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漢詩大会の元ネタ集 - (2012/06/02 (土) 17:25:42) の最新版との変更点

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 秋の漢詩大会で出場者がよむ漢詩は、実在の漢詩から抜粋したものです。  その大会でよまれる詩の出典と、詩句に該当する原文を列挙しました。  読み下し文は、漢詩大会に該当人物が出ればわかるので、ここでは書く予定はありません。  全文を読みたい人は、つ【[[漢詩大会の漢詩全文]]】【[[グーグル先生>http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja]]】 詩聖フラグ持ち ・[[漢詩大会の元ネタ集/三曹]] ・[[漢詩大会の元ネタ集/建安の七子]] 一般武将 #contents(fromhere=true)  題名に白い「○」があるものは、下のまとめサイトに詳しい解説があります。  漢詩参考[[『三国時代の文学スレッド』まとめサイト>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/]]  詩聖フラグ持ちは、漢詩大会の評価でボーナスがつく。曹丕はつかないらしい。  詩聖フラグと詠む順番フラグを元に、どの詩を歌うか判定している。詩聖フラグ持ちの場合、順番は詠む詩と関係ない模様。  PS版以降では、PC版に比べ、詩が追加されている様子 スレ9-709 >実は「三國志VIIマニアックス」という攻略本に全部掲載されている スレ9-712 >引用ここから >◆全武将共通A◆ >【膏火は自ら煎熬し】【多財は患害となる】【布衣もて身を終うべし】 >竹林の七賢のひとり・阮籍の詠んだ詩。財産が多いのは災いのもとだから、高位高官を求めず庶民のまま一生を終えるのがいい、という意。 >(中略) >◆全武将共通B◆ (中略、CDEまで) >曹操 >【酒に対してはまさに歌うべし】 >(中略) >以上五首は、曹操の『短歌行』からの抜粋。…(後略) >こんな感じ スレ9-713 >漢詩大会に出てきた読み下し文と、解説だけって感じか。ABC、は何か意味があるん? スレ9-714 >特殊武将を除いて1番手はAから、2番手はBから…5番手はEから詠む歌が選ばれる ----- *一般武将用/詩経 →[[漢詩大会の漢詩全文/詩経]]  詩経は、中国最古の詩篇。いくつもの詩を集めて、ジャンルごとに分けたもの。当時、卿・大夫・士の必修教養だった。「之什」≒「の章」。 出典:「文王之什(詩経-大雅)」 ・文王在上、於昭于天。周雖旧邦、其命維新。 われらの上にまします文王よ、ああ、その徳は天にも昭らかなものです。周は旧き国といえど、天命により維新を迎えるものであります。 > 大雅は(周の)文王之什、(殷の)湯王之什、生民之什の3部からなる。 出典:「蓼莪(詩経-小雅-谷風之什)」 ・南山烈烈,飄風發發。民莫不穀,我獨何害。 南山は厳しい厳しい。激しい風が吹き吹きつける。民に不仲のものなどいないのに、私はひとりぼっちの身を悲しまなければならないのだ。 > 小雅は、詩経の中の作品で、為政の乱れを嘆いたもの。 出典:「蓼蕭(詩経-小雅-南有嘉魚之什)」 蓼彼蕭斯、零露泥泥。既見君子、孔燕豈弟 蓼(おいしげ)る彼の蕭(よもぎ)から、露がこぼれ地面はどろどろ。既に君子を見れば、露をあびた蕭のように清らかで楽しい気持ちとなるのです。 > ゲームでは、「弟」の字を「楽」としている。確かに韻の問題さえなければ、「弟」を無理やり解釈するよりしっくりくる。 出典:「何草不黄(詩経-小雅-魚藻之什)」 ・匪犀匪虎、率彼曠野。哀我征夫、朝夕不暇。 犀に匪ず、虎に匪ず。獰猛な獣でもないのに、彼は荒野に率いられていった。哀しいかな我が夫は賦役にかりだされ、朝夕の食事の暇さえない。 出典:「無衣(詩經-国風-秦風)」 ・王于興師、修我戈矛、與子同仇。 王が軍隊を出したら、我は戈矛を手入れして、貴方と同じ敵に向かおう。 > 詩經-国風は、各地の民衆を詠んだもの。 出典:「風雨(詩経-国風-鄭風)」 風雨如晦、鶏鳴不已。既見君子、云胡不喜。 外には風雨が吹き荒れ、鶏が鳴き続けても、でも私はあなたを見て、喜ばずにはおれない。 出典:「雄雉(詩経-国風-ハイ(北β)風))」 雄雉于飛。泄泄其羽。我之懷矣、自詒伊阻。 雄雉は雌に向かって一直線。其の羽音がしきりに響く。私は悩む、いっそ伊尹の逸話に習おうか。 > 淫乱で有名だった衛の宣公に悩まされる部下の詩という説あり。 > 『伊阻』は『伊尹の思い』。 > 伊尹は放蕩におぼれた若君を追放し、数年後に名君として戻った若君に再び仕えたとされる。 > 漢詩大会で歌うような詩なんだろうか? 特に司馬一族が歌うと、ぎくりとする。 ----- *一般武将用/楚辞 →[[漢詩大会の漢詩全文/楚辞]]  屈原が詠んだと言い伝わる古代の辞。後世の創作という説もある。  屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。 端午の節句の元ネタ。 出典:「漁父辞」[[高校の古文教科書の解説>http://ja.wikibooks.org/wiki/高等学校古文/散文・説話/漁父辞]]  楚辞のなかで、最も有名な一篇。追放された屈原と老いた漁師との会話を詠んだ辞。 ・屈原既放、游於江潭、行吟澤畔。 屈原はすでに追放され江の淵や岸をさまよい、沢のほとりで吟じながら行く。 ・挙世皆濁、我独清。衆人皆酔…… 世の人は皆、意識を濁らせている。私ひとりが清く覚めている。人々は酒に酔い…… ・世人皆濁、何不掘其泥、而揚其波。 世の人がみな濁っているならば、どうして一緒に濁って、波を揚げようとしないのか。 ・滄浪之水清兮、可以濯吾纓。滄浪之水濁兮、可以濯吾足。 滄浪の水が澄んでいるなら私の冠の紐を洗おう。滄浪の水が濁っているなら私の足を洗おう。 出典:「離騒」楚辞詩篇のうちの一章。 ・乱曰已矣哉!國無人莫我知兮、又何懷乎故都。 乱に曰く、やんぬるかな! 国に私を知る人はいない。またどうして故き楚の都を懐かしむだろう? > やんぬるかな≒もうこれまでだ 出典:「国傷」○楚辞詩篇のうちの一章。 ・帯長剣兮挟秦弓、首身離兮心不懲。既勇兮又以武 長剣を帯び、秦弓を挟み、首と身体が離れても心は懲りない。誠に勇であり、また以ってこれを武人という。 ----- *一般武将用/漢代の有名人 →[[漢詩大会の漢詩全文/漢代の有名人]]  漢代にも漢詩はあった。リレー小説ならぬリレー漢詩もあったそうな。 出典:「秋風辞」漢武帝 ・簫鼓鳴兮發棹歌、歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何 簫鼓が鳴り棹歌がおこり、宴会はクライマックスに入ったが哀しみの情は多い。少年壮年の時はみじかく、老いた身を持て余す。 出典:「別歌」李陵 ・老母已死、雖欲報恩將安歸。 老いた母は、既に無くなった。君恩、母の恩に報いたいと欲しても、私に帰るべき故郷は存在しないのだ。 > 李陵は武将。祖父は「飛将軍」李広。司馬遷が宦官になった原因。 > 五千の歩兵で、匈奴の支配者率いる三万の兵を相手に善戦したが、糧食も武器も尽き、やむなく降服した。それを聞いた武帝に、老母はじめ家族を処刑されたため、帰るところもなく匈奴の地で生涯を終えた。 > 蘇建の詩と並び、前漢を代表する詩。 出典:「董嬌饒」宋子侯 ・吾欲竟此曲、此曲愁人腸。帰来酌美酒、挟瑟上高堂 私はこの曲を弾き終えたい。この曲は人のこころを悲しませる。帰り来て美酒を酌み、瑟を脇に挟んで高堂に上ろう。 > 後漢の詩人、楽人といわれる。生没年などの詳細は不詳。ゲーム内では2節目「此曲愁人腸」が略されている。 出典:「四愁詩」張衛 ・我所思兮在太山,欲往從之梁父艱…… 我が思う所は太山に在り。往きて之に従わんと欲すれば、梁父頚し…… > 後漢における天文学者。世界初の水力渾天儀、水時計、地動儀などを発明した。 > のちに魯迅が、この詩を元に詩を作っている。昔の詩をもとに新しい漢詩をつくることは「擬古」「擬作詩」とよばれ、良くある事。 出典:「飲馬長城窟行」蔡邕? ・枯桑知天風、海水知天寒。入門各自媚 枯桑も空の風を知り、海水も天の寒さを知る。家に帰れば各自が家族をいとおしみ…… > 蔡邕の作、という説もある古詩。下記の古詩十九首の影響がところどころに見られる。 > 陳琳の同名作とは別の作品。曹操と曹丕が同じ「秋胡行」題で別々の詩を詠んだように、珍しい事ではない。 ----- *一般武将用/古詩十九首 出典:「古詩十九首」  南朝梁の、昭明太子が編纂したほうの「文選」等に掲載されたうち、古詩に区分される十九首。  作者は「無名氏(名無しさん)」。同じ梁の徐陵が編纂した「玉台新詠」によると、後漢の枚乗という説もある。 (古詩十九首其一)○ ・行行重行行、與君生別離。相去萬余里…… 行き行きて重ねて行き行く。君と生きながら別離す。相去ること万余里…… (古詩十九首其二) ・青青河畔草、鬱鬱園中柳。盈盈樓上女 青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳、盈盈たる楼上の女……。 > これでもれっきとした漢詩。 (古詩十九首其八) ・思君令人老。軒車何来遅。傷彼蕙蘭花…… 君を思えば気がかりで老け込み、軒車は来るといいながらどうしてこんなに遅いのでしょう。慧蘭の花も痛み…… > 軒車は大夫の乗る車。自分のもとにくる新夫を待ち焦がれる、新婚女性の漢詩。 (古詩十九首其十三) ・浩浩陰陽移、年命如朝露。人生忽如寄…… 陰陽は昼と夜と鮮やかに移り、年命は朝露の如し。人生は寄しては返す波のごとく… (古詩十九首其十四) ・去者日以疎、來者日以親。出郭門直視…… 去った者は日に日に忘れられ、来る者は日に日に親しさを増していく。城門を出て直視すれば…… > 国語辞書にも掲載されている、ことわざ。去者≒死者、来者≒生まれてくる者という解釈もある。 (古詩十九首其十五)○ ・生年不満百、常懐千歳憂。昼短苦夜長 生きている年は百に満たないのに、常に千年先を心配している。昼が短く夜が長いと苦しむ…… (古詩十九首其十九) ・明月何皎皎、照我羅床幃。憂愁不能寐 明月はこうこうと、私の横たわる床幃を照らす。憂愁に寝る事もできず…… ----- *一般武将用/漢代「古楽府」 →[[漢詩大会の漢詩全文/漢代「古楽府」]]  漢代に「楽府」が集めた漢詩集。  楽府とは、音楽をつかさどる役所のこと。後に、この役所で集めた楽章歌辞を「古楽府」と呼ぶようになった。詠み人は殆ど「無名氏」。 出典:「蒿里曲」 ・蒿里誰家地、聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促、…… この荒れ果てた里は、誰の家地ですか。集まった魂、埋められた肉体に賢愚の差は無いのです。鬼伯は彼らに何を催促して…… 出典:「枯魚過河泣」 ・枯魚過河泣、何時悔復及 釣られた魚~河を渡っていくよ~。哀しそうな目で見ているよ~。後悔は先にたたず~。 > 「枯魚」は魚の干物のこと。 出典:「悲歌」 ・悲歌可以當泣、遠望可以當歸。思念故郷、鬱鬱累累。 泣く代わりに悲しみを歌おう。帰れない代わりに遠くを望もう。故郷を思えば、木が鬱鬱とするように心が沈み、山が累累と連なるように悲しみも連なる。 > 悲歌行ともいわれる。 出典:「西門行」○ ・今日不作楽、当待何時。逮為楽 今日楽しいことをやらにゃ、いつを待つんだい。楽しみを為すに逮(およ)べ。 > やりたい事ヤッチマイナー。漢代から三国時代の流行歌といったところ。 出典:「戦城南」 ・戦城南、死郭北。野死不葬、烏可食 城南に戦い、郭北に死す。野に死んで葬られず、鳥についばまれるのだ。 出典:「上邪」 ・冬雷震震、夏雨雪、天地合、即敢与君絶 冬に雷が響き、夏に雪が降り、天地が合わさったならば、はじめて私は君への想いを絶とう > 天地が乱れ世の終わりが来るまで、私は君を愛するよ。 ----- *一般武将用/晋代 →[[漢詩大会の漢詩全文/晋代]] 出典:「猛虎行」陸機 ・渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。悪木豈無枝…… 渇くとも盗泉の水を飲まず、熱くとも悪木の陰で休まない。ところが悪木にも枝が茂らないわけではない…… > これは有名。孔子はのどが渇いても、盗泉という名を嫌って、その水は飲まなかったことから。
 ゲーム内において、秋の漢詩大会で詠まれる漢詩は、実在の漢詩から抜粋したものです。  その詩の出典と、原文を列挙しました。  読み下し文は、漢詩大会に該当人物が出ればわかるので、ここでは書く予定はありません。  全文を読みたい人は、つ【[[『三国時代の文学スレッド』まとめサイト>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/]]】【[[漢詩大会の漢詩全文]]】【[[グーグル先生>http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja]]】 詩聖フラグ持ち ・[[漢詩大会の元ネタ集/三曹]] ・[[漢詩大会の元ネタ集/建安の七子]] 一般武将 #contents(fromhere=true)  詩聖フラグを持つ特殊武将は、以下の特徴がある。 ・漢詩大会で、たいていは自作の詩が表示される。 ・漢詩大会の評価にボーナスがつく。  該当するのは、曹操、曹植、王粲、孔融、陳琳(、曹丕)。曹丕は特殊で、自作の詩が表示されるが、詩聖ボーナスはつかない。  上記の詩聖フラグと、(一般武将の場合は)詠む順番フラグを元に、どの詩が表示されるかが決まる。  詩聖フラグ持ちの場合、詠む順番と表示される詩は関係ない。  &s(){PS版以降では、PC版に比べ、詩が追加されている?}PS系のスマホ版でも、短歌行の5つ目の詩は確認できなかった。  マニアックスをお持ちの方は、短歌行5つ目の詩など教えて頂けるとありがたいです。 スレ9-709 >実は「三國志VIIマニアックス」という攻略本に全部掲載されている スレ9-712 >引用ここから >◆全武将共通A◆ >【膏火は自ら煎熬し】【多財は患害となる】【布衣もて身を終うべし】 >竹林の七賢のひとり・阮籍の詠んだ詩。財産が多いのは災いのもとだから、高位高官を求めず庶民のまま一生を終えるのがいい、という意。 >(中略) >◆全武将共通B◆ (中略、CDEまで) >曹操 >【酒に対してはまさに歌うべし】 >(中略) >以上五首は、曹操の『短歌行』からの抜粋。…(後略) >こんな感じ スレ9-713 >漢詩大会に出てきた読み下し文と、解説だけって感じか。ABC、は何か意味があるん? スレ9-714 >特殊武将を除いて1番手はAから、2番手はBから…5番手はEから詠む歌が選ばれる ----- *一般武将用/詩経 →[[漢詩大会の漢詩全文/詩経]]  詩経は、中国最古の詩篇。いくつもの詩を集めて、ジャンルごとに分けたもの。当時、卿・大夫・士の必修教養だった。「之什」≒「の章」。 出典:「文王之什(詩経-大雅)」 ・文王在上、於昭于天。周雖旧邦、其命維新。 われらの上にまします文王よ、ああ、その徳は天にも昭らかなものです。周は旧き国といえど、天命により維新を迎えるものであります。 > 大雅は文王之什、(殷の)湯王之什、生民之什の3部からなる。 > 文王之什は、周の文王などを読み上げたもの。 出典:「蓼莪《詩経-小雅-谷風(小旻)之什》」 ・南山烈烈,飄風發發。民莫不穀,我獨何害。 南山は厳しい厳しい。激しい風が吹き吹きつける。民に不仲のものなどいないのに、私はひとりぼっちの身を悲しまなければならないのだ。 > 小雅は、詩経の中の作品で、為政の乱れを嘆いたもの。 出典:「蓼蕭《詩経-小雅-南有嘉魚(白華)之什》」 蓼彼蕭斯、零露泥泥。既見君子、孔燕豈弟 蓼(おいしげ)る彼の蕭(よもぎ)から、露がこぼれ地面はどろどろ。既に君子を見れば、露をあびた蕭のように清らかで楽しい気持ちとなるのです。 > 最後の「弟」の字を、ゲームでは「楽」としている。 出典:「何草不黄《詩経-小雅-魚藻(都人士)之什》」 ・匪犀匪虎、率彼曠野。哀我征夫、朝夕不暇。 犀に匪ず、虎に匪ず。獰猛な獣でもないのに、彼は荒野に率いられていった。哀しいかな我が夫は賦役にかりだされ、朝夕の食事の暇さえない。 出典:「無衣《詩經-国風-秦風》」 ・王于興師、修我戈矛、與子同仇。 王が軍隊を出したら、我は戈矛を手入れして、貴方と同じ敵に向かおう。 > 詩經-国風は、各地の民衆を詠んだもの。 出典:「風雨《詩経-国風-鄭風》」 '風雨如晦、鶏鳴不已。既見君子、云胡不喜。' 外には風雨が吹き荒れ、鶏が鳴き続けても、でも私はあなたを見て、喜ばずにはおれない。 出典:「雄雉《詩経-国風-ハイ(北β)風》」 雄雉于飛。泄泄其羽。我之懷矣、自詒伊阻。 雄雉は雌に向かって一直線。其の羽音がしきりに響く。私は悩む、いっそ伊尹の逸話に習おうか。 > 淫乱で有名だった衛の宣公に悩まされる国民、ないしは臣下の詩という説あり。 > 漢詩大会で歌うような詩なんだろうか? 特に司馬一族が歌うと、ぎくりとする。 ----- *一般武将用/楚辞 →[[漢詩大会の漢詩全文/楚辞]]  屈原が詠んだと言い伝わる古代の辞。後世の創作という説もある。  屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。 端午の節句の元ネタ。 出典:「漁父辞」[[高校の古文教科書の解説>http://ja.wikibooks.org/wiki/高等学校古文/散文・説話/漁父辞]]  楚辞のなかで、最も有名な一篇。追放された屈原と老いた漁師との会話を詠んだ辞。 ・屈原既放、游於江潭、行吟澤畔。 屈原はすでに追放され江の淵や岸をさまよい、沢のほとりで吟じながら行く。 ・挙世皆濁、我独清。衆人皆酔…… 世の人は皆、意識を濁らせている。私ひとりが清く覚めている。人々は酒に酔い…… ・世人皆濁、何不掘其泥、而揚其波。 世の人がみな濁っているならば、どうして一緒に濁って、波を揚げようとしないのか。 ・滄浪之水清兮、可以濯吾纓。滄浪之水濁兮、可以濯吾足。 滄浪の水が澄んでいるなら私の冠の紐を洗おう。滄浪の水が濁っているなら私の足を洗おう。 出典:「離騒」楚辞詩篇のうちの一章。 ・乱曰已矣哉!國無人莫我知兮、又何懷乎故都。 乱に曰く、やんぬるかな! 国に私を知る人はいない。またどうして故き楚の都を懐かしむだろう? > やんぬるかな≒もうこれまでだ 出典:「国傷」○楚辞詩篇のうちの一章。 ・帯長剣兮挟秦弓、首身離兮心不懲。既勇兮又以武 長剣を帯び、秦弓を挟み、首と身体が離れても心は砕けず。誠に勇であり、また以ってこれを武という。 ----- *一般武将用/漢代の有名人 →[[漢詩大会の漢詩全文/漢代の有名人]]  漢代にも漢詩はあった。リレー小説ならぬリレー漢詩もあったそうな。 出典:「秋風辞」漢武帝 ・簫鼓鳴兮發棹歌、歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何 簫鼓が鳴り棹歌がおこり、宴会はクライマックスに入ったが哀しみの情は多い。少年壮年の時はみじかく、老いた身を持て余す。 出典:「別歌」李陵 ・老母已死、雖欲報恩將安歸。 老いた母は、既に無くなった。君恩、母の恩に報いたいと欲しても、私に帰るべき故郷は存在しないのだ。 > 李陵は武将。祖父は「飛将軍」李広。司馬遷が宦官になった原因。 > 五千の歩兵で、匈奴の支配者率いる三万の兵を相手に善戦したが、糧食も武器も尽き、やむなく降服した。それを聞いた武帝に、老母はじめ家族を処刑されたため、帰るところもなく匈奴の地で生涯を終えた。 > 蘇建の詩と並び、前漢を代表する詩。 出典:「董嬌饒」宋子侯 ・吾欲竟此曲、此曲愁人腸。帰来酌美酒、挟瑟上高堂 私はこの曲を弾き終えたい。この曲は人のこころを悲しませる。帰り来て美酒を酌み、瑟を脇に挟んで高堂に上ろう。 > 後漢の詩人、楽人といわれる。生没年不詳。ゲーム内では2節目「此曲愁人腸」が略されている。 出典:「四愁詩」張衛 ・我所思兮在太山,欲往從之梁父艱…… 我が思う所は太山に在り。往きて之に従わんと欲すれば、梁父頚し…… > 後漢における天文学者。世界初の水力渾天儀、水時計、地動儀などを発明した。 出典:「飲馬長城窟行」蔡邕? ・枯桑知天風、海水知天寒。入門各自媚 枯桑も空の風を知り、海水も天の寒さを知る。家に帰れば各自が家族をいとおしみ…… > 蔡邕の作、という説もある古詩。ちなみに陳琳の同名作とは別の作品。 ----- *一般武将用/古詩十九首 出典:「古詩十九首」 →[[漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首]]  南朝梁の、昭明太子が編纂したほうの「文選」等に掲載されたうち、古詩に区分される十九首。  作者は「無名氏(名無しさん)」。同じ梁の徐陵が編纂した「玉台新詠」によると、後漢の枚乗という説もある。 (古詩十九首其一)○ ・行行重行行、與君生別離。相去萬余里…… 行き行きて重ねて行き行く。君と生きながら別離す。相去ること万余里…… (古詩十九首其二) ・青青河畔草、鬱鬱園中柳。盈盈樓上女 青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳、盈盈たる楼上の女……。 > これでもれっきとした漢詩。 (古詩十九首其八) ・思君令人老。軒車何来遅。傷彼蕙蘭花…… 君を思えば気がかりで老け込み、軒車は来るのがどうしてこんなに遅いのでしょう。慧蘭の花も痛み…… > 軒車は大夫の乗る車。 (古詩十九首其十三) ・浩浩陰陽移、年命如朝露。人生忽如寄…… 陰陽は昼と夜と鮮やかに移り、年命は朝露の如し。人生は寄しては返す波のごとく… (古詩十九首其十四) ・去者日以疎、來者日以親。出郭門直視…… 去った者は日に日に忘れられ、来る者は日に日に親しさを増していく。城門を出て直視すれば…… > 辞書(大辞林等)にも掲載されている、ことわざ。去者≒死者、来者≒生まれてくる者という解釈もある。 (古詩十九首其十五)○ ・生年不満百、常懐千歳憂。昼短苦夜長 生きている年は百に満たないのに、常に千年先を心配している。昼が短く夜が長いと苦しむ…… (古詩十九首其十九) ・明月何皎皎、照我羅床幃。憂愁不能寐 明月はこうこうと、私の横たわる床幃を照らす。憂愁に寝る事もできず…… ----- *一般武将用/漢代「古楽府」 →[[漢詩大会の漢詩全文/漢代「古楽府」]]  漢代に「楽府」が集めた漢詩集。  楽府とは、音楽をつかさどる役所のこと。後に、この役所で集めた楽章歌辞を「古楽府」と呼ぶようになった。詠み人は殆ど「無名氏」。 出典:「蒿里曲」 ・蒿里誰家地、聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促、…… この荒れ果てた里は、誰の家地ですか。集まった魂、埋められた肉体に賢愚の差は無いのです。鬼伯は彼らに何を催促して…… 出典:「枯魚過河泣」 ・枯魚過河泣、何時悔復及 干魚が河を渡りながら泣く。後悔は先にたたず。 > 「枯魚」は魚の干物のこと。古代のドナドナっぽい雰囲気。 出典:「悲歌」 ・悲歌可以當泣、遠望可以當歸。思念故郷、鬱鬱累累。 泣く代わりに悲しみを歌おう。帰れない代わりに遠くを望もう。故郷を思えば、木が鬱鬱とするように心が沈み、山が累累と連なるように悲しみも連なる。 > 悲歌行ともいわれる。 出典:「西門行」○ ・今日不作楽、当待何時。逮為楽 今日楽しいことをやらにゃ、いつを待つんだい。楽しみを為すに逮(およ)べ。 > やりたい事ヤッチマイナー。漢代から三国時代の流行歌といったところ。 出典:「戦城南」 ・戦城南、死郭北。野死不葬、烏可食 城南に戦い、郭北に死す。野に死んで葬られず、鳥についばまれる。 出典:「上邪」 ・冬雷震震、夏雨雪、天地合、即敢与君絶 冬に雷が響き、夏に雪が降り、天地が合わさったならば、はじめて私は君への想いを絶とう。 ----- *一般武将用/晋代 →[[漢詩大会の漢詩全文/晋代]] 出典:「猛虎行」陸機 ・渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。悪木豈無枝…… 渇くとも盗泉の水を飲まず、熱くとも悪木の陰で休まない。ところが悪木にも枝が茂らないわけではない…… > これは有名。孔子はのどが渇いても、盗泉という名を嫌って、その水は飲まなかったことから。

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