修道院のとある一日

 ――はじめに懺悔をするならば、ワタシは幸せになどなってはいけなかったのだ。

 “その日”は突然にやってきた。いや、思えば“あの日”も突然にやってきたし、大抵の日はワタシの都合など気にせずに突然やってくるのだろう。

 ワタシはそれなりの悲劇を体験しているが、このご時世ではそれもありふれたものかもしれない。いや、孤児などどの時代でもいたのだろうか。
 別に何でもいいが、事実としてワタシは過去に家族を失っていて、同情を誘う身の上話を持っていて、どこにでもいるような孤児だった。

 いや、——自分のことながら思考がぐちゃぐちゃだ——どこにでもいるような孤児ではなかっただろう。ワタシは、とても幸せだった。優しい母に姉、かわいい弟妹もいた。少しでも恩返しができればと思い、始めた冒険者の仕事も順調だった。

 何もかも過去形だ。ふたたび現在形で語ることはおろか、もはや未来形で夢見ることすらワタシには許されない。

\(^o^)/

 今日はワタシとヴィスタリアが修道院で留守番をしていた。
 留守番というか子守? チビたちの面倒を見るのは年長者の務め、ワタシがここに来た時からあった決まりだ。

 月に何度か、シスターが修道院を空けることがある。そんな時は私たちが代わりに留守を預かる。そんな日だった。

 お昼ご飯を終え、片付けと掃除の時間。いつも通り、みんなで早く終わらせて自由時間に入ろうかなんて話をしていた時だった。

 短い悲鳴と人が倒れる音が聞こえた。さては誰かつまずいて転んだな、声からしてジニアだろうか。あれで結構抜けたところがあるからな。

 もう一度倒れる音が聞こえた。せっかちさんが多いようだ。自由時間はまだだが、ヴィスタリアがいるからはしゃいでいるのかもしれない。まあ、それとなく注意してくれるだろう。

 絹を裂くような悲鳴が聞こえた。ただ事とは思えない。どうしたのだろう? ヴィスタリアはいないのだろうか? さすがに不審に思って様子を見に行く。

「え……?」

 目の前の光景に思考が停止した。

 ヴィスタリアが、サーラを、刺し貫いている。

 どういうことだろうか、ヴィスタリアはいつもの剣を持っていて、それはサーラの胸を貫通して血を滴らせている。
 サーラも痛みに顔をしかめているが、それ以上に状況を理解できずに混乱したような表情だ。きっとワタシも同じようなものだろう。

「あら、どうしましたの? マトリ、私を止めなくてもよろしいのかしら?」

 きれいな声だ、ヴィスタリアが何か言っているようだがよく分からない。
 サーラが苦痛の叫びを上げて倒れた。気が付けばその近くにはもう一人倒れていて、血だまりを作っている。
 ヴィスタリアを挟んで青ざめた顔のジニアが見えた。口を震わせて「やめて」と声にならぬ声を上げているようだ。

「まだ呆けていますの? 何もしないなら状況は好転しませんわよ、っと」

 軽い調子で剣を振るう。犠牲者がもう一人増えた。流石にワタシも我に返る。頭に血が巡ってきた。

「貴様、誰だ?」

 最低限の護身として持っていた短銃を突き付けて誰何する。考えてみれば当然の話だ。あの優しいヴィスタリアが一緒に暮らしてきた家族を手にかけるなどできるわけがない。

 魔法かなにか、変装に長けた者が、この修道院の誰かに恨みでも持っていたのだろう。
 ちらりと確認すれば斬られた子たちもまだ息はあるようだ。すぐにこいつを片付けて手当てしてやりたい。

「誰って、あなたのお姉ちゃんのヴィスタリアですわよ。……もしかして偽物だとでも思っています?」

 いつもの美しい声、少しだけ「お姉ちゃん」を強調する口調、嫌味に感じないくらいの上品な振る舞い、どれも完璧だ。
 でも違う、もし万が一これが本人だというなら今日限りで絶縁だ。こんなことをするような者を姉と慕えるわけがない。

「当然だろう、誰が見ても気付く。まさかこんなことをして本人に擬態できていると思っていないだろうな?」

「ふふふ、偽物というのなら、ここ数ヶ月はあなたと過ごしていたワタシの方こそ偽物ですけどね」

 あまりにも荒唐無稽な話だ。他の者ならともかく、ワタシがそんな長い期間騙されるわけが――

「ドッペルゲンガー、ご存知ありません? 高位の魔神ですが、対象の記憶や技術も含めてすべて模写する能力を持っているそうです」
「残念ですけど、事実としてあなたは騙されていますの。その間に気づいていれば、もしかしたらこの子達も助かったかもしれませんわね?」

「うるさい! もしキミが本物でも! ワタシは止めるぞ!」

 もうヤケだった。難しいことを考えるのもやめだ。たとえ彼女が本物だとしても、ワタシの家族を傷つけるというなら容赦はしない。さっきいったとおり、絶縁だ。

「それと、さっきからまるであなたが私を抑えられる前提でお話ししているようですけれど、あなたでは無理だと思いますわよ」

「やってみないと分からないだろう、手加減はしないぞ」

 そう言うか否か、ヴィスタリアが動く。ワタシも覚悟を決めて射撃する。
 ……大丈夫、動けなくなる程度にダメージを与えればそこまででいい。

「ふふん、迷いが見え見えの攻撃ですわね、全然当たる気がしません」

 恐怖で動けなかった子の首にヴィスタリアが刃を当てがう。

「さて、あなたが止められなかったせいでこの子が死んでしまうわけですが……」

「やめろっ!」

「やめません」

 こんな状況でなければ見とれてしまいそうな笑顔で首を刎ねる。

「あらら、死んじゃいましたね」

「うわあああああああ!!!」

 銃を乱射する。しかしマトモに狙いをつけていない弾が戦場に舞う華を捉えることはない。
 そして彼女は次の子に刃を突きつける。

「さてどうしましょうか? このままでもいいですけど、あなたにもチャンスをあげますわ」

 そう言ってこちらにナイフを投げ渡してくる。

「それでジニアを痛めつけてあげて。その様子が面白かったら、その間は待っててあげますわ」

 悪魔のような提案だった。振り返ってジニアを見る。震えていた。話を聞いていたのだろうか、ナイフを凝視している。
 ワタシは動けない。体も思考も、凍りついたようだった。

「ほら、まずはナイフを持って。じゃないとこの子の首と胴がお別れしてしまいますわよ?」

「ま、待って、持つから、やめてくれ」

 ナイフを手に取る。

「それじゃあまずはジニアを捕まえて、逃げないように脚の腱でも切ってくださいな」

 ジニアの後ろを取る。ひとまず腕を捕まえて動きを封じる。
 捕まえた腕が震えている。それでも気丈に「わたしは大丈夫だから、気にしなくていいよ」なんてワタシに微笑む。

「早くしてくださいな。あなたの迷いでまた1人死んでしまいますわよ?」

 ナイフを握り込んでジニアの踵を見つめる。ここを切れば、とりあえず1人は助けられる。助けられるけど……。

「できない……できないよ……どうしてこんな酷いこと……」

「では残念ですけどこの子はここまでですわね。ごめんなさい、マトリの中であなたの命はジニアの脚よりも軽いものみたいですわ」

 また綺麗に首を刎ねる。

「さて次の子ですが、この子はどうでしょう」

「やる、やるから! もうやめてくれよぉ!」

 ジニアを組み敷いて足首に刃を押し付ける。苦痛の声が上がる。これでいいのだろうか。

「そんなやり方では無駄に痛めつけるだけですわよ? もしかしてそのつもりでやってます?」

「そんなわけないだろう! もういいだろ、もうこんなこと、終わりにしてくれ……」

「まだまだですわ。というか、面白いから見逃してましたけど、私の指示をちゃんと実行してくださいな。ほら、もっと強く押し付けて」

 泣きそうに、というかもう泣きながらナイフを押し付ける。悲鳴を上げていたジニアの声も枯れてきたようだ。ごめんなさい……ごめんなさい……。
 涙でぐちゃぐちゃの視界の中、震える手でナイフを押し付けていると、バチンという音が聞こえた。

「切れた、切れたぞ、これでいいんだろ!?」

「よくできました。それでは次は喉を潰してくださいな」

 相変わらずの笑顔だが。ワタシはもう限界だった。

「できるわけないだろう! もうやめてくれ! どうしてこんなことするんだ、ワタシが嫌いならワタシをやればいいだろう!」

「あなたのことは大好きですのよ、私だってこんなこと、本当はしたくありませんの」
「でも”あの方”があなたの苦しむ姿を見たいとご所望ですの」

「どうしてそんなやつの言うこと聞くんだよ! そいつはシスターやジニアより大事なのか? そんな――」

「大事ですわ。私に本当の愛を教えていただいた、何よりも優先すべき方ですの」

 そう言う彼女はこれまで見た中で一番素敵な笑顔で、きっと"あの方"とやらを本当に愛しているのだろうなと、そう思った。

 だめだ、涙が止まらない。チビたちが斬られても立っていられた。自分の手でジニアを傷つけてもまだ諦めないでいられた。

 でもヴィスタリアの心が自分の知らない、悪意の塊のような奴に奪われたことを知った途端、視界が明滅した。呼吸の仕方を思い出せない。まるで世界からワタシだけ置いていかれたような気さえした。

「ふふふ、そういえばあなた、先の災禍で家族を失ったと仰ってましたわね? そのとき、どうしてあなただけ生き残ったか、ご存知ですの?」

 急に過去の話をされる。何か関係のあることなのだろうか。……この地獄にはまだ底があるのだろうか。

「”あの方”が、ある街を滅ぼした際、気まぐれで1人の子どもを生かしましたの」
「この子が成長して、もう一度家族を得て、過去を乗り越えようとしたとき、再び全てを奪おう。そうすればきっと、面白いものが見れるだろうと、そう思ったそうですわ」
「最近のあなたは楽しそうでしたからね。今の気持ちはどうですの? 自分が幸せになったせいで、周りの人まで巻き込んで不幸になったその気持ちは?」

 ああ、全部決まっていたことなんだ。ワタシが人並みの幸せなど、望んではいけなかった。
 きっとここも、”あの日”と同じように蹂躙されて、またワタシだけが残される。悪魔の愉悦のために、ワタシはずっと踊らされるんだ。

「あら? もう壊れてしまいましたの? ならこの子ももう用済みですわね」

 ワタシのせいでまた1人失ってしまった。
 この地獄はいつまで続くのだろう。ワタシがいるから、みんな不幸になるのだろうか? それならもう、ワタシなんて、居なくなってしまえばいいのに……。
 ヴィスタリアがこちらに歩いてくる。相変わらず視界はぐちゃぐちゃだが、それでも彼女の姿だけははっきりと見える。

「ではそろそろ終わりにしましょうか」

 よかった、もうやめてくれるんだ。

「あなたはいつか、私の目を好きだと言ってくれましたよね? 実は私も、あなたの宝石みたいに綺麗な瞳がずっと羨ましかったの」
「最後にその瞳、プレゼントしてくださらない?」

「…………分かったよ。それでキミが満足するなら、お安い御用だ」

 ナイフを見つめる。ワタシの顔が反射して見える。
 泣き腫らして、充血して、暗く澱んでいる。こんなものでいいなら、最初から差し出せばよかった。

 自らの顔に刃を突き込む。堪え切れない痛みに叫びをあげた。先程自分がジニアにしたことがどういうことか、身をもって分かってしまう。
 心の中で何度もごめんなさいと繰り返しながら続ける。

 ……痛みで何も分からなくなってきた頃、シスターの声が聞こえた気がした。
 ごめんなさい。ワタシのせいであなたの大切な場所を壊してしまいました。

/(^o^)\

 その後、どういう経緯を辿ったのかは知らないが、修道院は元に戻った。流石に死んでしまった子は助けられないが、重傷を負った子たちは全員治療され、魔神の苗床にされていたというヴィスタリアも正気を取り戻した。

 少なくとも表面上は、以前の日常の登場人物が戻ってきた。
 しかしもう元には戻れない。

 シスターは極力修道院を離れないようになり、離れるときには必ずミシェル姉さんが留守を守るようになったという。

 ジニアはいつも通りの振る舞いをしようと心がけているようだが、極度に刃物を恐れるようになったという。

 ヴィスタリアはあれからずっと、ワタシに謝罪し続けている。何をするにもワタシの顔を伺うし、ワタシが以前のようにお姫様扱いするととても気まずい顔をするようになった。
 何より、あれから一度も目を合わせてくれなくなった。

 そしてワタシは、もうダメだった。幻覚と分かっていても右目の痛みは消えないし、ジニアに近づくことを躊躇ってしまうし、ヴィスタリアが視界から消えると不安に襲われる。
 それともうひとつ、ワタシは自分の幸せが恐ろしいものに思えるようになってしまった。

 この先ずっと、ワタシは幸福を避けて人生を歩んでいかなくてはならないのだろう。いつどこであの悪魔に目をつけられるか分からないのだから。

 あのあと、謝罪のために一度だけ修道院を訪れたが、もう二度と足を踏み入れることはないだろう。
 もう少し落ち着けば、何処かに宿を借りてヴィスタリアとの生活も終わらせるつもりだ。
 冒険者としての活動も暮らしていくための最低限にしよう。

 可能な限り人との繋がりは断つべきだ。あの悪魔がいつ気まぐれを起こすか知れない。

 ――これからはワタシが孤独に耐えればいいだけの話。ただそれだけの話だ。


―――了―――

くぅ疲w
思ったよりもシリアスな雰囲気になってしまったので閲覧注意。
まあ「……という夢を見たのさ」って話なので軽く流して欲しい。
頑張ってみたけど、各キャラの口調とか、特に後半のマトリに関してはトレースが怪しいので、原作者様におかれましては校正のほどよろしくお願いします。
マトリには幸せになって欲しいね。

原作者コメント:とりあえず気づけた範囲の誤字を修正しました。
口調等の校正に関しては脳内でキャラを動かす必要があるのでお時間を頂きたく思います。
致命的な違和感はないように思えました。
流石にこのままだとジニアがあまりにもあんまりなので甘ったるい何かを書こうと思います。
最終更新:2020年11月15日 21:00