•妖星乱舞(後編) ◆6XQgLQ9rNg
◆◆
どこか遠くで、何かが響いたような気がした。
とても怖くて、とても冷酷で、それでいて少しだけ、哀しい音のように思えた。
聞くのが辛くて、でも、耳を塞いではいけないように感じられて、
ビッキーの意識はゆっくりと覚醒する。
「……あれ?」
ぼんやりとした目を擦り、起き上がる。
そこはなんとなく見覚えのある宿屋であり、宿屋にいるのにベッドではなく床で寝ていたことに思い至る。
「……あれれ?」
ビッキーは可愛らしく小首を傾げ、周囲をキョロキョロと見回す。
広い宿には誰の姿もなく、ビッキーが抱く疑問に答える者はいない。
両手で柔らかな両頬を抓り、引っ張ってみる。
むにっ、と少しだけ伸ばしてみると、確かな痛みが痛覚を刺激する。
それだけではなく、腕を動かしたことにより肩がじくりと痛んだ。
肩にあるのは、道化師によって刻まれた傷跡だ。
それが確かにそこにある。
その事実が、ビッキーに確信を抱かせた。
「わたし、生きてる……」
どうしてと尋ねても、答える者はいない。
心細さと寂しさと不安と、それらを超える心配が、胸の中で渦巻いた。
あの人は、何処へ行ったのだろう。
あの人は、どうしてしまったのだろう。
まだ怪我は治っていないのに、大丈夫だろうか。
よろよろと、立ち上がる。
疲れは残っているけど、思いの外辛くはなかった。
宿中の部屋を、見て回る。
それでも自分以外の姿は見つけられなくて、ビッキーは外へ出た。
眩い太陽の光が、城下町に降り注いでいる。
静かで、穏やかで、一見すると平和な光景。
だけどここには、何もない。
希望に溢れた喧騒が、喜びに彩られた足音が、平和に満ちた笑顔が、何もない。
ただ静かなだけの世界は、ビッキーにどうしようもない孤独感を実感させる。
あの人を、早く捜さなきゃ。
そう思った直後、彼女の気持ちに応じるように。
立ち並ぶ家屋の遥か彼方、西の方角で、蒼の極光が爆ぜた。
ビッキーの肌が、一瞬にして粟立った。
その輝きが何なのか、ビッキーは知っている。
その輝きが意味するところを、ビッキーは知っている。
そこに、いるのだ。
そこで、戦っているのだ。
――あの人が、戦っている。
行かなきゃ、とビッキーは思う。
きっとあの人は、『誰か』を殺そうとしているだろう。
きっと『誰か』は、あの人を殺そうとしているだろう。
そこにあるのは、平和や安らぎや優しさとはかけ離れた、悲しみと苦しみと痛みだけ。
ビッキーの望むものはそこにはなく、目を背けたくなるような凄惨さだけがあると分かっている。
だけど、ビッキーは思う。
賢しい考えも身勝手な打算もなく、ただ、思う。
――行かなきゃ。
その意志に曇りも惑いも躊躇いもない。
これ以上、命が消えていくのは嫌だから。
これ以上、消えない悲しみが広がるのは嫌だから。
そして何より、決めたのだ。
――な、らば……つ、らぬ……け。
耳に残ったサンダウン・キッドの声に、ビッキーは大きく頷く。
瞬きの紋章が輝き始める。
揺るぎない輝きを、放ち始める――。
◆◆
破壊の魔力光が、収束する。
ドーム状の輝きの跡に、三つの人影がある。
ヘクトルは、ゼブラアックスを地に付き立てて。
イスラ・レヴィノスは、魔界の剣を杖代わりにして。
ブラッド・エヴァンスは、その拳を地面に叩きつけて。
それぞれ自身の身体を確かに支え、倒れてはいなかった。
一斉に、顔を上げる。
視線が向く先は、破壊の中心。
そこに、
ケフカ・パラッツォは佇んでいる。
右頬と口元から血を流し潰れた左腕をだらりと垂らして、神の力を手にした狂気の道化師――否、魔人は立っていた。
傷を負っても、倒れ伏した者は誰一人としていない。
血反吐を吐いても、膝を付いた者は誰一人としていない。
それはつまり、抗う意志は折れず闘争心は途絶えていないということであり、破壊の願望は潰えず殺戮の心は消えていないということでもある。
故に。
闘いは、終わらない。
ケフカの右腕が、振りかぶられる。
槍投げのようなモーションを通じて放たれたのは、極太の炎の矢が三本。
三本の矢はくねくねと歪な軌跡を描いて、三人に一本ずつ飛んでいく。
極端に遅い魔法攻撃に眉を顰め、ヘクトルは矢を回避した。
消耗した身であっても余裕で避けられるほどの一撃。
そんな温い攻撃で、終わるはずがない。
そうは分かっていても、こちらがケフカへと攻撃を叩き込むには愚直に接近するしかないのだ。
だからヘクトルは、再度地を蹴ろうとして。
嫌な予感が、背筋を這い上がった。
それは、最前線で武器を振るい、数多の兵に囲まれる乱戦を生き延びてきた経験に裏づけされた、信憑性の在る直感だった。
ヘクトルは、自身の直感が裏切らないことを知っている。
直感は、背後の危機を訴えていた。
だから、従って横に跳んだ。
その直後、のろのろとした炎の矢が、ヘクトルの真横を通過する。
炎の矢は、留まらない。
回避されたと矢自身が理解しているように、再度舳先をヘクトルへ向けて飛来する。
矢は、執念深く追ってくるらしい。
しかし変わらず、弾速は遅い。
――だったら、振り切ればいい。
今度こそヘクトルは、迷わずに地を蹴った。
その眼前に、再度氷塊が迫り来る。
何度も斧で叩き割っていては、刃がもたない。
ヘクトルは舌打ちを漏らし、直進軌道を強引に捻じ曲げて氷塊と擦れ違う。
氷塊と炎の矢が衝突すればしめたもの。
だが氷塊は、ヘクトルの真横で停止し、そして。
「そらそらそら――ッ!」
ケフカの声と共に、ばらばらと弾け跳んだ。
氷塊は細かく小さな氷の群れとなり一拍の間を置いて、真横からヘクトルを貫きにくる。
それでも、構わない。
ヘクトルは足に力を込め、疾走の速度を上げた。
静止してからの氷弾など、炎の矢と同様に振り切れる。
鎧の重さを感じさせない速度で、ヘクトルは駆け抜ける。
その背後を、炎の矢とは段違いの速度で、氷の群れが通り過ぎる気配がした。
いける。
流れる血液で滑り落ちないように、ゼブラアックスの柄を握り込む。
あと一足で斧の射程圏といったところまで踏み込んだとき、
「甘いんだよ」
ケフカが呟いて、翼を微かにはためかせる。
その手にあるのは、ハイパードライブの輝きだ。
反射的に振り返る。
氷の礫は、避けられてもなお、ヘクトルへ牙を剥いていた。
炎の矢のような緩慢な動作ではなく、急激に方向を変え、氷は群れを成してヘクトルへ突っ込もうとしている。
突っ込めばハイパードライブの直撃は免れない。
下がれば炎の矢が突き刺さる。
氷と逆方向に跳んでも、回避は間に合いそうにない。
「んな、くそぉ――ッ!!」
判断は一瞬。
ヘクトルは、ゼブラアックスをぶん回し自ら氷の群れに突っ込んだ。
礫のいくつかが、分厚い刃とヘクトルの巨体に弾き飛ばされて勢いを失い、消失する。
仇を取るかのように残りの礫が飛来する。
だが、一発一発の威力は低い。
礫をやり過ごしたヘクトルがケフカを叩き潰そうとするが、そこには魔人の姿はなく。
代わりというように、誘導する炎の矢が三本残されていた。
◆◆
追いすがる炎の矢を振り切りつつ、イスラは周囲の様子を見渡す。
ヘクトルとブラッドは、氷塊から派生する氷の散弾と追加の炎の矢によって、その動きを抑え込まれていた。
対し、イスラに付けられたのは一本の炎の矢のみ。
囲まれないよう小さな魔法で足止めをし、一人一人仕留めるつもりのようだ。
そして今、イスラは誘われている。
厄介な相手を真っ先に潰そうと判断されたというよりも、単純に数の減らしやすさを考慮した結果、イスラが狙われたのだろう。
確かにあの二人に比べれば、イスラの攻撃は軽い。
サモナイト石も紅の暴君<キルスレス>もない今、戦闘力が高いとは決して言えないのは自覚している。
それでも、イスラに出来ることはある。
たとえば、この中で最も身軽で小回りが利くのはイスラだ。
ドーリーショットを用いれば、射程こそ短いが遠距離攻撃だってできる。
できることを、最大限の範囲でやってやる。
そうすれば、自分が死んだとしても、あとはきっと。
――あいつらが、やってくれるさ。
無意識のうちに浮かんだその考えに、イスラは気付かない。
気付かないまま、左手に握ったドーリーショットの引鉄を引いた。
吐き出された散弾は、その一部がケフカを掠めるだけに終わる。
狙ったわけではないのだ、当たらなくていい。
牽制の銃弾をばら撒いて接近し、魔界の剣で薙ぎ払う。
それをケフカはバックステップで回避し、イスラを指差すように右手を突き出した。
指先に、蒼い光が灯る。
ふよふよと蛍のようにイスラへと漂ってくるその光は、先ほどの極光とよく似ていた。
危険を覚え、イスラもまた下がる。
収束された光が、イスラの眼前で爆ぜて地面を抉り取る。
人一人が収まるほどの穴を作り出して光は消えるが、その向こうから今度は光の柱が突進してきた。
バックステップでは追いつかれる。
だからイスラは横に跳ぶ。
真横を駆け抜けた魔力の柱が背後で爆発する音を耳にして、イスラは恐怖にも似た戦慄を感じずにいられない。
ヘクトルとブラッドの二人を足止めするほどの魔法を無詠唱で連射が可能など、並大抵の芸当ではない。
まさに、化物。こいつなら、Sランクの召喚獣の連発さえ可能かもしれない。
だとしても、イスラは突貫する。
何を馬鹿みたいに突撃を繰り返しているのだろうと思っても、その動きは止まらない。
湧き上がる衝動のように、止められなかった。
引鉄を、二度引く。
微妙に照準をずらして放った銃撃をケフカが回避した瞬間を狙い、イスラは魔界の剣を突き込んだ。
回避の挙動中に迫る突きを、ケフカは上昇して避ける。
またも距離が開いてしまう。そこを狙って、ケフカはまたも魔法を放ってくる。
キリがない、応酬。
相手の魔力が尽きるか、こちらの体力が尽きるか。
危ういバランスの上に成り立つ攻防だ。
必要なのは、それを切り崩す一手。
何かないかと考えかけた、そのとき。
「お前も、味わいやがれッ!!」
ヘクトルの声と共に硬質な打撃音が鳴り、ケフカの背後へと飛んでいく何かが見えた。
陽光を照り返しながら飛んで行くそれは、ケフカ自身が生み出して武器としていた氷塊だ。
ちらりとヘクトルを一瞥すると、彼は斧を振りかぶった姿勢で得意げにしていた。
今度はどうやら、氷塊が弾ける前に打ち返したらしい。
その型破りさに、イスラは苦笑を禁じえなかった。
氷塊はケフカの側で静止し、小さな礫の群れに変化する。
次の瞬間、ヘクトルやブラッドに襲い掛かっていたように、それらはケフカへと殺到した。
不愉快そうに顔を歪めるケフカの身に、無数の傷跡が刻まれる。
そして。
その礫を隠れ蓑にして、もう一つの巨体が、ケフカの背後で拳を握り締めていた。
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ――ッ!」
気迫に満ちた雄たけびを上げ、氷の群れが食い込んだ背へ拳が直撃する、その間際で。
「――舐めるな」
ケフカの背から延びる三対の翼が鋭く尖り、急激にその長さが飛び出すかのように伸びた。
そしてその翼を、勢いよく後ろへ突き立てる。
拳が当たる直前だ。
防御も回避も可能なはずもなく、破壊の翼はブラッドに直撃する。
ブラッド・エヴァンスは、鈍い音を立てて、真っ直ぐに吹き飛ばされた。
◆◆
予想だにしなかった翼による攻撃は、ブラッドの巨体をも一気に吹き飛ばすほどに強力だった。
完全にカウンターを受けたブラッドは、額と右腕から血液を撒き散らしながら宙を飛ぶ。
それでもなんとか受身を取るべく身を捻り、辛うじて着地する。
そして、ブラッドは目を見張る。
ファルガイアを思わせる荒野が、そこには広がっていた。
とはいえ、ファルガイアのように広大な荒野ではない。
果てを見れば荒野よりも遥かに広い草原があり、その先でヘクトルとイスラが戦いを続けている。
草原の中に穿たれた、円状の不自然な荒野。
ブラッドが驚愕した理由は、故郷の星に似た大地がそこにあったからでは、ない。
出血しているにも関わらず、気持ちが逸る。
深呼吸をして逸りを抑え、捨て置かれたように転がる『それ』に近づいていく。
『それ』は大柄なブラッドの身をも優に超えるほどに巨大だった。
『それ』は機械や銃といった知識のない者が見れば、訳の分からない鉄塊にしか見えないだろう。
『それ』は機械や銃といった知識を持つ者が見れば、人の手で扱える武器には見えないだろう。
武骨な金属で作られながら、洗練された武器の形状をした『それ』に、ブラッドは触れる。
傷を負った右腕に鞭打って、『それ』を掴み取り担ぎ上げた。
常人ならば持ち上げようなどと考えもしないであろうほどに、それは重い。
その重量をブラッドはよく知っている。懐かしささえ感じられる。
ブラッドが知らないことと言えば。
『それ』を手にした者たちもまた、ブラッドと同じ志を秘めた者であり、ケフカと戦った男たちであるという事実だ。
『それ』はまさに、状況を引っくり返せるだけの一手。
元艦載式磁力線砲――リニアレールキャノン。
最大級の重量と質量と扱いにくさを併せ持ち、そして。
超ド級の破壊力を誇るへヴィアーム。
誰もが使える武器ではない。むしろ、扱える人間など片手で数えるくらいだろう。
そもそもそれは、個人で運用するような兵器ではないのだ。
しかしながら。
ブラッド・エヴァンスは、片手の指でカウントされるべき人間だ。
即座に状態をチェックする。
多少汚れてはいるが破損は見られない。
肝心の弾は――入っている。
弾数も命中もチューンされていないようだが構わない。
一発撃てれば、充分だ。
額から血液が垂れ落ちてくる。
右腕の傷が熱を帯びている。
極光を浴びた全身が痛みを訴える。
紙一重で魔法を回避し続けたせいで、疲労だって少なくない。
それでも、ブラッドは揺るがない。
決して消えない挫けぬ意志と戦う意志と抗う意志が、揺るぐなどという選択肢を選ばない。
その身に宿る果てなく湧き上がる意志が、ブラッドに力を与える。
コンディション・グリーン。
だから。
――外す道理など、何処にもない。
「ヘクトルッ! イスラッ!」
ブラッドは叫ぶ。
届かせる気概で叫んでいるのだ。ヘクトルはもちろん、イスラだって掴んでくれる。
掴んでくれないような男なら、こうまでして共に戦うはずがない。
たとえ彼が、死を誇りとして立っていたとしても。
今ケフカと対峙する彼の姿は、自ら命を絶とうとしたときとは違うように思えた。
だから、叫ぶ。
「奴から離れろッ! 今、すぐにだッ!」
叫ぶことの最大の問題は、敵にも声が届いてしまうことだ。
それでもブラッドは、叫び声を上げる。
「俺と奴を結び貫く直線上に、一歩たりとも踏み入れるなッ!!」
ブラッドは信頼していた。
無数の強敵を打ち倒してきたへヴィアームと、それを使いこなせる自分の実力を。
確かな経験に裏付けられたその自信は、過信ではなく敵だけを狙い打てると断言していた。
――オディオよ、見ているんだろう?
ブラッドは思い描く。
人の身では抱えきれないほどの憎悪を溢れさせる魔王の姿を。
オディオの目的や真意など分からない。
ただその様子から窺えるのは、人間を浅ましく愚かな存在であると断じているであろうということだ。
屑にも等しい人間を恐怖と餌で煽り殺し合わせ、その醜さを知らしめようとしたのかもしれない。
だが、たとえそんな状況下にあっても。
大切な仲間が、家族が、恋人が命を失っても。
手を取り合い同じ志を抱き、肩を並べて戦えるのだ。
人が愚かさを捨てられると信じられるほど、ブラッドは若くない。
それでも、だとしても。
人間が自らの意志で立ち上がり自らの力で戦える生物であると、知っている。
――この光を、その目に灼き付けておけ。
この一撃はケフカだけに向けるものではない。
この一撃はブラッドだけの力ではない。
これは。
この力は。
人に絶望した魔王に対し、人の強さを見せ付けるための、一撃だ。
ヘクトルが引くのが見える。
イスラが退くのが見える。
ケフカが驚愕に目を見開くのが、見える。
殺戮を振り撒く狂気の魔人と――何処かで見ているであろう魔王オディオに向けて言ってやる。
「この攻撃は抗いの証!
揺らがず霞まずくず折れぬ、確固たる意志の体現だッ!」
そう、その意志がある限り。
「俺は――俺たちは、死なないッ! 戦う意志が絶えない限りッ!!」
バチバチと音を立てて瞬く間にエネルギーが満ちていく。
通常の射撃を遥かに上回る力が暴走の域まで登り詰める。
ブーストアタック。
へヴィアームの限界を超えた射撃を必中の精度で放つ、ブラッドの全力のチカラ。
そのチカラを、余すことなく解き放つように。
ブラッドは迷わずに、重い引鉄を引いた。
◆◆
自己嫌悪せずにはいられなかった。
あの人のところへすぐに向かわなきゃと強く念じてテレポートしたというのに、ビッキーが行き着いたのは戦場から離れた場所だった。
それほど遠いわけではない。
だが、こんな時に微妙な場所に飛んでしまう自分のドジさが、嫌になる。
息を切らし身を汗ばませ、ビッキーは駆ける。
駆けながら、思う。
戦場に乱入できなかったのは、自分にある弱さのせいなのだろうか、と。
誰かが傷つくのを恐れる弱さが、互いに傷つけ合う場所への転移を妨げたのかもしれない。
そんな弱さを抱き締めているから、たいせつな人たちは死んでしまったのかもしれない。
だとしたらやっぱり自分が、嫌になって、泣きそうになってしまう。
それでも、ビッキーは足を止めない。
涙で視界が滲んでも、呼吸が詰まって胸が苦しくても。
――貫くんだ。ぜったいに、ぜったい。
もうすぐで、戦場に届く。
弱いからできることがないなんて思わない。
弱いから何もしないのなんてぜったいにイヤだ。
変わらない決意を抱いて、ビッキーはひたすらに足を速め、祈るように願う。
――だからお願い、間に合って。
耳をつんざく轟音を引き連れて鋭く眩い一条の光が迸ったのは、その直後だった。
力強く眩いその光は地面を揺るがせるほどの速度で、戦場を駆け抜け消えていく。
跡には何も残さないというような光が見えたのは、一瞬。
その僅かな一瞬で、ビッキーの胸に、猛烈な不安が込み上げてきた。
あんな光を受けて、無事でいられる命などあるはずがない。
あれを撃ったのは、誰だろう。
あれを撃たれたのは、誰だろう。
分からない。
理解するのが、怖い。
ただ、明らかなのは。
いつの間にか戦場に、静けさが満ちているということだった。
震えて立ち止まりそうになる足を叱咤してビッキーは行く。
早鐘を打つ心臓の音に、不吉さを覚えながら。
◆◆
ヘクトルは、呆然とするしかできなかった。
高名な魔道士や桁外れの魔力を誇る賢者によって放たれた魔法の槍にしか見えない光を、ブラッドが携えた巨大な何かが放ったからだ。
「おいおい……なんつー隠し玉を持ってやがんだ」
「俺がかつて使っていた武器ではあるが、隠してたわけじゃない。ただの拾い物だ」
歩いてくるブラッドが担ぐのは、光の槍を生み出した武器だ。
見たことのない変わった武器だったが、その威力は神将器にも匹敵するかもしれないとヘクトルは思う。
「そんな物騒なもんが落ちてたのかよ……。でもまぁ、おかげでなんとか――」
「よく見ろ。まだ、なんとかなんてなってない」
ヘクトルの言葉を遮ったのは、イスラの声。
まさかと思いケフカのいた場所へと目を向けて。
ヘクトルは言葉と息を、呑んだ。
その場所には。
身のほとんどを焼け焦げさせ、全身から煙を昇らせ、肩で息をして。
大きく項垂れて幽鬼のようになりながらも。
確かに二本の足で立っている、ケフカ・パラッツォの姿があった。
「なんてしぶとい野郎だ……」
呟き、ゼブラアックスを構え直す。
敵は虫の息だ。戦う力が残っているかどうか疑わしい。
だからこそ、今なら叩ける。
こいつは強力で膨大な魔力を行使し、殺戮に悦びを覚える魔人だ。
情けをかけてこのまま捨て置けば、何らかの手段で復活して更なる被害を出す可能性だってある。
そうなってからでは、遅い。
倒せるべきときに、確実に倒しておかなければならない。
そうしなければ。
フロリーナのような被害者と、自分のような感情を抱える人が増えることになる。
それは、阻止しなければならない。
あんな想いを、広げさせてはいけないのだ。
一歩一歩、ケフカへと近づいていく。
ケフカに迎撃の様子は見られない。
こちらに気付いていないのか、いたとしても反応ができないのか。
どちらにせよ、油断は禁物だ。
一気に決めるため、ヘクトルは斧を振り上げて、
「ダメ、ダメッ! お願い、やめて――ッ!!」
必死さと焦燥と懇願が入り混じった、聞き覚えのない少女の声が、聞こえた。
声に入り混じる感情はとても強く真っ直ぐで飾り気がなく、純粋だった。
それ故によく響きよく届きよく伝わる。
誰に向けられた叫びなのかは分からない。
だけど、ヘクトルはその声を受け取ってしまった。
一瞬、ほんの一瞬だけ、斧を振り下ろすのを躊躇ってしまう。
――その一瞬の隙に、ケフカが、バネ仕掛けの玩具のように、顔を跳ね上げた。
血液を垂らすその口が、微かに僅かに確かに動く。
紡がれるのは低く昏く、そして力の宿る、言葉だった。
「――カオスを超えて終末が近づく……」
たったそれだけの声が、紡がれた直後。
一瞬で空気が張り詰め、そして、世界が血の色に染まる。
地獄の底に繋ぎ止められた悪魔の唸り声のような地響きを引き連れて。
ハカイが、その場に吹き荒れた。
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最終更新:2010年07月03日 11:32