夜空を越えて -True Magic-(前編) ◆wqJoVoH16Y
稲妻を受けたように、ジョウイは目を覚ました。
呼吸の荒さと心臓の鼓動が耳朶で飽和し、びっしょりと全身を伝う冷や汗の不快感がジョウイを覆う。
ジョウイは無意識に左手を胸に当てて、その鼓動を確かめていた。
確かな心臓が命の音色を奏でている。
(ここは……)
己が卑しい習性が、反射的に現状確認を身体に指示し、ジョウイの眼は周囲を見渡した。
周囲は暗く、僅かな星の光が岩肌を照らしている。どうやら今は夜らしい。
夜の冷えた空気がジョウイの恐怖に似た興奮を僅かに鎮め、
耳に喧しい心臓の鼓動の代わりに水音の流れが伝った。
飛沫の一粒一粒が輝いているのかと思うほどに涼やかなその音色にジョウイの筋肉は熱を冷まし、一筋一筋の形が明瞭となる。
左足を前に出し、右足を折っている。尻と背にになめらかな岩肌の感触。
手に握り肩に掛けた棒の感触は、実に慣れ親しんだ得物、天星烈棍のものだ。
ジョウイは漸く己が岩を背に腰掛け、棍と共に休んでいることに気付いた。
(ああ、そうか、ここは……)
忘れもしない約束の場所――――天山の峠で、ジョウイは夜の空を見上げ光無き空に己が身を映す。
二人が離れ離れになったとしても、ここでもう一度逢おうと誓ったのだ。
(そうだ、僕は……リオウをここで待っていたんだ。その内に、寝てしまってたのか……)
だが、その約束は叶えられなかった。
太陽が沈めどリオウは来ず、どうやらジョウイは落日と共にうたた寝をしていたらしい。
それを理解したとたん、思い出したかのように身体に得も言われぬ倦怠感が覆い被さった。
震える腕を押し上げ、闇夜に右手の甲を翳すと、そこにはよく見知った黒き刃の紋章があった。
黒き刃の紋章を限界まで酷使したジョウイは、最早余命幾許も無かったのだ。
だから残された命を遣い、リオウにこの紋章を渡したかった。
ジョウイの願いを叶えるべく。
「悪い夢を見ていた気がするな……」
ジョウイは瞳を閉じて口元を歪めた。
どこか見知らぬ島に集められ、何処の誰とも解らない魔王の力に魅せられ、もう一度理想を追い求めようとした夢だった。
惑い、迷い、もがき、後一歩までたどり着いて、崩れ落ちる夢。
あれは自身の弱い心が生んだ幻だったのだろうか。
もう一度、もう一度機会があればという甘えが生んだ虚夢。
その甘さにジョウイは苦笑した。
追い求めて、破れたこの身が何を夢見るのかと。
水が滝と落ちる音だけが峠に響く。誰も来る気配はない。
理想を託すべきリオウが来なかった時点で、ジョウイの理想は終わっていたのだ。
もう一度機会があろうが何をしようが、叶わないものは叶わない。
その過ぎた理想は、最初から無理なものだったのだ。
「寒いな……」
息を吐きながらジョウイは棍を強く握りしめた。
雨も風もないが、夜の滝はそれだけで熱を遙か滝壺に流し込んでしまう。
吸い込まれる水と一緒に、ジョウイの中の熱すら奪い尽くされてしまいそうだった。
だが、それが報いか。理想のために全てを奪い尽くした悪王の末路としては、それなりに悪くない。
「隣、いいかな?」
そう思って棍を手放そうとしたジョウイの耳に、声が響く。
誰もいない、誰も来ないこの場所に、一体誰が――――とは、ジョウイは思わなかった。
「びっくりした?」
「うん。あのとき、君が僕に驚いた時くらいには」
ジョウイは眼を閉じたまま相槌を打つ。
目を開けてしまうと、この声も幻と消えてしまうんじゃないかと思えたからだった。
「嘘ばっかり。もしかして、途中から夢じゃないって気付いてた?」
「うん、そうじゃないかと思った。夢で落とすには、僕は余りに汚れすぎているからね」
あまり、多くを喋った訳ではない。だが、それでも、その声を聞けばジョウイの中でその顔がありありと浮かぶ。
浮かぶ顔を頭に浮かべながら、ゆっくりとジョウイは瞼をあけて、その声へと顔を向けた。
瞼が開くと共に、ジョウイの記憶と視界が同期していく。
瑞々しい腿まで包む真白いニーソックスに赤のローブ。胸元の六芒星。そして二つに纏められた亜麻色の髪。
あの紅色とともに在りしその姿が、今でも目に焼き付いている。
「でも、君に逢えるなんて思ってなかったよ。リルカ」
「久しぶりだね、ジョウイ」
だが何より、何よりも。
夜の中でも、おひさまのように明るい君の笑顔を、どうして忘れられようか。
リルカ=エレニアック。
クレストグラフと呼ばれる紋章術に似た力を扱うクレストソーサー。
Awkward Rush & Mission Savers(緊急任務遂行部隊)――――ARMSと呼ばれる自警組織の隊員。
ジョウイが持つ彼女について事実と呼べる情報はそのくらいでしかない。
だが、ジョウイにとって彼女は忘れられない、忘れようもない存在だった。
あの魔王よりジョウイを逃がすために紅の暴君の力を引き出して果てた、ジョウイにとってこの島での最初の犠牲だったのだ。
「私も“あ、こりゃダメだな”って思ってたんだけどね。助けてくれた人がいたんだよ」
その彼女が何故存在しているのか。そうジョウイが問うよりも早く、リルカは空を見上げて答えた。
その眼はここではない別の夜空を見つめていた。
全てのチカラを魔剣に注ぎ込んで果てた後、逢えないことを悲しみながら手を伸ばした夜空だった。
「ホントを言うと死んじゃってるらしいんだけどさ。私のココロを、ほんの少しだけ切り取ってここに残してくれたんだよ」
だが、その手は掴まれなかったが、そのココロの幾許かだけは魔剣の中に残されていたらしい。
「じゃあ、ここはやっぱり……」
「うん。紅の暴君の中、ディエルゴに読み込まれた君の内的宇宙だよ」
リルカの答えに納得したようにジョウイは夜空を改めて見上げた。
天を覆うあの闇は、ディエルゴの……否、ディエルゴを構築したオディオの憎悪だ。
全ては夜の闇に覆われ、この約束の地が残された。
ジョウイの物語の終わりだけが、ジョウイに残された世界の全てだった。
リルカが護らなければ、ここさえ既に蝕まれていただろう。
「リルカ、でも、それじゃ君は……」
「あ、気にしなくていいよッ!? そりゃ剣の中ってのも窮屈だけど、話し相手もいたしさ」
リルカは既に死んでいる。そしてなにより、アナスタシアに似た概念として存在することが、
決して“生きている”とは言えないことをジョウイは知っていた。
申し訳なさそうにうなだれるジョウイにリルカは頭を振って否定する。
「それに……逢いたい人たちにも、出会えたしね」
リルカはそういって、ジョウイと“別れた”後のことをぽつぽつと語った。
魔剣とともにリルカはいた。故に、魔剣を通じてリルカは末期の悲願を叶えていたのだ。
死んだと思っていたブラッドが生きていたことを知れたし、マリアベルが無事だったことも知ることができた。
カノンに出会うことができなかったのはやはり少し悲しかったが、
それでも、誰よりも逢いたかった人の無事な姿を一目見えることができたことは嬉しかった。
だが、それはつまり、紅の暴君が彼らに与えた仕打ちを識っているということに他ならない。
ブラッドの命が魔王に撃ち込まれたとき、背中にあった彼女は感じ取っていた。
最高の友達の為に命を失うマリアベルの最後を、彼女は見ていた。
そして、アシュレーと触れ合えたはずの刹那に、
紅の暴君の中に宿っていた災厄がアシュレーに乗り移る所を、彼女はただ見ていることしかできなかった。
彼女は、仲間たちと再び出会い、そして彼らが苦しむところを見ていることしかできなかった。
ジョウイはそれをただ黙って聞いていた。震えるような彼女の言葉を、一言一句聞き逃さぬように。
「止めたかったよ。でも、その人が止めたんだ。
ロードブレイザーもディエルゴもいる今、見つかったら確実に食われてしまうって」
その時のリルカの気持ちを、ジョウイは下唇を噛む彼女に見た。
ここにいる彼女は、彼女のココロのほんの一欠片に過ぎない。
残滓とはいえ、見つかれば容赦なく災厄たちはその欠片を糧としただろう。
災厄の一部として彼ら仲間たちの敵となることもまた、彼女は望まなかったのだ。
だから、彼女はただ見ていることしかできなかった。紅の暴君に纏わる絶望を、苦痛を、宿業をその心に浴びながら。
「でも、だからジョウイにもまた逢えたんだよ?」
「そうか……あのとき、魔王が紅の暴君を持っていたんだね」
ジョウイはそこで初めてリルカに相槌を打った。
2度目の魔王との邂逅の時に、既にその背中に紅の暴君はあったのだろう。
魔王との邂逅は魔剣との邂逅と同義だ。その度にジョウイはリルカとすれ違っていたというのか。
「リルカ。一つ……いや、二つ教えて欲しい」
何? とジョウイの問いにリルカは空を見ながら先を促す。
「君は、僕が何をしたいのかを知っている。
しかも、それは今ディエルゴに読み込まれたからじゃない。もっと早い段階からだ。そうだね?」
「……うん。ここに来て直ぐ、その人に、教えてもらったよ。
君が、優勝しようとしてるってことを……何のためにそうしようとしているのかも……」
ジョウイの問いにも、リルカの返答にも、何一つ責めるような意志はなかった。
このような形とは言えリルカに再会できたジョウイがまず最初にしようと思ったのは、リルカに対する謝罪だった。
君を利用しようとしていたのだと、騙し、最後は裏切ろうと思っていたのだと。
そんな自分をあのとき護った価値など無いのだと、そう言おうとした。
だが、リルカはジョウイのことを問わずに、自分のことを語った。
ジョウイに語らせぬように、自分のことをしゃべり続けた。
もしもリルカが咄嗟にジョウイを庇ったというのなら、ゴゴの背中を刺したことを問わぬ訳がないのだ。
それが意味することは一つ。リルカは、ジョウイの真意を識っている。
「どうして、僕を助けた……?」
だからこそ、ジョウイは問わずにはいられなかった。
助けられた側が言う台詞でないことは承知の上で、それでも聞かずに甘えることはできない。
1度助けた人間が、悪であり罪を侵そうとしていることを識った上で、何故もう一度手を差し伸べたというのか。
「……本当はさ、もう何もしないつもりだったんだ。今更わたしができることもなかったから」
少しだけ考えた後、リルカはそう切り出した。
吸い上げられた怨嗟とそれを糧に嗤う災厄の内在する紅の暴君にいた彼女は、少しずつ、しかし確実に壊れつつあった。
魔剣の外側に苦難にいる人たちがいることを識りながらも手を伸ばすこともできず、
傍観することしか出来ない彼女は、やがて諦めようと思ったのだ。
伸ばしたくても伸ばせないのならば、伸ばさないと思ったほうが楽になれる。
感応石から伝わる無色の憎悪を浴びながら、魔剣に溶けてしまおうと彼女は思ったのだ。
「そんなときにさ、見たんだよ。眩し過ぎるくらいに明るい、あの雷を」
ジョウイは黙ったまま横目で空を仰ぐリルカを見る。その瞳には夜でありながらも明るいあの雷命の光があった。
救われぬ者を救う光。誰も彼もの心に『灯』を点けたその輝きはまた、紅の暴君の中にあった彼女にもまた届いたのだ。
「救いたいって思ったんだよ。こんなザマの私でも、何かを護りたいって。
でも私ヘッポコだからさ、誰を守ればいいか分かんなくなっちゃってさ」
マリアベルの死に、そして放送によってこの島に呼ばれたARMSは全滅を知った。
アナスタシアは生きていたが、リルカにとって遥か過去の聖女である彼女は、手を伸ばすにはあまりにも“遠すぎた”。
彼女の“つながり”は全て絶たれ、彼女が手を伸ばす必要も理由もなくなったのだ。
「そしたらさ、君の顔が浮かんだんだよ。ジョウイ」
「僕が?」
うん、とジョウイにリルカは頷く。
夜明けを待たずして果てたリルカの想い出は、元いた世界の仲間たちとの想い出と同義だ。
たった一つ、最初に出会った金髪の少年との出会いを除けば。
「最初にさ、出会って名前を教えてもらったときにさ。
なんか少しだけ不思議に思ったんだ――――――“一体、何を無理してるんだろうって”」
本当のところは全然分からなかったんだけどね、とリルカが頬を指で掻く横で、ジョウイは納得をした。
裏表のない、悪く言えば単純な少女だと最初は高をくくっていた。
だが確かに、リルカの笑顔に比べれば、自分の作り笑いなど贋作にすら劣るだろう。
本心を押し殺して、その本心の奥に疼くものさえ押し潰して、本物の笑顔などできるものか。
「似てるんだよね。“自分がしなければならない”って、何もかもを背負い込んで、ひとりで突っ走るあたりが」
リルカの瞳に映ったのは誰だったのか。ジョウイには分からなかった。
英雄の血に囚われ“英雄にならなければならない”と届かぬ高みを独り目指した男。
敵も味方も、実の妹さえも――何もかもを道具にして、世界を守った英雄たろうとした孤高の人。
かつてリルカが見た司令官の顔が、目の前の少年に重なった。
「無理しなくていいんじゃないかな?」
リルカはゆっくりと、しかしはっきりとした音調でかつて言えなかった言葉を送った。
「全部じゃなくていいんだよ。自分がしたい、自分の守りたいものを守れば。
そうやって、みんなで守って、みんなが救われて。そうやって、全部が守られるんだよ。
私たちは―――――――ひとりじゃないんだから」
それがARMSの答え。
あまりに強過ぎたアナスタシア=ルン=ヴァレリアが省みることができず、
ヴァレリアの悲しみに沈み過ぎたアーヴィング=ヴォルド=ヴァレリアがたどり着けなかった英雄の真実。
そして誰よりも英雄に悩んだユーリルが、その果てに掴み取った勇者の答え。
生贄だろうが、犠牲だろうが、人を救う者は須らく『英雄』。
誰かが誰かを救い、誰かが誰かに救われるのならば、みんなが『英雄』となる。
そして『みんな』という『英雄』が世界を救うのならば――――そこに誰かという『生贄』は存在しないのだ。
「だからさ……キミ1人で背負うことは、ないんだよ。喜びも、悲しみも……みんなで分かち合うものなんだから」
リルカの言葉がそこで途切れ、水音だけの静寂が訪れる。
それが、リルカの伝えたかったことだった。
救われ、救い、信念を貫き通したARMS達には、自分の助けなんて必要ない。
だからこの島で出会った“つながり”に、どうか救われて欲しいと思ったのだ。
アーヴィングが『英雄』に到達しようとしたように、ジョウイもまた『理想』を目指している。
それは違うのだと、リルカは――かつて自分のせいで喪った姉の代わりになろうとした彼女は言った。
リルカはリルカにしかなれない。ジョウイはジョウイにしかなれない。
だけど『みんな』は『みんな』になれるのだ。だから何でもできる。ここには全てがある。
ひとりで抱え込んだ『理想』なんて、目指す必要はないのだ。
「……長話しちゃったね。ここは寒いから、そろそろ行ったほうがいいよ」
少しずつその闇を色濃くしていく夜空を見ながらリルカはそういって、麓への道を指差した。
「私のミスティックでもう一度内側からこの剣にアクセスする。
そしたら多分だけど、ディエルゴは私の方を先に取り込もうとするはず。その隙にジョウイは、逃げて」
最後の力――否、最後の存在で、ジョウイを紅の暴君から切り離す。リルカは事も無げにそういった。
「大丈夫。ゴゴって人から、憎悪を取り除いただけってことで、きっとみんな迎えてくれるよ」
棍を折れんばかりに握り締めたまま俯くジョウイに、リルカはその意味を勘違いしたままあやそうとした。
麓に下りれば、そこはキャロの村。みんなが、仲間達が待つ、リルカが信じた世界がある。
そこには安寧があるのだろう。優しさがあるのだろう。理想を喪っても残る幾許かの平穏があるのだろう。
「リルカは、どうなる」
「私? わ、私は、平気だよ? もう、どっちみち永くないしさ」
ジョウイの突然の問いに、僅かに狼狽しながらリルカは答えた。
書き込みに割り込んだ時点で、剣の中に残ったリルカの欠片が残る可能性は消滅している。
なによりここにいるリルカはいわば泡沫の夢。泡は何れ弾け、消え行くが定めだ。
「私のことなんて、気にしなくていいよ。だからさ、キミは……キミの守りたいものを、守ってよ」
だから、生きているジョウイに、生きて欲しいと願った。
自分の為に、理想に縛られない自分として、自由に生きて欲しいと思ったのだ。
「――――僕が守りたいのはさ、たいしたものじゃないんだよ」
そう言ったジョウイは頭を上げて、夜空をもう一度見上げた。
星もない闇の空に、それでも星がないかと探しながら。
「子供が、一人いるんだ。
ちょこちゃんくらいの背丈の、小さな子だよ。
親も、故郷も、一度は声も……戦争で亡くした子でね。今は、信頼できる人に預けて、安心できる場所に住まわせてる」
ピリカ。それはジョウイが明確に認識した“戦争の痛み”そのものだった。
「彼女が、ちゃんと過ごせる場所が欲しかったんだよ。
安寧、平穏、平和……なんでもいい、ただ、あの子がもう一度安心して笑えて、それを二度と失わないようにしたかった」
それこそが、ジョウイの“一なる願い”だった。
彼女には何の罪もなかった。誰かを貶めたことも、その血に咎が流れていたわけでもない。
ルカにもハイランドにも、都市同盟にも関わりのないただの村で。
たまたま進軍路にあったから滅ぼされた。ただ誰かの悪意によって一方的に巻き込まれた少女。
彼女を“救い”たかった。彼女から一方的に奪いつくしたモノたちから、彼女を守りたかった。
全ての大本を辿れば、そこに至るジョウイ=アトレイドの原初。
たった一人の少女の平穏という、ささやかなものだった。
「だったら、どうしてそこまで……?」
「二度と失いたくなかった。絶対に彼女を守りたかったんだ」
黒き刃の紋章の力があれば、確かにそこらの野盗紛いの兵士崩れなど物の数ではないだろう。
だが、いつまでもジョウイがピリカの傍に居られるわけでもない。
別れはいつか必ずやってくる。その後、ピリカをどうやって守るというのか。
「最初は、ルカを倒せばいいと思っていた。それで戦争は終わると思ってた……
でも、世界はそんなに簡単じゃないんだ。ルカを倒したとしても、争いは無くならない。
“みんな”は“みんな”で居られるほど、人は強くはないんだ」
ジョウストンの丘で見た醜い縄張り争い。
ルカという脅威を前にしても、保身と利しか考えず“みんな”になれない者たち。
アーヴィング=ヴォルド=ヴァレリアがかつてそうしたように、
リオウという名の『ARMS』を作らなければ“みんな”になれなかった者たち。
そんな者たちの生きる世界で、この戦争が“最後”になると思うほど、ジョウイは“みんな”を信じられなかった。
リルカは、ジョウイの独白を黙って聞き入っていた。
肯定も否定もないことを受けて、ジョウイは一区切り置いてからまた語りだした。
「……この戦いにしたってそうだ。ここで僕が彼らの仲間になって、オディオを倒したとしよう。
その後、元の世界に戻って……彼女を守って……僕が年老いて死ぬ。
ピリカが、誰かいい人を見つけて……子供を作って……その子供がまた子供を産んで……
“そこで、オディオがその子供をこのバトルロワイアルに招いたとき、僕はその子を守ることが出来ない”んだ」
「そうならないように……オディオを倒すんじゃないの?」
リルカはジョウイの言葉に反論しようとしたが、ジョウイの冷え切った眼を見て、それだけを口にした。
オディオを倒せば、それで済む。悲劇は止まる。そうでなければあまりにも報われない。
「……オディオは、このゲームを止めない。形を変えるかもしれないが、同じことをするだろう」
だが、ジョウイは無慈悲に希望を断った。予測でも類推でもなく、明確な断定を以て真実を規定する。
「これまでの5回の放送。そしてアキラが観た夢の中のオディオ。そして
ストレイボウさんの語ったオルステッド。
そこから見えるオディオの目的は――――勝者に敗者を省みらせることだ」
正義であったはずの勇者オルステッドは魔王オディオという悪となった。
オルステッドも、オディオも同じ人物でしかないはずなのに、正義は悪となった。
その二つを分かつのは、勝者であったか敗者であったか。あるいは、人がどちらととったか、それだけだ。
故に、オディオはこの戦いで知らしめようとしている。
正義と悪を分かつ境界の正体が勝敗の差でしかないこと以て、正義となった勝者の本質を見せようとしているのだ。
「それが、何でオディオがこの戦いを止めないことになるの?」
「オディオが“敗者に何もしないから”だ。
オディオは、勝者に省みろというだけで――敗者に対し、何もしていない。出来ないと諦めている」
それこそがジョウイだけが見切った、オディオの瑕だった。
この戦いの中でジョウイだけが――敗者の王だけが理解できる真実だった。
オディオは何度も言っていた。勝ち続けろと、敗者を蹴落とし、踏み潰して自分に至れと。
そして、自分達が敗者の上に立つという愚かさ、醜さを知れと言い続けた。
敗者は省みられなければならない。なるほど、それは正しい。
敗者の王はそれに同意し、しかしその先を問う。
だが――――“それで敗者は救われるのか?”
それで敗者の何が変わる。
勝者が涙を流し自分が悪かったといいながらその座を敗者に譲るとでもいうのか。
それとも敗者の踏み心地を確かめながら、敗者にありがたみを抱きながら踏み続けるのか。
変わらない。何も変わらない。勝者がそれを知ったところで、既に勝者は勝者だ。
嫌々だろうが嬉々としてだろうが一度負けようが省みられようが省みようが、勝った者は勝者だ。負けた者は敗者だ。
この場に呼ばれた敗者が勝者に勝ったところで同じことだ。
ロードブレイザーがアシュレーに勝とうが、ルカがリオウに勝とうが――それは結局、勝ったから勝者になるに過ぎない。
そう、それこそオディオの言うとおり“敗者を省みよ”ということになる。
敗者は……何をどうしようが敗者なのだ。勝者がどうしようもなく勝者であるのと同じように。
このバトルロワイアルで“誰が”勝者になるか、“誰が”敗者になるかを変えることができても、
『勝者』と『敗者』の絶対的な立ち位置は何一つ変わらない――――――敗者は、敗者のままだ。
新たなる敗者が再び勝者に対し、敗者を省みさせようとするだけだ。
「オディオも、薄々分かっているんだろう。
だから勝者を貶めようとしているんだ。敗者に手を差し伸べることができないから」
これだけの力を持ちながら、勇者オルステッドとしてルクレチアの未来を書き換えないのがその証拠だ。
もう一回やれば勝てるということは、勝利ではない。敗者たるオディオは、何をどうしようが勝者になれない。
だからせめて勝者に呪うのだ。敗者を省みよと、オディオを知れと、勝者を自分達の低きに引きずり落とそうとする。
そんなことをしたところで敗者にはなんの慰みにもならないと知ってなお、掻き毟ることを止められない。
「だから終わらない……オディオの渇きは、勝者の絶望を何度飲み干そうが、癒えることはない」
既に、誰も彼もが敗者について意識を始めている。その時点でオディオの目論見は既に達せられているといっていい。
だがそれだけだ。それは所詮、長雨の退屈凌ぎに呑むキツめの酒と変わらない。
酔いが醒めれば、そこにあるのは勝者と敗者の絶対たる真実だけだ。
胸の痛みを忘れるために、敗者である魔王オディオはまたその愚かしい酒に手を出すしかない。
「悲劇は幾度となく繰り返されるだろう、僕達の戦争のように。
そしてそこに巻き込まれるのは、いつだって当事者以外の、何の罪もない人たちだ。
僕は……それを止めたかった。決して揺るがぬ平穏。理想の国を作れば、それが叶うと想った」
このバトルロワイアルと同じだ。
当事者達の欲望が、正義が、怨念が、希望が、絶望が、争いを生む。
巻き込まれた人たちはその争いの中で嘆き、怒り、悲しみ、憂い、そして死ぬ。
そうして生き残っても――――何も変わらない世界で、いつか再び戦争が始まる。
ジョウイは、それを止めたかった。そうでなければ、焼け落ちたピリカの故郷に何も報いることが出来ない。
変えなければならない。争いを止めるだけでは足りない。争いを“終わらせなければならない”。
不完全な、バラバラなみんなを、一つにまとめるのだ。より強く、より完全な、朽ちることない理想の国を。
誰も傷つけることの無い、優しい世界を。
「だから……力を、求めたんだね」
「嗤ってくれリルカ。その末路が、ここだ。
独り善がりのエゴで、何もかもを犠牲にして、友も、仲間も、愛してくれた妻も、君や
ルッカさえも置き去りにして、
それでも理想を追った……追わずにはいられなかった悪王。それが僕なんだ」
ジョウイは天を見上げ、まるでそこに太陽があるかのように目を細めた。
最早終わった話だ。ジョウイをジョウイたらしめていた理想は、既に朽ちている。
ディエルゴの、ディエルゴだからこそ抱く感情に晒されたジョウイの理想は、終わった。
叶わぬと絶望することも、叶わないと妥協することもできなかった少年は、
追い求めた過ぎたる願いによって人の領分を越えた高みより落ちた。
「だから、ごめんリルカ。僕は君の手を掴めない。
これ以上、叶わない願いに……君を二度も巻き込めない……
そして……叶わないと分かってても……僕は、願い続けることを止められない……」
だからこそ、彼はリルカの手を掴めない。これは理想の代償であり、ジョウイ一人が墜ちるべき地獄なのだ。
これ以上叶わぬと解った理想のために、誰かを犠牲にすることに耐えられない。
そしてなにより、理想を棄てて生き永らえられるほど、ジョウイは強くなかった。
「何故なんだろうね……君の言うとおり、自分の守りたいものだけを守れば良かったはずなのに。
好きな人たちを守るだけでよかったのに……僕は……どうして『理想』を求めてしまったんだろう……」
命の終わりに、ジョウイの喉元からこれまで決して出てこなかった音が漏れる。
望んだのは自分自身。茨を歩む足を突き動かすのは、犠牲ではなく好意。
だが何故、何故僕は望んだのだろう。僕の願いは、きっと理想でなくても達せられたはずなのに。
されどそれは最早今更過ぎる問いだった。
紋章に命を食い尽くされ、ディエルゴに理想を侵されたジョウイの足は茨に傷ついてもう歩けない。
何故歩いていたかを、歩けなくなってから惑うなんて。
「今更……だね。さよなら……最後に、誰かと話せて、よかった」
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最終更新:2012年02月03日 19:15