私はこれから自分の人生について振り返ろうと思います。
それは14年程度の取るに足らないものではありますが、奇妙なことに、私が観測する14年の間には6000年ほどの時が流れているようなのです。
6000年のうちのわずか14年、この世界に大きな影響もない、本当に小さな記憶の欠片にすぎないでしょう。
それでもこうして書いておけば、いつの日か何かの役には立つかもしれないと思い筆を執った次第です。
まず私の出生自体、6000年経った今では奇妙なものであるのかもしれません。
当時としては珍しくもないものですが。
王と母の馴れ初めというものは聞いたことがありません。
今になってわかることといえば、母は王に特別愛されていたということくらいでしょうか。
王の寵愛によって私は生まれました。
私には十数名の腹違いの兄や姉はいましたが、弟妹はいません。
生まれてすぐ、私は兄や姉たちの住まう塔へ預けられました。
王は子に興味はありませんでした。
これまた奇妙かもしれませんが、この時代、王に跡継ぎの心配というものはあまりなかったのです。
よって子というものはせいぜい、行為により生じる副産物程度のものだったのでしょう。
最も古い記憶の中には王や母の姿はなく、代わりに兄や姉、乳母の顔が浮かびます。
兄姉は彼らなりに私を愛してくれていたように思います。
兄姉は読み書きや武芸は一通り身につけていたようで、私は彼らから色々なことを教わりました。
私たちの当時の文化では100歳を過ぎてから成人とされていた(当然、私は成人の儀の類を終えておらず推測の域を超えませんが)ようで、
彼らもまた一人前ではなかったのですが、それでも貴族の嗜みというものには特別口うるさいものでした。
王にとって取るに足らない彼らなりに、成り上がる術を磨いていたのでしょう。
異なる半分の血がそうさせるのか、兄姉たちはそれぞれ得意とする事柄も異なっていましたが、
互いの隙間を埋めるように、あるいは相手の技を盗むように切磋琢磨していたのです。
まだ幼く、心身共に未発達(今も成熟を迎えたわけではありませんが)だった私は、兄姉たちの持つ特技、個性に憧れを抱きました。
ある日は兄の剣技の真似事をし、またある時は姉の歌声に合わせ踊りの真似事をする。
こうして王に求められなかった私たちは、互いに存在理由を与え合ったのです。
塔では大広間等の共有空間の他に、私たち個人にそれぞれ部屋が与えられていました。
細かいことは覚えていませんが、年齢が高ければ塔の上部に部屋がある傾向にあったと思います。
つまり私は個人部屋の中では最下層に部屋があったのです。
部屋の他に、私たちにはそれぞれ所謂召使いも与えられていました。
先程少し触れた乳母というのが私の最初の召使いです。
彼女は年老いた人間で、親しみを込めて私は、ばあやと呼んでいました。
ばあやは兄姉以上に食事の作法や貴族間の礼節を私に教えます。
この時代の簡単なあり方について教えてくれたのも彼女でした。
この頃自分がどうやらこの国の王の娘であるのだと理解し始めたように思います。
母について教えてくれたのもばあやでした。
母もまたとある国の"貴族"であったようで、美しさと魔の才能に恵まれていたそうです。
私は母によく似ている、とばあやは口癖のように言いました。
その度私は鏡の前に立ち、まだ見ぬ母の姿を思い浮かべるのです。
優しくも時折厳しいばあやと、互いの存在を求め合う兄姉に囲まれ、私は塔の中で幼少期を過ごしていました。
ですがそんな生活も、私が少女への一歩を踏み出そうとした頃に終わりを迎えました。
事の発端は恐らく、兄たちを尋ねやってきた来訪者だったのでしょう。
先述した通り、私の部屋は個人部屋の中では最も下にあり、それだけ他の者の目に触れる可能性が高かったのです。
当時貴族の間ではサロンと呼ばれる、今でいう冒険者ギルドのような貴族間の繋がりがありました。
私たちきょうだいの歳の差は広く、上の兄や姉の中にはもう既にサロンに属する者もいたのです。
恐らくそのサロンに属する者が私の姿を見かけたのでしょう。
『この城のどこかに、それはそれは美しい少女が住んでいる』
そんな噂が宮殿中に広まったようなのです。
時をほとんど同じくして、ばあやが私の元を去りました。
どうやら母に何かあったようで、そちらにつくこととなったようなのです。
あの頃の私にとって・・・いや、今の私にとっても家族に等しい彼女です、当時の私はひどく落ち込みました。
すぐに代わりの召使いが送られてきましたが、彼らはすぐに私の元を去っていきます。
私が心を開いていなかったのは確かですが、決して私の態度が原因だったわけではないと、当時の私の名誉のため言っておきます。
自らこう綴るのも恥ずかしいですが、未完成の美を身につけ始めた私に、ばあやのいない悲しみにより、
壊れてしまいそうな憂いが加わったのがいけなかったようなのです。
こうして小さな波たちが生まれてゆき、やがて大きな事件が起きました。
ばあやがいなくなってから5人目くらいの召使いだったと思います。
その子は13歳前後の、まだ幼さの残る少女でした。
彼女ほど歳の近い同性は初めてだったので、私にとって彼女は初めての友人のような存在でした。
彼女は"平民"で、この塔に来る前は平民街で育ったそうです。
どうして私の召使いになったのか、理由については終ぞ触れませんでした。
彼女が話したくなったら言ってくれればよいと思っていたのです。
塔から出たことのない私でしたから、初めての友人であり、初めてみる"平民"であった彼女に外の世界の話をよくせがんだものでした。
色とりどりの花、可愛らしい鳥や小動物、大きな海と潮風、豊かな森。
彼女はこの世界の美しさを教えてくれました。
外の世界は彼女の言葉で色づいていったのです。
ばあやのいない悲しみが和らぎつつあったある日、私と彼女の関係に終わりが訪れます。
そしてそれは、塔の中の存在である私の終わりでもありました。
その日は静かな夜で、自室の窓から零れる月明かりが綺麗でした。
星をみるべく窓辺に座っていると、扉を叩く音がしました。
扉の前にいたのは召使いの彼女で、眠れないので話相手になってほしいとのこと。
私も窓から入ってくる夜風で目が冴えていたので、ふたりで寝台に腰掛けました。
いつも通り他愛のない会話をしていると、突然彼女に押し倒されました。
わけもわからず戸惑っていると、彼女は悲しげな瞳で語り始めます。
「お嬢様、どうして貴女の前から召使いたちが去ってゆくのかご存じですか」
私は首を横に振りました。
「彼らは口々にこう語ったそうですよ、『お嬢様の傍にいるのが辛かったのだ』と」
ますます訳がわからなくなってきました。
嫌われるようなことをしたのなら申し訳ないと思いましたし、この話をわざわざ私に聞かせる意味もわからなかったのです。
ひょっとすると目の前の彼女も私のことを嫌に思っていたのだろうか。
そう考えてしまい悲しさがこみ上げてきました。
ごめんなさい。私のことが嫌いなの?
彼女はそっと微笑みましたが、いつもの彼女とはどこか違う笑みでした。
「本当に罪深いお方ですね、彼らは皆貴女に焦がれるあまり貴女の元を去ったのです」
では彼女もそうなのか、そう問いかける前に彼女は続けます。
「私もまたそうなのです。貴女が愛しくてたまらない」
その言葉が彼女との別れを意味するような気がして、離れたくないと彼女の手を掴みました。
「私だって離れたくなんかありません。ですが貴女はこの国の姫君で、私はただの召使いなのです」
「貴女はいつか私を友とは呼んでくれなくなるでしょうし、況してや友情が愛情に変わることなんてありえない」
「いつか貴女が違う誰かのものになってしまうなら、いっそ私が壊してしまいたい」
彼女は懐から小瓶を取り出し、中の液体を口に含みました。
そして彼女は私に身体を重ね、そっと口吻を交わしたのです。
彼女の口から液体が流れ込み、ふたりの喉を流れてゆくのがわかりました。
やがて彼女は眠るように力を失っていきました。
小瓶の中身は毒でした。
どうやら彼女は知らなかったようなのです。
ノーブルエルフと呼ばれる私たちは生まれつき、毒の類に強い耐性をもっています。
人にとっては致死量であった毒でも、私の命を奪うには不十分でした。
彼女の温かく柔らかい唇の感触と、徐々に熱を失う彼女の身体。
私の腕の中で、初めての友人はこの世を去りました。
彼女が最期に教えてくれたのは、私自身の美しさでした。
翌日彼女の遺体に寄り添う私が発見され、兄姉たちは私に様々な質問をしました。
何を答えたのかは覚えていません。口吻の甘さは今なお遺っているのに。
その日の午後、私の運命は決定的に変化します。
今思えば、彼女の毒は新たな鳥籠に誘う祝福であり呪いだったのです。
その来訪者は私たちきょうだいの間にこの上ない緊張を与えました。
私たちはこの時が訪れる事態なんて想像していなかったのです。
私は(そして恐らく兄姉たちも)初めて父の姿をみたのです。
来訪者はこの国の王でした。
王の前に跪く兄姉たちに目もくれず、王は私の前に立ち、口を開きます。
「我が娘よ、成程お前は美しい。我が元へ来る名誉を与えよう。」
私たち・・・いや、この国にとって王とは絶対の存在です。
誰も意義を唱えることなんてできません。
兄姉たちから言葉はありませんでしたが、その瞳に映る嫉妬や憤怒の色を見て、もう彼らをきょうだいとは呼べないのだと悟りました。
塔の代わりに与えられたのは、空に浮かぶ不思議な丸屋根の建物でした。
窓から外を見てみると、色とりどりの花が視界を埋め尽くします。
相変わらず外に出ることは許されず、新たな召使いたちは必要最低限の言葉しか交わしてくれません。
塔の自室よりずっと広く、ひょっとすると大広間より広い建物で私はひとりぼっちでした。
二、三日に1回程度訪れる王により、友だち以外のものはなんでも与えられました。
鳥籠にきてからは、貴族としての嗜みはより厳しく教えられました。
私の所作が美しくなればなるほど、王の機嫌は良くなっていくのがわかりました。
王は私に美しくあるよう求めていたようなのです。
この頃の私にとっての娯楽は、王に与えられた書物(主に物語でした)と、時折聞こえてくる宮廷の音楽でした。
物語のお姫様たちは時に攫われ、時に命の危機に陥りながらも、やがて英雄と結ばれ口吻を交わします。
王は私の身体を求めてはきませんでした。
成熟を迎えるのを待っていたのかもしれません。
外の世界を教えてくれた彼女はもういません。
彼女は英雄ではなかったのだと思いました。
とはいえ英雄を求めたわけではありません。
今のあり方を嘆くことなど、きょうだいだった彼らを思えばできるわけもなく、毒を含んだ祝福は確かに甘かったのです。
ただ少しだけ、しかし確かに、冒険に対する憧れは芽生えはじめました。
籠の中の鳥はいつだって自由を求めるものなのです。
ある日、王は籠の鳥に少しばかりの自由を与えました。
普段着ている服より更に豪華なドレスを与えられ、とある場所へ向かいました。
王によるエスコートは、枷をはめられているような重圧を伴います。
羽ばたくことなく辿り着いた場所には、最早懐かしきばあやの姿と、私の母がありました。
私たちノーブルエルフは、不死とも言える寿命を持つと伝えられています。
病や毒に先天的に強い私たちは、外傷以外で死に至る可能性は限りなく低いようですが、ただ一つの例外がありました。
貴族熱と呼ばれる、"貴族"のみに見られる病です。
初めて見る母は寝台にいました。
これから時折、私は母と話す機会を得ました。
王は私をこの場所へ送ると、すぐに姿をくらませます。
病に伏した女には興味を失ったのでしょうか。
母はゆっくりと、しかし確実に弱っていくように見えました。
初めて会ったとき、母は私に楽器をくれました。
それから少しずつ母と共に練習をしながら1回につき一時間程度の、同じ時間を過ごすようになります。
母はまず不思議な曲を教えてくれました。
その曲を奏でると、どこからか小動物がやってくるのです。
鳥籠にいたとしても小鳥たちを呼べるようです。
この頃になって、ようやく自分が動物と意思疎通できることに気がつきました。
人ならざるものではありますが、彼らは良い話相手になってくれそうです。
次に母は自分の故郷に伝わる曲と、この国の曲を教えてくれました。
自分の故郷の曲を娘に伝えたかったのだろうと、当時の私でも幼いながらに察しました。
母との練習は別れの時が訪れるまで続いたのです。
練習の合間に、どうして私が小鳥たちの言葉がわかるのか尋ねてみました。
この時初めて自分の"貴族"としての力を知ることになったのです。
母は特に驚いた様子もなかったので、恐らく母も同じく動物と会話できたのでしょう。
本来であれば人を従える力が"貴族の支配力"なのですが、時折人ならざる者を従える才能のあるものがいるようなのです。
母は簡単に"貴族の支配力"について教えてくれました。
詳しい理論のようなものは特になく、才能によるところが大きいそうです。
その日鳥籠に戻ると早速、小鳥たちにお願いをしてみることにしました。
以前より窓から見える花に触れてみたかったのです。
窓から飛び立った鳥は、花を咥えて戻ってきました。
初めて本物の花の感触を知り、花の匂いを知りました。
この力を使うことで、私は更に外の世界を知ることができるのではないかと考えました。
小動物たちは何処にだって潜り込むことができます。
王やきょうだいだった彼らは教えてくれなかった、この国の外の世界の話すら知り得ました。
鳥籠や塔の中だけではない世界のあり方について、ようやく知る機会を得たのです。
この世界は戦争状態でした。
これは現代の資料と私の経験からの推測でしかありませんが、後に第二次魔法戦国時代と呼ばれる時期だったようです。
戦火は私の国にも及んでいました。
王からは何も聞かされてはおらず、状況はよくわかりませんでしたが、よくないことはわかりました。
思い返してみると、母が私と接触した理由は病ではなく戦争にあったのかもしれません。
小鳥たちから聞く状況は、日に日に悪化しているように思えました。
時折帰ってこない場合もありました。
姿を見せず忍び寄る終焉の気配を感じながらも、私にできることはありません。
そしてついに、その時がやってきました。
いつもはばあやが私を起こすことはないのですが、その日は違いました。
尋常ならざるばあやの様子をみて、強い恐怖を感じずにはいられません。
動きやすい服に着替え終えると、すぐさまばあやは私の手を強く引きました。
鳥籠の外に出ると、嫌に綺麗な空が広がります。
宮殿内を駆け巡り、時には道を戻りながら、ばあやの知る目的地へと向かいます。
壊れゆく宮殿はそれでも美しさの鱗片を残していました。
窓から時折巨大な生き物の姿が見えました。
その姿からは強い恐怖を感じさせられ、あれが人の敵であることは明らかです。
そうしてようやく辿り着いた一室には母の姿がありました。
ばあやを私の部屋に送ったのも母だったのでしょう。
寝台以外で初めてみる母は、こんな時ではありますが確かに美しい人でした。
母は優しくもはっきりした声で言います。
「落ち着いてききなさい、この国はもうおしまいよ」
その一言は私にとって死の宣告のように思えました。
恐怖と絶望が漏れ出しそうになりましたが、どうにか堪えて母の言葉を待ちます。
「母らしいことは何もできなかったけど、せめて最期は母らしいことをさせて頂戴」
そう言うと母は私に指輪を差し出しました。
美しい装飾が施されており、大切なものだったのだろうと容易に想像がつきます。
ばあやからは私が使っていた楽器を渡されました。
私が着替えている間に持ち出したのでしょう。
「さあ目をつぶりなさい、次に目を開けたときにはきっと、悪い夢は終わっているわ」
もう二度と見られない予感がして、母とばあやの姿を焼き付けてから、言われた通りに瞳を閉じました。
「さようならヴィスタリア、私の愛し子」
柔らかな唇が、母の最期の感触でした。
どこからか声がする。
何を言っているのだろうか。
聞き慣れない言葉だ。
夢から覚めるように、ゆっくりと瞼を開く。
心配そうな顔をした女性がいる。
優しそうな人だ。
やっぱり何を言っているのかわからない。
あなたは誰、と問いかける。
何かわかったような顔をして、女性は口を開いた。
「こんにちは、私は通りすがりの旅の者ですよ」
今度の言葉は理解できる。
「ここであなたが倒れていたので声をかけたのです」
女性の膝の上にある頭を、ゆっくりと持ち上げる。
「・・・どうしてあなたは泣いているのですか?」
目の前には、一面の花畑が広がっていた。
最終更新:2020年07月23日 00:57