人間が大好きだった壊れた物真似師の唄 ◆iDqvc5TpTI


問おう、汝は何者か

――■■■■、■■■■

その者は鏡であった。
対象の外見ではなく、内面を映す鏡だった。
かの者が大自然の中に身を置いたとき、かの者はその身にこの世の真理を宿らせた。
かの者が命なき物質と対峙したとき、かの者はその身に一つの歴史を宿らせた。
かの者が動物と共に駆け抜けた時、かの者はその身に力強き生命の息吹を宿した。
かの者が人間と手を取り合って過ごした時、かの者はその身に数多の心を宿らせた。

されど、それも今となっては昔の話。
一切の歪みなく、対象をありのままに写した鏡は。
その完璧さ故に、見るもおぞましい『闇』を写してしまったおりに、砕け散った。
なにものにも染まらず、されど、なにものをも写しとることができた、透き通っていた鏡面は、黒く、黒く、染まり果てた。

最早かの者は、鏡にあらず。
ただの硝子の破片に成り果てた。
脆く、鋭く、触れようとする全ての他者を傷つけ、自らも滅びに向かっていく、そんな救いようのないものに成り果てた。

「ルゥぉぉぉぉぉぉぉ……」
「っつ、なんだ、こいつは!?」

故に、ヘクトル達が誰一人、空間を跳躍し現れ、ユーリルを刺し貫いたかの者が、誰であるかを分からなかったのも仕方がない。
かの者に、アキラがアシュレーより耳にしていた万物全てに光を見出していた物真似師の名残は、もう残っていない。
見よ、幾重にも巻かれた布で覆い隠されたかの者の顔を。
そこに何がある?
“闇”だ。
ぽっかりと穴が開いている用に、底なき深淵の“闇”がフードの奥には広がっていた。
そして、その闇の中で、あるべきはずの肌色を置き去りにして、目と、口だけが浮かび上がっていた。
金色に輝く眼と、異様なまでに肥大化した口だけが、ぽっかりと。
王ならぬ身で模倣したオディオの憎悪が、かの者に人の身を保つことを許さなかったのだ。
狂気に歪んだ心は、肉体をも侵食し、生命の在り方さえ歪ませた。
かの者はもはやアシュレー・ウィンチェスターが命を賭けて呼びかけた存在にあらず。

「気をつけよ、ヘクトルッ! こやつ、首輪とデイパックが見当たらぬッ!」
「なんだと!?」
「え、でも、それっておかしいよ! あたし達、残る全ての人間を把握してるんだよ? そうでしょ!?」
「だったら、考えられるのは二つだね。一つはあいつが召喚獣であるってこと。もう一つは……」
「俺達にオディオがけしかけてきたモンスターっつうことか!」

ただの――モンスター《名前のない怪物》だ。

「nヒィ……nige……」

ゆらり、ゆらりと。
言葉にならない言葉に合わせ、金色のオーラがモンスターの全身から立ち昇る。
恒星の如く眩い黄金の魂に比べれば、登ったばかりの太陽の、なんと儚きことか。

「ニbnゲ;@.n……niguい……」

何を言っているのか、ヘクトル達には理解出来ない。
だが、モンスターが何をするつもりかは、吹き荒れる殺気で、嫌でも理解できる。

人間、死すべし。
人類、滅ぶべし。

そうだ、モンスターはその為だけに、オディオの空間を操る力を模倣し、このエリアへと跳躍してきた。
人間が最も集まっているこのエリアへと!

「ニィンゲェェェエエエンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!!!!」

“光”を“光”にて喰らう黄金の殲滅者が吠える。
モンスターが黄金色の殺意で彩られた必滅の槍を崩れ落ちる勇者の心臓から抜き、斬りかかって来るヘクトルへと打ち付ける。
何の技巧も凝らされていないただ魔力を載せただけの強打《パワーヒット》。
“勇者”と称され、ルクレチア一に輝いた人物の模倣とは思えない稚拙な一撃は。
外見からは信じられないほど手馴れた動作で槍を受け流し、懐に入り込んで一撃のもと斬り伏せんとしたしたヘクトルの斧の刃を。

塵一つ残さずに消滅させた。

「は?」

唖然。
然しものヘクトルも一瞬我を忘れる。
いやいや、ちょっと待て。
剣と槍と斧の三すくみはどうした?
斧は槍に強いんじゃなかったのか。
大体受け流し自体は成功しただろ。
だからこそ俺は生きてんだし。
だというのに、この手に握った斧に柄しか残ってねえなんてどういうこった?

「冗談きついぞ、おい!」

果たしてヘクトルが握っていたのが、アルマーズでなかったのは幸か不幸か。
もしも手にしていたのがアルマーズなら、モンスターのパワーヒットにも耐えられたかもしれない。
そうであるなら、そのままモンスターを両断できており、不幸にもみすみす勝利を逃してしまったこととなる。
けれどもそれは、あくまでも、アルマーズが先の一撃に耐えられていたらの話だ。
軽く触れただけで分子すら分解するほどの魔力が込められた戦槍。
そんなものを相手にしては、神将器といえどもただで済んだかどうか。
ありえたかも知れない切り札の破壊を免れたと考えれば、ヘクトルは幸運だった。

「退くんだ、ヘクトル!」

なればこそ、掴んだ幸運を逃がすわけにはいかない。
一瞬といえど無手のまま正体不明の敵に近づき過ぎてしまったヘクトルを救わんと、イスラがモンスターの注意を逸らす。
ヘクトルとは逆方向から斬りかかったイスラへと、モンスターは再び迎撃の槍を振るう。
その動作はやはり、お世辞にも洗練されたとは言いがたいものではあれど。

「ぐうっ!?」
「イスラ!」

先の一撃がまぐれではなかったと言わんばかりに、打ち合ったイスラを大きく吹き飛ばす。
ごろりごろりと大地を転がるイスラ。
その身体が禁止エリアへと投じられる寸前のところで、マリアベルが受け止める。

「大丈夫か、イスラよ!?」
「おかげさまでね。こいつのおかげで助かったよ」

ひらひらとイスラが振ってみせる剣に、マリアベルは目を細める。
“導かれし者”と刻まれた柄と、奇妙な形の刃を持つ剣。
目を覚ました時、ユーリルに武器を持たせたままでは危険だと武装解除するにあたって、その剣をイスラに託したのはマリアベルだ。
ロザリーから聞いていたのだ、天空の剣のことを。
アガートラームのように伝説に唄われた武器を死蔵させておく理由もない。
ヘクトルにアルマーズがあり、アナスタシアにはいざとなればアガートラームを渡せばいい。
他の面子は武器は不慣れだ。
ならキルスレスを回収するまでの繋ぎにでもとイスラの手に天空の剣は渡った。
ユーリルの人生を狂わした一因だと聞き、ややイスラは複雑な心境だったが。
おかげで今、助かったのは事実だ。
“魔王”の写し身の攻撃を防ぐという一点に関しては、アルマーズやアガートラーム以上に天空の剣は最適だった。

「で、こいつの本来の持ち主の方は?」
「危ない状態じゃ。流石は“勇者”、寸前で心臓への直撃は逸らしたみたいじゃが……。
 それでも、直接その身で味わったおぬしなら分かるじゃろ」

本来の剣の担い手を気にかけるイスラに、マリアベルが静かに答える。
思わしくない返事だったが、イスラとて想像はついていた。
伝説の武具越しに受け止めたイスラでさえこの様なのだ。
直撃を避けたとはいえ、生身でモンスターの一撃を受けてしまったユーリルが無事であろうはずはない。
恐らく、イスラを襲ったのと同様の衝撃波に、ユーリルの体内はずたずたに侵されてしまったのだ。

「アキラやアナスタシアに頑張ってもらってはおるが」
「アナスタシアに? 冗談きついんじゃないかい、それは」
「仕方なかろう。おぬしとて、護るべき対象を一纏めにして護衛の戦力を集中せぬ限り、あれ相手に護り抜けるとは思うまい」

ちらりとマリアベルが目をやった先では、アキラがユーリルの意思を繋ぎ止め、アナスタシアが賢者の石で癒していた。
保身がかかっている以上、ここでアナスタシアもおかしな真似はすまい。
瀕死のユーリルの方が自暴自棄を再発させ、アナスタシアを害する可能性もなくはないが……。
モンスターの襲撃前のユーリルの様子からするに、ユーリルが既にアナスタシアを殺す気を失せていたように思えてならない。
楽観し過ぎだろうか。
アナスタシアの身は安全だと信じて、自分の気を楽にしたいだけだろうか。

「歯がゆいの……」

ぬいぐるみの中でマリアベルは歯を軋ませる。
ゴーレムを従えぬ身一つでは、親友一人の命すら他人に任せるしかない。
折悪く時は早朝、場所は屋外だ。
これまでの激戦で遮蔽物たる木々が薙ぎ払われた大地に、眩き陽光は悠々と降り注いでいた。
これでは、陽の光に焼かれるノーブルレッドたる少女はその力を万全には発揮できない。
運動を阻害するぬいぐるみなしで活動できない以上、今のマリアベルに誰かを護れる余裕はない。

「奴の動きを少しでも阻害するぞ! 俺が凍らした床に、あいつを押し出してくれ!」
「言われなくても分かってる!」

そうこうしているうちにも、アナスタシア達の護衛についてもらったストレイボウとニノが、モンスターに着々と手を打っている。
目論見通り、ストレイボウが凍らせた床に、ハイ・ヴォルテックで誘導されたモンスターは足を滑らせひっくり返った。
子どもだましの時間稼ぎだが、それでも、体勢を立て直したヘクトルが駆けつけるには十分な間だった。

「出し惜しみは無しだ、アルマーズ!」

頭をかち割らんと、入魂の一撃を叩きつける。
あいもかわらず嫌な感触が身体を襲ったが、無視する。
モンスターの常識離れした破壊力を体感していたからこそ、ヘクトルは一切の出し惜しみなくアルマーズの力を開放する。

「どおおりゃあああああああああああああああああああああああ!」
「滅biルゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

身を起こしたばかりながらも、迎撃するモンスター。
手にした槍にはヘクトルをしてアルマーズの破壊を想像せしめたあの力が寸分違わず込められてはいたが、いかんせん足場が悪い。
凍った大地の上ではふんばりなど利くはずもなく。
足運びなどという高度な技巧を覚えているはずもないモンスターは、再び、氷に足をとられる。
そのタイミングをヘクトルは待っていた。
全力で振りかぶった斧の軌道を、更なる全力で無理矢理捩じ曲げる。
縦に振られたはずの刃が、横に疾る。
モンスターは身を崩したまま、何とか、槍の柄で受け止めんとするが、それこそヘクトルの狙いだった。
確かにモンスターの攻撃力は脅威だが、得物が槍である以上、その破壊力は穂先にのみ込められているはず。
柄尻を使った武術も存在しはするが、どちらにせよ、柄はさほど驚異ではない!
伊達にペガサスナイトと共に歩んできたわけではないのだ。
ヘクトルは、槍という武器の利点も欠点も、知り尽くしている!

「うっしゃあああ!」

アルマーズが戦槍の柄を両断する。
否、破壊は柄だけに留まらない。
天雷の名の謂れを見ろと言わんばかりに、槍の端々に稲妻が走るように破壊のエネルギーが伝搬し、分かたれた戦槍が砕け散る。
無理な軌道変更の影響でモンスター自体には振れること叶わなかったが、十分な成果だった。
見たところ、モンスターは戦槍以外の武器を持っていない。
モンスターなのだから素手でも戦えるだろうが、それでも攻撃力の低下は免れえないだろう。
そうヘクトル達は判断した――ただ一人、イスラを除いて。

「!? あれは、まさか!? 駄目だ、ヘクトル、早くそいつを斬り殺すんだ!」

ヘクトル一人に前衛を任せてしまうのは負担が大きいと、再び前に出ようとしていたイスラが顔を強ばらせ警告を発する。
彼は見てしまったのだ、武器を失ったはずのモンスター、そいつが奇妙な服の合間から取り出した幾つもの碧色の欠片を。
碧、そう、碧だ。
イスラが忘れるはずもないその色は、彼が自らの手で破壊したはずの一つの魔剣の色。
この島にて生きとし生けるもの全ての命を拘束する破滅の色。

「さっきの首輪の!?」

イスラの警告にヘクトル達も気付く。
そうだ、さっきマリアベルの手により解体されたそれを見せてもらったばかりではないか。
ぎっちりと首輪に敷き詰められた魔剣の欠片。
モンスターが手にしているのは、なぜかは知らないが、まさしくそれそのものだった。

「くそが!」

訳もわからない不安に襲われ、ヘクトルは振り抜いたばかりの斧の刃を返す。
常識的に考えれば、本来の魔剣ならともかく、剣の形もなしていない魔剣の欠片なんて武器にはならないはずだ。
なのに、欠片を掴んだモンスターを前にして不吉ばかりが加速する。
駄目だ、あれを使わせてはならない!
脳裏をよぎった不吉な予感を打ち払うように、ヘクトルは必死に逆袈裟にアルマーズで斬り上げる。
だが、必死の一撃は、更なる必死の想いにて打ち砕かれた。
打ち砕かれてしまった。

「だめええええええええええええええええええええええええええええ!」

モンスターの挙動よりも僅かに速くアルマーズが唸りをあげんとしたまさのその刹那。
悲痛な少女の声を伴った水流が、ヘクトルを押し流し、刃の射程からモンスターを逃がしていた。
辛うじて、モンスターが手にしていた魔剣の欠片を打ち払うことはできたのだが。

「な!?」

続いて輝く光が降り注ぎ、水流でヘクトルが負ったダメージを癒す。
攻撃を邪魔してきたかと思えば、癒してきたという訳の分からない乱入者の行動に、混乱するヘクトル。
一体誰が何のつもりでと声のした方を振り返ってみれば、更なる混乱がヘクトルを襲った。

「ジョウイ!? それに、てめえは確かちょこ!?」

割り込んできたのはあろうことか味方であるはずのジョウイと、一度敵対したことはあれども殺し合いには乗っていないはずの少女だった。

「どうなってんだ!? なんで、そのガキがここに!? 
 いやそれよりもジョウイ、その傷はどうした、お前もこのモンスターにやられたのか!?」
「この傷は別件です! そのことについても説明したいところですが、今は、この人を助けるほうが先です!」
「人!? 人なんていねえだろ! どう見てもそいつはモンスターだろ!?」

本当に訳がわからない。
戦闘中にも関わらず、頭を抱えたくなるヘクトル。
けれども、衝撃とは重なるものだ。

「違うの。その人はゴゴおじさんなの! 人間が、好きで、好きで、大好きな、物真似師なの!
 怪物なんかじゃない! ちょこの、アシュレーおとーさんの、大切な仲間なの!」

これまでの混乱が軽く吹き飛ぶような真実を悲痛な声で少女は告げた。




問おう、汝は何者か

――ちょこ、誰かを護れる人になりたいの。独りにならないように。誰かを独りにしないように。

その言葉を、覚えてる。
一人じゃない、と。
ちょこはもう、独りじゃないと。
どんなときでも、ひとりじゃないと。
シャドウが、アシュレーが、ゴゴが。
少女を護ってくれた全ての父親が言ってくれた。

なら、ちょこはもう大丈夫だ。
一人ぼっちが嫌だと泣いていた幼子は、これから先、何があろうとひとりじゃない。
独りぼっちにはならない。
その小さな胸の中に、男達の姿が生き続けている限り。
ちょこは笑って、前へと進める。

この気持ちを、みんなにも知ってほしいと思う。
世界の果てで一人ぼっちで泣いていたおねーさんにも。
世界を救うい一人ぼっちになってしまったおにーさんにも。
一人ぼっちになんてなっていなかったんだって。
ううん、もしほんとに独りだったとしても、今はもう独りじゃないんだって。

約束があった。
世界を救う代わりに消えてしまった女性の処に遊びに行って、一緒にハンバーグを食べるという約束が。
伸ばした手があった。
世界を救って、けれども一人救われず、復讐に走った少年の心を救おうとして伸ばした手が。

約束はまだ叶っていない。
伸ばした手も握り返してもらっていない。

これからだ。
全てはこれからなのだ。
ちょこは笑って前に進める強さを得た。
けれどもそれは、他の誰かを置いてけぼりにして、進む強さなんかじゃない。
誰かの手を引っ張って、一緒に笑って進む強さだ。

だから少女はけじめをつけに来た。
人を殺しても幸せになんかなれないのだと、アナスタシアにも、ユーリルにも分かってもらって。
二人が抱えている本当の悲しみをちょこの方も理解して。
互いにごめんなさいを言い合って。
本当の意味で、手を繋ぐのだ。

「ジョウイおとーさん。アナスタシアおねーさんと、ユーリルおにーさんをお願い」

その為にも、二人は殺させはしない。
途中で出会って肩の切り傷を治してくれた青年に、二人を任せる。
舌足らずなちょこの言葉を解読し、慣れた手際でマリアベル達にゴゴについて説明してくれていた青年は、今も少女の心を汲みとってくてた。

「全てを失ったように思えても、幾許かの想いは手の内に残るんだ。だから……」
「うん、ありがとう、おとーさん。ちょこ、諦めないから」

そうだ、諦めてなるものか。
この両手がアナスタシアと、ユーリルと、手を繋ぐためにあるのなら。
この胸はゴゴを迎え入れるためにある。
けじめをつけて来いと少女を送り出してくれた物真似師を、今度はこっちから迎えに行こう。
刃を向けることがあるようなら殺してくれと頼まれてはいたが、そんなの知らない。
ちょこはいい子だけど、悪い子でもあるのだ。
納得できない頼みなんて、聞いてやるものか。
みんなで帰るのだ。
みんなでおうちに帰るのだ。

「じゃが、話を聞くにあやつは自らオディオになったのじゃろ。オディオに取り憑かれたというならともかく、それでは救いようが……」

言いよどむマリアベルにちょこは力強く首を横に振る。
泣き出しそうな顔で笑ってみせる。

「それでも、生きているなら、やり直せるの。何度でも!」

それは答え。
少女が人間を大好きだった物真似師から教えてもらった、とっておきの魔法の言葉。
そしてこの場にいる誰もにとっても答えとなる言葉だった。




「それでも、生きているなら、やり直せるの。何度でも!」

それは誰の言葉だったか。
自身が口にしたような気もするし、大切な誰かにも言われた覚えがある。
……大切な、誰か?
果たして、自分にそんな相手はいただろうか。
思い出せない。
思い出す必要すらない。

我が身に必要なのは力だけだ。
人間を滅ぼすという意思を実行するに足る力だけだ。

そして、その唯一必要な力さえ、今の自分には足りない。
血流の如く循環し続ける憎悪に対し、圧倒的に足りない。

だから、届かない。
目の前に怨敵がいるというのに。
憎んで止まない人間が群れをなして存在しているというのに、この手は一つとして命を詰み取れていない。

憎い。
ああ、憎い。
我が身を寸前のところまで追い込んだ、ぎらつく斧を手にした人間が。
その人間を殺そうとするのを、ことごとく邪魔をする輝く剣を手にした人間が。
二人の戦士を魔術にて的確に援護する二人の魔道士の人間が。
確かに槍で貫いたのに、往生際悪く死に損なった人間が。
放っておけばいいのに、その人間の生命を繋ごうと癒しを試みる三人の人間が。
憎い。
憎い。
憎いッ!
何よりもこの身が憎い。
渇いて止まない我が身が憎い。
人間どもを消し去ることのできない自らが憎い。

であるならば自我なぞ不要。
既にして、我が心は導火線に火がついたままの爆弾だ。
一度消せぬ火をつけてしまった以上、二度三度火をつけることの何を恐れるというのか。
失うことを恐れるようなものなど、もう何も残ってはいないではないか。
真に恐れるべきことはただ一つ。
この心が砕けてしまうより速く、この身体が敗北し、憎き人間どもの根絶が叶わぬことだけではないか。

更なる力を引き出すべく、今や己のものとなった憎悪の“魔王”の心の奥底へとアクセスする。
第一段階である心の読み取りで躊躇し、術技経験の読み取りを放棄した以上、更なる力を振るうにはこの手しかなかった。
人をして“魔王”とならしめたオディオの憎悪。
自殺するための最低限の自我を残しておくために、あえて不完全な物真似でとどめていたそれを。
不完全でありながらも、物真似師の心から、記憶を、絆を、安息を、輝く世界を奪ったオディオの憎悪の物真似を。
今、ここに、完成させ――

「ア……ァ…………が……」

壊れた。
みしりと音を立てて脳の一部が破裂する。
骨格は質量を持つまでに濃縮された憎悪に耐え切れず瓦解。
腐ったみかんが押し潰されるように濁った体液を撒き散らす。

「おじさん!」

誰かが心配そうに顔を歪めて駆け寄ってくる。
人間ではない、誰かの声だ。
どうでもいい。
人間でないのなら、どうでもいい。
人間を殺せるのなら、どうなってもいい。
この憎悪を向ける矛先は人間だけだ。

「ぎっ」

無関心に、無造作に、小さな温もりを振り払う。
心配など不要。
壊れた心には壊れた身体こそ相応しい。
人間への憎悪だけで動く我が身が、人間的なものであってはならない。

「ィィィ、あ」

より深淵により広大により限界に憎悪を引き出していく。
崩壊していく世界。
絶望が吹きつける世界。
人が立つことはおろか、生命の存在そのものを許さぬ憎悪の激流に押し流されるる。
吹きつける憎悪は鋼そのもので、肉体が圧し潰される。

「――ry、が」

眼球が潰れる。
背骨が背中を突き破る。
逆流する血液。
汚染されていく精神。
痛みなどない。
痛みを感じ、堪えようとするような人間的感情など、一度目の物真似で喪失していた。

「――ryあ、あ……」

溶ける、融ける、解ける。
怨嗟の声すら奪われる。
あげる意味もない。
この身が、我が存在自体が人間への憎悪により成り立っているのなら。
わざわざ声に出すまでもない

「――――――――」

白くとける。
身体も意識も無感動に崩れていく。
残っていた一厘の自分すら消えていく。
思考も肉体も削られて、段々と自分の存在が小さくなっていく。
感覚のない体、自分のものでなくなった心は、死を恐れない。
何が恐ろしいのかさえ、もう判らない。

ああ、そういえば。
一度してしまえば正気など保っていられるはずのない物真似。
力を模倣する前に自分も判らなくなって、誰かと交わした言葉さえ思い出せなくなる。
愛した人間を憎んで、狂ってしまう。
どんな状況になっても、誰が死ぬことになっても、それだけは止めておこうと。
そう心に決めていたはずの封印を解いたのは、一体何を恐れてだったか……。

僅かに浮かびかけた疑問もしかし、すぐさま憎悪に溶かされていく。

「――――――――」

モンスターは思い出せない。
自分が真に望んだ願いを。
自分が誰かを“救いたかった”ことを。
自分の手でその“救おう”とした誰かの命を奪い、“救われぬ”存在となってしまったことを。




問おう、汝は何者か

――今更かもしれない。俺にはそんな資格が無いなんて嫌なくらい分かってる。それでも、それでも! 
  俺は友でありたい。オルステッドの、カエルの友であり続けたい、今度こそ!

忘れられない言葉があった。
手放したくない言葉があった。

「罪滅ぼしのためでは無く、お前の意思で友を救えよ……」

口にしたそれは、俺にに真の新なる始まりの一歩を歩ませてくれた言葉。
あの別離の時、カエルがこの言葉を残してくれたからこそ、俺は贖罪のためだけでなく、新たな友のために走りだすことができた。
変わることを決意できた。
カエルの前で笑うことができた。

今もまたそうだ。
この言葉が俺を奮い立たせてくれている。
折れそうになっていた俺の心に火をつけてくれている。
目を逸らしたい現実と向き合う意志の力を俺に与えてくれている!

「――――――――ッ!」

見据えるは言葉をも忘れた憎悪の化身。
更なる力を発揮したモンスター、否、物真似師は素手にも関わらず、槍を持っていた時以上の力で、ヘクトル達を圧倒していた。
吹き荒れる嵐のように出鱈目に両腕を振り回しつつ走りぬける。
ただそれだけで、物真似師を抑えつけようと向かっていったイスラが吹き飛ばされ、ヘクトルとちょこが膝をつく。
ストレイボウ達が少しでも取り付く隙を作ろうと乱れ撃つ魔法に至っては、避ける素振りすら見せず、受け止めている。

強い。
あまりにも強すぎる。
これが憎しみの力か、これが憎悪の力か。

かつてストレイボウもまた憎悪を糧とし、力を得たことがあった。
言うまでもない、魔王山でオルステッドと最後の戦いを繰り広げた時がそうだった。
あの時のストレイボウは、その力に酔いしれていた。
これなら勝てる、この力ならこれまでの全ての敗北を覆し、オルステッドに勝てる!
そう確信できるだけの力を感じていた。

けれど、今になって理解する。
己が抱いた憎しみの力の、なんとちっぽけで、弱かったことか。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

物真似師ゴゴ。
ちょこの話では、彼はオディオの心を物真似したという。
ストレイボウがついぞ敵わなかったオルステッドの剣技でも、“魔王”となり得た時空をも制する魔法の力でもなく。
単にその心だけを真似たという。
しかも、垣間見た時点で、物真似師がそれ以上覗くのを禁忌とした以上、心の物真似すら不完全なものということだ。
不完全な心の模倣でさえ、人に人でいることを許さず、モンスターに変えてしまったのだ。
得た力の強さが憎しみに比例しているというのなら。
人の身でありながら“魔王”に変じてしまったオディオが抱いている憎しみとは、一体どれほどのものなのだろうか。
考えるだに恐ろしく、事実、不完全な写し身にしか過ぎない物真似師を前にしてでさえ、身体の震えが止まらない始末だ。

だけど。

想いの伝え方を教えてくれた女がいた。

諦めない勇気を灯してくれた男がいた。

仲間であることを誓ってくれた少女がいる。

共に弱さを克服しようと歩き出した少女がいる。

何よりも、だけどと言える、自分がここにいるっ!

「生きているなら、やり直せる、か……。俺もそう思う。そうだと信じたい。そうして見せる!
 俺は生きる! 生きて、生きて、生きて、やり直す! 贖罪のためだけではない。
 俺が変わるためだけでもない! 友情に報いるために。
 かつてオルステッドが抱いてくれて、そして今、カエルが捨てないでいてくれている友情の為にも!
 俺は、生きる! 生きて、生きて、戦い続ける!」

罪滅ぼしのためでは無く、お前の意思で友を“救え”よ。
その言葉に込められた真の意味を、漸くストレイボウは理解した。
アナスタシアとユーリルのおかげだ。
贖罪を成し遂げただけではオルステッドを救うことはできないのだと、二人の“英雄”が教えてくれた。
そして、ならば、どうすればオルステッドを救えるのかという答えも、既にストレイボウは教わっていた。

己の意思だ。
友を“救いたい”という己の意思――友情こそが、ストレイボウをしてオルステッドを、そしてカエルを救える唯一無二の力なのだ。

故に、答えを得た今、友の刃を甘んじて受けるべきだという考えは、ストレイボウにはもうなかった。
相手がオディオの化身といえど、殺されてなどやるものか。

「おじさん……」

名前を呼んで、手をつなごうとし、拒絶され、吹き飛ばされた少女を受け止める。
少女の身体といえど、弾丸のような速度で投げ飛ばされた身を受け止めるのは、痛くなかった訳ではないが、必死に顔には出さないようにする。
弱音なんて吐いてやるものか。
なすべきことはただ一つ!

「ちょこ、でよかったか? 君の言葉は俺に届いた。俺も俺の言葉を届けたい奴らがいる。
 手伝おう、俺も。そして、救おう。
 かつての俺のように、今のオディオのように、憎しみにとらわれてしまったあの物真似師を!」
「うん!」

カエルを、しいてはオディオを救おうというのだ。
オディオの化身ぐらい救えずして何とする!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

ブライオンを引き抜き、勇者バッジを握りしめる。
己の弱さと恐怖に立ち向かい、受け入れ、乗り越えようとするストレイボウを祝福するかのように。
“勇者”の剣とバッジは、一瞬なれど、確かに光り輝いた。



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最終更新:2015年08月24日 20:15