ある日曜の午後。翠星石は図書館にいた。
翠「はぁー。ここなら落ち着いて勉強できるかと思ったですけど、けっこう人が多いですねぇ…」
空いている席を探し歩いていると、不意に翠星石の携帯電話が着信音を鳴らした。
翠「うわっ、とっ、とっ…で、電源を切るのを忘れていたですぅ…」
周囲の視線が彼女に集まる中、翠星石は携帯をバッグから取り出した。
届いたメールを確認してから電源を切ろう、そう思いながらボタンを操作する。
翠「もう…こんなときにくだらねーメールしてくんじゃねーです…」
立ったまま携帯の赤いボタンを、ぐっ、と押し、電源が切れたのを確かめる。
そして再びそれをバッグにしまおうとしたとき。
ふと後ろから、ドン、と誰かがぶつかる感触がした。
翠・?「わあっ!!」
翠星石と、ぶつかった誰かはそれぞれ反対の方向に倒れた。
その拍子に、翠星石の手から携帯が滑り落ちる。
翠「いたた…ど、どこ見て歩いてやがるですかぁ!!」
自分の不注意を棚に上げて叫んだ。
?「ごっ、ごめんなさい…」
床を見ると、何冊かの本が散らばっていた。
どれも図鑑と同じくらいの大きさで、非常に重そうに見える。
?「あ!…し、しまった…」
ぶつかった相手は慌てながら、落とした本を拾い集める。
翠星石も、それに手を貸した。
あらかた拾い終わると、ぶつかった相手は礼を述べた。
?「どうもありがとう、助かったよ。」
翠「いいんですぅ…私も、後方不注意だったですから」
じゃあ、と言い残し、その人は図書館の奥の方に消えていった。
その姿を見送り、きょろきょろと周りを見渡すと、運よく空席を一つ見つけた。
その日の夕方まで、翠星石はその場所で過ごした。
やがて図書館が閉まる。翠星石は我が家へと帰りつくと、そのままベッドに倒れこんだ。
翠「はぁー…あんまり集中できなかったですぅ…」
ひとりごとを呟きながら、翠星石は携帯の電源を入れる。
しばらくすると、翠星石には見覚えのない待受画面があらわれた。
翠「あれ…?これ、翠星石のケータイじゃないです…」
翠星石は腕組みをし、思い返す。
誰かのものと入れ替わった…?いったいどこで…?
しばらくして、翠星石は思い出した。
翠(あの時――――!!)
そういえば図書館でぶつかった相手は、本と一緒に携帯も拾っていたような…
翠「じゃあこれは、あの人の…?」
自分のものと同じ携帯を手に、翠星石は悩んだ。
電話をかけようか、かけないか…
相手が持っているのは自分の携帯であるはず。電話番号なら知っている。
考えるうち、翠星石の思考が少し横道にそれる。
翠「そういえば、けっこうマジメそうな人だったですねぇ…どんな着信音なんでしょう?」
そんなことを思っていると、携帯からリリリリン、リリリリンと音が鳴った。
びっくりした翠星石は、あやうく携帯を落としそうになった。
翠(この音、聞き覚えがあるです。これは――――)
それは、小さい頃祖母の家にあった、黒くて小さなダイヤル式電話の音だった。
その音に懐かしさを感じつつ、翠星石は電話に出る。
?「もしもし」
翠「もっ、もしもし…」
?「君は、今日図書館で――――やっぱり、君が持っていたんだね」
翠「す、すごい偶然ですね。二人とも同じ携帯だなんて」
?「そうだね、電源を入れたときビックリしたよ。…ねえ、明日会ってもいいかな」
翠「え?」
?「ほら、この携帯。君に返さなくちゃいけないしさ」
翠「あっ、そ、そうですね。じゃあ――――」
翌日の夕刻。翠星石は、指定されたバス停に立っていた。
やがて、排気音とともにボンネットバスが近づき、彼女の前に停まった。
開いたドアから、昨日出会ったその姿が現れる。
昨日ぶつかったときは、ゆっくり顔を見る余裕までは無かった。
だが今、改めてその姿を見ると、クリーム色のセーターに眼鏡をかけ、ショートカットの髪型。
まるで男性のような出で立ちだったが、顔立ちは紛れも無く可愛らしい女性のものだった。
自画自賛するわけではないが、どことなく自分と似ているような気もする。
昨日電話で彼女は、自らを蒼星石と名乗った。
名前もお互い自分そっくりだったことに、二人して驚いてしまった。
蒼「待たせてしまったね。昨日はごめんね」
翠「こ、こっちも悪かったですぅ…今度からはもっと気をつけるです」
女同士であるはずなのに、なぜか緊張してギクシャクした返答しか出てこない。
蒼「はい、コレ」
と、彼女は携帯を差し出した。互いの携帯を交換し、元の持ち主のもとへと返す。
そうしているうちに、次のバスがやってきた。
蒼「ごめん、もう行かなくちゃ」
翠「え…もう行っちゃうですか…?」
蒼「うん、ちょっと用事があってね。…よければ、また会えないかな」
翠「ぜ、ぜひともですぅ!!」
バスのステップに足をかけ、蒼星石は、じゃあね、と手を振った。
そのとき、眼鏡の奥の目がにこりと笑ったのを翠星石は見逃さなかった。
蒼星石の姿に見とれたままで、翠星石は去ってゆくバスに手を振ることすら忘れていた。
その夜。翠星石は携帯を手にしたまま再びベッドに倒れこむ。
翠「はぁー…なんかドキドキしてうまくしゃべれんかったですぅ…」
翠「でも、相手は女の子ですよぉ?…私、いったいどうしちまったですか…?」
彼女が男っぽい格好だったから?いやいや、そんな理由だけで…翠星石の思考がぐるぐる巡る。
考え続けてもどうしようもないので、翠星石は携帯を開いた。
右ボタンを押し、発信履歴を見る。彼女の電話番号の上に「蒼星石」という文字が残っていた。
ひょっとして、と思いアドレス帳を開く。そこには、彼女の名前、電話番号、メールアドレスが記録されていた。
翠星石は嬉しくなって、思わず「発信」ボタンを押す。
プルルルル、プルルルル、と発信音が聞こえる。
そこで翠星石はふと我に返った。
翠(で、でも、いったい何をしゃべればいいのですぅ…??)
がちゃ、という音が翠星石の耳に届く。
翠「あっ!あのっ!!きょ、今日は!あり、ありが」
「ただいま通話中です。しばらくした後、もう一度おかけなおし…」
はぁ、とため息をつき赤いボタンを押す。
翠(そううまくはいかねーですねぇ…)
電話をかけるのを諦めて、うとうとと眠りに就こうしていたころ。
聴き慣れた着信音が耳元で鳴った。
びくっ、と飛び起き、翠星石は携帯電話を開く。
翠「もっ、もしもしぃ!」
慌てていたせいで、あやうく声が裏返りそうになる。
蒼「あ、もしもし。ごめんね、こんな時間に。着信履歴があったからかけたんだけど、ひょっとして寝てたかな」
翠「そんなことないです!ずっと起きてたですよ!!」
翠(少し落ち着けですぅ私…)
蒼「今日は、どうもありがとう。ごめんね、すぐに帰ってしまって」
翠「べ、別にいいってことですぅ…け、結構お忙しいんですか?」
翠(なに無理に敬語使ってるですぅ…)
蒼「いや、今日はたまたま頼まれ事があったからね…あのさ、今度一緒にお茶でもどうかな?」
翠「へっ!?」
蒼「嫌…かな?」
翠「ぜっ、全然そんなことないですよぉ!ぜひともっ、お願いするですぅ!」
蒼「そうだね…じゃあ水曜日の夕方なんてどうかな」
翠「は、はい!その日は空いてるですよ!」
蒼「わかった。じゃあまた水曜日にね。おやすみ」
翠「あっ、あのっ!!」
蒼「?なに?」
翠「えと、そのぉ…おっ、お友達にっ、なってもらえないですか…?」
蒼「もちろんだとも!ていうか僕ら、もう友達ってことでいいんじゃないかな?」
翠「えっ…」
翠星石の頬が、ぽっ、と赤らむ。
翠「あ、ありがとですぅ…じゃあ、おやすみなさい」
蒼「おやすみ」
彼女がそう言うと、電話が切れた。
翠星石は、ぎゅっとその手に持った携帯を抱きしめた。
蒼星石と恋人になりたい。翠星石の中で、その思いが確信に変わっていた。
そのために、まず友達から…
翠星石は、自分の頬をぎゅっとつねった。
よかった、これは、夢じゃない――――
元ネタとなった曲:主人公 / 日塔奈美(新谷良子) from 絶望歌謡大全集(さよなら絶望先生キャラソンアルバム)
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND58822/index.html