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本人作から真贋を疑われているものまで、色々。

#contents(fromhere=true)

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*何晏
作品一覧・訳・解説:[[『三国時代の文学スレッド』まとめサイト>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/ka_an/index.html]]

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*司馬懿
**讌飲詩
原典:《晋書-高祖宣帝懿紀》《古詩源》
天地開闢、日月重光。
遭遇際會、畢力遐方。
將掃群穢、還過故郷。
肅清萬里、總齊八荒。
告成歸老、待罪舞陽。

訳・解説:[[『三国時代の文学スレッド』まとめサイト>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/shiba_i/enin.html]]

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*諸葛亮?
**梁甫吟
原典:《晏子春秋》など

・''原文''
歩出齊城門 遙望蕩陰里
里中有三墓 累累正相似
問是誰家墓 田彊古冶子
力能排南山 文能絕地紀
一朝被讒言 二桃殺三士
誰能為此謀 國相齊晏子

#region(単語解説)
【梁甫】蒿里などと同じ系統。
蔡邕《琴頌》曰:梁甫悲吟,周公越裳。」按梁甫,山名,在泰山下。
《梁甫吟》,蓋言人死葬此山,亦葬歌也。又有《泰山梁甫吟》,與此頗同。
(梁甫は泰山の下にある山の名前。人は死すとこの地に葬られ、また詩にて弔う)

【遙望蕩陰里】
《滄浪詩話 巻五》(嚴羽、宋代)「『《樂府解題》では、“遙望陰陽里”とする』青州には陰陽裏という地名がある」

【累累】積み重なる。連なり続く。

【田彊】《古樂府》卷五作「田彊」のことらしい。《解題》では“田疆固野子”とする。

【地紀】大地の四隅を繋ぐ紐。天網と地紀。

【晏子】晏嬰。[[wiki>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8F%E5%AC%B0]]
#endregion

・''訳''
斉の城門を歩き出て、遠くに蕩陰の里を眺める
里には墓が三基 似た形が連なり続く
問いかける「これは誰の家の墓か」
「……、田開彊、古冶子」
力はよく南山を排し、学識は地紀をも絶った
ひとつの讒言、二個の桃が三人殺した
謀ったのはだあれ? それは斉宰相、晏子様

訳・解説:[[『三国時代の文学スレッド』まとめサイト>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/syokatsu_ryo/ryohogin.html]]

作者については、諸葛亮、曾子(孔子もしくは左丘明の弟子)、無名氏(古楽府)の説がある。
まずは、作者:曾子説について。

>李勉《琴説》曰:《梁甫吟》,曾子撰。
>《琴操》日:曾子耕泰山之下,天雨雪凍,旬月不得帰,思其父母,作《梁山歌》。
つまり、曾子が作った梁山歌は、「泰山のふもとで耕していたとき、天気が崩れて帰ることが出来ず、父母を思って作った」もの。
ひるがえって諸葛亮作と伝わる作品は、晏子を詠ったものであり、別物。

>蔡邕《琴頌》日:「梁甫悲吟,周公越裳。」
>按梁甫,山名,在泰山下。《梁甫吟》,蓋言人死葬此山,亦葬歌也。又有《泰山梁甫吟》,輿此頗同。
《琴頌》では、梁甫と周公にまつわるもの。もしくは死者への葬歌。
曹植の「泰山梁甫行」は、長引く戦乱と民衆への憐みを詠ったもの。

>《蜀志》曰:諸葛亮好為《梁甫吟》。然則不起於亮矣。
 以上のことから、「梁甫吟」という曲調自体は、春秋戦国時代からある古い民謡曲であり、漢の楽府が収集した古楽府としての「古典梁甫吟」も存在したと考えられる。
 そして、諸葛亮が「古典梁甫吟」を知ってことまでは、十分考えられる。
 ただし、残っている断片からは、古典的な梁甫吟は、ここで「諸葛亮作と伝わる梁甫吟」とは、別物だった可能性が高い。

>《古今樂錄》曰:「王僧虔《技錄》有《梁甫吟行》,今不歌。
 「今はもう歌われていない」とある以上、古い作品がどんなものかは、王僧虔の時代には不明だったと思われる。
 したがって、「諸葛亮作と伝わる梁甫吟」が「古典梁甫吟」なのか、それとも「諸葛亮の真作」なのかは不明。完全なオリジナルではなくとも、一部を替え歌にしている可能性もある。

>謝希逸《琴論》曰:諸葛亮作《梁甫吟》。
 謝希逸(謝荘、421年生)が何をソースにしているか? 蜀漢正統論がらみ?

 何にせよ、「作者は諸葛亮かもしれないね」扱い……にしたいところだが、諸葛亮ではなく別人の作だと断言しているサイトもある。まだ見落としているソースがあるのかしら。

#region(他の解説 未訳分)
《陳武別傳》曰:武常騎驢牧羊,諸家牧豎十數人,或有知歌謠者,武遂學《泰山梁甫吟》《幽州馬客吟》及《行路難》之屬。

西溪叢語:姚寬 南宋
・梁父吟取意
樂府解題有梁父吟。
蜀志諸葛亮傳云:「亮躬耕隴畝,好為梁父吟。」
藝文類聚吟門云:「蜀志:諸葛亮梁父吟云:『日出齊城門,遙望蕩陰里。里中有三墳,纍纍正相似。
問是誰家冢?田疆、古冶氏。力能排南山,又能絕地紀。一朝被讒言,二桃殺三士。誰能為此謀?相國齊晏子。」
又青州圖經臨淄縣塚墓門云:「三士塚,在縣南一里。三墳周圍一里,高二丈六尺。」
張朏齊記云,是烈士公孫捷、田開疆、古冶子三士塚,所謂「二桃殺三士」者。
唐褚亮梁甫吟曰:「步出齊城門,遙望蕩陰里。里內有三墳,纍纍皆相似。借問誰家塚?田疆、古冶子。」
李白有梁甫吟一篇,云:「力排南山三壯士,齊相殺之費二桃。」
杜甫李邕登歷下亭云:「不阻蓬蓽興,得兼梁父吟。」
又登樓詩云:「可憐後主還祠廟,日暮聊為梁父吟。」
陸士衡擬今日良燕會云:「齊僮梁父吟。」
李善注云:「蔡邕琴頌曰:『梁父悲吟。』」
不知名為梁父吟何義。
張衡四愁詩云:「欲往從之梁父艱。」
注云:「泰山,東嶽也。君有德,則封此山,願輔佐君王,致於有德,而為小人讒邪之所阻。梁父,泰山下小山名。」
諸葛亮好為梁父吟,恐取此意。
#endregion

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*項籍
**抜山蓋世
原典:《史記 本紀 卷七 項羽本紀第七》
・''原文''
力拔山兮氣蓋世。時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可柰何。虞兮虞兮柰若何。

・''訳''
力は山を抜き、気は世をおおう。しかし時は味方せず、騅も前に逝けぬ。
この私が、逝かぬ騅をどうにもできぬ。虞よ、虞よ、お前をどうしたものか。

【騅】項籍の愛馬
【虞】虞美人。項羽の妻or恋人。虞美人草の元ねた。([[wiki>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9E%E7%BE%8E%E4%BA%BA]])

・''コメント''
 この漢詩は琴曲調であるとする説もある(「支那文学考」等)。虞美人の奏でる琴曲に合わせて舞ったのだろうか。
 なお「古文真宝」には、「虞美人草」という漢詩もある。

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*韋昭
**呉鼓吹曲
呉が韋昭に作らせた軍歌で、以下十首が残されている? 漢の鼓吹曲がベース。

・炎精缺
・漢之季
・攄武師
・伐烏林
・秋風
・克皖城
・關背德
・通荊門
・章洪德
・従暦數

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*甄夫人?
**塘上行
蒲生我池中、其葉何離離
傍能行仁義、莫若妾自知
衆口鑠黄金、使君生別離
念君去我時、独愁常苦悲
想見君顔色、感結傷心脾
念君常苦悲、夜夜不能寐
莫以賢豪故、弃捐素所愛
莫以魚肉賤、弃捐葱与薤
莫以麻枲賤、弃捐菅与蒯
出亦復苦愁、入亦復苦愁
辺地多悲風、樹木何翛翛
従軍致独楽、延年寿千秋 

訳・解説:
→[[塘上行(曹操・曹丕・甄夫人)]]

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*関羽?
**関帝詩林
原典:関林にある石碑、西安碑林博物館の拓本他、各地の三国志関連遺跡

・''原文''
不謝東君意、丹青獨立名
莫嫌孤葉淡、終久不彫零

#region(単語解説)
【竹】漢代、梁の孝王が、東庭に竹を植えて修竹苑と称したことから、「竹の園生」で皇族を意味する。
 また、《後漢書 鄧禹伝》などの「竹帛」、文天祥などの「汗青」というように、書籍の用紙代わりに使われた。
 このことから、竹は転じて歴史書を意味することが多い。

【東君】《楚辞/九歌》に東君(太陽の神)という辞があるにはあるが、関羽が楚辞を知っていたかどうか?
 礼記、易経(説卦伝)など、古代では立場によって座する位置が違うので、立場の表示もあるか?
 曹操、劉備のどちらを指すかは不明。

【丹青】絵の具。絵画そのもの。
 なお、「丹心」でまごころ、「汗青」は「歴史」を意味する。
 竹簡を作るとき青竹を火であぶる作業があり、そのとき滲み出る水分を竹の汗(=汗青)と見立てたから。
 この作業をへて作成した竹簡は、長いこと青いままだった。

【莫嫌孤葉淡】「嫌」を「嗛(恨む、疑う)」とする説あり

【彫零】枯れ落ちる。彫は「凋」がしぼむ、「雕」が刻む、彩色する。零はこぼれ落ちる。
#endregion

 別名「風雨竹」。洛陽関林に置かれている石碑などに、竹の葉の絵で刻まれた漢詩。
 関羽が曹操のもとに居るとき、劉備宛に作成したという伝承をもつ。偽作扱いされることもある。
 現在の石碑自体は、右下に彫られている「弘治二年十月十八日 楊州淘河獲出環鈕 共董二斤四両 其文曰漢壽亭候之印」(明代の黄希聲?によると「宏治三年(1490年)十月十八日揚州淘河獲“漢壽亭侯之印”」)の文章から、この頃に、漢壽亭侯之印を、川底から引き上げた記念として作られたものか、もしくは、石碑だけあって、後に印と字が刻まれたものと思われる。

 内容については、敵地で劉備への思いを明記するわけにもいかんので、竹の葉を字の形に並べて送ったとされ、中国最古の暗号文じゃないかとも。
 内容もわざと曖昧にしてあるっぽい。なので、解釈も色々。

・''不謝東君意''
 曹操の行為には感謝しない、劉備に対しやましいところはない、etc.
・''丹青獨立名''
 丹青で竹画を描き我が意を示す、頂いた漢壽亭侯之印をここに示す、義は語らずとも歴史に残る、etc
・''莫嫌孤葉淡''
 竹画の絵の色が薄いと嫌わないでほしい→私の非才を、忠誠が薄いと嫌わないで欲しい、私の態度を恨まないで欲しい
・''終久不彫零''
 印(=貴方と私との繋がり)は欠けぬまま在り続ける、絵画の竹葉は永遠に枯れない→私の忠誠は永遠だ、etc

 大航海時代onlineでは、「伝国の玉璽」の所在情報を示す漢詩として登場する。
 というわけで、本物だったらいいなという夢のある話。

ついで【関林(関林堂)】
 河南省洛陽市の南郊外にある、関羽の首が葬られたとされる場所。
 関羽を討った呉は、魏に首を送った。曹操は、その首と上等な檀香木で作った体を、洛陽の墓地に葬ったという。
 時代の変遷とともに、塚(王侯の墓)→陵(皇帝の墓)→林(聖人の墓)に改められた。

 関帝廟は各地にあるが、洛陽の関林は最古のものとされる。
 無傷で保存されている建築群の一つで、歴代の墓志碑の展示室や三殿、清代の亭式建築が残っている。
 洛陽古代芸術館という顔も持ち、1979年、河南省から、日本で言う重要文化財の認定を受けた。関羽のものといわれる2mの大刀、洛陽から出土された多くの石刻や石碑などがある。

 関林には、同じ三国時代の名将母丘倹、諸葛誕の叛乱を鎮圧した王基の墓もある。
 なお、写真撮影はご遠慮ください。
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