アシュレー、『名』を呼ぶ ◆Rd1trDrhhU



 湿った風が、極彩色の布をすり抜けて肌を撫でた。
 僅かに感じられる潮の香りはいったいどこからやって来たのか、物真似師は飛空挺の往く先を遠望する。
 水色の空を泳ぐ白雲の流れは、いつもよりも少しばかり急いているか。
 やがて、地平線の向こうから姿を現した大海は、群青色。
 数秒ほどですっかり目の前に広がった大洋は、太陽に照らされるままにきらきらと瞬き続ける。

 彼の、その目に映る世界は、美しかった。

 真っ暗な洞窟の中よりも、ずっと。
 波から弾ける水滴の一粒までもが、彼が仲間たちとともに救った世界のかけらで。
 見渡すその景色すべてが、彼らの冒険の記録だった。

 顔を覆う布の中で、薄っすら笑みを浮かべる。
 こんな景色が見られるなら命を賭けた甲斐があったと。

「なぁ、船長」
 甲板に姿を現した人物。
 それが誰なのか、振り返らなくたって分かる。
 その目で確認するまでもなく、物真似師のほかには一人しかこの船には乗っていない。

「…………ん?」
 飛空挺の操縦をほったらかしにして、船長である男は風を楽しみにきていた。
 それを非難するものなどはどこにもいない。
 この青い空では、この男は誰よりも自由なのだから。
 そんな彼に、副船長は抱き続けていた疑問を投げる。

「なんで俺を空に誘ったんだ?」
「……お前が一番、暇そうだったからな」
 そう答えて男はカラカラと笑う。
 あながち冗談と言うわけではないのだろう。
 世界を救った仲間の中で、やることがないのは彼くらいなものだ。
 自分と全く同じトーンで笑う魔物の背中を追い越して、ギャンブラーは船の先端を目指す。
 海風が、銀色の長髪を巻き上げた。

「それによ…………」
 直後、振り返った男の口から発せられた言葉。
 それもまた、真実。
 風に消えそうな言葉は、しかし確かな輝きをもって、魔物の目に映る景色を希望の金色に染めあげた。


◆     ◆     ◆


「狭いんだな、意外と」
 そして、魔王オディオが催した殺し合いの会場に舞台は移る。
 ギャンブラーは、金属の匂いに眉をしかめつつも高揚していた。
 その操縦席は、飛空挺のソレと比べると随分と窮屈なつくりだ。
 だがしかし、そこには確かに巨大な船をも動かすに足る文明が鎮座している。

 彼が立っているのは、古の巨大兵器、ブリキ大王の中枢部だ。
 そう。このコクピットからの命令で目覚めるは、巨大なロボットなのであった。

 数十分前のこと。
 彼は行動すべきか、座礁船に留まるのかを決めあぐねていた。
 その背中を押したのが、ピサロという男の来訪。
 金髪の少年の仕掛けたものか。
 おそらくはそうなのだろうが、もはやそんなことはどうだってよかった。
 重要なのは、それで動かざるを得なくなったということだ。

 ピサロを前にしたあの状況で彼に提示されていた選択肢は二つ。
 この男と戦うか、手を組むか。
 交戦のカードを切った場合……彼とジャファルのコンビならば十中八九勝利できたであろう。
 彼らは二人組みで、しかも体調も万全。地の利だってある。
 対するは、彼と同じ銀色の髪を持つ魔族の王。
 この会場でも屈指の強者だったが疲労を極限まで抱えていた。
 ならば負ける戦いではない。

 しかし、問題となったのは、この殺し合い全体の状況だ。
 端的に言えば、『殺し合いに乗り気な参加者』が減りすぎていたのが問題だった。
 明らかに怪しい少年の誘いを切り捨てられなかった理由も、これ。
 ピサロを落とせば、強力なライバルが一人減る。
 しかしそれと同時に、彼らだけで残った参加者を撃破しなくてはならなくもなるのだ。
 遺跡に篭城している二人組が討伐隊を壊滅させてくれる可能性もなくはないが、望みは薄い。
 さらに、ルカ・ブライトに打ち勝ったパーティも未だ健在という有様である。

 だから、彼は魔族の王と手を組むほかない。
 しばしの長考の末に、ピサロと共に遺跡に向かうことを彼は決めた。
 それがたとえ、ジョウイ少年の思惑通りであったとしても。

「さすがに、筋書き通りってのも癪なんでな」
 操縦席に座る。
 しばらく主を失っていたシートは冷たく、それがまた彼の胸を高鳴らせた。
 ジャファルたちと別行動をとってまで、彼がここに来たのには理由がある。
 賽を振りなおすためだ。
 少年の用意した道を進むならば、これから振る賽の出目も彼に用意されている可能性も否定はできない。
 生粋のギャンブラーである彼にとってみれば、それだけは絶対に許しがたいことである。

 ならば、少年の予想しえないシロモノを持っていけばよい。
 彼の知らないはずの要素で、その予定調和を揺らすのだ。
 その立役者こそ、この機神。

 だが、主役はどうも乗り気ではない様子だ。
 とりあえず操縦桿を握ってはみたものの、巨大な兵士はなんの返事もしない。
 周辺を見回してみたが、その他にスイッチなども一切見当たらなかった。

無法松の言った通りか……」
 勝負師は、楽しげに笑った。
 この後に訪れる山場の予感に。
 ここまでは想定内のことだ。
 ただ席に着いただけで目覚めてくれるほど、鉄の巨人は甘くないだろう。
 先ほど息絶えた男の話では、この古代兵器は強い思念受け取って動くようだ。
 それは、アキラという名の少年が持っているらしいテレパシーの類の能力のこと。
 ブリキ大王を動かすに足る集中力を得る方法は、それ以外にないと無法松は言った。
 しかし、ギャンブラーは、その結論には同調しない。
 個人にしか使用できない兵器をオディオがわざわざ用意するとは思えなかったからだ。

「強い思念で動くんだな? 強い思念で……」
 男は目を瞑り、操縦桿を強く握った。
 そのまま、強く念じる。
 殺し合いのことや、夢のこと……無限に広がる空のこと。
 さぁ動け、と命令を送り続けた。
 延々と。その人生のすべてを込めて。
 眠れる王を天へと誘う。

 だが、それでも、ブリキ大王は応えない。
 それどころか駆動音の一つも鳴らしてくれはしなかった。

「そうかい。……そうかい」
 嬉しさの中で、少しだけ悔しそうに。
 額の汗を拭って、大きく溜め息をついた。
 誰よりも強いと自負していた、その意思が届かなかった事実に歯噛みする。
 それでおしまい。
 この椅子に座る資格を、彼は失った。
 ……本来ならば、そのはずである。

「だったら、これしかないか」
 余裕じみた笑みの中で、その双眸だけは貫きの槍よりも鋭い。
 彼は全身の意識を集中させると、体内の魔力を活性化させはじめた。
 もとより、ただ念じただけで動くとは思ってはいなかった。
 それでも挑戦したのは、自らの大志を試したかったから。
 結果として敗北してしまったわけだが、それくらいで挫ける彼ではない。
 次なる手段。というよりも、本来とるべきであった方策へと移行する。

(強い意志、だな)
 彼が無法松から聞いた話では、必要なのは集中力だ。
 それも、人間が正気を保っているうちでは不可能なレベルの。

 さて、ギャンブラーは知らないことだが、無法松もかつてこのブリキ大王の起動に成功した男のひとりであった。
 マタンゴという名の幻覚作用のあるキノコを大量に摂取し、一時的に脳波を増幅させたのだ。
 簡単そうに聞こえるだろうが、その代償として彼は命までもを失っている。
 そこまでしなくては、この眠れる破壊神は覚醒しないはずであった。

 しかしそれは、『無法松の世界』に限った場合の話。
 世界が違えば、常識も異なる。
 ある世界では最強のはずの存在も、他の世界の人物にあっけなく殺されてしまうことがある。
 ある世界の正義だって、別の世界では悪と定義されてしまうかもしれない。
 世界が違えば、この兵器を動かす抜け道は存在する。
 だからこそ、オディオはこの兵器を会場に設置したのだ。
 アキラという少年にしか扱えないものではないのだから。

「俺の魔法で、飛べ」
 魔法をかける対象は、ブリキ大王ではなく彼自身。
 これは、術者を『ブリキ大王を動かせる状態』にするためのものだ。

 彼の世界には様々な状態異常を引き起こす魔法が存在する。
 たとえば、沈黙。一切の声が出せなくなり、魔法の詠唱が不可能になる状態。
 暗闇。視界が悪くなり、敵を捕捉するとこが困難になってしまう状態。
 混乱。敵味方の区別もつかないほど錯乱してしまう、集中とは真逆の状態。
 そういった状態異常の中で、ひとつだけ。

 ある一つの感情だけが増幅した状態。
 他の無駄な意思をすべてそぎ落とし、たった一つの思考しか存在しなくなる。
 デメリットも多いが、それは紛れもなく集中状態だ。

「バーサク」
 唱えた瞬間、セッツァー・ギャッビアーニの身体が真紅の光に包まれる。
 彼の脳波が魔法の力で制限され、そして一部分だけが増幅される。
 その淡い輝きを浴びて、沈黙していた巨兵がついに息を吹き返した。
 古の翼、ブリキ大王の起動が今ここに成功する。
 それは、無法松の決死の覚悟に比べれば、あまりにも手軽で……そして安全な方法だった。

「さて、行くか……」
 この起動法には二つの問題点がある、
 まず、バーサク状態には時間制限があるということ。
 それに関してはさほど問題ではない。
 この魔法自体はそれほど魔力を要するものではないのだから、効果が切れたらかけ直せばばいい。
 重大なのは、もう一つの方だ。

「……戦いによ」
 この魔法によって増幅される感情が、闘志であることだった。


◆     ◆     ◆


ちょこ、届くか?」
 大地の裂け目に伸ばした掌で、小さな温もりを包み込む。
 掴んだ手首の儚さは、握り締めたら砕けてしまいそうなほど。
 取りこぼさないようにと、アシュレー・ウィンチェスターは優しく少女を引っ張りあげた。

「んしょ……ふいー、涼しいのー」
 夜風を小さな頬に受けながら、ちょこは背筋を伸ばす。
 彼女の頭のてっぺんで、小さく結えられた髪の毛が楽しそうに揺れる。
 洋服に付着した土を叩き落とすと、少女は大きな両目をパチクリとさせて周りの景色を見渡した。
 けれど、夜の山は四方八方がすべて漆黒。
 つまらなそうに頬を膨らませて空を仰げば、その瞳に黄色い月が写りこむ。

「綺麗な空だな」
 ちょこに続いて、大地の裂け目から這い出てきたのは物真似師、ゴゴ。
 全身に布を纏った彼は、その素顔すらも他者に見せることはない。
 それでもアシュレーたちは、素性も種族も謎に包まれた魔物のことを信頼していた。
 一日にも満たない付き合いとはいえ、共に数々の死地を超えた仲である。
 些細な隠し事など、彼らの信頼にはヒビの一つも入れることすら出来なかった。

「空なんか見てる場合じゃないぞ、船はすぐそこだ」
 地図と睨めっこをしたアシュレーが、個性的な二人を諌める。
 彼は青い髪をかきながら、目的地までの道筋を再確認していた。

 ここは、会場中央部にそびえる山の上。
 彼らは座礁船を目指して歩いていた。
 そこに人が集まっている可能性があるからだ。
 仲間の一人であったトッシュに聞いた話では、無法松という男が殺し合いに反発する者たちを集めているらしい。
 そのトッシュも今は亡く、発案者である無法松とやらも先の放送でその死が確定してしまった。
 それでも、誰かひとりでもそこで待っているならと。
 彼らは男たちが示した標を頼りに進んでいる。

 まず彼らは、地中を進むという特殊な機能を持つフィガロ城で、地下の古代城まで移動した。
 その際、F-4にある禁止エリアを通ることが懸念されたが、よく考えれば古代の城からG-3に移動するときにも同じルートを通っていたのだ。
 過去にそこを通過したときには、アシュレーたちの首輪は無反応であった。
 城の潜行モード中は禁止エリアは無視されるのか、そもそも地下では首輪が機能していないのか。
 どちらにしても、古代城を目指すうえでは、禁止エリアはまったく障害にならなかった。
 そして、地下の城付近に到着したら、その地点の天井部に走っている裂け目より地上に出ることができる。
 その出口は普通ならば届かないような高さにあるのだが、フィガロ城の天井からならば話は別だ。
 ちょこの魔法を駆使して飛び上がり、彼らは難なく夜の山頂にたどり着いた。
 ここまで来れば、あとは山を下って北の町や座礁船を目指すだけである。

「誰か、座礁船に来ていればいいんだけど……」
 安全そうなルートを確認し、アシュレーが顔をあげる。
 月光に照らされたその表情は、さすがに晴れやかとはまではいかなかった。

「仲間も随分減ってしまったからな」
 その心中を察し、ゴゴが言葉を継ぐ。
 アシュレーの物真似をしている彼にとっては、造作もないことだった。

「あぁ。残っているのは、マリアベルと……アナスタシア……」
「…………おねーさん……」
 アナスタシアの名に重なって、少女の悲しげな声が。
 かつて世界を救いし英雄は、この殺し合いに乗ってしまっている。
 剣の聖女には今や戦う力はなく、彼女はちょこを利用することで殺し合いに勝ち残ろうとしていた。
 信じていた人が実は自分を利用していただけなのだと知った少女のショックは大きかったであろう。

 それは、聖女の抱えていた苦しみを知っていたアシュレーとて同じ。
 彼女がオディオの甘言に惑わされていたなど、とても信じがたいことであった。

「まだ、やり直せないわけじゃない」
 物真似師の手が、少女の頬を撫でる。
 夜風よりもずっと暖かいものだ。
 むず痒そうに目を瞑る少女に、ゴゴは優しく語り続けた。

「生きているなら、やり直せるさ。何度でも……」
 遠き星空の真ん中で、仄かな光を放つ星を見つけた。
 それが、夜天へと還った男であれと、魔物は願う。
 少女も同じ三等星を見上げ、そして同じ人物を投影していた。
 アナスタシアがちょこに繋がりを求めていたのならば、まだやり直せるはずであると。
 ……あの男のように。

「ゴゴ……」
「そうさ、あいつだって……」
 魔物の見上げていた黒き星空は、今だけは果てなき青に染まっていることだろう。
 彼がいつか飛び回った、あの空の色に。

「セッツァー、か」
 アシュレーの声にも振り向かず、人ならずものはただ頷く。
 彼は世界を救った後、セッツァーと共に飛空挺で世界を旅していたのだという。
 あてのない、放浪を。
 その思い出を、彼は本当に楽しそうに話していた。
 だからこそ、その仲間が殺し合いに乗っていることに対しては、随分とやり切れない思いがあるはずだ。

「僕はあいつを信じている」
 心配そうな二人分の視線を背中に浴びた魔物は、彼らを安心させたいかのような強い口調で答えた。
 吹きこむ風が、少しだけ熱を帯びたような気がして、アシュレーは南の空へと視線をやる。
 そこには何かがあるはずもなく、相も変わらず殺し合いの会場が、誰かの血を欲するかのように広がっていた。

「この声は、あの空に必ず届くと」
 それは、誰よりも仲間を想い、何よりも人間を愛した魔物の誓いだった。

「信じている」
 朝日を待つように、それでいて夜を慈しむように魔物は空を眺めて、小さく溜め息をつく。
 そして、仲間たちを見据えては目を細めた。

「行こう」
 アシュレーが笑顔で促し、彼らは北へと歩みを進める。
 そこにかつての仲間や、まだ見ぬ人物がいることを求めて。
 彼らは往く。
 殺し合いを打開するための光を灯すために。




「あれは……?」
 彼らが山を降りたころ。
 北の空より飛来する物体がひとつ。
 最初に反応したのは、ゴゴだった。
 暗き地平に浮かび上がった影に、目を凝らす。
 その目が驚愕に見開かれたのは、数秒後のことだ。

「なにか来るぞッ!」
 ゴゴの声に、残る二人も身構える。
 アシュレーが、疲弊したちょこを庇って前に出た。
 そして、出現したモノの全貌を見据え、息を呑む。

「なんだ……これは……」
 二本の脚で華麗に『着地』したソレは、人間を模した巨大な何か。
 金属製の巨人を前に、アシュレーは宇宙人トカの作りし最高傑作を思い起こした。
 身体を竦める二人をよそに、少女だけは巨大な機械に目を輝かせる。
 もっと近くで見ようとした彼女の襟を掴んで、アシュレーは無言で後ろに引き戻した。

 コレは、味方なのか、それとも……。
 確認するためには、危険だと分かっていても近寄って対話を試みるほかない。
 その役目を買って出たのは、物真似師だった。
 自分が行く、と仲間に背中で伝え、巨兵と目を合わせたままでゆっくりとにじり寄る。

「僕たちに戦う気はない、だから…………ッ!」
 ゴゴの言葉は最後まで紡がれることはなく。
 敵が放ったとび蹴りによって遮られてしまう。
 それが、鋼鉄の巨人の返答だった。
 身の丈からは想像できないほど速い動きで、ゴゴを踏みつけようとする。
 爆音と共に、大地が縦に凄まじいほど揺れた。

「ゴゴッ!」
 アシュレーの叫びをもかき消してしまいそうなほど土煙が舞い上がる。
 その量が敵の質量と蹴りの威力を物語っていた。
 アシュレーが慌てて駆け寄ろうとする。
 が、彼が踏み出すよりも先に、ゴゴが茶色の煙の中から姿を現した。

「大丈夫だ」
 濁った空気の先にいる敵を見据えたまま、ゴゴが答える。
 アシュレーは仲間の無事に安堵の溜め息をつきつつも、更なる攻撃への警戒を解くことはない。

「…………問答無用、か」
「みたいだな」
 ゴゴが槍を構え、アシュレーとともにこの状況の対処法を思案する。
 逃げるのは無理であろう。移動速度は明らかに相手の方が上なのだから。
 なら、戦うのみだ。
 しかし、力押しで敵うはずもないのは火を見るよりも明らか。

「操縦者を狙うか」
「……あぁ」
 結論はすぐに出た。当然だ。
 相方の物真似をしている魔物が異論を挟むわけもない。

「後方支援は任せたぞッ!」
「分かったの!」
 少女に背中を預け、両者はまったく同じ速度で走り出す。
 疲労の激しいちょこは、後ろで彼らの手助けに専念。
 長年連れ添ったチームかと思うほどに、彼らの息はピッタリだった。
 その絆は、どんな困難も打ち砕いてしまうくらいに。

 ゴゴは左から。アシュレーは右。
 両者は、二手に分かれて接近する。
 相手の狙いを分散させるためだ。
 その結果、鋼鉄が狙ったのはゴゴの方だった。
 先ほどと同じように、ジャンプからの蹴りを見舞う。
 対する物真似師は、横に飛びのき転がりながら相手の攻撃をかわす。

「ちょこッ!」
「おっけーなの!」
 敵の着地を刈るのは、ちょこの放った水球。
 弾き飛ばすことに特化した魔法だ。
 その威力は凄まじく、彼女の何十倍も大きな相手のバランスを大きく崩させ、その片手と片膝を地面につかせた。
 生じた隙をついて、アシュレーが敵の右わき腹を駆け上がる。
 ガンガンガンと、金属を蹴る音がリズミカルに響いた。

 だが、大人しく登らせてくれるほど敵も甘くはない。
 小さな青年を振り落とそうと、巨躯を揺らして応戦する。
 表面のメッキにしがみついて耐えるアシュレーだが、あまりの激しさに身動きが取れない。
 そこを狙って、巨人が彼を握りつぶそうと左手を伸ばす。

「させるか」
 その巨大な左手の上で、魔物がつぶやく。
 敵がアシュレーに気を取られているうちに、ゴゴも掌に飛びついていたのだ。
 片方が相手を引き付ければ、もう一人が不意をつく。
 今の彼らはまさに理想のコンビネーションを実現していた。

 ゴゴは、青き掌に全力で槍を突き立てる。
 本気で放った一撃だったが、ガンという鈍い音とともにメッキを剥がしたのみで終わった。
 ダメージは皆無だろう。
 それでも、アシュレーへの攻撃を逸らせることには見事に成功。
 それで十分。狙い通り。

 物真似師の存在に気づいた巨人は、左手首を大きくスナップさせ振り落とそうとする。
 ゴゴはそれに逆らおうともせず、自分から飛び降りて着地した。
 その隙に、アシュレーは肩口へと駆け上がる。
 肩の上まで到着すると、十中八九弱点であろう頭部に狙いを定めた。
 トカの忘れ形見であるバヨネットをしっかり構え、そこに魔力を充填。

「行くぞ。ファイ……」
 絶好のタイミングで焔を放とうとした。
 そのときだ。

「アシュレェェェェーッ! 避けろッ!」
 ゴゴの声が鼓膜を揺らせる。
 直後、彼の目に飛び込んできたのは、無数のミサイル。
 肩に登っていたアシュレーからは、敵の胸部より発射された弾頭が見えなかったのだ。
 空を突き進むロケット弾は、すべてアシュレーに狙いを定めている。
 つまりそれは、ロボットが自らの肩に攻撃するということでもあり、本体へのダメージも無視できないだろう。
 それを知った上で爆裂弾を放ったということは、必中を確信しているということだ。
 確実に彼を殺せるから、多少の損傷にも目をつむるのである。
 その確信は正しいようで、アシュレーが苦し紛れに放ったファイラは、数あるミサイルのうち一つを落としただけ。
 言わば、焼け石に水であった。

 だが、それでも。
 アシュレーは諦めない。
 こういうときに何よりも大事なのが、チームワークだ。
 彼はひとりじゃない。
 窮地を救ったのは紅き不死鳥。
 少女の放った魔法だ。
 焔の鳥は優雅に大空を舞いながら、すべての凶器を誘爆させていく。

「…………くッ!」
 直撃による即死だけは免れたが、至近距離での爆発はさすがに避けることが出来ない。
 アシュレーはダメージと共に吹き飛ばされ、大地に向けて落下した。
 その勢いを、竜巻が和らげる。
 おそらく、少女の物真似をしたゴゴが放ったものだ。
 突風に抱かれながら、傷だらけの青年はゆっくりと仲間のもとへ降り立った。

「……ぐ…………」
「……ごめんなさいなの」
「…………いや……あれが、あったから……助かったんだ…………」
 申し訳なさそうに目を伏せる少女の頭を、アシュレーが優しく撫でる。
 ところどころ焼け焦げているものの、彼の傷はそこまで深刻なものではない。
 駆け寄ったゴゴがケアルガをかければ、戦闘に支障はない程度には回復できた。
 されど、敵は健在。戦局は未だ不利なままだ。

「しかし、遠距離攻撃もあるとなると……」
「厳しいな」
 ゴゴの差し伸べた手をとって立ち上がる。
 攻め手の豊富な相手をどう攻め落とすか。
 それを思案しようとした二人を、少女の声が遮った。

「おとーさん、おじさん……あれ…………」
 ちょこの震えた声に、アシュレーたちは何事かと振り向く。
 ふるふると小刻みに動く人差し指は、天空を指していた。
 驚愕に支配された彼女の視線をアシュレーたちが追えば、彼らの瞳も同じ色に染まる。

「「…………うそ、だろ?」」
 搾り出すような二人の声が重なる。
 そこには、信じがたい光景が広がっていた。

 日付が変わってしばらく経ったが、未だ朝日が登る時間ではないはず。
 それなのに、彼らの見上げた空は何故だか薄青く光っていた。

 どういうことかと、彼らはよくよく目を凝らす。
 すると、背負った二本のジェットによる噴射で、低空に浮かぶロボットの姿を確認できた。
 つまり、この現象は太陽の仕業ではない。
 降り注ぐ青碧の光は、あの金属の身体を持つ巨人が発しているものであった。
 その輝きは徐々に強くなり、地上のアシュレーたちの全身にもピリピリとエネルギーが伝わってくる。

「あれを……放つっていうのか?」
 アシュレーが眉間に皺を刻む。
 あのロボットが何をしたいのか、大体予想はついた。
 アシュレーの手にした武器、バヨネットは内部に魔法を充填して発射する仕組みだ。
 今、上空で行われているのも、それと同じこと。
 ただ、規模が段違いなだけで。

 夜天に広がる青い力場。
 発射されれば、おそらくここら辺一帯が焦土と化す。
 彼ら三人のちっぽけな身体など、跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。

「そんなこと……させない……!」
 アシュレーは手にした武器を強く握り締める。
 怒りと、決意と、少しばかりの恐ろしさを篭めて。
 彼の想いを受け取ったバヨネットの内部に、魔力が渦巻いた。
 それを作った科学者が、アシュレーの手を握っているかのごとく。
 作り手の遺志すらも巻き込んだ魔力の奔流は、赤き焔となって大地に打ち出された。

「必ず、帰ってくる」
 ファイラが彼を青き空へと導くジェット噴射と化す。
 だが、中級魔法の威力などたかが知れていた。
 これだけでは敵のもとにたどり着くことなど到底できはしない。
 だから、今度も仲間の力が必要なのだ。
 彼の戦いはずっとそう。
 常に仲間と共に立ち向かっていくのだ。

「絶対だからね!」
 叫ぶのは、竜巻を放った少女。
 青年を死地へと送り出すための魔法だ。
 本当なら、行かせたくはなかったのだろう。
 それでも彼女が青年を止めなかったのは、彼の覚悟を感じ取っていたからだ。
 止めたって、殴ったって、どうせ彼は行くのだろうと。
 彼女は祈るような気持ちで、風に乗って舞い上がる青年を見送った。

「…………」
 その隣で、物真似師はぼうっと空を見上げていた。
 なにか大切なものを想っているかのよう。
 だけど、彼の視線の先にいたのは仲間の青年ではなく、敵であるはずの巨兵の影だった。




 少女の生み出した風と、自らが定期的に放つ魔法の勢いで、アシュレーは遥か空へと昇る。
 大切な仲間を護るために。
 倒れていったものたちと共に戦うために。
 この絶望の連鎖を断ち切るために。

「もう、誰も死なせない」
 その目に破壊神を捉える。
 自分の何倍もの身の丈の怪物だ。
 その周囲に展開された莫大なエネルギーは、アティのものと同じ波長の光だった。
 色こそは同じだが、そこに篭められた思いは全く異なる。
 彼女は、すべてを守るために。
 これは、何もかもを無に帰すための輝きだ。
 必ず、止めると。強く願う。

 それに応えたのは、彼の心で息づく女性。

「だから、あと一度だけでいい。ティナ、力をくれ」
 アシュレーの両手に光が宿る。
 その魔力の粒子は、彼女の髪の毛と同じ緑色だった。
 魔獣と人の間に生まれた少女。
 彼女は、常にその種族間で揺れていた。
 その女性の願いと、アシュレーの想いが同調する。
 人種も種族も住んでいる世界も関係なく仲間を護りたいという想いが。
 放つは、彼女の持っていた最強の魔法。
 彼女の世界を、仲間を何度も救ってきた希望の魔法。
 その名は…………。

「アルテマッ!」
 究極、の名を冠した一撃だ。
 緑色の衝撃が、青き絶望とぶつかる。
 必死に魔力を搾り出す彼を、その温かき魂で眠る者たちが支えていた。
 ティナが。
 アティが。
 ゼファーが。
 ルシエドが。
 彼の仲間が、彼に関係したすべてのものが、その背中を押していた。
 すべてを魔法に乗せて、アシュレーは撃ち出す。
 絶望の青を切り裂けと、すべてのものが天と戦う。
 だが……。

「…………ッ!」
 思いは、届かなかった。
 決死の魔法は、敵の攻撃に飲み込まれて……。
 次の瞬間にはあっけなく消えさった。
 原因は、彼の魔力だ。
 ティナと同程度のアルテマを放つには、アシュレーの魔力は圧倒的に不足していた。
 この青きレーザーと拮抗するには、最大級の魔術師が必要となる。
 魔力に特化していないアシュレーでは、どうあがいても無理だったのだ。

 無理だ。そんなこと、初めから分かっていた。
 敵わないことなど、彼だって最初から知っていた。
 でも、これしか手段がなかったのだ。
 何もせずに敗れるのだけは嫌だったから。
 足掻いて足掻いて、それでもダメだった今ならば諦めも……。

「く……そ……」
 いや、それでも、やはりこんな結末は受け入れがたい。
 あまりの悔しさに、胸が引きちぎれそうになる。
 だが、これ以上の抵抗などできるはずもなく。
 彼は青き怒りに弾かれて、全身を切り裂かれた。
 その衝撃の勢いのままに、陸へと吹き飛ばされる。
 先ほどと同じように。
 今度も、仲間は救ってくれるのだろうか。
 そんなことを考えながら、アシュレーはゆっくり気絶した。




「…………ここは?」
 目が覚める。
 全身は傷だらけだったが、なんとか生きながらえているらしい。
 寝そべった大地は冷たく、疲弊した肉体にはそれが随分と心地よかった。
 空からは、未だ青き光が降り注いでいる。
 どうやら、気絶していたのはほんの数分だけだったようだ。

「気づいたか、アシュレー」
 仲間の声に、アシュレーは首を起こす。
 後頭部から背中にかけて激痛が走った。
 刺すような痛みを堪えて声のした方を向けば、空を見上げる仲間の背中が目に写る。

「ゴゴ…………」
「アシュレー。よく聞いてくれ」
 今の彼は、誰のモノマネもしていなかった。
 一言聞いただけで、彼が素であると気づくことが出来た自分にアシュレーは感心する。
 違和感に気づいて、辺りを見渡す。
 そういえば、少女の姿がどこにもないではないか。
 どこに消えたのかと問いただそうとすると、物真似師の穏やかな声に先んじられてしまった。

「お前たちと共に戦えて、俺は幸せだった」
「…………何を言ってるんだ?」
 空では、青色がどんどん星空を侵食していく。
 もうすぐ、攻撃準備は完了するのだろう。
 そうなったら、彼らに存命する術はない。
 死んでいった仲間たちの遺志も、すべて光の中に消え去ってしまうのだ。
 だから、止めなくては。
 アシュレーは立ち上がろうとして、手足に力を込める。
 しかし、地球に張り付けにされたかのように、四肢はまったく動いてはくれない。
 止めなくてはならないのに。
 あの、ロボットを……。

 違う。

「もし、俺が……お前たちに刃を向けることがあるのなら」
「なぁ、ゴゴ……なに、言ってるんだよ……」
 そうではない。
 アシュレーがほんとうに止めたいのはゴゴだ。
 絶望を前に、まるで最期の別れがごとき言葉を述べるこの魔物を引き止めたい。
 胸騒ぎが止まらなかった。
 ゴゴは、『何か』を賭けようとしている。
 賭けるものが命をだけならば、構わない。共に戦えばいい。
 だけど、ゴゴのこの言葉は、それ以上の悪い予感を胸によぎらせるもので。
 まるで、命よりももっと、ずっと大切な何かを犠牲にするつもりなのではないかと。

「そのときは……」
「待て…………ゴゴ……待ってくれ……」
 縋るようなアシュレーの言葉は、勢いを増した青空の唸りにかき消されてしまう。
 声を張り上げようとして、その代わりに赤黒い血液を吐き出した。
 どうしようもない無力感が、彼の胸を締め付けた。

「俺を、殺してくれ」
「なあ……ダメだ…………ちょこが、悲しむ……ゴゴ……」
 一度だけ振り返ったゴゴは、左手を静かに口元へ添えて……。
 顔を覆う布の下半分をゆっくりと剥がした。
 露になった口元で、静かに笑ってみせると、またその顔を闇の中へと仕舞いこむ。
 それが、サヨナラを意味している気がして、アシュレーの両目から悲しみが滴る。

「ゴゴォッ!!」
 去り行く背中へ、やっとの思いで絶叫を搾り出した。
 けれども、それは青き夜空に掻き消えて。
 見上げれば、終焉がゆっくりと降下してきていた。
 もう、どうしようもないのかと。
 見ていることしか出来ない自分に、ふがいない英雄の様に、青年はただむせび泣いた。




 発射されたそれは、かつて世界を救ったはずの一撃。
 名を、ハロゲンレーザーという。




「………………すまない。アシュレー」
 彼は、天を睨んでいた。
 降り注ぐ絶望の光線と戦うために。
 すべてをかけて、抗うために。

 だけど、それは、残念ながら仲間を救うためではない。
 死んでいったものたちに報いるためでもない。
 ましてや世界を救うためなどでは決してない。

「憎悪よ、降りて来い」
 大きく息を吐き出し、ゆっくりと吸い込む。
 世界のかけらを体内に取り込むことで、腹をくくった。
 当然のことだが、今から彼が行うのはモノマネだ。
 しかしそれは、絶対にしないと決めていた人物のモノマネ。
 どれほど強い敵と相対しても、仲間が死ぬことになっても。
 これだけはぜずにおこうと、固く誓っていた。
 支払うべき代償が多すぎるから。

「この身も、思い出も、絆も、全部くれてやる」
 全身に、かつてないほどの力が宿る。
 ケフカもルカも、ロードブレイザーですらも軽く葬ってしまいそうな力だ。

「だがな……」
 ほんとうならば、大人しく死んでしまえばよかったのかもしれない。
 アシュレーとちょこと一緒に最期まで足掻いて、それでも無理ならば諦めもついただろう。
 けれど、彼は悩んだ末にその終わり方を否定する。
 ロードブレイザーとの戦いでも使わなかった、禁断の扉を開け放った。

「この青空だけは……」
 理由はひとつ。
 今、仲間を殺そうとしているのが、彼がかつて飛び回った青き空だったからだ。
 あの自由な世界は、セッツァーの誇りであった。
 それが、人を殺そうとしている。
 もっとも大切な仲間の、大切なものを、あのロボットは踏みにじったのだ。
 それが、たったそれだけのことが許せなくて。
 彼はすべてを捨てて、戦う。

「あいつの、セッツァーの空だけは」
 手にした槍を構える。
 彼は、この一本だけで、恐るべき破壊と戦おうとしていた。
 誰もが無理だと言うだろうその偉業を、しかし彼は出来ると信じて疑わない。
 その覚悟を受けて、握り締めた槍が金色に輝く。

「あの空だけは、渡さないッ!」
 天に向けて突き出した。
 槍の先端から金色の光が迸る。
 夜空も、青空も、いっぺんに両断してしまいそうな輝きだった。
 黄金色に輝く憎悪は、文字通り光の速さで天に昇る。
 雲を、空を、青き絶望をも切り裂いて。
 そして、高みから地上を見下ろしていたロボットを貫き、宇宙へと消えた。




 物真似師には、絶対に要求されるスキルがある。
 相手の心うちを見抜く技術だ。
 それができなければ、他人の物真似をすることなんて不可能なのである。

 この殺し合いの、一番最初でも彼はそのスキルを駆使していた。
 主催者がルール説明をしていたときのこと。
 誰かの首輪が爆発して、別の誰かが泣き叫ぶ。
 あるものは、怒りを燃やし、またあるものは戦いの予感に歓喜した。
 ゴゴの興味を一番引いたのは、主催者であった。
 彼が、なんのためにこんなことをするのか。
 なぜ顔色一つ変えずに人を殺せるのか。
 それを知りたくて、男の全貌を読み取ろうとした。

 垣間見た心に、戦慄した。
 今まで見た誰よりも、何よりも深き憎悪。
 人の形を保っているのが不思議なほどだ。
 ゴゴは二度と彼の真似だけはしないと決めた。
 もし、彼の真似をすれば、正気など保っていられない。
 愛した人間を憎んで、狂ってしまう。
 どんな状況になっても、誰が死ぬことになっても、それだけは止めておこうと。

 殺し合いが開始して、行き着いた花畑で、彼は心に鍵をかけた。


◆     ◆     ◆


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最終更新:2011年06月24日 20:13