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S58〜澁谷美樹ちゃん失踪事件

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【澁谷美樹(当時3歳、女) 宮城・柴田郡川崎町・S58年11月1日】
テレビではその日、日本シリーズの試合で大活躍した中畑清選手(元巨人軍)が笑顔でインタビューに答えていた。

祖父である喜代治さんは町内にある川崎保育所に美樹ちゃんを迎えに行った。当時、父親の民男さんは運転手、母親の勝江さんは看護婦をしていたため、迎えに行くのは祖父である喜代治さんの役目だった。もしこのままノンストップで自宅へ行けば事件は起こらなかったかもしれない。だが悲劇は起ころうとしていた。

 

 

美樹ちゃんを路駐した車に残し、田んぼに降りて知り合いと話しこんでいる間に居なくなった。
田んぼでは脱穀機が回っていて、その音で周囲の音は聞きづらい状態だった。

喜代治さんはすぐさま知人らと共に必死に周囲を探したが見つけ出すことはできず、大河原署に「孫がいなくなった」と届けでた。
 

当初、警察では美樹ちゃんがいなくなった場所が周囲に農作業水路が多い水田であることから一人で車を降り誤って水路に転落した可能性が強いと考え警察犬を出動させ地元住民と一緒に付近一帯を深夜まで捜索したが手がかりは何も発見できず、事態はすぐに一変し、現場近くの道で、美樹ちゃんと同じO型の血痕が少量と、ブレーキ痕や不審な  男女の目撃情報がある。美樹ちゃんが車から降り、周りで遊んでいる姿も目撃されている。


当時、澁谷さん宅近くの実家に酒を仕入れに来ていた飲食店経営の男F氏(当時31歳)が猛スピードで車を走らせている姿を目撃されており、何度も事情聴取を受けている。F氏は美樹ちゃんの父親の民夫さんと同級生であった。なお、この男は事件後に車を変え、美樹ちゃんの失踪当時に乗っていた車は見つからなかったとのこと。現在F氏は行方不明である。

美樹ちゃんが失踪した現場には1984年10月に大河原警察署により制作された情報提供を求める看板が現在でも設置されており、看板は交通事故によって壊れてしまい、ご家族で立て直している。 (2000年2月15日 読売新聞)

 

2001年に大河原警察署では21歳になった美樹ちゃんの現在予想されるモンタージュ写真を作成した。

祖父の喜代治さんは美樹ちゃんの帰りを見届けることなく、2012年2月に亡くなっている。

 
勝江さんは6月に撮られたさくらんぼ狩りの写真や10月に撮られた写真、七五三の時に来た服を現在でも所有し、30年間、いつかは会える日が来ると、今でも、ずっと、ずっと待っており再会を諦めていない。
 
失踪から30年が経過した11月1日に勝江さんは「1日も美樹を忘れたことはない。犯人が人の心を持っているのなら、せめて美樹の場所を教えて欲しい」と絞り出すように訴えた
 
2018年2月6日に同じく息子の松岡伸矢くんが行方不明になった松岡正伸さんはフェイスブックで美樹ちゃんのことがネットに上がっていることを触れ、母親の勝江さんが熱心に諦めずに探し続けている姿に心打たれた方が多かったのではないかと拝察し、「必ず元気に生きておられると思います。美樹ちゃんが無事帰ることができますようにと切に願います」とコメントしている。
 
2020年現在も自宅の居間には美樹ちゃんの写真がずっと飾られている。

2021年現在も家族は美樹ちゃんがいつでも帰って来てもいように部屋をそのままにしている。

http://www1.tanteifile.com/dragnet/mikaiketsu/missing/001_050/008_1980_01_22/index.html 

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