カエルとシュウとストレイボウと ◆SERENA/7ps


「――はぁっ! ハッ、ハッ、ハッ…!」

朝露もまだ乾ききらぬ時間帯。
熱の篭った息を吐きながら、一人の男が疾走していた。
額に流れる汗を拭うこともなく、ただただ前を見つめながら走る。
曲がりくねる道を、真っ直ぐにのびた道を、急な斜面を、草原の中を、荒れた大地を。
彼はあらん限りの力をこめて、地を蹴る。
心臓がバクバクと激しく鼓動を打つのは、きっと疲労のせいだけではない。
虫の知らせとでも言えばいいのだろうか。
理屈はよく分からないが、今の彼は何かに突き動かされているかのようだった。
その何かの正体は知りようもない。
だが、この心に確かな何かを感じたからこそ、今の彼はこうして走っている。
当然のことながら、彼は急いでいた。

彼の名はストレイボウ
かつて、嫉妬に狂い、大罪を犯した咎人。 
ある意味、魔王オディオを生み出した元凶だ。
彼がこうして、周囲への注意を怠ってさえ走っているのには訳がある。

カエル……! お前は今どこで何をしているッ……!)

今でこそストレイボウは一人きりだが、先ほどまで彼には同行者がいた。
カエルのような珍妙な、というよりカエルそのものの格好に騎士の服装をした男。
名は体を現すとはよく言ったもので、名前もカエルそのままだった。
ともすれば魔物の類と勘違いされそうな容姿を持ったカエルだが、意を決して協力を仰ぐと、任せろとばかりに快諾してくれた。
あの時、二人の心はほんの少しだが触れ合ったはず。
ストレイボウは、自身が決して綺麗な人間ではないことを打ち明けた。
さすがにオディオその人を、とは言えなかったが、親友を裏切った天罰を受けるべき存在であることを自白したのだ。
それでも、カエルはストレイボウの同行を許可してくれた。
それは、カエルが慈悲深い正義の味方、ということではないだろう。

ストレイボウはあの時、カエルにシンパシーを感じた。
言わば似たもの同士であると、心のどこかで感じてしまった。
きっと自分ほどではないにせよ、彼もまた親友を裏切り、あるいはそれに類する行為を行ってしまったのだろうと。
それがストレイボウの勝手な勘違いではないだろうということも、心のどこかで確信していた。
そう思うと、カエルのことが他人には思えなくなった。
そして、きっとカエル自身もストレイボウに同じような抱いていたのではないか、とも思う。
短時間でカエルという存在が、自分の中でこれほど大きなウェイトを占めることになったのは、そういうことなのだろうとストレイボウ思った。
だからこそ、シュウにカエルの危険性を告げられたとき、あれほどまでにストレイボウは激昂したのだろう。

でも、同時に思う。
カエルの危険性を告げられた時、取るに足らない可能性だと一笑に付すことができなかったのは、きっと自分も心のどこかで、その可能性を否定できなかったからではないかと。
もう一度友を信じることができなければ、今度こそ自分は這い上がれない。
そう思ってはいたものの、いざカエルが何事かを決心して自分の下から去るとき、ストレイボウは何も言えなかった。
行くなと引き止めることも、止めろと諌めることもできなかった。
カエルが何か良くないことをしようとしていたのは分かっていたのに。
彼が破滅への道を歩もうとしているのは分かっていたのに。
彼の背中を追うことができなかった。
彼の背中をただ見つめるしかできず、ストレイボウは脱力して膝をつき、しばし無力感に苛まれる。
結局、またこうなった。
かける言葉が思い当たらないからと、どうすればいいものか分からないまま、ただ時間による解決を待つしかないと思った先がこれだ。
どこまでいっても、自分は友を裏切ることしかできないのかとしばし放心したまま。

そしてそのまま、もう一人の親友による死者と禁止エリアの発表が始まった。
知己の存在など、元よりいないも同然の身。
ほとんど聞き流していたといってもいい。
禁止エリアだけは入念に支給された地図に書きとめて、『二人の』親友について思いを巡らせていた。
やがて、ストレイボウは立ちあがる。
そう、皮肉にも自分がかつて陥れた『元』親友の声を聞いて、彼は立ちあがったのだ。

(もう二度と、俺は……友を裏切りたくない!)

オディオのような暗い声を発するカエルを見たくない。
カエルも方向性こそ違うものの、オディオのような存在になってしまうのは嫌だった。
魂の牢獄とも言うべき空間に幽閉されてから、ストレイボウはずっと己の罪深さに悔いていた。
自分が如何に矮小な存在であるか、自分の犯したことがどんな事態を招いたかを。
誰もいなくなったルクレチアと、変わり果てたオルステッドの姿を見てようやく気付いてしまった。
ストレイボウはオルステッドのことを信じてなどいなかったし、死んでしまえばいいと常日頃から思っていた。
だが魔王オディオは、いや、勇者オルステッドは自分を信じてくれていたのだ。

それに比べれば、武術大会の決勝で負けて、姫君への求婚をする資格をオルステッドに取られた妬みと、
今回もオルステッドに勝てなかった悔しさで、枕を濡らした夜のなんとちっぽけなことか。
でも、そのことに気づいた時にはもう遅く、永遠にこの苦しみを味わい続けることしかできないと思っていたその矢先のこと。
不意に、贖罪の機会は与えられた。
ひょっとしたら、オディオはこうなることを予測して、どこか自分に似ているカエルをストレイボウのそばに配置したのかもしれない。
それを確かめる方法はないし、ストレイボウの勝手な推測かもしれない。
でも、だからこそ。
この偶然か必然か分からない巡り合わせを信じて、今度は自分が誰かを信じる番なのだろうと思う。

「……見つけた! あそこか――!?」

走り出して数分、あるいは十数分か。
ようやく、ストレイボウは見つけた。
それは会いたいと願っていたカエルと――

「カエルッ!!! シュウッ!!!」

バイアネットで戦うカエルと、素手で戦うシュウの姿。

シュウが襲ったのか、はたまたカエルが襲ったのかストレイボウの視点からではもはや分からない。
しかし、二人の眼はこれが模擬戦ではないことを示す。
眼光鋭く、射るかのような視線は明らかに敵を見る瞳だ。

事態はストレイボウが想像する限り最悪の方向に動いていた。



◆     ◆     ◆



それからはあっという間だった。
ストレイボウの姿を見つけたカエルは、近くに転がってあったハーレーにバイアネットの銃弾を撃ち込み、完全に爆破。
爆風と爆炎を起こした隙にカエルは逃走。
シュウとストレイボウがカエルから目を離したのはわずかな時間だが、すでにカエルの姿はどこにもなく。
近くに潜伏した可能性も考えて、しばし気配を探っていたが、異常は見当たらず。
ストレイボウは戦闘が終わり、服についた砂や埃を払い落としているシュウに掴みかかり、激しく問いただした。

「何故だ、何故カエルはお前と戦っていたんだ!?」
「俺に聞かれても困る。 だが、カエルの方から襲ってきたのは確かだ」

淡々と起こった事実だけをシュウは告げる。
ストレイボウは信じられないとばかりに頭を振った。

「それよりも俺の方が聞きたい。 あの後何があった?」

そう言って、シュウは別れた後のカエルとストレイボウの動向の詳細を訪ねる。
シュウにとって知りたいのは何よりもその点。
同行していたカエルとストレイボウが何故別れていて、その際に何があったのか知れば、カエルの行動への説明も付けられるはずだから。
カエルは突発的な行動をとるような存在でも、気まぐれで動くような生き物でもないのは誰の目にも明らかだ。
事実と過程は必ず線で結ばれる。
カエルがシュウを襲ってきた理由は今までの過程の中に隠されている。

「それは――」

ストレイボウがあの時起こったことをすべて、嘘偽りなく証言する。
そうすると、シュウにもカエルの行動にも納得がいく。
同時に、やはり自分の予感に間違いはなかったと思った。
正直、当たって欲しくなかった予感だが。
ストレイボウの話を聞いて、シュウはカエルの変節の理由に気が付く。
つまりカエルは死者の発表で仲間か親友か恋人か、はたまたそれ以外の大切な存在が死んだので、それを生き返らせるつもりなのだ。
カエルの仲間がここにいることは確定しているのだから。

「あいつを……どうするんだ……?」
「殺すしかない……」

ストレイボウの質問に対し、シュウは無慈悲な答えを返す。
カエルとその死んだ何某かの間にどれほどの絆があったかなど、余人には分かりようもないのだ。
昨日今日出会ったばかりの人間に、どうこうできる問題ではない。
ならば、他人にしか過ぎないシュウやストレイボウの言葉を聞く可能性などない。
シュウにできることは、カエルの決心に敬意を表して、殺すことだけなのだ。

「……駄目だッ! それでは駄目なんだ!」

だが、ストレイボウはそれを否定する。
一目見てストレイボウは分かった。
カエルの眼は、かつてのストレイボウと同じ眼をしていたのだ。
破滅に向かおうとしていることも理解できず、ただただ坂道を転がり落ちるだけの道を選んでいることに、カエルは気づいていない。
その先に待っているのは栄光の日々ではなく、地獄の業火に焼かれる日々。
得るものは何もなく、失い続けるだけ。
そして、一番厄介なことは、本人が終わりに向かおうとしていることに気づいてないということ。

「ではどうする?」
「俺が、俺が止めてみせる……!」
「……」

本気かと言葉に出さずにシュウが聞くと、ストレイボウも力強く頷いて肯定の意を示す。
ストレイボウの決意が固いことを察すると、シュウはストレイボウに背を向けて歩き出した。
つまり好きにしろと、そういう意味を含めて。
どっちみちカエルがどこへ行ったかは分からない以上、ストレイボウの決意も空回りする可能性も高い。

「どこへ行く?」
「仲間を待たせてある」

付いてこいとは言わない。
それはシュウにとって別離の宣言のつもりだった。
それはカエルが再び襲ってきたときは、躊躇せず殺すことへの意思表示。
代わりに、ストレイボウがカエルに会ったときは遠慮なく説得なりなんなりをするがいいというものであった。
だが、ストレイボウは何を思ったのか、シュウの後を付いていくことにした。

「何を……?」
「俺も付いていく。 お前にカエルを殺されてはいけないからな」
「……」

シュウはまた何も言わず、ストレイボウの同行を許し、歩き出す。
今から向かう先で、もう一度カエルとの巡り合わせが起きるとも知らずに。



◆     ◆     ◆



「わらわは生態系の頂点に立つ伝説のイモータル、ノーブルレッドにして、ファルガイアの支配者よッ!」
「へぇーっ! マリアベルってすごいんだ!」

簡単な朝食を済ませた後、マリアベルたちは取り留めもない話に興じていた。
朝食を食べるのにつかったテーブルに、三人とも腰を下ろしたままだ。
食器もそのまま流し場に持っていくこともせずに、椅子から立つことすら惜しむかのように話を弾ませる。
女三人寄ればなんとやら、とはよく言ったもので、話題は本当にくだらないことばかりだった。
例えば、マリアベルが自身が人間ではないことを明かし、ノーブルレッドが如何に素晴らしい種族であるかを懇々と説き、それに対してニノは素直にすごいと喜ぶ。

「じゃあマリアベルって、国とか領地とかを政治で動かしたりするの?」
「いやいや、ノーブルレッドは確かに生態系の頂点に君臨してはおるが、人間のことがよく分かるのはやはり人間よ。
 わらわは人間社会に不必要に手は出さぬ。君臨すれども統治せずというやつじゃな」
「……なんか良く分からないけど……とにかくすっごーい!」

マリアベルもそれに気を良くし、さらに語る。
ロザリーはある程度成熟した精神の持ち主のため、マリアベルの言うことは鵜呑みにせず、二人のやり取りを見て笑みを零している。
数百年生きているとマリアベルは言うが、ロザリーの既存の価値観に照らし合わせると、あまり真実味のない話。
どちらかというと、ロザリーはマリアベルの話そのものよりも、二人のやり取りを重視して見ていた。
ロザリーの目から見ると、背丈の変わらない二人のやり取りは年の近い姉妹にも見える。
まるで、大げさに誇張した自慢話をする姉に、それにすっかり魅了されている妹のような、そんな関係。

それはもしかして逃避だったのかもしれない。
オディオにより、仲間の死が知らされてしまった悲しみからの逃避。
無理からぬ事情とはいえ、そんな状況で食べる食事がおいしいはずもなく。
パンは焼きたてのはずなのに、何故かカサカサした食感だけがひどく不快で。
カップに注がれた冷たかったはずの水は、室温と同じ水温になり、中途半端に温く感じる。
無言、全くの無言。
食べ物を租借する音と、食器のカチャカチャとした音だけが響く。
ネガティブな感情がネガティブな空気を呼び、さらにネガティブな考えに陥る。
そんな状況を憂いたニノが、今までは黙っていたけどこれ以上の沈黙はよくない!と一念発起。
勇気を出してこの状況を打ち破ろうと口を開き、二人を話題に巻き込み、次第に話も盛り上がり今の状況が出来上がっていた。
ロザリーとマリアベルの二人も、何も永遠にこの悲しみの中に沈んでいくつもりはないのだ。
ニノが何故あれほど、健気にも根気強く話を続けるかを察すると、ニノの考えを読み話に付き合っていった形となる。

「ところでニノよ、ずっと気になっておるのじゃが、何故ロザリーはロザリー『さん』でわらわは呼び捨てなのじゃ?」
「え? だって、ロザリーさんはロザリー『さん』って感じだけど……マリアベルはマリアベルって感じだから……かな?」

食卓に残っていたフォークでビシッと、テーブルを挟んで対面に座っていたニノを指差し、マリアベルがニノに聞く
ちなみに、着ぐるみは脱いである。
脱がないとそもそも食事ができないし、日光は苦手なだけで浴びれば死ぬということはない。
聞かれたニノは、自問してみたものの明確な答えは出ず、曖昧な答えを返す。
しかし、マリアベルはそのニノの答えを勝手に推測し、両手を組んでふんぞり返って憤慨し始めた。

「ほほう。あれか? どうせロザリーの方が背が高いからとかそういう理由であろうよ?
 そりゃあ、わらわも年上を敬えなどと、器の小さいことは言わぬ。 そういう人間に限って、敬いたくなるような美点がとんと見つからぬからの。
 まぁよい。 悠久に近い年月を生きてて、人里に下りることもあるが、子ども扱いされたことも一度や二度ではない」

なんだか長い説教、もしくは愚痴が始まりそうな雰囲気だったが、意外とあっさりとマリアベルは引き下がる。
無垢なニノはともかく、ある程度世慣れしているロザリーは地雷を踏んだかな、と思っていただけに安堵した。

「ノーブルレッドは寛容な種族だからの。 一つや二つの偏見に反応するようなみっともないことはせぬ」

ということらしい。
マリアベルは持っていたフォークを再びテーブルに置いてそう言った。

「リルカにも呼び捨てだったしのう。 あやつは基本的に誰にでも呼び捨てじゃった……が……」

マリアベルの語気が終わりの方で、急に尻すぼみになっていく。
今度は正真正銘マリアベルが地雷を踏んでしまったのを、本人が自覚したが故にだ。
その地雷とは、リルカ・エレニアックの名前。
明るい話題を続けるために、三者の内には死者の話は出さないほうがいいと、暗黙の了解がとられていたからだ。
しかし、ここでマリアベルの失言により、予想していたとおりニノとロザリーの顔が曇りを見せる。
また気まずい沈黙が訪れる。

(いかぬ。 やってしまったか……。 せっかくいい雰囲気を取り戻したところなのに。
 そういえば、ロザリーとニノとこれからの方針も話すのを忘れておったわ……。
 やはり、自覚はないが、リルカの死をわらわも引きずっておるということかの……)

らしくないミスをしたとマリアベルは思った。
本来ならば、すぐにでもこれからの行動方針を検討したかったのだ。
だが、ロザリーの泣きはらした顔と、そのロザリーの手を掴んでいるニノの顔を見たら何も言えなくなり、気分転換も兼ねて先に食事を取るかという提案をした。
結局、マリアベル自身もその雰囲気に飲まれてしまい、さっきのような状況になってしまったが。
そんなこんなで今の状況に至るのだが、本来計画していた予定をまったく消化できてないのもどかしい。
さらに、普段なら有り得ない失言が、やはりリルカの死の影響が決して軽くないことをマリアベルは知る。
しかし、今この時においては停滞は何も生み出さない。
強引にでも話題を元に戻して、先に進まねばならないから。
そう思ったマリアベルはそれはともかく、と強めの口調で言おうとしたところ、意外にもロザリーが先んじて沈黙を解いた。

「リルカちゃんって子のこと……詳しく聞かせてもらえますか?」
「それはつまり、リルカの人となりについて、ということか?」
「……はい。 知りたいです。 リルカちゃんがどんな子で、マリアベルさんとどういう関係だったかを」

ロザリーがニノの方へ視線を向ける。
あまり楽しくない話ではないかもしれないが、いいか?と目線だけで聞く。
ニノもすぐにその意味を悟って了解した。

「そうか……おぬし等には言ってなかったかの……」

思えば、リルカの人となりについて語ったとき、隣にいたのはサンダウン・キッドのみだった。
座っている椅子を後ろにズズッっと下げ、嘆息して天井を仰ぎ見る
リルカ・エレニアックについての想い出を甦らせるためだ。
脳裏に浮かぶのは、未熟なひよっ子だが、ARMS隊員の名に恥じぬよう努力し続けるニノと変わらない年頃の女の子の姿と、魔法の発動体兼トレードマークのパラソル。

「未熟なひよっ子じゃった。じゃが、いつも一所懸命で、どんなときも諦めない、強い心の持ち主であった」

そこまではサンダウンに言ったことと一字一句違わない。
さらに、マリアベルは続ける。
ロザリーとニノがそれ以上のことを知りたがっていることが分かったから。

「ここにはおらぬが、ARMSにはティムという童の隊員がいての。 世界を救う『柱』などという厄介な存在に選ばれておった。
 『柱』というのは言わば世界を救うための生贄よ。 『柱』には何人かの候補者がいての、ティムは悲惨なことに『柱』としての素質に最も恵まれておった。
 ん? ああ? 安心せい。 ティムは今も生贄になることなく、元気に暮らしておる。 ファルガイアを襲う脅威もなくなったし、もう『柱』が必要とされることもない」

ロザリーとニノは揃って不可解な顔をする。
確かにティムという少年の境遇は哀れむべきだが、それがリルカとどう繋がるかが分からないからだ。
マリアベルは焦るでない、と前置きして続けた。

「『柱』に選ばれるには素質が必要と言ったじゃろ。 たしかにティムにはその才能と素質があった。
 魔導の才能に近いじゃろうな。 『柱』に選ばれただけあって、ティムのミーディアムの威力は子供なのに申し分なかった。
 だが―――」
「リルカちゃんにはそれほどの素質はなかった、ということですね」
「……うむ」

ロザリーが答えを予測して言うと、マリアベルは肯定の意を示す。
そう、リルカには魔導の才能がティムほどなかった。
むしろ、落ちこぼれの名を欲しいままにしてすらいたのだ。

「さらに、もう故人と言っても差し支えないが、あやつの姉はエレニアックの魔女っ子と呼ばれた稀代のクレストソーサーじゃった」

稀代の天才と呼ばれた姉と、同じ年頃にして自分よりもはるかに高い才能を持つティム。
リルカ・エレニアックはこんな天才に囲まれながら戦ってきたのだ。

「ティムの術を横で見て、何度劣等感に襲われたか分からぬ。
 姉ほどの才能がないと分かって、何度自分の才能のなさを自覚させられたかわらわは知らぬ。
 でもな、リルカがそれを大した事ないと、笑って飛ばせるほど強くない人間であることだけは知っておる」

話に聞いただけだが、ミレニアムパズルでの作戦失敗の折、それを窺わせる心情を吐露させていたらしい。
でも、リルカは戦った。
ARMSの隊員として、誰もが認めるほどの活躍を成し遂げた。
決して諦めることなく、自分にできることを必死でやってきて、みんなの横で笑顔を振りまいていた。

「『魔神』の能力を内包するアシュレー、スレイハイム解放戦線の『英雄』ブラッド、世界を救う『柱』のティム、
 『剣の聖女』の血を継ぐカノン。 『ノーブルレッド』のわらわ。だが、リルカにはそんな肩書きはなにもない。 姉の才能はすごかったが、本人には特別な才能も肩書きもない」

本当は、アシュレーへの仄かな思いがあったからこそ、戦えたのかもしれない。
マリアベルの目にもリルカのアシュレーを見る目が、年頃の女のする目だと気づいていたから。
だが、それだけで頑張ることがそもそもすごいのだ。
それだけでテロ組織オデッサや侵食する異世界と戦えることができたのなら、その気持ちは決して偽りのものではない。
思春期にありがちな、恋に恋するような安っぽい感情などではないはずだ。

「故に、わらわはリルカ・エレニアックを尊敬しておる」

これだけのメンバーに囲まれれば、普通の人はついていけなくなる。
自分はとりたてて才能も肩書きもない『普通』の人間だから、などともっともらしい理由をつけて。
でも、リルカはそんなことしなかった。
ARMS戦闘隊員として、最後まで戦った唯一の『普通』の人間、リルカ・エレニアックをマリアベル・アーミティッジは心底尊敬する。
そして、そういった人間が地上からいなくならない限り、マリアベルはこれからも人間の可能性を信じていくことができると誓える。
偉大な先人たち――マリアベルを残して全滅したノーブルレッド――が、ファルガイアとそこに住む生き物を守ったのは、決して無駄ではないのだ。

「……」
「……」

ロザリーもニノもすぐに声を発することができなかった。
なんということだろう。
ニノとそう変わらない年頃の子供が、それだけすさまじい人生を過ごしていたのだ。

「その子が扱ってたのが……これ……」

ニノがポツリと呟いて、テーブルの上にクレストグラフが乗せられる。
ロザリーもつられるように、自分の持っていたクレストグラフを出す。
リルカがそれを使って戦っていた光景を思い出しつつ、マリアベルは言う。

「うむ。 使う人間がいなくなった以上、お主らにやろう。だが――」
「うん! 絶対大切に使うよ! 大切に使って、あたし、絶対死なないようにするよ!」

マリアベルの期待していた答えをニノが答えてくれる。

「ねぇ、マリアベル。 もし、あたしがリルカと会っていたら、友達になれたかな? ほら、あたしも落ちこぼれだし」
「……なれたであろうな。 お主はどこかリルカに似ておる」

“……そのように思われる……リルカ・エレニアックは幸せ者だ……”
たしかそのようにサンダウン・キッドは言った。
そのとおりだとマリアベルは思う。
会ったこともない人間の死に、これだけ悲しんでくれる人間がいるのだ。
それはきっとニノとロザリーの人の良さだけの問題ではないだろう。
二人はきっとリルカ・エレニアックの人物像に素直に惚れたからこそ、ここまで悲しんでくれるのだろう。
特に、このどこかリルカに似ている少女は、もしも出会うことができたのならば、必ずやよき友となっていただろう。
と、そこまで考えてマリアベルにある考えが閃く。

「のうニノよ?」
「何?」
「リルカの口癖だったんじゃがの、ちょっと言ってみてくれんか?」
「何なに? なんて口癖?」
「『へいき、へっちゃらッ!』というやつじゃ。 こう、いかにも元気よく今のを言ってみてくれんか?」
「うん。 ちょっと待ってて」

そう言うと、ニノは椅子から立ち上がり何回か深呼吸をした後、さらに咳払いをして声の調子を整える。
ロザリーとマリアベルが注視していることが分かると、恥ずかしさから少しばかり顔を赤らめる。

「あ、あんまり見られるとあたしも恥ずかしいよ……」

舞台役者でもないのに、変に注目されるとニノも思ったとおりの声が出せなくなる。
しかし、マリアベルもロザリーも頑張って、とばかりに微笑して注視することをやめない。
もっとも、それはニノを揶揄する笑みではなく素直にニノの声を期待するものであった。
それが分かると、ニノもそれ以上は何も言うことなく、もう一度深呼吸してさっきの言葉を幾分か固さの残る声で言った。

「へ、へいき、へっちゃらッ!」

宿屋の一室にニノの声が木霊し、場の空間を満たす。
マリアベルは目を閉じて今の声を反芻して、在りし日のリルカを思い浮かべる。
声色こそ違うものの、マリアベルの脳裏に描かれたリルカが口癖を言うシーンとピッタリ重なる。
そして、マリアベルは心の中で別れの言葉を告げた。

(リルカよ、リルカ・エレニアックよ。 我が友、我が戦友よ)

そう、リルカの死について悲しむのはこれで終わり。
天国とは、あるいはそれに類するような場所はあるのだろうか?
あるとしたら、リルカはそこで穏やかに暮らしていくことができるだろうか?
そもそも、リルカは天国にいけるのだろうか?
答えは、分からない。
死ねば確かめることはできるのだろうが。

(生憎、わらわは悠久の時を生きるノーブルレッド)

マリアベルの寿命はほぼ永遠に近い。
いや、永遠そのものかもしれない。
でも、成長が極端に遅いだけで、ノーブルレッドが完全に不死の存在かは分からない。
ちゃんと、成人した後も年月を重ね、老化もするのだから。
自然死で死んだ例が確認されてないだけで、ノーブルレッドも衰弱して死ぬかもしれない。
ならば、それを確かめるのがノーブルレッド最後の一人である、マリアベルに課せられた使命。
『永遠』を確かめる、それができるまでマリアベルは死なない。
死ぬわけにいかない。
なにより、ファルガイアはノーブルレッドが支配する惑星なのだから。
支配者不在の惑星など、格好がつかないではないか。

(天国とやらで会うことはできん)

だから、マリアベルにできるのはこうやって言葉をささげることだけ。
オディオによる蘇生も望まない。
胸にこみ上げる熱いものを我慢して、向日葵のような笑顔をする少女に別れの言葉を。

(眠れよ、安らかに……な)

涙はいらない。
リルカ・エレニアックは笑顔の似合う少女だった。
だから。
マリアベル・アーミティッジも笑顔でリルカに別れを告げた。

でも、やっぱり友との別れは辛くて。
何年生きてても、誰か身近な者が死ぬと悲しくて。
オディオからその名を聞いたときに、十分悲しんだはずなのに。
湿っぽい気分を引きずっても意味がないと思っていたのに。

気がつけば、マリアベルの真紅の瞳には涙が溢れていた。
椅子から立ち上がり、ニノとロザリーに背を向け、頬を伝う熱いものを見せないようにした。

(……そうよ、だから、わらわは今まで親しい者をつくらないようにしておったんじゃッ!)

選ばれし民ノーブルレッドと言えど、精神構造や価値観が人間やエルフとそう変わるものではない。
ノーブルレッドは元来、孤独に生きる種族ではなく、集団で立派な社会を形成していた種族なのだ。
喜怒哀楽の感情だってあるし、この世に一人取り残されたマリアベルに、寂しいという感情が生まれいずるのはある種当然のこと。
悠久の時を生きるマリアベルは今までにも、幾度となく人の生と死を見続け、何度となく別れを観察してきた。
仮に、寂しくて人間の友達を作ってたとしても、ノーブルレッドと人間ではそもそも寿命が違いすぎる。
友となったものは皆、年老いて死んでいくだろう。
同じ背格好の頃に友達になった者が年老いて死んでいっても、マリアベルは未だうら若い少女の姿のまま。
人では、駄目なのだ。
人ではいつまでたってもマリアベルは置いて行かれる側。
死ねないのがいやなのではない。
一人残されることに対する寂しさが怖いのだ。

マリアベルは自身に流れるノーブルレッドの血を誇りに思ってはいるが、時々我が身を呪ったこともある。
何故、わらわだけが一人ぼっちなのじゃ?
何故、父様も母様も他のノーブルレッドも、わらわ一人だけおいて死んでいったのじゃ?と。
一人だけで悠久の時を生きるのなら、いっそ死んだほうがマシだと思ったこともある。
そう、今この時、マリアベルの胸を打つこの感情こそがマリアベルがずっと怖れ、感じたくないと思っていた感情。
初めて経験して以来、もう味わいたくないと思い、ずっと遠ざけていた感情だ。
こんな辛い別れをするくらいなら、友など作りたくなかったのだ。
だから、剣の聖女アナスタシア・ルン・ヴァレリアを最後に、友はもうつくらないと決めた。
それから幾百年、その誓いを守り続け、友はつくってない。

でも、アシュレーは、ARMSのみんなはマリアベルの力が必要だという。
アシュレーとは遥か彼方の記憶の遺跡で、ともにファルガイアの危機に立ち向かおうと約束した。
いつか別れの日は必ず来る。
その時、自分は泣いているかもしれない。
でも、悲しいけれど、後悔はしないはずだと思っていた。
だから、マリアベルは他のノーブルレッドがそうしたように、人間と力をあわせた。
そして、侵食する異世界、カイバーベルトも倒し、ノーブルレッド一族の悲願であった焔の災厄の討伐も果たした。
残るは荒廃したファルガイアの復興を少しばかり手伝って、マリアベルの役目は終える。
そして、長い年月を経て、ARMSの隊員が年老いて死んでいくのを見届けてから、ひっそりと泣くつもりだった。
そのつもりだったのだ。
後悔などは決してしない。
何故なら、もう会えないことよりも、こうして出会えたことの嬉しさのほうが大きいから。
その先に待っているのがまた、冷たい棺おけの中で一人で暮らす日々だとしてもだ。
なのに……予定が数十年分繰り上がってしまった。
数十年かけて、来るべき時のために用意しようとしていた心の準備が、間に合わなかった……。
あまりにも唐突な死に耐えられるほど、マリアベルの心は強靭ではなかった……。

「マリアベルさん……泣いているんですか?」

それを聞いたニノがマリアベルは今泣いているのか確かめるために、マリアベルの正面に回ろうとする。
しかし、ロザリーがニノの手を掴んで無言で首を振った。
マリアベルのために、それはしないであげて、と。
マリアベルの正面に回れば、それを確認するのは容易い。
けれど、それをするのは憚られた。
だから、ロザリーにできるのは泣いているか聞くことだけだった。
それをしないのはロザリーなりに気を遣ったからだ。
ニノとロザリーに背を向けて肩を震わせているのは、きっと泣いている姿を見られたくないから。
ならば、包帯もないのにここが痛いの、と他人の傷口に無闇に触れてはならないことをロザリーは知っているからこそ、ここで聞くだけに留めた。
元気出して、とかいったありきたりな言葉では、決してマリアベルの心を温めることはできないと知っているから。

「……」

ロザリーの声を聞いて、マリアベルは慌てて目元をゴシゴシと拭き始めた。
たぶん、涙を拭っているんだろうなとニノとロザリーは思ったが、口にすることは決してなく。
しばらくして、ようやくロザリーとニノの方を向いたマリアベルはもう泣いてなどいなかった。
マリアベルの紅い瞳は涙で腫らしきったからではなく、ノーブルレッド特有の色素によるもの。
何も知らない人間は今この場に入ってきても、今の今までマリアベルが泣いていたなどと思いもしないだろう。
マリアベルはいつもしているような、ノーブルレッドの誇りに満ちた表情を浮かべている。

「な、何をいっておるッ! この究極の生命体、ノーブルレッドのわらわは多少のことで涙など流したりせんわッ!
 ふん、無駄な時間をとったものよ。 はやくシュウとサンダウンと合流して、オディオに支配者による裁きの鉄槌を振り下ろしてらんとな。
 ……か、勘違いするでないぞッ! ノーブルレッドのわらわが人間と協力するなどと、本来はありえぬのじゃッ!
 わらわ一人でもオディオなどどうにでもなるが、どうしてもというからお主らにも手伝わせてやるんだからのッ!」
 な、何を笑っておるか二人ともッ! 聞いておるのかッ!?」

泣いているのかという質問から、まさかここまで長い答えを返されるとは二人は思わず。
しかも、後半部分はもう照れ隠しにしか見えない。
何百年生きていようと、精神構造や物事に対する認識はやはり人間もエルフもノーブルレッドもそう変わりはなくて。
マリアベルの言動は外見に非常に似合ったものだ。
後半部分になるともう、ニノはあははと、ロザリーはクスクスと笑っていた。
擬音で現すとムキーッという音になりそうなマリアベルのリアクションを肴にして、しばしニノもロザリーも笑い飛ばしていた。

「えへへっ、頑張ろうねマリアベル!」
「頑張りましょうね」
「こら、勝手に手を握るでないッ!」

ニノがマリアベルの右手を握り、ブンブンと振る。
それを見ていたロザリーもマリアベルの左手を握る。
そこまでくれば、あとはそうするのが自然であるかのように、ロザリーとニノの手も結ばれた。
三人が輪になり、女三人による友情の誓いと、これからの決意表明がなされた。

「さっきの言葉、『へいき、へっちゃらッ!』って元気が出る言葉だね。 あたし、これから使っちゃうかも」
「よいよい、好きなだけ使うがよいわ。 わらわが使っておった言葉でもないし、使用に許可が必要でもない」
「その言葉は好きですけど、私が使うとちょっと似合いそうにないですね」
「えーっ!? そんなことないよ、ロザリーさんも似合うよ」
「ロザリーは似合わんじゃろ。 あれはニノとかくらいのちんまい子が言うてこその台詞よ」
「じゃあマリアベルも似合うんじゃない?」
「たわけがッ! この『やんぐ』で『あだると』なうっとりメロメロオーラに満ち溢れたわらわにそんな言葉似合わぬわッ!」
「……ヤングとアダルトって意味が正反対じゃないですか?」
「ふん、これだからわびさびの分からぬ人間は……」
「ロザリーさんはエルフだよ?」
「ふんッ! これだからわびさびのわからぬエルフはッ!」
「言い直したんですか?」
「あははっ」
「………………でも、な……」
「何、マリアベル?」
「何でしょう?」
「ありがとう……な」

そう言って、握『られて』いただけのマリアベルの両手が、ロザリーとニノの手を握『る』。
もう一度、友をつくるのは許されるだろうか?
答えは……分からない。
気づけば、ロザリーとニノも、さらに強く手を握り返した。
強く握れば握るほど、三人の絆は強くなっていくような気がしたから。
でも、ニノとロザリーは「ありがとう」の意味だけは図りかねる。
きっと、マリアベルの言葉の意味を100%理解することは誰にもできないだろう。
マリアベルが言ったありがとうとは、一つのことだけに対して言ったのではないのだから。
こうして、新たな友になれたロザリーとニノへの感謝の言葉と、これからもよろしくという意味と、リルカへの別れの言葉を。
そして、その他のリルカと出会えた運命など、諸々の物事すべてに対して、ありがとうと言ったのだから。

(そういえば……)

ふと、マリアベルは考える。

(『すまない』とはよく言っていたものの、『ありがとう』なんて言葉を最後に使ったのは何時じゃったかな……)

そんなことを考えていたら、ロザリーとニノが笑顔で大きく頷いてくれた。
花のような笑顔と、花も恥らうような笑顔だ。
時に、饒舌な言葉よりも、ただ一つの行動の方が誠意を感じられることがある。
それはニノとロザリーがマリアベルの言ったありがとうの意味を、真摯に受け止めて探ってくれたからこそできる反応だった。


今、この場に、言葉はいらなかった――――――


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060:心の行き着く先 シュウ 066-2:永遠を背負いし者
サンダウン
マリアベル
ニノ
ロザリー
カエル
047:勇者の強さ、人の弱さ ストレイボウ


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最終更新:2010年06月30日 21:50