中央防波堤立てこもり事件
中央防波堤立てこもり事件は、20XX年12月1日に川元環境エンジニアリング(現:株式会社リバーエコロジー)の武装労組が中央防波堤外側埋立地地区を不法に占拠し、同社役員を人質に立てこもった立てこもり事件。
労働基準監督署の専門部隊が活躍する初の事件となった。
労働基準監督署の専門部隊が活躍する初の事件となった。
概要
201X年12月1日、東京湾北部に位置する中央防波堤外側埋立地に接続されている東京港臨海道路の上下線を、川元環境エンジニアリングの労働組合(以外、武装労組)が事業車を用いて封鎖。
その後、広域労働基準監督署江東署の夢の島分室が対処にあたり、交渉と交戦を含めた8日間のスト対処の結果、12月9日に武装労組を解散。労組書記長は逮捕されたものの、委員長と組合員はに死傷者が出た。
その後、広域労働基準監督署江東署の夢の島分室が対処にあたり、交渉と交戦を含めた8日間のスト対処の結果、12月9日に武装労組を解散。労組書記長は逮捕されたものの、委員長と組合員はに死傷者が出た。
事件の背景
川元環境エンジニアリング
同社は、プラント系企業から排出される産業廃棄物のなかでも、特に危険な廃棄物の運搬と処理を得意としていた。
しかし、危険な作業を要する職場環境としては劣悪な状態に甘んじて、徹底したコスト削減を行っていた。[1]
しかし、危険な作業を要する職場環境としては劣悪な状態に甘んじて、徹底したコスト削減を行っていた。[1]
労組の結成
そのため、同社の社員を核に「東京湾岸危険廃棄物処理労働組合」が結成され、同業他社からも多数の参加があった。
一方、東京湾岸危廃労組の活動にあたっては、反社会的勢力の助力があったとされ、スト権行使の際に武器の使用をほのめかす発言があり、他労組からの非難も絶えなかった。[2]
一方、東京湾岸危廃労組の活動にあたっては、反社会的勢力の助力があったとされ、スト権行使の際に武器の使用をほのめかす発言があり、他労組からの非難も絶えなかった。[2]
事件の経過
スト当日における武装労組の人数と武力
川元環境エンジニアリング社員:101名[3]
他社社員:35名
機関銃:3丁
ライフル銃:77丁
けん銃:8丁
その他:ダイナマイト、危険薬物の入った投てきビン、火炎瓶など
他社社員:35名
機関銃:3丁
ライフル銃:77丁
けん銃:8丁
その他:ダイナマイト、危険薬物の入った投てきビン、火炎瓶など
スト決行へ
20XX年の団体交渉は決裂、10月1日に武装労組はスト決行を宣言した。しかしこの時点では、具体的なストの内容や時期は発表されていなかった。
中央防波堤封鎖
20XX年12月1日2時31分、中央防波堤外側埋立地西側の交差点と中防大橋を武装労組加入企業のタッカー車で封鎖。同時刻、同交差点下部のバイパス道にダンプカーから残土を投棄し封鎖。
これにより、中央防波堤外側埋立地に続く陸路が完全に封鎖された。
これにより、中央防波堤外側埋立地に続く陸路が完全に封鎖された。
声明を発表
同日4時30分、武装労組は中央防波堤外側埋立地を封鎖したことを宣言するため、報道各社にFAXで声明文を送信した。
声明文では、従来の労使交渉内容を上回る待遇改善を要求し、その交渉材料として同社重役3名を拘束していることを明示した。
声明文では、従来の労使交渉内容を上回る待遇改善を要求し、その交渉材料として同社重役3名を拘束していることを明示した。
武装労監の出動
武装労組による10月スト宣言を受け、本社の所在する地域を管轄する労働基準監督署蒲田署が調査を行っていた。
しかし、武装労組の大半が勤める事件現場、中央防波堤外側埋立地は大田区と江東区が領有権を主張し合っている地域であり、広域事案としては、臨海広域と南部広域の管轄が重複していた。
そのため、武装労監の初動は遅く、臨海広域が割り当てられ、現場で執行に当たったのは事件翌日のことであった。
しかし、武装労組の大半が勤める事件現場、中央防波堤外側埋立地は大田区と江東区が領有権を主張し合っている地域であり、広域事案としては、臨海広域と南部広域の管轄が重複していた。
そのため、武装労監の初動は遅く、臨海広域が割り当てられ、現場で執行に当たったのは事件翌日のことであった。
交戦へ
12月2日、臨海広域の特別監督官チームが中央防波堤内側埋立地から交渉開始の呼びかけを行った。
しかし、武装労組はこの呼びかけを攻撃の開始と誤認し、交渉班に向かって射撃を行った。しかし、先に武装労監がライフル銃で狙いをつけていたため、正当防衛であったとの主張もある。[4]
この攻撃によって、武装労監側はこの事件をBランクストに格上げし、強制執行に移ることとなった。
しかし、武装労組はこの呼びかけを攻撃の開始と誤認し、交渉班に向かって射撃を行った。しかし、先に武装労監がライフル銃で狙いをつけていたため、正当防衛であったとの主張もある。[4]
この攻撃によって、武装労監側はこの事件をBランクストに格上げし、強制執行に移ることとなった。
特殊部隊の出動
12月2日から12月4日にかけ、武装労監は陸路と海路からの侵入を模索していた。しかし、陸路には機関銃の陣地が構築され、海路についても、接岸できる場所には武装労組の組合員が小銃を携えて警戒にあたっていた。
そんな中、危険度の高い廃棄物が不法に投棄されていた箇所は、比較的警備が薄く、ここを突破口とする作戦が立案された。
その際、危険な廃棄物の扱いに長けた監督官を選抜し、夢の島部隊(のちの、夢の島分室 産廃業専門班 中央防波堤チーム)が臨時編成、投入された。
そんな中、危険度の高い廃棄物が不法に投棄されていた箇所は、比較的警備が薄く、ここを突破口とする作戦が立案された。
その際、危険な廃棄物の扱いに長けた監督官を選抜し、夢の島部隊(のちの、夢の島分室 産廃業専門班 中央防波堤チーム)が臨時編成、投入された。
◆夢の島部隊
夢の島部隊は12名で構成されていた。
うち7名は、アスベストや放射性廃棄物の処理などに詳しい専門官であった。一方、彼らは調整課という、事務処理を主とする部署から選抜されていたため、武力衝突には適さないと考えられていた。そのために特別広域監督官の強執課員が追加されており、お互いに専門知識で補い合う統合部隊としては初の運用[5]となった。
夢の島部隊は12名で構成されていた。
うち7名は、アスベストや放射性廃棄物の処理などに詳しい専門官であった。一方、彼らは調整課という、事務処理を主とする部署から選抜されていたため、武力衝突には適さないと考えられていた。そのために特別広域監督官の強執課員が追加されており、お互いに専門知識で補い合う統合部隊としては初の運用[5]となった。
中央防波堤上陸
12月5日未明、夢の島部隊が台場湾岸署から小型ボート2台に分乗して出発[6]。中央防波堤外側埋立地西側に位置する新海面埋立処分場から上陸。不法投棄ピットに潜伏して、人質が監禁されている建屋を確認した。人質の安否を確認した後、12月6日正午、労基本局が大規模な強制執行を決定。
国際空港から飛び立つ武装ヘリが目撃されるなど、かなり大規模な執行となったようだが、埋立地の立地上、現場でどのような執行が行われたかを見た者はおらず、詳細は定かでない。[7]
国際空港から飛び立つ武装ヘリが目撃されるなど、かなり大規模な執行となったようだが、埋立地の立地上、現場でどのような執行が行われたかを見た者はおらず、詳細は定かでない。[7]
人質の救出
12月7日、陸路方面の交戦に武装労組が集中したため、人質の監視が手薄になっていた。
そこを、夢の島部隊が監禁場所に潜入し、人質3名を無事救出。その際に抵抗した武装労組委員長が、夢の島部隊により射殺された。
脱出の際、武装労組に発見された夢の島部隊は猛攻撃を受け、強執課員4名と専門官1名が重傷を負った。
この勇敢な働きにより、人質3名は無事救出され、武装労組は目的を失った。
そこを、夢の島部隊が監禁場所に潜入し、人質3名を無事救出。その際に抵抗した武装労組委員長が、夢の島部隊により射殺された。
脱出の際、武装労組に発見された夢の島部隊は猛攻撃を受け、強執課員4名と専門官1名が重傷を負った。
この勇敢な働きにより、人質3名は無事救出され、武装労組は目的を失った。
事件の収束
12月8日、委員長の死亡を知った組合員が相次いで投降した。しばらくの間、投降者を狙う「内ゲバ」が続いていたが、同日20時に警視庁と武装労監が中央防波堤外側埋立地の安定化を宣言。
これにより、武装労組は事実上解散となり、翌9日0時20分に、コンテナふ頭内に潜伏していた武装労組書記長が逮捕され、事件は幕を閉じた。
これにより、武装労組は事実上解散となり、翌9日0時20分に、コンテナふ頭内に潜伏していた武装労組書記長が逮捕され、事件は幕を閉じた。
過激派の存在
事件後に行われた現場調査によると、使用された武器や、一部の組合員が持っていたメモから、過激なアナーキズムを標榜する過激派団体の関与が明らかとなった。[8]
しかし、大量の武器を調達し、その扱い方をトレーニングするだけの能力がある団体ではないため、より大きな組織が絡んでいた事件だったと総括している。
しかし、大量の武器を調達し、その扱い方をトレーニングするだけの能力がある団体ではないため、より大きな組織が絡んでいた事件だったと総括している。
その後
この事件は、広域事案のなかでも、さらに広域管轄を超越する初の事例となったため、事案担当署の割り当ては本局の全権委任となる内規が制定された。また、各方面署ごとに特色のある部隊が編成されていくきっかけとなり、今日の多様化する武装労組事案を象徴する事件となった。
しかし、一部の専門家は、これを労監の軍隊化として危険視している。[要出典]
しかし、一部の専門家は、これを労監の軍隊化として危険視している。[要出典]
その他
- 夢の島部隊は、江東区にある最終処分場埋立地「夢の島」(江東区)から名付けられている。[9]
- 夢の島部隊に参加した専門官7名は名前の公表がされておらず、本当に廃棄物処理の専門家であったかは判明していない。[10]
脚注
[1]経日ジャーナル20XX年11月号
[2]一般廃棄物処理業 労働組合報 52号
[3]武装労組参加者の総計は労組発表による。実際に逮捕・死亡が確認された人数よりも多かった。
[4]君島敏夫(20XX)「証言〜中防事件の真実〜」.古潮文庫.53ページ
[5]中川二郎『武装労監の裏側』講読社、20XX年、151ページ
[6]当時、労基所有の船舶は台場湾岸署にのみ配備されていた。
[7]『東都日報』「武装労監 スト封じにヤケ」20XX年12月6日朝刊1頁
[8]20XX年 江東署発表
[9]中川二郎『武装労監の裏側』講読社、20XX年、27ページ
[10]2X00年まで情報開示請求ができない情報として記録されている。また、江東署の職員が7名減員された形跡もない。
[2]一般廃棄物処理業 労働組合報 52号
[3]武装労組参加者の総計は労組発表による。実際に逮捕・死亡が確認された人数よりも多かった。
[4]君島敏夫(20XX)「証言〜中防事件の真実〜」.古潮文庫.53ページ
[5]中川二郎『武装労監の裏側』講読社、20XX年、151ページ
[6]当時、労基所有の船舶は台場湾岸署にのみ配備されていた。
[7]『東都日報』「武装労監 スト封じにヤケ」20XX年12月6日朝刊1頁
[8]20XX年 江東署発表
[9]中川二郎『武装労監の裏側』講読社、20XX年、27ページ
[10]2X00年まで情報開示請求ができない情報として記録されている。また、江東署の職員が7名減員された形跡もない。