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秋胡行(曹操) - (2012/11/11 (日) 19:37:11) の編集履歴(バックアップ)





原文

出典:《宋書卷21 志第11 樂三(維基)》 / 《樂府詩集 巻36(維基)》

其一

晨上散關山,此道當何難!
晨上散關山,此道當何難!
牛頓不起,車墮谷間。
坐磐石之上,彈五弦之琴。作為清角韻,意中迷煩。
歌以言誌,晨上散關山。

有何三老公,卒來在我旁?
有何三老公,卒來在我旁?
員揜被裘,似非恆人。
謂卿雲何困苦以自怨,徨徨所欲,來到此間?
歌以言誌,有何三老公?

我居崑崙山,所謂者真人。
我居崑崙山,所謂者真人。
道深有可得,名山歴観。
遨遊八極,枕石漱流飲泉。沈吟不決,遂上升天。
歌以言誌,我居崑崙山。

去去不可追,長恨相牽攀。
去去不可追,長恨相牽攀。
夜夜安得寐,惆悵以自憐。
正而不譎,辭賦依因。経傳所過,西來所傳。
歌以言誌,去去不可追。

其二

願登泰華山,神人共遠遊。
願登泰華山,神人共遠遊。
経崑崙山,到蓬莱。
飄遙八極,與神人倶。思得神藥,萬歳為期。
歌以言誌,願登泰華山。

天地何長久!人道居之短。
天地何長久!人道居之短。
世言伯陽,殊不知老、赤松王喬,亦雲得道。
得之未聞,庶以壽考。
歌以言誌,天地何長久!

明明日月光,何所不光昭!
明明日月光,何所不光昭!
二儀合聖化,貴者獨人不?
萬國率土,莫非王臣。仁義為名,礼楽為栄。
歌以言誌,明明日月關。

四時更逝去,晝夜以成歳。
四時更逝去,晝夜以成歳。
大人先天、而天弗違。
不戚年往,憂世不治。存亡有命,慮之為蚩。
歌以言誌,四時更逝去。

戚戚欲何念!歓笑意所之。
戚戚欲何念!歓笑意所之。
壯盛智愚,殊不再来。
愛時進趣,將以惠誰? 泛泛放逸,亦同何為!
歌以言誌,戚戚欲何念!


てけとー訳

其の一

あしたに上る散開山 この道なんと険しきか!
あしたに上る散開山 この道なんと険しきか!
牛はたおれて起きもせず 車は谷間を堕ちていく
磐石の上に腰掛けて 五弦の琴を弾きならす
作り為すは清角韻 心の宮に迷い煩う
歌をもって志を記そう、「あしたに上る散開山」

何者なりや三老公 ふと現われて傍に立つ
何者なりや三老公 ふと現われて傍に立つ
威儀も正しく裘を羽織り 常人と違って見えるのは
謂わくどうして、おのずと怨み苦しむか
何を欲して彷徨って、ついにはここへ来たのかね
歌をもって志を記そう、「何者なりや三老公?」

わしが住まうは崑崙山 いわゆる真人なる者さ
わしが住まうは崑崙山 いわゆる真人なる者さ
道をば深く極めんと 名高き山をめぐり見て
八極気ままに遊びつつ 石に枕し流れに漱ぎ泉を飲んで、
吟に沈みて決めざるが 遂には天に上るのさ
歌をもって志を記そう、「わしが住まうは崑崙山」

去り行くもの追うもできず 相つれ登らんと長く恨む
去り行くもの追うはならず 相つれ登らんと長く恨む
夜な夜な安眠遠く 恨み嘆きを以て自らを憐れむ
「正にしていつわらず」 因りて辞賦(賛歌)の寄りつどう
東に発しては西より伝わり 人のいとなみ果てしなく
歌をもって志を記そう、「去り行くもの追うべからず」

其の二

願わくば登らん泰崋山 神人と遠遊共にせん
願わくば登らん泰崋山 神人と遠遊共にせん
崑崙を経て蓬莱に至り
八極遥かに飄しては 神人と全てをともにせん
得たいと思うよ神薬を 万の歳月吾がものに
歌をもって志を記そう、「願わくば登らん泰崋山」

あめつち何と久しきか! 人のいのちの短さよ
あめつち何と長大か! 人の社会は狭苦しい
世の人いわく「伯陽は ことさら老いを知らずして
赤松子や王喬は 雲の上にも道を得る」
いまだ聞かぬ伯陽の声、あまたの生死思い描く
歌をもって志を記そう、「あめつち何と長久か!」

日月の光明らかに 何ぞ照らせぬ場所がある!
日月の光明らかに 何ぞ照らせぬ場所がある!
天地と一つにあわされど 聖者は孤独なままなのか?
「蒼天の果て地の限り、王臣にあらざるものはなし」
仁義は高名と為り、礼楽は栄華を為す
歌をもって志を記そう、「日月の光は陰陽を分かつ」

四時はさらさら逝き去って、昼夜を以て歳を成す
過ぎ去る四季の短さよ、昼夜を以て歳を成す
「大人は天に先んじて、しかるに天は否定せぬ」
往く年は戚(うれ)えず、ただ治まらぬ世を憂う
存亡は天命に有り、これを慮えば笑われる
歌をもって志を記そう、「充実した日々の楽しさよ」

くよくよ何を悩むのか 笑いあって過ごそうぜ
くよくよ何を悩むのか 笑いあって過ごそうぜ
智にせよ愚にせよ壮盛は 過ぎれば二度と来やしない
時を愛して無理しても 成果を誰と分かつのか
流れ流れて放逸に 放逸に為したところで何となる
歌をもって志を記そう、「くよくよ何を悩むのか!」


単語解説(長いよ)

其の一

【散関山】今の陝西宝鶏県の南西にある大散岭を指す。「大散关」で検索すれば、中国の解説サイトが出る。
“散関”あるいは“大散関”(陸游の詩の“鉄馬秋風大散関”とか)と呼ばれる。秦嶺山脈の喉元、陝西の交通の要路、古代における必争の地。
 曹操は、建安20年(西暦215年)に、陳倉から散関を出たことがある。
三国志-巻1-魏武帝記:(建安二十年)三月,公西征張魯,至陳倉,將自武都入氐;氐人塞道,先遣張郃、硃靈等攻破之。夏四月,公自陳倉以出「散關」,至河池。
 このことから、この作品は漢中戦後の、晩年に書かれたものだろうと推測されている。

【清角韻】
 後漢王充の《論衡-第六十四-紀妖篇》の清角=清角韻? 神仙界と交わり、天地自然と同一化をはかる曲?
(師曠曰:「不可!昔者黄帝合鬼神於西大山之上,駕象輿,六玄龍,畢方并轄,蚩尤居前,風伯進掃,雨師灑道,虎狼在前,鬼神在後,蟲蛇伏地,白雲覆上,大合鬼神,乃作為清角。今主君德薄,不足以聽之。聽之,將恐有敗。」)
 この「黄帝」というのは、多分後半部でも関係してくる。

【三老公】直訳すれば、三人の老人。上の「散関山」と韻を踏む? 後述の伯陽や赤松子、王喬との対比か?

最先一人倡,三人和。魏武帝尤好之。
(最初に一人が歌いだし、三人が和する。魏武帝はこの形式をもっとも好んだ)

 本来の秋胡行がこの形式だったなら、メインの一人が詩人を担当し、副の三人が三老公の役を担う、演出上の意味合いも持つ。

【枕石漱流】
 帝位を禅譲すると言われ、流れに耳を漱いだ隠者、許由の故事と思われる。
 ちなみに間違えて「漱石」と言った孫楚の逸話から、自分のペンネームを決めた人が居るよね。日本に。

【惆悵】恨み嘆き
【正而不譎,辭賦依因】
 春秋五覇の筆頭、斉桓公の伝承。西の漢中へ向かい東へ戻る己と重ねたか。

 なお、孔子は斉桓を称えている(曹操「短歌行」参照)が、孟子や荀子は斉桓晋文を否定している。
《孟子-告子下》「五覇者、三王之罪人也。今之諸侯、五霸之罪人也、今之大夫、今之諸侯之罪人也(世代が下るごとに、諸侯群雄は器が小さくなり、前の時代における罪人でしかなくなる。古の王道に帰れ)」
 荀子は、「孔子の門下は、春秋五覇を褒めたたえることを恥じた」とする。斉桓をある程度は評価した上で「小人之傑(小人の中では英雄だが、大人ではない)」とする。
 このように、斉桓公は各学者によって、評価が全然違う。
 同時に、儒の中でも有名な人物でさえ、始祖の考えをそのまま受け継いでいると言えない。

其の二

 其の二を分析するなら、儒教と老荘思想に対する、最低限の知識は必要。

【願登泰華山】
 「東岳」泰山と「西岳」華山。五嶽のうち二つ。司馬遷の《史記》にも出てくる。

《史記_孝武本紀》
「天下名山八,而三在蛮夷,五在中國。中國華山、首山、太室、泰山、東萊,此五山黄帝之所常遊,與神會」
(天下に名山は8つあって、うち3つの山は蛮夷の地に、5つの山は中国にある。華山、首山、太室、泰山、東萊、この五山は、「黄帝が常に遊び、神と会したところ」)
《史記_封禅書》
「東巡狩,至于岱宗。岱宗,泰山也」「西嶽,華山也」
(東へ狩に巡り、岱宗に至る。岱宗ってのは泰山な)(西嶽とは華山である)

  • 其の一ラストの、「経傳所過,西來所傳(経伝の過ぎしところ、西より来たり伝わるところ)」
  • ここでの、「願登泰華山(願わくば東の泰山に、西の華山に登りたい)」
  • 次に来る、「経崑崙山,到蓬莱(西の崑崙山を経て、東の蓬莱へ至る)」

 と段階を踏みつつ表現を弱める、或いは強めることで、綺麗に繋げたものと思われ。

  • 秋胡行其の一の大小:遨遊八極(八極≒八方向の世界の果てを、気ままに遊びつつ~)、其の一ラスト
  • 秋胡行其の二の小大:中規模の東→西、広大な西→東、飄遙八極(八極を、遥かにさすらい~)

 さらに黄帝が遊んだという八山を挙げることで、其の一当初に出てくる、黄帝が作ったとされる清角韻とも繋がる。
 そして黄帝の行いをなぞることにより、おそらく作者と黄帝の対比も出てくる。

【天地何長久】《老子第七章》
「天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生。故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪。故能成其私」
(天は長く地は久しい。天地がよく長く、かつ久しき者であるのは、自ら生きようとあがく事をしないからだ。ゆえによく長く生きる。
 聖人もまた、その身を後まわしにするが身は先にあり、自分の身を考えの外に置くが、身を確保している。自分を念頭におかないから、結局は自分の思いどおりになる)

 「俺が俺が」と、我を押し出すのは良くないよ。わざとらしい事をしない、自然のままにある(ように見せかける)のが一番よ、という感じ。後述の「大人先天~」と繋がるか?

【伯陽】
 周の終わりを予言したという、伝説上の預言者。
 一説によると、伯陽は老子の字ともされる (wiki) 。魏伯陽も有名だが、時代が新しすぎる。

 実際、「天地何長久」と、老子の文を使っているので、ここでは伯陽=老子なんだと思う。
 ただ、《史記-老荘申韓列伝》では老子は「姓は李、名は耳、字は耼」とあり、曹操が知らないとは考えにくい。
 韻をふむために使用した以上の理由があるとすれば、史記の時代と、曹操の時代とで、老子のイメージに違いがあることか。
 「伯陽=老子の字」説は、竹林の七賢のひとり嵆康の著にあるので、魏の代には、既に伯陽=老子の同一化が、普遍化していたんだろう。

 いにしえの記録が、時を経て改変される。
 仙人となって長生きして、改変されたイメージを正そうとしても、古人の言葉を未来人が聞くことはない。
 聖人が古典を残しても、それは史記の老子が言うとおり「聖人の残りカス」で、そこから真実を理解することはできない。
 だから、歴史の解釈を巡って混乱する。
 すなわち秋胡行伝承の、「別れた二人が時を経て巡り合っても、互いに互いを認識することはできない」。

【赤松子】
 伝説の仙人。神農のころの雨師とも言われる。水玉(水晶)で水を操る。
 漫画の「火鳳燎原」で司馬懿が扮装している。 (wiki(中国語))

【王喬】
 王子喬と思われ。周霊王の太子とされる。前漢の劉向「列仙伝」に記載あり。他にも諸説あり。
 ぶっちゃけ伯陽、赤松子、王喬いずれも諸説あり、人物の特定は不可能。

【亦雲得道】
 ここでの「雲」は、「云う」の意味。ただ、原文で「雲」が使われていることに敬意を払い、ちょいとひっかけた。

【得之未聞】
 「未聞」は未だ聞いた事のない、「之を得たという話は聞いたことがない?」「未聞を得る=聞いた事もない」?「新たな話を得るたびに」?

【庶以壽考】
 現代中国語だと、「庶以」はどうにか。何とか。という意味。「壽考」は考=老で、長寿の意になってしまう。
「もろもろを以って寿(神仙の生、人の生)を考える?」「どうにか長生きできないものか?」

 どう訳したもんだか……単純に「実際に神仙にあったという話は聞いたことが無い」とすると、其の一と相反する。
「実際に老子や赤松子、王喬にあって、彼らの声を聞いたことは無い」とするか?
 この三人に実際にあったことがないから、言われても本当か判らない。仙人ならざる短命の身には、彼らの真贋を確かめるすべも無い。
 或いは天地と同化して神仙の領域に到達しても、なお、老子に追いつくことはできないと。

【二儀合聖化】
 このくだりについては、後述の【大人先天而天弗違】に基づくなら、「二儀(陰陽)に合わせ、聖と化す」、みたいな感じか。
 易経が言う、「大人の行いは、天に等しい」。
 老子第七章(天長地久)の、「聖人、後其身而身先~(聖人の行いは大道に等しい)」。
 己を天地自然にあわせたとき、人は仙人、あるいは聖人となる。

【貴者獨人不】
 不が前に来ると、まず否定の意味。文末に不がつく場合は、疑問語、反語として解釈される。
 例:史記第70卷張儀列伝「楚王曰:『舄故越之鄙細人也,今仕楚執珪,貴富矣,亦思越不?』」
 ただ、ここでの「不」は、余計な文字だとする説がある。「獨人」と、続く「莫非王臣」の「人」と「臣」で、韻を踏むとするもの。

 二儀合聖化、貴者獨人不については、中村 愿「三国志 曹操伝」新人物往来社だと、「天地に生まれた人物のうち、人より貴重なものは無い」と訳している。

【萬國率土,莫非王臣】
(詩經-小雅-谷風之什-北山)「溥天之下、莫非王土。率土之濱、莫非王臣」
(あまねく天の下、王土にあらざるはなし。四海のうち、王臣にあらざるはなし)

 ちなみに、其の一では、仙人の暮らしについての描写がある。(道深有可得,名山歴観。遨遊八極,枕石漱流飲泉。沈吟不決,遂上升天)
 にもかかわらず、仙人との比較対象である、作者の暮らしについては、作品全体を通して描写がない。
 これは、「萬國率土,莫非王臣」の一文が表しているからだと思われ。
 「北山」は、宮仕えの官僚が、仕事に忙しく安寧の日もない、労苦を詠んだ漢詩。
 この引用は、詩文の形を整えるだけでなく、仙人と常人を対比する上で、当時は一般教養だった作品を前提にすることで、余計な描写を省く役割もあるだろう。

【莫非】=反語。まさか~じゃないだろうな

【仁義】
 儒教の仁義説と、《老子第十八章》の「大道廃有仁義。慧知出有大偽(略)」の対比。
(昔、大道が行われていた頃は、仁義を唱える必要がなかった。しかし大道が廃れると、仁義を説くことが必要になった。知恵が出てくると、嘘やいつわりごとを為す人が現れる~略)
 老子第三十八章の「~故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失義而後禮。夫禮者、忠信之薄、而亂之首~」とも関連しているかな?

 なお、老子の第十八章も、時代ごとに変化しているらしい。書籍によって「慧知出有大偽」、「知恵出有大偽」、さらに昔の郭店竹簡老子ではこの一文は存在しないことから、「慧知~」のくだりは、荀子の教えが出た後に追加されたという(野村茂夫「ビギナーズ・クラシックス中国の古典 老子・荘子」角川ソフィア文庫)。

【礼楽】
 仁義とともに、儒教の根幹をなす単語。
 《史記-老子韓非列伝》で、孔子が老子に会って、礼を尋ねたが、断られたという話がある。

孔子適周、将問礼於老子。老子曰「子所言者、其人与骨皆已朽矣。独其言在耳(略)」
(孔子は周に行き、老子に礼を問うた。老子いわく「子の言う人は、身も骨もみな既に朽ちぬ。独りその言葉だけが耳にあり(略)」

【明明日月關】
「山海経」では、月日の生まれるところのうちひとつが「蘇門」。ちなみに「猗天」というところもあり、「倚天の剣」の元ネタの一つじゃないかという話もある?

【四時更逝去,晝夜以成歳】四季は巡り、昼夜はめぐり重なって一年となる?
【四時】デジタル大辞泉の解説(一部引用)
1)1年の四つの季節、春夏秋冬の総称 2)1か月中の四つの時。晦(かい)・朔(さく)・弦・望 3)一日中の4回の座禅の時

【大人先天而天弗違】
 この文章をはじめ、其の二の描写の大半は、儒の聖典とされる五経のうち「易経」、もしくは周易からの引用。

《易経_乾》(近デジの一例)
「夫大人者、與天地合其徳、與日月合其明。與四時合其序。與鬼神合其吉凶。先天而天弗違。後天而奉天時。天且弗違」
(大人は、天地と徳を合わせ、日月と明るさを合わせ、四時に順序を合わせ、鬼神と吉凶を合わせる。天に先んじて天と違わず、天に遅れて天の時を奉ずる。天はかつ違わず)
 ここでの「大人」、「天地合」、「日月の明」、「四時の序」。

 ここで易経が言う、「大人の行いは、天に等しい」。
 老子第七章(天長地久)の、「聖人、後其身而身先~(聖人の行いは大道に等しい)」。
 儒家のあがめる易経が、対比しているはずの老子と、実は似たようなことを言っている。
 作者が儒、老荘の両方に通暁しているから、こうして一つの作品に複数の思想を取り入れ、自由に遊ばせることが出来る。

 孔子が説いた儒と、老子の言う道。秋胡行は、どちらの立場にも与していない。
 秋胡行において、孔子と老子は(似たような部分があっても)、同じ存在になれない。男女は確かに同じ人間だが、全く同じではない。
 時が流れ、万物は陰陽が描く螺旋の中で、世代を重ね、有るがままに変じていく。
 その中では、孔子も老子も、この作品内で「対比」を構成する物質はすべて、時の流れに応じて変化していく、不完全な「部分」でしかない。

 荘子とも違う。
 荘子は「万物斉同」、陰陽に代表される相対的な視点から離れ、対立もなく、全てが等しい境地を説いた。
 これは「定義」に対する「不定義」であり、荘子もまた、決して陰陽の理から離れられていない。

 儒教国家だった後漢、あるいは道教が台頭した末期において、この儒や老さえ突き放した視点。
 曹操を語る上で、重要だと思う。

【進趣】進み趣く=因より果に向かう
【慮之為蚩】之を慮えば蚩(おろか)と為る
【壮盛】勢い盛んなとき


コメント:秋胡行


 PC版漢詩大会には出ない。(変型ではあるが)「遊仙詩」のひとつ。というか、遊仙詩を内包した作品と言うべきか。

 秋胡行(曹丕)でも書いたが、「秋胡」という古典が元ネタ。
 原典の秋胡に触れてはいないが、踏まえてはいる。というか元ネタを踏まえたほうが、この作品も判りやすい。

「険しい山に行き詰り、進むも引くもならず、ただ手持ちの琴を鳴らし、我が心を顧みる」
「神仙や黄帝のように、天地を自由にたゆたうことが出来たなら、どんなにか素晴らしいだろう」
「いや。神仙の寂しい不死に、果たして人のぬくもりを捨てるほどの価値があるのか」
「良かれ悪しかれ、多くの歳月が流れた後に、去っていった仙人が再び地上に戻っても、地上は秋胡のように様代わりして、昔の面影を残していないだろう。
 地の人も、仙人を覚えていないだろう」
「人と交わることのない神仙の生とは? 地を行く人の生とは?」
「天上に永い生と自由があるならば、地上にも仁義があり、礼楽がある」
「陰陽は両極端なものであり、同時に同じ世界を構築する部分であり、相互を完全に否定することはない。過ぎゆく時を恐れはしない。ただ中原の未来を憂う」
「何を悩むのか。無理しても、流されても、何となる。我々は、我々の生を暮らそう」

 もしこの作品全文が本辞であれば、晩年に書かれただけあって、一見無造作、しかし知識と技巧の集大成。

 中国の伝統として、左右対称性(シンメトリー)、対照性(コントラスト)が重視される。
 代表的なものが「喜喜」の字や、「陰陽」マークだろう。
 漢詩でも同じで、魏晋南北朝における漢文の特徴として、対句を基本とする「四六駢儷文」が挙げられる。
 同じ文字数を並べ、韻を踏むことで詩の完成度をたかめる。同じ作品のなかに明るい景色と、暗い心情を対比させることで、心情を際立たせる。

 この作品は、一人が読んだひとつの詩に、対照的な二つの立場が存在する。
 対比の数だけ変遷があり、読者がどの対比と視点を中心にするかによって、作品の放つ色合いも異なってくる。
 詩人<>老人、大人(英雄)<>仙人、権勢<>質素、地(空間)<>天(時間)、束縛<>自由、詩人<>黄帝、定命<>悠久、陰(月)<>陽(日)、王臣(同僚)<>孤独、儒教<>道教、其の一<>其の二(特に構成と結末)etc.
 さらに、時の経過による認識の変化がつきまとう。
 定まった文字数、定まった主語、定まった意味をもたない世界で、様々な二つの視線が定質を持たずに彷徨い、最後で一つに、全てを内包する乾元太一に戻る。
 これを踏まえ、それぞれの章の最初の対称的な二行を比較し、最後の「台詞」を詠むと興味深い。

 永久に追い付けない仙人の後姿に、地上に残された詩人の嘆きに、何を視るか。
 野心、羨望、諦観、追憶、時を貫く精神、或いは、永遠に女性的なるものへの呼びかけ。
 混沌の中で移り化していく陰陽の、対称と対比。中国数千年の夢。
 その形のなさは非常に難解で、見る人見る人に、それぞれ異なる印象を与えるだろう。1800年たった今も評価が定まらない、曹操本人のように。

 晋楽所奏の可能性もあるが、これほどの作品を再構築ってのは、相当な技量を要すると思…晋楽所奏としても、一部の文字数を整えた程度じゃないかな。深い詩文力と、儒・道に対する知識を合わせ持つ人物が、果たして晋の宮廷に居るんだろうか。
 なお、漫画の『蒼天航路』は、終盤、この詩をモチーフにしたと思われるシーンがある。

 他、ネット上で拾った中国の解釈を幾つか紹介。
 一見大雑把だが、その実は練りこまれた佳作。老人の登場タイミング、舞台の切り替え方など、要素の使い方が巧み。
 最初の繰り返しも、本来ならメロディーに合わせてゆっくりと伸ばしたもので、実際の意味はないはず。なのに、単なるリズム合わせに終わっていない。繰り返すことで、単純なはずの語句に深い意味がこもる。

 曹操の地位から、詩で描かれている内容(山の険しさ、車が崖を落ちた後、岩の上で琴を鳴らすなど)を実体験することは考えられず、己の苦難に満ちた半生を描写したものだろう。
 仙人=「曹操が思い描いた理想」「後世に伝わるであろう曹操の偉業を擬人化したもの」、仙人に取り残された主人公=「思い通りにならない現実」「極彩色に飾り付けられた偉業をはぎ取った後の、本来の曹操」をむき出しにした上で、対比した作品。

未確認情報:《古詩評選》巻1、《船山全書》に曹操〈秋胡行〉評がある。
王船山の曹操「秋胡行」詩評「二子謄所云『行雲流水、初無定質』」「維有定質、故可無定文」




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