現在地:[[トップページ]]>[[漢詩大会の漢詩全文]]>今ココ ----- #contents(fromhere=true) ----- *塘上行(曹操) 曲調:清商清調(宋書) (出典:《宋書 卷二十一 志第十一 樂三(台湾-古漢語語料庫)》、《楽府詩集》では、晋楽所奏とする) 蒲生我池中、其葉何離離。 傍能行儀儀、莫能縷自知。 紅口鑠黄金、使君生別離。 念君去我時、獨愁常苦悲。 想見君顏色、感結傷心脾。 今悉夜夜愁不寐。 莫用豪賢故、棄捐素所愛。 莫用魚肉貴、棄捐冈與薤。 莫用麻枲賤、棄捐菅與蒯。 倍恩者苦栝、蹶船常苦沒。 教君安息定、慎莫致倉卒。 念與君一共離別,亦當何時共坐復相對。 出亦復苦愁,入亦復苦愁。 邊地多悲風,樹木何蕭蕭。 今日樂相樂,延年壽千秋。 #region(単語解説) 【紅口鑠黄金】 他の書籍では、「紅口(赤い唇、美人の意味)」が 「衆口」になっている。 "紅"は"hong"、"衆"は"zhong"と発音が似ているので、『紅口』は台湾の入力ミスかもしれない。 このへんは、書籍によってかなり違いがみられる。 (出典:《宋書 卷二十一 志第十一 樂三(台湾-漢籍全文資料庫)》) 眾口鑠金,使君生別離。 (出典:《台湾-楽府詩集 卷第三十五 相和歌辭十/清調曲三/晋楽所奏》) 眾口鑠黃金,使君生別離。 なお「衆口鑠金」は、《国語_周語下》に出てくる。 多くの人の言葉、特に悪口が重なると、悪い結果を招くことのたとえとして、辞書でも登場する。 また《尚書(書経)_周書_金縢》では、占卜の結果をしまいこんだ箱を金で封じていることを考えると、 「黄金を溶かす」は、吉凶を閉じ込めたパンドラの箱が解放された的な意味合いもあり? 【棄捐】捨てて用いないこと 【菅與蒯】 カヤ。絲麻の対比となる布きれの表現。もしくは河南の地名。 《左傳/成九年》雖有絲麻,無棄菅蒯。楽府正義?:蒯與菅連,亦菅之類。 《儀禮·喪服傳疏》屨者藨蒯之菲也。 《儀禮註疏/卷二》黃帝雖有絲麻、布帛、皮弁 《張衡·西京賦》草則葴莎菅蒯。又地名。【左傳·昭二十三年】攻蒯,蒯潰。【註】河南縣蒯鄕是也。引《左傳》叶雖有姬姜,無棄蕉萃韻。 昭明文選 卷三十八 《為范尚書讓吏部封侯第一表》陛下不棄菅蒯,愛同絲麻。《左氏傳/君子》曰:詩云:雖有絲麻,無棄菅蒯;雖有姬姜,無棄憔悴 【教君安息定】 「教~」には「…させる」「…される」という意味が、「安息定」には「安らかな眠り」という意味がある。 前半の「眠れぬ夜」と対比しているか? #endregion **訳(曹操1) 蒲は我が池中に生じ。其の葉は見事に生い茂っている。 傍らで君は才のままに歌い奏で。その妙なる音は、私をおのずと振り向かせる。 しかし紅色?の唇は、黄金をも溶かし。君をして、生きて別離させた。 君が我を去りし時をおもうと。独り愁(うれ)いて常に苦悲する。 君の顔色を想い見れば。感情は形となって、私の心脾を傷める。 今や悉くの夜夜を、哀しみに眠れぬまま過ごす。 豪賢だからと用いるなかれ。愛すべき所(故郷)をそっけなく棄捐するな。 魚肉の貴きを用いるなかれ。岡に薤を棄捐するな。 麻枲の賤しきを用いる莫かれ。菅蒯(カヤ)を棄捐するな。 恩を倍とする者は、枯渇に苦しみ。ひっくり返った船は、常に沈むに苦しむ。 せめて君には安らかな眠りをもたらそう。謹んで軽はずみに致すなかれ。 かって共にいた君と離れては、再び巡り会い?。また何時の日か共に坐して、相対しよう。 出づるは、苦しみと悲しみをもたらし。入るもまた、苦しみと悲しみをもたらす。 辺地は非風多く。樹木は、何とも物さびしく揺れる。 遠く離れても、互いに今日を楽しみ。壮健であろう再会の日までも、いつまでも。 ----- *塘上行(甄夫人)1 (出典:《楽府詩集 卷第三十五 相和歌辭十清調曲三(台湾-楽府詩集)》) 蒲生我池中、其葉何離離。 傍能行仁義、莫若妾自知。 衆口鑠黄金、使君生別離。 念君去我時、独愁常苦悲。 想見君顔色、感結傷心脾。 念君常苦悲、夜夜不能寐。 莫以豪賢故、棄捐素所愛。 莫以魚肉賤、棄捐葱與薤。 莫以麻枲賤、棄捐菅與蒯。 出亦復苦愁、入亦復苦愁。 邊地多悲風、樹木何脩脩。 従軍致独楽、延年寿千秋。 **訳・解説1(甄夫人) 引用元→[[『三国時代の文学スレッド』まとめサイト>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/ladies/shin_tojyo.html]] ガマの草が私の(家の傍の)池から生え、その葉っぱは並びつらなっていました。 そのかたわらであなたが徳にみちたりっぱな行いをなさっていたことは、 妻のわたくしが何ひとつ知らないはずはございません。 (しかし)多くの人の悪口は黄金もとかすほどの力があり、 わたくしはあなたと生きながらに別れさせられてしまいました。 あなたがわたくしを去ったときのことを思うと、わたくしはひとりで思いなやみ、いつも苦しみ悲しんでおります。 あなたのお顔を推しはかって目にうかべると、気持ちがぎゅっとなって心や内臓がいたみます。 あなたを思っていつも苦しみ悲しんでいるので、夜ごとにねむることもできません。 賢く強く勢いさかんでりっぱであらせらるからといって、もとに愛していた人を見捨てないでくださいませ。 魚や肉をもってして、ネギやニラをいやしめて見捨てないでくださいませ。 麻やカラムシの織物をもってして、スゲやカヤの繊維をいやしめて見捨てないでくださいませ。 あなたが出ていらっしゃってもまた苦しくて悲しく、入っていらっしゃってもまた苦しくて悲しいのです。 このいなかには悲しい風が多く、木々はやぶれるように風にふかれています。 あなたが従軍なさってただそれだけがお楽しいのであれば、あなたが千年もめでたく長生きなさいますように」 **その2(曹丕説をとった場合) 蒲は我が池中に生じ。其の葉は見事に生い茂っている。 傍らで君は能く儀を行い。その誉れは私の耳にも届くほど。 しかし人々の唇は、黄金を溶かし。君をして辺境へと出征させた。 君が我がもとを去りし時をおもうと。独り愁(うれ)いて常に苦悲する。 君の顔色を想い見れば。感情は形となって、私の心脾を傷める。 君を思えば常に苦しみ悲しく。夜夜を、眠れぬまま過ごす。 豪賢のみを用いるなかれ。愛すべき者をそっけなく棄捐するな。 魚肉の貴きを用いるなかれ。岡に薤を棄捐するな。 麻枲の賤しきを用いる莫かれ。菅蒯を棄捐するな。 出づるは、苦しみと悲しみをもたらし。入るもまた、苦しみと悲しみをもたらす。 辺地はきっと非風多く。樹木は、とても物さびしく揺れるだろう。 いいえ戦地で振り返るな、誰にも縛られず独り覇道を往け。君の栄光が、とこしえに続かんことを。 ----- *塘上行(甄夫人)2 (出典:《鄴都故事》(台湾-楽府詩集で引用されているもの)) 蒲生我池中,綠葉何離離。 豈無兼葭艾,與君生別離。 莫以賢豪故,棄捐素所愛。 莫以麻枲賤,棄捐菅與蒯。 莫以魚肉賤,棄捐葱與薤。 >【葭艾】あし、よもぎ ----- *コメント この作品は、作者が特定されていない。以下の4人とされる。 ・曹操(宋書) ・甄夫人(玉臺新詠、藝文類聚、歌録、他) ・曹丕(玉台新詠考異) ・無名氏による古辞(歌録) 以下は作者に関する、現時点での感想。 **曹操説 ・宋書 宋書では、この作品は「清商三調歌詩 荀勗撰舊詞施用者」とある。 荀勗は魏から西晋にかけての人物で、荀攸・荀彧とは同族。司馬昭の側近とされる。 本当に全てが荀勗による記録なら、魏楽所奏・晋楽所奏による多少の改変はあっても、曹操や曹丕を知る人も生存している時代に、詠み人を間違えたり、意図的に変える可能性は低いと思う。 他の誰かと勘違いしているのかもしれないけど。 ・ 置いていかれた女性の視点なので、曹操ではないだろうという説について 「塘上行」は古詩「行行重行行」等を典故にしたものと思われる(「行行重行行」では「君」「棄捐」という単語も出てくる)。「行行重行行」は、旅に出た夫を待つ妻の漢詩といわれる。 しかし、典故を元に、夫の立場から読むという可能性もある。特に三曹は、典故の形式を無視することがある(秋胡行等)。 ・「君」が何を指すか。 当時の「君」は目上、敬意を払う相手を指す筈。曹操が、君というのはどうなんだ?君の使用例としては、古詩十九首、曹丕の「大牆上蒿行」。 贈った相手が男性なら、まぁ人材を誘うものになるんだろう。或いは(曹丕と同じように)楽府で楽人が曹操に対し歌うことを想定しているか。 相手が女性なら、誰かに残したか。あるいは蔡文姫宛。 曹操も影響を受けたぽい大学者である蔡邕の愛娘。本人も才媛として有名。匈奴に連れ去られた。 左賢王の妻となり、曹操は彼女を取り戻すとき、財宝(金璧)を差し出すことで、匈奴に対し礼儀を見せている。 その頃に、匈奴の地にいることを配慮しつつ、彼女をいたわる「贈蔡琰詩」を送った可能性。 もしくは曹丕と丁廙が蔡琰を題とした「蔡伯喈女賦」を詠んだように、戻ってきた蔡琰に対し、曹操から詩を贈った。それが後に改変された。 曹操による「贈蔡琰詩」だとすると、仮に辺境にいて、こんな手紙が旧知から来たとしたら、そりゃきついわ。 で、逆に、これが「偽」の場合、どうして曹操作とされたのか、という問題が発生する。これはもう判りません。 まさか文字数が不ぞろい=曹操作みたいなノリか? // 蔡邕の「飲馬長城窟行」、古詩の東門行(宋書楽志-大曲)、この作品の3つが、ワンセットで語られてたんか? // どれも作者がはっきりせず、似たような作品があるために、「なんとなく似てない?」「似てるなー、これは同じ作者か、作者と繋がりのある人物か?」みたいなノリで決まってたりして。 **甄夫人説 《樂府解題》「“前志雲:晉樂奏''魏武帝''《蒲生篇》、而諸集?皆言其詞''文帝甄后''所作」などから、唐代には、すでに甄后の作品だろうと言われていたようである。 「莫以賢豪故,棄捐素所愛」 この一文が、彼女と、曹丕の新しい妃(郭貴人等)との関係を詠んだものと言う説は、確かに一理ある。 甄夫人が作ったとしたら、「我池中」という言い回しがひっかかる。 池が甄夫人の持ち物という認識なのか?(文学スレ1は、甄夫人の家の池、とすることで解決を試みているが、当時、夫人の家というのはありなん?後宮?) 楽府の場合、池を舞台にして歌い伴奏することはある(曹丕の秋胡行でも、「音楽に詳しい人物」と「池」が繋がっている)ので、池での歌唱を前提に、「池=私の舞台」という概念を用いるなら「あり」だと思う。 が、所有者の立場というのは、むしろ曹操or曹丕のほうが相応しいんじゃねぇかなと。 あと気になるのは、 ・晋楽所奏より、本辞のほうが文字数が揃っていること ・(言いがかりに近いが)蒯を地名とした場合、河北メインの人が河南の地名を詠んでいること。 ・晋楽所奏の場合、武帝(曹操)、文帝(曹丕)、明帝(曹叡)が主で、それ以外の作品は少ない。陳思王(曹植)の作品すら少ない。 なのに、彼女の作品だけ採用された理由が不明。 **曹丕説 どの作品にせよ、曹操、甄夫人の項で挙げた問題が全て解決する。「なりきり」による女性の立場で書かれた漢詩も多いので、立場による違和感もない。詩の中に、他作品で見られる言い回しが見られる。秋胡行でもみられる、「音楽に詳しい人物」と「池」の繋がり。孤高を思わせる作品も多い。 確かに、他の二人よりは説得力がありそう。 問題は、この詩を読む動機。 曹丕の詩に他人の視点が多いのは、他人に歌わせることを前提にしているからだとすると、相手を思いやるような内容ならともかく、相手を突き放すような内容の詩を歌わせるってのはどーなんだろう。 最後の一文について、文学スレ1の訳をちょっと変えれば、まぁアリか? **曹操or曹丕作+甄夫人作説 曹操による塘上行だけでなく、甄夫人による鄴都故事版など、複数の作者による塘上行をミックスして晋楽所奏に改変し、曹操の作品として演奏したのではないかという説。 例として、曹植の[[七哀詩]]が晋楽所奏において、全く別の作者(宋子侯)による[[董嬌饒>http://www39.atwiki.jp/sangokushi7/pages/56.html#id_f1b951d9]]とミックスされている可能性。 これを指摘している原本は見つからないが、ありえない話ではなさそうなので、参考までに。 「曹操1」は、晋楽所奏とされるだけあって、三曹や関係のある楽人(卞氏とか)、誰でも書きそう。 「甄夫人1」は、甄夫人ならあり、曹丕なら何とか、曹操ではないと想う。いずれにせよ現在の作品は、 誰か(曹操or曹丕or甄夫人)の作った「原文」 「魏楽所奏」(曹丕or甄夫人の可能性) 「晋楽所奏」(原文+魏楽所奏の可能性) 甄夫人に同情した後世の楽人による「改変版」 こうした経路を、複雑に辿っている気がする。 で、中国でも各時代ごとに、どれが誰の作品か、相当な議論があったんじゃないかね。 -----