『背伸び』
「・・・きるです。蒼星石。朝ですよ。」
薄ぼんやりとした頭に聞き慣れた声が響いてくる。少し高めの、透き通った声。
「蒼星石!」
目を開くと、見慣れた姉の顔。満面の笑みで僕の体を揺さぶり続けている。
ふと傍らに置いてある時計を見た。
8時。
「・・・休みの日くらいゆっくり寝かせてよ。」
姉の手を払いのけてもそもそと布団に戻る。平日ならまだしも、休日ならもう少し寝ていたい。
「蒼星石!今日の約束を忘れたですか!」
更に強く揺さぶられる。
約束。
約束?
そうだ。今日は翠星石と二人で少し豪勢に遊ぼうと約束していた日。
映画を見て、いつもより少し美味しいものを食べて、いつもより少し遅めに帰る。まるでデートみたいだけど、翠星石はそれを甚く楽しみにしていて、数日前から上機嫌だった。
昨晩もその上機嫌振りに振り回されて、布団に入る頃には既に2時を回っていた。だからこんなに眠いのか。
「そうだったね。ごめん、翠星石。」
「ひどいです。翠星石はずっと前から楽しみにしていたのに。」
先程の上機嫌振りが嘘のように悲しい顔をしている。
「ごめん。ちょっと寝ぼけてただけだよ。僕も楽しみにしてたよ。」
「本当ですか?」
「本当だよ。だからそんな顔しないで。ね。」
軽く頭を撫でると、先程の悲しい表情とは打って変わって、途端に笑顔が戻った。本当に感情がわかりやすい人だ。
頭の中で今日一日の行程を何となく考えてみる。
まず映画に行って。その後予約していたレストランに行って。ゆっくりと夜の公園を散歩して。
・・・あれ?
「ねえ、翠星石。」
「なんですか?」
「出かけるの、午後からの方がいいんじゃないの?夕飯まで時間が空いちゃうよ。」
「午後からでいいですよ。そのつもりです。」
「・・・じゃあなんでこの時間?」
午後から出かけるのに8時起きは早過ぎる。まだ寝ている時間があると思うと途端に瞼が重くなって来る。
「楽しいお出かけはまず美味しい朝ご飯から!基本です!」
「はあ?」
「折角いつもよりも豪勢に出かけるんですから、朝から気合を入れなきゃダメです。翠星石が朝ご飯を作ってやったですよ。」
「朝ご飯?翠星石が?」
よく見ると普段見慣れないエプロン姿。何となく良い香りも漂っている。
翠星石は僕よりも料理が出来る割に、面倒臭がってなかなか作ることはない。朝起きるのも遅刻ぎりぎりの時間だし、朝食なんてもっての他だ。
その翠星石がわざわざ作ってくれたというのだから、よほど今日の外出を楽しみにしていたのだろう。色々と理由をつけてもう少し寝ていたかったけれど、さすがに朝食まで用意されたとなっては二度寝するわけにもいかない。僕は覚悟を決めて布団から体を出した。
「翠星石が朝ご飯だなんて、何だか嬉しいな。ありがとね。」
「礼は食ってから言えですぅ。きっとほっぺたが落ちるほど美味しいです。」
「何作ってくれたの?」
「ご飯とお味噌汁と、ブリ大根と・・・。」
「ブリ大根!?わざわざ朝から?」
「圧力鍋で作ったから大して手間はかかってねぇですよ。あと、ほうれん草のおひたしです。」
「すごいね・・・。本当に気合入ってるね、翠星石。」
「勿論です。ほら、とっとと来るです。冷めちゃいますよ。」
ブリ大根は本当に美味しくて、結構な量があったというのに全部平らげてしまった。
翠星石が料理をするのなんて本当に月に2、3回くらいだけど、その度に腕を上げている気がする。
きっと良い奥さんになるんだろうな。
何となく翠星石の未来の夫婦生活を想像して、悔しいような、複雑な気持ちになった。
翠星石がこの美味しい料理を他の誰かに食べさせるなんて、何だか面白くない。娘を嫁に出す父親とはこんな感覚なのだろうか。
翠星石は朝食の洗い物を済ませた後、シャワーを浴びに行った。いつもより長めにシャワーを浴びて、出て来たかと思えば支度をすると言って部屋に篭ってしまった。
翠星石が部屋に入ったのが午前10時30分。
一体支度にどれだけ時間をかけるつもりなのだろう・・・。
僕は特別支度に時間がかかるわけでもないし、何だか手持ち無沙汰になってしまった。
ドア越しに翠星石に声をかけてみる。
「ねえ、何時に出るつもりなの?」
「お昼くらいに出るんでいいんじゃないですか?お昼ご飯は外で食べるです。」
「お昼って何時?」
「12時過ぎくらいですかねぇ。」
「・・・それまで何してるの?」
「支度ですよ。」
「やけに時間かかるね。」
「うるさいですぅ。蒼星石も少しはお洒落しろです。」
「お洒落ったって・・・。」
翠星石のように髪が長いわけでもないし、お洒落と言われても何をしたら良いかわからない。とりあえず外出するのはお昼を過ぎるようだし、それまで暇つぶしに本でも読んでいよう。
僕はパジャマから普段着に着替えて、自室で時間を潰した。
12時を5分ほど過ぎた頃、ドアの外から声がかかった。
「そろそろ行くですよ。」
読みかけの本にしおりを挟んで、財布だけポケットにねじ込んで部屋を出る。
「・・・翠星石?」
「はい?」
今日の翠星石はいつもより何だか大人っぽい。
見たことがない白いアンサンブルに、淡い緑色のスカート。ポシェットだって新しい物だし、普段穿き慣れないストッキングまで穿いている。髪もこれまでにない結い方で、まるで別人のようだ。
顔を見ると、うっすらと化粧をしているようで、思わず見とれてしまった。化粧をした翠星石なんて初めて見る。
「何だか今日、すっごく綺麗だね・・・。」
「なっ・・・。た、たまにはいいじゃないですか。」
翠星石が顔を真っ赤にして俯いている。
よほど楽しみにしてくれていたのだろう。そう考えると僕はいつもと変わらない服装で、少し申し訳ない気がする。
「ちょっと待ってて、翠星石。」
「え?」
「すぐだから。」
部屋に戻って、クローゼットを開ける。
確か、以前翠星石にすすめられて買ったはいいけど、ほとんど着ていないジャケットがあったはずだ。
大人が着る様なデザインのジャケットで、僕には少し早いような気がして、数回着ただけでその後はクローゼットの中で眠らせてしまっていた。今日は翠星石が大人っぽい格好をしているし、僕も少し背伸びをするくらいのほうが釣り合いが取れるだろう。
目当てのジャケットを見つけて、羽織ってみる。
鏡に映る自分の姿はそんなにいつもと変わりない気もするが、いつものジャンパーよりは格好がつくだろう。
「お待たせ、翠星石。」
再び部屋を出ると、翠星石が驚いた顔で出迎えてくれた。少し顔を赤らめてジャケットを見つめている。
何だかあまりじっと見られると少し恥ずかしい。
「へ、変かな。」
「そんなことないです!かなり、格好良いです・・・。」
翠星石に素直に褒められると何だかとても恥ずかしい。何と答えたら良いかわからなくて、思わず見詰め合ってしまう。何だかこれじゃ恋人同士みたいだ。
そう思うと異様に照れくさくなって、そそくさと玄関に向かった。
今日は待ちに待ったデートの日。
デートと言ってしまっていいのかわからないけど、私にとってはそのくらい重要な日だ。
以前から蒼星石と少し豪華に遊ぼうと計画していて、私はこの日のために新しい服や鞄まで用意していた。
お化粧の仕方も水銀燈に教えてもらって、何度となく練習してきた。
蒼星石に姉妹以上の感情を持つようになってからどれくらいの期間が経っただろう。
物心ついた時からずっと一緒に生活していたし、普遍的な生活を送っていただけなのに、中学に入って蒼星石が部活で忙しくなり始めた頃から、
もっと触れたい、片時も離れたくないと思うようになった。
それが特別な感情だとはすぐには気付かず、感情の赴くままに蒼星石に触れていたら、
ある日真紅に真剣な顔でこんなことを言われた。
「シスコンも度が過ぎると良くない噂が立つわよ。」
それ以来、妙に周囲の反応が気になってしまった。それでも抑えきれない感情と切なさに苛まれて、これが恋愛感情なのだと気がつく頃には中学を卒業する寸前だった。
高校に入学してからも蒼星石は相変わらず部活に忙しくて、会話の数も少しずつ減っていた。何とか家にいる間だけでも蒼星石の笑顔が見たくて、早めに帰宅しては料理の練習をした。作り過ぎて処理に困った分はお弁当にして、私の気持ちの唯一の理解者である水銀燈に渡す。
そして高評価が得られた料理を蒼星石に出す。たまに料理を振舞った時の蒼星石の笑顔がたまらなく嬉しかった。
そんな生活が数ヶ月続いた頃、水銀燈がふと真剣な顔で尋ねて来た。
「あなた、こんなこといつまで続ける気なの?」
私自身もこんなこそこそした生活を続けるわけにもいかないことはわかっていたが、他にどうしたら良いかわからなかったし、考えることを避けていた節もある。
「蒼星石のことが好きなんでしょ?」
改めて言葉にされると素直に頷けない程恥ずかしかったが、その気持ちが既に水銀燈の問いを肯定していた。
「でも・・・。蒼星石は、双子の妹です。」
「そうねぇ。」
「それに、女の子です。」
「それで?」
「許されるわけないじゃないですか・・・。」
言葉によりも涙の方が先に出てしまいそうで、私は必死に沸きあがる感情を抑えながら返答した。
「世の中には性別に関係なく恋愛する人もいるし、血縁に関係なく恋愛する人もいるわよ。そんな人が身近にいたとして、あなたどう思う?」
「どう思うって・・・。」
「私は別にお互いが好きで幸せなら、それでいいと思うけど。」
「でも、蒼星石は・・・私には・・・。」
こらえていた涙が溢れてきてしまって、私は思わず水銀燈から顔を背けた。水銀燈はそんな私を慰めるでもなく、失礼なことに笑い出した。
「なっ・・・。なんで笑うですか!私は真剣に・・・。」
「だったらその気にさせればいいじゃないの。」
「え?」
一瞬、水銀燈の言っている意味がわからなかったが、彼女の不敵な笑みから何となく意味は理解できた。
「こそこそ想うだけで振り向いてくれるなら誰も苦労しないわよ。全力でぶつかって好きにさせればいいでしょ。それとも、あんたの愛情はそんなことも出来ない程小さい物なわけ?」
その言葉を聞いた瞬間、重苦しかった気持ちが嘘のように晴れ、同時にほんの少しの勇気が生まれた気がした。
その日以来、ファッションから化粧の仕方に至るまで、持てる魅力を最大限に引き出す方法を水銀燈から教わった。
待ちに待ったその披露の日。今日の目標は、蒼星石に少しでも私のことを意識してもらうこと。単なる姉ではなく、一人の女性として認めてもらいたい。
勇気をくれた水銀燈の言葉を思い出しながら、気合を入れてドレッサーの前に座った。
下地・・・ファンデーション・・・チーク・・・アイシャドー。ここまでは練習通り。
(この、アイラインが・・・こ、怖いんですよねぇ・・・。)
やり過ぎて濃くなると悪魔のような顔になってしまうので、出来る限り細めに塗る。瞳のぎりぎりに筆を通すこの作業は何回やっても慣れない。ここで失敗してしまうとやり直しなので慎重に塗る。
こんなに手をプルプルさせながら、私は一体何をやっているのだろう。化粧の最中に我に返ると滑稽に思えて仕方がない。
「ねえ、何時に出るつもりなの?」
突然ドアの外から蒼星石の声がして、思わず瞼を真っ黒に染めるところだった。
「お昼くらいに出るんでいいんじゃないですか?お昼ご飯は外で食べるです。」
「お昼って何時?」
「12時過ぎくらいですかねぇ。」
「・・・それまで何してるの?」
ええ、化粧も恋もしたことがない蒼星石にはわからないでしょうね。
「支度ですよ。」
出来れば驚かせてやりたいのでそれだけ告げる。ドアの外から小さな溜息が聞こえる。あの様子だと蒼星石は全く意識していない。着飾ろうとか、髪型を変えてみようとか、そういうつもりは毛頭ないらしい。
(わかってはいましたけどねー・・・)
朝は約束のことを忘れていた様子だし、何だか悲しくなる。散らばった化粧品を見るとその思いは空しさへと変わってくる。
(その意識、今日こそ変えてやるです。)
しぼんでしまいそうな勇気を奮い立たせて、私は口紅を手に取った。
支度を済ませてから、蒼星石の部屋のドアの前に立つ。
どういう反応が返ってくるだろう。淡い期待を持って、声をかける。
「そろそろ行くですよ。」
出てきたのは全くと言っていいほど普段着の蒼星石。罵ってやろうかとも思ったけれど、何だかやけに私の姿をまじまじと見つめている。
「何だか今日、すっごく綺麗だね・・・。」
「なっ・・・。」
予想外の好反応に思わず声が上ずってしまった。
「た、たまにはいいじゃないですか。」
ああ。私の顔は今きっと真っ赤なのだろう。ファンデーションを塗っておいて良かった。
期待していた以上の反応に私までいつも以上にときめいてしまって、それ以上の言葉が出ない。静寂に、更に私の心は高ぶってしまう。
「ちょっと待ってて、翠星石。」
「え?」
「すぐだから。」
ほんの少し漂ったかに思えた甘い空気をばっさりと切り捨てて、蒼星石は部屋に戻ってしまった。
(ちょっとは空気を読めです・・・。)
日頃は必要以上に空気を読む割に、肝心なところで読めていないところが蒼星石らしいと言えば蒼星石らしいけれど。
「お待たせ、翠星石。」
しばらくして出てきた蒼星石を見て、今度は私が釘付けになってしまった。以前私が蒼星石にきっと似合うと思って半ば押し付ける形で買ったジャケット。
私が選んだ物を着てくれたこと事態も嬉しかったが、何よりその格好良さに見惚れてしまった。購入したあの頃よりも蒼星石は少し大人になった気がする。
「へ、変かな?」
「そんなことないです!かなり、格好良いです・・・。」
思わず口に出してしまっていた。
映画は、以前から翠星石が見たいと騒いでいた恋愛物、「単車男」。
バイクで引ったくりをすることで被害女性と知り合い、裁判所で互いの境遇を知ることで親交を深め、最終的には恋人となった青年の話を基にしているらしい。
二人の仲睦まじい姿に感激した裁判官が前科多数の青年に問答無用で執行猶予をつけたという奇跡の法廷恋愛ドラマだ。
僕自身は恋愛の経験なんてないし、ましてや他人の恋愛となると益々共感できなくなってしまって、恋愛物を好んで観ることはない。
興味がないわけではないのだけれど、テレビを見る時にはいつも翠星石が一緒だし、視聴後に必ずといっていいほど感想を聞かれてしまい、返答に困るので敢えて避けてしまっている。
とはいえ今回は翠星石がずっと楽しみにしていた機会だし、好きな物を見せてあげたい。
観始めれば楽しく感じられるかもしれないし、たまにはこういうのもいいだろうと思い、僕は快く翠星石の希望に応じた。
スクリーンの中では一見淡々と裁判の光景が繰り広げられていた。互いの愛は明らかなはずなのに、証言台という公式の場で想いを語れない男性の辛さが伝わってくる。
(そういえば・・・翠星石は好きな人っているのかな。)
長年一緒にいるはずなのにそんな話は一度も聞いたことがない。
僕と違って恋愛物のドラマを目をキラキラさせて見ているし、興味がないことはないのだろうけど、実際に好きな人がいるのか、恋人がいるのか、翠星石自身の話題には触れたこともない。
僕と同じく、全く経験が無いのか、スクリーンの中の男女のように語れぬ足かせがあるのか。恐らく前者なのだろうけど、少し気になってもいる。
最近妙に女性らしく魅力的になってきたし、浮いた話が出て来てもおかしくはない気がしていた。
スクリーンの中では、退廷直前の青年が傍聴席の被害女性に愛を叫んでいる。ちらりと翠星石を見ると、まるで自分が愛を叫ばれているかのごとく真剣に台詞を聞いている。
(いつまでも翠星石が独り身ってわけじゃないんだよね。)
そう思うと、何とも言い得ない重苦しい気分に包み込まれて、僕の神経は次第にスクリーンから離れていった。
優しい声で起こしてくれる翠星石。美味しいご飯を作ってくれる翠星石。ご飯を頬張りながら幸せそうに話しかけてくる翠星石。隣で映画に感動して泣き出しそうな顔をしている翠星石。
こんな翠星石の姿を見られなくなる。他人に取られてしまう。
そんな状況を想像すると、悲しくて寂しくて、単なる想像でしかないのに、突然孤独になってしまった気がして、僕はこらえられなくなって翠星石の手を握り締めた。
スクリーンに食いついていた翠星石が驚いて僕の顔を見る。僕はその顔を見返すことができないまま俯いていた。
「どうかしたですか、蒼星石。」
小声で翠星石が語りかけてくる。何も答えられないでいると、もう片方の手で柔らかく僕の手を包み込んでくれた。
暖かい。柔らかい。この手を他の人に取られてしまうなんて嫌だ。
「寂しいよ。」
胸の奥で重苦しく渦巻いている感情を思わず声に出してしまっていた。
スクリーンの中で、素直になれない男女が少しずつ愛を深めている。互いの気持ちを語れぬまま、時間ばかりが刻々と過ぎていく。
愛してはいけない人を愛してしまった女性の様々な葛藤がスクリーンを通して伝わってくる。葛藤を抱えた女性が愛を語れぬ場で男性の背中をじっと見詰めている。
きっとたった一言、言葉にしてしまえばすっきりするはずなのに。この気持ちに少しでも周囲の人が気付いてくれたら、ほんの少し幸せになれるはずなのに。
満たされない女性の気持ちが私の胸にひしひしと伝わってくる。証言台の上からでもいいから、男性がたった一言愛していると言ってくれれば、それだけで女性は満たされるだろう。
淡々と質問に忠実に答える男性に苛立ちまで覚えてくる。ついにその日の裁判は終わってしまい、男性は再び手錠をかけられ、縄で腰を縛られ、退廷を促されている。
思わず女性が傍聴席から立ち上がり何かを言いかけた瞬間、男性が彼女を見て愛を告げた。裁判官も、検察官も、弁護士も、傍聴人も、誰もが目を見張る中、女性だけがその気持ちを真っ直ぐに受け止めて見つめていた。
私はその光景に吸い寄せられていた。
その瞬間、私の手が少し冷えた蒼星石の手によって強く握り締められた。まるでスクリーンの女性と自分の姿が重なったかのような錯覚を覚えて、驚いて蒼星石を見る。
蒼星石の表情は暗かった。これまでに見たことがないような寂しそうな瞳で、じっと足元を見つめている。
「どうかしたですか、蒼星石。」
声をかけても無言のまま足元を見続けている。何か気に障るシーンでもあったのだろうか。何か昔の嫌な思い出でも思い出したのだろうか。
私は映画に求めていたときめきを忘れて、蒼星石の手を握り締めた。
「寂しいよ。」
蒼星石の口から、初めて聞いた言葉だった。
結局その後の映画の内容は全く頭に入って来なくて、僕は翠星石に手を握り締められたまま、ただ湧き上がる重苦しい気持ちを振り払えずにいた。翠星石は映画が終わるまで手を握り締めていてくれて、客席に明かりがついたと同時に優しく外へと促してくれた。
足は当初の予定通り自然とレストランの方角へと向かうが、上手く言葉を発することが出来ない。突然「寂しい」と口にしてしまったことへの言い訳をぐるぐると考えるのだがうまくまとまらずにいる。僕自身、この気持ちが何であるか、その本質を理解出来ていないのも事実だ。
翠星石は歩いている間もずっと手を握ってくれている。
「蒼星石。」
歩き出してしばらくして、翠星石が口を開いた。
まだ言い訳がきちんとまとまっていない。どうしよう。何と答えようか。
「翠星石は、蒼星石のそばから離れませんよ。」
「え?」
翠星石は僕の方を見ずに、しっかりとした瞳で前を向いている。
「蒼星石が望む限り、ずっとそばにいてやるです。」
今一番欲しかった言葉が優しい声で耳に響く。
僕自身も説明がつかない気持ちを、翠星石はわかってくれている。そして最も欲しかった言葉をくれる。
こうして考えてみるとこれまでもずっとそうだった。僕が不安な時は必ずそばにいてくれたし、笑顔が欲しい時には笑ってくれた。僕の望むことは、例え僕が口にしなくてもまるで先手を取るかのようにしてくれた。
「翠星石は僕の気持ちがわかるんだね。」
「何年一緒にいると思ってるですか。」
「僕は、僕の気持ちがよくわからないんだ。」
渦巻いていた疑問の答えを求めるように、僕の口は勝手に動き出していた。
「翠星石もいつかは結婚して家を出る。僕のそばからいなくなってしまう。そう思うと何だかとても寂しい気がして・・・。当たり前のことなのに。」
僕は何を子供じみたことを言っているのだろう。姉の旅立ちを家族として快く祝えないなんて。しかも現実にそれが迫ってきているわけでもないのに。
「ねえ、翠星石。大人になるって何だか少し寂しいんだね。」
少し大人びた雰囲気の翠星石に置いていかれたような感覚まで覚えていた。翠星石はじっと僕の顔を見つめていたが、しばらくすると僕の複雑な心境とは全く逆の、妙にすっきりとした笑顔を向けた。
「何笑ってるの。」
「蒼星石。私達は双子ですよ。大人になる時は同時になるんです。」
「そんな無茶苦茶な・・・。」
翠星石の言うことは時々少し理論に欠ける。そんな勢いに癒されることもあるのだけど。
「結婚はしません。するとしたら・・・。」
しばらくして、俯いて言った。
「同時にする以外有り得ません。」
「そんなに上手い具合に行くわけないじゃない。」
「行きます。」
翠星石の目はいつの間にかしっかりと僕を捕らえていた。
「私が、そうさせるんです。」
私は何を言っているのだろう。
蒼星石の寂しい気持ちが私に起因していることはよくわかった。それが姉妹としての愛情、甘えたいという愛情を超えている確証なんてないはずなのに、妙な自信に満ちてしまって、思わず勢いでとんでもないことを口走ってしまっている。
結婚なんかする気もないし、可能であるならば蒼星石とすることしか考えていないから思わず口にしてしまったけれど、蒼星石からすればやけに滅茶苦茶に人生のタイミングを合わせようとする我儘な姉の戯言にしか聞こえないだろう。
蒼星石が私を独り占めしたいと思ってくれていることはすごく嬉しくて、思わず水銀燈に
「あらぁ、蒼星石。それ、恋じゃない?」
と蒼星石に刷り込んで欲しいと思うほど心は躍っていた。
結局私も蒼星石も言いたいことが言えたのか言えなかったのかよくわからない複雑な状況だったけれど、とりあえず蒼星石の表情は少し明るさを取り戻してきたし、ここはやはり美味しく夕食を食べるのが一番だと思う。
レストランに着く頃には予約した時刻になっていて、お腹も良い具合に空いて来た。
コースは蒼星石が選んでくれたもので、季節の食材を使ったふんだんに使ったフレンチのコースだ。
前菜のパテから始まって、とにかく全てが美味しくて、自分の魅力を見せ付けるデートのつもりのはずだったのに、あまり綺麗とは言えないマナーで次々と平らげてしまった。
「美味しいですぅ!」
「良かった、喜んでもらえて。」
蒼星石はまだ完全に元気とは言えない様子だけれど、美味しそうに食事を楽しんでいる。
残るはデザートのみ。
「デザート、楽しみですねー。」
「うん。」
「何が出るですかねー。」
「うん・・・。」
「蒼星石?」
デザートの直前になって、急に蒼星石がぼんやりしてしまっている。また先程の不安がぶり返してきたのだろうか。手を伸ばして握ってやると、少し安心したような、困った顔でこちらを見ている。
「ごめんね。また寂しいって思ってるわけじゃないんだよ。」
「どうしたですか?」
「何だろうなあ。何かこう、食事に違和感が・・・。」
「もしかして、美味しくですか・・・?」
「いや、そういうわけじゃないよ。すごく美味しいよ。」
ウエイターがデザートを運んでくる。とても綺麗に盛り付けられたクレープ・シュゼットだった。思わず顔がにやけてしまう。
「ああ、わかった!」
蒼星石がクレープ・シュゼットを見ながら叫んだ。
ウエイターがいなくなった頃を見計らって、私の耳に顔を近づけてこう言った。
「僕、翠星石のご飯の方が好きみたい。」
翠星石を独占したい気持ち。上手に言い訳できなかった気持ち。滅多に食べられないフレンチのコースを食べているにも関わらず何か物足りなかった気持ち。最後に出て来た白い膜のようなデザートを見て、翠星石のスコーンが食べたいと思ってしまった気持ち。
ここまで揃って、やっと自分自身の気持ちに答えが出た。僕はきっと翠星石が好きなのだろう。姉妹としてではなく、恋愛感情で。
日常生活の中では全く気付かなかったけど、翠星石が少し大人びた雰囲気の今日一日で、
どれだけ自分が翠星石に依存しているか、どれだけそれが当たり前だと思ってしまっていたか、色々なことに気付かされた。
双子の姉妹なのにとか、女同士のはずなのにとか、色々と考えなければならないことが沢山あるのだけど、好きなのだと気付いてしまった先程から何だか落ち着かなくて仕方がない。
レストランを出て、夜の公園を散歩して・・・という間中、翠星石の側の半身が異様に熱い気がして、自分を落ち着かせるのに必死だった。
「蒼星石。さっきからどうしたですか。」
「蒼星石。どうして黙ってるですか。」
「蒼星石。どうしてこっち向かないですか。」
と、色々と声はかけられているのだけど、その声にまで妙にドキドキしてしまって、やっぱり答えられない。
翠星石は溜息をついて、電灯の明かりも届かないようなベンチに腰掛け、隣をポンポンと叩いた。
「はい、座るです。」
僕は言われるがままに隣に腰を掛けた。少し距離を置いて。
「だーかーらー。さっきから何なんですか。」
「いや、その・・・ごめん。」
「ごめんじゃわからんです!」
翠星石は遠慮なしに距離を縮めてくる。これまで何度となく触れたことのある体なのに、今は少し触れられるだけで意識してしまう。少し肩をすぼめてやり過ごそうとすると、今度は手を握られた。
「ちょっと、翠星石・・・。今日はどうしたの?」
「どうしたって何ですか。こっちが聞きたいですよ。何でさっきから避けるですか?」
「避けてるわけじゃないけど。」
「じゃあ何ですか。」
「何で手握るの?」
「握りたいから握ってるんです。蒼星石は嫌なんですか?」
「嫌じゃないけど。」
「レストラン出てから変ですよ、蒼星石。」
「わかってるよ。わかってるけど。」
何だか見透かされている気がする。
本来であればこの気持ちに気付かれてしまったらこれまでのような姉妹としての関係にヒビが入るとか、そんな不安にかられるのだろうけど、何だか今の翠星石を見ているとそんな不安が持てない。
いつもより少し絡むように張り付いてくる翠星石を見る限り、まるでその気持ちを口にしてしまえと言われているような気分にさえなる。
考えなければならないことは山積みで、ドキドキしている暇なんてないのに、体はもう言うことを聞いてくれなくて、妙な熱を帯びたまま俯くしか出来なかった。
僕は熱を冷ますように大きく息を吐いた。
なんでそこで溜息をつくのか。
蒼星石が私を独り占めしたいと思っていることはわかった。レストランのデザートが出たあたりからその感情が単なる姉妹としての愛情だけではないことには私でも気付いていた。
(蒼星石がこんなに焦ってるのって見たことないです・・・。)
まさかとは思うが、妹の気持ちも自分の恋焦がれる気持ちと同類のものなのか。これまでそんな空気を感じたことは微塵もなかったのに。
私が毎日どれだけ蒼星石を想い、どれだけ愛しいと感じて来たか。受け止めてもらえるのならばその気持ちを滝のように溢れる言葉で伝えたいし、全身で表現したい。
それなのに蒼星石はまるで滝に打たれるお坊さんのように固まってしまっている。まだその気持ちが確信ではないのなら、後押ししたい。私は蒼星石が好きだと伝えたい。
そんな焦る気持ちをぐっとこらえて蒼星石に言葉をかけても、しどろもどろできちんと言葉にしてくれない。先程に至っては大きな溜息までついた。
(もどかしいです・・・。)
「蒼星石。言いたいことがあるならちゃんと言うですよ。」
ただ何か別のことで焦っている可能性だって捨て切れないのに、私は蒼星石の口から答えが出るのが待ち切れなくて思わず急かしてしまう。
「いや、今は・・・。ちょっと。」
「何で今は言えないですか。」
「まだ僕の中でもやもやしてて。」
「もやもやしたままでいいですから言うです。」
「それはちょっと・・・。もう少し自分の中ではっきりさせてから・・・。」
「思いつくまま言えば翠星石が解析してあげます。」
「うーん・・・。」
蒼星石から求めている言葉が出て来ないのがまどろっこしくて仕方がない。それでももしかしたら気持ちが繋がっているのかもと思うと嬉しくて体はぴったりと蒼星石から離れない。
蒼星石。
大好き。
大好き。
大好き。
私が口にしなければダメなのだろうか。私が一言言えば、蒼星石のもやもやは晴れるのだろうか。
言ってみようか。今なら言える気がする。その後のことなんて知らない。今はとにかく気持ちを伝えたい。
蒼星石の肩に顔をつける。お化粧が蒼星石の服についてしまいそうだけど、そんなのもうどうでもいい。さすがに顔を見ては言えないからこのまま言わせて欲しい。
「蒼星石・・・。」
口を開きかけたその瞬間。
「好きだよ。」
一瞬心臓が止まったような感覚がして、周りの音も、空気も、何も感じられなくなる。数秒して少しずつ感覚が戻って来て、蒼星石の言葉の意味を理解した。
私がずっと蒼星石に対して想っていた気持ち。たった今告げようとした言葉。
そして、何よりも蒼星石から欲しかった言葉。
溜めてきた想いが溢れ出して、私は涙をこらえることが出来なかった。
肩に顔をつけたまま、腕にしがみつく。いつもは着ないような少し硬い素材のジャケットの感触。少しいつもと違う私だけど、蒼星石も少し違う。
溢れる涙を蒼星石の指が掬った。そのまま優しく頬に手を添える。
「お化粧、取れちゃうよ。」
大好きな優しい声。大好きな優しい手。
「翠星石。」
頬に添えた手が、私の顔を肩から少しだけ離した。
見上げると、大好きな蒼星石の笑顔がそこにあった。
ゆっくりと顔が近付いてきて、唇が軽く触れ合う。
どうしたら良いかわからなかったけれど、少し啄ばむ様にして押し付けたら、蒼星石も同じように返してくれた。
離した時に見えた蒼星石の顔は、少し赤くて、少し大人びていた。
昨日アクセスの多かった掲示板スレッドランキングです。話題のスレッドを見に行こう!
- れんあいそーだん2 - 初音ミクwiki掲示板wiki
- 歌おーぜ! - 初音ミクwiki掲示板wiki
- エイダに戦術回避ってどうやってつけるんですか...? - EOF,デッドランド攻略Wiki【非公式】
- 歌い手リスナーいる?! - 初音ミクwiki掲示板wiki
- もしもここの住民が同じ学校の生徒だったら?弐拾 - 初音ミクwiki掲示板wiki
- スレ民についてのカプ雑談ふぁいぶ - 初音ミクwiki掲示板wiki
- ボーカロイド工場異変事件について - 初音ミク Wiki
- ブイズ。様に素材届けます!! - ブイズ。
- ただ叫ぶスレ - 初音ミク Wiki
- 好きなボカロの歌詞だけ貼ってくスレ - 初音ミク Wiki
急上昇Wikiランキング
急上昇中のWikiランキングです。今注目を集めている話題をチェックしてみよう!
最近作成されたWikiのアクセスランキングです。見るだけでなく加筆してみよう!
atwikiでよく見られているWikiのランキングです。新しい情報を発見してみよう!
最近アクセスの多かったページランキングです。話題のページを見に行こう!