お手手を両方使えること。
作家は短パン小僧の頃にダヴィンチちゃんの紹介を読んで「なるほど、世界には独特な人がいるもんだ」と一種の嫉妬をしてですね。自分は「文字を真逆に書く変なひと」のようなものが、でもそんなには変ではなくて利得なのはなにがあるかな、と思って決めたのが手を両方適切に使うことでした。
人体錬成にしっぱいしても生活できた方がいいですしね。
作家は短パン小僧の頃にダヴィンチちゃんの紹介を読んで「なるほど、世界には独特な人がいるもんだ」と一種の嫉妬をしてですね。自分は「文字を真逆に書く変なひと」のようなものが、でもそんなには変ではなくて利得なのはなにがあるかな、と思って決めたのが手を両方適切に使うことでした。
人体錬成にしっぱいしても生活できた方がいいですしね。
だから両利きと言っても完全に対称(シンメトリー)ではない。割り箸は右手、スプーンは左手、文字は右手で絵は左手で描く。全体的にチカラ入るのは左の手と右の足だけど。
そんな感じで一部は作家の社会に潜む仮の姿の父に「そう生きると不便だろう」と直されても適当に生きていたんだけど。桜の嵐の原作者さんを知る事になりまして、そのお方、両手で割り箸を扱うらしいから。「あら!!!僕ちゃんは今ぜんぜん右手なのに!」と、また嫉妬みたいなものをしてそれから4年以上(2026年2月基準)練習して左手でもけっこう重いキムチが運べれるようになりましたね。(韓国料理ではけっこう高難易度の具材という一般的な認識がある)
そんな感じで一部は作家の社会に潜む仮の姿の父に「そう生きると不便だろう」と直されても適当に生きていたんだけど。桜の嵐の原作者さんを知る事になりまして、そのお方、両手で割り箸を扱うらしいから。「あら!!!僕ちゃんは今ぜんぜん右手なのに!」と、また嫉妬みたいなものをしてそれから4年以上(2026年2月基準)練習して左手でもけっこう重いキムチが運べれるようになりましたね。(韓国料理ではけっこう高難易度の具材という一般的な認識がある)
そういうのが反映されてるのが桜の嵐で、クララちゃんとミ=ゴの白紙はもともと両利きです。ほかの人はそんなに決めてないけどたぶんみんな両利きがいけます。学ぶとできます。そんな世界観だから。
「時空を歩み色を見るもの」がもともとお手手を両方使ってイドからスフィアを触れて握ることができるから。廻って触ることができるからそれを廻(スフィア)と言うのです。
そういった設定にしてたら、まあ本編でマギアたちが問題なくエーテルの操作をして戦いもできる展開になってますが、これは「少年漫画」ではなくて「物語シリーズ」「キノの旅」「バッカーノ!」に近いものなので、ただの囮ですよ。素材も、設定も。
大事なのは……柔軟であること。
そういった設定にしてたら、まあ本編でマギアたちが問題なくエーテルの操作をして戦いもできる展開になってますが、これは「少年漫画」ではなくて「物語シリーズ」「キノの旅」「バッカーノ!」に近いものなので、ただの囮ですよ。素材も、設定も。
大事なのは……柔軟であること。