救われぬ者 ◆iDqvc5TpTI


問おう、汝は何者か

――僕は“勇者”で、“勇者”は“生贄”で、でも僕は“勇者”じゃなくて……僕は、一体何なんだ?

“救いたい”人達がいた。
“救えなかった”人達がいた。
“救われた”自分がいた。
救い手たる自分になった。

ユーリルの半生は、“勇者”ユーリルの一生は、人を“救う”か“救われる”か。
それだけに費やされた。
救い手たれと望まれて、本当に“救いたかった”人達の命を犠牲に“救われた”彼は、せめてとばかり名も知らない人々を“救い”続けた。
無論、どれだけ救おうとも、所詮は代替行為。
飢えは満たされるはずがなく、ユーリルは更に多くの人々を“救う”ことを求めた。

“勇者”だから。
僕は、“勇者”だから。
“救わねばならない”。
人を、世界を、“救わなくちゃならない”。

だが、夢も未来も幸せも捨ててまで“救った”人達は、“救いようもなく”の身勝手だった。
彼らは“勇者”と導かれし者達がが命を賭けて戦っている間、安穏とした日々を送るだけだった。
誰一人、“勇者”と共に戦おうとしなかった。
誰一人、“勇者”の幸せを願ってはくれなかった。
一番好きで、一番“救いたかった”人でさえ、ユーリルという一人の人間のことを見ていてはくれなかった。

人々は“勇者”に全てを背負わせた。
ユーリルはただの“生贄”に成り果てた。

嫌だった。
もう全てが嫌になった。
何故自分だけが全てを奪われねばならなかったのか。
何故自分だけが全てを捨てねばならなかったのか。

何故僕が、何故僕が、何故僕が……。
何故僕だけが“勇者”で、何故僕だけが“救われない”……。

その答えを既にユーリルは知っていた。
ユーリルを“勇者”たらしめている最たる要因は、彼の生まれにこそあった。
混血なのだ、ユーリルは。
天上の民天空人と、地上の民人間の。

どうして二つの血が交われば、“勇者”たる資格を得るのか。
それは当のユーリルにも分からない。
天地の民の血が交わることで、化学反応的な何かが起きるのか。
はたまた、天空人と人間の組み合わせに限らず、異種族の血が混じり合えばよかったのか。
真実を知るのは混血を禁忌としたマスタードラゴンのみだろう。
ユーリルも別段、真相を知りたいとは思ってこなかった。
何故、どうしてが問題なのではなかった。
ユーリルが紛れもなく“勇者”であること。
その一点のみが彼にとっては重要だったのだから。

しかし、しかしだ。
今になってユーリルは疑問を持ってしまった。
そして一度考えだしてしまえば、答えはすぐに出た。

何故僕だけが“勇者”なのか。どうして僕だけが“勇者”なのか。

……天空人と地上人の混血だからだ。

じゃあどうして、混血であることが“勇者”の証なんだ?

決まっている。ユーリルが天空人でも人間でもないからだ。
勇者とは地獄の帝王を倒し、世界を救う者だとされてきた。
強大なる“闇”が降り立ちし時、何処より現れて“光”をもたらす存在だと。
“闇”を、魔族を犠牲にして、世界を救う存在だと、そうされてきたのだ。
ああそうだ、そうだとも。
“勇者”は世界を救う。
けれど、それは、文字通り、世界をまるごと救うということではない。
人間の、天空人の世界だけを、救うのだ。
魔族の王を滅ぼして。“闇”の世界も滅ぼして。
人間でもなければ、天空人でもない、“勇者”の居場所なんてない、人間と天空人の世界だけを“救う”のだ。

ああ、なんだ。
だったらピサロが僕のことを怖がって、殺しに来たのは当然じゃないか。
魔族の伝承に、忌むべき者として、“勇者”の名前が刻まれていたのも当たり前じゃないか。
それが、きっと“勇者”の本質なんだ。

忌むべき者。
人でもなければ天空人でもない禁忌の子ども。
魔族の世界を滅ぼすもの。
それが、“勇者”。

誰の心も痛まない“生贄”としてはうってつけの存在。
自分で自分を“救えない”哀れな子羊。

それが、僕だ、僕なんだ。
“勇者”を止めようにも、止められない訳だ。
この身に流れる血が原因だというのなら。

僕は僕から逃れられない。






問おう、汝は何者か

――僕は僕でしかないさ


イスラ・レヴィノスは遙か北の方角を見つめていた。
正しくは睨みつけていたと表すべきか。
常のように貼りつけた笑顔を崩すことなく、しかし、その瞳には明らかに険しい色が浮かんでいた。

「なんじゃ、イスラ。眉間に皺なんぞ寄せおってからに。今からそんな有様では、年老いてからが大変じゃぞい?」
「何百年も生きている君に言われると重い言葉だね。不老不死のノーブルレッドとやらも、肌のことは気にするのかい?」
「うむ、なんせわらわは乙女じゃからなッ! お肌のチェックも欠かせないのじゃ」
「へー、そうかい。けど、その自慢のお肌も、そんな着包みに包まれてちゃ宝の持ち腐れだね」
「うぐ」

なるほど、イスラに近づいてきたマリアベルの姿は、妙な着包みに包まれていた。
その着包みのデザインは何と言い表せばよいのだろうか。
妙なものは妙なのだ。
ディフォルメ化されたカカシというか、ちんちくりんな召喚獣もどきというか。
とにかく乙女とやらとはかけ離れた姿なのは確かだった。
まあ、女の子達はこういうぬいぐるみは好きそうだけど。
そんなことをつらつらと考えてしまったイスラに対し、マリアベルは聞いてもないのに言い訳を口にする。

「し、仕方なかろう。これもお肌を護るためじゃ。わらわらノーブルレッドは陽光は苦手なのじゃ」

手足をわたわた振りつつそっぽを向くという器用なことをやらかすマリアベルをよそに、イスラは得心する。
なるほど、思い返してみれば、彼が一度目の死を迎えたあの島にも、似たような少女がいた。
魔力の消費を抑えるために昼間は鎧に取り憑いていた幽霊の少女だった。
もっとも少女――ファリエルが取り憑いていた鎧は、マリアベルの着包みのような可愛らしいものではなかったが。
いや、案外。
でかくてごついあの鎧姿のファリエルと、小さくてずんぐりな着包み姿のマリアベルが並んだら、バランスのとれた凹凸コンビになれるかもしれない。
うん、これは、その、中々に、面白い。

「くく、あははははは!」
「わーらーうーなー!」
「いや、ごめんごめん。僕の世界で君と仲良くできそうな娘がいたのを思い出してね」
「ほう、それはちと興味があるのー。どれ、この戦いが終わったら会わせてくれぬか?」
「そうしてあげたいのはやまやまなんだけどね。あいにく僕の紹介じゃ会ってくれないかも。……嫌われるようなこと、沢山しちゃったからね」

呟く声に、僅かながらに悔いの色が混じったのを自覚する。
嫌われるようなこと。
ああ、本当に酷いことをしてきたものだ。
嘘をついて同情させ、火の手を放ち、子どもを人質にとり、大好きな姉を裏切った。
これが酷いことでなければなんだというのだ。
手段としては間違っていなかったと今でも思うところはある。
徹底的に嫌われれば、自身の死に際し、愛した人達を襲う悲しみは減らせるには違いない。
けれど。
イスラはその為に、多くの人達を巻き込んだ。
大好きな姉に悲しみを残さないようにする為に、多くの人に怒りや嘆きを振りまいた。
それを今更ながらに後悔する。
そう、後悔だ。
かつての彼は大好きな人達の後々の為を想い非道を働いてはいたが、自分の未来のことは考えていなかった。
文字通り彼には後がなかったのだ。
死ぬことを目的として生きていたイスラは、後のことを考えずによかったのだ。
だからこそ、あれだけの心痛むようなこともなせたのだろう。
彼は死ねるはずだった。
後悔するよりも早く、死ねるはずだった。
まったく、それはなんて身勝手な心持だったのだろうか。
気付くのが遅すぎた。
先刻彼らに罪を告白したストレイボウ同様に、だ。

「それがおぬしがストレイボウを許した理由か、イスラよ」
「間違えないで欲しいな。姉さんやアティ先生が殺される要因を作った彼のことを、僕は許してはいないさ」

怒りはある。
憎くもある。
何よりもストレイボウが道を踏み外した理由が、イスラからすればあまりにも理解不能だ。
たかだか一人の人間に勝てなかったくらい、なんだというのだ。
ストレイボウは武術大会で準優勝するほどの腕前を誇っていたではないか。
いささか短絡的だが、それはかの魔法使いが一国で二番目に強いと言っても過言ではない。
本人はその“二番”という点が気に食わなかったようだが、なんと贅沢な悩みだろう。
病魔に冒され、立つことどころかしゃべることもままならなかったイスラは、赤ん坊以下の存在だったというのに。
間違いなく人類の下から数えたほうが早い弱者だったというのに。
それを言うにことかいて、上から数えたほうが早かった強者の身で、更に上の相手に嫉妬したと?
そんなくだらない理由で生まれながらにほぼ全てを奪われていたイスラの手から、唯一残っていた姉という掛け替えのない存在をも奪ったと。

ふざけるな、ふざけるなよ。
お前は生前、十分に満ち足りた人生を送っていたんだよ。
引き立て役? 常に自分より上にいる人間?
それがどうした。
僕からすればこの世全ての人間がそうだったんだよ。
お前は散々オルステッドに勝てなかったことを恨んで、そいつに敗北を知らしめたかったそうだけど。
そういうあんたは自分が蹴落としてきた人間のことを考えていたのかよ。
あんただってあんたの上にいたオルステッド以外からは、オルステッド同様嫉妬の対象だったんだよ。

そう何度も何度も罵ってやりたかった。
実際にはそうしなかった。

「けどね、僕は彼を裁けるような人間じゃない。彼を見逃したのはたったそれだけのことだよ」

ストレイボウへの怒りや憎しみと共に湧き出てきた自嘲の念が、イスラを押し留めたのだ。
その真意が何であれ、イスラもまた裏切り者だった。
姉の願いを踏みにじり、アティの優しさを無為にし、アリーゼの強さから逃げ、多くの人間を傷つけ、あまつさえ本願も達せず死に絶えた。
悲しみを生まないために悲しみを振りまいた。
そのはずだったのに、結局イスラは死に際してまで悲しみを遺してしまった。
彼とストレイボウにいったいどれだけの差があるだろうか。
違わない。
その生から死に至るまで、人を裏切り続け、悲しませ続けた二人に差などない。

「イスラ……。じゃが、おぬしは自らに変わることをよしとした。
 ストレイボウとて今も変わろうと必死に足掻いておる。
 今すぐ自分も他人も許せとは言わぬがしかし「変わらないよ」」

ブラッドから自殺しようとしたことでも聞いていたのだろう。
イスラを労わろうとするマリアベルに、断固として言い返す。

「僕は僕だ。どこまで行こうとも僕は僕で、ストレイボウさんがストレイボウさんであることからは逃れられない。
 ほら、今だってそうさ。聡明な君になら分かるだろう。僕が君に話しかけられるまで何をしてたのか」

どれだけ変わりたいと願っても、どれだけ変わろうと努力しても。
人間は誰か別の誰かになるなんて不可能だ。
現に、まっすぐなヘクトルに惹かれているはずの自分は、今も変わらず捻くれたままだ。
ヘクトルのように、そしてアティのように、イスラは人を信じられない。
信じられないどころか、信じようとしていない。
イスラは疑っているのだ。仲間であるはずの人間を。
一人北に向かったあの男のことを。

「ジョウイのことかの」
「ご名答。どうもね、僕は彼のことが好きになれないんだ。同属嫌悪と言うべきかな。
 彼からは僕やストレイボウさんと同じ臭いがするんだよ。裏切り者の臭いがね」

口ではあたかも感情論や直感でしゃべっているようではあったが、ジョウイが疑わしいことに何も根拠がないわけではない。
ジョウイがマリアベルの南征に口を挟んだタイミングは、あまりにも的確なものだった。
賛成的な意見が出尽くし、作戦案も吟味され、皆の心意気が南征へと十分に固まったその時に。
ジョウイはそれまでおくびにも出さなかった座礁船のことを、初めて口にしたのだ。
もし、もしもだ。
ジョウイが初めから座礁船のことを話していたなら、マリアベルとてそのことを前提に組み込んだ上で方針をたてていただろう。
あくまでもイスラの推測だが、そうであれば恐らく彼女は南征ではなく北伐を選んでいたはずだ。
今回の作戦の肝は、【危険人物が疲弊しているうちに数の利を活かして各個撃破】することにこそある。
北と南、どちらを先に選ぶかは、二の次だ。
回復魔法を使えるカエル達に時間を与えたくないのは確かだが、座礁船のことを踏まえると話は別だ。
遺跡で待つといったのだ。
余程のことがない限りカエル達は遺跡から動かないだろう。
遺跡で待つという宣言自体が一種のブラフともとれなくはないが、イスラもマリアベルもその可能性は低いと思っている。
ブラフにしては遺跡の地下にあるという巨大な力のことを教えたことはリスクが大きすぎる。
それすらもでまかせだったとも疑えるが、疑いだせばキリがない。
何よりも、カエルは友情を、ストレイボウを裏切るような人物ではない。
彼らは間違いなく遺跡の奥深くで待ち続ける。
対して北に逃走したジャファルとそれを追っていったセッツァー、行方の知らないピサロはどうだろう。
得体のしれないセッツァーはともかく、他二人は間違いなく、他の参加者を殺そうと積極的に動くだろう。
特にジャファルはニノをヘクトルに預けた以上、すぐに追撃はしてくるまい。
他の二人とて数の不利は弁えているはずだ。
となると彼らが標的として目をつけるのは、最大でも三人でしか構成されていないアシュレーが率いる一党に他ならない。
これは看過出来ない事態だ。
マリアベル達は人殺しをしたくて人を殺しているわけではない。
何よりも人命救助を第一に動いている。
その彼女たちが他の誰かが危機に晒されるのを見過ごすはずがない。
座礁船のことを知ってさえいたなら、先に倒すべき相手をピサロとセッツァーとし、ジャファルの捕縛・説得を目論んだはずだ。
あわよくばアシュレー達との合流もだ。
しかし、それは座礁船のことを作戦立案時から知っていればの話だった。
後になって知ったところで、なら北伐に変更しようと容易に変えられるほど、一度口にしてしまった方針は軽くはない。
マリアベルやヘクトルは南征を前提として作戦を詰めていたし、イスラとて如何にして魔剣を奪取するかに意識を向け始めていた。
心情面の問題からしても、今ここで南征から北伐に変えれば、カエルやニノに多大な影響を及ぼすのは眼に見えていた。
既にその気になってカエルへの思いの丈をまとめようと悪戦苦闘していたストレイボウは、明らかに落胆するだろう。
視野を広く持とうと心がけだした彼はプランの変更に反対こそしないだろうが、その心中は穏やかではないはずだ。
最悪、ジャファルやピサロとの戦闘において、心ここにあらずな状態で望んでしまいかねない。
それは暗殺者からすればかっこうの隙となろう。
ニノに関してはその逆だ。
もとより彼女の中にはいち早くジャファルと会いたいと逸る気持ちがあった。
その気持を抑えてまで南征案に賛成した彼女だ。
いざ、やはり先に北伐をとなってしまえば、抑えていた分の想いが解放された反動で迂闊なことをしかねない。
誰にとっても一度定めてしまった作戦を土壇場で覆すのはいただけない展開だったのだ。
結果、イスラ達はジョウイが帰ってくるまで、北にも南にも行けず、時間を浪費するしかならなくなった。
これをジョウイに見事してやられたと思うのは、果たして考えすぎだろうか。

「おぬしの危惧していることも分かる。
 しかし、しかしのう。わらわはリルカの為に憤ってくれたあやつを信じてやりたいのじゃ。
 そう思ってしまうわらわは、おぬしからすれば甘いかのう?」

マリアベルとて、イスラが至った疑いと同じものを感じているのだろう。
暗躍しますとばかりに、危険人物と遭遇する可能性のあるこの期に及んで単独行動を申し出たジョウイを疑わないほど、この少女は愚かではない。
だけど、それでも信じたいのだと少女は言う。
大好きだった仲間の為に憤ってくれたジョウイの怒りは本物だったと。
なら、リルカ・エレニアックを通じて繋がっているであろう、自身とジョウイの絆を信じたい、と。

「そうだね。君は甘い。けど、それでいいと思うよ。君は甘いけど、僕よりよっぽど公平だ」

イスラがジョウイに疑いを抱いた始点は、どこまでいっても彼に対する嫌悪によるものだ。
こいつは信じられない、こいつは裏切り者な気がする。
彼の直感を前提にして立てた理論は、なるほど、パッと見それなりの説得力はあるだろう。
しかし説得力があるように思えて当然なのだ。
イスラの理論立ての方法は、自らが抱いた感情をいかに、それが真実であるかのように納得させる形にするか。
その一点に終始しているのだから。
対してマリアベルは感情と理論を一括りにしていない。
彼女はジョウイを理性的には疑いつつも、感情的には信じたいと思っている。
イスラのように感情で論理を曲げることもなければ、論理に感情を揺さぶられてもいない。
正しく、感情と理性を両立させているのだ。
ストレイボウが公平だと評し、ブラッドが頼れる仲間だと誇っていたわけだ。
これからのイスラ達の一団を先頭にたって引っ張る顔役がヘクトルなら、方向を定め、後ろから押し上げるブレインは間違いなくマリアベルになるだろう。
それ程に彼女の存在は大きく、皆の力になれているのだ。
彼女は誰かのために生きることができるのだ。
自身と違って。

「全く、わらわのことを褒めてくれるのは嬉しいが、あまり自分のことを卑下するものでもないぞ?」
「仕方ないだろ。僕は生まれて以来ずっと自分のことが嫌いだったんだからさ
 そう簡単にやめられるものじゃないさ」

今までなら、そこでイスラは言葉を終えていただろう。
自分は自分が嫌いなままだと。
自分が誰かのためにできるのは、意味のある死を遂げることくらいだと。

「けど」

けれど。
諦めることを嫌だと思えるようになったイスラは、その考えに反逆した。
心の中に残る一つの言葉を頼りに反逆した。
それはさっき、ストレイボウの懺悔を聞いた時に、ヘクトルから受け取った言葉だ。
イスラは、あの時、頭を下げるストレイボウを前にして、自らの手で裁くことをよしとできなかった。
代わりに彼はヘクトルに聞いた。
何故ストレイボウを許したのか、と。
イスラは知っていた。
ヘクトルがどれだけ恋人であったフロリーナという人を愛していたのかを、魂からの慟哭に触れて知っていた。
そんな彼がフロリーナの死を招いた元凶であるストレイボウを許したという。
その理由がイスラにも納得できるものだったなら。
自らもストレイボウのことを見逃そうと、そう考えてのことで。

“俺はさ。オスティアを、ああっと、俺が治めている領地のことなんだけどな。
 あの地を理想郷にしたいと思ってるんだ。
 オスティアの法さえ遵守すれば受け入れられて、どんな奴でも笑ってられる世界。
 それを俺は作りたいんだ”

でも、その言葉を聞いた時、そんな目論見はどこかに吹っ飛んでいた。
代わりとばかりに沸き上がってきた想いはただ一つ。

“……そこでなら僕でも笑っていられるかな?”

その問いかけに、ヘクトルはいかつい顔をきょとんと見開いた後で。
どこか嬉しげに笑って頷いてくれたのだ。
当たり前だろ、と。
そのたった一言が、イスラに新たな可能性を与えてくれた。

「どこまで行っても僕で、姉さんやアティ先生みたいにはなれないけど。
 僕が僕のままでも笑えるいつかが来るかもしれない。
 正直自分でも素直な僕なんて想像はつかないけどさ。
 想像もつかないような自分なら、嫌いにもなれなくて、“救われた”ような気さえして。
 まあいっかなって、そう思ったんだ」

夢想したのだ。
僕もマリアベルみたいになれるかもしれない、と。
ヘクトルのように感情に素直になれれば。
自分の感情に理屈を求めたりしないで、そのまま表に出せるようになれれば。
僕も、誰かの為に“生きられる”ようになるんじゃないかなってさ。

「だから、さっきはああ言ったけどさ。
 ストレイボウさんのことだって嫌いじゃなくなる日も来るかも知れないね」
「そうか……。ふむ、余計な心配だったようじゃの」

ふっとマリアベルが息を吐き、力を抜いたのがイスラには分かった。

「のう、イスラ。
 お主は自分のことを好きになれるのは、まだ先のように言っておるが」
「わらわは今のおぬしも、既に捨てたものではないと、そう思っておるぞ?」

イスラは先程の回想の中のヘクトルのように目を大きく見開いて。
体中の体温が上昇するのを感じた後、必死でそっぽを向きたくなるのを堪え、苦笑混じりであれど、受け取った好意に好意を返した。

「光栄だよ」

それが今のイスラにできる精一杯。
素直にはまだ程遠いものだったけれど。

「うむ! なんせ伝説のノーブルレッドたるわらわに認められたのだからの。存分に誇るがいい!」

それで十分だと胸を張ってくれるマリアベルを見て、悪くはないかなとイスラは感じた。

「マリアベルー! イスラさーん! アキラさんが起きたから、みんな集まって欲しいって、ヘクトルが!」

そんなイスラを見届けていたかのようなタイミングで、ニノの呼び声が響く。
気絶していたアキラが目を覚ました。
その意味することを理解して、イスラはすっと目を細めた。

「マリアベル。アキラが目覚めたってさ。となると恐らく」
「同じ頃に気絶したユーリル、そしてアナスタシアもそろそろ目を覚ますかもしれんの。
 或いは既に目を覚ましておるかもしれぬ」
「へー、じゃあどうするんだい? さっきいい忘れたけど、僕はストレイボウさん以上にアナスタシアは大っ嫌いなんだけど」
「そうか。わらわはアナスタシアが大好きじゃ。だから」
「おぬしが誇ってくれたわらわを、自分自身でも誇れるよう、今度こそ、わらわもあやつに向きあおう。
 本当に届けたかったいくつもの言葉をもって」




僕が僕であることから逃げられないのなら、僕はどうすれよかったのだろうか。

誰かは言った。
言葉にすればよかったのだと。
“勇者”なんかになりたくなかったと。
本当は、僕は、怖くて、辛くて、悲しくて堪らなかったのだと。
“勇者”の仮面を被らない一人の人間であるユーリルとしての本音を、分かってもらう努力をすべきだったのだと。

また別の誰かは言った。
“救いたい”奴だけ“救えば”よかったのだと。
辛いなら“勇者”を辞めればよかったのだと。
他の奴らは見捨てて、したくないことから逃げて。
それのどこが悪いのだと。

ユーリルの言い分を分からなくもないと告げたイスラ。
ユーリルの言い分をこともなげに切り捨てたアキラ。
性格も、外見も似ても似つかない二人。
けれど、その主張は、ユーリルに本気でぶつかってきた言葉が意味することは、奇しくも全く同じだった。

好きなように“生きれば”よかったのだと。
“勇者”であることを言い訳にしないで、感情に素直であるべきだったのだと。

そうイスラもアキラも、ユーリルのことを責めたのだ。

なんだよ、なんなんだよ、それは。
僕が悪かったとでもいうのか?
“勇者”たれと僕に望んだみんなじゃなく。
僕に全てを押し付けた誰かじゃなく。
僕から大切な者を奪った神や悪魔でもなく。
僕が“生贄”だったと囁いたアナスタシアですらなく。
僕が、僕自身が、一番自分を縛っていたのだと。
“勇者”であることを拒まなかった僕自身が。
夢を、未来を、幸せを、“勝手に”諦めてしまった僕自身が。

そう言いたいのか?
そう言いたいのかよ!

仕方がなかったんだ、仕方がなかったんだとユーリルは繰り返す。
そんなこと、考えたこともなかったと。
考えていいとすら思わなかったのだと。
だが、それこそが、諦めなのか。
考えることを放棄し、求められるがままに流された。
初志を忘れ、贖罪の意識に飲み込まれ、使命を言い訳とし、誇りもなく、ただ無秩序に、“勇者”で在り続けた。
人間と天空人を“救い”に“救い”、その数だけ魔族を殺しに殺してきた。
人の命を選びながら、さもそれを正しいことのように居直ってきた。

そっか。
気付いてしまったユーリルは愚かな自分を嘲笑う。

なんということはない。
アキラに言われたとおりなのか。
僕はただの“生贄”だったのか。
“救いたい”特定の誰かんなんていなかった。
始まりの誓いすら忘れ、“勇者”でいなければならないという自らへの強迫観念の元に、“勇者”を“してきただけの”の“生贄”だったのか。
他の誰でもない、自分で自分を“勇者”に捧げてしまった“生贄”だったのか……。




時系列順で読む


投下順で読む



130:〈 愛ちぎれる 金色の 断章 〉 ゴゴ 131-2:救われぬ者(中編)
128:アシュレー、『名』を呼ぶ(後編) ちょこ
127:エラスムスの邂光現象 ジョウイ
イスラ
アキラ
マリアベル
ニノ
ヘクトル
ストレイボウ
アナスタシア
ユーリル

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年07月21日 23:23