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おまけ(曹丕) - (2011/08/15 (月) 15:11:02) の編集履歴(バックアップ)




原文

【其一】

堯任舜禹,當復何為。百獸率舞,鳳凰來儀。
得人則安,失之則危。唯賢知賢,人不易知。
歌以詠言,誠不易移。鳴條之役,萬舉必全。
明德通靈,降福自天。

【其二】

朝與佳人期,日夕殊不來。
嘉看不嘗,旨酒停杯。寄言飛鳥,告余不能。
俯折蘭英,仰結桂枝。佳人不在,結之何為。
從爾何所之,乃在大海隅。靈若道言,貽爾明珠。
企予望之,步立躊躕。佳人不來,何得斯須。

【其三】

泛泛綠池,中有浮萍。寄身流波,隨風靡傾。
芙蓉含芳,菡萏垂榮。朝采其實,夕佩其英。
采之遺誰,所思在庭。雙魚比目,鴛鴦交頸。
有美一人,婉如清揚。知音識曲,善為樂方。

其の一

堯は舜と禹を任じ これ以上何をする必要がある
百獣は群れて舞い 鳳皇は来たり儀をただす
人を得れば何をなすにも容易く 人を失わば危険がおとずれる
ただ賢人のみが賢人を知り 才は他人は知られにくい
歌を以て想いを詠言するも 誠実な行動に移すことは難しいけれど
鳴條の戦いのように 聖人の萬の行いは必す全うされる
明徳は霊に通じ 天はおのずと福を降らせる

其の二

朝に佳人と会うを期すも 夕方来ずに立ちつくす
嘉き肴も手をつけず 旨き酒杯をとどめる
飛鳥よ言葉を伝えよ 余は待ちきれぬと告げよ
俯いて蘭英を折り 仰ぎて桂枝を結ぶ
佳人在らざれば 枝を結ぶも何のため
君に従い赴けば 今頃は大海の隅にいて
海神霊若と道術を語り 明珠を貰っていたのだろう
首背を伸ばしてこれを望み 立ちあるいて躊躇する
佳人来たらず どうして私は暇なのか

其の三

広々たる緑池の 水中に浮草あり
流れる波に身を寄せ 風に随いなびき傾く
芙蓉は芳しきを含み 蓮華は栄を垂る
朝にその実を採り 夕に其の英を佩びる
採ったら誰に贈るか 思ふ所は庭に在り
雙魚は目を比し 鴛鴦は頸を交える
美しきひとり有り 婉如にして清揚
音を知り曲を解し 善く音楽の則を修める


単語

【鳴條之役】
 殷の湯王が夏の桀王を破って新王朝をひらいた戦

【佳人】
 直訳すれば「よき人」だが、具体的に誰をさすかは諸説あり。
 思いを寄せる美女か、覇道を手助けする賢人か。

【折蘭英】
 中国では、蘭、梅、竹、菊とあわせて「四君子」と呼ぶ。
 蘭英がいわゆる「蘭」か、秋の七草の一つである「蘭草(フジバカマ)」か、どっちなのかは不明。
 屈原の「楚辞-離騷-九歌」に『結幽蘭而延佇』『結桂枝兮延佇』とあるので、いずれにせよ柳の枝と同じシチュエーションだと思われ。

【結桂枝】
 古代中国の風習に、別れるとき無事に行って戻るよう、送る者と送られる者が柳の枝を持って、枝と枝を結び合わせ輪にするというものがあった。
 日本でも、茶道や華道の世界では有名。「柳の枝を結ぶ」でgoogle検索すればおk。


コメント


 ポイントは、佳人が来ないためにゆれ動く作者の心情。

 相和歌·清調曲に属する。
 朱乾《樂府正義》ではこの詩を『魏文思賢之詩』と記している。

 維基文庫では其三は、本当に秋胡行其の三扱いかどうか、異論がある?模様。

 ついでに言うと「秋胡行」は、昔、魯の国に秋胡という人物がおり、その妻の逸話にちなんで作られる漢詩。
 曹操、曹丕はもちろん、曹植も「秋胡行」という題で漢詩を詠んだらしい(原文は見つからない)。
 ……が、親子そろって原典の無視っぷりがひどいため、後世で突っ込まれている。

 《廣題》:“曹植《秋胡行》,但歌魏德,而不取秋胡事,與文帝之辭同也。
 (曹植の秋胡行だけどさ、魏の事ばっか詠ってて、秋胡の逸話はちっとも取り上げてねーぞ。文帝の秋胡行も同じだゴルァ)