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大牆上蒿行 - (2012/08/15 (水) 13:10:07) の編集履歴(バックアップ)




原文

出典:《楽府詩集(IA)(台湾)》

陽春無不長成,草木群類,隨大風起。零落苦何翩翩。
中心獨立一何煢,四時舍我驅馳,今我隱約欲何為。
人生居天壤間,忽如飛鳥棲枯枝,我今隱約欲何為。
適君身體所服,何不恣君口腹所嘗,冬被貂鼲温暖,夏當服綺羅輕涼。
行力自苦,我將欲何為?

不及君少壮之時,乗堅車,策肥馬良。
上有倉浪之天,今我難得久來視。
下有蠕蠕之地,今我難得久來履。
何不恣意遨遊。

従君所喜,帯我宝剣,今爾何為自低卬?
悲麗平壮観,白如積雪,利若秋霜。
駁犀標首,玉琢中央。
帝王所服,辟除凶殃。禦左右,奈何致福祥。
呉之辟閭,越之歩光,楚之龍泉,韓有墨陽,苗山之鋌,羊頭之鋼,知名前代,
咸自謂麗且美。
曾不知君剣良,綺難忘。

冠青雲之崔嵬,纖羅為纓,飾以翠翰,既美且輕。表容儀,俯仰垂光榮。
宋之章甫,齊之高冠,亦自謂美,蓋何足觀。

排金鋪,坐玉堂,風塵不起,天氣清涼。
奏桓瑟,舞趙倡,女娥長歌,聲協宮商,感心動耳,盪気迴腸。
酌桂酒,鱠鯉魴,與佳人期,為樂康。
前奉玉卮,為我行觴。
今日楽,不可忘,楽未央。
為楽常苦遅,歲月逝,忽若飛,何為自苦,使我心悲。


仮訳

春の陽射しに成長させないものはない。草木は類ごとに群れる。まにまに大いなる風起こる。
無力にも散る葉は、なんと軽やかに翻ることか。
独り立つ木の、なんと孤高なことか。時は散る葉のごとく、私を置き去りにして走り去る。
私は今はっきりと判らない。
人生は天壌の間に居り。すなわち飛鳥が、枯枝に棲むが如し。私は今、何を欲しているのか。

貴方は体に合った服を着ていながら、どうして食べたいままに食事を味わうことが出来ないと言うのか。
冬は暖かな毛皮を羽織り、夏は軽く涼しく美しい衣服を、身に着けているというのに。
貴方は何が苦しいのか。私は何をすれば良いのか。

貴方が少壯にも及ばないほど幼かった頃、馬車に乗り、良く育った馬にムチをあて旅してまわったあの日のように
上に大海原と蒼天が有っても、今の私は、長いあいだずっと視つづけることは難しい。
下に虫の群のたくる地が有っても、今の私は、長いあいだ留まって虫を履むことも難しい。
どうして意のままに、盛んに遊ばないのか。

貴方は喜んで、私の宝剣を帯びたのに、どうしてその様に起伏が激しいのか?
石の平らに敷きつめられた宮城を見渡せば壮観たること、雪が積もったように白く、秋霜が降りたように鋭い。
石獣が向かい合う合間を往けば、磨かれた玉は中央にまします。
帝王は己に服する領地の、凶殃(わざわい)を避け除く。
左右を制御し、状況を福祥にいたらせる。
呉の辟閭、越の歩光、楚の龍泉、韓に墨陽あり、苗山の鋌、羊頭の鋼、
前代より名を知られ、みな麗しく且つ美しい。
同様に貴方が持つ無銘の良剣も、綺麗で忘れがたい。

冠は青雲のなかにそびえ、細い薄地の絹織物を冠の紐となし、翠翰をもって飾り立て、はなはだ美しく軽やかだ。
表は容儀あいかない、貴方が周囲を見渡せば周囲は光栄に頭を垂れる。
宋の章甫、齊の高冠、また美しいもので、思うにどうして見足りることがあるだろう。

宮殿の門を解放し、殿堂に座すれば、風塵は起きず、天気は清涼たり。
桓の瑟を奏で、趙の倡は舞い、女娥が長歌し、聲の宮商に協し、心に感じ耳は動じ、気はとろけ腸を巡る。
桂き酒を酌し、鯉や魴を膾にし、佳人と期をさだめ、楽しく健康に生きる。
進んで玉杯を奉り、酒は注がれて私の元へと巡ってくる。
今日を楽しみ、忘れるな、楽しみはこれから。
常に楽しむ行為に早いと言う事はなく、歳月の逝くこと、忽ち飛ぶが如しというに、何ゆえ苦しみ、私の心をして悲しませるのか。


単語


【排金鋪】金鋪は金属で出来た、門の取っ手。排は押す。


コメント

●「大牆上蒿行」について(注意:編者は原文未確認)
王夫之《古詩評選》:“長句長篇,斯為開山第一祖。鮑照、李白領此宗風,遂為樂府獅象。”
(こりゃ長句長編の開祖だな。
宋の詩人である鮑照、詩仙の李白がこの作風から影響を受けている。楽府の金字塔をおっ立てやがった)

この作については、IAでは作者が明記されていないようで、偽作の可能性を考えられているのか?
問題の原本引用元:樂府詩集·卷三十八~卷四十一内、巻三十九(p37~。pdf注意)
台湾中央研究院では、魏文の作と明記されている。

古詩十九首と、東門行(古詩。宋書楽志-大曲)の影響があるか。

で、訳……革新的にすぎて、難しい。
全文を訳するにあたり、ネット検索の結果を複数突き合わせている(一つのみだと、一人の解釈に偏ってしまうため)。
ところがこの詩は、日中の各サイトによって解釈どころかシラブルの区切り方が違う、誤字(訂正した)などがあり、この照会作業に手間取った。

肝は栄華を極めながら悲しむ「君」と、君を慰める「主人公」の視点をどう解釈するか、か?
古代中国で「君」は相手を尊重する言い方なので、君は主人公と対等か上、かつ同年代か年下男性と判断したが、「君=年下」の前提からして間違っている気もする。
とりあえず仮訳として、現時点での我流解釈を記す。お手上げ。