シャドウ、『夕陽』に立ち向かう ◆Rd1trDrhhU



 少女の首を刈り取る。
 その使命を帯びて放たれたのは、暗殺者シャドウの一撃。
 細く白い首筋に向けて、アサッシンズが無遠慮に振り抜かれた。

「…………ッ?!」
 しかし刃は標的を切り裂くこと敵わず、『ひゅぅん』と情けない風斬り音を立てる。
 命中を確信していたはずの不意打ちが外れた。
 いや、外れたのではなく、回避された。親子ほども年のはなれた少女に、である。
 その予想だにしない事実に、流石のシャドウも驚きを隠せない。
 しかし、その動揺も一瞬のこと。
 すぐに体勢を立て直し、少女に追撃をお見舞いする。
 左から右へと。音速をも超える横薙ぎ。

「あたらないのー!」
 少女は寝ぼけて立ちくらんだかの如く、上体を僅かに逸らせた。
 それが回避行動であるとシャドウが気づいたのは、短剣が空を斬ってから。
 またもや、必殺の攻撃が空振りに終わったことを認識した……が、ベテランの暗殺者はそれでも動じない。
 宙で身体を反転させ後方へと向き直り、相手からの反撃を警戒する。
 だが、それも杞憂に終わった。
 少女はまん丸いふたつの目玉を、シャドウに向けるばかり。
 攻撃を加えようとする気配はない。
 焼け野原と化した港町の中心で佇む彼女の姿は、一人残された戦災孤児のようでもある。

「…………スロウ」
 熟練のアサシンは、たった二戟で小娘の実力が並外れていることを認めた。
 彼が選択したのは、弱体化魔法。
 思いのほか詠唱に時間がかかったのは、この魔法をあまり使い慣れていないからだ。
 彼にとって『速さを殺すに値する敵』は殆ど存在しない。
 大抵の敵は、一撃の下に切り伏せてしまうのだから。
 全身を流れる魔力が僅かに消費された手ごたえを感じ、スロウがちゃんと発動したことを覚る。
 大気中に渦巻いた魔力が収束し、標的の周囲で淡く光った。
 自らを囲うように生まれ出た輝く粒子を、物珍しそうに見回す少女を光が包み込み……。

 ……霧散した。

 魔法が弾かれた。
 その事実が示すのは、両者の圧倒的な魔力差。
 シャドウがもともと魔法を不得手としていたこともあるだろう。
 が、そのことを差し引いたとしても、あの娘の魔力は相当高いものであると推測できる。
 少なくとも、ティナやセリスのレベルは超えていた。
 シャドウの攻撃を楽々とかわしてみせるほどの素早さを持っているにもかかわらず、だ。

(…………なるほど)
 分が悪い。
 歴戦の暗殺者の経験と勘が、そんな結論をはじき出した。
 それでも男はナイフを構える。
 まだレッドゾーンには至ってはいないと、ここは引き際ではないと、無言で宣言した。
 現在相対している人物は、シャドウが今まで経験した中でもトップクラスにやっかいな相手だろう。
 今のところ彼に有利な要素など、この少女が積極的に攻めてこない、という点くらいか。
 だが、彼女だって人間。きっとそれ以外にも必ず何か欠点を隠しているはずだ。

(その欠点を、連続攻撃の中で燻り出す……)
 右膝を折り、前傾姿勢。
 スケート競技のスタートのような構えだ。
 鋭い鷹の眼が、年端もいかない娘をロックオンする。
 敵意なき少女を殺さんと、武器を強く握り締めた。

 戦友に誓いし勝利のために。
 その道程で殺してしまったツワモノたちに報いるために。
 バネと化した右足は、大地を蹴り上げ。
 その足音は、バケモノへと駆け出す小さな鬨の声となった。

 西に落ちかけていた太陽が、焦げた町を紅く照らす。
 まるで町が再び燃え始めたようで、シャドウは一瞬だけ高揚して……少しだけ恐怖した。

「ハァァ……ッ!」
 最初は真上から。
 振り下ろしたというよりは、叩きつけた。
 ジャブと呼ぶには、些か破壊力が勝ちすぎるか。
 それを少女はバックステップで易々と回避。
 力を込められた刃はあり余る勢いのままに地面へと……向かうことはなかった。
 静止したからだ。
 少女が後方へ退避したその瞬間に、待ってましたと言わんばかりにナイフはピタリと止まった。
 いかにシャドウの反応速度が神がかっているとはいえ、攻撃の成否を確認してからでは流石に不可能な動き。
 予め攻撃をキャンセルしておかなけば、こうはいかない。
 つまり、この一連の動作は攻撃が避けられることを前提としていた、言わば牽制だ。
 走るその速度は落とすことなく右肘を折り畳む。アサッシンズを胸元に構え、追撃の準備を刹那の間に完了させた。

シュウおじさんより……はやいのー!」
 後ろ向きに走りながら両手を振り回し、キャッキャと笑う。
 殺気全開で迫りくる男を、笑顔で賞賛してみせた。皮肉ではなく、心からの賛辞だったのであろう。
 余裕と無邪気さがなせる業か。
 随分と舐めきった言動だが、シャドウはソレに不愉快な素振りなど見せることなく走り続ける。

「…………ッ!」
 少女との距離を調節した暗殺者は二撃目を繰り出す。
 助走の勢いを活かし、走り幅跳びのように『く』の字を描いて飛んだ。
 竜騎士の靴の力を借りた跳躍は、弾丸と見紛うほどの猛スピードで空に五十メートルの黒い放物線を描く。
 予想着地点には、左右に小さく括られた赤い髪。
 それを確認したシャドウは目標物を定めて片足を突き出した。
 足技、とび蹴りだった。
 しかし、クリーンヒットを狙ったにしては軌道が低い。
 実際、少女が小さくジャンプしただけで、簡単にやり過ごされてしまった。
 キックの体勢のまま、敵の足下を潜り抜けてしまうシャドウ。
 失策だとしたら、世界一のアサシンにはあり得ないほどの初歩的なミス。
 しかし、違う。これはミスではない。
 この低空のとび蹴りすらも……彼のフェイントだ。
 スライディングと化したそのキックは、ガリガリと地面を削りながら滑走する。
 その反作用によって、助走によって生み出されたスピードも削り殺がれていった。
 ものの零コンマ五秒でブレーキに成功した彼は、少女の着地に合わせて足払いを放つ。

「うわぁッ!」
 さすがの怪物娘も、重力に逆らう術は持ち合わせていないらしい。
 突如として現れた漆黒の右足に着地を襲われ、身軽な身体は空中で半回転。
 頭を下にして落ちる少女の心臓目掛けて、短剣を全力で突き立てた。
 迫りくる銀の刃を目視した幼子は、慌てて自らの胸元で短い両手を交差させる。
 それは条件反射であったか、それとも冷静な判断に基づいた防御行動か……。

(……甘い)
 意図して防御したかどうかは関係ないと、シャドウは考えていた。
 放たれたソレは、あらん限りの力を込めた一振り。
 攻撃力が低いと一般的に評されているナイフだが、それでもシャドウの全力ならば鋼鉄の鎧をも砕き貫く。
 あんな細腕でどうこうできるシロモノではない。

 アサッシンズは速度を落とすことなく、小さな心臓目掛けて空を走る。
 勝利を確信したまま突き進むその切っ先が、少女の赤い衣服に接触しようとした……その瞬間に、それは起こった。

「……グッ!?」
 シャドウが仰け反りながら呻く。
 攻撃は、背後から。
 無防備な背中目掛けて、回し蹴りらしき衝撃が二回。
 敵の気配など全く感じていなかったシャドウは、呼吸を整えることも忘れ、慌てて後方を振り返る。

(…………なにッ?)
 赤い髪に赤い靴。
 まさに今殺そうとしたはずの少女が、なぜか笑顔でそこに立っていた。

(なぜ、こいつが俺の後ろに……?)
 両手を腰の後ろで組み、楽しそうに身体を揺らす少女を睨みつける。
 鋭い目をさらに細めながら、これはどういう事だと思考を巡らせようとした。

「おじさん、ちょこと遊んでくれるの?」
 彼の脳が作業を開始するよりも早く、かん高い声がそれを阻む。
 それは、男の背後から発せたれたもの。
 それは男が振り向く前に向いていた方向で、つまり少女が『さっきまでいた』場所だ。
 シャドウはそれまで細めていた両の目を瞳孔ごと見開きながら、上半身だけを後方に向ける。
 ちょこと名乗った少女が確かに立っていた。
 上半身を元に戻すと、やはり前方にも彼女の姿。

(……そうか…………)
 前後に感じる、全く同じ気配。
 それを確認して初めて、これが分身の能力によるものだと理解するに至った。
 挟撃の状況はマズいと判断すると、竜騎士の靴の力を借りた跳躍で二人の少女との距離を確保する。
 それを追うこともせず、同じ顔の少女たちはくるくるとバレリーナのように踊った。
 男が着地すると同時に、少女のうちの一方、おそらく分身の方がフッと跡形も残さず消失。

(やはり……)
 フンと小さく鼻をならし、アサッシンズを握る指に力を込める。
 たったいま煙のように消滅したのは、シャドウの目すらも欺くほどの精巧な分身だ。
 そんなものを詠唱もなしに発現させるほどの魔力に、男は驚きを禁じ得ない。
 セリス、ティナよりも遥かに……おそらくケフカ以上の。

(…………ふむ……)
 構えを解くこともなく、殺気を鎮めることもしない。
 深い呼吸を繰り返しながら娘を観察し、冷静にその能力についておもんばかる。
 敵意全開のシャドウとは対照的に、少女は無邪気な笑みを浮かべて彼に手を振っていた。
 そのスピードと魔力は、男の知る人物の中でもトップクラスだ。
 そのことはシャドウも、ここまでのやり取りの中でハッキリと思い知らされていた。

 彼が次に考えたのは、その攻撃力。
 背中に残るダメージは大したことはない。そのことから、あの『ちょこ』とやらの筋力はそれほど高くないことが分かる。
 あの小さな体から繰り出されたものとしては異常な破壊力であるが、それでもわざわざ回復魔法をかける程ではなかった。
 おそらく、白兵戦が得意な部類ではない。
 そう、結論付けた。
 決定的な弱点とはいえないが、欠点らしきものは見つかったようだ。

(問題は……防御力……)
 濁った黒目が見据んとするのは、未だに不確定な要素。
 未だに確認しかねているソレは、暗殺においては最も重視すべきステータスだ。
 相手の強力な魔法を掻い潜り、その異常なスピードを捉えて攻撃を命中させたとして、果たして『ちょこ』はその一撃で絶命するのだろうか。
 もし、捨て身の一撃を放ったとして、それでも殺しきれなかったとしたら……。
 ケフカ並の防御力、体力を、あの娘が持っていたら……。

(だが、しかしだ)
 おそらく、無敵というわけではだろうとシャドウは推測する。
 その根拠として考えるは、先ほどの分身。
 攻撃を回避できない状況に追い込まれた少女は、魔法を用いて反撃したのだ。
 なぜか。決まっている……ダメージを受けるからだ。
 心臓にナイフを突き立てられれば、あの化け物であっても無視できないほどのダメージになるはず。
 だから、避けた。
 尤も、それでキチンと死に至ってくれるかどうかは定かではないのだが……。

(仕方ない……)
 少女から目線を逸らすことはせずに、短剣を握っていない左手で自分のデイパックを漁りだす。
 暗殺者シャドウの真骨頂、投擲の準備。
 相手の防御力を明らかにするための、場合によってはそれだけで死に至らしめる可能性を秘めた……奥の手だ。

 彼が最初からこの技術を使わなかったのには訳があった。
 エドガーたちと旅をしていたときとは違って、この殺し合いでは圧倒的にアイテムの数が足りないのだ。
 彼の手持ち道具の中で、投げつけられそうなものなど片手の指で数え足るほどしかない。
 昔のようにポイポイと放りまくっていては、直ぐに素寒貧になってしまう。
 だから、この会場において彼が投擲を放つのは、ここぞと言う時だけ。

(ゆくぞ……マッシュ……エドガー……)
 取り出したのはワイングラス。
 ステムと呼ばれる部分、植物でいう茎にあたる所を、親指と中指で挟むように持つ。
 そのまま軽く力を込めると、ピシリと小さな断末魔をたてて綺麗に二つに割れ折れた。
 片方はテーブルに接する、平べったく円形状のプレート。もう一方は液体が注がれるボウルという部分だ。
 そのどちらからも、ステムが半分ずつ槍のように付属していた。
 プレートをデイパックに戻し、左手に残されたボウルを右手のアサッシンズと持ち換える。
 高く掲げて振りかぶると、内部に付着していた赤茶色の洋酒が地面にポタリと落ちた。
 それは戦友たちの死に涙を零しているようにも見えたが、少女の紅い血が流れる勝利の未来を予言しているかのようでもある。
 そうだとしたら、透明な容器が披露したその予言は……。

「…………何だ……これは……」
 その予言は、大ハズレもいいところ。
 シャドウは、投擲することすら許されなかった。
 辺りに散らばっていた瓦礫を次々と浮き上げる旋風。
 あまりの風力に、投擲の構えが崩れる。
 シャドウを驚愕させたのは、少女を中心として展開した竜巻。
 突風に混じって感じ取れる魔力が知らせる。『これは、あの少女の起こした災害である』と。
 たまらず両手を顔の前で交差させるが、絶え間ない風は容赦なくその隙間を潜り抜けて顔面にタックルをしかけてくる。
 瞼を開けていられないほどの勢いに、仲間がかつて使っていたトルネドという魔法を思い出した。
 思わず右手から力を抜いてしまう。
 ワイングラスは重力など忘れてしまったかのように舞い上がり、螺旋を描いて空に旅立った。

「……これ……は……ッ!」
 大気圏にまで達そうかとしているグラスから、竜巻の中心へとシャドウは視線を移した。
 そこには両の掌を大地に向け、全身から魔力を噴出する少女。
 完全に暴風を支配していた彼女は、風力をあげてシャドウすらも空に誘う。
 竜騎士の靴の力で逃げるべきだったと後悔した時にはもう遅い。
 不可避の範囲攻撃を前には、シャドウのスピードも反射神経も無用の長物だ。
 ついに男の足は地面から離れる。
 あとは成す術もなく、ワイングラスの後を追うだけだった。

(……打つ手……なし、か…………)
 あっけない幕引きであった。
 たった一発で敗北確定なのか、と自嘲する。
 ここから叩き落ちればどうなるのか。シャドウはそれを考えようとして、やめた。
 もうどうしようもない事だと。
 そう諦めつつも、アサッシンズを握り締める左手はまだ固く、強く。

 彼は決して少女を侮っていたわけではない。
 これほどの広範囲に、これほどの破壊力の魔法を展開できるなど、誰が予想できただろうか。
 シャドウの戦闘スタイルは、牽制とスピードで撹乱しての一撃必殺狙い。
 それ故に、このような無差別破壊は起きないと言う前提の下で戦わなければならなかった。
 もし大規模魔法を食らってしまったら、致命傷に至らぬよう祈りながら耐え忍ぶ以外に道はない。
 だからこそ、獣ヶ原の洞窟でもキングベヒーモスのメテオに倒れた。
 だからこそ、アシュレーのバニシングバスターにも、惜しみなく太陽石で対応した。

(ひとりは……辛いな……)
 頭から落下。もう着地は不可能と判断した。
 剣に魔法を吸収してくれる仲間のことを思い出す。
 彼女さえいれば、こんなことにはならなかったのだろう。
 敵の魔法を同じもので相殺できるモノマネ師がいれば、トランスで敵の魔法ごと吹き飛ばせる少女さえいれば。
 この空よりも遥か高きを飛び回ったギャンブラーが、引き際を見極めてくれれば……。
 その拳で全てを砕く男が、自分たちを導いたその兄が、隠された道を開いてくれれば。
 そして……………………。

(眩しい……空だ……)
 太陽はビカビカと大地を照らし、滅んでしまった港町が紅くざわめく。
 闇夜に生きる影にとっては、その光景は不愉快で仕方がなかった。
 全てを照らそうとする夕陽も、それを迎合する廃墟も。

 ある仲間のことがいっそう強く思い返された。
 彼女なら、この光景すらも綺麗な景色として、キャンバスに描いてくれるのだろう。
 脳裏に浮かぶのは、赤い絵の具を染み込ませた筆でペタペタと白地を叩く少女の姿。
 思わず笑みをこぼしてしまったことに気づき、それを頭の中の幻想ごと殺した。
 自分が彼女の絵を見る権利などないのだ、と。
 目をつぶるその前にもう一度太陽を睨む。
 真っ赤な円形は、やはり気分のよいものでなく、おびただしい赤色を従えて世界を燃やしていた。
 恐ろしいほど、強く。


◆     ◆     ◆


「…………殺せ」
 仰向けで倒れたシャドウが、自らを見下ろしている少女に向けて告げる。
 あのまま地面に叩きつけられたはずなのだが、彼はまだ生きていた。
 それどころか手足の一本すら折れていない。
 何本かの肋骨が折れた程度で済んだのは、少女が手加減したからにほかならない。
 それでも彼の体力は大幅に削られ、すぐには立つことすら出来ずに咳き込むばかり。
 デイパックもどこかへ飛んでいってしまっては、もはや成す術もない。

「なんで?」
 真ん丸い目玉をリスのようにクリクリと輝かせ、少女は首を傾げる。
 赤い髪の毛がフワリと揺れた。
 荒れに荒れた焼け野原と彼女のあどけない姿はなんともミスマッチだ。

「……それが……勝者の、権利だ」
 少女の疑問には答えない。ただ彼は殺害を要求するのみ。
 もしも、体が動くなら……彼は逃げていただろう。
 誇りも何もかも投げ捨てて、生き抜くために逃げていた。
 だが、それが可能な状態にまで回復するには、かなりの時間を要する。
 彼女が動けない男を弄り殺すには十分すぎる程の時間だ。

 シャドウは命乞いはしなかった。つまり彼は諦めたということだ。
 敵前で動けなくなったら死を選ぶ。
 それが暗殺者のルールだった。
 拷問されたうえに嬲り殺されるくらいなら、一思いに殺される方が多くの物を守って逝けるからだ。
 男のかつての相棒であるビリーも、最期までそれを望んでいた。
 逃げるシャドウの背中を睨めつけながら、ずっと。

「いやなのー!」
 しかし少女は、暗殺者の要望を笑顔できっぱりと拒否。
 なぜか楽しそうに男の周りをトテトテと走り回る。
 それをシャドウは鷹の目で睨みつけた。
 あらん限りの威圧感を込めて。

「……ならば……また、俺は……君を殺す……」
「んーん、ダメなの。おじさんは、今からちょこと遊ぶんだからー!」
「…………」
 なんて馬鹿げた会話をしているんだろう。
 その事を自覚するなり、己がやろうとしてる事がひどく無意味なものに思えてくる。
 暗殺者の生き方などを、年端の行かない少女が理解できるわけがない。
『ここで死ぬんだ』と早合点をした末に、そのような愚行を演じた自分自身をシャドウは諌めた。

 どこかでガラスの割れる音がする。
 それは、今になってやっと落ちてきたワイングラスの断末魔だった。

「…………後悔、するぞ……」
 脇腹に走る鋭い痛みに耐えながら、ため息混じりで吐き捨てた。
 少女に殺意も敵意もないのであれば、わざわざここで死を選ぶ必要もないと判断。
 ならば適当に彼女をあしらいながら回復するのを待って、逃げるなり、不意打ちで殺すなりするのが最良の選択肢だ。
 これで、何度目になるだろうか。
 また死に損なってしまった自分のしぶとさに、吐き気を催すほど感嘆した。

「後悔なんかしないもん!」
「…………そうか」
 もし、もう一度チャンスがあれば、シャドウは彼女を殺害することができるだろうか。
 ……無理だ。そんなこと自分には不可能だ、と彼は痛感していた。
 この娘の小さな身体には、シャドウにそう思わせるほどの力が秘められている。
 だから、彼女はこんなにも自信満々なのだろう。胸を張る少女を見ながら、シャドウはひとり納得する。
 強いから、絶対に負けない確信があるから……彼女はシャドウを殺さなくても後悔などしないのだろう。
 このとき、男はそう思っていた。

「おじさん……まだ痛い?」
「……問題ない」
 くだらん遊びにつきあわされるよりは、と。
 シャドウは地に臥したままで会話に応じる。
 それを受けて、少女はテコテコと彼の方に歩み寄り、真横に並んで腰を下ろした。
 たった今、自分のことを殺そうとした男の横に。
 その純真さは、暗き道を行く男には触れ得ぬもの。

「よかったのー」
 投げ出した両足をバタつかせることで、犬の尾よろしく喜びを表現する少女。
 実際に戦闘不能に追い込まれたシャドウですら、この子があの竜巻を起こした張本人だとは信じられない。

「君は……」
「ちょこはちょこ!」
「…………ちょこは、ここで何を……」
 風に混じって、パラパラと瓦礫が砕ける音がする。
 港町は、無残な有様だった。
 無理もない。元より激戦のせいで廃墟同然だったところに、あの竜巻が起きたのだから。
 そんな中、町の外れに位置する場所に、たった一軒だけ無事なままで建っている家がある。
 運よく危機を脱したその民家に、シャドウは少しだけ親近感を抱いた。

「ちょこはね、おねーさんを探してたの」
「……誰だ?」
「ちょこ、おねーさんとけっこんしたの! ムチムチプリンなんだからー!」
 嬉しそうな顔で胸を張るが、シャドウには何がなんだか分からない。
 詳しく聞くのも面倒だと感じた彼は、適当に「そうか」と簡単な相槌を打った。
 他の参加者の情報など、見敵必殺を決め込んだ彼にしてみればそれほど有益なものではない。

「おじさんは?」
「…………?」
「おじさんは、何してたの?」
 男は、少女の質問の意図を汲み取れずにいた。
 幼い娘を不意打ちで仕留めようとした人間にする質問ではない。
 優勝を狙って、皆殺しを決行しているに決まってるではないか。

「…………人を……殺していた」
「なんで?」
 なおも傾き続ける太陽。空までもが燃える。
 訝しげに少女を見やったシャドウは、彼女の向こう側で赤く染まる空にかつての終末を思い出した。
 あの時の仲間達の悲しそうな顔、特にセッツァーの情けない顔は忘れたくても忘れられない。

「…………優勝して、生きるためだ」
「ゆうしょー? 競争でもしてるの?」
 首をかしげた少女の尖らせた唇を見て、シャドウは初めて気づいた。
 少女がこの殺し合いを理解していないことに。
 だから彼女はこんなにも呑気だったのだ。

 殺し合いのルールを教えるべきか、否か。
 シャドウは逡巡し、押し黙った。

「ゆうしょーするために、殺すの?」
「……………………」
「殺さないと、しんじゃうの?」
「…………あぁ」
 悲しそうな声で紡がれた質問に、これまた悲しそうな返答を投げ返す。
 彼のその短い呟きにどれほどの重みが込められていたのか、少女には計り知れない。
 シャドウ自身にも、分からないことなのだから。

「そっか」
「……理解、したのか?」
 相手の顔も見ずに、男は赤い空へと吐き捨てた。
 確かめると言うよりは、からかう様な口調。

「んーん。むずかしくて、ちょこ分かんない」
 先ほどまでキャッキャとはしゃぎ回っていたのとは一転して、落ち着いていた雰囲気をみせる。
 少女の変化に呼応したかのように、暴風の傷跡新しい港町跡もようやく落ち着きを取り戻す。
 海から久しぶりに吹き込んだ潮風が、二人の頬を撫で冷やした。

「だろうな」
「でも、ちょこ知ってるよ」
 少女も、男に倣って天を仰ぐ。
 白い頬に差した朱は、夕陽が照らしたソレだろうか。

「誰かを殺したって、さいごにはね、ひとりぼっちになるだけなんだよ」
「……………………」
 シャドウに言い聞かせるために語られた言葉のはずだった。
 だけど、その声はか細く、自らの頭の中で反響させるために発せられたかのよう。

「ひとりは寂しいの……」
「……………………」
 シャドウは既に立ち上がれるまでに回復していた。
 しかし、寝そべったままで少女の二の句を待ち続けている。

「ほんとに、つらいんだから……」
 少女はもう、泣いているかのようで。
 シャドウがハッと、小さく息を吸い込む。

「…………殺したのか? 人を。」
 誰もが躊躇うだろうその質問。シャドウはそれを淡々と問いただした。
 彼は少しだけ少女に興味を持っていた。
 自分の娘ほどの年でありながら、自分と同じ咎を背負っているかもしれない少女に。

 その質問を受けたちょこは、何も言わず静かに俯く。
 首肯したわけではないのだが、その沈黙はもはや肯定したに等しい。

 それから、二分から三分ほどの間、両者ともに黙りこくっていた。
 逆に言ってしまえば、僅かそれだけの時間で静寂は打ち切られた。
 意を決したように一度だけギュッと目を瞑り、ゆっくりと開いてから、少女はポツポツと語りだす。

「…………ずっとずっと、昔にね」
「…………」

「ちょこ、知らなかったの」
「………………」

「ちょこのチカラを」
「……………………」

「気づいたら、村のみんなも……父さまも…………」
「…………君は……」

「ちょこ、ずっとひとりだった。寂しくてずっと泣いていたのよ」
「……………………」

 ユーリルに必死に語りかけた時とは違って、独白は淡々と。
 まるで、シャドウの淡白さが伝染したかのように。
 断片的とすら言えないほど、虫食いだらけの情報だった。
 それでもシャドウは、彼女の過去に何があったのかをおぼろげながら理解した。

 偶発的な力の暴走。
 それによって少女は大切な人々を死に至らしめ……。
 望まない殺戮により、幼い少女は長い孤独に苦しむこととなった。
 そんなところだろう。

「…………だから、おじさんも…………」
「…………」
 言いかけたちょこの襟首をシャドウが掴んで、地面に押し倒す。
 小さく悲鳴をあげた少女の首筋を冷やしたのは、シャドウが宛てがったアサッシンズだった。
 魔法で反撃することも出来たのだろうが、彼女は男の目を見つめたまま動かないでいる。

「……だから、何だ?」
 研ぎ澄まされた目であった。
 その殺気は、最初に少女を奇襲したときから減衰することなく、その視線と同じくらいの鋭さを帯びている。

「…………おじさん……」
「だから、止まれと? だから今から生き方を変えろと?」
 首元に押し付けられた男の腕が少女を圧迫する。
 苦しそうに眉をしかめた彼女を、男は感情の篭っていない冷たい目で見下ろしていた。

戦友への誓いを……破れと言うのか……!」
「………………………………」
 ギリリと、ちょこのに届いた耳障りの悪い音。
 男の口元からにじみ出た血液がマスクから滲んで少女の頬に垂れ、赤い斑点を形成する。
 両腕が自由なはずの彼女だが、その血を拭うことはしない。
 必死に感情を殺す男を、悲しそうな顔で見つめていた。

「俺は、生きて帰るために、皆殺しをすると誓った。
 君も……貴様も例外じゃない」
 その言葉に反して、一向に少女の首を引き裂こうとしないシャドウ。
 短剣をスライドする簡単な作業のはずなのに、彼の右手は一向に仕事を始めようとしない。
 それどころか、苦しげな少女を見て、押し付けている方の手を緩めてやる始末。

「ねぇ、おじさん……」
 上手く言葉が紡げないでいる男に代わり、ちょこが口を開いた。
 男も彼女の言葉を待っていたようであった。

「……寂しく、ないの?」
「……………………」
 ちょこの言葉を合図として、彼女の首元で待機してたアサッシンズがついに動いた。
 だがしかし、鋭い切っ先は張りのある肌を傷つけることなく、ゆっくりと少女から離れていく。
 シャドウは腰元に短剣をしまい込むと、押さえつけていた手から力を抜いて彼女を解放した。

「…………君も俺を殺さなかったな。これは、その報酬だ」
「ありがとうなの」
 シャドウが危害を加えないことを分かっていたかのように、ちょこは静かにだがはっきりと礼を述べる。
 服についた砂をパンパンと叩き落とす彼女を黙って見つめながら、男は焦げた大地に再び腰を下ろした。
 座った瞬間に、折れたあばら骨がキリキリと痛みをあげたが、眉一つ動かすことなくやり過ごす。

「…………寂しいさ」
 そうボソリと嘆いて、直後に吹いたそよ風を一瞬だけ堪能して、また口を開いた。
 背中の擦り傷に、潮風が沁みる。

「孤独であることを、忘れてしまいそうになる程に」
「そっか」
 ちょこは服を叩くのをやめて、シャドウの隣に腰掛ける。
 せっかく綺麗にしたスカートに、また大量の砂が張り付いた。
 シャドウはちょこの姿を横目で追いかけていたが、彼女と目が合うと直ぐに視線を逸らしてしまう。

「……君は…………娘に、似ている」
 数分間の沈黙の後であった。
 ふと、語りだすはシャドウの方。
 ちょこは朝一番のあくびをするように顔を上げて、彼を見る。

「おじさん、お父さんなの?」
「あぁ。母親はもう死んだ」
 なぜ、そんなことを彼女に伝えるのか、シャドウ自身も不思議で仕方がなかった。
 一刻も早く退散して、また殺戮に戻らなくてはいけないはずなのに。

「その子のために帰るの?」
「…………いや……」
 答えにつまり、何も言えないでいる彼を、ちょこは静かに待ち続ける。
 男が真実を搾り出したのは、その三十秒後。
 長いとも短いとも言い難い間だ。

「……いや…………彼女は、父親の顔も…………。
 ………………死んだものと……思っている……」
「そうなの…………」
「人殺しだからな。そのほうが幸せだ」
 よくもここまでベラベラと喋るものだ。
 シャドウは心中で己に毒づく。
 彼は、自分自身の気持ちがどうなっているのかすら分からなくなっているのだろう。
 暗殺者として正しい行動がとれなくなっているほどに。
 それはおそらく、この少女のせいであり、かつての仲間たちのせいであり、彼がフィガロ城で殺した少年のせいでもあった。

「でも……それって………………」
「……待て。来るぞ」
 悲しそうに俯いた少女は、これまた悲しそうな声で男に反論しようとした。
 だがその言葉は、冷たく放たれたシャドウの声と、突如として辺りに広がった濁った殺気によって遮られてしまう。
 シャドウは、ズシリズシリと現れた人物のことを、象のように大きな男だと錯覚した。
 その男が放つ異常なプレッシャーのせいか。
 狂気を伴って現れた白い騎士。
 彼がニヤリと笑ったその瞬間に、焼け野原は『一触即発』の状態を経由することすらせずに、ダイレクトに戦場と化した。

「先ほどの竜巻は……お前か?」
 犬歯を剥き出しにして、敵対心を隠すことなく。
 尋ねられたシャドウは、それには答えず、腰元から取り出したナイフを回答とした。
 それを見て、騎士は嬉しそうに再びの笑みを浮かべる。


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099:戦友へ シャドウ 110-2:シャドウ、『夕陽』に立ち向かう(Ⅱ)
098-3:Throwing into the banquet ちょこ
104:red tint ルカ


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最終更新:2010年07月03日 00:33