「はあ……」
授業終了のチャイムと共に溜息が溢れる。
タイミング的に授業についていけないだとか、あるいは先生との相性が悪いだとか、そういった授業に関する悩みを抱えているように聞こえるかもしれないが悩みの本質はそこではない。
いや、すでに授業についていけていない感があるのは事実ではあるのだけど。
抱えている悩みというのは本当に幼稚なもので、数年後思い出せばきっと馬鹿馬鹿しかったなと笑えるようなものなのだろうけれど、しかしそれ故今の私たちにとっては死活問題であったりもする。
私たちはこの箱庭で数年間を共に過ごす……いや、過ごさなければならない。
同じ学科の生徒となればなおさら関わりを持つ機会も多くなるだろう、良好な関係を築くのは必須とも思える。
ひとたびスタートダッシュに遅れてしまえば差をつめるのに努力が必要となる、さっきの授業と同じように。
つまるところ、私は早くもクラスで孤立気味なのだ。
無理も無い話ではあると思う。
室内であろうと四六時中深くフードを被っている女なんて陰湿極まりないだろう。
しかも魔法の才能もからっきしときたら好奇心ではなく警戒心ばかりが育ってゆくのも無理は無い。
確かに友達を作りに学園に入ったわけでもなければ、正直魔法の勉強にそれほど熱意があるわけでもないけれど、それでもやはりこの状況は好ましくないと思わずにはいられない。
「ちょっとー、なーに辛気くさい溜息なんかついちゃってるんですかあ~?」
そして今私に声をかけてきた彼女こそ、かつて私の抱える最大の悩みの種だった少女であり、今では学科内で唯一友人といえる少女、ラクス・フォン・パーキンズである。
「…おはようございます、ラクスさん」
「もうお昼休みでーす♡ 授業でざこ脳みそパンクしちゃったんじゃないんですかあ?」
「あはは…否定はできないですね…」
「ほら、とっととご飯食べにいきますよー♡」
彼女もまた孤立気味ではあるが、別に傷の舐め合いをするためにこんな関係になったわけではない。
第一彼女は悪目立ちしすぎなのだ、陰湿で落ちこぼれの私とは正反対といって差し支えない。
「まったく、こーんな美少女とお昼デートができるんだから感謝しちゃってくださいね♡」
「別にデートではないのでは…?」
「じょーだんですよ、もしかして意識しちゃいましたあ?きんもーい♡」
意識したかはさておき、自ら美少女と言ってのけるだけあって彼女は事実学園内でもそう見ない愛らしさである。
そもそも彼女ほど幼さの目立つ生徒は学園内にいない時点でこと愛らしさにおいては大きなリードを得ているとは思うが。
詳しい事情は知らないが、なんでも彼女は特例で幼くして学園への入学を認められたそうだ。
さらに先日の組分け試験で白飛びを成した数少ない一人であり、私とは比較にもならない優秀な生徒。
ちなみに私にはもう一人、エリカさんという白飛びを成したひそかに尊敬する知り合いがいる。
入学初日から妙に縁あって関わる機会を得たのだが、エリカさんを友人と呼んで良いのかは少々怪しいところ。
他学科の落ちこぼれなどひょっとすると記憶にも残っていないかもしれないし。
…話を戻そう。
とにかく良くも悪くも優秀で明るいラクスさんは私と対極の存在ではあるが、お世辞にも良い子とは言いがたいことも相まってか私と同じく孤立気味なのだ。
そしてそんな彼女と一見共通点のない私がいっしょに行動しているとなると、健全な関係を築いているとは思われないのかより一層私たちは浮いた存在になってしまっている。
聞き耳を立てるといじめられてるなりパシられてるなりなんなり、なんともまあ散々な言われよう。
「えっと…今日は外食するんでしたよね?」
「そういったじゃないですか~、鶏さんより記憶力ないんですかあ?ざっこ~♡」
「…一応確認しただけじゃないですか」
今日は二人とも午後最初の授業はなかったので、せっかくだから街のほうに行ってみようという話になったのだった。
白飛びしている彼女と私ではそれほど多く同じ授業を受ける機会があるわけではないが、学科が同じ分共に行動すること自体はそれほど難しいわけではなく、なんだかんだほぼ毎日昼食をともに取っている。
「はあ…今日もいい天気~、ほんっと嫌になるわ」
本校舎から出ると、ラクスさんはいつも通り日傘を差す。
彼女の魅力に磨きをかけるようなレースで飾られたかわいらしい日傘は、しかし同時に彼女が孤立気味である原因を象徴する一面を持ち合わせている。
すなわち彼女にとっての日傘はまさしく私にとってのフードと同じで、これこそ私たちの一見奇妙な組み合わせをつなぎ止めた楔である。
そう、あの日も今日みたいによく晴れた日で、あの日も彼女は日傘を差していた。
エリカさんと同じく、ラクスさんと出会った日自体は入学初日のこと。
といってもたまたま居合わせたくらいのもので、小生意気でできれば関わりたくはないタイプといった印象を抱く程度の出会いでしかなかった。
ところが翌日操霊魔法学科の新入生オリエンテーションに顔を出してみると、よりによって彼女の姿があるではないか。
こちらの視線に気づいたのか、ますます増した私の新生活に対する不安を知る由もない彼女はニヤニヤと笑みを浮かべこちらにやってくる。
「こ…こんにちは…」
なんとか搾り出した挨拶もよそに、となりに座るや否や開口一番彼女は言い放つ。
「あっれー? 魔法も使えないざこおねーさんじゃないですかあ~♡ 教室間違えてるんじゃないですかー?」
「…いえ、私も一応操霊魔法学科ですから…」
「転科したほうがいいんじゃないですかー? ざーこざーこ♡」
正直に言ってこの攻撃はかなり効いた。
ただでさえ団体試験で突っ立ってただけに等しい自分に嫌気がさしていたところである。
その後すぐに始まった先生による諸々の説明の間も動揺は尾をひき、脳は理解を拒み数十分の説明はひどく長い退屈な時間に思えた。
「じゃ、せいぜい頑張っちゃってくださいね~♡ くそざこおねーさんじゃ期待できないでしょうけど♡」
とどめとばかりに去り際のこの一言、まさに最悪のセカンドコンタクト。
師匠に泣きつかなかっただけ自分を褒めたいとすら思う。
泣きついたところで慰めてくれるような人でもないだろうけれど。
2日目にして私に鮮烈な印象を植え付けた彼女と度々同じ教室で同じ時間を過ごすとなれば嫌でも意識してしまうもので、愛らしくも棘だらけの一輪の薔薇を観察する日々がこうして始まった。
そして一週間ほど経ち、ふと一つの疑問が浮かんだのだった。
お昼休み、彼女は必ずお弁当をもってどこかへ向かう。
別にこれだけでは妙な話でもない。
現に教室でお弁当を食べるもの、連れだって学食に向かうもの、売店へ買い物に向かうものと生徒の昼食事情は様々で、もうすでにお気に入りの場所を見つけている生徒がいたって不思議ではない。
妙だと思ったのは彼女が必ず日傘を持って教室を出るということ。
彼女が日傘を持っていかなければならないような場所で食事するはずがないと思ったのだ。
いったい彼女はどこへ向かっているのだろうか。
どうせ教室にいてもひとりお弁当をつまむだけなので、お弁当を携えなんとなく彼女を追ってみることにした。
気づかれないよう廊下を歩き階段を下り、外へと向かう彼女を追う。
日傘を広げた彼女のように太陽の下へ。
ぽかぽかとした春の陽気がやる気を奪っていくが、フードを整え覚悟を決める。
そう、彼女にとっても春の日差しは心地よいものではないはずなのだ。
ラクス・フォン・パーキンズはラルヴァと呼ばれる蛮族であり、彼女が孤立気味である最大の原因はおそらくその点にある。
聞くところによると、彼女たちラルヴァはヴァンパイアの幼体とも言える存在であり、ヴァンパイアほどではないにせよ日の光を苦手としているそうだ。
日傘を差しているとはいえ室内のほうがずっと楽なはずで、わざわざ外に出たということは何かしらの事情があるのだろう。
校舎から離れるにつれて人気も少なくなってきたので、彼女との距離を少しとり直す。
やがて木々の間へと彼女は姿を消したので、こっそりと様子を伺ってみた。
そうしてようやく合点がいった。
彼女はここで騎獣とともにランチタイムを過ごしていたのだ。
騎獣と過ごす彼女は年相応の無邪気な笑顔を浮かべていて、先日の口の悪さの面影も薄らいでいくようだった。
ぱきり。
感触と共に足下で音がした。
しまった、完全に油断した、そう思ったときにはもう遅い。
「…!だれよ!?」
ラクスさんが叫ぶ。
一人の時間を過ごそうとする少女を追いかけ、しかもその邪魔をしてしまった。
冷静に考えるとなかなかひどいことをしてしまったんじゃないかと思う。
途端に罪悪感が押し寄せ、逃げようという気にもならなかった。
「…すみません、どこに向かうのかと気になって…」
おそるおそる木の陰から姿を晒す。
「だ、誰かと思ったらざこのおねーさんじゃないですかあ♡ ストーキングも下手なんですか? ざーこ♡」
動揺を悟らせまいというように彼女はいつもの調子で言葉を浴びせてくる。
「斥候なんでしたっけ? そのくせそんな初歩的なミスしてなさけなーい♡ 言い訳とかしてみちゃいます?」
「…その、ラクスさんに見とれてしまって」
我ながら何を言っているのだろうか、これではあまりに苦しい言い訳にしか聞こえない。
しかしこれは本心からの言葉で、無邪気に笑う彼女はとても愛らしく見えたのだ。
「…は、はあ? おねーさんそっち系ですか!? へ、へんたーい♡」
ここで唐突に観察の成果というべきか、彼女の習性のひとつに気づいた。
これは彼女の威嚇行為である。
さっきからどことなく目が泳いでいるし、よく見れば耳も赤くなっている。
つまり彼女は照れている、なるほどなかなかかわいいところがあるじゃないか。
「だいたいなんであたしを追ってきたんですか? ほんときもーい♡」
心の壁がまた一つ閉じようとしているのがわかる。
「その…不思議だなと思ったんです、ラルヴァのあなたがなぜ日傘をもってまでして外へ昼食に向かうのかと」
しまった、言葉選びを間違えた。
ますます不快感をあらわにする彼女の表情をみてそう悟った。
「…その呼び方、やめてくれません? 意味わかっていってます? ざこのおねーさん♡」
「…?」
「ラルヴァ、語源は魔動機文明語の"虫けら"と同じなんですよ~?」
「…すみません、知りませんでした」
己の不勉強さを呪った、なんてひどい呼び名だろう。
「…まあ、脳みそすかすかのおねーさんには期待してませんでしたけどー♡」
口調こそいつも通りだったけれど、傷つけてしまったのは間違いない。
「…ごめんなさい、傷つけたかったわけじゃないんです」
「…よくそんなこといえますね~♡ 日光に弱いからって馬鹿にしたかったんですかあ? デリカシーの授業も受けたほうがいいんじゃないんですか?」
「ち、違うんです、馬鹿にするつもりなんてなくって…」
「どう違うんですか? 言い訳まで下手なんですね~♡ ざーこ♡」
ああ、本当に彼女の言うとおりだ、こんなのただの下手な言い訳でしかないじゃないか。
いったい私は彼女を追いかけて何がしたかったんだろう、何を期待したんだろう。
いくら考えても数分前の自分のことは理解できなかったけれど、今の私がどうしたいのかはわかりきっていた。
「…私も、似たようなものですから…ライカンスロープ…なんです、私」
認めたくないはずの自分の秘密は、そよ風が後押ししてくれたと思えるくらいにすんなりと溢れた。
一瞬きょとんとした表情を見せた後、ラクスさんは自分のペースを取り戻すように威嚇を続ける。
「は、はあ? もうちょっとまともな嘘つけないんですかざーこ♡」
「…信じていただけないのでしたら獣化してみせましょうか? …あまり見せたいものでもないですが、ラクスさんが望むのでしたらお見せします」
少し何かを考えるような間をとってから、ラクスさんは口を開いた。
「…けっこーで~す、よわよわおねーさんと違ってあたしは察しがいいんで」
「…ありがとうございます、とにかくその…悪意があったわけじゃなくって…」
「はあ…わかりましたって、もういいです」
呆れたように大きな溜息をつき、彼女は木陰に戻りちょこんと座った。
「…ボーッと突っ立ってないで座ったらどうです? それとも立ったまま食べるつもりですか? それ」
彼女に指摘され、ようやく自分がお弁当を持ったままだったことを思い出した。
「…すみません、失礼します」
同じく木陰に腰掛けお弁当を広げた。
自分で作ったサンドイッチは、同じく重ねて切っただけなのに修業の合間に食べた先輩のものほど美味しそうにみえない。
この先輩というのはミアさんやレオンさんのような学園の先輩という意味ではなく、学園にくる少し前まで修業をつけて貰っていた冒険者としての先輩のことで、剣術や斥候技術を教えてくれた先輩と料理や家事を教えてくれた先輩の二人がいる。
先輩、という呼び方も紆余曲折あった折衷案的なもので、関係性を正しく表したものとは言いがたい。
なんなら私と歳は変わらないか少し下くらいで、そんな少女二人が師匠と肩を並べて戦ったというのだから世界は広い。
ちらりと横目でラクスさんのほうをみると、両手で持ったパンを頬張る小動物のような姿が見えた。
やはり黙っていれば愛らしい少女である。
先輩二人も人目を引きつけてやまない少女であったし、特に剣術の先輩は美しさや可憐さ、愛らしさが人の形を成しているような存在であったが、ラクスさんを見ているとまた違った、なんとも愛おしいものを見ているような気分になってくる。
「…なにじろじろみてるんですか、あげませんからね?」
あわてて視線をそらす。
そんなに食い意地を張っているように見えたのだろうか、1度そう考えてしまうとまた少し気分が沈む。
事実この身体になってからというもの、妙にお腹が空いて仕方がないのだ。
身体の構造が変わっているのだから当然だと師匠は言っていたし、家事の先輩にいたっては作りがいがあってワタシとしては嬉しいくらいだよ、なんて言ってはいたが、肉体の変化に順応していない心は欲望に溺れていいものかと警鐘を鳴らし続けている。
「…ごちそうさまでしたっと。 お先に失礼しますね~、鈍間なおねーさん♡」
本当に昼食を取られるとでも思っていたのか、あるいはこれ以上沈黙に付き合う気はなかったのか、ペースを上げて昼食を平らげたラクスさんが立ち上がった。
じゃあまた後でね、と騎獣に語りかけ、証により収縮しようとしたとき、強い風が吹き抜けた。
いたずら好きな風はラクスさんの日傘を攫ってゆく。
咄嗟に身体が動く、とはまさにこのこと、気がつけばサンドイッチを放り出し、外套を脱いでラクスさんに被せていた。
「だ、大丈夫ですか?」
少し驚いた顔を見せ、ラクスさんはつぶやく。
「お…大げさです、別に死ぬわけでもあるまいし…」
「す…すみません、つい」
またやってしまった、急にこんなことをされては驚いて当然である。
「…というかせっかくなら日傘のほうを掴んでくださいよ…ざこ」
「あはは…返す言葉もないです…」
文句をいうくらいには元気そうで少し安心する。
「ちょっと待っててください、日傘を探してきますから…」
「そう…っておねーさん、これどうするんですか」
「そのまま被っていてください、無いよりはマシでしょう」
返事する暇を与えないように、木々のほうへ駆け出した。
幸い日傘が木に引っかかっているところをあっさりと発見し、なんとか無事回収することができた。
こういうときばかりは身体能力が上昇したことに感謝しなくもない。
穴が空いていないことを確認し、ラクスさんへ手渡す。
「お待たせしました、体調は大丈夫ですか?」
「このくらい平気です、ざこじゃないんで」
ふん、と鼻を鳴らしラクスさんは続ける。
「…その、おねーさんこそ大丈夫なんですか」
外套をラクスさんから受け取り、制服の上から羽織る。
「このくらいでしたら流石に大丈夫ですよ、死ぬわけじゃないですから」
「…だったらそんなのつけなきゃいいじゃないですか、おねーさんけっこう美人さんなのに」
先程の意趣返しのつもりだろうか。
その反撃は効果覿面、顔の火照りを感じる。
照れ隠しにフードを被り直すと、授業開始のチャイムが鳴り響いた。
「ああもうこんな時間…ってラクスさん、次の授業は!?」
散乱してしまったサンドイッチを回収し、手早くマットを畳みながらラクスさんに尋ねる。
「空きコマなのでご心配なく、図書室にいくつもりではありましたけど」
「それはよかった、私は次の授業がありますので!」
駆け出そうとした私のスカートを、ラクスさんの小さな手が遠慮がちにつまむ。
「…どうかしましたか?」
「…その…ありがと」
可憐な少女が少しだけ見せた心からの礼に比べれば、葉っぱまみれで授業中の教室に駆け込んだ私を見つめる師匠の呆れたような表情と小言なんて、ほんの些細な問題にすぎないだろう。
先週からわかっていたことではあるのだけれど、翌日の午前授業ではラクスさんの姿を見ることはなかった。
昼休み、昨日と同じ場所に向かえば彼女はいるのだろうか、と淡い期待を胸に教室を出ると、すぐ近くにラクスさんの姿が見えた。
「…遅いです、ほんと鈍間ですね、ざーこ♡」
「えっと…どうしてここに…?」
ぴんと来てない私に少し腹を立てたように、ラクスさんは視線をそらし、小さな声で言う。
「なによ…一緒にご飯、食べるんでしょ?」
「…!はいっ!」
以上がラクスさんと私が昼食を共にするまでのちょっとした物語である。
初期印象こそ最悪と言っていいくらいのひどいものではあったが、今となってはラクスさんは表情豊かな私の友人である。
観察を続けるにつれますます魅力的に見えてくる、こちらを飽きさせない一輪の花。
「それで、今日は何食べます? おねーさんが決めちゃっていいですよ♡」
今日もまた、日傘を差した可憐な薔薇は日に当たらずとも気高く咲き誇っている。
「…そうですね、ハンバーガーなんてどうでしょう」
軽い気持ちで書き始めたら筆が乗りすぎた。
精査不足気味なので細かい修正が加わるかもしれません。
最終更新:2022年05月20日 03:50