瓦礫の死闘-VS守護機・砕けない宝石- ◆wqJoVoH16Y
――――全部喰われたのか、無様だな。
――――皮肉くらいは言わせてくれよ。
何かを遺せたお前と、何も残せなかった俺。比べるまでもない。お前の勝ちだなんだから。
――――ケアルガを使ってみたが、てんで効かん。
あの焔に焼かれた代償だな。生命そのものが炭になってるのさ。
この分だと、おまえにかけられた呪いも、戻るか分からんな。もっとも、その前に命脈が尽きるだろうが。
――――そうだ。一度燃えたものは、二度と生<ナマ>に戻れん。
死んでるよ、俺は。願いも、罪も、魂も、合切を燃やしたのだからな。
――――なのに、なのにな。
――――笑ってくれ、魔王。こんな枯れ木なのに、腹が痛むんだ。握り拳の、骨の形だけが、こびりついて離れない。
誓いの傷も、後悔も、全部が全部燃え尽きたってのに、あいつに懸けて手放した一欠片が、今更戻って来やがった。
――――ああ、身の程くらいは弁えている。俺は夢破れた敗者だ。
何も残せやしないし、何も残らない。“だから、こんな欠片を抱えたまま逝けないんだよ”。
――――返しにいってくる。それまで、ラヴォスの中で待っていろ。
「くっ、
ちょこちゃん……アキラくん……アナスタシア……!!」
爆煙の中からブライオンを握ったゴゴが飛び出る。
フードの中に秘められた表情には、明らかな焦燥が生じていた。
高らかに歌われたオペラは既に止んでいるが、ゴゴの中では忌々しく響き続けていた。
そして、その後に生じたアルテマの波動や、アキラ・ちょこの叫び声が重なり、最悪の旋律と化していた。
押し返したはずの戦況がひっくり返り、この場を離れた彼女らが窮地に陥っているのは想像に難くなかった。
今すぐにでも助けに向かいたい。救いたいと、唇を噛む。
だが、眼前の相手はそれを許すほど緩くはなかった。
ゴゴと対峙するゴーストロードが、再び時の声をあげる。
それと同時にラグナロクと賢者の指輪が燃え上がるように輝き、ゴゴの目の前に莫大な熱量を収束させる。
召喚獣ラグナロックの魔石より鍛えられた黄昏の剣ラグナロク。
ただの剣としても破格の威力を持つこの剣を神剣たらしめる特性は3つ。
1つは担い手に戦いの加護を与え、担い手の能力を満遍なく強化すること。
1つは担い手の魔力を供物として会心の一撃<クリティカル>を引き出すこと。
そして、アルテマ・メテオに次ぐ最上級魔法――フレアを発動する能力である。
臨界にまで収斂した熱量が瞬間的に解放される。
炎などという生易しい領域を踏み越えた地獄の太陽が、ゴゴの肉体を容赦なく灼く。
ブライオンを楯にしなければ、素顔どころか骨まで晒すことになっただろう。
「なんて、威力。とても戦士系の魔法とは思えない!」
ゴゴも当然、自分の世界の神剣であるラグナロクの恐ろしさは理解していた。
だが、3つの特性のうち、この力に関しては思考の埒外に置いていたのだ。
如何に神剣といえど、その魔法の威力はあくまでも担い手の魔力に依存する。
だからセリスやティナでなければ発揮できないフレアではなく、
ヘクトルの長所とかみ合う残り2つの特性を警戒していたのだ。
だが、この威力は戦士系の魔法の力ではない。明らかに、トップレベルの魔法使いのそれだ。
ヘクトルではこの威力を引き出せない。ならば、これはなんなのだ。
「ニノの魔力だ。それ以外、考えようがない」
目の前で起こる現象に、
ストレイボウは口惜しげに答えを出した。
どれほどの大魔法であろうと、魔法である以上魔法の理には逆らえない。
ヘクトルの魔力ではこの力が出せないのだから、別の魔力で使っているとしか考えられないのだ。
その可能性は考えたくはなかった。ジョウイが魔力を供給していると思いたかった。
だが、それではここまでフレアを牽制以外に使わなかった理由が説明できない。
加えて、あのヘクトルではない左手にある指輪の輝きと、
かつて決闘した時に感じたメラミの魔力を思い出せば、それ以外の結論はあり得なかった。
爆煙に生じた隙を縫うように、亡候は左手の得物を神剣から和刀に切り替え、ゴゴの首を落とさんと逆手を走らせる。
それは、かつて戦場をともに駆け抜けた緑の少女の剣。
この死せる屍が、ただ唯一ヘクトルであったならば、フレアもマーニ・カティもこれほどまでの力を発揮しなかっただろう。
だが、彼らの前に立つのはヘクトルでありヘクトルではない。天雷の亡将なのだ。
民も、誇りも、愛も、未来も、何もかも死して砕けた残骸ども。
それをかつてオスティア候だったモノに寄せ集め、継いで接いで、かろうじて1つの人間の形に収めた妄執。
そう、これは国。既に滅んでしまった、オスティアという国の骸なのだ。
この滅び逝く肉体が、唯一の遺された国土にして民たち。
故にコレに当たるのであれば、国を滅ぼすという気概でなくば話にならない。
首の皮一枚で一閃を回避したゴゴは唸るようにストレイボウ達を見た。
(コレの相手は、私じゃなきゃ出来ない。退いたら、イスラくん達が! でも、ちょこちゃん達が)
本来驚異ではないはずの飛び道具が驚異となった時点で、均衡状態は崩れ去った。
最早こちらからアナスタシアやちょこ達を助けにいける状況ではない。
自分が向こうに行けば、イスラ達が襲われる。
それはだめだ。
救われぬ者を救うと決めたのだ。ここで退くわけにはいかない。
だが、それではちょこは、アキラは、アナスタシアはどうなる。
ここで戦おうが、向こうで戦おうが、救われぬ者を救えなくなってしまう。
(一体、どうすれば――――ッ!?)
思考に溺れたゴゴの隙を見逃さず、亡将は再び持ち替えたラグナロクで宙を幾度と無く斬る。
愛した男の剣と、愛した女の指輪が強烈な愛の光に包まれる。
顕現したラフティーナの力が、自分を目覚めさせた男も認めた少女の愛に祝福を与え、賢者の魔力となって神剣へと注がれた。
「―――f、laa、aaaare Zta、erアアアアアアアアッ!!!!!」
フレア×フレア×フレア――――“フレアスター”。
周囲を包むように現れた太陽の灼熱を前に、体勢を崩したゴゴに避けうる隙間はなかった。
「シルバーフリーズッ!!」
だが、ストレイボウがフレアとフレアの狭間に氷塊を顕現させた。
本来生じるはずのない間隙を、ゴゴは見逃すことなくブライオンでこじ開け、焔星の結界を脱出する。
「ごめん、助かったわ」
「…………ゴゴ、ここは俺に譲れ」
謝罪の後直ぐにゴーストロードに向かおうとしたゴゴだが、
自分の前に躍り出たストレイボウの背中に足を止める。
「ちょこが気になるんだろう。行って、救ってやれ」
「でも、そうしたら貴方達が!」
ストレイボウの提案に、ゴゴは頭を振って否定する。
ゴゴとてストレイボウの能力が分かっていないわけではない。
だが、ストレイボウは『魔術師』だ。どれほど優れた魔法を持っていようと、
『重騎士』を食い止め、この場に押さえつけることは出来ない。
「なあ、ゴゴ。あの雷を見たのは、お前だけじゃないんだ。
全てを背負い込む気概は悪くないが“効率”くらいは重んじてもいいだろう」
だが、ストレイボウは爆風に赤き外套を翻しながら、更に一歩前進する。
救いたい。あの時仰ぎ見た光は、誰もの胸に刻まれている。
だからこそ、ゴゴが救えぬと苦しむのであれば、誰かがそれを救うべきなのだ。
「でも――」
「“お前は
ナナミとリオウの祈りも刻んだのだろう”。これ以上は重量オーバーだ。いいから荷を寄越しやがれ」
そのストレイボウの言葉に、食い下がろうとしたゴゴの手が止まる。
ストレイボウは、リオウともナナミとも立ち会っていない。
なのにその言葉は、まるで見てきたかのようにゴゴの物真似を掴み取っていた。
自身の中に眠る想いを共有するストレイボウの背中に、ゴゴはかつて触れた炎を思い出した。
「…………信じていいな」
「死んだフリだけは二度と御免だ」
その答えに満足したか、ソードセイントを脱ぎ捨てたゴゴは踵を返し別の戦場へと向かう。
絶対という確信はない。ストレイボウはゴゴを決戦に送るべく命を死に晒そうとしている。
だが、それでもゴゴがこの選択を甘受できたのは、彼の中にあったのが贖罪ではなかったからだ。
死に場所を求めての自己陶酔ではない。あれは“生きるために思考を尽くす者の決意”だ。
(きっと、あれもまた“そう”言うのだろうな。なあ――――)
かつて自らも物真似した信念の光を懐かしむように見送り、ゴゴは走り出した。
救わなければならない者達の元へ。そして、自らの因業を精算する場所へ。
「3分凌ぐ。出来るだけ遠くに逃げろ」
ゴゴのいなくなった戦場で、ゴーストロードに向かい合ったストレイボウが、蹲ったイスラに淡々と告げた。
最高3分、でもなく、最低3分、でもなくきっかり3分と断定した口調だった。
「うるさいよ、今更格好を付けて、満たされたような面しやがって!
お前みたいに世界で2番目で満足できなかった奴に、僕の気持ちが分かるものか!!」
だが、イスラはその手も突き放してストレイボウへ呪いを吐き捨てる。
ストレイボウは呪いを避けようともせず、ただ僅かに安堵したように息をついた。
それが、かつて自身を許したイスラがストレイボウに抱く澱の正体なのだ。
オルステッドへの執着さえ捨てられれば、彼は何一つ失わず、満たされていたはずだ。
ならばイスラはそんな男を蔑むしかない。
たった一つ失えば満たされた男に、たった一つ抱いたものさえ失った自分の乾きなど理解できるはずがないと。
「分からない。だから、生きてくれ。生き延びて、俺に教えてくれ。
俺があの日まで理解できなかった罪を。そのために、ここは退かん!」
ストレイボウはその無知を受け入れ、眼前の骸に立ち向かう。
まだ自分は何も知らない。目の前を走るオルステッドだけを見続けてきた自分はそれ以外の何一つも知らない。
それを知らずに友には向き合えないのだ。
「AAAAAAAA!!!!!」
「レッドバレット!」
ゴーストロードが放ったフレアが、ストレイボウの前で収縮する。
だが、ストレイボウはそれを避けることはせず、その収縮点に向け炎弾を放った。
フレアとレッドバレット。威力は山と小石の差があるだろう。
されどフレアはその力を発揮するため、収縮・臨界・爆破の手順を要する。
ならば臨界するよりも早く火種を生じさせ、先んじて爆破してしまえば威力は落ちる。
たとえ異なる世界の技であろうと“誰かが何度も使ってきた魔法”であれば、陥穽の一つ位は承知している。
本来ならば誰も穿たぬ穿てぬ抜け道――――されど、ストレイボウにはそれを穿つ十分な技量があった。
――――先ずは分析。全てを揃えようとは思わなくていい。それでも対象を知ることを放棄しない。
フレアが効かぬと承知したのか、ゴーストロードが剣を構え吶喊する。
それを見るや、すぐさまストレイボウは呪文の詠唱を開始した。
ゴゴと亡候が戦っている間、ストレイボウは自分が矢面に立つことを想定し、亡候を分析し続けていた。
体重が違う。接近戦ならば5秒保たない。
魔術ではどうか。最高火力であるブラックアビスは悪属性。
控えめに見ても、屍に効くと思えない。故に、威力にて一撃の下に仕留める魔術は存在しない。
連打すれば別だろうが、その前に隣接されて死ぬ。
――――次いで失敗。成功を夢想することは容易い。
負けを認める。壁の高さを知る。母がいなければ子は産まれない。
ならば重視するべきは威力ではなく“妨害”。相手の進軍を阻むことが最重要。
帯電による麻痺。否定する。天雷の斧相手に雷は避けるべき。
砂煙による方向阻害。否定する。眼ではなく命を感知して駆動している。
精神魔法による阻害。否定する。あれを動かしているのは、天雷の斧だ。
――――そして、成功。1000回失敗しても、その次成功すればいい。それが――――
「シルバーファングッ!!」
使用すべき属性は“氷”。
ストレイボウの背後から寒波が吹き荒れ、ゴーストロードの周囲の大地を氷漬けにしていく。
ダメージはほぼ無いに等しく、ゴーストロードは更に一歩を進めようとする。
「!?」
しかし、ゴーストロードは氷漬けになってしまった大地に足を滑らせ、地面に膝をついてしまう。
「シルバーフリーズッ!!」
立ち上がろうとする亡候の膝を凍らせ、凍結床と固着させる。
当然、亡候はその膂力で無理やり氷を割って立ち上がろうとするが、踏ん張りが利かずもんどりを打ってしまう。
再び立ち上がろうとする亡候の体の一部を凍らせて、ストレイボウは死せる巨人の足を止めた。
センサーも駆動方法も、全うな人間のそれではない。
だが、四肢があり五体がある以上、身体が封じられてしまえば動きようはない。
とにかく相手を氷で滑らせて、足を引っ張り続ける。それがストレイボウが出した結論だった。
「卑怯だと言うなよ。自分が一番分かってるから」
傍目から見ればあまりに滑稽な光景だった。巨人が一人で勝手にすってんころりと転げまわっているのだから。
それは同時に、そんなことをし続ける側も滑稽に映させる。華々しいものでは断じてない。
だが、それを彼は真剣に行い続けた。汗をだくだくと垂らしながら、ストレイボウは間断なく詠唱を続ける。
無様を晒したストレイボウは、それなりにスマートを気取っていた頃をふと懐かしむ。
だが、これが己の偽らざる本性だ。泥臭く、意地汚く、足を引っ張り続ける嫉妬の化生。
それを受け入れる。全てを認め、許容し、されどそこから前に向かうのが――――
「サイエンスと言うのだろうッ!!」
自身の内に生じた未知なる単語に、ストレイボウの技が研ぎ澄まされていく。
幾千の敗北<しっぱい>を認めてなお己が最後の勝利<せいこう>を疑わず。
負けを恥じて呪い続けてきたストレイボウにとって全く存在しなかった価値観が、
自身にも想像できなかった、己の能力の限界を研ぎ澄ます。
(だが、それでもやはり3分か!)
されど、相手はかつてのヘクトル。
何度転べど、砕けかけたアサシンダガーで氷を割りながらじりじりと近づいてくる。
それでもストレイボウは詠唱を続けるしかなかった。
移動で詠唱のサイクルを中断してしまえば、亡候は間違いなく立ち上がりきるだろう。
そうなれば二度と引っかかってはくれまい。故、ストレイボウは分かっていても死体の足を引き続けるしかなかった。
だから3分。そして足止め。限界を尽くして、現実を受け止めた数字なのだ。
とにかく距離を離して、あとは逃げながら時間を稼ぐ。それがストレイボウの導き出した最善だった。だが――――
(まだ動かないのか、イスラッ!)
ストレイボウが死力で勝ち得た寸毫の時間さえも、全てを失った少年は湯水の如く浪費し続けていた。
(知るかよ、こっちはそんなの一度も頼んでないんだ)
とはいえ、物の価値は相対的だ。誰かにとって喉から手が出るほど欲しいものでも、別の誰かにはそうでもない。
今目の前で繰り広げられている戦闘を、何の感慨もなく見続けているイスラにとってそうであったというだけの話だ。
かつて自分を突き動かしていたのは『死』だった。
死ねず、ただ害悪なる生を続けることしか出来なかったから、死に意味を見出した。
マイナスでしかなかったから、せめてゼロになりたかったのだ
だが、彼は二度の生と自由を経て、ゼロの虚無を知った。
望んだのが死だったから、したいことも成すべきことも無かった。
思いつくのはせいぜいが巻き込まれた大切な人のためにオディオ打倒くらい。
もしも何処かのギャンブラーに対面していたら、死人と蔑まれただろう。
どこまでいこうが、ゼロはゼロだ。
だが、ゼロはプラスを知った。未来を願い、理想を謳う若き覇者の背中にそれを見たのだ。
誰もが受け入れられ、どんな人でも笑っていられる理想郷。
あの島に残ることが出来なかったイスラは、その場所に夢を見たのだ。
この背中について行けば、きっとたどり着ける。
そこでならばきっと本当の意味で生きられるのではないかと思ったのだ。
生きたいと思った。生きて役に立ちたいと思った。
こうして生きていることに意味<プラス>があると信じたかった。
そして、イスラは全てを失った。力も、夢も、未来も、全て。
やはり自分の生はどこまで行こうがマイナスなのだ。加算するだけで害になる。
だが、ゼロの無意味さを知ってしまった彼は、もう死に焦がれることさえ出来なかった。
イスラはかつて己の拠り所としたゼロさえ失ったのだ。
プラスになどなれず、ゼロにも戻れない。永遠にマイナスであり続ける。
それが自分だ。存在すること自体が害である。
ストレイボウが害を被るのも当然だ。だから感謝もなにもない。
イスラは泣きはらしたような赤目で、ついに氷の沼から這い出たかつての夢を見つめる。
願うことは、ただ一つ。貴方に光を見た。貴方が僕から死を奪った。
ならばせめて、最後まで連れて行ってほしい。貴方の国へ。
どうか殺してください。僕が夢見た理想郷よ。
その切なる願いが届いたのか、詠唱の限界に達し喉から血を吐いたストレイボウを無視して、
亡候は砕けきったアサシンダガーを捨てて最後の短刀を取り出し、イスラに投げる。
狙いは精密とは言い難い。だが、その膂力から投げられた一撃は、急所でなくとも死へと誘うだろう。
イスラは自分に迫り来る死に、ふうと溜息をついた。
これで終われると。ヘクトルと共にヘクトルの理想郷で眠れるのだ。
後悔など微塵もない。そこでならば、きっと僕は笑い続けられるだろう。
「短刀、なんの恐れることあらん――――」
だからどうか、どうか理想郷よ。“あなたも笑ってくれよ”。
「見切ったり、亡霊の騎士ッ!」
瞬間、イスラの目の前に緑色の影が飛来し、イスラの首まで迫った短刀を掴み取る。
そしてそのまま、威力を殺さぬように軌道を回転させ、ゴーストロードに投げ返した。
咄嗟の事態に亡候は反応することできず、槍に貫かれた鎧の亀裂を精密に抜いて、短刀が突き刺さる。
たかが短刀、ましてや屍である亡候にとってはダメージと呼べるほどではない。
「―――!? ダ、ダダガ……ッ!?」
されど、亡候は、屍を支配する天雷の斧は驚愕に唸りをあげる。
ダメージなどない。だが、“この躯が動かない”。
どれだけ動こうと思っても、突き刺さった短刀以外微動だにしない。“まるで影を縫われたように”。
そう、投げ返された短刀は影縫い。殺傷力も高く、仕損じても対象の時間を止める、二段重ねの暗殺刃である。
氷と同様、いくら死体でも、時間が凍ってしまえば動きようがないのだ。
「お前は……」
「随分と無様だな適格者。それでよくもあの時俺に大口を叩いたものだ」
イスラは目の前で背を向ける、自分を死なせてくれなかった影を見た。
妙に小柄な身体はあちこち黒ずんで、頭部はマントを千切って巻き付けられて、その素顔は伺いしれない。
だが、その正体を誰が見誤ろうか。
「カエルゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!!」
「まったく煩すぎて……おちおち燃え尽きてられねえよ」
もう一つの騎士の残骸が、灰をまとって戦場へと帰参したのだ。
ストレイボウが、驚きと喜びをない交ぜにした表情で、
カエルに近づく。
詠唱のし過ぎと過呼吸で、言葉を紡ぐもままならずカエルを見続ける。
だが、なんと声をかければいいのか分からなかった。
ケガは大丈夫なのか、その覆面はどうした、俺たちと戦ってくれるのか、それともまだ俺たちと戦うつもりか。
色々と言葉は浮かぶが、うまく形にならなかった。
全てはあの拳に込めてしまったから、これ以上はカエルの返事が聞きたかった。
「なあ、見ろよ。あの重騎士を」
そんなストレイボウの思いを汲んだのかどうか、世間話をするような調子でカエルは何気なく目の前の亡候に視線を促した。
「あれが誰なのかはよく知らん。だが、あの鎧の傷と鍛え上げられた肉体。さぞや名のある国の将なのだろう。
そして、死してなお護国の悪鬼たらんと、如何なる障害も破砕せんと刃を振るい続けてる。まさに俺の理想のそのものだ」
覆面の中の目が、眩しいものを見るように目を細めた。
ガルディア王国という歴史を守るため、全てを捨てて鬼となろうとしたカエルにとって、眼前の亡霊は誓いの結晶だった。
捨てたい、全てを捨てて国のための剣となりたかったカエルがこうありたいと思う完成形だったのだ。
「なのに、不思議だ。あれだけなりたかったものが、何故、あんなにも醜いのだろうな」
醜い。カエルはそう思った。
ああなりたかった。国を守れるのならば美醜などどうでもいいし、なれるものならばカエルは喜んで醜くなっただろう。
だからただ思ったのだ。終わってしまった今だからこそ、ただ思ったのだ。
全てを燃やし尽くした今ふと背中を省みて、その轍を見返したならば、きっとあれくらい醜いのだろうと、客観的に思っただけだ。
純粋で、完全で、混じり気のない願いとは、こんなにも醜いのだと。
「ああ、許せん。許せんよストレイボウ。俺の目指したものがあんなものであるはずがない。
もっと崇高で、偉大なるもののはずなのだ。吐き気がする。見るに耐えん。
“あんな願い、問答無用で叩き潰されても文句は言えん”だろう」
だから、カエルは今生最終最強最大の自虐を以て、参戦の言い訳とした。
口にしてしまえば一言で終わる理由を言わずに済むのであれば、無様すら心地よかった。
「償いと笑いたければ笑え、だが俺は――/――お前の意志で、友<オレ>を救ってくれるんだろう?」
そして、その無様を見て見ぬ振りをするのもまた友情だった。
ストレイボウの言葉に、カエルが何を思ったのかはわからない。
ただ、その肩が僅かに震えていたのだけはストレイボウも見逃さなかった。
「……使え。もうオレには過ぎた代物だ。暴君はどこにある?」
その震えを誤魔化すように、カエルはストレイボウにフォルブレイズを渡す。
目の前では、ゴーストロードに刺さった影縫いに亀裂が走り始めていた。
効くとはいえ矢張り相手は神将器だ。倒しに行くには時間がなさ過ぎた。
「ジョウイ、俺たちの……仲間……が、持って行った。禁止エリアにだ」
「遺跡か。分かって持って行ったのなら、よほどのバカか天才だ」
戦闘態勢に移行しながら、カエルはストレイボウから聞いた事実に眉をひそめた。
ラヴォスと遺跡と魔剣。その全てのカードが一人の手の内に揃うことの意味を僅かにでも理解出来るのは、現時点ではカエルただ一人だけだった。
「ラヴォスだって!?」
「……
クロノにでも聞いたのか? 一から説明している暇は無いぞ」
「分かる……いや、分からんのだが……そういうことか、この断片的な記憶は……」
ストレイボウが渡そうとした勇者バッジを拒みながら、カエルはストレイボウの驚愕に怪訝そうな声を上げた。
だが、ストレイボウは納得できないということを納得したように一人ごちる。
その真剣そうな表情にカエルは言葉を続けるのをやめ、座り込むイスラの傍に立った
「一振り借りるぞ適格者。使う気の無い奴が持っているより、剣も冥利に尽きるだろう」
「……お前は……」
天空の剣を掴んで背を向けようとするカエルに、イスラは掠れるように小さな声でカエルに尋ねた。
「どうして、ここに来たのさ……全部無くなっただろ……終わって……どうして、足掻けるんだ……」
カエルは全てを失った。望みもかつての仲間も、災厄の力も、全てを出し尽くした。
全てを出し尽くし、失ったのならば潔く去るべきだ。
いてもいなくても同じ。否、居残るだけで晩節を汚している。
それなのに、カエルは再び舞台に戻ってきた。同じく全てを失ったイスラは、その理由を知りたかったのだ。
それでも厚かましく舞台にしがみつく、その動機をこそ知りたかった。
「……ああ、全部無くした。燃え尽きたよ。風が吹けばたちまち消えるだろう。それが今の俺だ」
カエルとて愚かではない。
今更ストレイボウとの友情を利用して生き残ろう、或いは隙を見て優勝しようなどと虫のいいことは考えていない。
カエルは終わる。それは覆せない決定事項だ。
「だが、俺の終わり方を決めるのは他でもない俺だ。
たとえラヴォスにその終わりさえ喰われるとしても、それだけが、誰にも盗めない宝石だ」
だからこそ、カエルはここにいる。醜くても、蛇足だとしても、自分を真に終わらせるために。
自己満足でも構わない。全てを尽くして終わらせるために、彼はここにいる。
「お前はどうだ、適格者。お前は、終わらせられるのか? 決めるのはお前だ。お前しかいないんだよ」
そういって、カエルは前に進み、ストレイボウとゴーストロードの間に立った。
亡候を封じていた影縫いの亀裂が決定的なものとなり、ぽろぽろと砕けていく。
「……柄にもないことを言っちまった」
「カエル、一つだけ、お前に伝えなきゃいけないことがある」
天空の剣を構えるカエルに、背後からストレイボウが声をかける。
「
ルッカ=アシュティアは、ただの一度も、お前を怨んでいなかった」
「…………そうか」
カエルがぼそりとそう呟く。それと同時に影縫いが砕け、ゴーストロードがカエルめがけて進撃した。
「何故お前がそれを言うのかはさっぱり分からんが、お前が言うのならそうなのだろうな」
突進する暴力を前に、カエルは一度目を閉じ、自分の状態を再確認する。
劣化も劣化。魔力は枯渇し、回復は効かず、右手は無い。
「ああ、そうか……これで……」
全盛期には程遠い。象と蟻の戦力差だ。だが――――
「最後のつかえが取れたぞッ!!」
振り下ろされた雷速の一撃を、カエルはベロを相手の手首に延ばし僅かに軌道を変える。
そしてその僅かな軌道の変化に沿わせるように天空の剣を重ね、必殺の打ち下ろしを紙一重で捌く。
コンマ何秒かのミスも許されない超絶技術が、ゴーストロードの攻撃からカエルを救う。
「さあ来いッ! さぞ名のある騎士だったのだろう。
全ての技を見せて見ろ! こちらも大盤振る舞いだ。ガルディアの剣、余す所なく出し尽くしてくれるッ!!」
全てを失ったカエルの技は、今この瞬間、限りなく“絶好調”だった。
カエルという盾役が生まれたことで、形勢は僅かにストレイボウ達に向いた。
物理攻撃を至近距離で片っ端から捌き続けるカエルの地力によって、ゴーストロードは完全にその足を止めた。
カエルもカエルで、相手から放たれる怨念の闘気すら、戦場の空気心地よしとばかりに楽しんでいる。
あれならばもうしばらくは保つ。ここにストレイボウがサポートに入れば、さらに相手を押し込むこともできるだろう。
「なんでだよ……なんで殺してくれないんだ……」
その優勢の光景すら、イスラには疎ましかった。
終わりたいのに、終われない。誰も終わらせてくれない。見捨ててくれるだけでいいのに、それすらしてくれない。
もうなにも見たくないのだ。続けるだけ、生きているだけで苦痛なのだ。
「終われよ……誰でもいいから、終わらせてください……」
――――終わりを決めるのは、お前だ。
「なら、お前の終わりってなんだ」
塞ぎ込むイスラに、ストレイボウが声をかける。
甘やかすことの無い、冷たさすら感じる声だった。
「このまま座り込んで、ヘクトルに頭割られて死ぬことか。何もせずに、何も成せずに、そのまま餓死することか。
違うだろ。それだったら、もうとっくに自殺する。俺ならそうしている」
だが、何処か鉄のように固く、山のように大きな何かを感じさせる声だった。
「死ねないんだよ。自殺すれば一番楽だって分かってるのに、選べないんだ。
心の何処かで、それ以外の終わりを求めているんだ。違うか?」
死にたいと、終わりたいと何度も願った。罪も犠牲も全部投げ捨ててしまいたかった。
だが、それでもストレイボウは生きた。それでは終われないのだと歩き続けた。
裁かれて死のうと、その終わりだけは誰にも譲らなかった。
「違わないなら立ち上がれよ。曇りを払って、自らの瞳で世界を見据えて、真実を捉えろ。
終わりを選べない程度の、半端な意志じゃ――――死ぬこともできやしない」
「――――ッ!!」
イスラの腹の奥底から、何かがこみ上げる。
同族であるストレイボウの言葉なぞに、イスラの心は響かない。
だがその言葉は、ストレイボウの口を通して投げかけられた言葉は、誰の言葉よりも、内側からイスラを震わせた。
「それを、誰から……」
「俺に『勇気』を教えてくれた人の言葉だ。お前にも伝わるって、信じるよ」
そう言い残して、ストレイボウもまたフォルブレイズを携え戦場へと舞い戻った。
また一人となったイスラは再び塞ぎ込もうとする。
だが、その手はいつしか残された魔界の剣を握っていた。
「あんなやつにまで、人が良すぎるよ……おじさん……」
脳裏に浮かぶのは巌の如きもう一つの背中。
誰よりも死の尊さを知りながら、それでも生の意味を見出した英雄。
その言葉は、どれほどに心を閉ざしたイスラにも染み渡り、響き渡った。なぜならば。
「僕は……」
――――俺の最高の友からの受け売りだ。この言葉、軽く受け流したら承知しねえからな?
「僕は……ッ!!」
イスラの目が、凛と輝き見開かれる。
その胸の中には、もう1人の英雄が残した言葉が今も輝いて残っていたのだから。
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最終更新:2013年09月29日 01:40