「雛苺、お皿テーブルの上に置いておいてやったですよぉ」
「もう、翠星石はじっとしててって言ったのよ」
「大丈夫ですよこれくらい」
雛苺はキッチンで昼食の準備をしながら、休んでおくように言っておいたのに勝手に動く翠星石に苦笑いを浮かべた。
翠星石が臨月に入り庭師の仕事を休むようになってからは、蒼星石が仕事でいない間に雛苺がよく家に来るようになった。
一人で居るときにもしもの事があっては大変と心配しているからだ。
翠星石はその事に心配性なんだからと口では言っているが、その実かなり感謝している。
やっぱこの時期に一人、しかも初の子供だから余計に不安になる。
それを素直に口に出せないのが翠星石なのだが。
それから数分もせずにオムライスが出来上がり、それをお皿に盛った。
「相変わらず、昔の雛苺からは想像出来ない出来栄えですねぇ」
「そりゃ何年も主婦やってるからなのよ。それじゃ、いただきますなの」
「いただくですぅ」
二人ともテーブルに着き、手を合わせてから二人とも食べ始めた。
「ん。なかなか良く出来たの。どう?」
「…まあ、良い味ですよぉ。ま、私が作ればもっと美味しいですけどね」
「もう、翠星石ったら…」
一言付け足して言う素直じゃない翠星石に雛苺はやれやれと苦笑いを浮かべる。
もっとも、昔からこういう性格なので特に気にしたりはしないのだが。
食べながらカレンダーに目を向けると、仕事や家の予定が書いてある中一つだけハートマークが多く書かれている日があった。
そこには「出産予定日」としっかり書かれていた。
「そう言えば予定日までもうすぐだけど、名前って決めたの?」
「…いえ、まだ決まってないですぅ。色々二人で考えたりするんですけど、どれも捨てがたくって…」
「例えばどんなの?」
「そうですね…碧星石とか紫星石とか…私達の子だから星と石はどうしても入れたいですねぇ」
「その気持ち分かるの…ヒナも雛銀燈の名前決めるのはかなり悩んだのよ。水銀燈と二人で夜遅くまで出し合ったりして…」
「一生背負うものですからね…まあ、予定日までまだ一週間以上あるから、それまでに考えるですぅ」
そこで話を区切り、二人ともテレビを見ながらオムライスを再び食べ始めた。
「ふう、ごちそうさまなの。…どうしたの、翠星石?」
雛苺が先に食べ終わり翠星石を見ると、三分の一程オムライスを残して手が止まっていた。
その顔からはさっきのお気楽そうな顔は消え、険しいものに変わっている。
「い、痛…」
「…あ、また『雛苺のご飯食べたらおなか痛くなったですぅ~』とか言うんでしょ? もう引っ掛からないのよ」
過去の冗談を思い出し、やれやれと肩を竦めお皿を片付けようと立ち上がった。
しかしそれでも翠星石の顔から険しさは消えず、むしろ強くなり脂汗まで浮かんできた。。
そして最後にはその手からスプーンが床に滑り落ち、そこで冗談じゃない事が雛苺にも分かった。
慌てて駆け寄って体を擦る。
「え…ほ、本当なの!? 本当に陣痛が始まったの!?」
「ちょ…ちょっと嘘でしょ…まだ一週間以上あるんですよ…!」
「た、大変なの! とにかく今タクシー呼ぶから! あと蒼星石にも…! ちょっと待つのよ!」
翠星石のおなかを摩りながら片手で携帯を使ってタクシー会社へと電話を入れる。
それはすぐに繋がり、タクシーもすぐに来れそうだ。
「よし、これでタクシーはOKなの。次は蒼星石に…」
―※―※―※―※―
「参ったなぁ…この雨じゃ仕事になんないよ」
「でも大方終わってるんでしょう? なら別の日でも良いじゃなぁい」
「そうなんだけど、他の日に持ち越すのってあまり好きじゃないんだよね…予定通り仕上げないと失礼だし」
突然降り出した雨を、ビルの自販機コーナーの窓から見上げる蒼星石。
その蒼星石に水銀燈が自販機で買ってきた紙コップに入ったコーヒーを差し出す。
今日の蒼星石の仕事は水銀燈達が働いてるオフィスビルの中庭の手入れだった。
今はちょうど昼食時でみんなで食事を取っているところだ。
「蒼星石は相変わらず真面目ね」
「本当、蒼星石の爪の垢でも煎じて真紅に飲ませてやりたいわぁ」
「な、なんでよ。聞き捨てならないわ」
「仕事中にエロ小説書いておいて、何言ってるかしら」
「う…」
「そんな事してるの、真紅は…」
呆れたようにジト目で真紅を見る蒼星石。
「そうよぉ。この間なんて、私の家をモデルに書いてたんだからぁ…」
「うわぁ…それはさすがにドン引きだね…」
「ち、違うわ! あれはただの暇つぶしで、名前を借りてただけで…」
必死に釈明をする真紅に聞く耳を持たず距離を取っていく蒼星石。
「一回脳みそを診てもらったほうが良いわねぇ。めぐに今度お願いしようかしらぁ」
「賛成かしら」
「私もですわ」
「僕もそう思うよ」
水銀燈の台詞にみんなが同意して手を挙げていき、それを見て真紅は泣く様に声を上げる。
「ちょっと、そこまで言わなくてもいいじゃない!」
「はは、冗談だよ冗談。…っと、電話だ」
笑って水銀燈から貰ったコーヒーを一口飲んだところで、蒼星石の携帯が鳴り出した。
それを鞄から取り出しディスプレイを見ると雛苺の名前が映っていた。
普段掛かってこない雛苺からの電話に首を傾げ、通話ボタンを押し耳に携帯を当てる。
「雛苺? どうしたの?」
『もしもし、蒼星石なのね? …いい、落ち着いて聞くのよ。翠星石がもう産まれそうなのよ』
「な、何だって!?」
突然のことに思わず立ち上がり、みんなの視線が蒼星石に集まる。
『今、翠星石と病院に向かってるから…もしもし、もしもし?』
「あああどうしよう! 翠星石が、翠星石が産まれるって!!」
「何ですってぇ!?」
翠星石が産まれるということを知って、みんな騒然となった。
だが肝心の蒼星石は雛苺の注意を無視して完全に落ち着きを失い、取り乱して思わず水銀燈に縋りついた。
「ど、どうしよう!」
「大丈夫よぉ、雛苺が付いてるんでしょう?」
「で、でもまだ予定日まで一週間以上あるし…大丈夫なの!?」
「そんなの私が知るわけないでしょう! …ああもう、携帯貸しなさい! もしもし、雛苺?」
縋りつかれた水銀燈は蒼星石がダメだと判断し携帯を半ば強引に奪い取った。
『あれ、水銀燈なの? そっか、今日水銀燈の会社だったっけ…とにかく、翠星石が産まれそうだから一緒に病院に行くの』
「ええ。分かったわぁ」
『…それで、ヒナが付いてるから大丈夫って言おうとしたんだけど…さっきの取り乱しようだと…』
「…もう大丈夫じゃないわよぉ」
電話しながら呆れたように横目で見ると、今度は雪華綺晶に泣きついていた。
「ね、ねえ!! どうすれば良いの!? もしもの事があったら…!!」
「落ち着いてくださいませ蒼薔薇お姉さま! 苺お姉さまが付いていらっしゃるから大丈夫ですわ!」
「大体蒼星石が慌てても何にもならないかしら!」
「…聞こえてるぅ?」
『……大パニックみたいなのね…とにかく、そう伝えといてなの』
「分かった。あとで蒼星石もそっちに行かせるわぁ」
『お願いするの。…あと、雛銀燈のお迎え、頼んでも良い?』
「了解。こっちの事は心配しないで、翠星石を支えてあげてねぇ」
『うん。それじゃ、色々頼んだのよ』
そこで電話を切り、水銀燈は慌てている蒼星石の肩を叩いて自分の方を向かせた。
「な、何だって?」
「雛苺が付いてるから大丈夫よぉ。…それと、今すぐ病院に行きなさぁい。雨だし、まず今のあなたじゃ仕事にならないでしょう?」
「…いいの?」
「事情は説明しとくから。ほら、早く行ってあげなさぁい」
「分かった!! すぐに行くよ!!」
それだけ言い、慌ててドアの方へ駆け出して行った。
が。
「蒼星石! 危な…」
「へぶっ!!」
ろくに前を見なかった為に目測を思いっきり誤り、ドアではなく壁に直撃して後ろにぶっ倒れた。
それを見てみんな心底呆れた溜息を吐き、水銀燈が鼻を押さえている蒼星石の腕を掴んで立ち上がらせた。
「…私が送ってくわぁ。この状態じゃ100%事故起こすわよぉ」
「…それが懸命かしら」
「そうね…」
「すぐに戻ってくるからぁ。ほら、行くわよぉ!」
「お願い…あいったたた…」
痛む鼻を押さえる蒼星石を半ば強引に連れて自販機コーナーから出て行った。
そんな水銀燈を金糸雀達は心配そうに見送る。
「…大丈夫かしら…」
「大丈夫ですよ。苺お姉さまが付いていらっしゃいますし」
「いや、蒼星石が…」
「……」
―※―※―※―※―
それから蒼星石を車で病院まで送り雛苺に任せると、水銀燈は会社に戻ってきた。
「どうだった?」
自分の机に着くと隣の真紅が声を掛けてきた。
「翠星石は出産準備室に入ってるわぁ。夜頃に分娩室に入るみたいよぉ」
「そう。…で、蒼星石は?」
「…今にも泣きそうだったわぁ…」
「…あれでちゃんとした親になれるのかしら…不安だわ」
「うん…」
二人して溜息を吐くと、真紅が思い付いたようにみんなに目配せした。
それに気付き、金糸雀と雪華綺晶が真紅の方を向く。
「仕事終わったらみんなで様子見に行きましょう。蒼星石が心配だし、雛苺もきっと大変だと思うわ」
「それは素敵ですわね。うちのばらしーちゃんも呼びますわ」
「確かに雛苺だけに二人の面倒見せられないかしら。真紅もたまには良い事言うかしら!」
「…たまに、は余計よ」
二人とも笑顔で賛成したが、水銀燈は渋い表情を浮かべた。
「…私もそうしたいんだけど、家で雛銀燈の面倒見なきゃいけないし…」
「ああ、そうか…雛銀燈ちゃんがいたわね」
「雛苺からも頼まれてるからねぇ、ちょっと無理だわぁ。ちょっと顔は出すかも知れないけどぉ…」
「分かった。私達は病院に行くから、何かあったら連絡するわ」
「お願いねぇ」
そう決めてからは仕事を早めに終わらせ、定時にはみんな会社を後にした。
「じゃあ病院に行って来るわね」
「ええ。雛苺も翠星石も、蒼星石も頼んだわよぉ」
「任せて頂戴。みんな、行きましょう」
それから真紅達は病院へと向かい、水銀燈は車に乗って雛銀燈の幼稚園へとお迎えに向かう。
「…やっと小雨になってきたわねぇ…」
昼に降り出した雨は勢いが弱まってきているが、もう夕暮れという事もあって外は大分暗い。
この天気じゃ雛銀燈も心細いだろうと、水銀燈はアクセルへの力を少し強めた。
はやる気持ちとは裏腹に、帰宅ラッシュで道が混んでいた事もありお迎えに来れたのは六時近くだった。
残っている園児は雛銀燈しかおらず、慌てて教室へ向かう。
「あ! 銀ママだぁ!」
「雛銀燈ごめん、遅くなって…。すいませんのり先生、こんな時間まで見てもらっちゃってぇ…」
「いいえぇ。気にしないで下さい。私も雛銀燈ちゃんと遊んでると楽しいし」
謝る水銀燈に笑って答えるのり。その水銀燈のズボンの裾を雛銀燈が引っ張った。
「ねぇねぇ。雛ママはどうしたのぉ?」
「雛ママはねぇ、今病院よぉ」
「病院!?」
「え…どこか調子悪いんですか?」
「いえ、雛苺は大丈夫なんですけど、その友達が赤ちゃん産まれそうで付き添ってるのよぉ」
「そうだったんですか…」
「そういう訳で遅れてしまって…では、ありがとうございました。雛銀燈もバイバイしなさぁい」
「のりせんせぇ、ばいばーい」
「ええ。また月曜日にねぇ」
雛銀燈がのりに手を振りながら教室を出て、傘を差しながら駐車場へと向かう。
車に乗り込み雛銀燈をチャイルドシートに固定すると、エンジンを入れて雛銀燈に声を掛けた。
「よしっと…雛銀燈。今晩雛ママ帰ってこられないかもしれないけどぉ、大丈夫よねぇ?」
「うん。…そう言えば、誰が産まれるのぉ?」
「…ああ、そういえばまだ言ってなかったわねぇ。翠星石…翠お姉ちゃんよぉ。ほら、お腹大きかったでしょう?」
「翠お姉ちゃんなのぉ?」
ここで初めて翠星石が産まれる事を聞いて雛銀燈は驚きの声を上げた。
その事実を知って感嘆したように「へぇー…」と言って黙る。
「そう。翠お姉ちゃんに付いてるつもりらしいからぁ、家で待ってましょう」
「…わたしも行くのぉ!」
「え、行くのぉ!?」
いきなり行くと言いだした雛銀燈に思わず驚いてしまった。
「…雛ママと一緒が良いのぉ?」
「…それもあるけど、赤ちゃんが産まれるところ見たいのぉ!」
「でも、いつになるか分からないわよぉ」
「それでも行くのぉ! 翠お姉ちゃん応援したいのぉ!」
「っ…雛銀燈…」
真剣な眼差しで目を覗き込んできて、水銀燈は何も言えなくなった。
そうだ、よく考えれば雛銀燈も翠星石に昔からずっと仲良くしてもらっていた。
ある意味自分の姉として感じているのかもしれない。その姉が大変だからこそ傍にいたい…。
そう思うのは当然の事だろう。
「…あなた、子供だと思ってたけど結構しっかりしてるわねぇ…」
水銀燈もその思いを理解し、微笑んで雛銀燈の頭を撫でた。
「うゆぅ…」
「…明日は休みだし、それも良いわねぇ。よし、じゃあ翠お姉ちゃんの所に行くわよぉ」
「うん!」
予定を変更し、翠星石がいる病院へと向かってアクセルを踏み込む。
「…翠お姉ちゃん…頑張ってなのぉ…!」
雛銀燈の表情はいつに無く真剣で、手と手を合わせて必死に祈っていた。
その気持ちは、当然水銀燈も同じだ。
―※―※―※―※―
一時間ほどして病院に着き、看護婦に案内された方へ行くと、薔薇水晶も加わったみんなが分娩室前のホールに集まっていた。
その内の金糸雀が水銀燈達に気が付き、それに釣られてみんなも気が付いた。
「あれ、水銀燈かしら! それに雛銀ちゃんも…」
「雛ママぁー」
雛苺を見つけると、雛銀燈は駆け寄っていって雛苺が抱き上げた。
「ああ、よしよしなの。水銀燈、あなたまで来たの?」
「ええ。雛銀燈が翠星石の傍にいたいってぇ」
「雛銀燈が?」
意外、と言った様子で雛苺が雛銀燈の顔を見る。
それに雛銀燈はうん、と大きく首を縦に振った。
「翠お姉ちゃんの応援に来たのぉ」
「…いい子だね…雛銀ちゃん…」
「雛銀燈…きっと喜んでくれるのよ。ありがとね」
「うん!」
雛銀燈をいい子いい子と頭を撫でる雛苺、それを見てみんなの緊張が少し和んだ気がした。
この緊張した空気の中で、雛銀燈の明るさはみんなの癒しになったかも知れない。
「それで、今どういう状況なのぉ?」
来たばっかで状況をまだ完全に把握し切れてない水銀燈が雛苺に尋ねた。
「ついさっき分娩室に入ったところなの。やっとお産が始まったところなのよ」
「そう。…で、蒼星石は?」
「…蒼星石は…」
翠星石の様子を知り、次は不安気味にそう尋ねる。
尋ねられた雛苺はやや呆れ気味に蒼星石がいる方へと目を向け、水銀燈もその方を見た。
「…ああ、どうしよう…翠星石…」
「大丈夫だからしっかりしてください…看護婦さんも大丈夫って仰ってたじゃないですか」
「でも、万が一の時には…!?」
「私達は医者じゃないんだから、万が一何かが起こってもどうしようもないわよ」
「そんな! それじゃ翠星石はどうなるんだ!」
「真紅もそんな不安にさせる事言うんじゃないかしら…」
「…ごめんなさい」
「蒼星石、きっと上手くやってくれるから大丈夫かしら」
みんなにたしなめられているものの、昼間とあまり変わっていない蒼星石がそこにいた。
「…全然変わってないわねぇ…」
「ここに来た時からああなのよ…もう落ち着いてと言うのもバカらしくなってきたの…」
「蒼お姉ちゃん、大丈夫なのぉ?」
「まったく…」
水銀燈はやれやれと肩を竦め、自販機でコーヒーを買ってそれを蒼星石に差し出した。
「あれ、水銀燈…いつ来たの?」
「ついさっきよぉ。ほら、これでも飲んで少し落ち着きなさぁい。雛銀燈も来てるわよぉ」
「雛銀燈ちゃんも?」
それで雛苺から降りて駆け寄ってきた雛銀燈に気が付いた。
「翠お姉ちゃんの応援にきたのぉ!」
「…ありがとうね。雛銀燈ちゃん」
震え気味の手でコーヒーを受け取り、雛銀燈に笑顔を作ってからコーヒーを飲み始めたが…。
「ブフッ!!」
焦って飲んだせいか、変な所にコーヒーが入って思いっきりむせて噴きだした。
その近くにいた真紅達にその飛沫が降りかかる。
「やだ、噴き出したのだわ!」
「ぎゃー! コーヒーが掛かったかしらー!」
「さ、さすがにこれは堪りません!」
「き…きったない…」
「…もう付き合ってらんないの…」
「ねえ蒼お姉ちゃん、大丈夫なのぉ?」
みんなが呆れる果てる中、雛銀燈だけが心配してむせ込んでいる蒼星石の背中を擦る。なんとも情けない光景だ。
それで何とか蒼星石のむせも収まり、涙目のまま雛銀燈の方を向く。
「ゲホッゲホッ…だ、大丈夫だよ…ゲホッ…」
「何が大丈夫よぉ…。はぁ…来なさい。話があるわぁ」
溜息を吐き、蒼星石の腕を掴むとそのままエレベーターの方へ向かって行く。
いきなり連れて行かれそうになり、蒼星石は訳が分からなくなる。
「ちょ、ちょっと! 翠星石の傍にいないと! どこに行くのさ!」
「今のあなたなら近くにいないほうがマシよぉ。五分だけちょっと付き合いなさぁい」
「いや、ちょっと…!」
半ば強引に蒼星石を連れ、そのままエレベーターに乗り込んで行ってしまった。
その様子をみんなは何もせず傍観していた。
「…どこに行ったのぉ?」
「大丈夫なの。水銀燈なら落ち着かせてくれるのよ」
―※―※―※―※―
そのまま連れられて出た場所は病院の屋上だった。
雨はもう止んでいるが暗い雲が空を覆っていて、光源は夜景の明かり以外無い。
「…何なの話って…」
相変わらず落ち着かない様子で蒼星石が尋ねた。
水銀燈は柵に身をもたれさせると、一つ息を吐いて口を開く。
「あなたを見てると思い出すわぁ。雛銀燈が産まれた日の事を」
「え…?」
「今でこそあなたに落ち着けとか言ってるけど、私もあの時はずっと落ち着かなくてオロオロしてたわねぇ」
その時を思い出して、水銀燈は照れくさそうに苦笑いを浮かべた。
「…あの時は私一人で雛苺に付いてたから余計心細かったわぁ。それに比べれば、今のあなたなんてかなり心強いじゃなぁい」
「うん…」
「で…その時に雛苺に言われたのよ。『水銀燈がそんなんじゃこの子も安心して産まれて来れないの』ってねぇ…」
照れくさそうな、それでいて懐かしそうな顔をして水銀燈は続ける。
「私ったら、相当情けない顔してたのねぇ。笑っちゃうでしょう?」
「水銀燈がねぇ…」
今では散々雛苺の尻に敷かれているのだが。
「…それを聞いて、私よりも雛苺の方がしっかりしてる気がしたわぁ。一人で気を張りすぎてたのねぇ」
そこまで言い切ると、蒼星石の肩を叩いてしっかりと目を覗き込んだ。
「…私だってあの時は不安だったから、あなたの気持ちはよく分かるわぁ。だからこそ、こうして言ってるのよぉ」
「…水銀燈…」
「赤ちゃんが安心して産まれてこれる様にもっと胸を張って堂々としてなさぁい。何が起こっても大丈夫ってぐらいにね」
それだけ話し終えると、水銀燈は優しく蒼星石に微笑みかけた。
それに蒼星石も微笑んで返す。
「…何だか落ち着いてきた。もう大丈夫だよ」
「…なら良かったわぁ。ごめんなさぁい、何だか説教臭いこと言っちゃってぇ…」
「ううん。ありがとう、話してくれて」
「やれやれ、やっと親になる人の顔になったわねぇ」
二人ともやっと安心して笑い合った。
そこで不意に辺りが明るくなり、空を見ると雲が晴れて満月が煌々と輝き、星空が華麗に瞬いていた。
その美しさに思わず二人とも見惚れてしまう。
「凄い…綺麗…」
「雨が空気中の塵を洗い流してくれたのねぇ。綺麗な月…そう言えば雛銀燈が産まれた日も満月だったわねぇ」
「そうなんだ…何だか、星空が歌ってるみたい…」
「そうねぇ…そろそろ戻りましょう。赤ちゃんの産声って言う最高の歌を聞き逃したら大変よぉ」
「そうだね。行こうか」
先に水銀燈がエレベーターに向かい、蒼星石が後から着いて戻って行った。
みんながいるホールに戻ると、一斉にこっちの方を向いた。
「あ、蒼星石。もう大丈夫かしら?」
「もう大丈夫。みっともない姿見せちゃったね…」
「まったく…初めからそうしてれば良かったのだわ」
「ごめん。心配掛けたね…」
「…まあ、蒼星石も元に戻ってよかったの。水銀燈、ありがとなの」
「さすが、一番最初に親になった事だけありますわね」
「…銀ちゃん、すごい…」
「大した事してないわぁ。…じゃあ蒼星石も戻った事だしみんなで翠星石の応援してましょう」
「うん! 頑張るのぉ!」
それからみんなソファに腰掛け、ひたすら翠星石の無事を祈り続けた。
一時間、二時間と過ぎ、静かな時間だけが過ぎていく。
「…ふあぁ…」
「雛銀燈、眠かったら膝枕してあげるから寝ても良いのよ」
「…大丈夫…なのぉ…」
やがて日付が変わって雛銀燈の眠気もピークになりウトウトと雛苺にもたれかかってきた。
その時。
――…ギャ…ホギャー…――
「っ!」
分娩室の中から聞こえて来た声に、蒼星石が一番に反応して立ち上がり他のみんなも立ち上がった。
「…雛銀燈、ほら」
「うゆぅ…?」
立ち尽くしていると、しばらくしてから中から看護婦が出てきて蒼星石に微笑みかけた。
蒼星石は看護婦に駆け寄り、その顔をじっと見つめる。
「翠星石は…?」
「予定日よりちょっと早かったですけど問題ありません。元気な女の子ですよ」
それを聞いて一瞬の静寂が流れたあと、歓声が一気に湧き上がった。
「やった、やったかしらー!!」
「ついに産まれたのー!」
「おめでとう蒼星石、翠星石! おめでとう!!」
「あなたも親になったのよぉ! おめでとう!」
「こんなに素敵なことは滅多にありませんわ!」
「おめでとう…!」
「ばんざーい、ばんざーい!!」
みんなが歓声を上げる中、肝心の蒼星石は未だに何の声も出さないで立ち尽くしたままだ。
それを不思議に思って真紅が覗き込むと…。
「ちょ、ちょっと泣いてるのだわ…」
「だ…だって…こんな嬉しいの初めてだから…! どう表現して良いのか…!!」
笑顔で大粒の涙を幾つも流して嗚咽を漏らし、その場に立ち尽くしていた。
涙も拭わずないでいる蒼星石を、水銀燈は笑顔で背中を押した。
「ほら、言ったでしょう? 赤ちゃんが安心できるようにしろって…ほら、涙を拭きなさぁい」
「うん…!」
―※―※―※―※―
しばらく経って、翠星石の病室前…。
「夜も遅いし、母親の方も大分疲れてるので面会は短めにしてくださいね」
「分かりました」
看護婦の注意を聞き、蒼星石を先頭に中に入っていく。
そして静かに翠星石のベッドを覗き込むと、ウトウトとしている翠星石とその隣に可愛らしい茶髪の赤ん坊が一緒にいた。
「…翠星石…」
「…蒼…星石…みんな…。雛銀燈ちゃんも来てくれたんですか…」
目を覚ましてみんなの姿を確認し、翠星石の顔に笑顔が浮かぶ。
蒼星石はベッドサイドにあったイスに腰掛け、翠星石の手をしっかりと握り締めた。
「頑張ったね…お疲れ様…」
「…私だけじゃねえですぅ…その子も頑張ったですよぉ…」
そう言って視線を隣で横になっている赤ん坊に向ける。
みんなの視線も赤ん坊に向き、蒼星石はその子の頭をそっと撫でた。
「…この子が僕達の…」
「うん…」
慈愛に満ちた目で赤ん坊を見つめる二人。
しばらく見つめていると、翠星石が雛苺の方を向き二人とも目が合った。
「…雛苺には世話になったですぅ…。…本当に、ありがとう…感謝してるですよ…」
「うふふ…良いのよ。こうして無事に産まれたんだから…」
普段こんな事を言わない翠星石に多少驚きつつも雛苺も微笑んだ。
それから翠星石と蒼星石を残し、水銀燈たちは病室を静かに後にした。
「私達はお邪魔みたいねぇ…行きましょう」
「そうするの」
それからみんな解散し、それぞれ家に帰っていった。
「赤ちゃん、可愛かったねぇー!」
水銀燈が運転する車の中、興奮冷め止まぬ様子で雛銀燈がそう言った。
二人ともそれに同じ思いで、優しく微笑み水銀燈がバックミラーで雛銀燈の顔を見ながら口を開いた。
「そうねぇ。…雛銀燈、憶えてないだろうけどあなたもああやって産まれたのよぉ」
「わたしも?」
「そうなの。あなただけじゃない、銀ママも雛ママも、蒼お姉ちゃんや翠お姉ちゃん…みんながああやって産まれたの」
「へぇー…」
感嘆の声をあげ、ワクワクした様子で隣にいる雛苺の顔を覗き込む。
「わたしね、あの子に絵本読んであげるのぉ」
「それは良いのね。きっと喜ぶのよ」
「それに一緒に遊んだり、面倒見てあげるのよぉ」
「素敵ねぇ。雛銀燈…あなた妹が出来たみたいで嬉しいんでしょう?」
「うん!!」
何も隠す事無く、輝く満面の笑みで頷いた。
これは興奮して夜は寝られそうにないなと、二人とも思った。
―※―※―※―※―
それから数日後の、翠星石の病室。
今日は赤ん坊の名前が決まったと言う事でみんなが集まっていた。
「みんな来てくれてありがとう。あの日、みんなに支えてもらったからみんなに真っ先に知らせたくて…」
「そんな気にしなくても良いのにぃ。…で、何て名前にしたのぉ?」
「そう急かすんじゃねえですぅ。まずは蒼星石の話を聞くですぅ」
急かすみんなを制して、蒼星石と翠星石が目配せしてから蒼星石が口を開く。
「あの日、水銀燈と屋上で話をした時に見えた月と星空が凄く素敵で今でも目に焼きついてる。
それであの月と星空のように素敵で、心が綺麗な人になって欲しいという思いで…この名前にしたんだ」
そう言うと翠星石がベッドの中から丸めた紙を取り出し、それを二人で持つと指を離して紙を広げさせた。
「…げっせいせき…月と僕らの名前の星石を合わせて『月星石』って名前にしたんだ」
「どうですぅ? 良い名前でしょう?」
照れくさそうに言う蒼星石と、自慢げに言う翠星石。
その命名に誰も文句を言う物などいなかった。二人が決めた名前なのだから。
「月と星と石…綺麗にまとまってるかしら」
「そうね、素敵な名前よ」
「素晴らしいですわ。ねえ、ばらしーちゃん」
「うん…凄く良いよ…」
「神秘的で良い名前なの」
「そうねぇ。文句無しよぉ」
みんなに褒められ、二人とも嬉しそうに笑った。
「当然ですぅ。二人で考えたんですから」
「月星石ちゃんっていうのねぇ!」
名前を知って、雛銀燈は嬉しそうに月星石がいるベビーベッドへと駆け寄った。
「よろしくね、月星石ちゃん!」
雛銀燈がそう言い、手を差し出すと嬉しそうに笑ってその指を握った。
「よろしくね、だって。雛銀燈ちゃん、仲良くしてあげてね」
「うん!」
まるで本当の姉妹みたいなその光景に、みんなの顔もほころんでいった。
これから先、長い付き合いになる事を予想して。そして、健やかに育ってくれる事を祈って。
終
タイトル、イメージ曲は平沢進の「オーロラ(http://jp.youtube.com/watch?v=DenjnV-6gqQ)」より。