「秋胡行(曹丕)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

秋胡行(曹丕) - (2011/08/10 (水) 16:05:31) の1つ前との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#contents(fromhere=true) ----- *原文 **【其一】 堯任舜禹,當復何為。百獸率舞,鳳凰來儀。 得人則安,失之則危。唯賢知賢,人不易知。 歌以詠言,誠不易移。鳴條之役,萬舉必全。 明德通靈,降福自天。 **【其二】 朝與佳人期,日夕殊不來。 嘉看不嘗,旨酒停杯。寄言飛鳥,告余不能。 俯折蘭英,仰結桂枝。佳人不在,結之何為。 從爾何所之,乃在大海隅。靈若道言,貽爾明珠。 企予望之,步立躊躕。佳人不來,何得斯須。 **【其三】 泛泛綠池,中有浮萍。寄身流波,隨風靡傾。 芙蓉含芳,菡萏垂榮。朝采其實,夕佩其英。 采之遺誰,所思在庭。雙魚比目,鴛鴦交頸。 有美一人,婉如清揚。知音識曲,善為樂方。 *訳 **其の一 堯は舜と禹を任じ これ以上何をする必要がある 百獣は群れて舞い 鳳皇は来たり儀をただす 人を得れば何をなすにも容易く 人を失わば危険がおとずれる ただ賢人のみが賢人を知り 才は他人は知られにくい 歌を以て想いを詠言するも 誠実な行動に移すことは難しいけれど 鳴條の戦いのように 聖人の萬の行いは必す全うされる 明徳は霊に通じ 天はおのずと福を降らせる **其の二 朝に佳人と会うを期すも 夕方来ずに立ちつくす 嘉き肴も手をつけず 旨き酒杯をとどめる 飛鳥よ言葉を伝えよ 余は待ちきれぬと告げよ 俯いて蘭英を折り 仰ぎて桂枝を結ぶ 佳人在らざれば 枝を結ぶも何のため 君に従い赴けば 今頃は大海の隅にいて 海神霊若と道術を語り 明珠を貰っていたのだろう 首背を伸ばしてこれを望み 立ちあるいて躊躇する 佳人来たらず どうして私は暇なのか **其の三 広々たる緑池の 水中に浮草あり 流れる波に身を寄せ 風に随いなびき傾く 芙蓉は芳しきを含み 蓮華は栄を垂る 朝にその実を採り 夕に其の英を佩びる 採ったら誰に贈るか 思ふ所は庭に在り 雙魚は目を比し 鴛鴦は頸を交える 美しきひとり有り 婉如にして清揚 音を知り曲を解し 善く音楽の則を修める ----- *単語 【鳴條之役】  殷の湯王が夏の桀王を破って新王朝をひらいた戦 【佳人】  直訳すれば「よき人」だが、具体的に誰をさすかは諸説あり。  思いを寄せる美女か、覇道を手助けする賢人か。 【折蘭英】  中国では、蘭、梅、竹、菊とあわせて「四君子」と呼ぶ。  蘭英がいわゆる「蘭」か、秋の七草の一つである「蘭草(フジバカマ)」か、どっちなのかは不明。  屈原の「楚辞-離騷-九歌」に『結幽蘭而延佇』『結桂枝兮延佇』とあるので、いずれにせよ柳の枝と同じシチュエーションだと思われ。 【結桂枝】  古代中国の風習に、別れるとき無事に行って戻るよう、送る者と送られる者が柳の枝を持って、枝と枝を結び合わせ輪にするというものがあった。  日本でも、茶道や華道の世界では有名。「柳の枝を結ぶ」でgoogle検索すればおk。 ----- *コメント  ポイントは、佳人が来ないためにゆれ動く作者の心情。  相和歌·清調曲に属する。  朱乾《樂府正義》ではこの詩を『魏文思賢之詩』と記している。  維基文庫では其三は、本当に秋胡行其の三扱いかどうか、異論がある?模様。  ついでに言うと「秋胡行」は、昔、魯の国に秋胡という人物がおり、その妻の逸話にちなんだ漢詩。  曹操、曹丕はもちろん、曹植も「秋胡行」という題で漢詩を詠んだらしい(原文は見つからない)。  ……が、親子そろって原典の無視っぷりがひどいため、後世で突っ込まれている。  《廣題》:“曹植《秋胡行》,但歌魏德,而不取秋胡事,與文帝之辭同也。  (曹植の秋胡行は魏の事ばっか詠ってて、秋胡の逸話はちっとも取り上げてねーぞ。文帝の秋胡行も同じだゴルァ) 関連:[[秋胡行(曹操)]] -----
#contents(fromhere=true) ----- *原文 **【其一】 堯任舜禹,當復何為。百獸率舞,鳳凰來儀。 得人則安,失之則危。唯賢知賢,人不易知。 歌以詠言,誠不易移。鳴條之役,萬舉必全。 明德通靈,降福自天。 **【其二】 朝與佳人期,日夕殊不來。 嘉看不嘗,旨酒停杯。寄言飛鳥,告余不能。 俯折蘭英,仰結桂枝。佳人不在,結之何為。 從爾何所之,乃在大海隅。靈若道言,貽爾明珠。 企予望之,步立躊躕。佳人不來,何得斯須。 **【其三】 泛泛綠池,中有浮萍。寄身流波,隨風靡傾。 芙蓉含芳,菡萏垂榮。朝采其實,夕佩其英。 采之遺誰,所思在庭。雙魚比目,鴛鴦交頸。 有美一人,婉如清揚。知音識曲,善為樂方。 *訳 **其の一 堯は舜と禹を任じ これ以上何をする必要がある 百獣は群れて舞い 鳳皇は来たり儀をただす 人を得れば何をなすにも容易く 人を失わば危険がおとずれる ただ賢人のみが賢人を知り 才は他人は知られにくい 歌を以て想いを詠言するも 誠実な行動に移すことは難しいけれど 鳴條の戦いのように 聖人の萬の行いは必す全うされる 明徳は霊に通じ 天はおのずと福を降らせる **其の二 朝に佳人と会うを期すも 夕方来ずに立ちつくす 嘉き肴も手をつけず 旨き酒杯をとどめる 飛鳥よ言葉を伝えよ 余は待ちきれぬと告げよ 俯いて蘭英を折り 仰ぎて桂枝を結ぶ 佳人在らざれば 枝を結ぶも何のため 君に従い赴けば 今頃は大海の隅にいて 海神霊若と道術を語り 明珠を貰っていたのだろう 首背を伸ばしてこれを望み 立ちあるいて躊躇する 佳人来たらず どうして私は暇なのか **其の三 広々たる緑池の 水中に浮草あり 流れる波に身を寄せ 風に随いなびき傾く 芙蓉は芳しきを含み 蓮華は栄を垂る 朝にその実を採り 夕に其の英を佩びる 採ったら誰に贈るか 思ふ所は庭に在り 雙魚は目を比し 鴛鴦は頸を交える 美しきひとり有り 婉如にして清揚 音を知り曲を解し 善く音楽の則を修める ----- *単語 【鳴條之役】  殷の湯王が夏の桀王を破って新王朝をひらいた戦 【佳人】  直訳すれば「よき人」だが、具体的に誰をさすかは諸説あり。  思いを寄せる美女か、覇道を手助けする賢人か。 【折蘭英】  中国では、蘭、梅、竹、菊とあわせて「四君子」と呼ぶ。  蘭英がいわゆる「蘭」か、秋の七草の一つである「蘭草(フジバカマ)」か、どっちなのかは不明。  屈原の「楚辞-離騷-九歌」に『結幽蘭而延佇』『結桂枝兮延佇』とあるので、いずれにせよ柳の枝と同じシチュエーションだと思われ。 【結桂枝】  古代中国の風習に、別れるとき無事に行って戻るよう、送る者と送られる者が柳の枝を持って、枝と枝を結び合わせ輪にするというものがあった。  日本でも、茶道や華道の世界では有名。「柳の枝を結ぶ」でgoogle検索すればおk。 ----- *コメント  ポイントは、佳人が来ないためにゆれ動く作者の心情。  相和歌·清調曲に属する。  朱乾《樂府正義》ではこの詩を『魏文思賢之詩』と記している。  維基文庫では其三は、本当に秋胡行其の三扱いかどうか、異論がある?模様。  ついでに言うと「秋胡行」は、昔、魯の国に秋胡という人物がおり、その妻の逸話にちなんだ漢詩。  曹操、曹丕はもちろん、曹植も「秋胡行」という題で漢詩を詠んだらしい(原文は見つからない)。  ……が、親子そろって原典の無視っぷりがひどいため、後世で突っ込まれている。  《廣題》:“曹植《秋胡行》,但歌魏德,而不取秋胡事,與文帝之辭同也。  (曹植の秋胡行だけどさ、魏の事ばっか詠ってて、秋胡の逸話はちっとも取り上げてねーぞ。文帝の秋胡行も同じだゴルァ) 関連:[[秋胡行(曹操)]] -----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: