「漢詩大会の元ネタ集」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
漢詩大会の元ネタ集」を以下のとおり復元します。
 秋の漢詩大会で出場者がよむ漢詩は、実在の漢詩から抜粋したものです。
 その大会でよまれる詩の出典と、詩句に該当する原文を列挙しました。
 読み下し文は、漢詩大会に該当人物が出ればわかるので、ここでは書く予定はありません。
 全文を読みたい人は、つ【[[漢詩大会の漢詩全文]]】【[[三国志の漢詩(仮、別wiki)>http://www52.atwiki.jp/sanbungaku/]]】【[[グーグル先生>http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja]]】

詩聖フラグ持ち
・[[漢詩大会の元ネタ集/三曹]]
・[[漢詩大会の元ネタ集/建安の七子]]

一般武将
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 題名に白い「○」があるものは、下のまとめサイトに詳しい解説があります。

 漢詩参考[[『三国時代の文学スレッド』まとめサイト>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/]]

 詩聖フラグ持ちは、漢詩大会の評価でボーナスがつく。曹丕はつかないらしい。
 詩聖フラグと詠む順番フラグを元に、どの詩を歌うか判定している。詩聖フラグ持ちの場合、順番は詠む詩と関係ない模様。
 PS版以降では、PC版に比べ、詩が追加されている様子

スレ9-709
>実は「三國志VIIマニアックス」という攻略本に全部掲載されている
スレ9-712
>引用ここから
>◆全武将共通A◆
>【膏火は自ら煎熬し】【多財は患害となる】【布衣もて身を終うべし】
>竹林の七賢のひとり・阮籍の詠んだ詩。財産が多いのは災いのもとだから、高位高官を求めず庶民のまま一生を終えるのがいい、という意。
>(中略)
>◆全武将共通B◆ (中略、CDEまで)
>曹操
>【酒に対してはまさに歌うべし】
>(中略)
>以上五首は、曹操の『短歌行』からの抜粋。…(後略)
>こんな感じ
スレ9-713
>漢詩大会に出てきた読み下し文と、解説だけって感じか。ABC、は何か意味があるん?
スレ9-714
>特殊武将を除いて1番手はAから、2番手はBから…5番手はEから詠む歌が選ばれる

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*一般武将用/詩経
→[[漢詩大会の漢詩全文/詩経]]
 詩経は、中国最古の詩篇。いくつもの詩を集めて、ジャンルごとに分けたもの。当時、卿・大夫・士の必修教養だった。「之什」≒「の章」。

出典:「文王之什(詩経-大雅)」
・文王在上、於昭于天。周雖旧邦、其命維新。
われらの上にまします文王よ、ああ、その徳は天にも昭らかなものです。周は旧き国といえど、天命により維新を迎えるものであります。
> 大雅は(周の)文王之什、(殷の)湯王之什、生民之什の3部からなる。

出典:「蓼莪(詩経-小雅-谷風之什)」
・南山烈烈,飄風發發。民莫不穀,我獨何害。
南山は厳しい厳しい。激しい風が吹き吹きつける。民に不仲のものなどいないのに、私はひとりぼっちの身を悲しまなければならないのだ。
> 小雅は、詩経の中の作品で、為政の乱れを嘆いたもの。

出典:「蓼蕭(詩経-小雅-南有嘉魚之什)」
蓼彼蕭斯、零露泥泥。既見君子、孔燕豈弟
蓼(おいしげ)る彼の蕭(よもぎ)から、露がこぼれ地面はどろどろ。既に君子を見れば、露をあびた蕭のように清らかで楽しい気持ちとなるのです。
> ゲームでは、「弟」の字を「楽」としている。確かに韻の問題さえなければ、「弟」を無理やり解釈するよりしっくりくる。

出典:「何草不黄(詩経-小雅-魚藻之什)」
・匪犀匪虎、率彼曠野。哀我征夫、朝夕不暇。
犀に匪ず、虎に匪ず。獰猛な獣でもないのに、彼は荒野に率いられていった。哀しいかな我が夫は賦役にかりだされ、朝夕の食事の暇さえない。

出典:「無衣(詩經-国風-秦風)」
・王于興師、修我戈矛、與子同仇。
王が軍隊を出したら、我は戈矛を手入れして、貴方と同じ敵に向かおう。
> 詩經-国風は、各地の民衆を詠んだもの。

出典:「風雨(詩経-国風-鄭風)」
風雨如晦、鶏鳴不已。既見君子、云胡不喜。
外には風雨が吹き荒れ、鶏が鳴き続けても、でも私はあなたを見て、喜ばずにはおれない。

出典:「雄雉(詩経-国風-ハイ(北β)風))」
雄雉于飛。泄泄其羽。我之懷矣、自詒伊阻。
雄雉は雌に向かって一直線。其の羽音がしきりに響く。私は悩む、いっそ伊尹の逸話に習おうか。
> 淫乱で有名だった衛の宣公に悩まされる部下の詩という説あり。
> 『伊阻』は『伊尹の思い』。
> 伊尹は放蕩におぼれた若君を追放し、数年後に名君として戻った若君に再び仕えたとされる。
> 漢詩大会で歌うような詩なんだろうか? 特に司馬一族が歌うと、ぎくりとする。

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*一般武将用/楚辞
→[[漢詩大会の漢詩全文/楚辞]]
 屈原が詠んだと言い伝わる古代の辞。後世の創作という説もある。
 屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。 端午の節句の元ネタ。

出典:「漁父辞」[[高校の古文教科書の解説>http://ja.wikibooks.org/wiki/高等学校古文/散文・説話/漁父辞]]
 楚辞のなかで、最も有名な一篇。追放された屈原と老いた漁師との会話を詠んだ辞。

・屈原既放、游於江潭、行吟澤畔。
屈原はすでに追放され江の淵や岸をさまよい、沢のほとりで吟じながら行く。

・挙世皆濁、我独清。衆人皆酔……
世の人は皆、意識を濁らせている。私ひとりが清く覚めている。人々は酒に酔い……

・世人皆濁、何不掘其泥、而揚其波。
世の人がみな濁っているならば、どうして一緒に濁って、波を揚げようとしないのか。

・滄浪之水清兮、可以濯吾纓。滄浪之水濁兮、可以濯吾足。 
滄浪の水が澄んでいるなら私の冠の紐を洗おう。滄浪の水が濁っているなら私の足を洗おう。 

出典:「離騒」楚辞詩篇のうちの一章。
・乱曰已矣哉!國無人莫我知兮、又何懷乎故都。
乱に曰く、やんぬるかな! 国に私を知る人はいない。またどうして故き楚の都を懐かしむだろう?
> やんぬるかな≒もうこれまでだ

出典:「国傷」○楚辞詩篇のうちの一章。
・帯長剣兮挟秦弓、首身離兮心不懲。既勇兮又以武
長剣を帯び、秦弓を挟み、首と身体が離れても心は懲りない。誠に勇であり、また以ってこれを武人という。

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*一般武将用/漢代の有名人
→[[漢詩大会の漢詩全文/漢代の有名人]]
 漢代にも漢詩はあった。リレー小説ならぬリレー漢詩もあったそうな。

出典:「秋風辞」漢武帝
・簫鼓鳴兮發棹歌、歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何
簫鼓が鳴り棹歌がおこり、宴会はクライマックスに入ったが哀しみの情は多い。少年壮年の時はみじかく、老いた身を持て余す。

出典:「別歌」李陵
・老母已死、雖欲報恩將安歸。
老いた母は、既に無くなった。君恩、母の恩に報いたいと欲しても、私に帰るべき故郷は存在しないのだ。
> 李陵は武将。祖父は「飛将軍」李広。司馬遷が宦官になった原因。
> 五千の歩兵で、匈奴の支配者率いる三万の兵を相手に善戦したが、糧食も武器も尽き、やむなく降服した。それを聞いた武帝に、老母はじめ家族を処刑されたため、帰るところもなく匈奴の地で生涯を終えた。
> 蘇建の詩と並び、前漢を代表する詩。

出典:「董嬌饒」宋子侯
・吾欲竟此曲、此曲愁人腸。帰来酌美酒、挟瑟上高堂
私はこの曲を弾き終えたい。この曲は人のこころを悲しませる。帰り来て美酒を酌み、瑟を脇に挟んで高堂に上ろう。
> 後漢の詩人、楽人といわれる。生没年などの詳細は不詳。ゲーム内では2節目「此曲愁人腸」が略されている。

出典:「四愁詩」張衛
・我所思兮在太山,欲往從之梁父艱……
我が思う所は太山に在り。往きて之に従わんと欲すれば、梁父頚し……
> 後漢における天文学者。世界初の水力渾天儀、水時計、地動儀などを発明した。
> のちに魯迅が、この詩を元に詩を作っている。昔の詩をもとに新しい漢詩をつくることは「擬古」「擬作詩」とよばれ、良くある事。

出典:「飲馬長城窟行」蔡邕?
・枯桑知天風、海水知天寒。入門各自媚
枯桑も空の風を知り、海水も天の寒さを知る。家に帰れば各自が家族をいとおしみ……
> 蔡邕の作、という説もある古詩。下記の古詩十九首の影響がところどころに見られる。
> 陳琳の同名作とは別の作品。曹操と曹丕が同じ「秋胡行」題で別々の詩を詠んだように、珍しい事ではない。

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*一般武将用/古詩十九首

出典:「古詩十九首」
→[[漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首]]
 南朝梁の、昭明太子が編纂したほうの「文選」等に掲載されたうち、古詩に区分される十九首。
 作者は「無名氏(名無しさん)」。同じ梁の徐陵が編纂した「玉台新詠」によると、後漢の枚乗という説もある。

(古詩十九首其一)○
・行行重行行、與君生別離。相去萬余里……
行き行きて重ねて行き行く。君と生きながら別離す。相去ること万余里……

(古詩十九首其二)
・青青河畔草、鬱鬱園中柳。盈盈樓上女
青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳、盈盈たる楼上の女……。
> これでもれっきとした漢詩。

(古詩十九首其八)
・思君令人老。軒車何来遅。傷彼蕙蘭花……
君を思えば気がかりで老け込み、軒車は来るといいながらどうしてこんなに遅いのでしょう。慧蘭の花も痛み……
> 軒車は大夫の乗る車。自分のもとにくる新夫を待ち焦がれる、新婚女性の漢詩。

(古詩十九首其十三)
・浩浩陰陽移、年命如朝露。人生忽如寄……
陰陽は昼と夜と鮮やかに移り、年命は朝露の如し。人生は寄しては返す波のごとく…

(古詩十九首其十四)
・去者日以疎、來者日以親。出郭門直視……
去った者は日に日に忘れられ、来る者は日に日に親しさを増していく。城門を出て直視すれば……
> 国語辞書にも掲載されている、ことわざ。去者≒死者、来者≒生まれてくる者という解釈もある。

(古詩十九首其十五)○
・生年不満百、常懐千歳憂。昼短苦夜長
生きている年は百に満たないのに、常に千年先を心配している。昼が短く夜が長いと苦しむ……

(古詩十九首其十九)
・明月何皎皎、照我羅床幃。憂愁不能寐
明月はこうこうと、私の横たわる床幃を照らす。憂愁に寝る事もできず……

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*一般武将用/漢代「古楽府」
→[[漢詩大会の漢詩全文/漢代「古楽府」]]
 漢代に「楽府」が集めた漢詩集。
 楽府とは、音楽をつかさどる役所のこと。後に、この役所で集めた楽章歌辞を「古楽府」と呼ぶようになった。詠み人は殆ど「無名氏」。

出典:「蒿里曲」
・蒿里誰家地、聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促、……
この荒れ果てた里は、誰の家地ですか。集まった魂、埋められた肉体に賢愚の差は無いのです。鬼伯は彼らに何を催促して……

出典:「枯魚過河泣」
・枯魚過河泣、何時悔復及
釣られた魚~河を渡っていくよ~。哀しそうな目で見ているよ~。後悔は先にたたず~。
> 「枯魚」は魚の干物のこと。

出典:「悲歌」
・悲歌可以當泣、遠望可以當歸。思念故郷、鬱鬱累累。
泣く代わりに悲しみを歌おう。帰れない代わりに遠くを望もう。故郷を思えば、木が鬱鬱とするように心が沈み、山が累累と連なるように悲しみも連なる。
> 悲歌行ともいわれる。

出典:「西門行」○
・今日不作楽、当待何時。逮為楽
今日楽しいことをやらにゃ、いつを待つんだい。楽しみを為すに逮(およ)べ。
> やりたい事ヤッチマイナー。漢代から三国時代の流行歌といったところ。

出典:「戦城南」
・戦城南、死郭北。野死不葬、烏可食
城南に戦い、郭北に死す。野に死んで葬られず、鳥についばまれるのだ。

出典:「上邪」
・冬雷震震、夏雨雪、天地合、即敢与君絶
冬に雷が響き、夏に雪が降り、天地が合わさったならば、はじめて私は君への想いを絶とう
> 天地が乱れ世の終わりが来るまで、私は君を愛するよ。

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*一般武将用/晋代
→[[漢詩大会の漢詩全文/晋代]]

出典:「猛虎行」陸機
・渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。悪木豈無枝……
渇くとも盗泉の水を飲まず、熱くとも悪木の陰で休まない。ところが悪木にも枝が茂らないわけではない……
> これは有名。孔子はのどが渇いても、盗泉という名を嫌って、その水は飲まなかったことから。

復元してよろしいですか?