瓦礫の死闘-VS究極獣・Radical Dreamers-(後編) ◆wqJoVoH16Y
強烈な光が止み、アナスタシアが瞑った眼を開くと、そこには
デスピサロとなる前のピサロがいた。
傷もそのままであったが、その気力の充実はともすればこの島に呼ばれた直後よりも高いものかもしれない。
「すまんな。少し無様を見せた」
そう言う
ピサロの静けさは、それまでアナスタシアの力と剣に狼狽していたのがまるで嘘のようだった。
アナスタシアの力も意志も、もはや意に介さぬという強固な何かでピサロは立っている。
『クク、クハハハハッ! まさかよりにもよってお前が敵に回るとはなッ!!
世界の守護者たる貴種守護獣の役目よりも一人の愛を選ぶとは、ずいぶんと情熱的だな、ラフティーナッ!!』
そのピサロを支える力に、ルシエドが大爆笑する。
ピサロの手に握られた金色のプレートは紛れもなく上位ミーディアム、愛の奇蹟<ラフティーナ>だ。
顕現しただけならばともかく、敵に回るなどと誰が予見できようか。
「うん、何故か分からないけど貴方が言わないほうがいいわよルシエド。その、ブーメラン的な意味でッ!!」
軽口をたたきながらもアナスタシアは即座にルシエドに跨り、先制攻撃を仕掛ける。
あれが本物のラフティーナだとすれば、その特性は回復。万一にでもフルリペアなど使われる前に仕留めなければならない。
斬撃一閃。ルシエドの速度を乗せたアガートラームの一撃がピサロを切り裂く。
だが、聖剣にはなんの手ごたえもなく、切られたピサロも何のダメージも追っていない。
「どうした? 侘び代わりに斬らせてやったのだ。まさか全力だというまいな」
「……じゃあ、お言葉に甘えてッ」
アナスタシアは再度ルシエドの背に乗り飛翔し、可能な限りの高度を確保したのちルシエドを聖剣にシフトした。
彼女の持つ欲望を最大限に乗せて、これまでで一番巨大な天空の聖剣を形成。
「私の欲望フルスロットル。果てなさいッ!!」
そしてその聖剣ルシエドを蹴り、自らもろともピサロへと急降下する。
現状で考えうる最大攻撃。これならばピサロとて無事ではいられまい。
「砕けん。消えん。永遠に忘れぬと決めた、私の炎は」
ピサロの体が蜃気楼の如く歪み、アナスタシア必殺の逆鱗を素通りさせる。
その愛不可視にして不朽不滅。どんな武器も、どんな魔法も、それを傷つけること能ず。
二度とお前を忘れない。その誓いの体現は絶対防御となりて、聖剣すら凌ぎ切る。
カスタムコマンド・インビシブル――――永遠の愛を破壊できるものなど、存在しないのだ。
「嘘……」
「なるほどな。感情そのものを力と変換する。これがお前やオディオの力の理か。
今ならば理解できる。お前達のその出鱈目な強さも――――“お前のそれが弱くなっている”ことも!!」
「!?」
その一言に走る彼女の動揺を無視し、ピサロは魔砲をアナスタシアに向ける。
込めるのは魔力ではなく、感情そのもの。アナスタシアが欲望にてルシエドを剣や狼に実体化させるように、
その愛を砲弾として充填する。火でも水でも雷でもない、限りなく純粋な無属性のエネルギーとして。
冠する名は、かつてこの砲に込められた幻獣の愛。
「葬填ッ! アルテマ、バスタァァァァァァッッ!!!!」
全てを消滅させる青き一撃が、周囲の石壁ごと消し飛ばしながら、
まるで恋路を邪魔する障害を全て消し去るようにアナスタシアを狙う。
アナスタシアはその一撃を聖剣で受け止めるがしかし、天空の剣を模したはずの聖なる剣はたちどころに亀裂を生じた。
「なんで!? 私の剣が、私の欲望がッ!!」
『不味いな、アナスタシア。奴の心臓を踏み台に、強大な欲望が生れようとしている。
このままでは遠からず、奴が俺の支配権を獲るぞ。俺の剣は使うなッ』
狼狽するアナスタシアの疑問に、ルシエドが忌々しげに答えた。
ラフティーナの顕現と同時に感知した、欲望に限りなく近い何かが、この付近で暴れまわっている。
そしてルシエドが欲望を司る守護獣である以上、本能的にその欲望が強くある方に引き寄せられてしまうのだ。
「そんな、ことって……」
『強く欲せ! 強く望め!! お前の願いは、その程度では――――』
ついにルシエドはその実体を維持できなくなり、聖剣が砕けてしまう。
とっさに両手でプロバイデンスを展開するが、それでも押されてしまう。
何故、どうしてなのか。ただの女に過ぎない私にある力はただ欲望1つだけ。それだけは誰にも譲れぬものだったはずだ。
それが、愛に、夢に追い縋られて今にも追い抜かされようとしているなどと。こんなことは今までなかったのに。
「飢えが足りん。呪いが足りん。僅かにでも満たされた狼など、恐れるに値せずッ!」
その疑問を快刀乱麻に断つがごとく、アルテマの光の中をピサロが斬り込んでくる。
そう、ピサロ達の願いが極限まで高まったのは確かだ。だがそれだけではアナスタシアの欲望には僅かに届かない。
かつてひとりぼっちだったアナスタシアは、生に飢えていた。
絶対的な死を前に、生贄とならなければならない自分の人生に飢えていた。
シニタクナイ、コンナジンセイミトメナイ、マダマダマダマダオワレナイ。
その拒絶こそが欲望の源泉であり、本来完全にあの世に行くべきアナスタシアを、
あの世とこの世の境である彼女の世界に縫い付けたのだ。
だが、今彼女は知ってしまった。仲間を、絆を、謳歌すべき生を、
彼女が望み手に入らなかったものを僅かなりとも手にしてしまった。
叶ってしまえば、欲望は去ってしまう。飢えなければ、叶わずにいなければその力を発揮できないのだ。
「終われ、勇者の影よ。ただの女として果てるがいいッ!!」
故に、愛に飢え切ったピサロの剣は、聖なる盾を一撃のもとに断ち切る。
凍てつく波動を装填された一閃は、プロバイデンスを無効化し、アナスタシアを瞬く間に血に染め上げた。
「旦那も随分と猛ってやがるな。匂いだけで酔っぱらいそうになる」
セッツァーはそういって、鼻の骨を戻して気道を確保しながらピサロの戦闘しているであろう方角を見た。
その戦闘の凄まじさを感じるだけで、ピサロがどのような高みにいるのかがわかるというものだ。
「まあ旦那も後で潰さなきゃいけなんだが――――そろそろくたばれよ、お前ら」
「ざっけんな、コラ……!」
カラカラと笑うセッツァーを遮るように、アキラと
ちょこが立ち塞がる。
その姿は乱戦が始まった時から比べれば見るも無残、セッツァーよりもボロボロになっていていた。
それでも行かせぬとアキラとちょこは不断の意志でセッツァーを睨み付ける。
しかし、セッツァーは薄ら嗤うだけで、何の変化も見られない。
顔面に塗りたくった鼻血の化粧もあいまって何とも不快だ。
(なんだ、こいつ、本当に俺たちを見ているのか?)
だが、アキラを本当に不快にさせたのはその瞳だった。
確かにアキラという存在を認識してはいるが、その癖本当の意味でアキラを映していない。
見下す、という言い方でも不足している。そう、もっと正確に言うなら――“見下ろし”ている。
「返してください! それだけは、アシュレーさんの、その願いだけは――――ッ!!」
その薄ら笑いに耐えかねたか、ちょこが再び翼をはためかせて突撃する。
セッツァーの掌で転がされる白黒のダイスを睨み付けながら、最高速度で飛翔した。
「回れ――――止まれ、止まれ、止まれ」
衝突すれば今度こそ内臓をぐちゃぐちゃにされるであろう一撃を前にしてもセッツァーの瞳はちょこを映さず、
ただダイスを中空に放り、手に戻す。そのとき、突如としてセッツァーとちょこの間に、地面から巨大な石の壁がせせり立った。
ジョウイの召喚した石細工の土台ではない。もっと生命力に溢れた、てのひらのような巌の壁だった。
「く、闇に還re、
「回れ――――止まれ、止まれ……止まれ」
Va, i ……――――?」
せせり出た謎の壁にぶつかることを避けたちょこは、ならばと闇の魔力を発動しようとする。
だが、その隙間を縫うようにセッツァーは再度ダイスを掌の中で転がした。
すると、いずこからか竪琴の旋律が響き、ちょこの呪文を遮ってしまう。
物理障壁に、音波干渉。まったく異なる“5つ”の新しい技に、不思議に感動を覚えるちょこでさえも面食らう。
立ち上がって最初にダイスを回し始めたとき、まずヒヨコッコ砲から突如黄色い大きな鳥の群れが現れ、アキラとちょこに襲い掛かった。
おそらくはゴゴが言っていたチョコボという鳥であろう。だが、そんなことを思うよりも先に、突如として爆撃が彼女たちを襲った。
突然行われた地面と空中からの同時攻撃を避ける術などあるはずもなく、彼女たちは大きく吹き飛ばされる。
挙句、その倒れたところを見計らったように、一角獣の聖なる角が現れ、セッツァーの傷を癒し始めたのだ。
鳥の突撃、空からの爆撃、その上回復。あまりに統一性のない技の数々に、2人とも手品に化かされているのかと思うしかなかった。
このような技を隠し持っていたというのか。ならば何故今まで使わなかったのか。
子供ながらに疑問こそ浮かべど、回答など出るはずもない。ならばただ攻めるより処する方法はなかった。
「うおおおおおッ!!!」
アキラが一気呵成にセッツァーに肉薄する。距離を空けると、何を呼び出されるか分かったものではない。
故に限界まで接近し、打撃と超能力の2段構えで仕留める。
今度は先ほどのような障壁は展開されず、アキラはローキックが当たる位置まで接近することができた。
どれほど回復の手段があろうと、セッツァー本人の耐久力のなさは先ほどの拳で体験済みだ。
足を潰して、ヘブンイメージで一気に眠らせる。その作戦を実行しようと、軸足を大地に固定しようとする。
「いや、本当にすまなかったな。俺が間違ってた」
「おおおッ!?」
だが“運悪く”、力を貯めんと踏みしめかけた左足に瓦礫があたり、アキラはつんのめってしまう。
何度も繰り返してきた喧嘩殺法をしくじるとは何という“不運”か。
だがそんな“不運”を嘆く暇などない。セッツァーからの反撃が来る前に、アキラは急ぎ距離を空ける。
当然、セッツァーはアキラを撃つべくマグナムの銃口を持ち上げる。
しかし、その挙動は緩慢でアキラは回避するのに十分な距離を得た。
(なんだ、あの目、俺を本当に狙ってんのか?)
「認めるよ。おまえ達に夢があろうがなかろうが、おまえ達の夢が大きかろうが小さかろうが、それで俺の夢が貴くなるわけじゃない」
なにより、その瞳はやはりアキラを見据えていない。“多分この辺だろうなあきっと”と言わんばかりの適当さだ。
その口からは放たれる謝罪も同様。星の反対側に語りかけるように、セッツァーとアキラ達の位置が遠すぎる。
当然、放たれた銃弾の方向もてんで適当で、アキラが躱すまでもなく銃弾はアキラに当たらず、空を切る。
「“認めるよ”。おまえ達の夢を、夢を探すおまえ達を。おまえ達はチップやカードじゃない。お前達も“ギャンブラー”だ」
「お前――グハァッ!?」
ぞくり、とセッツァーの瞳とアキラの目が交差したとき、アキラは心臓を鷲掴みされたような悪寒を覚えた。
その時、外れた銃弾が石壁に当たり軌道を変え、さらに地面に当たって軌道を変え、アキラの腿に風穴を空ける。
跳弾による銃撃。
サンダウンでもない限り不可能な攻撃を、セッツァーはこともなげに行った。
無茶苦茶な連続攻撃の後に超絶技術の攻撃。
理解できない。意味が分からない。反則にもほどがある。理不尽の極み。
だが、アキラは銃弾に込められたセッツァーの想いの一部に触れて、理解できない意味を理解した。
空だ。紅き夕陽に照らされ、雲と風を切って進む大空。
今のセッツァーが抱くイメージはただそれのみだ。
これまでのセッツァーは高い位置からあらゆる夢を嘲け笑っていた。
あらゆる夢は自分のチップであり、カードだった。
自分の夢を叶えるために無視できぬものであり、時には切り捨て、時には愛でた。
だが、その認識が変化する。セッツァーの夢が、さらなる高みへと飛翔した。
地表より遥か高い場所にあるここの空からでは、地面はあまりにも小さすぎる。
ましてや、そこで儚くも生き抜いている命たちなど“認識すらできない”。
「だから、俺はもうお前たちを嘲らず、利用しない。ただ――――」
「この、屑や、うが……」
蹲ったアキラが落としたデイバックの中から転がった龍殺しの空き瓶を何の気なしにセッツァーは拾った。
落し物を拾ってあげるような気安さで。淀みなく、何の感慨もなく。
「同じギャンブラーとして、1ギル残さず破産させる」
自分の飛翔を邪魔するゴミの頭を瓶でかち割った。
ぐちゃ、という軟体的な音。
ゆっくりと上半身を地面に預けるアキラが、まるで眠りについたのかと思えるほどだった。
「お、ま、えェェェェェェェッッ!!!」
彼女の考えうる限り最大の“悪い言葉”を放ちながら、ちょこの周囲に闇の力が噴出する。
許せなかった。この銀髪のナニカの、爪先から髪の先まで受け入れられなかった。
彼女の脳裏に浮かんだのはロマリアの4将軍、人の形をした悪の化身だった。
こんなものと、アシュレーお兄さんや、ゴゴおじさんが同じものだなんて、許せるはずがない。
ことここに至るまで彼女は自身の感情がどうであれ、決着をゴゴに任せるつもりでいた。だが、もう無理だ。
コレはゴゴおじさんが話をしたがっていたセッツァーという人間ではない。
ゴゴが取り戻したかったものは、ここにいるナニカの中に一欠けらもないのだ。
だから、闇に還す。たとえゴゴに“悪い子”と思われたとしても、こいつをゴゴに逢わせてはいけないのだ。
「回れ――――止まれ・止まれ、止まれ」
だが、ちょこが振り絞った殺意さえも、セッツァーは一切意に介さない。
彼女がヴァニッシュを放つよりも早くダイスは止まり、6つ目の技が招来される。
ちょこの頭上の空間が歪み、龍の顎が現れる。
出現したのは口だけだが、それだけでもその龍がいかに巨大なのかは推し量れる。
その牙一つをとっても強靭で、龍の王と呼ぶに相応しき威容の顎だった。
それほどに巨大な龍の口が開き、蒼き力がその咽喉に収束する。
ヴァニッシュを発動しようとしていたちょこにその一撃を避ける術はなく、龍の咆哮が彼女に降り注いだ。
「あ―――」
正体不明の直撃を受けたちょこは、糸が崩れ落ちたかのように膝を折り、地面に倒れようとする。
だが、彼女が地面に倒れることはなかった。彼女に近づいたセッツァーがその片翼を掴んで釣っている。
一体何を、と彼女が怪訝そうにセッツァーを見ようとしたときだった。
「あ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああッッ!!!!」
銃声が4度、ちょこの背中で爆ぜ、肩甲骨の付け根あたりに猛烈な熱が走る。
ちょこの翼の付け根にぐいとねじ込まれたマグナムが火を噴き、その魔なる白翼に穴をあけ、引き千切った。
背中から垂れた血と白き羽根が舞い散る中で、片翼をもがれ苦悶を上げる少女の姿は、どこまでも幻想的だ。
だが、その中で銃に弾丸を装填する黒き鷹は、場違いなほどその幻想から乖離していた。
手を差し伸べるかは別にしても、耳に入れば誰もが足を止め振り返るだろう少女の嗚咽を間近で聞きながら微動だに反応しない。
罪悪感など欠片もなく、少女をいたぶる嗜虐も、必殺の好機に命を奪わなかったという傲慢さえも微塵もない。
「ここで飛ぶんじゃねえよ。うっとおしい」
ただ、少女が翼をはためかせて宙に浮いているのが不快なだけ。
自分の空に舞う小鳥が目障りだったから、その羽を毟り取ったに過ぎなかったのだ。
翼を失い、地に落ちた少女にセッツァーの興味はもうなかった。
その異形の姿からみて、ただの人間よりも耐久性がありそうで、仕留めるのに時間がかかりそうだということもある。
軽々に足を動かして別の場所に行こうとするセッツァーはどこまでも自由だった。
「い、か、せない……おじさんの……と、ころ、には……」
コートが引っ張られ、足を止めたセッツァーが表情で振り向く。
そこには、顔を砂で汚しながらも毅然とした表情でセッツァーに向き合う少女がいた。
涙を湛えながらも凛としたちょこの瞳がセッツァーの視線と交差する。
自分にまとわりつく汚物を拭うように、セッツァーはちょこを蹴り転がし、見上げる少女と体が向き合う。
「どうして……」
そのセッツァーの瞳を見たちょこはセッツァーというナニカが全く理解できなかった。
あのルカでさえ、ちょこのことを憎悪すべき敵と認識してくれたのに、その瞳にはそれさえもない。
うっかり犬の糞を踏んでしまったかのような、ただただ汚らわしいものを見る瞳だった。
空だけを映す瞳は、誰も見ていない。この美しい空に、セッツァーはどこまでもひとりぼっちなのだ。
「殺して、ひとりぼっちになって……それで、いいんですか。寂しく、無いんですか……?」
どうしてなのだろう。
この人も、ジョウイも、どうして一人になろうとするのだろう。
拒んで、嫌がって、離れて……そうまでして手に入れたいものはなんなのだろうか。
王冠? どれだけそれが綺麗でも、誰も綺麗だねといってくれないのに。
そうじゃない。そうじゃないはずだ。一人であることの寂しさを知っているからこそ、彼女は断ずる。
どんな綺麗なものだって、この寂しさは埋められない。
その寂しさを埋められるのは、誰かと繋いだ手の温かさだけなんだ。
おじさんだって、そういってくれた。おにーさんだって、わかってくれた。
だから、押し殺さないで。“一人じゃ寂しいことを、貴方だって知っているはず”。
「寂しい?」
だが、紡がれたちょこの問いに対する返答は、心の底からのオウム返しだった。
糞を見る目から、打ち上げられて腐乱しかかった魚を見る目に変わる。
コンフュに侵された者の奇行妄言に示される原初の嫌悪だ。パクパクと動く口から腐臭がする。
意味が分からない。一人であることが、寂しい? なんだそれは、どんな冗談だ。
“まるで独りであることがさも悪いことのようじゃないか”。
「本気で生きてたらそんな暇あるわけないだろうが」
ちょこが抱える闇さえも、この大空の夢には届かなかった。
全力で空を走り抜けるときに、風を切る音以外のものが聞こえるだろうか。
聞こえるというのならそれは全力ではない。もっと速く飛べるはずだ。
寂しさとは“隙間”だ。余剰であり無駄なスペースだ。限界には程遠い。
後ろを省みて寂しいと思う暇があったら前を向いて突き進めばいいだけ。
そんなものはただの甘え。かつてのセッツァー同様、真に全力を出さぬ者の言い訳だ。
かつて夢を失くし、生じた隙間を酒とギャンブルで埋めていたセッツァーだからこそ、その洞を無意味と断ずる。
もうこの身体に隙間はなく、四肢の末端まで夢に満たされている。
それを孤独というのならば、最高じゃないか。それは全ての重しからの解放――――『自由』なのだから。
「『手を繋ぐ』? 『足を引っ張る』の間違いじゃないのか。 『絆』?『鎖』だろうそれは。
わざわざ遅くしてやらなきゃついてこれないものなんて、俺の空には要らねえよ」
だから、最速の空には誰もいない。遥か彼方の光を追う男の夢だけで充溢した完全なる世界だ。
「あなたは……終わってる……」
その世界を垣間見たちょこは、アキラと違う言葉で、同じ言葉をセッツァーに告げた。
ルカと同じかある意味それ以上、善悪を超えたおぞましさしか湧き上がらない。
あの狂皇と比べれば、セッツァーは生物的に弱いだろう。ちょこがセッツァーに劣る箇所など存在しない。
しかし、ちょこは目の前の存在に気圧されていた。
あれほど自分が忌み嫌った『孤独』を是と歓待する狂気に嫌悪した。
「そんな人に、負けたり、なんか、しない……ッ!」
それでも、ちょこは毅然と抗った。羽根をもがれ地に落ちても、空を覆うこの夢に刃向った。
一人でいることが強さだと、みんなと並ぶことが弱さだと嘲るこの空だけは認められない。
「みんな、いっしょにお家に、帰るんです……アナスタシアおねーさんとけっこんして、ゴゴおじさんや、みんなと。
アシュレーお兄さんや、
シャドウおじさん、ユーリルお兄さん……帰れない人たちの分も、みんなと。
その夢が、願い、要らないだなんてあるわけなあううううううッ!!!!!」
命の限りの歌が、命の傷む叫び声に変わる。
雑音の源を断ち切るように、セッツァーはアキラを撲壊させて半分に割れた龍殺しの酒瓶をちょこの下腹部に投げつけた。
最初から彼はちょこの話など聞いてはいない。負け犬の遠吠えがこの空に届くはずがない。
「う、うう……こんな、くらい、じゃ……」
それでもちょこは挫けない。
あの責め苦に比べれば、あの永遠の孤独に比べれば、何も痛くはないと、ちょこはダメージに耐える。
それは精神論だけに留まってはいなかった。ちょこの膨大な魔力は強大な武器であり鎧だ。
その鎧の硬さは、かのルカ=ブライトにブレイブを抜かせるまで耐え続けたことからも折り紙つきだ。
覚醒によって魔力を外側に出している分、子供の時より耐久度は落ちているだろうが、
それでも、そのステータスの差は歴然。セッツァーがいかなる攻撃をしようが、ちょこの命までは届かない。
例えどれだけ絶対命中するマグナムだとしても、必殺とまではいかないだろう。
「――――え……?」
だから、ちょこはその後のセッツァーの行為が理解できなかった。
セッツァーは瓶を踏む足の力を緩めたのだ。肉の反動に追い出されるように瓶が少しだけ外側に押し戻される。
そして――その瓶の口を少しだけ上に蹴りあげて、硝子の荊をちょこの“下腹部”に向け直した。
「え? え? え? え?」
ちょこの口から気泡のような疑問が湧き出る。ただ刺される場所が変わっただけだ。
なのに、何故、おなかと違うのか。骨折した。剣で腹を貫かれた。殴打に次ぐ殴打で滅多打ちにもされた。
それらの時には一つも湧き上がらなった疑問が、とめどなく溢れてくる。なにこれ、なんだこれ。
その疑問に答えを乞うように見上げたセッツァーの瞳は、ただ単に慣れた日々の仕事をこなすような無感動だった。
セッツァーは非力である。人並みにはあるだろうが、人以上の力はない。
ルカのように巧みに暴力で破壊することもできない。比べれば己の刃など縫い針一本かそこらだろう。
だが、それで十分だった。そしてセッツァーは騎士でも武人でも殺し屋でもない。ギャンブラーだ。
ならばその仕事とは。ギャンブラーとは何を糧にして糊口を凌ぐ生き物であるか。
ぐい、と足に力が入る。臍の真下、微かに膨らんだ肉の丘に、みちり、みちりと硝子の荊が食い込み、つうと血を垂らした。
それと共にちょこの中に疑問がぶじぶぢと膨張する。どれだけ外側からの力に耐えようとも、内側からの負圧には耐えられない。
わからない。なにをしている。なにをしたい。わからない、わからない――――わからない?
皮膚一枚のところまで圧するほどに疑問が体内を充たした時、ちょこはそれが疑問ではなく、恐怖であると知った。
「いや……」
――――ちょこちゃんも大人になれば分かるかもね。
いつか、今は遠い潮騒の記憶が浮かぶ。何故、あの時満ち足りた表情でそういったアナスタシアを思い出すのか。
アナスタシアならば、これがなんなのかを教えてくれただろうか。
だが、ちょこはそれを知りたいとは思えなかった。
こんなの知らない。こんな痛み知らない。知りたくない。いやだ、こわい、きもちわるい。
後ずさりたいと手に力を込めるが、それだけで荊がさらに食い込み、彼女の恐怖を増殖させて縛り上げた。
――――本当!? 大人になるっていつ? すぐなれる?
「いやッ! やめて!! いい子でいい! 悪い子でもいい!! だから、それは、それだけは……!!」
内外を侵食し続ける『未知という恐怖』に、ちょこは涙を溢しながら拒絶した。
戦士としての痛みは知っている。命としての痛みも、心の痛みも知っている。だけど、それは、それだけはまだ知らない。
それは、いつかなるものだ。それは、子供の国から抜け出たちょこがいつか知るものだ。
でも今はまだ知らないから、ただ本能が叫ぶ悲鳴を止められない。
――――うん。すぐよ。
それは、希望を啄み、欲望を啜って飛翔する鷹。
命を殺さぬ。ただ、その輝かしき夢を喰らうだけだ。
誰よりも夢を喰いつづけてきたからこそ知っている。
人の生死とは、心臓の鼓動に拠って切断されるものではないことを。
くるな、こないで。そんなものこんなものしらないしりたくない。
しってしまったら、しってしまったら――――
そんな叫喚と共に、全ての夢が吐き出されたとき、
誰よりも誰かの夢を貪り続けてきた夢喰い<ギャンブラー>は、
その体重を酒瓶に傾けて、ゴミ処理の終了を宣言した。
「尻の穴は残してやる」
「わあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
――――ちょこと結婚してくれる?
もお、けっこんできない。おかあさん<おとな>になれないよ。
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最終更新:2012年08月25日 23:51