いとせめて
恋しき時は
うばまたの
夜の衣を
返してぞ着る
──ジンクス
冷たい電子音が響く。外はこの時期特有の暗さである。
真紅は気だるげに体を起こし、アラームを止めた。
何故この隣のベッドで寝ている人物はアラームに全く反応しないのだろう。
「水銀燈、水銀燈!朝よ、起きなさい」
「んー……」
揺すりながら声をかけるが、彼女は億劫そうに呻き声を小さくあげると、また寝息をたて始めた。
「ほら、早くしなさい。時間ないわよ」
更に強く揺すってやると渋々といった感じて体を起こした。
「おは───よぉ」
彼女の挨拶に間があったのは大きな欠伸を一つ、かいたせい。
朝食の時間までそうないので急がなければいけないのに、水銀燈は呑気に伸びをさたり首を捻るばかりだ。
「何やってるの。急がないと朝食に──」
「真紅の夢を見たわぁ」
不意の言葉にドキリと心臓が鳴る。
チラリと水銀燈の表情を見るといつもの妖しげな笑みを浮かべていた。
「聞きたぁい?」
「別に……興味ないのだわ」
意図せず声が震えてしまったのは、思った以上に緊張していたからかもしれない。
これしきのことぐらいで、何をそんな動揺することがあるだろうか。
「あ!」
と水銀燈が分かりやすく驚いた声をあげた。
「どうしたの?」
「パジャマ、裏表だったわぁ。私もなかなかお馬鹿さんねぇ」
ニヤニヤと何か企んでいるような表情でこちらを見ている。
しかし、その本質が分からないので、愚かね、と一つ返して自分も着替え始めた。
──そう。本当に愚かだわ。
水銀燈と私は幼稚園来の幼馴染みで家族よりお互いを知っているほどだ。
好敵手であり、親友。しかし、それ以外の自分の気持ちに気付いたのは一年前。
告げることもできずにずっと親友を続けている。失うくらいなら耐えたほうがいいと思っているからだ。
「ねぇ、真紅。貴女、文系クラスよねぇ」
「そうよ、それが?」
高校生になってから文系・理系でクラスが分かれた。私は文系で、彼女は理系だ。
「別にぃ。気づかないならいいわぁ」
何かが不満だったようで、少し拗ねた表情を彼女は見せた。
「おはようです」
「あら、おはよう」
同じ文系クラスの翠星石に声をかけられた。
「真紅、昨日の古典の授業進みましたか?」
「えぇ、それなりに」
そう言ってやると翠星石は勢いよく私に手を合わせてきた。
「すまねぇですが、ノート見せてほしいです!」
あぁ、そういえば昨日、彼女はぐっすりと睡眠をとっていた気がする。
ノートを貸すことになんら躊躇いはないが、素直に貸してやるのも癪な気がする。
「あら、でも寝てたのは貴女の責任でしょう?自分てなんとかしなさい?」
「う…」
ほんの冗談のつもりで言ったのだが、どうやら彼女には堪えたようですごすごと自席に戻った。といっても彼女の席は隣なのだが。
その、あまりにもしょんぼりとした態度がつい可笑しくて噴き出すと彼女は怪訝そうな表情でこちらを見た。
「な、何笑ってるですか!」
「ごめんなさい。ただ、あまりにもしょげてるから……ふふ」
素直に謝って写させてやる、と言うと、
「いえ、やっぱり自分でやるですよ。頼っててはダメです」
とガッツポーズをして見せてくれた。こういうとこが彼女のいいところだ。
「えっと、範囲はどこでした?」
「古今和歌集の小野小町の歌よ」
「ありがとうです」
そう言うと翠星石は教科書をペラペラめくり始め、ノートに写し始めた。
「恋しき、き、存続……」
彼女は考えてることが全て口に出てしまうらしい。
自分もノートを開いて、今翠星石か取り組んでいる歌を見る。
『いとせめて恋しき時はうばたまの夜の衣を返してぞ着る』
その歌の訳を見て、ふと頭に今朝のことがよぎる。
『真紅の夢を見たわぁ』
『パジャマ、裏表だったわぁ。私もなかなかお馬鹿さんねぇ』
『ねぇ、真紅。貴女、文系クラスよねぇ』
偶然だろうか。いや、偶然であるに決まっている。でなければ彼女は私を。
「真紅!」
名前を呼ばれてビクリと顔を上げると翠星石がこちらを見ていた。
「な、なに?」
「水銀燈が来てるですよ」
その名前に驚きながら、翠星石の指さす方向を見ると水銀燈が手招きしている。
「どうしたの?」
「お昼一緒に食べなぁい?」
「…………それだけ?」
「あら、いけない?」
「いけなくはいけど……」
「じゃあ食べましょう。昼休憩に迎えに来るわぁ」
それだけを言うと彼女は綺麗な銀髪を翻して去ろうとする。
「ちょっ、水銀燈!」
慌てて呼ぶと首だけで彼女は振り返った。
「今朝の、……貴女まさか!」
そこまで言うと水銀燈口に人差し指を立てて、しーっと言った。
「正解よぉ」
それだけ言うと彼女はまた銀髪を靡かせて去っていった。
終わり
途中の句の意味が分からないひとへ
直訳
とても切なくてあの人が恋しい時は、寝巻きを裏返して寝ることだなぁ
パジャマを裏返して寝ると好きな人に会えるという迷信があった