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現在地:[[トップページ]]>[[漢詩大会の漢詩全文]]>曹操作品の出典リスト
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*作品目録
**ゲームに登場する作品
***「短歌行」
→[[短歌行(曹操)]]
***「蒿里行」「却東西門行」
→[[蒿里行・却東西門行]]
***「歩出夏門行」
→[[歩出夏門行]]
**ゲームに出ない作品
***「秋胡行」
→[[秋胡行(曹操)]]
***「善哉行」
→[[善哉行]]
***「精列」
→[[精列]]
***「陌上桑」
→[[陌上桑]]
***「薤露」
→[[薤露]]
***「謡俗詞(短編)」
→[[謡俗詞]]
***「董卓歌詞(断片)」
→[[董卓歌詞]]
**関連
***「塘上行」
→[[塘上行(曹操・曹丕・甄夫人)]]
***「請祭先王表」(曹植)
→[[請祭先王表]]
***「魏鼓吹曲十二篇」(繆襲)
→[[魏鼓吹曲十二篇>「魏鼓吹曲十二篇」]]
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*解説
[[維基文庫 曹操作品の項>>http://zh.wikisource.org/wiki/作者:曹操]] / [[日本語版wikipediaの解説>http://ja.wikipedia.org/wiki/曹操]]/[[曹操樂府詩論考:植木氏(解説論文)>http://hdl.handle.net/10129/1314]]
詩の特徴を一言で表すならば、名の「操」そのものとなる。
中国には旧くから、「操」という琴曲調があった。絶望を抱きつつ法や則に従う者の、決意と祈りの曲調である。
後漢(西暦180年から200年頃)、応劭が著した「風俗通義」という本のうち「巻六 声音>琴」の章に説明があるので、おおまかな意訳を載せる。
([[国会図書館>http://www.ndl.go.jp/]]>[[近デジ>http://kindai.ndl.go.jp/]]>キーワード「風俗通義」より。日本人が書き写したものだが、大意は変わらないと判断)
「閉塞憂愁の中で編み出された其の曲に、作者は名をつけた。操という。
操とは災に遇い害せられ、困厄窮迫し、怨恨失意と言えども、なお礼儀を守りて懼れぬ意思を表す。
楽道とは、操を失わぬ者なり」
他に特徴をあげると、
・表面を読むだけなら易しい。深読みを試みるには、高度な知識が必要
この時代の作品大半に通じることだが、曹操の場合、特に顕著。
ぱっと見には難しい言い回しがなく、有名な作品からの引用も多い。
例えば「短歌行」だけでも、論語、詩経、春秋左氏伝、管子、漢書、史記他の引用もしくは影響が確実に見られる。
かといって、単なる物まねではない。
これだけの引用を行えば、引用元との矛盾が見られたり煩雑になりそうなものだが、一見、無造作かつ簡潔に、しかし綿密かつ丁寧にまとまっている。膨大な古典を使いこなせるだけの知識と理解、技巧、それらを生かす構成力がなければ、こうはいかない。
なので、作品に込められた意味を理解しようとすると、……初心者向けじゃないなorz
・曹操は、詩の発表形式として、余計な伴奏なしで伎人が歌う形式をもっとも好んだ。
昔の考え方として、詩と曲は別々だった。曹操は彼の作品にみられる"歌以詠志"などから、詩を志の発現体として重視していた模様。
《宋書 志第十一 樂三》
>但歌四曲,出自漢世。無弦節,作伎,最先一人倡,三人和。魏武帝尤好之。時有宋容華者,清澈好聲,善唱此曲,當時特妙。自晋以来,不復,遂絶。
(「但歌」四曲は漢代から歌われるようになった。件奏はなく、伎人だけが歌う。最初に一人が歌いだし、三人が和する。魏武帝はこの形式をもっとも好んだ。宋容華者(宋出身の?宋のような?美男美女の楽人)がおり,清澈な声で,善く此曲を唱和した,当時は特に妙なるものだった。晋以来,復興せず,遂には絶えた)
「楽府詩集」相和歌
>古曰章,今日解,解有多少。當時先詩而後聲,詩敘事,聲成文,必使志盡於詩,音盡於曲。
(いにしえに言う"章(一章、二章~)"というものは、今日の"解(一解、二解~)"である。"解"には多少がある。当時は先に詩があり、後に声があった。詩とは叙事(事柄を述べる)であり、声とは成文(文を成す)である。
必ず、志は詩において全うされるものであり、音は曲において全うされるものである)
・後世における評価は定まっていない。
「[[曹操樂府詩論考>http://hdl.handle.net/10129/1314]]」では即興性(18p)を指摘しているが、短歌行を分析した論文「[[曹操に於ける受命問題と「短歌行」周西伯昌詩>http://hdl.handle.net/2324/9721 ]]」では、即興性を否定し、綿密周到な配慮のもと作られたと(p16)としている。
《詩品》では下品とされるが、《漁洋詩話》のように「上品に置くべき」という意見もある。
王漁洋(王士禎)「古人山水の作に於いて、康楽、宣白盛唐の王、孟、李杜王昌齢等諸公の什至れりといへども皆、曹操が『水何澹澹。山島疎峙』の二語に及ぶものなし」と評せる(近デジ『置土産』飯田御世吉郎 著より)
《古詩源》、《鈍吟雜録》「魏武文體,悲涼慷慨,與詩人不同。然史志所稱,自有平美者,其體亦不一」など、総じて「古のおもかげ」「悲涼」をもって評価される。
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→[[漢詩大会の漢詩全文]]へ戻る
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*作品目録
**ゲームに登場する作品
***「短歌行」
→[[短歌行(曹操)]]
***「蒿里行」「却東西門行」
→[[蒿里行・却東西門行]]
***「歩出夏門行」
→[[歩出夏門行]]
**ゲームに出ない作品
***對酒
→[[對酒]]
***「秋胡行」
→[[秋胡行(曹操)]]
***「善哉行」
→[[善哉行]]
***「精列」
→[[精列]]
***「陌上桑」
→[[陌上桑]]
***「薤露」
→[[薤露]]
***「謡俗詞(短編)」
→[[謡俗詞]]
***「董卓歌詞(断片)」
→[[董卓歌詞]]
**関連
***「塘上行」
→[[塘上行(曹操・曹丕・甄夫人)]]
***「請祭先王表」(曹植)
→[[請祭先王表]]
***「魏鼓吹曲十二篇」(繆襲)
→[[魏鼓吹曲十二篇>「魏鼓吹曲十二篇」]]
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*解説
[[維基文庫 曹操作品の項>>http://zh.wikisource.org/wiki/作者:曹操]] / [[日本語版wikipediaの解説>http://ja.wikipedia.org/wiki/曹操]]/[[曹操樂府詩論考:植木氏(解説論文)>http://hdl.handle.net/10129/1314]]
詩の特徴を一言で表すならば、名の「操」そのものとなる。
中国には旧くから、「操」という琴曲調があった。絶望を抱きつつ法や則に従う者の、決意と祈りの曲調である。
後漢(西暦180年から200年頃)、応劭が著した「風俗通義」という本のうち「巻六 声音>琴」の章に説明があるので、おおまかな意訳を載せる。
([[国会図書館>http://www.ndl.go.jp/]]>[[近デジ>http://kindai.ndl.go.jp/]]>キーワード「風俗通義」より。日本人が書き写したものだが、大意は変わらないと判断)
「閉塞憂愁の中で編み出された其の曲に、作者は名をつけた。操という。
操とは災に遇い害せられ、困厄窮迫し、怨恨失意と言えども、なお礼儀を守りて懼れぬ意思を表す。
楽道とは、操を失わぬ者なり」
他に特徴をあげると、
・表面を読むだけなら易しい。深読みを試みるには、高度な知識が必要
この時代の作品大半に通じることだが、曹操の場合、特に顕著。
ぱっと見には難しい言い回しがなく、有名な作品からの引用も多い。
例えば「短歌行」だけでも、論語、詩経、春秋左氏伝、管子、漢書、史記他の引用もしくは影響が確実に見られる。
かといって、単なる物まねではない。
これだけの引用を行えば、引用元との矛盾が見られたり煩雑になりそうなものだが、一見、無造作かつ簡潔に、しかし綿密かつ丁寧にまとまっている。膨大な古典を使いこなせるだけの知識と理解、技巧、それらを生かす構成力がなければ、こうはいかない。
なので、作品に込められた意味を理解しようとすると、……初心者向けじゃないなorz
・曹操は、詩の発表形式として、余計な伴奏なしで伎人が歌う形式をもっとも好んだ。
昔の考え方として、詩と曲は別々だった。曹操は彼の作品にみられる"歌以詠志"などから、詩を志の発現体として重視していた模様。
《宋書 志第十一 樂三》
>但歌四曲,出自漢世。無弦節,作伎,最先一人倡,三人和。魏武帝尤好之。時有宋容華者,清澈好聲,善唱此曲,當時特妙。自晋以来,不復,遂絶。
(「但歌」四曲は漢代から歌われるようになった。件奏はなく、伎人だけが歌う。最初に一人が歌いだし、三人が和する。魏武帝はこの形式をもっとも好んだ。宋容華者(宋出身の?宋のような?美男美女の楽人)がおり,清澈な声で,善く此曲を唱和した,当時は特に妙なるものだった。晋以来,復興せず,遂には絶えた)
「楽府詩集」相和歌
>古曰章,今日解,解有多少。當時先詩而後聲,詩敘事,聲成文,必使志盡於詩,音盡於曲。
(いにしえに言う"章(一章、二章~)"というものは、今日の"解(一解、二解~)"である。"解"には多少がある。当時は先に詩があり、後に声があった。詩とは叙事(事柄を述べる)であり、声とは成文(文を成す)である。
必ず、志は詩において全うされるものであり、音は曲において全うされるものである)
・後世における評価は定まっていない。
「[[曹操樂府詩論考>http://hdl.handle.net/10129/1314]]」では即興性(18p)を指摘しているが、短歌行を分析した論文「[[曹操に於ける受命問題と「短歌行」周西伯昌詩>http://hdl.handle.net/2324/9721 ]]」では、即興性を否定し、綿密周到な配慮のもと作られたと(p16)としている。
《詩品》では下品とされるが、《漁洋詩話》のように「上品に置くべき」という意見もある。
王漁洋(王士禎)「古人山水の作に於いて、康楽、宣白盛唐の王、孟、李杜王昌齢等諸公の什至れりといへども皆、曹操が『水何澹澹。山島疎峙』の二語に及ぶものなし」と評せる(近デジ『置土産』飯田御世吉郎 著より)
《古詩源》、《鈍吟雜録》「魏武文體,悲涼慷慨,與詩人不同。然史志所稱,自有平美者,其體亦不一」など、総じて「古のおもかげ」「悲涼」をもって評価される。
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