遥かなる理想郷 ◆SERENA/7ps



「ジャ、ファル……」

デジョネーターの直撃、そして追撃のセッツァーの槍。
倒れ伏して、ピクリとも動かなくなったジャファルを見て、遠巻きに見ていたヘクトルでさえ息がないことを確信した。
いけ好かない奴だったが、もう残った数少ない仲間の一人だったのだ。
もはや、最終防衛ラインの維持は不可能になったのだ。
絶望がヘクトルを支配する。

「んで、お前はまだ隠したままなのかい、ヘクトル?」
「な、何がだよ……」
「とぼけんじゃねえよ。 それともまさか、これから初夜を迎えるヴァージンじゃあるまいし、恥ずかしがってんのか?」

混乱した思考が、急激に働いていく。
あろうことか、セッツァーはヘクトルが奥の手を隠し持っていることを知っていたのだ。
図星をつかれたヘクトルは、その切り札を強く握りしめることしかできなかった。

神将器<アルマーズ>の完全な覚醒、それこそがヘクトルの切り札である。
初めに感じたのは、この島で初めてアルマーズを使った時のことだ。
まるで、アルマーズに飲み込まれているようなそんな感覚が、ヘクトルを襲った。
その感覚の正体を、ヘクトルはすぐに知ることできた。
これ以上使い続けると、ヘクトルはアルマーズに呑みこまれ、アルマーズそのものになってしまうと。
西方三島に赴き、初めて八神将が一人狂戦士テュルバンに出会った時に、テュルバンはこう言った。

我が名はアルマーズ、と。

闇魔法と同じように、絶大な力を手にするためにテュルバンは身も心も、天雷の斧に託したのだ。
対ネルガルの一派と戦うときは、ヘクトルの身にはそんな気配はまったく感じなかった。
使っていた時間があまりにも短すぎただけなのか、それ以外の要素が絡むのかは確かめようもない。
だが、いずれ自分はアルマーズそのものになってしまうというのは避けられない運命のように感じていたのだ。
アルマーズを手にしながらも、あえてゼブラアックスを使うことを選んだのはそのためである。
オディオを倒すため、そこに至るまでの障害を排除するため、更なる力を求めるヘクトル。
それは狂乱の斧によって、自分自身も破滅への道を歩むことには他ならない。
しかし、四の五の言ってられる時期はとっくに過ぎたのだ。
臨界点は突破し、ニノもジャファルも死んでしまった。
この期に及んでアルマーズ化を躊躇う理由が、ヘクトルにはまだあるのだ。



◆     ◆     ◆



言うまでもないが、ヘクトルはオスティア候であり、リキア同盟の盟主でもある。
そして、それこそがヘクトルが身も心もアルマーズに委ねることができない何よりの理由なのだ。

ヘクトルは二人兄弟の次男であり、長男ウーゼルはつい数か月前に死去した。
もしここでヘクトルまで死んだらどうなるか、結果は火を見るよりも明らかである。
誘拐されたか暗殺されたかでリキア内でも意見は分かれるであろうが、それは重要なことではない。

大事なことは、間違いなくリキアは再び揺れるであろうということだ。
新オスティア候と、キアラン候の孫娘の行方不明。
ヘクトルがオスティア候として公務についたのが精々数か月。
盤石の態勢を築くにはあまりにも時間が短すぎた。
後事を託す人材の育成もままならない状況だ。
さらにヘクトルはウーゼルの遺志を継ぎ、貴族などの特権階級が暴利を貪る社会を変えようと強引な構造改革を行っている。

その改革の到達点は真に平等な世界。
平民といえど、能力があれば誰でも出世できるような世の中を作るためだ。
そして、貴族のみに集まる富や食料を、もっと下の階級の人にも分配できるようにだ。
生まれが違うだけで、そもそものスタートラインが違う現状。
しかもそれは才能の多寡ではなく、血統などというあやふやなもので決まってしまうのだ。
優秀な平民はどれだけ優秀でも平民どまり。
対して、貴族は無能でもそれなり以上の地位や職業が確約されている。
こんなに馬鹿げたことがあっていいのか? いや、いいはずがない。
もっと平等な世界を実現させばならないのだ。

とはいえ、それが全ての人に受け入れられるかどうかといえば違う。
当然、既得権益を持っている人間側からすれば、そんなことは余計なこと以外の何物でもない。
ノーブレスオブリージュの言葉を持ち出すまでもなく、力を持った人間にはそれ相応の義務というものが発生する。
権力、財力、軍事力……富める者が富める者であるには、持たざる者への奉仕が義務付けられているのだ。
下につく人間は、そんな高貴なる者の施しに見合うだけの忠誠を尽くす。
持ちつ持たれつ……それこそが権力社会、封建社会における大原則であった。

しかし、その制度が成立してはや数百年。
そんな気高き理念はすっかり消え失せ、新たな価値観が生まれつつあった。
貴族はその志ではなく、生まれや血筋によって貴族であることを主張し、平民を自分たちに尽くすことが当たり前の奴隷と考える傲慢な輩も増えた。
富める者は貧しき者の財を吸い上げ、私腹を肥やす。
肥満に悩まされる者がいる一方で、痩せ細り骨と皮だけのような状態の者が貧困に喘ぐ。
そんな矛盾が罷り通る時代へと変遷を遂げていった。

けれども、ヘクトルも貴族社会そのものを否定する気はない。
時代が移り変わり、人々の考えや周囲を取り巻く社会情勢も変わっていくのだ。
時代背景を鑑みれば、当時はその制度が一番だった、ということだろう。
食物に限らず、制度もやがては腐り、腐臭を放ち、毒を持つようになる。
今こそそのカビの生えた制度を壊し、旧態依然とした権力にしがみ付く輩の襟を正さねばならないのだ。
あの手この手でそんな改革をさせまいと、ぬるま湯に浸かりきっていた連中は必死になっていた。
何もしなくても口を開けてさえいれば、食べ物も水も入ってくる。
何もしなくても懐に金が入ってくる。
それを当然としていた側からすれば、ヘクトルのやっている行為は悪鬼の所業にも思えただろう。
ヘクトルはそんな古い体制の老廃物とも言える輩どもと丁々発止のやりとりを繰り広げながら、少しずつ古い制度を壊していったのだ。

まだ前オスティア候ウーゼルが生きていた頃に開かれたリキア諸侯同盟会議。
そこでウーゼルは貴族制社会について痛烈な批判を行っている。
無論、批判の槍玉に挙げられた連中からすれば面白くはない。
このまま時流に任せるだけでは、いずれ自分らの生活水準が大幅に減退することは決まっているからだ。
しかし、ここでヘクトルが行方不明の報を聞けばどうなるかは誰の目にも明らかであろう。
彼らは難癖つけて、元の制度に戻そうとするに違いない。
そして、ヘクトルの遺志を継ぐ者も、ヘクトルのやり方を継ぐためにそういった連中と反目するであろう。
オズインやマシュー、セーラだってヘクトルの遺志は継いでくれるであろうが、敵がいかんせん多すぎる。
勤倹尚武を目指し、質素倹約を諸侯に命じてきたオスティアであるが、それに反発を覚えるものも少なくない。
特に貴族たちは、他の領の貴族よりも慎ましい生活を送らざるを得ない命令を強いられているのだから、不満を覚えている存在もいる。
最悪、質素倹約を名目に、オスティア家だけが富を貯めこんでいるとすら思われているかもしれないのだ。

そうなれば、完全に内乱への道しかない。
もうオスティアに直系の血筋を引くものはいないのだ。
分家筋からオスティア家の血筋を引いたものを擁立し、貴族制の維持を訴えるものと解体を求める勢力に別れて戦うしかない。

同じ国の民が大義を叫び、血を流しあうのだ。
誰も幸せになれない戦いをして、多くの人間が死んでいく。

そう、ヘクトルはもはやオスティアのれっきとした旗印なのだ。
代わりの人間のウーゼルがいた時と違い、ヘクトルは必要不可欠の人物になっていたのだ。
ヘクトルが死ぬとき、それは国が二つに割れるときに他ならないのだ。

それを誰よりも理解しているがために、ヘクトルは完全なアルマーズ化をすることができない。
一度はアルマーズの力に頼ろうとしても、最終的に半覚醒に留まったのが何よりの証拠だ。
ここで死ぬことを、大局的な視点を身に着けてしまったが故に承認することができない。
死んだ後に待ち受けているのを想像できてしまうが故に。
皮肉にも、オスティア候としての自覚の芽生えが、ヘクトルが捨石になって突貫することを容認しないのだ。
オスティア候弟の頃のヘクトルならばできたことが、今はできない。

ヘクトルにも、無二の親友エリウッドだっている。
親友がいなくなろうとも、親友の愛した土地と民を守ろうとオズインたちに加勢してくるに違いない。
エリウッドのことを信じてない訳ではない。
むしろ、友の危機に一番に駆けつけてきてくれるのは彼だと、自信を持って言える。
エリウッドはあの時の誓いを忘れるような男ではない。
そんな簡単に破れるほど、あの時の誓いは軽々しいものではない。
しかしながら、フェレの動員できる人員はあまりにも少ないのだ。
精強を誇るフェレ騎士団はネルガルの件で全滅しており、エルバートも死んでエリウッドによる新体制に移行したばかり。
そんなフェレの動かせる兵隊では、人数はおろか練度さえ期待できない。
いいや、そんなことより、フェレがオスティアの内乱に介入したとあれば、間違いなく貴族制の維持を訴える別勢力の介入もある。
そうなれば、オスティア領だけの問題ではなくなる。
戦火の火はさらに燃え広がり、リキア全体に火の粉が降りかかる。
それだけで済むならまだいい。
もっと最悪の方向に転ぶことだって十分にあり得るのだ。
相次ぐ盟主の死亡、そして内乱の兆し。

そんな状況を他国が見逃すはずがない。

前回の一件、エルバート達はなんとか何もなく事が済んが、今回は一体どうなるか想像もつかない。
二度の盟主の死亡という、内政の不安定さを諸外国に露呈してしまえばどうなるか、想像すると身震いすらする。
イリアは稼ぎ時とばかりに傭兵を送り込んでくるだろう。
それはいい。
サカはそもそも侵略という行為自体に興味がない。
まったくもって問題ない。
西の大国エトルリアはまだ安心できる方だ。
国王モルドレッドは名君と呼ばれてる程の人物。
よほどの大義名分がない限り、侵略はしない。
戦争とは大義名分が必要なのだから。
義のない戦など、モルドレッドも優秀な家臣群も許さないだろう。

だが、エトルリアに匹敵する大国、東のベルン王国。
これが最大の癌である。

現国王デズモンドは能力こそ凡庸だが、野心と我欲だけは人一倍強く、軍内部は腐敗の一途を辿っている。
反対勢力を次々に処刑し、残ったものは王に逆らうこともできない。
しかしだ、腐敗しているとはいえ、飛竜を駆る竜騎士団の勇猛さは未だ大陸一の実力。
おそらく対抗できるのはエトルリアのみであろう。
芸術の国エトルリアに対して、ベルンはエレブ大陸において質実剛健、そして最強の軍事力を誇っているのだ。
そんなベルンが内乱につけこんで、リキアの地を蹂躙するとなると一体どうなるか。
吹けば飛ぶような小領主、それがベルンとエトルリアに対抗するために、身を寄せ合うようにしてできたのがリキア同盟なのだ。
国を二つに割った状態で、ベルンに対抗できる戦力などありはしない。
リキア同盟は完全に崩壊だ。 

そして、ここまでくるとエトルリアも重い腰を上げざるを得ない。
リキアの地がそっくりそのままベルンの物になると、国力に大きな差がつく。
そして、ベルンの次のターゲットがエトルリアになるのは確定だ。
エトルリアもリキア援護を名目に、ベルンと戦うであろう。
いつの間にか一つの家の内乱から始まった戦いは、二つの大国の代理戦争にもなり得るのだ。
もはや戦争のうねりは留まることを知らず、エレブ大陸全土を巻き込んだものになる。
最悪のケースを想像すると、ここまでいってもおかしくはない。
ヘクトルの遺志も貴族制の是非も関係なく、ただひたすら流される血。
それは想定される限り最悪のパターンだ。

単なる被害妄想だと、人は一笑に付すかもしれない。
為政者に限らず、物事は常に最悪を想定するのが当たり前であるが、いくらなんでもそれは考えすぎではないかと。
なるほどそれは確かにそうであろう。
全てあり得る可能性ではあるが、そこまでの事態に発展することは天文学的な確率でしかない。
他の人はおろか、ヘクトルでさえそう思っているのだ。

では何故そこまでヘクトルは慎重になるのか?
答えは簡単。 慎重にならざるを得ない理由があるからだ。
エトルリアとベルンの戦争を嫌でも想起せざるを得ない要因を知っているがためだ。

竜の島。
そこで行われた最後の闘い。
古の火竜を倒したあとに倒れた八神将の一人アトス。
かの大賢者が今わの際に残した最後の予言が、今でもヘクトルの頭を離れない。



“凶星はベルンの地よりくる。
 その時、エレブの地は再び血にまみれることとなる”



大賢者アトスと狂戦士テュルバン。
八神将の内、二人に残された崩壊と死の予言。
それをその辺の似非占い師などと一緒のレベルで笑うことが、どうしてできようか。
これから先、エレブ大陸を揺るがす戦乱が確実に起こるのだ。
しかも、その戦乱はいつ起こるか不明なのだ。
100年先かもしれない。
10年先かもしれない。
たった1年後かもしれない。
ひょっとしたら、今ヘクトルたちがこうして戦っている、まさにこの瞬間に起こってしまったのかもしれない。

この最悪のケースを以て、大賢者アトスの遺した予言は成就し、見事に大陸全土を巻き込んだ戦乱の出来上がりだ。
ベルンより来る凶星、それはデズモンドによる侵略。
そして血まみれになるエレブの大地。
大陸全てが血まみれになる戦乱など、エトルリアとベルンの衝突以外にあり得ない。
二国の間に位置するリキア同盟がその余波を受けるのは必然ともいえる流れだ。

そしてその被害を一番受けるのが、力無き民なのだ。
家族や住む家や食べ物を失った人々の嘆きは天にも届かんばかり。
ヘクトルの目指した理想郷は、現世にできた地獄に変わってしまう。
それだけは断じて見過ごすことはできない。

では、翻ってこの問題の本質に目を向けよう。
ここまで内乱を大きくしてしまったのは誰のせいなのか?
答えは一つしか思い当たらない。

(まさか……俺と兄貴のせいなのか……?)

それが民のためになると、そう信じて反対勢力を押し切り、変革と再構築と人事の刷新を図った。
レイガンスのような選民思想を具現化した男には好きにさせないよう、少しずつ平民でも官職につけるように制度を改めていった。
だが、それは果たして本当に民のためになるのか?
いつか来る不可避の戦乱に備えようと、ヘクトルは富国強兵を目指した。
それはウーゼルの遺志を継ぐためであり、戦乱に備えるためであり、ヘクトル自身も貴族社会という息苦しい制度が苦手だったからだ。
誰もが公平に評価されるであろう世界を実現しようと、躍起になって合理化をしようとした。
しかし、その改革の行き着く先が今しがたの想像だとしたら、あまりにも酷いではないか。
結局はジャファルの言うとおり、強いヘクトルには踏みつけられる者たちの実像はまるで見えてなかったということなのか。

元々、リキア同盟など、生い立ちを考えればいつ戦争になってもおかしくはなかったのだ。
両大国の間に位置するが故に、二つの大国の文化の交流地点であると同時に、両大国が睨み合いをする時は必死に顔色を窺わねばならない。
そんな大国のご機嫌取りをし、大国の都合に揺れる危うい国の情勢。
リキア同盟は二つの大国の王に時に媚びへつらい、時に同盟を結んで、時に中立を保ち安定を得てきたのである。
だが、大国から見れば、狭い領地でも、そこにはたくさんの人々が生きている。
たくさんの人々の願いと思いがある。
受け継がれてきたものがたくさんあるのだ。
そうやって祖先が必死になって守ってきたものを、ヘクトルの代で潰すのか?
自らのエゴから生まれた押し付けがましい善意の結果が、こうなのか?

『いずれその蛮勇は、お前自身を滅ぼすかもしれぬぞ……』

またしてもアトスの言葉を思い出す。
豪胆と称されたヘクトルの蛮勇。
当時は褒め言葉でしかないと思っていたが、今にして思えば、この結末を予期していたものにしか思えない。
人の意見を聞かないが故に、独断で改革を断行できる。
しかし、逆に言えば、人の気持ちが分からないということでもある。
ヘクトルの改革は、やり遂げれば必ずや多くの者を救うだろう。
だが、ついてこれずに振り落されていった者たちも、それと同じくらいいるのかもしれない。
救われた人間と救われなかった人間が同じくらいいるとすれば、人々はヘクトルの身勝手さに振り回されただけではないか。

(いつから、俺はこんなに弱気になっちまったんだっ……!)

ヘクトルはこんな悪い方向にばかり考えて、思考を曇らせる性格ではなかった。
そんな難しい考えをするのはオズインやらに任せて、自分は泰然と構えて支持を飛ばすだけでよかったのだ。
だが戦乱を乗り切るためには、あまりにも内憂外患の要素が有りすぎた。
未曽有の国難を控え、それを乗り越えるにためには内にも外にも敵が多い。

(いつから、俺は死ぬのが怖くなってしまったんだ……?)

オスティアの民を守る領主ともなれば、簡単に死ぬことはできない。
しかし、前にも後ろにも進めない袋小路のこの状況では、臆病風に吹かれてしまったとヘクトルが勘違いするのも仕方ない。
国のためだ民のためだと言い訳して、自分は死ぬのが怖くなったのだと思考が向いても誰も責めることはできない。
結局、昔の自分が死ぬのは怖くなかったのは、ウーゼルという後ろ盾があったからこそなのだ。
ウーゼルという、偉大なる兄におんぶする形でしか、力を発揮できない卑怯者だったのだ。

セッツァーやピサロを倒したい。
しかし、そのためにはアルマーズの力を完全に引き出さないといけない。

何とか生きてオスティアに帰還し、国が乱れるのを防ぎたい。
しかし、アルマーズの力に頼ると、自分はもう戻ってこれない。

オスティアに住む、虐げられる民を救いたい。
しかし、それはヘクトルの上から目線による、一方的な救済でしかないのか?

いつか来る戦乱を防ぎたい。
しかし、その発端が自分だとしたら?

ああすればこうなる。
こうすればああなる。

考えがまとまらない。
ピサロとセッツァーの猛攻を受けながらでは、選ぶべき道も分からない。





せめて、後事を託すことができる人物がいれば、ヘクトルは心置きなくアルマーズと同化できたであろう。
破壊の暴風をまき散らす、一つの暴力装置になれたであろう。
だが、そうはならなかった。
ヘクトルがそうと見込んだ人物は死んでしまったのだから。





今更だが、ジャファルに対しても、心の底から信じることはできなかった。
ニノが信じるジャファル、という形でしかジャファルに信頼できなかった。
フロリーナとリンを殺したジャファルを、完全に許すことができなかった。
いつかまた裏切るのではないかと、不安を拭い去ることができなかった。

清濁併せ持ったその人物像こそが、ヘクトルの魅力であった。
しかし、その高潔とは言えぬが、人を引き付ける才のあった在り方が、今のヘクトルには感じられない。
イスラやストレイボウを引き付けたあの背中が、今のヘクトルにはない。

ニヤニヤと、セッツァーはヘクトルの苦悩の様子を眺めていた。
そう、ヘクトルが最も嫌いとする全てを見下すかのようなあの表情だ。
まるでヘクトルの苦悩する表情を肴にして、楽しんでいるかのようにしている。
ピサロはそんなセッツァーの悪趣味に嘆息しながらも、付き合っている。
完全に舐められている。
敵は完全に攻撃を中止して、ヘクトルがどういう行動に出るか待っているのだ。
どんな行動に出ようが負けることはないと、そうセッツァーもピサロも言っているのだ。
だが、そんな相手の態度にも、ヘクトルはイラつくどころか情けなさと不甲斐無さの方が先に立ち、動けない。
挑発と侮蔑に対して、怒りで返礼することもできない。

(何をやっているんだ俺は……!)

燦然と輝くリキアの盟主は、地に墜ちてその輝きを失う。
生まれてから今まで、こんなに惨めな思いをしたのは初めてだ。
こんなにも自分が弱いとは、思いもしなかった。
都合の悪いことから目を逸らし続けてきたツケを、この場で払わないといけないのか。
残りすべての人間が集結したこの最後の戦い。
その土壇場に来て、ヘクトルは武器を手放すという最大の愚を犯してしまった。
全身の感覚が消えてなくなる。
ついにはアルマーズすら手放し、棒立ちになってしまったヘクトル。
そこにいるヘクトルは、もはやヘクトルという死体でしかない。
心臓も動く、脳も腐っていない、思考もできている、血液は今も全身を循環している。
だが、『それだけ』だ。
ヘクトルと死者の違いなど、それくらいしかない。
戦うこともできない、生き残る努力も放棄してしまったヘクトルは死体と何一つ変わりない存在だ。

(何が俺は強いだ……何が理想郷を作るだ……!)

遥かなる理想郷。
ナバタの里において、竜と人が共存するあの集落にヘクトルは強烈な何かを感じた。
過去の戦争を忘れ、手を取り合う世界に、ヘクトルは自身の領地の目指すべきものを見た。
だが、ヘクトルのやろうとしたことは恋に恋する少女のごとき紛い物でしかないのか。
地に足のついてない、理想論を語るだけの愚か者でしかなかったのか。

オディ・オブライトによってあちこち凹まされたヘクトルの鎧。
ヘクトルにとってみれば、その歪みや凹みは勲章にも等しい価値があった。
敵の攻撃を真正面から受け止め、後方にいる味方を守るのが重騎士の使命。
剣や槍で突かれるのが当たり前の、並大抵の覚悟では務まらぬ戦士だ。
そう、綺麗な鎧は臆病者の証。 敵の攻撃を受けてない証拠だ。 
ボコボコに変形してしまった鎧は、優秀な重騎士に与えられる誉れと同義であった。

しかし、今のヘクトルに、そんな重騎士としての誇りはもうない。
鎧についた無数の傷はもはや、誰も守れなかった敗残者のごときみすぼらしさしか感じられない。

(エリウッド……)
互いの窮地には、何をおいても駆けつけると約束した無二の朋友。

(リン……)
貴族のドレスよりも、風と地平線まで広がる草原が似合っていた少女。

(フロリーナ……)
好みのタイプではなかったのに、どうしようもなく愛した少女。

リーザ……)
助けられなかったどころか、逆に助けてもらった赤の他人に過ぎない少女。

ここまで負け続けた徹頭徹尾の負け犬。
死体と何も変わらない、哀れな敗残者。
ああ、でも。
それでも、まだ何かをできるとしたら。
この愚かなる指導者にもできることがあるのだとしたら。
この身を以て、生き残った仲間の血路を開く手段があるとしたら。





それは、アルマーズを使って敵を倒すことだろう。





アキラたちに後を託し、ヘクトルの精神は彼岸の彼方へと行く。
でも、それでもよかった。
セッツァーとピサロは危険だ。
セッツァーの言葉一つで人を揺さぶる話術と、ピサロの強大な魔力と剣技。
必ずや残った仲間の脅威となる。
ならば、その脅威を排除することこそが、ヘクトルの最後の使命。
何もせずに朽ち果てていくよりはよっぽどマシなことだ。
どうせなら、死に花を咲かせるのも一興。

(そうか、分かったぜ……)

今にして、ようやくリーザのやりたかったことが理解できたような気がする。
こうやって、リーザに助けられたヘクトルはまた誰かを助ける。
ヘクトルが助けた誰かが、また別の誰かを助ける。
そうやって、人の運命の輪は繋がっていくものなのだろう。
そうやって、人は人生の糸を紡いでいくのだろう。

手の感触を確かめる。
幸い、まだ使えるようだ。
心臓も、ちゃんと鼓動を続けている。
この情けない、死体のごとき自分の体に鞭を打つ。
最後の力を振り絞って、落とした天雷の斧を残った片手で強く握る。
すると、どこかで聞いた声がヘクトルの脳内に響いた。

<ひとたび我が力、手にすれば。 安らかな床で生涯を終えることはかなわぬ>
<お前の死に場所は、戦場。 血と鋼に満ちた狂乱の園となる>

アルマーズと名乗った狂戦士テュルバンの声だ。
しかし、その声はアルマーズに呑まれてしまった狂戦士の雄叫びとは違い、どこか穏やか声だった。
これからヘクトルのやろうとしていることを理解したがために、今もう一度この場で意志を確認しているのか。
丁寧なサービスに、ヘクトルは少し苦笑した。
この声に身を委ねれば、もうヘクトルは帰ってこれない。
戦場を求め、ただひたすらに破壊を繰り返す暴虐な戦士と成り果てるだろう。
ヘクトルは大きく深呼吸する。
ようやく決断したヘクトルに合わせて、セッツァーとピサロも戦闘態勢に移りだした。
今は、そのセッツァーの余裕がありがたかった。

(見ていろセッツァー、その傲慢さと余裕がてめえの敗因だ)

ヘクトルが死体同然となったときに殺せば、こんなことにはならなかったのだ。
その千載一遇のチャンスを逃してしまったセッツァーに、この一手でお返しする。
セッツァーの敗因は、自分こそがこの世で最も自由だという増上慢。

(俺は……)

あのネルガルとの戦いでさえ、出すことのなかった奥の手。
その天雷の斧の秘中の秘を今使うために――

(俺はぁぁぁぁぁっ!!)

アルマーズの力を――


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141-1:Disintegration ピサロ NEXT▼141-3:『そうはならなかった』お話
セッツァー
ヘクトル
ジャファル



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最終更新:2012年01月31日 23:01