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アカフリ(SC89~SC182)

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rai6puk

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邪推SS/アカフリ(SC89~SC182)


バンから受け継いだ広大な領土を縮小させた暗愚な君主と知られるアカフリだが、
一武将としてみたら、その能力は決して低いものではない。
確かにノーズ~ウェズに一大帝国を築いた父親バンと比べると劣るかもしれない。
だが、凡庸な人物たちと比べたらはるかに優秀であり、優秀すぎる父親と比べる方が酷である。
バニアウのココローン侵攻を10年以上にわたって防いだことからも伺える。
バンの息子としての周囲の彼に寄せる過度な期待、南北を敵に囲まれた不利な位置、
帝国の衰退の原因はここにある。では、彼の生涯を見てみよう。

アカフリはSC89年エイヤンガでノーズの覇王バンと后ニナの間に生まれる。
待望の跡取りの誕生に喜んだバンは、銀河に名を馳せた時に恥ずかしくないように、
ア・カフリとア族の名を名乗らせていることからも、彼の喜びようが伺える。
幼少の頃は何不自由ない暮らしをしていたが、バンには帝王学を叩き込まれ、
勉学に勤しんでいた。

やがて、バンとロゴの間にウェズ恒星系の覇権を巡る戦い(俗に言うラバウルの海戦)が始まる。
これは、アキが手に入れたラバウルに商業惑星の支援の元設置されたガイア要塞の消滅後、
同地から撤退した後の支配権を巡る戦いである。
当初、圧倒的優位にたったバンは、ラバウルを制圧し、そのままサイズ平定に向け出陣した。
所が予想外の出来事が起きる。かつてのミディアの軍師・常勝と名高いトットンの叛乱である。

これは、ミディアの不振な死を巡って(公式には病死とされているが、毒殺疑惑も囁かれている)
旧ミディア家人が紛糾したとも、平民開放を訴える旧ミディア家臣とバンの折り合いが合わなかったとか
色々言われているが、真相は不明である。とにかく意表を付かれたバン軍は大混乱に陥り、
一先ず、トットンを平定するべく反転したバン軍の背後をロゴ軍が急襲しバンは戦死してしまう。

若干、17歳で即位したアカフリも先ずはトットンを平定しようとするも、強固に抵抗するトットン軍の平定に手こずり、
結局、反地球同盟結成で制圧できないまま小休止となった。

これと言って、華々しいエピソードは無いアカフリだが、実は、筋金入りの熟女好きで知られている。
特に、旧アビー王妃のバレリーや、叔父アベモイガ后フィリアが大変好みで、肉体関係を持ったばかりならず、
結婚すると言い出したとも伝えられる。

さて話を戻して、プロベットが父ブラウンに反旗を翻し、サウズのロゴ追放後のパメラ、バニアウの内乱で
反地球同盟が解消されると、再びトットン平定に向け出陣するも、常勝不敗と言われるトットンの策略の前に大敗し、
故地エイヤンガとストーを失う事態となった。

更にバニアウが内戦に勝利し、ウェズに進出してくると、南北から挟撃を受け、スパン、ラバウル、ウイバンを
失い、虫食いのごとく国を他国に蹂躙される。
アカフリはバニアウ、トットンを牽制するべく、ラーと合併し最大戦力となっていたプロベットに
同盟と救援を依頼するが、その頃、商業惑星及びテンオウ軍の対処に追われていたプロベットは
これを無視し、逆に西の憂いを除く為に、バニアウと同盟を結び、不介入を決め込んだ。

アカフリとは逆に、東部の憂いを取り除いたバニアウは、トットン軍をウェズから駆逐し、
残りの領土も瞬く間に併合。遂にはココローン1惑星のみとなってしまう。
だが、ガイア要塞や、この時期に仕官してきたカムイの指揮で、バニアウの部隊を10年にわたり防ぎ
独立を維持してきた。

ここにきて、テンオウ軍を滅ぼしたプロベットの援軍が現れる。最強の軍隊と言われるとおり、
バニアウ軍を駆逐し、ウェズの全領土を奪還した。だが、プロベットの進軍は止まらず、
ココローンに侵攻してきた。ガイア要塞で反撃を試みるも、プロベットの軍師となったラーとショーンの
指揮によって要塞は破壊され、ココローンも瞬く間に制圧されてしまった。

その後、プロベットから分将位を貰って、ココローンの基地司令官となって銀河統一まで生き残った。
統一から30年後のSC182年、93歳で激動の人生を終えた。

歴史にもしもは禁物だが、もし彼が、バンの息子ではなかったら、もっと活躍していたかもしれない。





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