永遠を背負いし者 ◆SERENA/7ps


その後の会話には、もう硬さもぎこちなさも何もなかった。
食卓に並んでいた食器を片付け、再び席に着く。
クレストソーサレスを切っ掛けとして、マリアベルの各世界に関する魔法や、それに準ずる技法などへの考察と解釈が始まる。
こうしてニノの世界の魔道書やロザリーの世界の媒体を一切必要とせずに、言葉一つで効果を発揮する呪文などの話を聞くと、異なる世界の出身だということが改めて分かる。
『大災害』がどうのこうと、『焔の災厄』がどうのこうのという話をして異世界の住人だと思うよりも、住んでいる世界の特色などを話し合うほうが理解が早い。
エルフやノーブルレッドといったお互いの世界には決していない存在も、外見の違いとして鋭い角が生えてたり、長い舌を持ってたりするわけではない。
故に、お互いを理解し合うために、世界を隔てる壁を壊すのに一役買ったのが魔道、呪文、クレストソーサレス。
呼称する名称は違えど、己の精神力、魔力とも言うべきものを消費して発現する数々の奇跡の存在だった。

「雷を起こすのは、勇者様だけに与えられた力ではないのですか?」

例えば、雷を起こす呪文の存在。
雷雲を呼び寄せ、神話にも描かれる裁きのごとき稲妻を落とす魔法。
ロザリーのいる世界では、それは選ばれし勇者のみが扱える呪文とされていた。
しかし、ニノの世界では、雷を起こす魔道は炎を操る魔道に次いで簡単な、理魔法の基礎でしかなかった。
マリアベルの世界でも、電撃を扱うクレストソーサレス、ミーディアム、レッドパワーなどは枚挙に暇がない。
ロザリーは信じられないとばかりに、軽いカルチャーショックに陥った。

「たぶん、遺伝子とかの問題ではなかろうか? ロザリーの世界は、電撃を操る呪文を使える遺伝子を持った人間が、極端に少ないのかもしれぬ。
 数少ないその遺伝子を持った人間、あるいは家計が勇者と呼ばれたりしてるのだと思うがのう。 マホステとやらも似たような理由かもしれぬ。
 神に選ばれたのではなく、遺伝子に選ばれたと考えると、一気に神秘性が失われ陳腐になるものよ。 まぁ話を聞いただけでの推測じゃがな」

本当は、勇者という言葉を発した時のマリアベルの表情が僅かばかりに曇ったが、それに気づいた者はいない。
遺伝子という聞いたことのない言葉の意味を尋ねるのに、二人が気をとられていたからだ。
マリアベルの見せた僅かな違和感に気づくことはなく、会話は進む。

「ああそうか。お主らの世界には、まだ遺伝子の概念が確立しておらぬのかもしれぬな。
 説明すると長くなるから、戯言だと流してくれ。 知らぬからといって、不自由が出る知識でもないしの」

まだまだ話マリアベルの話は続く。
長い年月を生き続け、退屈する時間の多いマリアベルにとって、新しい知識と概念は大いに好奇心が刺激させられる。

「それよりも、呪文とやらは相当練りこまれた論理体系よ。
 僅か何文字かの言葉に、起動プロセスから威力の設定までほぼすべての手順を行うよう設計されておるからの。
 おそらく、途方もない年月を経て確立された、先達の偉業の賜物じゃろう」
「どういうこと、マリアベル?」
「よいかニノよ、我らの世界のクレストソーサレスとお主の世界の理魔法は似たものだというのは分かるな?」
「あっ、分かるよ。 使うのがクレストグラフが魔道書かの違いしかないもん。 ひょっとしたら魔道書よりクレストソーサレスの方が簡単かも?」

そう、媒体に魔力や精神の力を注ぎ込めば、後はクレストグラフや魔道書が勝手に力を発動する。
例えば、フォルブレイズに魔力を注げば業火の理となって顕現し、フリーズのクレストグラフに力を注げば、凍てつく氷が出来上がる。
魔道書にしても、クレストグラフにしても、力を注入するだけで魔法が発動するまでのプロセスをほぼ全てやってくれているのだ。
それに対して、呪文は発動するのに必要なものは魔力と言葉だけ。
1から10まで全て、術師がやらねばならないのだ。
メラを唱えようとすれば、魔法力を練り上げ、それを拳大の大きさの炎に変換して、敵に撃ちだす。
だが一見、非常に手間のかかる手法かと思いきや、そうではない。
呪文は、クレストソーサレスや魔道書のように手順が簡単にされてない分、発動が遅かったりするかといえば、そうではないのだ。
むしろ、詠唱から発動まで、その速度は他のものと比べてもまったく遜色がない。
これについては、ロザリーが実際に覚えている呪文を、マリアベルとニノの目の前で披露したので証明済みだ。

「おそらく研究に研究を重ねられた論理体系なのだろうな。 考えてみれば、魔法の発動までにタイムラグが生じるというのは致命的じゃ。
 それが一人しかいない時なら尚更よ。 ミーディアムもガーディアンの力を借りてこそのあの速さじゃし、わらわのレッドパワーは使い方も含めて敵から吸収するものじゃし……」

どこの魔法も一長一短だが、全部が平等ではない。
ひょっとしたら、クレストソーサレスよりニノの世界の魔道の方が優れているかもしれない。
もちろん各世界の魔法の特色を聞いただけでは優劣などなど分かりはしないし、優劣をつけること自体ナンセンスだとマリアベルは思う。
ここにみんなが集まっているのは、魔法の優劣をつけるためではなく、みんなが手を取り合って生き延びることだから。

話は続く――。



◆     ◆     ◆



と、そんなこんなでマリアベルの講釈は続き、『ちょっとした出来事』を挟んで話すネタもなくなってきたときにニノがそれに気づく。
テーブルの上に乗せられたロザリーの指に嵌められている、どこかで見たことのある指輪。
落ちこぼれの自分には、決して縁のないものだと思っていたものだ。

「あ、ロザリーさん」
「? どうかしたの、ニノちゃん?」
「その指輪、ちょっと見せて欲しいな」

ロザリーは承知して、指に嵌めていた指輪を外し、ニノに差し出した。
ニノはそれを手に取り、指でその形をなぞり、目で注視して確かめる。
そして、自分の考えが間違っていなかったことを確認した。

「やっぱりこれ、導きの指輪だ……」
「そういう名前らしいけど、ニノちゃん知ってるの?」
「うん、魔道士が賢者になるのに必要なものだって」

それからマリアベルとロザリーによる、いくつかの質問が始まる。
賢者になるとはどういうものなのか。
これがないと賢者になる資格がないのか。
賢者になるとどういうことができるようになるのか、など。
説明することに慣れてないニノの、多少要領の悪い答えが返ってくる。

(まぁ、ナイトブレイザーがデメリットなしでオーバーナイトブレイザーになれる道具のようなものか……)

マリアベルはとりあえずそのように結論付けた。
使えば、本人の能力を大幅に高めるところも合ってるし、その認識で問題ない。
質問が終わって、指輪を返そうとするニノに、ロザリーが提案してみた。

「ニノちゃん。 使ってみる気はない?」
「これ……を?」
「そう」
「ダメだよ。 これはロザリーさんの物だし、あたし落ちこぼれだから」

そういって、ニノは拒否する。
落ちこぼれだと言った瞬間、脳裏にはある苦い記憶がフラッシュバックした。
そう、その記憶がある限り、ニノは今もこれからも、自分を落ちこぼれだと思うことしかできない。
この脳裏に刻まれた癒えない傷がある限り、ニノは一生自分を蔑むことしかできない。
しかし、そんな事情を知らないロザリーはもう一度ニノに勧めた。

「これはニノちゃんの世界にある物なんだから、ニノちゃんが使ってみるべきよ」

ロザリーは知らない。
ニノの笑顔の裏に隠された心の傷を。
自分が知らず知らずの内にニノの心を抉っていたことに。

「……じゃ、じゃあ使ってみるからねっ」

そういって、自信無さげに自分の指に嵌めると、瞑想するかのように、ニノは目を閉じた。
思えば、マリアベルもロザリーも、使う資格のあるものが手にしたところで、どういう風に使うのか聞いてなかった。
目を閉じて、集中力を高めているのだろうか?
そんなことを二人が考えている間にも、ニノは目を閉じたままじっとしている。
果たして今の状態は、導きの指輪を使うのに成功しているのかしてないかが分からない。
マリアベルとロザリーは根気よくニノを待ち続けた。

そして、マリアベルとロザリーがジッと待っている間、ニノは賢者になるため精神と魔力を統一していた。
もしも、万が一賢者になれたら、少しはみんなの役に立てるかもしれない。
そう思って、ロザリーの勧めるままに使ってみようと試みたものの――



待っていたのは、辛い過去の想い出だった。



“まったく、どうしてこんな子を私が……”

ずっと、母親だと思っていた悪女の、痛烈な言葉の数々。

“……とことん役に立たない娘だわ”

ニノはまだ13歳。

“お前みたいなクズ、邪魔にしかならなかったわ!”

まだまだ親の愛情に飢えている年齢。

“私がそういうのを嫌いなこと、知ってるわよね?”

なのに、母親に好かれたい一心で必死で努力しても、母親だと思っていた人間からはいつも落ちこぼれ、役立たず呼ばわり。

“ククク……おまえの父親も母親も、おまえによく似て、反吐がでそうなくらいの甘ちゃんだったわ。
 行き倒れを装って、家に入り込んだ私が子供を抱きこんだとき、心底驚いた顔をしていた。
 クク……見ず知らずの人間を信用するなんて、愚かなこと。 後悔した時にはすでに遅いのにねぇ?”

それどころか、その女は母親どころか、本当の母親を殺した存在だった。

“!! 許さないっ! ぜったい……ぜったいっ許さないっ!!”

明かされた真実を知り、烈火のごとく怒り狂ったももの、勝てるはずもなく。

“許さなければどうしたというの!? お前もあの実の親とブレンダン・リーダスのところへ送ってあげるわ!”

敗北し、親の仇すら討てないわが身の未熟さと、やっぱり自分は落ちこぼれなんだという実感に深く打ちのめされた。
ひょっとして賢者になれるかもと思っていた期待は、残酷な結末が待っていただけだった。

「ッ!? どうしたの、ニノちゃん!? 顔が……」
「ニノ? お主……?」

ロザリーがそういうのも無理はない。
目を開けたニノの顔面は絵に描いたような蒼白さで、生気のない顔をしていたからだ。
唇も紫色に近い色に変色してて、心なしかブルブルと震えているように見える。
他にも、冷や汗と思われる水滴が、ニノの額にいくつか浮かんでいた。
とりたててニノの魔力が上昇した気配もない。
間違いなく、賢者になるのには失敗したとみてもいい。
また、これがもし導きの指輪に認められて賢者になれる代償だとしたら、少し考えなしに勧めてしまったのではないかとロザリーは後悔した

「……うん。 なんでも……ない……よ」

そんなはずない、それがロザリーとマリアベルの共通見解だった。
何でもないはずがない。
ニノが二人を心配させまいとして、気丈に振舞おうとして言った台詞なのは誰の目にも明白。
仮に、本当に何もなかったとして、ともすれば今にも高いところから飛び降り自殺をしそうだ、と傍目から思ってしまうほどの顔になるのは間違いなく心の病か何かだ

「ごめんねロザリーさん、マリアベル。 やっぱりできなかった。 
 ほら、あたし落ちこぼれだから。 落ちこぼれじゃなかったら、父さんとにいちゃん達の仇もあの時討てただろうし」

それは悲しい響きを持った言葉だった。
落ちこぼれという単語を口にしたとき、そこには諦観の念が込められ、仇も討てただろうという単語を口にしたときは己が身を呪ってさえいるようだった。
その時、ロザリーの頭にある言葉が引っかかる。
父さんとにいちゃん。
それはついさっき、シュウとマリアベルの二人と初めて接触した時にも言っていた。
その一言が発端として、シュウ達とは不必要な闘争もなく和解できたのだ。

「ニノちゃん……ニノちゃんはもうお父さんもお兄さんもいないの?」





――後に、ロザリーは後悔する。
興味本位でニノにそんなことを聞いてしまったことを――





しばし逡巡したものの、ニノは語りだす。
それは、マリアベルの口から語られたリルカの人生に、勝るとも劣らぬほど壮絶なものだった。

まだ物事の認識も満足に出来ない頃に、実の両親と弟を殺され、ニノは利用価値があるかもしれないと一家を惨殺した女を母親として育てられた。
女――ソーニャはブレンダン・リーダスという男と再婚し、ニノは新しい父親とロイド、ライナスという新しい兄ができることになる。
新しい家族はニノにとてもよくしてくれた。
ソーニャには落ちこぼれ呼ばわりする毎日が続いたが、新しい父と兄のおかげで、それなりに充実した人生を送っていたとニノは後に述懐する。
けれど、そんな新しい家族さえ、ソーニャと、その黒幕であるネルガルによって崩壊した。
それどころか、死んだブレンダンやロイド、ライナスをネルガルの意のままに動く人形、『モルフ』として作り直し、ニノやヘクトルと戦わせたのだ。

“父さん……とう……さん……。 あたしが、あたしが……終わらせるから……ごめんね……”

在りし日の姿を思い浮かべて、ニノは父親と戦った。

“ライナスにいちゃん……また……会おうね……。
 きっと怒ってるんだろうけど……また仲良く……遊んでね……”

これ以上魂を冒涜されるのに耐えられなくて、口が悪くて乱暴な、けれど内に秘めた優しさが魅力の兄と戦った。

“あ…ロイドにいちゃ……うっ……うっうっ……。
 どうして、何度も……こんな……ひどいよ……”

格好よくて、いつも頼りになる兄と戦うときは、ついに耐えられなくなって涙を流した。

それだけならまだしも、ブレンダンも、ロイドも、ライナスも、形を真似ただけの偽物かと思いきや、そうではなかった。
武器を持って戦う襲ってくる彼らの姿は、生前と変わりなく見えて。
闇のような黒衣、凍てついた刃……気づいた時には敵は死んでいる……。
芸術の域に達するとまで言われたリーダス一家の武技を、もう一度その眼で拝まされた。
“化け物になっても結構男前だぜ”
そんな誰かの言葉に、少しだけ同意したくなった。
そして、眉一つ動かさずに能面のような表情で戦っていたモルフたちは、とどめを刺された瞬間に――

ニヤリと、口元を吊り上げて笑ったのだ。

モルフは姿形だけでなく、記憶まで再現できるのか知らない。
でも、父や兄の姿をしたモルフは、末期の笑みを見せた。
殺してくれて――助けてくれてありがとう、というような笑みだった。
もし、そこまでネルガルの設計した通りなのだとしたら、ネルガルとは人の感情を逆撫でる方法を極限まで知り尽くした男なのだろう。
モルフは死ぬと、体が崩れ、灰のようになくなっていく。
死体に縋りついて泣くことも許されず、ニノの嘆きは宙に消えていく。

代わりに残ったのは、圧倒的な怒りと憎しみという名の感情の激流。
モルフの一人が持っていた強力な魔道書を勝手に持ち出して、己が心の命ずるままに駆け、ネルガルのいる部屋へと続く扉を誰よりも早く開けた。
そこにいた憎き怨敵ネルガルは、どこの馬の骨ともしれぬ子どもが、とばかりに一顧だにせず言った。

“ん? なんだ、おまえは?”
“許さない! あたしの家族を……みんな奪ったおまえを許さないっ! ネルガルっ!!! みんなの仇はあたしが討つ……!”
“そうか、おまえ、確かソーニャの……”

そして、全てとの別れ――。




「……それで、どうなったのじゃ?」
「死ななかったのが不思議なくらい、コテンパンにやられちゃったよ……」

勝手に持ち出した魔道書は、結局使いこなすこともできなかった。
ジャファルやヘクトルたちの加勢がなければ、間違いなく死んでいただろう。

「だから、あたしは落ちこぼれなの……」

最初の家族と、二番目の家族を崩壊させられても仇を討つこともできない。
ソーニャにもネルガルにも手痛い敗北を喫した事実が、ニノに自分は落ちこぼれなんだという認識が植えつけられる。
それがたまらなく悔しく、歯がゆい。
ソーニャは死んだ。
けれど、死んだソーニャが常日頃から言っていた言葉に、ニノ自身が未だに囚われていた。
それはもはやトラウマにまでなるほど根深く、ニノという人間の奥深くに巣食っている。
落ちこぼれだから、いつまで経っても魔法が上達しない。
役立たずだから、みんなの足を引っ張ってばかり。
クズだから両親と兄弟の仇も討てない。

落ちこぼれだから。
役立たずだから。
クズだから。

そのことを思い出してから。
悔しさと、情けなさと悲しさから、ニノは顔をくしゃくしゃにして――泣いた。



◆     ◆     ◆



ロザリーは甘かった。
自分の認識が甘かった証拠を、まざまざと思い知らされた。
始めは、単なる興味本位だった。
ロザリーは、ニノが決して落ちこぼれじゃないことを知っている。
だから、よく落ちこぼれという言葉を口にするのは何故だろうと思っただけ。
確かに、ロザリーのしたことは、ニノが自分を落ちこぼれだと決めつける心的外傷――トラウマの原因も判明させた。
ニノが自分を無能扱いするのは単なる自虐趣味ではなく、暗い過去に根ざしたものだと分かったのだ。
けれど、それは事実のほんの一面に過ぎない。
同時に、ロザリーはニノの心の傷を抉った。
思い出したくもない過去を思いださせ、ついにはニノを泣かせるようなことさえしてしまったのだ。

(ああ、私はなんということをしてしまったのでしょう……)

自分のしでかした罪を自覚する。
それはマリアベルが背を向けて泣いていたときに、ニノに対してしたことだ。
包帯も巻いてやれないのに、他人の傷口に手を触れてはならない、と。
興味本位で始まった質問が、ニノを無自覚に傷つけた。
今、ロザリーはニノのトラウマを刺激――言うなれば、ニノの心の奥深くにある傷を直接手で触って、
ここが痛いの? ねぇ、ここが痛いの?と抉りながら聞くようなことを――したのだ。

時に、自覚のある悪より自覚のない悪の方が厄介なことがある。
無論、今回のことはロザリーが全面的に悪いことではない。
ニノにかける言葉が見当たらずに、ただ沈黙しているマリアベルだとて、ロザリーを責めることはしないだろう。

(私はどうすれば……?)

どういう言葉なら、ニノの悲しみを和らげてあげることができるのか。
どういう方法なら、ニノにごめんなさいという気持ちを伝えることができるのか。
どうすれば、ニノの涙を止めてあげることができるのか。
気がつけば、ロザリーは頭を胸に抱え込むように、ニノを抱きしめていた。

「ごめんなさい、ニノちゃん……」
「ロザリーさんの……せいじゃないよ。 悪いのはあたし……みんな死なせてしまったあたしの責任」
「それは違う! そんなことを言わないで、ニノちゃん!」

色んなことで人は死んでいく。
それはニノの責任ではない。
そもそもの原因はネルガルとソーニャだし、ニノの行動一つに全ての責任が発生することなど、決して有り得ない。
あの時誰かがああしていれば、こうしていれば、些細なことで人は死んでいく。
運命のダイスがもう少しだけ良い目に出れば、こうならないことだってあっただろう。
逆にいえば、少し悪い目が出ると、こういう運命になる。
幾つもに絡まった運命の糸が、不幸な巡り合わせを導いただけだ。
ニノも家族に死んでほしくないから、家族の仇を討ちたい一心で行動しただけ。
良かれと思って行動した結果なのだ。
そして、その良かれと思ってした行動も悪い結果に繋がったりはしていない。
ニノに悪い点など、何もないのだ。

「どうしようもないことだってあるのよ」

そう、例えば自分が一度死んでしまったこと。
トルネコアリーナ、クリフトが死んでしまった事実が覆らないこと。

「そう、世の中にはどうにもならないことの一つや二つくらいあるんだもんね。
 その一つが、あたしの大切なものだった……それだけだよ」

ニノの両頬から伝う新たな涙がロザリーの服を湿らせていく。
カッとロザリーの胸に熱いものがこみ上げ、ニノを抱きしめる腕に一層力をこめる。
温厚なロザリーには珍しく、激情というものが渦巻いていた。

(このような言葉、子供が言うものじゃない……!)

そうだ、ままならないのが世の中だ。
正しいことばかりが認められるとは限らないのが世界だ。
けど、それを知って、認めるようになるのはもっと大人になってからのはずだ。

(誰!? この子にこんなことを言わせたのは誰!?)

そんなものを知るのは、あと何年か経ってからでいいはずだ。
だのに、ニノはまだ13歳にしてそれを知ってしまっている。
しかも、それを当たり前のこととして受け入れているのだ。

(でも、この子にこんなことを言わせたのは、半分私の責任……)

あらためて、ロザリーはニノの生きてきた環境の苛酷さを思い知らされる。
物心ついたときから暗殺者集団『黒い牙』の頭領の娘として育てられ、牙崩壊後は世界の命運を左右する戦いに巻き込まれたのだ。
名も無き市井の人として、平穏な生活を送ったことのないニノに、そういう認識が生まれるのは無理からぬ話でもない。

「この世界は……つらいことばかりね」

好奇心で突付いてみた藪からは蛇どころか、見通せぬ深い闇が広がっていた。
自分は弱いと、ロザリーは思う。
痛みに耐えることのできない、ちっぽけな女だとも。
こんな私が、この子を救うことができるんだろうか?

「この世界は優しく見えるようで、でも、薄皮一枚剥いだだけで、その向こうには醜いものがたくさんあって」

思い出す。
人間に捕らえられて以来、苦痛の絶える日はなく、身も心も疲弊し、ボロボロの状態だった。
痛くて、苦しくて、捕らえていた人間の目当てにしていたルビーの涙を流して許しを請おうとしても、もっと流せと言われる日々。
デスピサロに助けられるまでは、心の休まる日はなかった。
世界は手放しで褒めることができるほど、綺麗ではないことを、ロザリーは身をもって知っている。

「でも、ね……」

少し、続ける言葉に窮する。
少ない語彙から、言葉を慎重に選ぶ。
多感な時期の少女には、ほんの一言が大きな影響を与えることもあるから。

「そんなことを言っちゃダメ。 落ちこぼれだなんて、自分を見限っちゃダメ」

左手で、ニノの髪を撫でる。
右手で、ニノの背中をさする。
この子の苦しみを、少しでも取り除いてあげたいと思っての、無意識の行動だ。

「ニノちゃんは落ちこぼれじゃないの。 落ちこぼれなんて言って、自分の限界を決め付けたりしないで。
 ニノちゃんはいつも頑張ってる、笑顔の素敵な、かわいい女の子だって知っているから」
「でも、あたしは……」

やはり、少ない言葉ではニノのコンプレックスは解消できない。
でも、ロザリーには他に方法が思いつかない。
ならば、繰り返し繰り返し、同じ言葉を続けて、少しずつ心の闇を払い落としていけばいい。

「ニノちゃん……」

髪を撫でられる感覚と、背中に感じる優しい手、そして嘘偽りのない真心からの言葉。
それら一つ一つがニノの心に沁みこんでいき、洗い流していく。
ニノは確かにロザリーの存在に救われていた。
そして、抱きしめられるこの感触。
それはずっと欲しがっていた母親の温もりにも似ていて。
愛情に飢えていたニノはそれを振りほどくことをせずに、逆に自ら体重を預けていった。

「私は、ニノちゃんが落ちこぼれじゃないって信じ続けます」

ロザリーの言葉が続く。
本当はもうニノは泣いてなかったけど、もう少しだけロザリーの温もりが欲しくて。
もう少しこのままの状態を続けたかった。
そういえば、いつの間にかマリアベルがいない。
席を外したのだろうかとニノは考える。
が、何かあればすぐに分かるだろうと思い、この暖かさに身を委ねよう、そう思っていた。

けれど、悲しみの涙とは別に新しい涙が眼に溢れ出してきた。
歓喜の涙。
本当は、ずっと認められたかったのだ。
屑だ屑だと言われて、自分を落ちこぼれだと言い聞かせてきたニノも、誰かに認められたい気持ちがある。
ロザリーの言葉に、ずっと満たされなかった心の隙間を埋められ、歓喜の涙が溢れた。

「あ、あたしのこと、認めてくれてありが、とう」
「うん、うん」

ニノがまた泣き始めた時は少し驚いたが、それが感謝の涙と知ると、ロザリーも笑顔でニノを抱きしめた。



◆     ◆     ◆



後ろ手にドアを閉めて、マリアベルは板張りの床を歩いて行く。
二人はマリアベルが退室するのに気づいたのか気づいてないのか、最後までマリアベルを見ることはしなかった。
持ってきた着ぐるみを通路で再び被って、その表情は読み取れなくなる。

「……正直、あーいうのは苦手じゃ」

あそこにマリアベルも必ずいないといけない理由もない。
ああいう雰囲気が嫌いなのではない。
ニノの境遇は同情できるものだったし、マリアベルも力になってあげたかったのだが。
ロザリーに先を越された以上しょうがない。
マリアベルはあまり他人を励ましたりすることにも慣れてないから、ロザリーの方が適任なのだろう。
しかし何故かこう、入れない空気みたいなものを感じ取ってしまった。

「別にこれからめくるめく官能の世界へ、とかそういうのではないんじゃがのう」

ニノの面倒はロザリーに任せて、マリアベルはもう一度宿屋の見回りをすることにした。
理由は至極簡単だ。
逃走経路の再確認と、敵が侵入してないかなどを確かめるため。
最初にここに来たときは、全員で手分けして人がいないかを確認したため、人によっては行ってない場所もあるのだ。
誰かが侵入してきたのを知らせる仕掛け等は用意していない。
それは逆に、敵側にも確実に誰かいると知らせることになるからだ。

「それにしても、ここは本当に不思議な場所よ」

隣の部屋のドアノブを静かに回し、入室する。

「閉まっておるな……」

窓がちゃんと鍵がかかってることを確認する。
マリアベルは二階に存在する合計8つの客室のうち、7個の部屋の窓を同じように確認して回る。
残る一つは、もちろんニノとロザリーがいる部屋。
しかも、そこだけは細工して、窓が全開できるようにしてある。
誰かが襲ってきた時に逃亡しやすいようにだ。

階段を降りて、今度は一階へと移動した。
客の宿泊する部屋はすべて二階に配置してある。
それほど大きくもなく小さくもないこの宿屋は、客の数が連日満室になるほど盛況だったのだろうか。
マリアベルの見た目からは分からない。
けれど、閑古鳥が鳴くほど寂れていた訳でもなさそうだ。
宿屋自体の年齢は年月の積み重ねを感じさせるかなりのものではあるが、各部屋の清掃はしっかりと行き届いている。
部屋の隅に埃が溜まっているとか、クモの巣が張っているとかいうこともない。
ここを一時的な拠点にすることに選んだ理由の一つに、その細やかな清掃の跡が見られたから、というのもある。

「ここにも、かつては人が大勢にぎわっていたのじゃろうな」

一階。
外から宿屋に入るための、唯一ある正面の宿屋の入り口に入ると、まずは食堂兼酒場の広い空間に出る。
そういえば、サンダウンがここを探していたとき、カウンターの奥の棚にある酒瓶が、全て空になっていることに落胆していたことを思いだす。
こんな時に酒か?と聞いたところ――

「無いならないでいいいが……あると少しは助かる……」

とのこと。
ハマキもないし、時々口が寂しくなるようだ。
ノーブルレッドにとって、他人の血液を飲むことは、人間が酒を飲むことと同義。
吸血とは、酒やタバコと同じ嗜好品の位置づけにあたるのだ。
だから、サンダウンが落胆していた気持が分かるかと言えば、実のところそうでもない

マリアベルはおいそれと人の血を吸ってはならないからだ。
物事にはデメリットがつきもので、例えばタバコを吸うと依存症が発症する。
マリアベルの吸血は、吸われた人間の体の成長速度と寿命が、ノーブルレッドと同じにしてしまう。
人の一生を大きく左右する行為のため、マリアベルは吸血をしたことがない。
寂しさを紛らわすため吸血しようと思ったことも、ないこともないが、今のところ実行に移したことはない。
そんな身勝手な理由で吸血された人間がいても、マリアベルと友になるどころか敵視しかねない。
吸血の楽しみを知らない以上、酒を飲めない辛さも分かりようがない。

「そういえば、あの子供はどうしておるかの……?」

カイバーベルトとの最終決戦を前に、少年ARMSなる部隊を作っていた少年トニーとした会話のことを思い出す。
あの少年はマリアベルの心の寂しさを見抜き、一緒に生きていこうと言っていた。
そして、そのために吸血してくれ、とも。

「ま、生きて帰ることができれば、あと十年二十年は退屈せんじゃろうな……」

子供であるが故に、気づけることもある。
でも、子供が故に、覚悟もないまま易々と口にしてしまう言葉もある。
少なくとも、少年の吸血してくれという言葉が本気かどうか、これから長い時間をかけて確かめるつもりだ。

そして、地下室への階段がある部屋に入った。
ここを見つけたのはロザリーのはずだ。
中には、宿泊者の預かっていた荷物を置いていたであろう空白の棚があったらしい。
そのことから、おそらく上の部屋は宿屋の主人あたりの寝室なのだろう。

かつては多くの荷物や、一時的には酒や必要な物資を保管していたかもしれない空間は今はその名残を示す棚しかない。
そう思っていたマリアベルの目の前に、ある不思議な光景があった。
『それ』は今まで見たこともなくて、けれどどこかで見たことがあるようで。
ロザリーの報告にはなかったので、おかしいと思い地下室への階段を上っていこうとしたその時、『それ』に異変は起こった。
『それ』は、初めからそのようなものなどなかったかのように、消えている。
狐に化かされたような気分になり、踵を返して今度は階段を下りていくと、再び『それ』が目の前に現れる。
気のせいかと思い、階段を昇ろうとしたら、『それ』はまた消えている。

「おかしいの……」

どうもこれはマリアベルとの距離に応じて、現れたり消えたりするようだ。
マリアベルが地下室から去ろうとすると消え、再び階段を降りると見えるようになる。
何度か繰り返してみて、その推理に間違いがないことを確認する。
しかし、確認したのはそこまでで、マリアベルは『それ』に触れようとはせず、二階へと向かう。
下手に触れて、どんな効果を持つか分からない『それ』が発動すると厄介だからだ。
地下室から階段を昇り、さらに階段を昇って二階へ行って、さらにロザリーとニノのいる部屋に行こうとすると、ロザリーとニノが丁度よく出てきた。

「おおう、ロザリーよ。 丁度よかった。 地下室のあれは――」
「マリアベルさん、誰かが近づいていま――え、地下室ですか!?」


ロザリーの緊急事態を告げる声とマリアベルの疑問の声が重なる。
とりあえずマリアベルはロザリーの声を優先させた。

「誰かじゃと……!? ええい、地下室のことは後回しじゃッ、二人とも部屋に戻れ。 そやつがここに来るようならわらわが出迎えるッ!」
「北の方角から来ています。 お気をつけて!」

風雲急を告げる事態に、宿屋内部の空気が慌しくなってくる。
あらかじめ決められていた役割分担に従って、マリアベルが未知の人物との接触および交渉を務め、ロザリーとニノは後方待機。
仲間になるならそれでよしで、戦って強いのなら逃げるか時間を稼いで、シュウとサンダウンの合流を待つ手筈だ。

「はい! ニノちゃん、こっちっ!」
「うん! マリアベル、頑張って!」

ロザリーがニノを出てきた部屋に誘導しなおし、マリアベルはできるだけ音を立てないように階段を降り、玄関に待ち伏せる。
シュウとサンダウンが合流するまでは、誰にも会いたくなったのが三人の本音だ。
しかし、事実はそうはならず、戦力的には少しばかり心もとない状態で、誰かに会わなければならない。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」

玄関を開け放ち、すでに近くまで来ているというその人物を迎え打つ。
震える鼓動を感じながら開けた扉の先には、異形の姿をした騎士――カエルがいた。



◆     ◆     ◆



ストレイボウの姿を認めたとき、気がついたら逃げ出すように走っていた。
ストレイボウにだけは見られたくないと思っていたから。
友を裏切ったというストレイボウ。
弱くて臆病だったばかりに、ガルディア最高の騎士サイラスを結果として死なせてしまった自分に似ている。
サイラスの期待を裏切ってしまったカエルと、醜い嫉妬をかかえ友を裏切ったストレイボウは同じ心の傷を抱えている。
カエルは、ストレイボウに見られたとき、イタズラをしていたのを見つけられた気分になり、脱兎のごとく駆け出していた。
今更泥にまみれた姿を見られるのを躊躇うこともないのに。
それからは全速力とも言える速度で走り続け、気がついたら南の方に向かっていたのだ。

疲れはあまりない。
カエルの姿は不自由に見えて時々便利で、特に強力な脚力は色んなところで役に立っている。
天高く飛び上がり、重力を味方につけて勢いよく斬りかかったりもできるし、一足飛びをすれば、人間がどれほど努力してもできないほどの距離を一回のジャンプで飛べる。
それを考えれば、魔王によってカエルへと変化させられたのも存外悪い話ではない。

そして、気がつけば自分が決意と共に後にしたはずの城下町が見えていた。
何も考えずに、このまま一直線に走れば、見えるのは海だろう。
島の端に好んで行きたがる人間はそうそういない。
カエルは進路転換をし、島の中央やその近くの施設に行こうとした矢先に、目の前にある宿屋の扉が開いた。
そう、カエルは宿屋に誰かいるのを見つけたから向かっていたわけでも、城下町で探索をするために向かっていたわけでもない。
宿屋に向かっているとロザリーの目に見えたのは偶然で、実際はやり過ごすことも可能だったのだ。

「マリアベル」

扉から出てきたのは、胡散臭い着ぐるみを着て、尊大な言葉を話す少女。
マリアベルもまさかそこにカエルがいるとは思わず、棒立ちしていた。
そのまま数秒間、朝の光が差し込み始めた宿屋前で、二人ともどちらから話すこともなく立つ。
カエルはシュウとの一戦のこともあって、まさかもうシュウとの一件が知られてないのかと探りを入れる。
マリアベルは傍らにストレイボウを伴ってないことカエルに、不審さを抱いたから。
そして、カエルには明らかに誰かと一戦を交えてきた痕跡が見られるため。

「どうしたマリアベル、こんなところで?」
「ああ、ちょっとな……」

平静を装ったカエルに対して、マリアベルは言葉を濁す。
シュウとサンダウンを待っているとか、ニノやロザリーが一緒にいるとは言ってはいけないような気がした。
しかし、カエルとて人の気持ちも分からない朴念仁ではない。
マリアベルがあからさまに言葉を濁したことに引っかかりを覚える。

(疑われているか……?)

カエルには破れかかったマントや、新たな傷が増えている甲冑など、最後にマリアベルに会った時とは明らかに違う。
それに対して、何かあったのかと聞くのは当然だろう。
しかい、それをしなかった理由は、マリアベルが脳裏で正直に今の状況を話すかを計算していたため、そのことに言及する余裕までなかったことが挙げられる。
マリアベルも嘘があまり得意な方ではないからだ。
これを、カエルはシュウと戦ったことを知られたか、あるいは疑われているかだと判断する。

「カエルよ、その傷はどうした……?」

マリアベルのあまりにも遅い疑問。
カエルには、着ぐるみに隠されたマリアベルの表情は読み取れない。
しかし、マリアベルがその質問をするタイミングを間違っていたことを悟ったのだけは見抜く。

「ああ、少し襲われた……」

最小限の情報に留めた回答。
どんな格好をした敵と戦ったとか、その敵を倒したのかも逃げてきたのかも言わない。
一方、マリアベルもカエルの真意を読み取ろうとするが、中々それができない。
ロザリーとニノがハラハラしながら今の状況を見守っているだろうが、今のマリアベルにそこまで気を揉む余裕もない。
お互いに不審を抱いているが故に、ぎこちない会話がまたいくつか続く。

意味のない会話と、当たり障りのない会話。
11人が死んだとか、そんな当たり前の事柄の確認。
もはやお互いがお互いを疑っている状況は一目瞭然だった。
そして、ついに状況を動かすような、核心をつく言葉が同時に両方から出た。

「ストレイボウはどうしたか聞かないんだな」
「シュウはどうしているか、お主は聞かないのじゃな……」

……………………………………………………長い、沈黙。
カエルはシュウと戦ったために、その質問を出すことを忘れていたから。
マリアベルは当たり障りのない質問をするだけに留め、それ以上踏み込むのを躊躇っていたから。


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066-1:カエルとシュウとストレイボウと シュウ 066-3:亡き者に贈る鎮魂歌
サンダウン
マリアベル
ニノ
ロザリー
カエル
ストレイボウ


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最終更新:2010年06月30日 21:49