為すべきを成すべき時 -Friend's Fist with Brave-(前編) ◆wqJoVoH16Y


燃えている。森が燃えている。
かつて自らが隠棲していた森が、不味い味しかしなかった酒器や動植物たちと共に燃えている。
燃えている。城が燃えている。
かつて自らが登城した城が、古くありながらも堅牢を讃えた城壁が、誇り高きあの国旗が燃えている。
その紅い世界に、胸を締め付けられていた。
胸の内から湧き上がる感情がそのまま呪文となって、水の魔力へと変換される。
消さなければ、何もかも燃え尽きてしまう。
だが、水は一滴も出ることはなく、変わりに出たのは黒い焔だった。
火は加勢を経て燃え上がり、山を、橋を、何もかもを燃やし尽くそうとしていた。
やめろ、やめろと声を張り上げる。だが、轟炎の音に阻まれ、その声は自らの耳にすら届かない。
響くのは燃え落ちる木々の割れた音、己が脂を燃やしてのた打ち回る兵士の叫喚。
そして、醜いカエルの笑い声だけだ。
何故、と耳を穿つ声は、どうしようもなく自分そつくりで、耳を塞ごうにも手は動かない。

――――お前の願いだ。お前が叶えた、お前の願いだ。
――――殺すと決めたのだろう。国を守ると決めたのだろう。
――――そのための私だ、そのためのお前だ。

ああ、そうだ。そうなのだ。
消すための呪文が口から出るわけがない。燃やしているのは俺なのだから。
耳を塞げるわけがない。笑っているのは、俺なのだから。

護れる訳がない。殺したいと願ったのは――――俺なのだから。

願いの為に、省みた一切を切り捨てた。そんなものを背負ったままでは、とてもではないが剣を振れないから。
騎士たる誇りを捨て、かつての仲間を斬り、新たな友を捨て、ここまで進んできた。
それよりも重いものを持つためには、捨てざるを得なかったのだ。

捨てて、捨てて、何もかもを捨てて、俺は軽くなった。
だからここはゴミ捨て場だ。軽くなるために捨てたゴミの焼却炉だ。
黒天に白い灰が昇って行く。軽くなったのは俺か、それともあの灰か。

「『死んだのか、魔王。ゲラRaRaラ!!
  前に出るとは莫迦な奴原めが。“うっかり先に決着をつけてしまった”ではないかッ!!』」

喉が鳴る。また一つ軽くなったこの身のなんと滑稽なることか。
今更過ぎて、あまりにも馬鹿馬鹿しかった。

周囲を見渡せば、伽藍堂の荒野。
いつのまにか、もう、俺が俺であるためのものすら無くなっていたのだから。
後悔はない。それでも、それは確かにここより生まれた願いだから。
だからもう願いしかない。俺すらなく、ただ願いの為に燃え尽きるまで燃え続けるだけの焔。
たとえそれが誰が願ったのかすら分からない願いだとしても。
ただ、それでも白き灰雲に、茫洋と思ふ。
そこにいる誰かよ、識っているのならば教えて欲しい。

「『さぁさ、順列が逆転したが構うまい。続けようか旧い宿敵、せめて新しい宿敵ほど無様に燃え堕ちてくれるなよッ!!』」

この胸を締め付ける寂寥感、それを堪えてでも為さんとする成すべき事とは、一体。
一体、こいつは、何を願ったのだ?


太陽が照らす荒野の上で、黒焔を舞わせながら剣戟が踊る。
紅蓮の振るう紅の暴君とアナスタシアの振るう聖剣ルシエドが無数の激突を繰り返す。
既に大蝦蟇の滅却は剣を通じて識るところであったが、消滅時の爆煙でアナスタシアはまだ気づけないはずだ。
ほぼ互角の打ち合いにも見えたが、それでも優劣を分けるというなら軍敗は紅蓮にあがる。
こと剣の技量だけで判断するならば、かつて騎士であった者“であった”紅蓮に、アナスタシアが劣れど勝ることはないからだ。
理に沿って急所を狙われる一撃に対し、アナスタシアは防御をするのが精一杯で反撃にまで移れていない。
「『気に要らんな。どうした聖女ッ、先ほどの濃厚な恐怖は何処の抽斗に仕舞ったッ!?』」
悪くない形勢。しかしそれに反して紅蓮に張り付いた笑顔は僅かに翳っていた。
災厄を前にして少女の涙の如く零れ落ちんとしていた恐怖が減っている。
なによりも、紅蓮を見据える瞳が少しずつその震えを収め、真っ直ぐに見抜き始めているのだ。
それは、戦理の優劣を超越してかつて焔の災厄だった紅蓮には何よりも面白くない事態なのだ。
「『後ろを気にせずしていいのか? 燻る灰の向こうでお前の護りたいものが失せているやも知れんぞ!
  守れずして生き残るのは、中々に辛いからなァ。胸を掻き毟られるかの如くにッ』」
効果は期待できないが、剣を揺さぶるため、紅蓮はアナスタシアを挑発する。
しかしてアナスタシアの視線、その切っ先が僅かに後方へ反れた。
挑発にではなく、“実体験を伴った”その言葉の中に滲む言いようもない何かに揺さぶられて。
「『反れたな莫迦がッ! 己が醜き姿に吃驚仰天、流れたるは紅い辰砂に油汗ッ!』」
紅蓮は2本の聖剣ルシエドの切っ先を紅の暴君で地面に押さえつけた。
二刀流が一刀流よりも優れているというのは素人考えだ。
刀の位置取り、剣閃の軌道を把握していなければ自分の左右の剣が互いを阻害することもある。
そして、相手が剣に達者であるならば、剣1本で二刀を殺すことすらできる。
アナスタシアが何に揺さぶられたかも理解することなく、紅蓮はその隙を逃すまいと、
自身は水を含んだようにカエル特有のその口を大きく膨らませる。
その中に入っているのは水ではなく、負の感情を物質にまで煮詰めつくした黒脂であるが。

「『テレメンテーナマンテイカ――――油地獄・ガマブレイズッ!!』」

距離を取った紅蓮の口から黒き焔が生じ、高温高圧の焼夷弾となって射出される。
高速で射出される焔はもはや質量を伴った弾丸。剣を封じられたアナスタシアに避けうる術はない。
「させません!」
「『!?』」
しかし、その黒き弾丸は聖女に届く前に払われる。
聖女から距離を取った紅蓮は爛としたその灼眼で逢瀬を阻害した無粋者を睨み付ける。
黄色いリボンを失ってぼさぼさだったはずの赤い髪は、風にそよぎ陽光にその瑞々しさを輝かせる。
すらりと伸びた両の手は太陽の光を掬うためにあるかのようで、
その両脚は肉付きながらも生まれたままの木目細かい柔肌に包まれている。
そのシルエットが持つ曲率は、およそ人体として完全に限りなく近かった。

ちょこちゃん……」
「これが私の本当の姿です。いままで黙っていて、ごめんなさい」

だが、紅蓮とアナスタシアの狭間に立つその身体は完全なれど人のものではない。
髪を掻き分けて頭部より生える、捩れた双角。豊満な乳房から太腿の付根までを丁寧に覆うのは体毛だろうか。
いずれにせよそれは彼女が紛れもなく“人ならざる者”の証。
人ならざる彼女は背中に、冷たい視線が伝う気がした。
本当の姿で向き合わなかったのは、こちらも同じなのだ。
この姿では、一緒にいられない。この力をふるえば、またひとりぼっちになってしまう。
心の何処かでそう鎖してきたことこそが、彼女をひとりにしてしまっていたのではないか。
アナスタシアが自分を縛っていたのではなく、自分がアナスタシアを縛っていたのではないか。
そんな臆病な私を知って、彼女は離れてしまうかもしれない。

「でも私は――――っ」

聖剣がからりと地面に落ちる。
言葉を遮ったのは、背中より抱きしめたアナスタシアの腕だった。
締め付けるというほどつよくなく、しかし決して手離さぬと込められた力が彼女の胸に伝う。
それは、心を抱きしめるかのように優しい抱擁だった。

「分かってる。分かってるよ、ちょこちゃん。
 貴女は、誰よりも優しくて綺麗で――――とってもいい子の、ちょこちゃんよ」
「アナ、スタ――――――」
「約束、したものね。一緒にいようって……」
「うん……おねー、さん……ッ……!」

背中を濡らす涙に、女性は――そして少女でもある彼女は、涙を滲ませた。
その涙を見て、太陽に輝くこの美しき白翼を見て、誰が彼女を“魔”と呼ぶだろうか。
人ならざる者、魔人の娘。アクラでありちょこである彼女。
彼女は人ではない。だがそれ故に、誰よりも完全な女性だった。
彼女達は抱き合った。
聖女としてではなく、魔人としてではなく、
自分の欲望をかなえる力としてではなく、一緒にいられる誰かとしてではなく、
アナスタシアとちょことして抱き合う。
分かたれた、そしてどこかで最初から途絶えていた2人は、
今はもう、何処から見ても仲の良い姉妹にしか見えなかった。

「『GRRRR! 割り込んでおいて随分と親しげに巫山戯るではないかッ!!
  ……違うだろうッ! 貴様は、私が識る聖女は、勇者とは、そんなものではないッ!!』」

紅蓮の嘲笑、そして怒号がちょこの羽を、アナスタシアの髪を震わせる。
紅蓮の眼に滾るのは明瞭な否定と怒りだった。
あの七日間、聖女はひとりぼっちだったからこそ聖女で、英雄だった。だから美しいのだ。
お前はひとりぼっちだっただろう。私はひとりぼっちだっただろう。
その傍らに誰かがいるということ、それ自体が不純だ。
英雄に、勇者に、傍らに在るべきものなど――――友など要らない。

「『おおッ、そういうことと得心したッ! これは済まぬ聖女、確かに貴様の傍らには一匹狗がいたなッ!
  なれば化物の一つや二つ飼い直したところで、是非もなし。なれば私もまた飼い殺すとしようかッ!』」

自分の中で疼き合う感情を無理矢理押さえつけるように、紅蓮はその胸に再び紅の暴君を穿つ。
ようやく塞がり掛けた傷を、再び抉り刻んで、自らを死の淵まで追い込む。
口寄せは捧げた供物の量が物を言う。なれば次は、極限の極限まで供物を捧げよう。
もっと薪を、もっと脂を、もっと命を、何もかもを燃やし尽くせ。

「『さぁさ出ませいッ! 理を切り裂きてここに呼べよ魔剣、天下御免の大蝦蟇ッ!
  その名の如く、万物悉くを塵にかえらせろッ!!』」

どれほど供物を捧げようと私は燃え尽きぬ。願い続ける限り、核となるその願いがある限り。
この身は不滅の焔。全てを燃やし尽くすまで止まらぬ、業の火なれば。

過去の残燃は、現在にある全てを燃やし尽くさんと血と焔を周囲に走らせる。
直に召喚陣は完成し、再び灼熱の大蝦蟇が現れるだろう。
「また召喚するつもりね」
「さっきよりも強大な力を感じます。多分、次は……」
繋がりを解いたアナスタシアとちょこは、紅蓮へと向き直る。
今度の召喚はどうやら先ほどよりも時間がかかるらしい。
だが、それは逆に言えば召喚される蝦蟇が先ほどよりも強力なものとなるということだ。
先ほどの蝦蟇でさえ、魔王との魔法でようやっと消しきれたほど。
いかなヴァニッシュといえど単体では、盾とするにはあまりに心許無い。
召喚が終われば、紅蓮本体もまた動く。アナスタシアはその対応を迫られるだろう。
ならば、一か八か2人の力で、召喚前に紅蓮を倒しきることに賭けるか。
だが、それすらも、あの死にながら燃え続ける紅蓮を殺しきれるかどうか。
あの蝦蟇はおそらく、召喚者の命の量に反比例してその力を高める類の術だ。
仕留め損なえば、最強最悪の蝦蟇に押し潰されるだろう。

「命と引き換えとかはしたくないんだけどな……ちょこちゃん、何かいい手はある?」
「えーっと……もっと頑張って、出てくる前に倒します!」

アナスタシアがどっとため息をついたのには2つの理由があった。
大人の身体に成長(?)したとはいえ、ちょこはやっぱりちょこで、聞いた自分がアレだったな、ということ。
そして、そんなちょこと同レベルの発想しか思いつかなかったということだ。
世界を賭したアナスタシアの戦いに小細工など意味はなかったし、ちょこもどちらかというと力を使われてこそ活きる者だった。

「まあ、やるしかないかッ! 策がないなら、力でってね」
「――――策ならあります」

アナスタシアとちょこが背後へと振り向くと、そこには今の彼女らにもっとも必要なものがあった。
彼女達の力を最大限に発揮する、策を振るうものが、ジョウイ=アトレイドがいた。
「ジョウイ君! 無事だったのね」
「ええ、なんとか起きれました。すいません、肝心なときに力になれなくて……」
「ううん、気にしないで。あ、この子のことは気にしてね。今まで気絶してたのなら分からないかもだけど。
 ムチムチプリンを食べたいお年頃とはいえ、小さな踊り子さんに触れるのはいけないことなのよ。
 っていうか、この子の(デフコン)Bは既にこの私が先約済みッ!」
心なし偉そうに隣の少女をアピールするアナスタシア。
道化めくことでジョウイの、異形の存在であるちょこへの認識を少しでも和らげようという思いだった。
だが、アナスタシアの思いなど必要なかったのか、ジョウイはちょこへと向き合う。
「ちょこちゃん……なんだね……」
「ええ、そうです。驚かないんですね」
「うん。ここまでいろいろなものを見てきたからね。驚くのも失礼だ」
「あの……その外套は……」
ちょこは恐る恐るジョウイにそれを尋ねる。
気絶する前と後でジョウイには差異があったのだ。肩から首輪を、そして全身を覆うようにして赤黒い外套に身を包んでいる。
それをちょこはよく知っていた。他ならぬ“お父様”――ジャキの身を包んでいた外套なのだ。
「ああ、うん。僕が目覚めた時、魔王は、ゴゴさんに覆いかぶさって死んでいたんだ。
 魔王との戦いで傷もいくつかあったし、それに……忘れないように……持って行こうと思ったんだ」
忘れないように。ジョウイの言葉のその一カ所が、ちょこの耳に印象深く残響した。
アクラにとってお父様が忘れ得ぬものであるように、ジョウイにとっても魔王は忘れられないものなのだろう。
ちょこは魔王から受け取った忘れ形見を強く意識する。
受け取った。受け取ったから、だいじょうぶだよと。紡がれた命を見送るように。

「ねえ、スルー? わたしのことスルー? これってなに? 恋のトンネル効果?」

ちょこが魔王の死を噛みしめるなか、アナスタシアはキャッチボールされずに地面に落ちた言葉を見つめながら名状しがたい顔を浮かべた。
今のちょこを受け入れてくれたのは嬉しいが、少しあっさりしすぎではないだろうか。
というより、これだと自分が莫迦のようではないか。
「ちょこちゃん、君のその姿は、自分の意志で前の姿にもどれるのかい?
 五行……火や水は、その姿で使えるかな?」
「え、ええ……この姿だと、闇の力が表面化しているので、ヴァニッシュ以外は上手く使えないと思います。
 元に戻ることは、念じればできるとおもいますけど」
「ダブルスルーッ!? あ、今のは言葉がすり抜けるのと電子現象のトンネル効果をかけててね」
「よし。今ならあのカエルもこちらには手を出せないだろう。君はすぐに上空に飛ぶんだ。そうしたら……」
「ハットトリックきましたーッ! ごめんなさいッ!!
 一度滑ったネタの説明をしてごめんなさいッ!! お願いだからせめて会話して!!
 お姉さん寂しいと死んじゃうアルビノ種なの、人類のエゴが生んだ愛玩動物なのッ!」
「言ってる意味が分からないです。それより、時間のこと気付いてます?」
やっと返事をしてくれたジョウイの言葉の意味を理解できず、
アナスタシアは言われるがままに、懐から時計を取り出す。
時刻は7時前。とりあえずパン屋なら朝のお客のピークが始まる時間だ。
今日はどんなお客さんが来るのかなとか、あの人は今日は早く、帰って、くるかな……と、か……
「時 間 な い じ ゃ ん」
アナスタシアは動転のあまりうっすらと鼻水をたらしながら、大きく見開いた目で南の森に目を向ける。
紅蓮のことで気がいっぱいだったが、もうすぐ南のD7が禁止エリアになってしまう。
しかし、まだ南に残った3人が来ていない。
しかも肝心のC7に隣接する森は、カエルフレアの余波で大いに燃えさかり、とてもではないが通れるとは思えない。
このままだと、自分がカエルとの決着から逃げたせいで3人が逃げ遅れたようなものではないか。
「どどどどどどどどどーするのよ! 
 このままだと私と君が殺害幇助の罪でイルズベイルに没シュートよッ。
 味噌汁を冷えた御飯にぶっかけた冷や飯よッ!!」
「そうならないために、手は打ちました。後は彼らに任せるしかありません」
「彼ら?」
アナスタシアが涙目で見つめ返したその先には、空を見上げるジョウイがいた。

ジョウイが見つめた先、空に翼をはためかせたちょこが大地を見下ろしていた。
右を見れば森を抉った荒野があり、左を見れば生い茂った森。
そしてそれを隔てるように炎の壁が走っていた。
「このくらいで、いいかな。えーっと、たしか……お父さんが言ってたのは……」
炎の壁に遮られず南の森を睥睨出来る程度の高さで停滞したちょこは目を凝らし、それを慎重に探してみるが、やはり見つからない。
森の中にある以上、やはりこちらから探しに行くことは不可能だ。
だが、それで問題はなかった。ジョウイがちょこに達したのは、彼らを探すことではないのだから。

<デイバックは僕が預かっておくよ。その位の高度まで来たら、元の姿……ああ、仮の姿になるのか。
 とにかく子供に戻って、大きな声で南に声をかけるんだ。そしたら“放つ”。それでたぶん、伝わるはずだ>
「大きな声で……なにを、言えばいいのかしら……まあ、そのあたりは、戻ってからでいっか……えいっ」
そのあたりのことを聞いていなかったなと思いながらも、
どこかしら子供らしいおおざっぱさで、ちょこはちょこに回帰する。
時間はない。急いで言わなければ。誰が聞いてもはっきりと分かるように、大声で。

「やっほー!!!!!!」

空に響きわたるその大声と共に、キラッっと、空が輝いた。
子供らしい元気な声が大地に木霊する中、中空に異変が生ずる。
「おう、ヤッホーだッ。男アキラ、ただいま到着ッ!!」
ヒュバという小気味よい音とともに瞬間登場したアキラがちょこに山彦を返す。
その両腕にはむろん、ストレイボウとイスラの姿があった。

「炎に遮られて動けなくなっていたとき、ちょこの声が聞こえたんだ。
 それで空を見上げたら、空に水が飛び散っていたことに気付いたんだ」
ちょことアキラにサポートされながら着地したストレイボウが状況を説明した。
カエルの異変に気付いた3人は何とかC7に来ようとしたが、焔の壁に阻まれていた。
時間もなく迂回路もなく、八方塞がりの状態だったところに彼らは見つけたのだ。
空に浮かぶ輝き――――太陽に光ったパシャパシャの水を。
「こっちまでくればほとんど水気はなかったからな。狙う水場さえハッキリしてりゃ、跳んでこれたって寸法よ。
 いや、助かったぜジョウイ。あれがなかったらヤバかった」
快活な笑みを浮かべるアキラに、微笑を浮かべるジョウイ。
それをみるイスラの表情だけが、酷く重苦しいものだった。

「『ふ、ふはははは、雑燃が増えたかッ! わざわざ薪を足してくれるとはなッ!!』」
「カエル、目を覚ませ! お前は焔の災厄に、ロードブレイザーに乗っ取られているんだッ!!」
「『喧しいぞ魔術師風情がッ! 私は紅蓮だッ、国の滅びを阻止せんが為、全ての焼滅を望んだ焔だ!!』」
ストレイボウの叫びなど最早関係ないとばかりに、紅蓮は血をまき散らして召喚を続ける。
どうやら南にいた3人も今のカエルがどのような状態にあるかは理解しているらしい。
だが、手短に情報交換を行った3人は現状が最後にみた状況よりも悪化していることを知った。
アキラが2色と称した紅蓮の心は最早何色と称することも出来ぬほど混濁しており、
そしてその混ぜあがった色が決して良い色ではなかった。
アナスタシア達に破れた魔王がちょこを庇って命を散らせたとはいえ、
ヘクトルが北でセッツァー達と戦っているであろうこともある。
なによりも、既に物質化一歩手前まで高められたカエルフレアの顕現まで幾許の猶予もなかった。

「2手に別れた方がいいんじゃねーか。ここにあのピサロがいねえってことは、ヘクトルが戦ってんだろ」
「んー、でも、あのジャファルって子?がヘクトルと一緒に戦ってたように見えたけど……」
お前そんなキャラクタだったか、と首を傾げるアナスタシアにアキラが返す。
魔王や紅蓮との戦いで気に留める余裕もなかったが、戦闘中の画像を頭の中で再生するとそのような絵が浮かばなくもない。
「確かに、あのフォルブレイズをカエルが持っているとなるとあり得ない話じゃない。
 だが、俺のように、人の心はいつ移ろうか分からない」
昔日の後悔に目を細めながらストレイボウはカエルの、紅蓮の持つ魔導書を見た。
あれは間違いなくニノが大切に所持していたものだ。
それがここにあるということは、ニノの身に重大な何かが生じたということだ。
その最悪の推論を続ければ、彼らがジャファルをよく知らないからこそ
ジャファルがこちらに寝返る可能性もありえなくはない。
だがそれは同時に、ジャファルが未だに敵である、あるいはニノを求めてもう一度敵になる可能性もあるということだ。
1対3になれば、いかなヘクトルとて戦線を長々と維持し切れまい。

とすれば、ここは部隊を2手に分け、対紅蓮チームとヘクトル救援チームに分けるのが良策である。
そう分かっていながら、イスラはこの状況に蔓延する厭な匂いを感じ取っていた。
(ジョウイ、お前は一体何を考えている?)
その匂いの発生源に意識を集中させながら、イスラはこの状況に疑惑を巡らせていた。
6人もいれば、2手に別れるのは合理だ。
だが、本来絶望的だった合流を成功させたのがジョウイという事実に、帝国諜報部に所属していたイスラは危険を感じ取る。
当然ながら、イスラはジョウイが黒――――優勝を虎視眈々と狙っている危険人物であると強力に仮定している。
そう考えると、ジョウイの行動は明らかに妙なのだ。
もし合流をさせなければ、労せずしてジョウイは3人を始末することができた。
上手く事を運べば、ちょこあたりも禁止エリアに叩き込めただろう。
だが、それをせずにわざわざ助け船を出したのは、一体なぜなのか。

素直にジョウイが善意で助けたと考えられればどれほど楽だろうか。
だが、捻くれ尽くしたイスラにはとてもそうは考えられなかった。
マリアベル亡き今、疑えるのは自分だけなのだ。ならば疑わなければならない。
皆を守るために、こんな僕でも、出来ることをするために。
探せ、どんな小さな綻びでもいい。ジョウイの企みの尻尾を掴め。
奴の目的は優勝、そのために僕達とマーダーの戦力を均等に殺いでくるはずだ。
そのためにこの状況を用意したというのならば、それは――――

「なら、苦戦は避けられないだろうが仲間の命には代えられない。2手に別れよう。
 俺とアナスタシア、ちょこでカエルを止める。その間に、3人で――――」

ストレイボウが戦力を吟味し、均等に戦力を配分したチームを提案しようとする。
その刹那、イスラは確かに見たのだ。
ほんの少し、そうと意識しなければ見逃してしまうほど微かに、ジョウイの口元が笑みで歪んだのを。

「ちょっと待った。それは危険だよ」
全ての背景を理解したイスラは、迷うことなくストレイボウの提案に口を挟んだ。
ジョウイを除く全員の視線がイスラに向かう。
「見る限り、あのカエルは強敵だよ。紅の暴君にアルマーズと同格の魔導書。
 その上、焔の災厄の力だなんておまけ付きだ。迂闊に戦力を分けたら、それこそ力で押し切られるかも知れない。
 北にしたって同じだ。話を統合するに、セッツァーは話術や謀略を得意としている。
 半端な数で行けば、逆に隙を与えてしまうよ」
いかにももっともらしいことを述べながら、イスラはジョウイの表情・仕草を全力で見極めていた。
感情や隙が漏れでないように必死に挙動や表情を固めている。
今更隠したところでもう遅い。むしろ、その仕草が逆にイスラの推論を確かなものにさせる。
ジョウイの狙いは、イスラ達を2手に分けて確実に戦力を減らそうとしているのだ。

確かに戦力を2手に分ければ、状況に同時対応が可能になる。
だが、ここでジョウイが敵であるという事実を踏まえると、この対応の意味が一変するのだ。
戦力を3・3で分ければ、中央の戦いはゴゴを除けば3VS1(+カエルフレア)になり、
北の戦いはジャファルが敵ならば4VS3になる。
なるほど、どちらも数の上では有利といえるだろう。
だが、ここでジョウイが寝返ればどうなるか。
中央ならば2VS2(+カエルフレア)、北ならば3VS4になる。
そう、どちらにしてもジョウイが所属する戦場は数的不利に陥る。

それこそがジョウイの狙いだ。
3人を無駄死にさせるよりも効率的に両者の戦力を削りつつ、
暗躍できる隙を確保し、自身が有利を得る最高の状況を作ることなのだ。

「確かに……だが、いいのか、イスラ。お前はヘクトルを助けたいんじゃ……」
「個人的感情で戦局を見誤るほど、僕も錆びちゃいないさ。
 僕達は負けられない。そのためには、どんな小さな石でも取り除かなきゃね」

ストレイボウの自身を案じる音調に気づきながらも、イスラはストレイボウ以外の人物に言葉を返した。
確かに、ヘクトルは心配だ。心配だからこそ、ジョウイをヘクトルに近づける訳にはいかないのだ。
第四放送から第五放送までのジョウイの単独行動を考えれば、おそらく、
否、間違いなくジョウイはセッツァー達と通じている。
そう考えれば、セッツァー達がジョウイを尋問したと言うのも、
ジョウイから疑いを外させるためのセッツァーの策とも考えられる。

そんなジョウイをヘクトル救助チームに向けることは論外だ。
かといって、ジョウイを放置してイスラがヘクトルを助けに向かうことも、またジョウイとセッツァーの思う壺なのだ。

「僕はヘクトルを信じている。ヘクトルなら、どんな策略も通用しない。
 そんなヘクトルが、僕達を信じてカエル達を倒させるために北で戦ってるんだ――――その気持ちを、無駄になんてできない」

だからこそ、イスラは耐える。
自らを城塞と化して北で戦線を維持するヘクトルの気持ちを無駄にしないために、
自分のような心の弱さを持たないヘクトルならば大丈夫だと、
自分に出来ることは、そのヘクトルを謀略から守ることなのだと信じて。

「言われて見りゃもっともだ。今のカエルを止めなきゃ、
 ヘクトルも安全とはいえねえ。ヘクトルの頑張りを無駄にはできねえな」
「ああ。それに、あのカエルを放置は出来ない。全力で当たるべきだろう」
「それに、流石にそろそろ目を逸らす訳にはいかないものね」
「ぬいぐるみさんのこと、けじめをつけなきゃ。それに、あのぼーぼーしてるのはゆるせぬー」
4人が成程と納得した様子を浮かべるのを見て、イスラは意志に満ちた笑顔を浮かべた。
全力で紅蓮を撃破し、紅の暴君を手に入れて急いでヘクトルの救援に向かう。
それこそが、ジョウイの企みを封じつつヘクトルを最速で救助する最短ルートなのだ。

「『クカカカッ! 作戦会議は終わりかッ。なに、責めはせんよ、こちらも丁度終わる頃だッ!!
  此度の蝦蟇は先程の比ではないぞ!! 出よ、ネガティブカエルフレアッ!!』」

燃え盛る焔の中で昇る熱流のように高く高く笑い続ける紅蓮。
よく見ればその脇腹が炭化して風に流され始めていた。
暴走召喚とは即ち召喚の限界を超えた召喚。召喚の触媒が自身であるならば、砕けゆくは必然に等しい。
しかしそれさえも省みぬとばかりの嘲笑の中で、極大の魔法陣から再びカエルフレアが――――
否、ネガティブカエルフレアが現出する。大きさは先程のとはさほど変わらないが、纏う焔の質量、粘性が桁違いだった。
おそらく、紅蓮の中のありったけを対価に支払ったのだろう。
蝦蟇が纏う焔は、量は兎も角、最早ロードブレイザーのそれと遜色なく、
その焔には全ての加護が通用しないであろうことが見て取れた。
「小細工無用か、面白え」
「さっきちょことおとーさまがやったみたいに、ぎゅーん、ぐるぐるーってするのー」
「だが、やれるのか……?」
アキラとちょこが臨戦態勢に入る中、ストレイボウが息を呑んで紅蓮を見つめる。
今までならば唯の怯懦でしかなかったが、今のそれは確かな冷静さの元に裏打ちされていた。
紅蓮は器用に大蝦蟇へと飛び乗り、その頂点に立っている。
敵の数が増えた以上、別々に戦うよりもライドオンした方がいいと判断したのだろう。
確かにあの位置ならば直接的な攻撃はほぼ不可能だ。
加えて、紅蓮には回復魔法がある。あそこなら安全に蝦蟇を回復できる。

先程までと打って変わって、守りの陣形。
自らの不死性に甘えない。油断をしない。最善を尽くそうとする。
それが紅蓮のロードブレイザーとの決定的な違いにして、紅蓮がロードブレイザーよりも厄介な点なのだ。
敵は守りを固め、防御補助がほぼ通用しない以上こちらは攻めるしかない。
手を間違えれば、最悪泥沼の消耗戦に陥るだろう。

「だが、それでもやるしかないのならば、俺は、俺は……!!」

ストレイボウの思いは、ほぼ全員の思いだった。
それしかないのならば、それでいくと決めたのならば、あとは貫くのみだ。
全てを賭けて紅蓮を、災厄の残り火を、ここで潰す。

「もし……本当に貫くというのならば……一つだけ、手がなくもないです」

全ての意志が集約されたその瞬間、その言葉は発された。
全員の、イスラの視線もそこに向く。そこには、これまでで一番険しい表情をしたジョウイがいた。
「上手く行けば、紅蓮を……誰の犠牲もなく最速で撃破できるかもしれません……」
全員の目が大きく見開く。時間のない現状、それは余りに魅力的な提案だった。
「ほ、本当かジョウイッ! それは、一体ッ!!」
「ですが、この策は一歩間違えれば全滅もあり得る。それに、ゴゴさんの了解を取らないと……」
「聞かせてくれないか、ジョウイ」
「ゴゴおじさん!」
口にするのも躊躇われると言わんばかりのジョウイの言葉を、新たな音が促す。
その先には、物真似師ゴゴがいた。
抱きつくちょこの頭を優しく撫でるその仕草に、アナスタシアは少しばかり驚き、そして優しげな表情を浮かべた。
物真似師は変わっていた。それは、ペンダントをつけているという物理的変化に限ったことではない。
漏れ出していた邪気が消えている。理由は分からないが、聖剣の加護が改めて機能しているのだろう。
これで自分が勇者にお節介を必要も完全になくなったというわけだ。
「俺のことなら案ずるな。どのような危険な役でも、物真似し切ってみせる」
自らの物真似に絶対の自信を誇りながら、ゴゴは胸を叩いた。
その頑強さに、皆の顔も引き締まり、ジョウイの策を目で促す。
その目線の全てを見定めた上で、ジョウイは僅かに息を吸い直し、その策を告げた。

「『どうしたどうした。意気揚々と始めるのではなかったのか!? これでは肩透かしもいいところ。
  なれば不本意ながら致し方なし、こちらから幕を上げると、否、引くとしようかッ!!』」

攻めてこない7人に業を煮やし、紅蓮が紅の暴君を天に掲げる。
すると、周囲を取り巻く炎の一部がさらに煮詰まり、細長い刃と化していく。

「――――以上が、策です」
ジョウイが全てを述べたあと、僅かな、しかし重すぎる沈黙があたりを包む。
アナスタシアはこれまでで一番真剣な表情で考え込み、まずアキラをみた。
「実際、どうなの? アキラ君。可能?」
「ユーリルの中には入れた。オディオが俺達を夢の世界に集められたことを考えれば、不可能じゃねえはずだ。だが……」
アキラは必死に考え、しかしその可能性があり得ることを認めた。
「……本気で言ってるのか。一歩間違えれば俺たち、否、全員死ぬぞ」
ストレイボウが、重苦しい表情でジョウイを見つめる。
だが、ジョウイの表情もまた真剣であったことから、
ジョウイが決して安易な気持ちでそれを口にした訳ではないことが分かった。
あの戦いを忘れたものなどこの場にいない。あの救いがなければ、全員死んでいたのだ。
それでもなお、そのリスクを負おうというのか。
「おじさん……」
ちょこがゴゴのローブの裾を掴み、全員の視線がゴゴに集まる。
彼らは自分たちが議論したところで意味がないことを理解していた。
全ては、この物真似師の想い次第なのだ。

「――――やろう。それが、全員が生きて進むための道ならば」

ゆっくりと、しかし確かな声でゴゴはそう言った。
その策が意味する“リスク”を理解していないはずがない。
それでも、ゴゴは決意した。
ゴゴを突き動かしたのは自己犠牲などといった清純な理由などではなく、もっと暴力的なものだった。
ただ、それが物真似である以上、その矜持に賭けても成し遂げるという決意の元に、ゴゴは応じた。

「『レッドニードルッ! 眼前の命を朱に染めろッ!!』」
紅蓮の号令と共に、焔が攻撃を放つ。
本来形無き焔は煮詰めつくされ、どんな金属よりも硬い無数の朱針となって、彼らに襲いかかる。
「……分かりました。ならば――――」
彼らの決意を見取ったジョウイは振り向き、右手を針に翳した。
中空に現れた黒き刃が砕け、煌めく刃の破片が次々と針をたたき落としていった。
「それまでの時間は、僕が稼ぎます。他の皆さんは、3人を守って下さい」
そういって、ジョウイはゆっくりと紅蓮に向かって歩み始める。
魔王の外套を棚引かせているからか、その後ろ姿が、妙な近寄り難さを放っていた。
イスラがジョウイを追い、その耳元で囁く。
「……どういうつもりだい?」
「こうなってしまった以上は仕様ない。その上で出来る最善を尽くすだけだ」
ジョウイはこともなげにイスラに答えた。
イスラがジョウイの正体を見抜いた以上、喋っても構わないと言わんばかりだった。
一体何を、とイスラが問い返そうとしたとき、北より巨大な叫び声が聞こえた。
狂ったように大気を揺るがす時の声の主を、イスラが誤ることはなかった。
「向こうも佳境だ。お互い、死なれたら困るだろう」
声を受けて放たれたジョウイの言葉に、イスラはジョウイの思惑を理解した。
北の戦況もまた大詰めを迎えているが、ここからでは遠すぎてヘクトルが優勢なのかセッツァーが優勢なのか分からない。
チーム分断による各個撃破が出来なくなった以上、ジョウイもまたセッツァーの救援に向かいたいのだ。
ジョウイは紅蓮を倒し、セッツァーの救援に向かいたい。
イスラ達は紅蓮を倒し、ヘクトルの救援に向かいたい。
つまり、紅蓮の撃破まではお互いの目的は合致している。

「その後はよーいドンで早い者勝ちってことかい――――やっぱり、君のことが嫌いだよ、僕は」
「……そうか……“だからか”。じゃあね」
「ああ、さよならだ」

ジョウイはそう言い残して、紅蓮へと向かう。
その背中を僅かに見つめた後、イスラは心底面白くなさげに踵を返した。
紅蓮がロードブレイザーの性質を持っている以上、ジョウイと協力関係になることは絶対にあり得ない。
ならば、ここはジョウイを利用するのが最善だ。
紅蓮に勝った後は、容赦なく全てをみんなに打ち明けるとイスラは決心した。
そして、できればその前に壁役のまま死んでくれればなと、自分の影を呪いながら吐き捨てた。
巨大な蝦蟇に乗った紅蓮とジョウイが対峙する。
対峙するといえど、その目線の高低差は尋常ではない。
紅蓮は魔王の外套を纏い冥府の鎌を携えるジョウイにおやと嘲った。
「『その出で立ち、見るからに魔王だが、底の浅さが如何ともし難いな。
  そのような矮小で、この私に独り立ち向かうだと? 健気を通り越して無能もいいところだ、クククッ』」
だが、見上げるジョウイには一切の感情が無かった。否、全ての感情を支配していた。
「『怖いだろう、死にたくないだろう。無様に怯えろ、卑しく竦め。蛙のように無様に地を這う気分はどうだ人間ッ!?』」
「そんなものはないよ。強いて言うなら……歓喜だけさ」
無表情でそう答えるジョウイに、紅蓮は怪訝な表情を浮かべる。
ジョウイの言葉に嘘はなかった。糧となるべき恐怖が、憎悪が、あまりに薄い。
まるで、今この場で対峙することが、己の意志ではなく義務だとでもいうように。

「『貴様、何を考えている?』」
「魔王に塩を送られた。魔王に気づかれるくらいだから、直に他のみんなも気づくだろう。お互い、ギリギリなのさ」
ジョウイはほんの十数分前の出来事を見返すように瞳を細めた。
紅蓮は何を言っているのかを理解できない。ただ、魔王の名を告げられたことだけが癪に障った。
「だから僕は少しだけ安堵している。“もう一つのしこりを、今のうちに精算できるのだから”」
ジョウイがそう言って、右手を再び天に翳した。その瞬間、その紋章がこれまでで最大の輝きを放つ。

「『この力はッ!? 貴様、今まで手を――――』」
「抜いていた訳じゃない。文字通りこれは“諸刃の剣”なのさ。
 だから僕は少しだけ、嬉しい。この全力を君にぶつける“という状況に出来た”んだからね」

ジョウイの右手が黒き光をさらに強める。
強まる度に、ジョウイの生気が失われていくのが生命活動の根元たる火を識る紅蓮にも理解できた。
そう、これは諸刃の剣。力を使う度に命を費やす、契約の力。

「『ククク、しかし残念だったな。その力は破壊の力ッ!!
  私の大好物にして私を形作る概念ッ!! それでは私を殺せぬぞッ!!』」
「それでいい。例えこれが破壊にしか使えない力だとしても、僕は全てを守りたいと想い、手に入れた。
 だから、今度こそこの力で守ってみせる。君の刃だけは二度と――――この後ろに通さない」

ジョウイの背後が大きく歪み、黒き渦となる。
渦に波紋が揺らめき、小石を向こう側から投ずるように、ゆっくりと”それ”が現出した。
それは片手剣だった。それは刀だった。それは斧刃だった。それは短刀だった。それは槍刃だった。それは両手剣だった。
それは刃――――人が人を殺すためのものだった。
「右剣に六本、左刀に六本。合わせて十二の黒き刃が、君に立ちはだかる輝く盾だ。
 君の殺意を、僕の向こうに徹したいのなら……この力を越えてからにして貰おう」
隠しに隠し通したジョウイの奥の手。膨大な命を蝕んだその先しか存在できない、死の羅列。
殺すことしか出来ない黒き刃の紋章の力の果ては、やはり殺害の極致だ。
しかし、それでもジョウイの瞳も、紅蓮に向けられた刃の切っ先も揺るがない。

「黒き刃よ……“どんよくなる友”よ。今度こそ眼前の敵より守り通せ。
 ――――かつて守れなかった、ルッカ=アシュティアの名に懸けてッ!!」
「『ッ!?』」

ジョウイの中を駆けめぐる何かを現すように、戦争の具現――殺す力が恐るべき速度で射出される。
射出された武器の形をした力は大蝦蟇を穿ち、その巨躯に穴を開ける。
しかしその孔はすぐに焔に覆われ、その傷を塞いでしまう。
砕けた刃はすぐさま力と還元され、ジョウイの背後から新たなる刃として射出される。
それはロードブレイザーを利する力。焔の災厄ならば歓喜に打ち震える力。
闇で闇を覆うような戦いは、最初からジョウイが敗北する千日手でしかない。
しかし、紅蓮は僅かながらに紅の暴君の切っ先を揺らめかせた。
思い出したのだ。この小僧の見ている側で、私は、俺は誰かを殺したのだと。
奴は守れなかった。俺を敵と見ていなかった。
何故か? 俺を仲間だと思っていたからだ。油断していたからだ。
何故か? ――――――――それは、俺が殺した奴から聞いていたからだ。
俺は、そう――――殺したのだ。
守るべきもののために、願いのために、何か、ひどく大切なものを、自分の意志で捨てたのだ。

「『クカカカッ、実に奇縁ッ! そうか、私たちは因縁があったのかッ!!
  “心底どうでもいいから完膚無きまでに失念していた”ぞ。とはいえ一方通行と無碍にするのも無粋ッ。
  善し、決して叶わぬ復讐を成してみろ。その無念すら、私の餌としようッ!!』」

朱針と黒刃がぶつかり合う中で、ああ、そうかと何処かで誰かが苦笑する。
飲み込んだと想ってた罪は、決して忘れぬと想っていた傷は……思いの外、簡単に忘れてしまうのだと。

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140-3:抗いし者たちの系譜-虚構の物真似師- アナスタシア 142-2:為すべきを成すべき時 -Friend's Fist with Brave-(後編)
ちょこ
ゴゴ
カエル
ストレイボウ
アキラ
イスラ
ジョウイ
141-3:『そうはならなかった』お話 セッツァー
ピサロ


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最終更新:2012年04月08日 00:53