「驚異的な結果ですよ、訓練を終えたチルドレンに匹敵……いや、凌駕するほどの戦闘力です」
頭上高く、透明な板の向こうで、見世物を見るような目で男たちが話している。
鉄屑と化した塊から剣を引き抜き、ため息をひとつ。
「なんでも既に獅子王の剣に適合反応が見られるとか。いるんでしょうな、化物の中にも飛び抜けた傑物というのは」
「実戦投入しても問題ないと?」
「ええ、ただ少し……態度には問題がありますがね」
斜め上に視線を送ると、男と目が合った。
「ほら、見てくださいよあの瞳。まるでこちらの話が聞こえてるかのようにこっちを伺うようなあの視線。どこか見下すようで気味が悪い」
事実あちらの会話が聞こえている、なんて発想には至らないらしく、男たちは下世話な会話を続ける。
「不気味? 綺麗な子だと思うけどね」
「はっ、お前そういうシュミかよ、よく適性検査通ったな」
「そんなんじゃねーよ。……ただまあ本当に……この世のものとは思えない」
「……それも含めて本当に不気味だよ、ソラリスでもないってのに」
舐め回すような視線も、絡みつくような言葉も、どれだけ慣れたつもりでもやはり不快なものは不快である。
皮肉にも、あの視線が、あの言葉が、私の世界とこの世界がそう変わらないことを実感させる。
剣を鞘に収め、大きく息を吐く。
どうやら私は感覚というものが人一倍鋭いらしく、少なからず集中すれば更に感覚が研ぎ澄まされるわけで、訳のわからない鉄塊との戦闘を終えた直後ともなれば、聞きたくもない、聞こえないはずの会話が聞こえてしまう。
張り詰めた感覚を弛めるように、息を吸って、吐く。我ながら難儀な身体だと思う。
『訓練は以上だ、戻りたまえ』
天井の角に付けられた黒い機械から声が響く。鉄屑以外ほとんど白一色の殺風景な部屋に、本来なら唯一声を届かせるであろう機械。
男たちを一瞥して部屋から出る。これ以上の視線も言葉も御免だった。
武器立てに剣を放り込み、まだ誰も戻ってきていない控え室を後にする。
足早に廊下を歩く。道中の言葉も視線もできる限り気に留めないよう努めた。とにかく早く私室に戻りたかった。
この施設に『保護』されてから、私には一つの部屋が与えられている。息が詰まるほど狭く殺風景な部屋ではあったけれど、与えられた環境には適応してしまうもので、他の場所に比べ少しくらいは気を弛めることができる安心感のようなものを感じていた。
まあ恐らくどこにいても監視はされているのだろうけど。
私室にたどり着き、ようやく少し緊張が解れる。机と椅子、寝台と小さな収納棚程度しかない、最低限という言葉すらためらわれる設備しかない部屋。
あれほど外に出たかったはずの城の一室よりもずっと狭く退屈で殺風景なこんな部屋に安らぎを感じるようになんて、あの頃は思いもしなかった。
訓練着を脱ぎ、これまた質素極まりない普段着らしきものに着替える。
訓練室近くに更衣室があるらしいが、使用する気にもなれず私室に戻ってから着替えるようにしている。それこそどこで監視されているかもわからないし、監視されてなくとも面倒事を避けるに越したことはない。
着替えを終え固い寝台に腰掛けると、こちらに近づく足音が聞こえてきた。
もう既に聞き馴染みつつある音。思わずため息が溢れる。
相手がノックする前に声をかける。
「どうぞ、何か用かしら」
そろそろとドアが開き、私より少し幼い少女が顔を覗かせる。
「こんにちは、訓練終わり……かな? お疲れ様」
この場所に来てからせいぜい一週間程度といったところだが、その間この少女はこうして欠かさず私の部屋に訪れている。
こういうとまるで彼女と私が短い付き合いながらも仲が良いように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。
むしろ彼女を見ていると苛立つようなざわつくような、平穏とはほど遠い心理状態に陥る。
「はあ……毎日毎日よく飽きませんわね、大した用もないでしょうに」
毒づく私の態度に、少女は少し困ったような笑みを浮かべる。
「そんなことないもん、あなたを見つけたダイイチハッケンシャ?ってやつだから。様子を見に来ないと」
彼女はそう言うが、実のところ私は目覚めた時の記憶が曖昧で、はっきりと思い出せるのはこの施設に来てからのこと。何やらよくわからない機械(といっても目覚めた直後の私は『機械』という概念を知らなかったが)に囲まれて軽いパニックに陥ったのだった。
機械はいくつか使い物にならなくなっただろうけれど、無許可で私の身体にあれこれ接続していたほうが悪い。
「だからといって毎日来る必要はないでしょう、余程暇なのかしら」
こうは言っても恐らく私のほうが時間を持て余している。よくわからない検査とよくわからない訓練をこの数日繰り返しているが、だんだんとその頻度も少なくなりつつある。そもそも最初から多忙と言うほど多くはなかったが。
ともなれば彼女の来訪はいい暇つぶしにはなる……と言うべきなのかもしれない。訓練を監視する男どもや検査を担当する女たちよりは彼女のほうがいくぶんマシであるのは事実だ。
それでも何故だか彼女に対して棘のある発言をしてしまう。彼女の何かが私の心を乱す。
「……ああ、それとも"様子を見る"こともあなたのお仕事なのかしら? ご苦労なこと」
「ち、違うもん。そんな命令されたとか、そんなんじゃなくって……ただ……」
だんだんと彼女の声が小さくなってゆく。
「ただ?」
「ほんとは……その、寂しそうだったから」
最後に少女はボソリと呟く。私でなければ聞き漏らすほどの、消えてしまいそうな小さな声だった。
「なにか言ったかしら?」
あえて聞こえなかったかのように問いかける。事実発言の意味はよくわからなかった。
「……ほんとは……その、あなたが寂しそうな眼をしてたから。だから……」
上目遣い気味におずおずと私の目を見つめ、彼女は答えた。
「……はあ?」
「ご……ごめんね、変なこと言って」
少し威圧的になってしまったのだろうか。彼女は少し怯えたような素振りを見せる。
「寂しそうだった? 私が?」
別に怖がらせたいわけではない。それでも何故か語気が強まるのを抑えられない。
「何をわかったような気になってますの? 第一発見者サマにはよっぽど私がかわいそうに見えたのかしら。あるいはあなたも私に付け入ろうって方々と同類とか? 私に近づきたいならもう少しマトモな文句を覚えることから始めるんですのね」
ああそうだ、彼女もそんな輩と一緒に違いない。私よりも幼いながらも結局は施設内の有象無象、あるいは陰謀渦巻く舞踏会の壁の花と変わらないのだろう。
睨むように彼女を見る。これだけ言えば彼女も退くかと思いきや、彼女は私の目を見たまま続けた。
「……わからないよ、あなたのことは何もわからない。何も知らない」
先程までの小動物のような、どことなく控えめな態度とは変わり、大きくはなくともはっきりとした声で彼女は言う。
「私にだってわからないよ、どうしてあなたが寂しそうだって思ったのか。どうしてあなたをほっておけないのか」
彼女の瞳がしっかりと私を見つめる。
そうだ、この瞳だ。私をまっすぐ見つめるこの瞳。彼女にだって少なからぬ事情があってこの場所にいるはずなのに、この場所の誰よりも瞳が輝いている。まるで青い宝石のように、彼女の瞳の奥は輝きを放っている。
「だから教えてよ、あなたのことを。今すぐじゃなくてもいい、少しずつでもいいから教えて。話す気になるまで私はここに通うから」
彼女の瞳に宿る、苦難を越える輝き。陽光が時に温かくもまばゆくもなるように、彼女の光は今の私には眩しすぎたのだ。
ゆっくりと、彼女の小さな手が私の頬に触れる。
「ちょ、ちょっと、なにを急に」
「ごめん、泣いてたからつい」
泣いている?私が?
気づいてしまえばもう止めることは叶わなかった。頬を伝う雫が次々溢れ出る。人の前でこんなに泣いてしまうなんて初めてかもしれない。
泣き崩れる、という言葉の通りと言わんばかりに姿勢を崩した私を、彼女の身体が受け止める。恥ずかしい、はしたないと思いながらも彼女の胸に顔を預けずにはいられなかった。
そんな私を受け入れるように、彼女の手が私の頭をそっと撫でる。
「私っ、あなたの言うとおりだと思う、きっと寂しかったの。ここには誰もいない。お母様もばあやも、私を知ってる人は誰もっ」
優しい声で彼女は答える。
「大丈夫、私はいるよ。私がこれからあなたを知るの。あなたを一人ぼっちにさせない」
「ほんとに? さっきは話す気になるまでって言ったのに?」
「まったくもう、変な心配はいらないよ。あなたが望んでくれるなら、私はずっとそばにいるよ」
ああ、年下の少女に泣きつくなんて本当にかっこ悪い。こんな姿を見せて幻滅されないだろうかと不安になる。
「……どうして? どうしてあなたはそんなに優しいの? 私に優しくしてくれるの?」
顔を上げ、彼女を見つめる。優しい表情を残したまま、少し何かを考えるような顔をする。
「優しいのかはわかんないけど……きっと私も同じだから。私もきっと寂しかったんだと思う……父さんも母さんももう、ずっと前にいなくなっちゃった」
少しだけ彼女の声が震えるのがわかる。ゆっくりと彼女を抱きしめる。私より少し小さい身体。彼女の言葉と裏腹に、あまりに頼りない身体。
「……ねえ、もうひとつ聞いて欲しいの」
「……なに?」
互いの顔が見えない姿勢のまま、もう一つ心の鍵を開ける。私の世界の、最期の記憶。
「あなたが私と"同じ"なら……知ってる? 私たちに待つ最期を」
「……うん、知ってる。……見たことも、ある」
私たちの最期。超常なる力の代償。すべてを壊す衝動。大切だったものも、護りたかったものも、何もかもを壊してしまう。
「……怖い、怖いの」
「……うん、怖いよね」
互いを掴む手に力が入るのがわかる。
「きっと何もかもわからなくなって、何もかもを壊すの。大切なものも……あなたのことも。そして私は一人ぼっちで、何もわからないまま誰かに殺される。それが怖い。たまらなく怖いの」
あるいは私の世界のように、世界のほうが壊れてしまうかもしれない。そして私は何もない場所で、また独りになる。
「……大丈夫、もしそうなってもあなたを一人にしない。絶対に」
「……うそつき。できっこないもの、そんなこと」
「その時は私があなたを止める……あなたの命を奪ってでも。そして私もいっしょに死ぬ。あなたを一人にはしない、最期までずっと一緒にいるから」
あなたの表情は見えないけれど、見なくてもわかる。あなたの瞳は今もきっと、どんな宝石だって敵わない輝きに満ちている。私にはない確かな強さを、あなたは持っている。心の迷いは、もう晴れた。
彼女を抱きしめる腕に力が入る。彼女の体温を感じる。日だまりにいるような安心感。
緊張が解けたのか、ごろごろとお腹がなる音がした。
「……ふふっ、ごめんね、私のお腹だ」
私が何か言う前に彼女はそう言って身体を離す。ちょっとした沈黙。なんだか少し気恥ずかしい……と思っているのはどうやら私だけではないらしく、彼女はごまかすように自分の懐を漁る。
「そうそう、言いそびれちゃったけど今日は本当に大した用がないわけじゃないんだよ、じゃじゃーん」
彼女は得意げに袋に入った焼き菓子を差し出す。
「私ね、訓練とかがない時はお料理の練習をしてるの。今日のクッキーは上手く焼けたと思うから……食べてほしくって。あっ、紅茶もあるよ、こっちは私が淹れたわけじゃないけど」
そう言うと彼女は水筒の蓋に紅茶を注いだ。どうやら蓋がカップになる作りらしい。
「……ありがとう。大した用はないんでしょう、なんて言って失礼しましたわ。いただきますわね」
シンプルな丸形のクッキーを頬張る。……ちょっと甘すぎ。火の通りもまちまち。そもそも素材の質が私が口にしてきた焼き菓子と比べられるレベルのものでは到底ない……ないはずなのに、胸の奥が温かくなる。褒められた出来ではないはずなのに、えも言われぬ感動を覚える。
「……ど、どうかな?」
「……」
「……やっぱり美味しくなかったかな……」
先程までとは打って変わり、彼女は自信なさげな表情を見せる。
「あら、上手く焼けたんじゃなかったんですの? まあ確かに、ちょっと甘すぎるかもしれませんわね」
そういいながらもう一つ頬張る。今度は焦げていて少し苦い。
「ご、ごめんね……無理して食べなくていいよ」
「腕前はまだまだだけれど……こんなに温かい焼き菓子を食べたのは初めてですわ」
私の言葉を聞いた彼女は不思議そうに首を傾げる。
「? 焼きたてじゃないよ?」
「……ふふっ、もう、変なところで鈍感ですわね」
思わずクスリと笑ってしまった私に釣られたのか、彼女も笑顔を見せる。
「あっ、やっと笑ってくれたね! やっぱり私の思った通りだ。あなたは笑ってたほうが素敵だよ」
本当に不思議な少女だ。気がつくと彼女にペースを握られていて、気がつくと彼女に心を乱されている。だけど不思議なことに、先程までとは違って嫌な感じはしない。
「……ヴィスタリア。ヴィスタリアでいいですわ、
マトリ」
「あれ……私の名前」
まさか覚えているとは、と言わんばかりに彼女は驚いたような顔をする。
「流石に覚えてますわ、最初の二、三日律儀に名乗っていたでしょう」
「そっか……じゃあ改めて。これからよろしくね、ヴィスタリア」
「ええ。……さて、まずはマトリにはもっと強くなってもらいませんと。私よりずっと弱そうですもの、ちょっと頼りないですわね」
「えぇ……そうかもだけど、きっとこれから背は伸びるもん!」
まだまだ子供な自覚はあるようで、微妙にずれた微笑ましい反論が返ってくる。
「まあ確かに、背が伸びれば多少は格好がつくかもしれませんわね。私の
騎士にしては威厳が足りませんもの」
「な、
騎士……? 威厳ってどうすれば……? とりあえずしゃべり方とかかなあ……」
「ま、しっかり励むことですわね。私はワガママですの、並び立つのは大変ですわよ?」