瓦礫の死闘-VS地獄・泥の下の宴会- ◆wqJoVoH16Y
玉座の間は赤かった。
蝋燭の灯に照らされた玉座の間は、紅い絨毯と相まって部屋全体を赤く染め上げている。
だが、そこには欠片ほどの暖かさも無い。
天井の一部には穴が穿たれて熱気を吸い上げ、その下には瓦礫が散乱している。
そしてなにより、吹き飛ばされた玉座の残骸が、この部屋が本来持つ権威を、荘厳を奪い取っていた。
王が座るべき場所、その座は王の威光が一番満たされているべき場所だ。
その崩壊が意味するのは、その威光が失われている――既に王はいないということだ。
王どころか玉座すら失われた空間に、熱など残るはずもなく、ただ冷たい赤色だけが王室を満たしている。
そんな死の御座に、伐剣の王は目を瞑って佇んでいた。
魔王セゼクはよほどの巨人であったのだろう。
瓦礫となっても玉座はあまりにも巨きすぎて、王はその横に腰掛けることができた。
王が瞼を開け、ぼんやりと空を見上げると、直ぐに視線は天井へ突き当たった。
燭台の淡い灯に赤みがかった天井に注ぐ視線を、少しずつスライドさせると、天井に空いた穴に目がいく。
位置からみて、この大穴はリルカが魔王に繰り出した最後の一撃が作ったものだろう。
非垂直による減衰分散の上で、地上から地下50階までをも貫通させた一撃。
その結果に、王は彼女の魔法に改めて感嘆する。
だが、その魔法により地上と50階までの間に障害物はなくなってしまったことは皮肉だった。
もっとも、その成果なくばこうも早くこの場所にたどり着くことも出来なかっただろうが。
その皮肉に王の表情が崩れようとしたとき、その穴からケンタウロスの騎兵が降りてくる。
王が棍を杖代わりに立ち上がると、騎兵は整然と王の御前に整列した。
その数は5。整列した騎兵を前に、ジョウイは僅かに肯くと王の額の紋章が輝き、騎兵達が霞の如く消失していく。
全ての騎兵が門の向こう側へ消え失せた後、王は若干の失意を込めて嘆息した。
蒼き門の眷属に命じたのは、1階から50階までの各10階分の調査だった。
召喚獣を端末として、その召喚獣が見聞きした情報を識る……王の右手に込められた核識の力の一つだった。
王は召喚獣によって得られた情報を吟味していく。
遺跡ダンジョンと名の付くとおり、宝箱とそれを手に入れんとする野盗・盗掘者溢れる遺跡だったのだろう。
だが、その宝箱は既に誰か――おそらく元の世界の人間――の手によって収奪された後。
残るのは空の宝箱と夢を抱いたまま遺跡に取り殺された者達の屍、遺骨だけだ。
この場所を城と見立てるのならば、最終門を除き全部抜かれている状態だ。
可能ならば穴を修復したいが、そんな時間も人手もない。
なにより、
ちょこから得た情報によれば元からこの遺跡には50階まで直通する隠し通路があるらしい。
この穴を塞いだところで、それで抜けられれば意味がない。
玉座を降り、ジョウイは本来玉座があったであろう場所にあった隠し階段を見つめる。
守るにしても、この50階からが勝負となるだろう。
そう思いながら、王はさらなる地下への道を下りた。
草を踏む音と共に、王は深く深く降りていき、ついぞ最下層にたどり着く。
戻るなり王は、花畑の中心で燦然と輝く感応石を前に跪いていた。
先達への敬意を評するように、あるいは、謝罪するように深く頭を垂れている。
この場所の過去に対する哀悼と、未来に対する謝罪だった。
ふと、首を垂れる中、魔王に見せた少女の涙が脳裏を掠め、王の心に僅かな痛みを覚えさせる。
何故今思い出したのか、王はその意味を理解できなかった。
遺跡ダンジョンに精通していた彼女はこんな楽園があることを知っていたのだろうか。
あの変身後の姿を鑑みれば、彼女もまた魔界を追われ、
魔王ゼセクに率いられ人間の世界に逃れた魔族の一人なのかも知れない。
そうであるならば、これからの王の行いは彼女を泣かせてしまうのだろう。
父と呼んでくれた2人目の娘を――――
突如、王の右腕に激痛が走る。
そのような甘えなど許さぬとばかりに、迷いに揺らいだ隙間をくぐり抜けた憎悪が、王の身を浸す。
その中で王は――ジョウイ=アトレイドはその痛みを摺り潰すように奥歯を噛んだ。
理想の楽園、ただそれだけを願い、迷いを抱き潰す。
戦わねばならぬ。殺さねばならぬ。進まねばならぬ。
あの娘の嘆きを背負えないようで、楽園など造れるものか。
痛みの収まったジョウイは、花畑に顔を埋めたまま息を整える。
この痛みでさえも、オルステッドが抱いてきた痛みの幾分でしかないのだろう。
紋章と核識の力があっても狂いそうなほどの憎悪に、ジョウイといえど気が遠くなった。
日没まで保つかどうか。なにより、完全な形でオディオを継承したとき、
はたしてこの身は自分のまま理想を抱いていられるのか――――
その迷いを握り潰すように、ジョウイは爪が掌に食い込むほど右手を強く握りしめた。
抱き続けて見せると。壊れたのならば、壊れ続けてでも、導いてみせると誓いながら。
痛みが落ち着き、立ち上がろうとしたジョウイが耳を澄ませる。
音だった。先のオディオと違い、脳に直接響くのではなく、実際にこの部屋で響いている。
ジョウイはゆっくりと音の元――感応石の裏側に回った。
そこには、眠ている女がいた。
だが眠れる美女ではない。頬を赤らめているが、寝たままも掴んだ酒瓶があっては台無しだ。
「……ぶぅおぉぉぉおおさぁんがァ、屁をこ~~いたぁぁぁ……Zzzz」
起こすかどうか、ジョウイが真剣に考え続けている中、
酒で焼けた肌を晒し、大股を開いて楽園に眠る眼鏡の女はとても幸せそうな顔をしていた。
感応石から少し離れた場所に地図を広げながら、ジョウイはメイメイと名乗る侵入者から話を聞く。
まだ誰も来ることは出来ないと索敵を怠っていたことを差し引いても、彼女の登場は突然に過ぎた。
このタイミングでこんな隠しエリアに転移してくる存在が、全うな参加者だと思うほどジョウイも愚かではない。
十中八九オディオの配下。目的はやはりジョウイに対する監視か牽制か。
「配下なんて淡白なのじゃなくってぇ、オル様のし・も・べって言って頂戴。気持ちいやらしめに」
ジョウイの警戒に気づいてか気づかずか、冗談めかしながらメイメイは髪留めを解いて濡れそぼった髪を指で梳かす。
雫は滑らかにその艶髪を下って仄かに赤みがかった胸元に降り注ぎ、彼女はそれを指で掬って小さな舌で舐めとった。
「……ちょっとは反応しなさいよ。目の前の熟れたてフレッシュな果実があるのに」
胸を抱えて少し揺らしてみたが、ジョウイは目を細めるだけで全く反応しない。
元魔族の王以上に無反応な魔王を前にして、眼鏡を拭きながらメイメイは唇を尖らせる。
どこの世界の魔王もこういうものなのだろうか。
「ぬう、若衆道は非生産的よ。それとも青い果実の方が好みかしら。だったら残念だけど今品切れなの」
珍妙というより配慮のないメイメイの言葉に、ジョウイは額を揉みながら視線を地面に下げる。
内心目のやり場に困っていたからというのもあるが、彼女の存在を測りかねているというのが本音だ。
彼女を遣わせたオディオの意図もそうだが、彼女の存在そのものを、ジョウイの神経が警戒していた。
その警戒の印象はジョウイが知る女性に相似していた。ジョウイとリオウを運命へと誘った、魔術師レックナートに。
「ぬ、汗の混じった水が仄かに酒の味。私からお酒が出てくる……私が、私たちがお酒! そういうのもあるのね!!
酒力による憎悪根絶! 対話<ノミニケーション>のとき来たれり! にゃは、にゃはははは!!!」
この如何ともし難い道化ぶりを除けば、であるが。
「じゅぅ。ん、あと、監視じゃなくてぼーかんね。
多分、貴方が首輪を外しちゃったからじゃない? 閉じこめられてたから助かったわ」
けらけらと笑いながらひとしきり服を乾かしたメイメイは升に酒を注ぎ、ぐいと煽る。
聞けば、どこかの異空間に閉じこめられていた彼女をオディオが突如ここに飛ばしたらしい。
その際にただ一つ言われたそうだ――――そこで傍観しろ、と。
その意味が、死喰いにもっとも近い場所であるここに到達したジョウイに対するものであることは想像に難くない。
魔剣から得られた知識により、目の前の存在がリィンバウムの住人であることは理解できた。
察するにオディオとメイメイの間には召喚獣の誓約があるのだろう。
ならば、ジョウイが先ほど召喚獣で遺跡を調査したように、メイメイが視たことはオディオに筒抜けとなる。
「首輪を外してなお通信用の感応石を回収したってことは、
魔剣を使って逆にテレパスラインに改竄を仕掛ける腹積もりだったんでしょう。にゃははは、残念賞だったわねぇ」
メイメイの閉じた扇子が指し示したジョウイの右手の中で、感応石が握りしめられる。
島に覆われた死喰いのシステムは同時に、オディオがこの戦いを運営する監視手段でもある。
先ほどのオディオの干渉からも、ここの巨大感応石がオディオのいる場所と直接繋がっていることは明らかだ。
魔剣を使いこなせば、オディオに偽の情報を送り込むことも不可能ではないだろう。
だが、その可能性はこの奇矯な女性の存在によって不可能となった。
首輪による直接的な監視・制御方法が無くなった今、目の前の女性はその代用品ということか。
この監視は破壊できない。相手にするには、あまりにもリスクが高すぎる。
「ま、そういうわけでぇ、おひとつよろしく。
私はお邪魔にならないように隅っこでお花見してるから。あ、これ、つまらないものですけど」
自分を見定めようとするジョウイの思惑を知ってか、メイメイはどこからか宝箱を召喚する。
この場所に居座ることへの手土産のつもりだろうか。ジョウイが怪訝そうに宝箱を開き、その中身を見て絶句した。
ハイランド王国の象徴である純白で彩られた士官服――リオウと袂を分かった後に纏っていた衣に他ならなかった。
「これは、私個人のサービス。汚れきった今の貴方に、一番必要なものじゃない?」
ジョウイの動揺を肴にするように、メイメイは升縁の塩を舐める。
それは如何な意味だったのだろうか。腹を串刺しにされて血に汚れた衣服のことか。
それとも、光に住まう彼らと袂を分かち、憎悪をこの身に纏ったことか。
いずれにせよ、目の前の占い師はこの衣が持つ意味――ジョウイという人間の背景を見抜いている。
それだけでレックナートと同等であろうこの女店主の実力は否応にも理解できた。
「堅いわねぇ。ま、安心なさいな。オル様のことだから、私を力とは使わないでしょ
……怖い? 今更、オル様に喧嘩を売ったことに後悔してる?」
意を決するようにその衣を拝領するジョウイに、メイメイはおどけるように言った。
ジョウイが恐怖に身を震わせていることに気づいたからだった。
無理もない。ただ魔剣と無色の憎悪を奪うだけに飽きたらず、この若き魔王は堂々とこの世界の主に喧嘩を売ったのだ。
勝者の中の勝者――勇者オルステッドの歩んだ悲劇だけを見て哀れんで。
敗者となって足掻き、もがき苦しんだ魔王オディオを知らぬままに。
だが、ジョウイの瞳を見たメイメイから軽薄な笑みが消える。
恐怖に震えながらも、ジョウイの視線はただ一点、オディオの玉座をしかと見据えていた。
確かに、感応石越しとはいえ直接オディオに語りかけられたことで、
これまでは伝聞と主催者としてしか知らなかった、オディオの憎悪に直接触れ、心胆を震え上がらせた。
それは逆を返せば、その憎悪を直接感じられる位置にまで上り詰めたことを意味する。
アシュレーやユーリル、魔王ジャキなどと異なり、オディオにとって一介の村人に過ぎなかっただろうジョウイが、
目指すべき玉座に君臨する王と対面し、僅かなりともその人物を見定めることが出来る位置まで到達できたということだ。
「……オル様の逆鱗の位置を確かめたかったと。無茶をするわねえ」
そう言いながら酒を口に含むメイメイは、ジョウイの意図の一部を理解する。
ハイネルとの会話から遺跡ダンジョン制圧に至る一連の動きは、オディオと面会するためでもあったのだ。
ジョウイはオルステッドのことは
ストレイボウから聞いていても、オディオについては主催者としての露出以上のこと知らない。
これからの戦いを進める中で、ジョウイは先ず何よりも魔王オディオを見極める必要があったのだ。
戦場の天気を調べるようなものだ。
たとえどれほど緻密な戦略を立てても、感情という嵐が吹けば飴細工のように砕けてしまう。
だが、逆に言えばその感情さえ弁えれば、戦略の立てようがあるのだ。
オディオの言葉を反芻しながら、ジョウイは自分に力を継がせた召喚師を思う。
今にして思えば、ハイネルは理解していたのだろう。
魔剣を得たとはいえジョウイがここから優勝しようと思えば、相応の綱渡り――死喰いの力を手にする必要があるということを。
だからこそ、ハイネルはオディオが聞いていることを承知で……“オディオに聞かせるために”ジョウイの決意を言葉にさせたのだ。
その結果、ジョウイは魔王に賊として誅伐されることなく、無知な道化の王として、首の皮一枚で生かされている。
そして、僅かとはいえジョウイはオディオの輪郭を捉えたのだ。
「ルカ=ブライトに取り入るだけはあるわねぇ。才能?」
呆れた調子で酒を呑み直すメイメイを尻目に、地図を広げながらジョウイは成程、と思う。
この状況は、ルカの幕下で力を蓄えているときに似ている。
今この瞬間、ジョウイが生かされているのは、オディオがジョウイの理想を不可能と断じているからだ。
自ら滅びに向かう哀れな道化の末路を見たいがために、ジョウイは生かされている。
ならば、あの時と同じように今はせいぜい楽しませるだけだ。
その果てにオディオの期待を裏切ってみせる。優勝し、不可能だとオディオが嘆いた、楽園の創造を以て。
「ん。ちょいまち。なんで50階に行ってたの? 死喰いを手に入れるんじゃなかったの?」
神妙な面持のジョウイをしばし見つめた後、メイメイはふと気づいたように言った。
ジョウイの目的は死喰いを手に入れることではなかったのか。
その問いに、ジョウイは少し考えた後メイメイに語りだした。
メイメイが来るよりも先に降りて知った、死喰いの正体、そして泥の中での出来事を。
――――潜る。
あの滝壺に落ちるように、ジョウイの精神は暗黒へと流れ落ちていく。
ジョウイより魔剣へ、魔剣より感応石へ、
そして首輪を含めた島中の全てよりエネルギィを受けた感応石より、遺跡ダンジョンよりも遙か深くへと伝っていく。
恨み、痛み、苦しみ、恐れ。死にまつわるあらゆる意識に流されるのは、さながら墨汁の滝を落ちていくようだった。
その中でジョウイが染まらずに自我を保てたのは、皮肉にも自分を侵そうとする憎悪のおかげだった。
抜剣して、憎悪という外套を纏ったジョウイはジョウイとしてその闇を降りていく。
ここを堕ちていくのは、ジョウイにとって2度目だった。
1度目、ディエルゴを降した時は無我夢中であったため、
気づいたときにはあの都――死喰いの内的宇宙にまでたどり着いてしまっていた。
内的宇宙、リルカの世界における心の内側の世界。
それが存在する以上、そこにたどり着く前に必ず肉体を通るはずだ。
どれだけ小さかろうが、その姿を見逃すまいとジョウイはより慎重にと、周囲の地形を慎重に見ながら潜行していく。
しかし、いくら潜れど土と石しかなかった。地下の施設は数あれど、流石にあの地下71階が一番深かったのだろう。
それより下に空洞など無いように思えた。
ならば、死喰いは土の中で蛹の如く眠っているということなのか。
しかし、それではハイネルの語った死喰いという存在に今一つそぐわない気がした。
蛹が蝶へと生まれ変わるようなイメージはあまりにも『生』でありすぎる。
『死』を喰らうものがそんな命であるのだろうか。
ラヴォスの幼体という言葉に囚われ過ぎてはいないか。
そんなことを思ったとき、ジョウイの意識は空洞へとたどり着いた。
生命が形を得る前の時代、全ては泥だった。泥が星で、星が泥だった。
遺跡ダンジョンよりも深き、背塔螺旋の最下層。泥の海。原初の命。白痴の力。ファルガイアの“始まり”。
ありもしない英雄の姿を追い求めた男と、そんな哀れな男に全てを捧げた女の墓標。
――――泥のガーディアン【グラブ・ル・ガブル】。
黒い流れからその身を切り離し、ジョウイの意識は泥の海に佇み、周囲を見渡す。
ただ泥が静かに揺らめいている。だが、その泥の一粒一粒が純粋な『命』だった。
その命の海の中で、ジョウイは己が目的である死喰いを探すが、その姿は見つからない。
魔剣を得てこの島を巡るネットワークを知覚できるようになった今だからこそジョウイは確信する。
死喰いはこの近くにいる。だが、その泥の下にはもう何もない。
あのルクレチアが存在する以上、死喰いは確かに存在するはずなのに、見当たらない。
まるでとんちのような状況に、ジョウイは思索を巡らせる。
もしくは、逆ではないのだろうか。
内的宇宙があるのに肉体がない、と考えるのではなく、最初から内的宇宙しかないのではないか。
その着想に至ったとき、ジョウイは泥の中で小さな光を見つけた。
まるで、砂漠の中の宝石のように、儚く、されど貴く光る輝きだった。
しかしその輝きは泥に覆われ、泥に汚されようとしていた。
捕食、吸収、略奪。ジョウイはその光景にそれらの言葉をイメージした。
そう、目の前の泥はこの輝きを喰おうとしているのだ。
その様子こそが『死を喰らう』ことなのだろう。
ハイネルの語ったことと目の前の事実を並べ、ジョウイはそう結論づける。
生きている間、そして死の間際に生ずる『想い』が、首輪の感応石を伝い、ここに送られ……喰われる。
グラブ・ル・ガブルの泥へと沈められて、汚され、あのルクレチアを構成する欠片となる。
つまりこの泥の海“そのもの”が――――
ジョウイは眼前で泥にまみれる輝きを見つめた。
己が推測を確かなものとするため、その輝きが喰われる様を確認したかったのだ。
それが確かだと分かれば、死喰いの全貌を理解できる。戦局を優位に進められる。
だからジョウイは、この輝きを犠牲にしようとした。
誰の想いかはわからないが、相当前からこの場で喰われ続けていたのだろう。
その輝きはもういつ消えてもおかしくないほどに穢されている。
それでも、消えられないと足掻き続けているように見えた。
もうこの輝きは救えない。ならばせめて背負い、自分の糧にしようと思ったのだ。
………が、…………ますか?
魔王か、ニノかはたまたマリアベルか。それが誰の「死」なのかは分からない。
だが、誰であれ、その死を決して無駄なものにはしまいと思った。
―――私の声が、届いていますか?
はずだった。だが、いつの間にかジョウイの右手には煌々と始まりの魔剣が輝き、
その輝きに気づいた時には、輝きに絡み付く泥の全てを切り裂いていた。
ジョウイが自分が何をしてしまったかを理解したとき、
光は役目を達せたと安堵するように、粒子となって魔剣の中に消えていった。
そして“光の中で守られていたもう一つの光”が強く強く輝きだす。
その光も、ほとんどを死に喰われていた。燃え尽き果てた最後の火種だったのだろう。
だが光はその死さえも踏み越えるように輝き、泥の海から昇り出す。
どこまでも強く、天に向かって疾走するそれは、暑苦しいほどの炎にも見えた。
その炎を見上げていたジョウイの背後で、泥がわなわなと震えだす。
餌を奪われたと、ひもじいと、満ち足りないと、怒り狂う。
本来のグラブ・ル・ガブルは意志を持たぬ純粋な生命エネルギーであるはずなのに。
こいつには“意志が入っている”。
泥が、異物を喰らわんとジョウイに襲い掛かろうとしたとき、ジョウイは魔剣を泥に突き立た。
そして、魔剣を介して己が意志を流し込む。
死喰いよ、無念なるまま喰われたルクレチアよ。
伐剣王の名の下に、2つを約束する。
1つは、楽園。死喰いに囚われた貴方たちも許される場所へと連れて行く。
そして、1つは誕生――――“まだ生まれていないお前を、誕生させると約束しよう”。
伐剣王の名の下に未来に誓約を刻む。
死喰いよ、もしも生まれることができたなら、その時は、真名を以てどうか力を貸してくれ。
その願いが伝わったか、グラブ・ル・ガブルの泥は――――“死喰いの肉体”は、僅かに打ち震え、静まっていく。
喜んだのか、道具と利用する気か……いずれにせよ、後に残ったのは、穏やかに流れる泥の海だけだった。
「……古臭い匂いがしたと思ったらそういうこと。
で、要約すると、オル様が召喚した『ラヴォスの幼体』なるモノは既に死んだ亡霊みたいなもんで、
それが新たな肉体としてグラブ・ル・ガブルに憑依した存在――――それが死喰いってこと?」
ジョウイの話を聞き終わった後、メイメイが要約した内容に、ジョウイは静かに首肯した。
恐らく、メイメイは『ラヴォス』の本当の意味を知っているのだろう。だが、それを言う気はないらしい。
「まあ、妥当なところねえ。星の命そのものであるグラブ・ル・ガブルに巣食えば、それだけでネットワークになるでしょ」
その話しぶりを見る限り、グラブ・ル・ガブルと『ラヴォス』の相性は最高のようだ。
となれば、この島の命である泥が『ラヴォスの幼体』に憑依されているというのは、
いわばこの島がラヴォスそのものであることに等しい。なにせこの島の憎悪を喰いつづけることができるのだから。
「で、そんな死喰いはまだ本当の意味で存在している訳じゃ、ないと。
それもまた道理ね。死を喰らい続けたところで生命にはなれないわけだし」
それこそが、ジョウイが死喰いを手に入れずに引き上げてきた理由だった。
死喰いがどれほどの死を喰いつづけたところで『ラヴォスの幼体』は既に死んだ怨霊だ。
死<マイナス>に死<マイナス>を足したてもマイナス、自力では生<プラス>にできない。
誰かが、憎悪<マイナス>を掛けて、このあらゆる死を喰いつづけた亡霊を、新生させる必要があるのだ。
その役を担うのは、当然魔王オディオ。
限界まで死を喰い続け膨大なデータをルクレチアに揃えた死喰いは、
グラブ・ル・ガブルの命とオディオの力によって、己が最適な進化を果たした姿で誕生する。
それこそが、真の死喰い。敗者の全てを喰らい生まれる、最後の怪物だ。
「お、めでと~~~~。本当だったら、直ぐにでも護衛獣か何かにするつもりだったんでしょ?
でも死喰いはまだ生まれていない。生まれないものに名前なんてない。真の名がなければ誓約はできない」
メイメイの皮肉に、ジョウイは無言を以て肯定した。
死喰いの亡霊だけを魔剣に取り込むことも考えてはいたが、それでは恐らくジョウイの精神が耐えられない。
故に、ジョウイは死喰いという存在を魔剣で護衛獣の契約を結ぶつもりだったのだ。
しかし、生まれてもいないものと誓約を結ぶことはできない。
オディオはこれを見越していたのかもしれない。現時点ではジョウイはまだ死喰いを手にすることはできないと。
そう、現時点では。
つまり、死喰いを誕生させた後ならばその可能性も出てくる。
そして、ジョウイには死喰いを誕生させる力――不滅なる始まりの紋章があった。
偽りとはいえオディオを内包したこの魔剣ならば、死喰いを誕生させることもできるだろう。
「でも、今は無理。というか時間がかかる、って所かしら。
そりゃあ、死喰いは不完全で、しかも力は模造品。条件が劣悪すぎるしねえ」
耳に痛い本質を気楽に投げつけてくるメイメイに、流石のジョウイも渋い顔をした。
だが事実は事実だ。40人以上の死を喰らってもなお、
死喰いはまだまだ死が足りない、現状の進化に満足できないと、飢え続けている。
更にこちらのオディオも本物に数段劣る贋作。生まれてくる死喰いも、生む魔王も、まだまだ不完全なのだ。
魔王オディオなら今の死喰いの成長度合いでも、無理やり生むことはできるだろうが、ジョウイでは不可能だ。
今から力を行使しはじめたとしても、恐らく数時間はかかるだろう。
「時間との勝負ねえ。死喰いの力は如何に強力でも、その力を行使する時間が無ければ意味がない。
日没までに間に合わなかったら、それこそ台無しだし」
さらりとジョウイの刻限を明かされたことも、もはや驚く暇はない。
そう、ジョウイの目的は死喰いを手に入れることではなく、その力で優勝することだ。
手段に拘泥して、目的を達成できなくなれば意味がないのだ。
限られた時間と絶大な力。その天秤こそが、ジョウイにとって全ての悩みだった。
「で、どうするの?」
ジョウイが抱える現状の全てを露わにしたメイメイは、ついにその問いを投げかける。
諦めて仲間の下にいくのか、死喰いを棄てて別の手を考えるか、死喰いを誕生させることに注力するか。
ジョウイという人間を見極めるのに、これほどに相応しい問いは他に無いだろう。
酒精と眼鏡に隠れたその慧眼が見つめる中、
新しい魔王は、噛み締めるように考えたうえで、答えを出した。
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最終更新:2012年08月25日 23:28