(……あれは、エリカさん?)
大魔技戦が終わって数日が経った。
学園各所の装飾は既に片づけられ、祭りに熱を帯びていた生徒の雰囲気も普段のものへと戻りつつある。
来週の頭になれば、夏季試験の存在を目の当たりにした生徒たちがピリつき始めることだろう──丁度、そのような合間の時期であった。
アセビがエリカを見かけたのは、そんな日の放課後だった。
本校舎の裏手──普段は殆ど人が近寄らない場所だ──へと彼女は向かっている。
時間から考えると部活だろうか。いや、彼女の所属する自然交流部は反対方向だったはずだ。
(何をしているんでしょうか。あちらには何もないはずですけど……)
疑問と同時に不安を覚える。
ああいった人気の少ない場所には良くない人物が集まりやすい。
学園の不良は勿論のこと、魔物屋のような非合法な取引の現場となっていることも珍しくないのだ。
無論、エリカがそのような行為に手を染めるとは思っていない。
しかし、言わば治安の悪い場所へと彼女が歩みを進めているのも事実である。
彼女が不穏な事件に巻き込まれていないか──そんな心配が胸裏を過ったのが、この後の行動を決める切欠となった。
(様子だけ見に行きましょう。何も無ければ、そのまま帰ればいい話ですし……)
呼吸を潜め、ほんの少し歩法を変える。
ただそれだけでアセビの気配はぐっと薄くなる。
魔法ではない。積み重ねたスカウトとしての技術が、その隠密を可能としていた。
そして気づかれることなく、アセビはエリカの後を追っていく──。
◇◇◇◇
エリカが立ち止まったのは本校舎裏の空き地であった。
アセビはやや離れた校舎の壁に隠れる。アセビの見る限り、エリカの他に人はいないようだった。
彼女は周囲を見渡した後、近くに立て掛けていた何かを慣れ親しんだ仕草で手に取る。
(鉄の棒──いえ、剣に似ているような……)
遠くからではその正体は判然としないが、それは大型の武器のようにも見える。
或いは、エリカが使っている大剣のような──そこまで頭に過った辺りで、視線の先のエリカがゆらりと動き始めた。
エリカの前方を薙ぎ払うように鉄棒が振るわれる。
遠心力に引かれて彼女の体が回転し、それを利用してより加速をつけた一撃が繰り出される。
回る、振るう、回る、振るう、回る、突く、回る、回る、回る──。
その動きを見て、アセビはエリカが何をしているかを理解した。
あれは鍛錬だ。あの舞うような武器捌きは、依頼や大魔技戦で見たことがある。
この誰も立ち寄らない場所を使って、彼女は隠れて武器を振るっているのだ。
鍛錬は十数分ほど続いただろうか。
エリカの体力が尽きかけてきたのか、棒の先が地面を擦った辺りで動きが止まった。
荒げた息を整え、汗をタオルで拭う。そして、ぽつりと零すように呟く。
「……駄目ね。この程度じゃ、お父様たちの願いを叶えることなんて──」
痛みを堪えるような声色だった。普段のエリカからは想像もできないような。
予想外のことに驚いて、反射的に体を引きそうになる……のを何とか堪える。
(……危なかったです。ラクスさんの時と同じミスをするところでした)
内心安堵しつつ視線を下に向けた時、“それ”の存在に気がついた。
ただの蟻の群れのように見えるが、よく見れば黒い帽子と人間のような服を着ている。
その名前を知っている。エリカがよく呼び出す、その妖精の名は──。
『我が名はムリアン。我々は大勢であるが故に』
「…………」
『君はエリカの知り合いだったか。我々は今、周囲の監視を任されている。君のことも報告するが構わないか』
「えっ。ちょ、ちょっと待ってくださ──」
『そうか。すまないが、我々の一部が既に伝えてしまったようだ。
エリカはこちらへ向かってきている。逃走を推奨──いや、もう遅いな。諦めてくれ』
「 」
視線を動かせば、こちらを睨みながら歩いてくるエリカの姿が見える。
“終わった”と、アセビは思った。
◇◇◇◇
「で、どうしてあんな所にいたのよ」
近くにあったベンチに並んで座りつつ、エリカがアセビに問う。
その声は怒気を孕んでおり、瞳は訝しげにアセビを見つめていた。
「うっ……ええと、それはですね」
その視線から逃れるように目を逸らす。一瞬、誤魔化すべきか迷った。
しかし嘘を吐けばかえってエリカを怒らせてしまうだろう──そう考え、正直に言うことにする。
「実は、エリカさんが校舎裏の方に向かうのを見かけまして。
あの辺りには良くない噂がありましたから。その、何か事件に巻き込まれているんじゃないかと心配に……」
「……なるほどね」
アセビの説明に納得したのか、エリカの声から怒気が消えた。
問い詰めるような視線も和らぎ、僅かに申し訳なさそうな様子で言葉を返す。
「見てたなら分かると思うけれど、ただの鍛錬よ。心配させて悪かったわね」
「いえ、こちらこそ覗いてしまってすみません。ところで、その……聞いて良いのかは分かりませんが」
痛みを堪えるような声をアセビは思い返す。
何かただならぬ事情があることは伺える。容易く踏み込んで良いことかも分からない。
しかし、相手は何度か苦難を共にした同級生である。できるなら力になりたいと、アセビは思っていた。
「先程言っていた、お父様たちの願いとはどういうことでしょうか」
「……聞こえていたのね」
「ごめんなさい。けれど辛そうな様子でしたので……私で良ければ聞かせて貰えればと思いまして」
「…………」
エリカは熟考するように目を閉じた。
重たい沈黙が続いたが、ややあってエリカは溜息をつき、目を開いてアセビに向き直る。
「変に心配させたままなのも悪いし、事情くらいは教えるわ」
「ありがとうございます」
「……私の実家、元々は貴族だったのよ。
それなりに領地も持っていたんだけど、先代が経営で失敗をして借金を抱えちゃってね。
その返済をするために色々手放して……後に残ったのは家名だけ」
「そんなことが……」
「生まれる前からその状況だったから、私は別に気にしていないんだけどね。
でも両親は別。出来る限りを取り返したくて、今もあちこちを駆け回っているの」
「…………」
「私もそれに協力していて……ほら、魔法学園で活躍するとスポンサーが着くでしょう?
大口のスポンサーが着いてくれて、私の成果と引き換えに援助を貰えれば願いも叶えやすくなる。
だからこうして頑張ってはいるのだけれど……この程度じゃ、まだ駄目みたいね」
大魔技戦はチャンスの一つだったけれど結局負けちゃったし──と、ぼやくように続ける。
あの時の鬼気迫るような意気込みにはそういう訳があったのかと、アセビは心中で納得する。
「大体はこんなところね。つまらない話だったでしょう?」
「いえ、そんなことは……言いにくいことなのに、話してくださって有難うございます」
「別にいいわ。特別隠してる訳じゃないし、噂好きなら知っててもおかしくない程度のことだから」
「…………」
エリカは肩をすくめて、あっけからんとした振る舞いで答えた。
しかし、やはり何か思うところがあるのか言葉には微妙な気配が滲んでいる。
その様子を見たアセビは暫しの思案の後、何かを決心したような様子で話を切り出した。
「エリカさん」
「なによ」
「この鍛錬、私も参加させて貰えないでしょうか」
「……協力のつもり? だったら必要ないわ。
これは私の問題なの。他の人を巻き込む訳にはいかないのよ」
「いえ、そうではなく……最近は授業や依頼で戦う機会が多くなりましたから、体を鈍らせてはいけないと思いまして。
それに、エリカさんの近くに居れば授業で分からなかった部分も聞きやすいですし……」
勿論、それは理由の半分にも満たない。
エリカのことが見ていられなくなって手伝おうとした──というのが本当のところだ。
おそらく、それはエリカにも分かっているだろう。自分でも詭弁に近いとアセビは思う。
しかし、それでも。黙って見過ごしてしまえば後悔してしまうような予感があった。
「…………」
「どう、でしょうか。お願いできませんか?」
「……あなた、意外と押しが強いのね」
ふっ、と観念したようにエリカが笑った。
こわばりが溶けたような、普段のものに近い微笑みだった。
「ま、そのつもりなら構わないわ。
友人の申し出を頑なに断るのも、それはそれで失礼だしね」
「……! えっ、いま、友人って──」
エリカの口から出た言葉に驚き、ガタリとアセビの体が揺れた。
その様子にエリカはくすりと笑って、冗談めかして詰るように言葉を続ける。
「あら。それなりに親しい仲だと思っていたのだけれど、それは私だけだったのかしら」
「い、いえ。でも、魔法も殆ど使えないし、私なんかが……」
「あまり自分を卑下するものではないわ。
あなたは十分以上に優れた人物だし……第一、友人になるのに優秀さは関係ないでしょう?」
「そ、そうでしょうか……?」
「そうよ。少なくとも私にとってはね」
そう言い切った後、エリカは空を仰いだ。正確には、太陽の位置を確認したようだった。
そしてベンチから立ち上がり、傍らに置いていた練習剣を拾い上げてアセビに向き直る。
「さて、休憩にしては長くなったわね。そろそろ鍛錬に戻らないと」
「はい……その、今日から宜しくお願いします」
アセビも立ち上がり、エリカの後をついていく。
さくさくと土を踏む音と、夕日が齎す赤い光の中、自分にだけ聞こえるような声でエリカが呟く。
「……ありがとね。正直、ちょっと救われたわ」
「? 今、何か言いましたか?」
「いーえ、何も。じゃあ、始めましょうか」
そうして、二人の鍛錬が始まる。
何時まで続くかも不確かな、学生同士の些細なひと時。
しかしエリカにとって、確かにその時間は──。
最終更新:2022年07月15日 15:14