をもたらした大きな要因であることは言うまでもない。
 なお、ラマン自身も時には演者として様々な演目に出演することで、会場を大いに盛り上げることになる。楽器も、歌も、剣舞も、演技も、あらゆる芸事に通じたハルーシアの文化人としての彼の才能は、この荒んだ土地の人々に大きな潤いを与えることに繋がったようである。

☆合計達成値:347(347[加算分]+0[今回分])/120
 →生活レベル1上昇、次回の「拠点防衛クエスト(CH)」に113点加算

EA「スタイルの確立」

 ある日の早朝、第六投石船団の イーヴォ は、日課の修練に励んでいた。

「……ずいぶんここでの生活も慣れてきたな、最初は暑くて暑くてしょうがなかったのに」

 彼は無駄のない所作で矢をとり、引き絞る。彼の愛用の弓は、矢を引き絞るのに大した腕力を要さない。一呼吸して、目標に狙いを定め、放つ。このサイクルを幾度となく行ってきた。

「最初、生まれ故郷から出ていくとき、ちょっとだけ怖かったな……」

 イーヴォの故郷は、このカルタキアから遠く離れた北国であり、常に諸勢力間の戦乱に明け暮れ、治安も悪く、とても良好な社会とはいえない。そんな土地でも、彼にとっては「故郷」である以上、離れる時には特別な感慨があったらしい。

「一人で知らない国に行って、それで、また戦うんだ、って」

 彼自身、子供の頃から少年兵として戦場に立ち続けてきた身であり、殺し合いには慣れている。しかし、慣れることと受け入れることは必ずしも一致しない。どれだけ長く戦場に身を置いても、戦いそのものを忌避する心は、そう簡単に払拭出来るものではない。

「他人を殺さなくて良いって知ったときは少し驚いたっけ……」

 カルタキアでの戦いは、基本的には「人間を苦しめる混沌との戦い」である。これまで、自分自身の矢で、自分と同じ生身の人間ばかり撃ち抜いてきた彼にとって、それは、自分自身の存在意義に関わる大きなパラダイムシフトでもあった。
 彼は溜息をついた上で、また矢を構える。

「カルタキアに来てからは、この一矢が誰かの人生を終わらせるためのものじゃない、って思えた」

 彼がそう呟きながら次に矢を構えると、弓を握る方の手の聖印が青く輝きだし、その光は新たな意匠を描き出す。それはまるで、彼の行く先を暗示するかのように狙うべき目標を示した「羅針盤」の形状を形作っていた。

「……! 聖印が光って…いつもより集中できてる……!」

 それは、彼の聖印に「アーチャー」としての力が宿った瞬間であった。そして、彼の君主としての第一歩は今日、この日から始まることになる。
 彼はこの一矢に、希望を願った。

《立派な君主になって、戦争のない世界を》

 その願いを込めて放たれた矢がどうなったのか。それを知る者は、未来の彼だけである。

 ******

 その日の夜。真夜中の診療所の病床で、幽幻の血盟の フィラリス・アルトア は一人思案を巡らせていた。目を閉じるたび、傷口が痛むたび、思い出されるのは悪魔住まう森の洋館での出来事だった。

「足りなかった......」

 彼女は前回の浄化作戦において、あえて誰にも伝えずに、単身で娼婦のような姿で館へと乗り込み、拉致された女性達に紛れ込む形で「悪魔」へと近付き、その手で暗殺しようと考えていた。

「計画は悪くなかったはずだ。私という駒を最大限生かすにはこれ以上ない策だった」

 だが、暗殺計画は露見し、悪魔の手によって捕えられてしまった。口に含んでいた神経毒を使って一矢報いることはできたのだが、効果のほどは彼女の知るところではない。

「私の力が足りなかった。私に力があれば計画を遂行できたはずだったのに……」

 フィラリスはそう呟きながら、かつての自分のことを思い返す。故郷の村にいた頃、彼女は今回と同じ作戦を用いて村を守りきったが、結果的にそのことが原因で村を去ることになった。思い返せばあの時も、もっと力があれば故郷を追われずに済んだかもしれない。もっといい手が取れたかもしれない。……そして、自分を糾弾する人間を黙らせることができたかもしれない。

「自由も正義も、語る者に力がなければ絵空事だ……」

 改めて自分にそう言い聞かせつつ、フィラリスは病床から上半身を起こし、枕元に備えていた弩を手に取る。そして、心の中で「倒すべき敵」をイメージしながら、あたかもそこに本当に矢があるかのように、両手を用いて矢をつがえる動作を示す。

「……だから、私に力を与えてくれ。私の自由を守るための、私の正義を為すための力を」

 彼女はそう願いながら、目の前に「悪魔」がいることを想定しながら、ゆっくりと弩を向ける。そして、《私自身の正義に従う》という強い決意を込めた瞬間、彼女の右腕に覆いかぶさるように、今までとは明らかに異なる形の聖印が浮かび上がる。
 自分の中で「アーチャー」としての力が覚醒したことを確信した彼女は、そのまま弩の引き金を引くと、明らかに今までとは異なる音を放ちながら、弦が跳ね上がる。そして彼女が幻視していた「悪魔」にその「込められている筈の矢」が直撃した姿をはっきりとイメージ出来たところで、彼女は気力を使い果たし、再び仰向けに倒れて、そのまま眠りに就くのであった。

 ******

 同じ頃、鋼球走破隊の ヘルヘイム もまた、自室で一人、自分の力の無さを嘆いていた。

(とにかく戦って強くなれば、兄様やファニル様のようになれると思っていたのに……)

 ヘルヘイムは従騎士として、隊長であるタウロスにずっと憧れを抱いていた。タウロスやファニルのような「圧倒的な力で大軍をねじ伏せる力」を身に付けたいと考えていた彼女は、常に彼等の戦技を「理想の型」と想定した上で剣の鍛錬を重ね、カルタキアに来てからも、無鉄砲な戦い方を続けた。
 その結果、桶狭間と悪魔の館では大将首を獲ることが出来たものの、それはあくまでもファニルやセレンとの連携があったからこその殊勲であり、自分一人ではなすすべなく倒されていただろう、ということは彼女も分かっていた。実際、明らかに無謀な単騎特攻を敢行した街道でのガーゴイルとの戦いでは敵の集中攻撃によって瀕死の重傷にまで追い込まれている。もしあの時、後方からヨルゴが駆け付けてくれなければ、そのまま命を落としていただろう。

(ヘルには、兄様やファニル様のような、一騎当千の武勇の才はないのですね……)

 ただ、逆に言えば、仲間との連携があれば、「魔将」や「悪魔」のような、魔境全体の混沌核を形成するほどの強大な投影体が相手でも渡り合うことが出来る、ということも彼女は実感していた。そして、悪魔の館への第一次調査隊の時は、他の従騎士達が彼女の指揮に従って行動してくれたからこそ、一人の被害も出さずに任務を果たすことに成功し、そのことが夜組による森の調査の成功に繋がった、という話も聞かされている。

(そうです。たとえ自分一人では強大な敵を倒せなくても、己が役割を果たすことを最優先に考える者こそが、理想の騎士なのです)

 彼女はそのことに気付いた上で、改めて、自分の戦い方は「一対多」の戦いでなく、「他の人とのコンビネーション」で輝くもの、ということを実感する。憧れていたタウロス達のような華々しい活躍は出来なくても、たとえ目立たない戦い方であっても、自分には自分のなりの戦い方がある、ということに気付いたヘルヘイムは、改めて短剣を手に持ち、これまで訓練の時に想定していたような「周囲が全て敵だらけ」の戦場ではなく、周囲に「味方」がいる状況をイメージしつつ、その味方を活かしながら戦う状況を組み立て始める。

《連携の中で活躍する》

 それが傭兵としての自分が生きる道だと確信した瞬間、彼女の心の中で何かが目覚め、そして次の瞬間、彼女の聖印が姿を変える。だが、それは彼女が目指していたタウロスやファニルの掲げる聖印とは明らかに形が異なる「セイバー」としての彼女の特性を示す紋様となっていた。

「これが、ヘルの聖印……?」

 ずっと思い描いていた聖印とは異なるその姿に、彼女は少し驚いたような表情を浮かべる。だが、改めてその聖印をじっと見つめ続けるうちに、徐々に彼女の中で「君主としての『自分の形』」を見つけたことへの喜びが湧き上がり、やがて満面の笑顔へと変わっていくのであった。

EB「特技の修得」

 ヴェント・アウレオの アイリエッタ・ロイヤル・フォーチュン は、マローダーとしての基礎的な技術である《暴風の印》の使い方を修得すべく、訓練場にて鍛錬に明け暮れていた。
 現時点で、カルタキアの従騎士達の中で《暴風の印》が使えるのは、鋼球走破隊のファニルだけである。アイリエッタが途中まで深く関わっていた武装船の強奪事件においても、最終的な特攻作戦の時にファニルが《暴風の印》を用いて多くの敵を殲滅した、という話はアイリエッタの耳にも届いていた。

「負けてられねぇな、アタシも!」

 そんな強い決意を胸に、彼女もまた訓練場において、自分を取り囲むように「数歩踏み込まなければ届かない程度の距離」になるようにいくつかの木偶人形を並べ、それを同時に撃破するという練習に打ち込む。これは、かつてファニルが《暴風の印》を修得した時に使っていた手法と同じだが、アイリエッタは「その時のファニルが設置した数の倍の木偶人形」を、より幅広い範囲に並べていた。
 彼女は小柄な分、どうしても腕の長さではファニルのような長身の戦士には及ばない。だが、彼女の手には、その腕の短さの不利を補って余りある巨大なハルバードがある。瞬発力を生かしてこのハルバードの間合いを最大限に活かせば、一度に大量の敵を薙ぎ払えると考えていた。

(アタシは、誰よりも強くなるんだ。どんな敵が相手でも、絶対に負ける訳にはいかない)

 彼女はそう自分に言い聞かせつつ、前回の浄化任務で遭遇した「黒騎士」や「氷竜」のことを思い出す。

(あいつらの強さは、桁違いだった。直接戦ってはいないけど、でも、分かる。今のままのアタシじゃ、絶対に勝てない。だけど、それじゃダメなんだ。アタシは海賊として、《どんな相手とも渡り合えるほどに強くなる》)

 アイリエッタはそんな決意を胸に、目の前に並べられた全ての木偶人形を「敵対する海賊」と見立てた上で、全力でハルバードを振りかぶる。すると、彼女の聖印がこれまでとは異質な光を放ち始めた。
 次の瞬間、アイリエッタも自分の中で「何か」が目覚めたことを実感しつつ、全力でハルバードを振るうと、まさに「暴風」としか表現のしようがない程の猛々しい衝撃波が彼女を中心に解き放たれ、周囲を取り囲んでいた木偶人形の大半が一瞬にして吹き飛ぶ。

「これだ……、これが、アタシの《暴風の印》だ!」

 彼女はそう叫びつつ、誇らしげにハルバードを天に掲げる。こうして、彼女は真のマローダーとしての道を歩み始めることになるのであった。

 ******

 一方、訓練場の別の区画では、星屑十字軍の ポレット が棍術の修行を続けながら、前回の浄化任務で目の当たりにした「凶悪な投影体に捕らえられ、苦しめられていた人々」のことを思い出していた。

(あの人達の命はかろうじて救うことは出来ましたが、一歩間違えば、取り返しのつかないことになっていたでしょう……)

 血塗られた館でのおぞましい光景を思い出しながら、ポレットは彼女達の姿から、自分の故郷で混沌災害にあった人々のことを思い出す、

(「あの村」も、あの人達のように苦しみながら滅びていったのかもしれない……)

 ポレットの故郷は君主同士の戦乱の激しい地域であり、彼女の父もまた、魔境浄化よりも君主間での勢力争いに重きを置く領主であった。そのため、領内で混沌災害が起きた時にも、彼女の父は戦争への備えを優先して援軍を派遣せず、君主から見放されたその村は滅びてしまった。その村にはポレットの親友もいたもあって、彼女はこのような実家の方針に激しく失望し、家を出ることになる。

(君主の聖印は、人と争うためではなく、人を救うためにあるものです)

 その考えを家族から否定されたポレットには、出奔する以外に道はなかった。前回の一件を通じて、その時の無念と悲しみを改めて強く思い起こされたことで、彼女の中では「混沌から人々を守る君主でありたい」という理想と願望が、より強く広がっていくことになる。

(その想いは、今も昔も変わらない。ずっと、そうなりたいと思っていた。でも……、「なりたい」ではダメなのです。あのような人達を救うためにも、私は《混沌から人々を守る君主となる》と誓わなければ!)

 彼女の想いがそこに至った瞬間、彼女の持っていた武器に光が宿り、そして彼女は自身の聖印がこれまで以上に強い輝きを発していることに気付く。

(これは……、《破邪の印》!?)

 それは、混沌を滅する時にのみ発動する特殊な力と、そして心の強さをもたらす、パニッシャーの聖印の持ち主だけに宿る、聖なる輝きである。
 ポレットが誓った言葉は、君主としては普遍的で当たり前のものではあるが、彼女にとってはとても大切な誓いであり、その誓いがこのような形での聖印の進化をもたらしたことは間違いない。これから先も彼女はこの誓いと共に、混沌との戦いに身を投じていくことになるのだろう。

 *******

 同じ頃、第六投石船団の ツァイス もまた、訓練場の別の一角にて、本格的にパラディンとしての聖印の使い方を習得すべく、研鑽に励んでいた。この日の彼は、戦場で味方を守るための迅速なサイドステップの反復訓練を続けつつ、それと同時に、自分自身のパラディンとしての生き方について、改めて自分の心に問いかけていた。

(パラディンとしての力に目覚める時は「自分自身も含めて皆を守ること」が俺の誓いだった。実際、ある程度は手応えもあるし出来ていただろう。……次はどうするかだ)

 彼は内心でそう呟きながら、先日の任務の後、港に停泊している船の上で、フォーテリアと二人で交わした言葉を思い出していた。ツァイスが「この土地を離れてからも友達でいてくれるか?」と問いかけたのに対し、彼女は傭兵として、将来的には「ツァイスと敵対する可能性」、更に言えば「ツァイスから恨まれるくらい、非道な戦術を彼に対して用いる可能性」を挙げた上で、明言は出来ないと答えていたのである。
 彼女のその言葉を踏まえた上で、ツァイスは改めて自分の信念に向き合いながら、「誰かを守るための訓練」に明け暮れていた。

(俺はここでの友誼は大切にしたい。将来は敵同士に回ることもあるかもしれねえが、だとしても軍や国と、個人の友誼は別物だ)

 とはいえ、ツァイスも武人としての「現実」は理解している。

(……だが、大事にするには力が必要だ。友達を守るための力も勿論だが、将来友誼にかまけて「守りてえもん」守れねえのも、もちろん駄目だ)

 ハマーンの軍人である彼にとっての「守りてえもん」とは、当然、第一義的には国の人々や軍の仲間達である。そのことを踏まえた上で、「今の自分が守るべきもの」について、改めて考える。

(……だから、俺は俺自身も含めた《今のみんなの時間を守って、将来に繋げたい》。これが、俺の誓いだ)

 彼がそう心に決めた瞬間、今まで「誰もいなかった筈の空間」に、フォーテリア、カノープス、スーノといった、この地で出会った者達の姿が幻視される。そして、改めて彼等を守ろうとする決意を固めたと同時に、ツァイスの聖印はこれまでには見せなかった輝きを放ちながら、一瞬にして彼等を守るための(想定している仮想敵からの攻撃を受ける上での)最適な場所へと彼の身体を移動させる。そして同時に、自分の身体が明らかに聖印によって強化されていることもツァイスは実感した。

「そうだ……、これが今の俺の、守りてえもんだ」

 誰もいない訓練場で、ツァイスは改めてそう呟く。今と未来を同時に守ろうとするツァイスの心が、彼の中でのパラディンの潜在能力としての《庇護の印》を生み出した瞬間であった。

 ******

 その頃、 フォーテリア・リステシオ は、地下帝国の魔境浄化の任務を終えて戻って来たタウロスの私室を訪れていた。

「今回の任務もお疲れさまでした。どうぞ、こちらを」

 彼女はそう言いながら、ハーブティーをタウロスに差し出す。もともと貴族令嬢だけあって、その作法はとても傭兵とは思えない程に優雅である。

「なんかというか、お前、いつもと少し雰囲気が違うな」
「そうでしょうか?」
「君主として、『何か』を掴みかけている、ってところか?」

 彼のその言葉に対して、フォーテリアは否定も肯定もせぬまま笑顔を浮かべつつ、逆に彼女の方から問いかける。

「なぜ、私を拾って下さったのですか?」

 これに対して、タウロスは少し間を空けた上で、ニヤリと笑う。

「そうだな……。じゃあ、三択にしよう」
「三択、ですか?」
「お前の占いで、どれが正解か当ててみろ。1、面白そうだと思ったから。2、役に立つと思ったから。3、将来『いい女』になると思ったから。さぁ、どれだと思う?」

 指を一本ずつ立てながら、タウロスがそう問いかけたのに対し、フォーテリアは思わず苦笑を浮かべる。

「占いとは、そういうものではございませんよ」
「ん? そうなのか?」
「それに、別にカードやコインを使わなくても、分かります。どれも、今、取って付けたように考えたもので、本心ではないのでしょう?」

 フォーテリアの占術は、時空魔法師の予言などとは異なり、あくまでも相手との対話を通じて何かを読み取る技術であり、道具はその触媒にすぎない。タウロスの場合、本音が表情に現れやすいが故に、わざわざ道具を使うまでもない、ということなのだろう。

「いや、どれも嘘じゃないぜ。まぁ、決定的な理由ではないかもしれないけどな」
「ということは、他に『決定的な理由』があるのですよね?」
「んー、そうだなぁ……、まぁ、しいて言うなら……」

 タウロスは改めてフォーテリアを凝視しながら、真顔で答える。

「……お前の目が、『居場所』を求めていたから、かな」
「居場所……? それが、『決定的な理由』になるのですか?」
「なんだかんだ言って、そういう奴が、一番しぶといんだよ。そういう奴には、必死に生き延びようとする気概がある。それは傭兵にとって、一番大事な才能だ。俺達は、戦場を生き抜くことでしか、強くなれないからな」

 彼のこの発言が的を射ているのかどうかは分からない。そして、他の団員に対しても同じことを考えているのかどうかも分からない。ただ、フォーテリアとしては、それが少なくとも嘘偽りない「タウロスの考え」であるということは理解出来た。その上で、彼女は深々と頭を下げる。

「これからもどうか末永く、よろしくお願いいたします。タウロス様」

 フォーテリアはそう告げた上で、彼の部屋を後にする。そして廊下を歩きながら、これまでの自分の傭兵としての歩みについて振り返り始める。

(思えば、結果ばかりを求めてきた旅だった。成果、戦果、利益、有利……)

 しかし、彼女に必要だったのは「過程」の方だった。作戦の成功よりも、そのための話し合いが、戦果の獲得よりもそこに至るまでの信頼の方が遥かに自分に足りないものを与えてくれた。
 結果が全て。勝ったものが全て。「傭兵」としてはその考え自体に変わりは無い。だが、「個人」としては違う。ここで気付いた個人を、フォーテリア・リステシオの過程を愛せる様になりたい。今なら出来ると思う。何になるかは分からない。今だって自分が何かを探している。しかし、今の自分は紛れもなく、人として生きている。今の彼女は、そう考えることが出来るようになっていた。それは紛れもなく、このカルタキアに来たことで得られた財産だろう。
 今はもっと沢山のことを知りたい。今ならば人というものがもっとわかる気がする。いつか……、『自分の街』を持つことが出来るまで。沢山の人と関わっていきたい。ツァイスやエーギルとの出会いが彼女を変えたように、これから先、より多くの人々と関わりながら、《人生を楽しむ》ことで、より深く自分自身のことを理解出来るようにもなるだろう。

「さあて、今日はどこに行こうかなあ」

 そう呟きながら軽く背伸びをした瞬間、フォーテリアは自分の中に眠る聖印に『何か』が起きていることを実感する。その場で顕現させて見ると、明らかに聖印の紋章がより複雑な形へと変化していた。

「……こんなのでいいのかい? おやおや。存外適当だねえ。私も……。運命も」

 どうやら、今の彼女には既にルーラーとして《巻き戻しの印》を操れる力が備わっているらしい。とはいえ、あえてこの場で試す必要もない。いずれ必要な時はいつでも訪れる。運命が自分のその力を使うことを求めた時に使えばいい。彼女はそう割り切りつつ、宿舎を後にするのであった。

 ******

「久しぶりですね。悪魔。契約通り、再び帰ってきました」

 星屑十字軍の ワイス・ヴィミラニア は、目の前に現れた「悪魔」に対して、そう語りかけた。
 ここは、とある「悪魔」の巣食う魔境。だが、その存在を知る者は、ワイスの他にはいない。

「長旅で疲れたことですし、のどが渇きましたね。契約の仕組みを思い出したい所ですし、まずは貴方の血液(ワイン)でもこのグラスに注いでもらいましょうか。お代はいかほどになるでしょうか?」

 彼女はそう告げつつ、愛用のワイングラスを悪魔に差し出す。そこに深紅の液体が注がれていくのを確認すると、彼女は静かにそれを自身の口から喉へと流し込む。

「さて、のどの渇きも潤ったところで、交渉へと参りましょうか。議題は勿論、契約にて奪われた物の返却、この一点に尽きます」

 彼女はそう前置きした上で、グラスを再び、悪魔へと向ける。

「もう一杯頂けますか?」

 彼女のその言葉に対して悪魔が困惑する中、彼女は声色を変えずに淡々と話を続ける。

「えぇ、貴方が死ねば奪われた一切は永久に失われるでしょう。それよりも尚、重要な『果たすべき誓い』があるというだけです」

 悪魔がその言葉の真意を理解しかねているのを目の当たりにしながら、ワイスは語り続ける。

「地球世界には『同物同治』なる言葉があるとお聞きしましてね……」

 それは、地球の一部で用いられている特殊な「薬膳」の手法であり、体内の不調な部分を治すために、その調子の悪い部分と同じ物を食す、という手法である。肝臓が悪い時には動物の肝臓(レバー)を、心臓が悪い時には心臓(ハツ)を、腎臓が悪い時には腎臓(マメ)を食べれば良い、という思想を体現する療法である。

「貴方に人格を捏ね繰り回された私はどうやらまだ善に偏っているようで、このままでは計画遂行の邪魔になるのですよ。故に、最も敬愛する悪魔たる貴方を食べる事で、善良なる(ワルい)心を改悪(ヨく)しようと思いまして」

 ここに至って、ようやく悪魔は彼女の言葉の意味を理解する。だが、次の瞬間、彼女はもう既に動いていた。

「貴方を喰らう事で『誓い』とさせて頂きます」

 ***

 それからしばらくして、ワイスはその魔境を後にした。ルーラーとしての彼女の聖印は、以前よりも更に成長し、《巻き戻しの印》を修得するに至っていたが、その理由を知る者は、彼女の他には誰もいない。

「私は……、《全ての悪を食らう悪になる》」

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最終更新:2022年04月23日 18:49