その罪を識る時 -Fallere825-(後編) ◆wqJoVoH16Y
ジョウイの視界に再び光が戻ったとき、そこには一面の森が広がっていた。
走るような早さで、木々が視界を通り過ぎていく。
(これは、一体?)
覚醒したジョウイは首を振るが視界は動こうとせず、見知らぬ世界は――否、"僕は、この場所に覚えがある”。
(ここは、もしかして……)
「はぁ! はぁ!! 急げ! もたもたしていると追いつかれるぞ!!」
ジョウイがこの場所に気づくと同時に、ジョウイの耳に声が響く。
若い声だった。ジョウイやリオウと同じくらいの、まだ大人になりきれない声が、息をあらげて叫んでいる。
「くそ! 停戦条約が結ばれたんじゃなかったのかよ!! 都市同盟の奴ら……俺たちを騙しやがって!!」
「無駄口を叩く暇があったらさっさと走れよ!」
横を併走するのは兵士だった。軽装からみて歩兵。
その青と白で構成された兵士の服に、ジョウイは見覚えがあった。何せ、自分もかつて着ていた服なのだから。
(ユニコーン少年隊……じゃあ、これはあの夜の)
ジョウイは身動きのとれぬ意識の中で、その前提を理解した。
この場所はハイランドと都市同盟の国境付近、ハイランド側の駐屯地。
彼らはそこに所属していたユニコーン少年隊――――かつて、ジョウイとリオウが配属していた部隊だ。
ジョウイは全力で疾走する一人の意識に仮宿するように存在していた。
(ディエルゴ、貴方は一体何を!!)
ジョウイの問いにディエルゴは応じなかった。
見て聞くだけで、何も介入できぬ世界。これはジョウイの記憶だろうか。
否、ジョウイはここにいたわけではない。鎧は着ていないし、横の兵士は共にいなかった。
ディエルゴはジョウイの世界を”読み込む”と言った。ならば、これは何かの術だというのか。
(待て、この後は、もしかして!)
「はあ、はあ。ここまでくれば……いた! ハイランド軍だ!!」
張り裂けそうな心臓を抱えながら、少年隊士はゴールの白線を見るかのように前方の鎧をみた。
闇夜の中でも紛う事なき純白の鎧は、誇るべきハイランド軍の正規兵だ。
「ほ、報告! 駐屯地に都市同盟の敵襲ッ!! ラウド隊長の命によりこの道より逃げるように言われてきました!」
報告する隊士の口から安堵が漏れるのを、ジョウイは自らの感覚としてかんじた。
地獄の中で蜘蛛の糸を掴んだような、まさに天上の心地が広がる。
(やめろ、違う! それは救いじゃい!! 気づくんだッ)
だが、それを直接識るからこそジョウイは懸命に叫んだ。
考えれば分かることなのだ。仮にこれが都市同盟の奇襲だとするならば、
逃げるに絶好の道であるこの場所を見逃すはずがない。
伏兵を配するなり罠を仕掛けるなり、施すはずなのだ。
そして、その可能性に気づかないほどユニコーン隊隊長ラウドは愚かではない。
ならば、考え得る可能性は――――彼らこそが伏兵以外に有り得ない。
ぶしゃ。
不細工な断裂音と共に、血の詰まった肉袋が裂ける音がする。
その音にジョウイが仮宿する隊士が釣られて向く。
共にここまで逃げ切った隊士に白刃が振り下ろされ、その断面から血飛沫が闇に舞い散った。
「な、何を! 俺たちは敵じゃない!! ユニコーン少年隊だ!!」
千路に乱れるココロのまま、隊士は自らの胸を開き、自らの出自を示す。
莫迦にもほどがある。自ら首を切ってくださいといっているようなものだ。
(う、うああああ!!!!)
ハイランド兵はただ押し黙って、再び白刃を振り抜く。
隊士から、ジョウイの首から鮮血が抜けていく。
その喪失感、焼けるように熱い痛みがジョウイの脳天を貫いた。
「なん、なんで……」
救いの糸を断ち切られた少年の絶望が、ジョウイの心を侵す。
彼には分からないのだ。自分たちの隊長が彼らをわざとここに誘導したなど、
彼ら民をを守るべきハイランド兵が彼らに刃を向けるなど考えることすらできないのだ。
ハイランド兵がまだ息のある少年に、ジョウイに向けて刃をのばす。
それでも、少年は手を兵士に向けた。死にあらがうためでなく、救いを求めて。
家族を想い、輝かしき未来を願い、死ねぬ、死ねないと苦しみのたうち、それでも不正解の道を進みながら。
「助け……」
(やめ、やめろ、う、うああああああ!!!!)
それに鮮血が応じた。せめて苦しまぬようにとすうと頭骨に刃が透る。
その死を、ジョウイは余すとこなく体感した。
どれだけ望もうが、不正解は不正解。莫迦は死ぬ。
仮宿の死と共に、ジョウイの中に嘆きが呼び込まれる。
整えられた亡骸を前にした家族の喪失が、せっかくの慈悲を踏みにじった都市同盟への憤怒が篝火となってジョウイを焼く。
決起に盛るハイランドの中にルカ=ブライトの笑い声が聞こえた気がした。
莫迦の命なぞ、生きて使えぬ。ならば死して使われろ。
都市同盟との戦端を再び開くための『生贄』に利用されたように。
(そうだ、世界は常に搾取される側の犠牲によって成り立つ。ルカ=ブライトが言うまでもなく、豚は死なねばならんのだ!)
何処からともなく呻かれたディエルゴの言葉と共にジョウイの意識は浮上し、再び覚醒する。
そこに広がるのは業火に燃え上がり、明るい夜を迎えたリーベの村だった。
「ぶー、ぶー……」
燃える家屋の苦痛や草原の嘆きの中で、妙齢の女性が涙を流し、豚のように呻いている。
否、正真正銘豚のように鳴いているのだ。
人間の尊厳を自らの手で放棄して、それでも命が欲しいと浅ましく生を啜っている。
(死にたくない、死にたくない、死にたくない。豚の真似事をしてでも死にたくない。
笑わせる。“豚が人より劣ると思っている時点で、既に人は豚に劣っている”ッ!!)
狂える皇子の叫笑がディエルゴの憤怒と共に木霊し、村の全てがそれに嘆き悲しんだ。
「ふははは、おもしろいな!」
狂皇子の笑いが頂点に達するのを聞き取った豚は、四つん這いのまま顔を上げて皇子を見た。
まるで漆黒のトンネルを潜り抜けて、光り輝く救いの神を見上げるかのように恭しく。
「『ブタは死ね!!』」
自分が死ぬと分からぬまま殺される女性の感覚を内側でとっくりと味わいながら、
本来ならばここで気絶するはずのジョウイはその続きを火が消えるまで喰らわされた。
そのとき、確かに彼女は狂皇子によって救われていた。だが死ぬ。救われて死ぬ。救われず死ぬ。豚だから。
救われようが救われまいが、生れ落ちた時点で豚に選ばれた敗者は、豚として死ぬのだ。
(解かるか。これが『痛み』だ。お前が目の当たりにし、解かったつもりでいたものの真実だ)
トトの村が蹂躙される。辱められた故郷を見たピリカの涙が、嗚咽が、ジョウイの喉から漏れ出す。
ビクトールが上々の戦果を確かめる横で、火炎槍に炙られた兵士の呻きが肌を焼き続ける。
クルシイ、イタイ、イタイ、イヤダ。血ガ。肌ガ黒焦ゲテ。
傭兵隊の砦が焼け落ちる。助けてと震えきった喉で鳴らしたのは、スプーンをくれたポールだった。
冷や汗、頬を焼く焔。狂える白刃は年端もいかぬ少年の命脈を絶って。
それを間近で見続けたジョウイは、絶望と共に声を喪った。
(貴様たちは所詮、自分の『生』の中でしか物事を見れぬ。
それで『死』を解かったつもりになるだと? あまつさえ、それを背負うだと?)
『僕にも……なすべきことがあります』
目の前に立った自分自身が、私から問われた問いにそう答えた。
その手には、人を一人殺すには十分なナイフが握られていた。
取っ組み合いになって、私はそれでも抗った。
その身に背負う都市同盟の全てを護るために、命の全てで抵抗し、それでも死んだ。
喪われた物の叫びが、記憶となってジョウイを内側から破壊していく。
封印された過程において歪んだ形で生れ落ちたディエルゴは、存在が既にして欠陥品だった。
だからこそ、その砕けた回路を修復する生体ユニットとしてアティとイスラという適格者を欲していた。
同じ波長、同じ魂、同じ心。ジブンにもっとも近しい存在であるから、ジブンの核となれる。
適格者の魂の全てを『読み込み』し、ジブンを『書き込む』ことで、適格者を新たなるディエルゴとするために。
(……こ、れが、僕、世界の……イタみだと……い、うの……か!)
(そうだ。貴様の両手の呪法紋……27の真なる紋章と言ったか。なかなかに面白い。
この紋章は貴様の世界の中心に限りなく近い。こうして貴様の界を読み込めるほどになァ!!)
『戦場でならば、命もすてよう……だが、これは……将たるものの……恥辱……』
(フヒャハハハハハッ! お前の界も中々に嘆きに満ちているではないか。死に様が不満と嘆くなど、贅沢にも程があるがな!!)
未来を夢みた若き将の懊悩が、度重なる失敗の責を負い軍門に晒され殺される感覚がジョウイに垂れ流される。
ここまでされれば、ジョウイとてディエルゴが何をしているのかを理解した。
ディエルゴは『読み込み』を以て、ジョウイの世界に刻まれた界の痛みをジョウイに見せているのだ。
『大軍などいりません。5000の兵とミューズの捕虜をお貸しください。それでグリンヒルを落としてご覧に入れましょう』
よく知った声が、恐るべきことをさらりと言う。
言葉にすればこれほどあっさりとしているのに、体内を渦巻くものはそれを嘲笑うかのように悶えていた。
飢えの苦しみ、戦力を得たと喜んでおきながら、いざ糧秣を失えば途端に争う醜さ、身勝手な人間は常に自分以外の誰かを責めている。
最小単位の地獄の中でジョウイは何も言葉にできなかった。苦悶に耐えかねてではない。この地獄を作った本人が誰かを知っている故に。
(そうだ、貴様が命じ、貴様が指導し、貴様が描いた地獄だ)
(だが……こうしなかったら、ルカはグリンヒルの民を皆殺しにしていた!)
(だから彼らを出世の踏み台にした自分は悪ではないと!? それを苦しむモノの前で言えるか!?)
ディエルゴの感情的な罵声と共に、新たなる叫びがジョウイを満たす。
命からがら逃げ出したミューズの流民が、マチルダ騎士団領の城壁を望みながら背後から王国兵の刃を受けて死んでいく。
助けてくれ。あと少しなのに。ミューズには戻れない。ゴルドー様。痛い。苦しい。死ぬ。
手を伸ばせば届きそうなほどに近い救いの手を前にしながら、流民はその手を斬られて泣き叫ぶ。
流民の一人が、絶望の中で見た。自分たちを地獄へ連れ戻す悪鬼を鮮やかに仕切るジョウイ=アトレイドの姿を。
その姿に、恨みがなかったと心の底から信じられるだろうか。
ルカの命令だからジョウイが悪くないなどと、死にいきながら考えられるだろうか。
怨恨に、憎悪に、序列など無い。一度燃え上がれば、なにもかもを燃やし尽くすしかないのだ。
(いえんさ。口が裂けても言えるか。このような薄汚い、ヒヒ、ヒャハハハハハッハッハッ!!)
『フ、フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
このミューズに立ち上る魂魄の贄、獣に捧げられる供物の阿鼻叫喚の中でルカの哄笑が響き渡る。。
世界全てを憎んでもなお足りぬ、自らすら滅ぼしかねぬ憎悪。それを見て、ジョウイはルカを選んだ。
この力を以て全てを守ると、そう決めた。そう、決めたのだ。
だけど、ルカの背負ったこの憎悪を、僕は本当に理解していたのだろうか。
『我が母が恥辱を受けたときに、貴様は何をしていたのだ!!!! 命惜しさに逃げたのは誰だ!!!!
母とこの俺が近衛隊の手で助け出されたときに、王座で震えていたのは誰だ!!!!』
憎悪に満ちたルカの叫びを聞きながら、ジョウイの精神が汚泥のように流解していく。
まるで、ルカが見知った過去の苦痛まで届きそうな怨念とともに、自身の神経がボロボロと断たれていく。
その感覚もジョウイは既に知っていた。忘れもせぬ、ハイランド皇王アガレス=ブライトを殺した毒の味だ。
秘めに秘められた息子からの憎悪を真正面から浴びせられながら、一抹の意識がジョウイに向く。
疑いはあった。それでも、僅かながらにジョウイを信じてその血肉の一部とせんと彼の血を飲んだ。
その結果の焼けるような死の中で、アガレスは呪った。最後に忠誠を誓いし騎士を、最初に忠誠を破った騎士を。
(解かるか……? 貴様の言う『必要最小限の犠牲』が“コレ”だ。
世界に刻まれた恨みだ、嘆きだ、怒りだ。お前は“コレ”を作ろうと言っているのだ……ッ!!)
ジョウイは、いや、最早ジョウイとも呼べぬ何かがが、流動する怨嗟の中で崩れ落ちる。
解かってはいた。否、解かっていたつもりだった。
100人の犠牲よりも、10人の犠牲の方がいい。
だが犠牲になる人にとってはたった1人しかいないのだ。そして生者はその1人の死すら背負うこともできない。
実父“だと思っていた”人の亡骸の前で、泣き崩れる妻の悲しみすら理解できないのだから。
(は、始めたのは……僕じゃ、僕じゃ……ないッ……)
(……やはり“貴様は”愚かだ。全ての物事の引鉄を自分が引けるとでも?
ルカ=ブライトが起こした炎で燃えたものは全てルカの責任だと? 煽った貴様に責はないと?
なるほど……ならば、界の痛みは“ここで終わるべき”だな)
窒息寸前で浮上したジョウイの意識が吐いた言葉にディエルゴが心底哀れむと、ジョウイの体を無数の矢が貫いた。
夜に儚く浮かぶ蛍光の下、天牙双の一撃が憎悪に亀裂を入れる。
その亀裂から黒く淀んだ憎悪が溢れに溢れて、最後は夜に融けていった。
シルバーバーグの差配によってジョウイが仕組み、リオウが命を賭して貫いたルカ=ブライトの最後だった。
(全てルカのせいだと? 確かにそうとも言える。ルカの憎悪によって始まったこの世界の苦痛、
大本を辿ればルカのせいだと言えなくもないだろう……だが、ならば何故“お前はそこで止めなかった?”)
(……ッ、それは……!!)
『ジョウイはルカ=ブライトを倒すために、戦いを終わらせるために、
ハイランド軍に入ったんじゃないの??? その為に、わたしたちを置いて……』
ナナミの悲痛な疑問がジョウストンの丘に響いた。
心の底からこれで全て終わると思っていたナナミの信頼を、目の前の自分自身が事も無げに踏みにじっている。
そのナナミの痛みを受けながらも、ジョウイは彼女の純粋な瞳から眼を逸らせなかった。
ナナミの言っていることは、確かに真実の全てではないが、事実ではあった。
解かってはいたのだ。彼ら3人が全てをハッピーエンドで終わらせるには、ナナミの言うとおりここしかなかった。
ルカとアガレスが死に、ジルの夫ジョウイ=ブライトが皇王となったこのタイミングで同盟軍と停戦条約を結べばよかった。
そうすれば、これまでに起きた全ての痛みを狂皇子の暴走という形でルカに全てを押し付けることができる。
都市同盟の英雄ゲンカクの下で過ごした幼馴染の2人が、ハイランドと都市同盟に別れて平和を目指した。
2人は違う立場でありながら平和を目指し、戦争の諸悪ルカを協力して倒しました。めでたしめでたし――――
そう脚色すれば、あとはゲンカクの英雄伝を利用して穏便な平和が手に入ったはずなのだ。
『魔王』を倒した幼馴染の2人の『英雄』になれたはずなのだ。
(だが、貴様はそれを選ばなかった。それはいい。
だがそれはつまり――――ここからの痛みは、全て貴様が背負うということだッ)
無色の憎悪を吸収しつつあるディエルゴの読み込みが佳境を迎え、ジョウイの中に流れる嘆きが加速する。
戦争は終わらなかった。大地に血は流れ続け、空に慟哭が鳴り続ける。
敗残兵の略奪。終わりが見えたかに思えた戦乱の継続。増え続ける死体と遺族。
誰もが言う。何故と、どうして終わらないのかと。
それは誰かが続けようとしているからだ。他ならぬ我らが国王が、憎きあの王国が。
ジョウイが、悪王となる道を選んだから。
(貴様の言う平和がどれほど尊かろうが、それがこの痛みに報いるものだとでも?)
ジョウイとて分からない訳ではなかった。
民草は千年先の平穏なぞ求めない。パンを安心して食える明日さえあればよいのだ。
彼らにとってジョウイの理想などパン一切れにすら劣るのだ。
それでも理想を追った。輝かしいはずの光を追い求めて、世界は闇に落ちていった。
ロックアックスの城で、小さな心臓に鏃が食い込む。
僕をみる瞳は、最後まで3人がいたキャロの中にあった。
それでも続けた。誰もが望んでいないとしても続けた。
森が、動物たちが火計によって棲家を追われ、土地は枯れる。
せめて人が腐って土壌とならねば釣り合わぬ。
死んで、苦しんで、乾いて、果てに果てていく。
人形とはいえ、妻を生贄にささげなければ、戦意を保てないほどの厭戦状態のハイランド軍。
勝敗は決していた。それでも白き王都ルルノイエは赤に染まった。
もはや、ジョウイ=ブライトの理想はただの嘆きの塊でしかなかった。
理想を追い求めた果てにあったのは、理想とは真逆の世界だった。
(だから、僕はリオウを待った。全ての責を背負うために。せめて幾許かの平穏を残すために。
世界を混乱におとしめた悪王として、敗者の無念の全てを背負う為に)
(真逆それで全て終わるなどと? 戦いはまだまだ続く。否、人が人として世界にある限り戦いは、嘆きは止まぬ!!)
既に飽和したジョウイの精神に、新たなる嘆きが流入する。
彼の知らぬ、世界だけが識る未来の痛みだった。
都市同盟とハイランドの統合。それこそがジョウイの目指した平和だ。
しかし仮にハイランドが都市同盟を制圧し属国化したとしても平和は訪れない。
なぜならジョウイは、ハイランド皇国はハルモニア神聖国へ協力を要請してしまっているからだ。
“秩序と停滞”は他の真なる紋章を追い求めて各地へと侵略するだろう。
たとえハイランドがデュナンを統一しようとも、古き盟約と借りがある以上ハルモニアに協力せざるを得ない。
ソウルイーターを持つといわれるトラン共和国。炎の英雄が隠れると言われるグラスランド。
真なる紋章が眠るといわれる南方諸島やファレナ女王国。
ハルモニアの尖兵としてこれらと戦いを続ける日々が続くだろう。抗えば、ハルモニアと戦うしかない。
都市同盟が勝利したところで、ハルモニアは盟約を口実にデュナンを攻めるだろう。
どちらにしたところで延々と延々と死は、痛みは続いていく。
世界の嘆きが止むことはない。人が人としてあるかぎり、悪意の連鎖は、秩序と混沌の螺旋は続いていく。
(不可能なのだ……護りたい、救いたい、助けたい……そのような願いで、この『力』を振るうことはできない。
どれほど護りたくともッ、血塗られた両腕に掴める物などないッ! ありはしないのだあああああッッ!!)
嘆きの海に、ディエルゴの慟哭が劈く。まるで、自分のことのようにジョウイを責め苛む。
その怨嗟に、ジョウイは自分が大切なことを失念していたと気づいた。
ルカ=ブライトやロードブレイザーならばこの苦痛も笑って自らの憎悪、力に変えてしまうのだろう。
全てを滅ぼすことを欲した彼らにとって、この嘆きは望むべくして望むものだからだ。
だが、ジョウイはそれができない。平和の為に、嘆きを生むという矛盾に耐え切れない。
ルカの力はルカの憎悪でなければ振るえない。
ロードブレイザーの力はロードブレイザーの憎悪でなければ燃え尽きない。
オディオの力はオディオの憎悪でなければ世界を呪えない。
力は力、使い人の想いによって正義にも悪にもなる――――訳がない。
『力』と『想い』を別つことは出来ない。
守るために、救うために、平和の為に……そんな願いでは、この痛みは、宿業<カルマ>は背負いきれないのだ。
――――そんな“僕”に、笑顔を守ることなんてできる訳がなかった。
(ならば滅ぼすしかあるまいッ! 人が人である限りこの痛みから逃れられんというのならばッ!!
力があっても、その全てを守ることができないというのならば!
守り切れぬものであるというならば、いっそ滅んでしまえ。この憎悪と共にッ!!)
(お前は……いや……“貴方”は……?)
(ジョウイ=アトレイド。貴様はその礎として、我に“書き込まれ”ろォッ!!)
ジョウイがディエルゴの、ディエルゴの中の何かに問うよりも早くジョウイの世界が崩壊する。
読み込みを終えたディエルゴがジョウイの心に、ジブンを流入していく。
イスラであれば肉体だけでも残すことができただろうが、
適格者でないジョウイがディエルゴを書き込まれればどうなるかなど解かりきっていた。
バキリ、と小気味よい音を立てて額のバランスの紋章が砕け、ジョウイの意識を保たせていた最後の綱が千切れ飛んだ。
泣き声がする。千の赤子の頭蓋が、からからと泣き叫んでいる。
けものたちが、ひとが、てきが、わめいて、わめいてさけんでうたっている。
空が、海が、大地が、嘆き悲しんでいる。命が消し飛んで、誰かがそれを笑っている。
それは遥か遠くの音楽だった。もう誰も覚えいないだろう狂気だった。
(消える……僕が、消えていく……)
自分の中に自分以外の自分が混ざっていく。
どこか、遠いところで、ジョウイは……ジョウイだったものはその悲鳴を聞いていた。
泣いている女がいる。短くまとめられた亜麻色の髪と眼鏡に隠れた瞳の中に、ぽろぽろと涙を零している。
『マスター、もうお止めくださいッ!! これ以上島の力を使えば、貴方はッ!!
―――――――それでも、貴方は、そうやって笑うのね……マスター、いえ……』
哭いている天使がいる。両の腕に、黒く焦げ付いた少女の身体を抱え天に哭いている。
『おおおおおッ! サプレスの大天使たちよッ!! 何故、何故この輝かしい魂が、斯くもこのような仕打ちを受けねばならない!
あなた達が救わぬというならば私が救おう! 豊穣の天使アルミネのように! この翼を天より堕としてでもッ!!』
軋ませる鬼忍がいる。主君と共に死地へ赴きたい衝動を鬼牙を噛んで耐え忍んでいる。
『――――主命、仕りました。我が全身全霊を以て、ミスミ様と御子スバル様……必ずや鬼妖界へとお連れいたします。
ですから、どうか、どうか御武運を、リクト様ッ……!!』
吼える獣がいる。その爪に血を滴らせながら、牙を上げて吼え猛っている。
『グルアァァァァッッ!! 認めねえぞ、これが、これがお前の望んだことだなんてッ!!
お前は、これを見せるために俺を喚んだってのか? 守りきったお前が、滅んでどうするってんだ。ええ、マスターよ!!』
消し飛んでいく……僕の十数年なんて、僕の識る痛みなんて比べ物にならないほどの知識が、僕を貪っていく。
これが、罪。僕が知ったつもりでいた……そして、今本当の意味で識った罪。
僕が理想の為に積み上げてきたものの真実の重みが、僕にのしかかる。
平和を求めるために戦争が続くという矛盾。
一つの地方の平和を求めるために、延々と延々と戦い続けなければならないという滑稽。
たった2つの国の戦争の痛みにすら耐えられないのに、戦いを拡散させるという処刑。
犠牲が増えるたびに、犠牲に報いようとより確かな平和を求めて戦い、より犠牲を増やしていく喜劇。
掬えど、掬えど、零れ落ちていくのならば、僕はいったい何をすればよかったのだろう。
守りたかったのは、ささいなこと。誰もが笑顔で入られる世界が、欲しかった。
この力があればそれができると思っていた。
その力があれば、全てを守れると思った。守りたいと思った。
その思いを携えた両の腕が旋律を奏でる。
億万の共界線を並べて組み合わせ、海を、森を、山を、島の全てを自分として掌握する。
送り込まれる嘆きの全てを識りながら、それでも奏で続けた。
友の、仲間の、家族の、恋人の、みんなの苦しみを全て感じながら、それでも、それでも力を揮い続けた。
だけど力では何も守れない。ルカの力でも、災厄の力でも、オディオの力でも。
血塗られた手で掴める理想なんてない。だけど、僕の手はあのとき彼女を刺したときに汚れてしまった。
小さな世界を守りたかっただけなのに、その小さな世界にさえこれだけの悲しみがあって、
守るための力のはずなのに、嘆きが鳴り止まなくて、世界には憎しみが溢れかえってて。
もう僕では守れない。穢れ、砕かれ、終わってしまった者に守る資格なんてなかった。
救えぬと識って嘆いて泣き叫んで、それでも守りたかった。
もう、何を守りたかったのかさえ、忘れてしまったというのに。
血塗られた僕に、力しかない僕達に――――――何かを守ることなんてできなかったんだよ。
「貴様には背負えぬ。この宿業も、罪も、痛みも。魔王の座も!
我は憂い、我は嘆き、我は怒り、我は悲しみ――――我は、全ての憎悪を汲み取るもの」
ディエルゴの衝動に食い尽くされるなかで、僕はその中心にある紅の暴君へと手を伸ばす。
欲しかった力がそこにあるのに、溢れ出る憎悪に遮られて、その手は届かなかった。
……でも、何でこれが欲しかったんだろう。いや、そもそも……欲しかったのは、力だっただろうか?
恨まれたかったわけじゃない。殺したかったわけじゃない。
それでも恨まれることを望んで、必要な人を殺し続けて。
それでも、手を伸ばし続けた。届かないと解かっていても、あの紅い光を目指し続けた。
僕は、何が欲しかったのだろうか……何になりたかったのだろうか……
「最早、奴の名を冠する意味もなし。我はディエルゴ――――“憎悪<オディオ>のディエルゴ”!!
資格無き者よ、貴様が積み上げた宿業とともに果てるがいいッ!!」
全ての嘆きを生み出す争いの根源、憎悪の名を冠した意思が、全てを否定する。
ブライトもアトレイドも砕かれ、ジョウイという名前に亀裂が入る。
……守りたかった。その全てを、守りたかった。
たとえ『勇者』にも『英雄』にもなれないとしても、僕は、僕は。
『何かになろうとするのに、資格なんていらないんだよッ!!』
僕が終わるそのとき、紅の暴君に輝いた。
ディエルゴの嘆きの中でも確かに解かる光が、闇を切り裂いて僕へと伸びていく。
紅の閃光が僕の手を掴む。暖かい、血の熱が僕に伝わる。
僕を知っている手のひらが、僕を忘れた僕に僕を教えてくれる。
仄かに暖かいその光の熱を、僕は知っていた。
太陽のように暖かい、赫き風。
その名は。
僕が、最初に見た光。
君の名は。
『なんだってできるわたしたちは、なんにだってなれるんだからッ!!』
ああ……そうだったのか。
あの光は―――――――――きっとはじまりの光だったんだ。
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最終更新:2012年02月03日 19:13