盾と刃が交わる時 -The X trigger-  ◆wqJoVoH16Y


深く黒い海を潜り、肺の中の気体の全てがその海水に置換されたとき、ジョウイは再度覚醒した。
闇の中に青白き灯火が瞬き、 僅かにカビの匂いの漂う薄暗き回廊。
苔すら生えぬ石床には生命の気配すらなく。多量の水気を含んだ空気は、どこまでも寒々として。
湿った空気の元である水路は何処から何処へ流れ行くのかも分からず、ただ流れていた。
ところどころ朽ちた家屋。その石壁は、やはりどう観ても打ち捨てられた廃墟のそれだ。
かつて確かにそこには誰かがいたのだろう。
しかし手で触れども何も帰るものは無く、この世の理は何一つ変わらない。

「ここは……真逆、灰色の……」

まるで、町そのものが殺された、死都と呼ぶに相応しい墓標。
ジョウイはそれに僅かなりとも心当たりがあった。
紋章の見せる夢、世界の結末、完全なる静寂、無へと還る死界――――剣たる秩序の終点。

「似ているけど、違う。ここは『死喰い』の内的宇宙―――君達が地下に眠る力と言っていたモノが見る夢だよ」

だが、ジョウイにかけられた言葉がそれを否定する。
死せる灰色の都の中に、仄かな光が集い、それはやがて人の形を成した。
「封印の剣の欠片と巨大感応石。その2つを組み合わせて島全体に構築された共界線のテレパスラインによって、
 参加者の怒り、悲しみ、嘆き……そして憎しみがこの島の中心に巣くうラヴォスの幼体へと送られ、餌とされる。
 そして、最後にはその死さえも喰う。それが力の正体、死を喰らうもの――――死喰いのシステムだ」
蒼と白で整えられた法衣を纏った男性だった。銀の髪がさらさらと風の無い空に流れている。
ジョウイは男の放つある種超然とした気配に、レックナートを思い出した。
「その為にはシステムの核となる幼体に“死の味を覚えさせなければならない”。
 蒐集した死を保管する器を用意しなければならない」
「……つまり、ここはオディオの復讐の結果だと?」
「理解が早いね。どうだろう、そこに感傷めいたものがあったのかどうかは、僕には解らない。
 解ることはただ一つ。“滅ぼされたルクレチアは――――ストレイボウを除いて、死喰いに国ごとその死を喰われた”」

ジョウイは今一度周囲を見渡す。
寒々しい石造りの家屋、遠くに見えるのは城だろうか。
全ての色彩を剥奪され、風も匂いもないこの死んだ街は、ストレイボウの懺悔に出てきた王国そのものだったのだ。

島にて殺されたモノは、この場所へと送られる。
生と死は混じり合うことができない。だから、死が滞在する街もまた死んでなければならない。
滅びの都ルクレチア。
死喰いの内側に在りし死を輪廻へと逃がさぬ檻にして、肉体なきプチラヴォスの亡霊に与えられた、最初の死<エサ>。
それこそが、かつてロザリーが垣間見て、そして今ジョウイの意識が佇む敗者の終点である。

「なら、ここには、もしかして……」
「探せばいるかもしれないね。だけど、やめておいた方がいい。触れれば、君も喰われるよ」

リルカ、ルッカ、魔王。自分が犠牲に、踏み台にしたものの幾許かがある。
そう思った瞬間、それを探しに行きたいという衝動がジョウイを駆けめぐったが、男が本気の声でそれを制する。
ここにあるのは死者の魂などではない。既に喰われた死喰いの一部、この白い大地、灰色の家屋の壁、黒い空と同じモノなのだ。
ここに居ること、それ自体が既に死んでいるようなものだ。触れればたちどころに死喰いがその死を喰うだろう。
ジョウイの肉が生きていようがいまいが容赦なく。
もしそんな場所を僅かなりとも歩けるとすれば、それはこの島に訪れる前から死んでいる存在ぐらいなものだろう。

「ならば貴方が、やはり」
「巨大な力を吸収させる隙に、自分が資格を持つ力を噛み込ませる。
 まさか、こんな方法でディエルゴを沈黙させるとは思わなかったよ」

この場所を理解したジョウイが、再度男に向き直る。
ジョウイにはその男が何者であるかにある程度の見当がついていた。
ディエルゴからの書き込みの最後、流れ込んできた知識――否、記憶は、あまりにも人間味がありすぎたのだ。
溢れるほどに満ち満ちた嘆きの中で、その人は壊れる最後まで泣いていた。ただ悲しんでいた。
とても、ただの怨霊・亡霊の集合体と呼べぬほどに。

「久しぶりだね、ジョウイ。といっても……君にとってははじめましてなんだろうけど――――」
「貴方は、リルカの言っていた、まさか――――アーヴィング=ヴォルド=ヴァレリアッ!?」

最初の挨拶をジョウイに遮られた銀髪の男は転ぶようなそぶりをして力なく笑った。
その敵意の無さに、ジョウイは毒気を抜かれる。
「はは、リルカにも同じことを言われたよ。よほど似てるのかな?」
その人懐っこい笑顔が、妙に印象に残る男だった。だが、ジョウイは理解している。
この妙な男が、ディエルゴとロードブレイザーの内在する紅の暴君の中で、
リルカの欠片を守り通したほどの曲者なのだと。

「僕は、ハイネル。ハイネル=コープス。
 君達が魔剣の意思と呼んだものの核であり……『理想』を求めて砕けた、夢の残骸だよ」

忘れられた島の怨念の集合、ディエルゴ。その核となってしまった残骸は、もう一度にっこりと笑った。

ハイネル=コープス。その名を識るものはこの島には少ない。
忘れられた島よりオディオに召喚された者たちですら、名前を知っている程度のものだ。
だが、その者が宿るモノについてならば、この場の誰もが知るだろう。
首輪を構成する1要素。魔剣の原型である封印の剣。
果てしなき蒼にアティの意識があったように、碧の賢帝と紅の暴君――――そこに封印された人間こそが、彼だった。

「書き込みを見たのならば、詳しくは言わなくてもいいね。
 君が垣間見たあの戦争を起こしたのが、僕だ。その戦争の最後に、封印の剣で僕は精神をバラバラにされた。
 その精神と融合した封印の剣こそが、君たちが紅の暴君と碧の賢帝と呼ぶものだ」

死せる都をゆっくりと歩きながら、ハイネルはジョウイに語りかけた。
ジョウイは自分が識ったその戦争を思い出し、嘔吐感を覚えた。
狂気と狂気の衝突、あれは最早、自身の知る戦争ではなかった。

「貴方が、リルカを」
「彼女のミスティックに、紅の暴君の中にいた僕の力も僅かなりとも活性化した。
 その力で、彼女の欠片を紅の暴君に留めたんだ」
その戦争の全てを識る召喚師は、少しだけ困ったような笑顔を浮かべた。
砕けたはずの紅の暴君が蘇り、そして自分もまたその中に存在した。
だが、彼にはなにもするつもりはなかった。出来ないというのが正しい。
ディエルゴの意識はおろか、更なる異物――焔の厄災すら混入した紅の暴君の中で、
三分の一しか存在しないハイネルに出来ることなど無かったのだ。

だが、声が聞こえてしまった。
不正な手段で強制的に魔剣に介入する意識。
汲み上げられた嘆きを堪えながら、それでも守ろうとした少女の決意。
そして、その最後に微かに紡がれた――死にたくないと言う言葉を、ハイネルは聞き逃すことが出来なかった。
「偽善だとは、わかっていたけどね。それでも、泣いている子には、弱い」
彼は彼女を魔剣の中に隠し続け、遺跡の中で魔王と同時にその下の死喰いの力を識った。
そして――――紅の暴君が感応石と接触したとき、
この島のシステムの全貌を識った彼は、リルカを守って、流れる憎悪と共にここに堕ちたのだ。

憎悪と共に墜ちた滅びのルクレチアで、ジョウイは掴むべき最後の剣、その力の核となった人物と対峙する。
ジョウイの脳裏の中で、幾千幾万の言葉が駆け巡った。
一体何を訪ねればいいのか、求めればいいのか、拒絶されているのか。
様々な思惑が交錯し、やがて一つの疑問へと形作られる。

「何故、僕にはなんの干渉もなかったんですか?」

その問いに、ハイネルが歩みを止める。
ジョウイが指摘しているのは、ジョウイが紅の暴君を最初に支給されたという事実に他ならない。
あの時、ジョウイが見たのはただの特徴的な剣でしかなかったのだ。
ディエルゴとロードブレイザーが活性化したのはリルカが紅の暴君にミスティックをかけた後だ。
ハイネルが紅の暴君に最初からいたというのならば、その前にハイネルは何か手を打てたはずではないか。
「僕は、君には何も言うつもりはなかった。例え魔剣の中に災厄がいたと分かっていても、君にだけは」
ハイネルがジョウイに向き直る。笑みを消したその顔は、まるで鏡を見て自分の顔に嫌悪するかのようだった。
「紅の暴君の中で、僕は君の目的を知った。だから君にだけは、力を貸すまいと思った。
 君は、アティともイスラとも違う、僕の一番愚かしい部分で適格してしまっていたから」
是非も無い同族への嫌悪だった。ジョウイとてそれを痛感する。
ディエルゴの中にあった嘆きは、血塗られた手で光を掴もうとした者のみが持つ慟哭だった。
この召喚師もまた、絶望を知ってなお、それでも守りたいものがあったのだろう。
たとえ、その身が砕けたとしても守りたいものが。
ならば、理想という太陽に近づいて焼かれようとしている少年に、手など貸せなかったのだろう。

「だが、君は……君の魔法を見つけたんだね」

しかしそこで、ハイネルはもう一度笑顔を浮かべた。嫌悪ではなく、過ぎ去った光の眩しさに目を晦ませるように。
ジョウイもハイネルも“それ”を目指し、そして一度堕ちた。
だが、ジョウイはそこから飛ぼうとしている。魔法という翼で、理想へと向かおうとしている。
なれば、最後に問わなければなるまい。理想を夢みて砕けた、哀れな末路に立つ者として。

「君の決意は僕にも聞こえた。だが、僕は彼女ほどロマンチストではない。
 ジョウイ。君は、如何にしてその魔法を貫くというんだい?
 支配、隷属……魔王として為せるどの行いにも英雄のような救いはない。それでも、理想を為せるとても?」

どれほどその理想が綺麗なものであっても、口で言うだけならば唯の絵空事だ。
そしてその絵空事はやがて唯のお題目となり、口実となり、死を振りまく形骸と堕す。
理由から始まり目的に終わるその道程、力をどう行使するかこそが、理想に問われるのだ。
「確かに、僕の目指す道は魔王のそれだ。英雄になれない僕は誰も救うことはできないでしょう。
 ですが、僕は誰も救う気はない。否、救いという選択に本質的な価値はない」
ハイネルはジョウイの言葉に、表情を変えなかった。変えまいとしたとも言える。
「あの輝きを見た上で、そう言っている」
「ええ。ユーリルは彼の魔法を見つけた。英雄とは、勇者とは救われぬ者を救う者。
 それは正しい。一部の隙もなく。だが、それ故に僕は確信する。“勇者では、僕の理想には足りないのだと”」
ジョウイは目を瞑り、瞼の裏に焼き付いた雷光を見つめる。
全てよ、救われろ。なにもかもよ、救われよ。
眩しすぎるほどの祈りは、ジョウイの抱く魔法に限りなく近い。
だが、それでは足りないのだ。救いでは、足りないのだ。
勇者ユーリル。
彼は他者の主観によって生み出されるアナスタシアの英雄ではない、自己の主観によって規律される勇者となった。
だが、それはアナスタシアの英雄像――即ち、旧来の英雄の存在を否定していない。
自らが望んで勇者たること。人から望まれて英雄たること。
勇者であることと生贄であることは矛盾しないからだ。
本人が勇者であろうがなかろうが、人が英雄を欲すればまた生贄は生まれるだろう。

「だからこそ、みんなが英雄になればいい。それが彼女の願いだ」
「だが、そこにいるみんなとは――――オディオの言う勝者達だ。僕は、それをみんなとは呼べません。
 英雄では、理想に限りなく近づけたとしても、理想には届かない」
皆で救い、皆で救われる世界。一見完璧に見える理想郷。
だが、ジョウイはそれでさえ満足できなかった。
そこには、ジョウイの背中に背負われたものに報いるには、僅かに足りないのだ。

「何故だい?」
「聖女の問いも、勇者の答えも――――逃れ得ぬ災厄を、救われていない者の存在を前提としているからです」
それこそが、彼らの答えにあって、ジョウイの理想に許容できないことだった。
困難は不滅。全ての英雄譚はその前提から始まる。
悲劇はなくならない、悲しみはなくならない、そんな世界にどう立ち向かうかというのが英雄譚の肝である。
アナスタシアの物語も、ロードブレイザーではなく、
絶対の困難に英雄を求めた人類の立ち向かい方を責めるばかりで“ロードブレイザーを誰も責めない”。
ユーリルの答えもまた然り。
救われぬものを救うのが勇者であるならば、そこには常に救われぬ者を生む始まりの困難がある。

どちらも、確定された困難の発生を前提として、それにどう立ち向かうかという問いであり答えなのだ。

「泣いたピリカがもう一度笑えることが救いだというのならば、僕は喜んで英雄になろう。
 だが、ピリカを二度と泣かさないことは、英雄では成し遂げられない」

それがジョウイには許せなかった。
理屈はわかる。災害、戦争、侵略、貧困……世には辛いことが多すぎる。
それを全部拭うことなど出来はしない。だから、みんなでその都度頑張ろう。そう言いたくもなるだろう。
だが、それでは足りないのだ。それでは始まりの涙を止められないのだ。
たとえその後救われたところで、その零れた涙を元に戻すことはできない。

ならばその涙すら、みんなで救い合うのか。
少量の悲しみは多量の幸福では埋められない。どれほどに薄めようが悲しみは残る。
それがある限り、救われないものが存在する。
救われても救えないものがいる。その困難に耐えられないものがいる。

誰もが英雄になれるほど、人は強くない。
それでも強くあれ、英雄であれというのならそれこそ強者・勝者の傲慢でしかない。
それを耐えられぬものが、敗者となる。
そしてみんなから弾かれた敗者は、みんなを羨み、妬み、そして言うだろう。
『敗者<わたし>を省みよ』と。

そう、勇者オルステッドが、魔王オディオとなったのであれば、
みんなが英雄になるということは、同時にみんなをオディオにする可能性と同義なのだ。
英雄が存在する限り、始まりの困難があり、それに負けたオディオは必ず存在する。
なればどうするか。救い救われるという英雄の循環では常にオディオを生じてしまう。

「ならば僕は、魔王としてそれを絶とう。救いでは終わらぬ英雄の循環をこの手で終わらせる。
 ありとあらゆる困難のない、誰一人として救われる必要のない世界を。
 勝者<英雄>も、敗者<オディオ>もない世界を造るッ!!」

それが、それこそがジョウイの理想。
救われぬ人々を救うのが英雄であるのならば、救われぬ人々を生まないようにするのが王だ。
この世界が、勝者と敗者が共に在るには狭すぎるというのならば、それを一つにする。
そしてそれは、ありとあらゆる困難を消滅させた先にしかない。
「出来ると思うかい。君もディエルゴが取り込んだ模倣とはいえ、オディオに触れた。
 あの世界を満たす憎悪を前にして、それでもなお?」
「それでも。真実の魔法は、本当の理想は、憎悪如きに砕けていいものじゃない」
自らを律するように告げるジョウイの脳裏に、ルクレチアが浮かんだ。
まだストレイボウが破滅の引鉄を引く前の、ルクレチアの王国を。
ルクレチアもそうだ。誰も彼もが、ストレイボウ本人さえもが、その滅びはストレイボウのせいだという。
だが、本当にそうだろうか。
姫が勾引かわされたとき、何故勇者オルステッドとその友ストレイボウだけで魔王征伐に向かわせたのか。
勇者ハッシュの時代の反省を生さず、何故ルクレチアは軍備を増強しなかった。
自らの兵力で魔王を討とうとすらしなかったのだ。
もしもオルステッドが立ち上がらなかったら、どうするつもりだったのだ。諦めて項垂れ続ける気だったのか。
いや、仮に錬度を高めて兵を鍛え上げたところでモンスターに太刀打ちできなかったとしても、
斥候、後方支援、回復薬の補充、勇者達が安全を確保した場所の維持――――出来ることは山ほどあったはずだ。
それだけの人数さえそこにいれば、ストレイボウが隠し扉を見つける瞬間を見つけられただろう。
誰かの目があれば、ストレイボウも理性を持ってその邪な気持ちを封じられただろう。
国が、後少しでもその力を英雄達に向けていれば、少なくともそれは避けられたはずだ。

国難を、よりにもよって英雄伝説に仮託する愚想を百歩譲って良しとしよう。
あくまで姫よりも国体の安んじられることが、兵士の守るべきものだったとしよう。
その上で国王を殺されるとは何事だ。
オルステッドが如何に救国の英雄だったとしても、それと国防はまったく別の問題だ。
幻術に対する恒常的な研究・警戒はなかったのか。オルステッドが魔王に乗っ取られた可能性は。
王を殺害されるに至るありとあらゆる可能性を、何故殺さなかった。
そうすれば、せめて、オルステッドに魔王の汚名を着せることだけはなかったはずだ。
最悪の結末だけは避けられたはずだ。

民が勇者を欲するのは仕様がない。民が魔王を擦り付けるのも仕様がない。
だが、王国がしっかりしていれば、秩序が保たれていれば、
ストレイボウの邪念の有無に関らず悲劇は避けられたはずなのだ。

逆に言い切ろう。その程度で滅びる国体ならば、遅かれ早かれストレイボウ以外の誰かの憎悪で王国は滅んだはずだ。
国とは、理想とは、ただ一人の憎悪によって砕けるようなものであってはならない。
ましてや、亡国の理由を、たった一人の、誰もが持ちえる感情を抱いただけの魔術師に負わせてはならない。
ストレイボウに罪はある。友を裏切った罪、それは確かにストレイボウがオルステッドに償うべき悪徳だ。
だが、国の滅亡だけは――――それを背負うべきは、国であり、その王でなくてはならないのだ。

「僕は目指す。英雄を欲する人の弱さすら許せる国を。
 英雄を祭り上げる必要も、自発的に英雄になる必要もない国を。
 それこそが、救いを越えてかくあるべき終点――――『楽園』だ!!」
「ッッ!!」

その世界に全ての悲しみがなくなれば、そこに救われぬ者はなく、
それを救う英雄はなく、英雄を欲する者たちもいない。
勝者と敗者のいない世界――――――それは即ち、争いのない世界。
即ち、真の理想の国に、英雄は“いない”のだ。

「夢物語だ。全ての世界から争いをなくす手段などない。全ての人が笑顔でいられる世界など、存在しない」
ハイネルはこれまでで一番強く、ジョウイの理想を否定した。
それを求めて壊れたからこそ、それがあり得ないと知るが故に。
「だから妥協しろというのなら、いつか救われて笑顔になれるから今は泣けというのなら、それは英雄の答えだ」
民は、人は英雄に救われてもいい。だが王だけは救いを求めるわけにはいかないのだ。
それは民にとっては祈りでも、王にとっては無責任。背負い抜くと決めた全てのものに対する裏切りだ。

「なれば僕は魔王としてそれを越えよう。
 存在しないと言うなら僕が作る。現実<ここ>にはない、理想<どこか>を――――『楽園』を打ち立てる!」

だからジョウイは救いを求めない。それではルクレチアと同じだ。
王が逃げれば、英雄に全てを委ねれば、そこにあるのはこの茫洋たる安穏だけだ。
いつか魔王が甦ることの確約された平穏だ。

「ありもしないものを、造れるというのかい」
「ここに来る前ならば、ありもしないと僕も思ったでしょう。
 ですが、造れます。貴方の助けがあるのならば」

ジョウイの射抜くような視線がハイネルと交差する。
ハイネルはその一言だけで、ジョウイがディエルゴの本質を掴んでいることを知った。
「これに成るというのかい。だが、それではやはり無理だ。僕が成ったのは所詮、島程度。それでさえ僕は砕けた。
 仮に君が成ったとしても、精々君の世界と、僕の世界への干渉ぐらいだ。それで“全て”の争いを終わらせることはできない」
人が自分の体しか動かせないように“これ”が動かせるのは自分の世界だけだ。
ジョウイでは自分の住まう百万世界、上手くいったとしてもリィンバウムまでだ。
それではとても全てとはいえない。
そもそも、全ての世界に等しく存在するものでも取り込まない限り、は。

「真逆、君は」
「ええ、そうです。此処にはそれがある。
 全ての世界に干渉する力が。全ての世界に干渉して僕らを呼び寄せた力が」

ハイネルはそこで漸くジョウイの理想、その道程の全貌を知った。
ハイネルのそれだけでは届かないその理想を、ジョウイはその力で成そうというのだ。
それは、遍く過去より未来に通じ世界全てに存在するもの。
それは、争いの火種となるもの。それは、ジョウイの理想に存在してはならないもの。

「憎悪<オディオ>。君はオディオを手に入れるつもりか」
「ええ、オディオなら――争いある全ての世界に手を伸ばせる。
 今なら、魔法を知った今なら言える。この力は、こんな悲しいことにしか使えない力なんかじゃない」

オディオが夢の中で吐露した真実こそが、ジョウイの道に光明を示す。
憎悪ある世界にしかオディオは干渉できない。
それは逆に言えば、オディオは憎悪ある全てに干渉できるということだ。
ああ、とジョウイは失望を以てオディオを想う。
敗者を省みろと勝者に語るばかりで、敗者に手を差し伸べないオディオよ。
貴方の嘆きは正しい。だが、それでは敗者はいつまでも敗者のままだ。
貴方がいみじくも“王”ならば何故それを悲しみを生むことにしか使えないのだ。
それは、お前の中にある悲しみ全てを消せるというのに。
お前がそれを使えないと言うなら、それでもいい。ならば僕が使おう。正々堂々、お前からその力を受け取ろう。
“その魔王の座も、僕が座ろう。勇者オルステッドよ”。


「君の狙いは――――あらゆる世界に偏在する全ての憎悪を端末として、全世界の核識になることか」


どの世界にも、どの時代にも、誰にも、何にも、憎悪は存在する。
全世界の憎悪を、核識によって統合・管理・制御――――支配する。
そして、それによって、憎悪の無い、争いのない世界を構築する。
オディオの力による、オディオの消滅。全世界を平穏なる世界へ変換する。
それこそがジョウイの、これまでの理想を超えた理想。誰も憎めなかった愚か者の願いの果てだった。

「君の理想は正しい。だが、それは一人の手で行われるべきものではない。
 それはみんなで到達するべき世界のはずだ」
「ならば猫が神代の戯曲を綴るまで待てというのか。それまでに折り重なる死体の数はどうなる。
 走れば減ったかもしれない死体の数を分かった上で歩くというのなら、それは既に犠牲と生贄の肯定だ」

――――――歴史は自然なるがまま、流れるのではない。時に人の手をかし、動かしてやる必要がある。

ジョウイの脳裏に、自らの理想に力を貸してくれた軍師がつど告げた信念が蘇る。
自然に任せていても、いつかそこにたどり着けるとしても、
それでも、ジョウイはそれに身を委ねることはできない。
優しい人が死ぬ世界。正しい思いが貫けない世界。愛した人たちが引き裂かれる世界。
それが自然だというのなら、そんな自然など、1秒たりとも早く終わらせなければならないのだ。
既にこの自然は数多の犠牲の上に”成り立ってしまっている”のだから。

「誰かが、この血塗れた世界に手を伸ばさなければならない。
 ならば、僕がそれを成そう。僕の手なんてどれほど汚れたって構わない」
「それが、本当に綺麗なものの為ならば、か」

手を汚してでも理想を目指したのは、理想が欲しかったからじゃない。
大好きな人たちに、綺麗な手のままそれを掴んで欲しかったからだ。
それを宿罪だというならば、それさえも背負おう。
綺麗な想いを守れるのならば、喜んでその悪徳を受けよう。
十字架を担って、冥府へ堕ちよう。そのために、魔王になったのだから。


ジョウイの答えの途絶えた滅びの都に、静寂が再び訪れる。
若き敗者の王の答えに、かつての島の主は何を想ったのか。
潮騒の音、温泉の熱、涼やかな樹の音色。
輝ける過去が、皆の笑顔が、魂を砕かれても決して色褪せぬ思い出がそこにあった。
その楽園が、もしも全てを満たすというのならば。
あのとき叶わなかった願いが、叶うというのならば。

「君は、いいのかい。この力は……いや、これはもはや力でさえない。
 これは、最初から壊れた存在だ。一度成れば、その滅びは必定だ。
 しかもディエルゴが得たのは他ならぬオディオの憎悪。どれほど保ったとしても……日没までに、君の心は終わるだろう」
ハイネルは自身が受けたその残酷を繕わずジョウイに告げた。
人が世界に成るなど、不可能なのだ。核識となった時点で、その精神の崩壊は確定する。
それまでにオディオを手に入れられなければ、否、手に入れたとしてもいずれ怨念の核と堕ちるしかない。
「ジョウイ。君はいいのかい。たとえ全てが君の理想通りになったとしても、君は楽園の外側だ。
 君を想う人は、君の救いを願う人の気持ちは、君の安らぎはどこにある」
「その悲しみも僕が背負う。みんなが幸せなら、それで僕は十分に安らげる。
 少しだけ悲しいかもしれないけど――――僕は、焼きそばパンの味を知っているから」
だから、それでいいと、ジョウイは少しだけ笑った。
ジョウイだけは少しだけ悲しいかもしれないけど、それはきっと、とっても嬉しいことのはずだから。

その言葉を切れ目に再び静寂が訪れようとする。
だが死せるはずの都の空に、どくりと不吉が脈動した。
「……今のは」
「無色の憎悪の取り込みが終わろうとしているんだ。取り込みが完了すれば、ディエルゴが再起動するだろう」
共に見上げた空の更に奥を見据えながら、ハイネルは言った。
「――――だが、今ならば、主導権を握れるはずだ」
ハイネルの手が空に伸ばされ、ジョウイの両手に刻まれた紋章が空に浮かぶ。
そして、輝く盾と黒き刃の間に無数の共界線が接続され、ゆっくりと二相が近づいていく。
2つに分かたれたとしても、元が1なるものであれば、そこに“繋がり”は必ず存在する。
全ての“繋がり”を支配する核識の力が、叶わなくなった儀式の結果を接続する。
「僕に残った全てを、ここに注ぐ。君の紋章を核としてディエルゴを再構築するよ」
ディエルゴとは、島に生じた全ての怨念が、ハイネルの残骸を核として集合した存在だ。
その核を変更する。ハイネルからジョウイへ、ディエルゴがゴゴより吸い尽くした無色の憎悪の中心核とする。
相手はイミテーションオディオ。普通の力ならば、核とすらなれないだろう。
だが、これより核とするのは、世界を象りし27の真なる紋章。
『やみ』より生まれた『なみだ』より分かたれた兄弟、その伝説を模倣せし、“闘争”と“和睦”を司りし紋章。
混沌と秩序の争いを裁く――――全ての始まりだ。

「ハイネルさん……」
「君の理想は、幼い。それが完全なる形で成功するとは、僕には思えない。
 だが、その理想は……紛れも無き終点だ。その楽園に、賭けてみようと思う」
蒼い光に包まれて重なりつつある紋章を挟み、楽園の主は理想の魔王に残る全てを継承する。
ジョウイの方法が完璧だとは、ハイネルも思っていない。
だが、それでもハイネルは目の前の少年の想いに手を貸したくなった。
「僕にもね、妻がいるんだ。妹も、仲間も。たとえ僕が果てたとしても、まだ残ってるものがある。
 彼らが、ここに呼ばれることがない世界ならば、それば僕にとって全てを賭けるに値するのさ」
碧の賢帝に眠るハイネルならば想わなかったかもしれないが、
ジョウイの理想に触れたハイネルはその理想に、自分が夢破れた楽園を託したくなってしまったのだ。
「サァヴィスだ。ディエルゴが砕いてしまった紋章の代わりに、君の死蔵してた“これ”を繋いでおこう」
ハイネルがローブの中から取り出した球形の何かが光り輝き、ジョウイの額と繋がれて取り込まれていく。
叶わぬ理想を、無理矢理追おうというのだ。手土産は多いに越したことは無い。
みんなが笑顔でいられる世界。はぐれ者のいない世界。
ハイネルもまた、心を砕かれてもそんな楽園を、希わずにいられなかったのだから。

「オディオとディエルゴによって再構築された新たなる魔剣は、君の紋章が、君の想いが全ての核となる。
 さあ、ジョウイ=アトレイド。これが最後の問いだ。君はこの魔剣の核として何を込める?」

新生する力に込めるものを想い、ジョウイは胸に手を当てた。
込めるものなど、答えなど既に決まっている。
一番大切なもの、守りたいもの。魔法の示す先は、遥かなる理想。

救われぬものも、救われたものも、救ったものも、勝った人も、負けた人も、戦わなかった人も、
富めるものも、病めるものも、老いも、幼きも、戦士も、商人も、教師も、パン屋も、
リルカも、ルッカも、ストレイボウも、ルカも、サラも、ジャキも、オルステッドも、
空も、海も、大地も、一切合切誰も彼も、全ての憎しみなど王に預けて、そこに行けばいいと――――“導こう”。


「“救えない”僕はオディオとなる。
 そして、その力で救われなくてもいい楽園を造り、そこに全てを“導く”。
 僕は、最後の魔王として、この英雄たちの因業を終わらせる!!」


全てを背負って楽園を目指す。そして全ての憎悪を背負った最後の悪王が終わる。
それが最後の英雄譚の終わり。後には英雄も、魔王もいない世界だけが残る。
そんな国の永遠の向こう、楽園の果てにこそ、全ての安らぎがあると信じた。

「ならば掴め。その為に欲するというのならば、剣を手にして唱えよ。
 無色の派閥・コープス家当主、ハイネル=コープスが我が英知の一切を継承する。
 君の魔法に、そして新たなる楽園に――――――勝利と栄光のあらんことを!」

完全に交わり合った2つの紋章に、ジョウイの右腕が重なる。
強くそして優しい光と共に、ジョウイの心は瞬く間に浮上する。
その紋章と共に飛ぶジョウイの後姿を見ながら、ハイネルはもう一度だけ笑んだ。
「紋章の導き手よ。僕のお節介は貴方にとって不本意なことだったのだろうか。
 それとも、あの輝く盾が友の手に渡ったとき、全ては既に許されていたのだろうか」
多分、そうなのだろう。輝く盾は、その不変なる友情に全てを許した。
そして、黒き刃は真なる魔法を手にいれ、その力を認めた。
紋章も夢みたのかもしれない。秩序と混沌の争いを越えた先にある何かを。

「イスラ。君はもう僕じゃない。君は、君の楽園を見つけるんだ。
 かつての君が見つけられなかったものが、今はきっとあるはずだよ」

最後に、かつて自分を掴み取った少年のことを思い出し、少しだけ困ったような笑顔で、
全てを魔王に継承した楽園の主は、滅都の闇へと果てていった。


―――――――――――――――――――


物真似師の背中から引き抜かれた紅の暴君を蒼空に掲げる。


「――――――醒<――――――――――ス>」


紅の暴君が黒と碧の輝きに包まれ、その姿を少しずつ変形させていく。
世界に成り代わろうとした人間の成れの果て『核識』。
物真似によって生み出された、生まれ出でぬはずの偽り『無色の憎悪』。
エルゴの王が担いしはじまりの剣・至源の剣を元に作られた封印の剣『紅の暴君』。
世界創世の伝説を模したとされる『始まりの紋章』。

何もかもが模造品。どれ一つとして真実などない。
だが、唱える。世界を越えようとした人の願いの結晶をその右腕に束ね、その呪文を唱える。


「――――覚醒<――――――フィジポス>」


ならば、あの四文字か?
否。あの呪文は、英雄の詩だ。全てを救う者の叫びだ。
なればあの音は、全てを救わぬ魔王の呪いに相応しからず。


「――剣覚醒<―――ポクスフィジポス>」


この身は王。全ての嘆きを背負いて全てを楽園へと導く、最後の魔王。
ならばその身に必要なのは、全てを耐えて進むための元気。
それは、元気が出るおまじない。世界でいちばん優しい魔法。


「抜ッ! 剣ッ!! 覚醒ッッ<ホクスポクスフィジポスッッ>!!!!」


その魔法と共に、少年はその剣を掴んだ。
世界がうねる。天の陽よりも地の火よりも輝く威光が、王の存在を認識する。
眼を焼く光が晴れ、誰もが視界を取り戻した時、少年が様変わりしていた。
先ほどまで無かった後輪を成す背中のアンプは、まるで一つ一つが刃のように黒く輝き、
魔王の外套が魔力風によってマフラーのように靡いている。
その背中に背負った黒刃と対比するように、かつて後ろに纏められていた金色の髪は白く変色し、
ほどけた髪は背を覆い隠さんとするまでに伸びる。
まるでそこだけ夜になってしまったような静寂さだった。
温かみなど一切無い、冷え切った月のような光。唯一の熱は、髪に覆われていない片目の、碧色だけだ。
そして最たる変化は、右腕と一体化したその剣だ。
かつて紅の暴君だった剣は、この島で、そしてあの島でその剣を掴んだ誰もが知らない形になっていた。
全てを斬り裂いてしまいそうな刃、そしてそれを包み込むように護拳は盾のように連なる。
それはまさしく、分かたれた兄弟を掛け合わせた紋章の真実の姿――――始まりの紋章の形だった。

その光は始まりの紋章にして始まりの紋章にあらず。
その刃は紅の暴君にして紅の暴君にあらず。
魔法ある限りその蠍火は決して消えることなく、楽園への道を照らす。
紋章魔剣。その名は――――――『不滅なる始まりの紋章』。
不死と誕生を司る矛盾が、魔王ジョウイ=アトレイドの右腕に宿る。


ジョウイは全てを見回す。守りたい人たち、そして倒さねばならない人たち。
これより、完全なる決別が訪れる。それでもジョウイは迷うだろう。
故に、この身を貫く誓いを以て、宣戦布告と成す。

それは、至源。
それは、撃鉄。
それは、始まり。


誰よりも穢れてなお純粋なる者よ。
誰よりも絶望を知ってなお願う者よ。


読み込み、完了。書き込み、不要。


自分以外の全ての幸せを望む者よ。
その為に全ての邪悪を自分に望む者よ。
混沌と秩序の調停者よ。

背負うべき全ての憎悪を、君に。


データに明確な差異が認められるものの、前任者ハイネル・コープスの委任コードを認定。
96%の確率で核識として最終登録された本人であることを確認。

ロックを解除します。


救わず、されど楽園へ導く者よ。
その魂の在り方こそが、適格する者よ。
憎悪と争いの全てを裁く者よ。

振うべき全ての力を、君に。




英雄でない君に、全てを継承する。
おかえりなさい。そして、はじめまして。



剣の魔王――――――二つの“はじまり”を担いし、伐剣王<クロストリガー>。



「――――守るよ。この力で、全てを」



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142-6:夜空を越えて -True Magic-(後編) アナスタシア 142-8:この力で全てを守る時 -Glorious Hightland-(前編)
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最終更新:2012年04月14日 06:51