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登楼賦(王粲) - (2011/10/02 (日) 11:47:01) の編集履歴(バックアップ)


出典
昭明文選返り点つき引用元


本文

登茲樓以四望兮,聊暇日以銷憂。
覽斯宇之所處兮,實顯敞而寡仇。
挾清漳之通浦兮,倚曲沮之長洲。
背墳衍之廣陸兮,臨皋隰之沃流。
北彌陶牧,西接昭丘。
華實蔽野,黍稷盈疇。
雖信美而非吾土兮,曾何足以少留?

遭紛濁而遷逝兮,漫踰紀以迄今。
情眷眷而懷歸兮,孰憂思之可任?
憑軒檻以遙望兮,向北風而開襟。
平原遠而極目兮,蔽荊山之高岑。
路逶迤而脩迥兮,川既漾而濟深。
悲舊鄉之壅隔兮,涕橫墜而弗禁。
昔尼父之在陳兮,有歸歟之歎音。
鍾儀幽而楚奏兮,莊舄顯而越吟。
人情同於懷土兮,豈窮達而異心?

惟日月之逾邁兮,俟河清其未極。
冀王道之一平兮,假高衢而騁力。
懼匏瓜之徒懸兮,畏井渫之莫食。
步棲遲以徙倚兮,白日忽其將匿。
風蕭瑟而並興兮,天慘慘而無色。
獸狂顧以求群兮,鳥相鳴而舉翼。
原野闃其無人兮,征夫行而未息。
心悽愴以感發兮,意忉怛而憯惻。
循堦除而下降兮,氣交憤於胸臆。
夜參半而不寐兮,悵盤桓以反側。

この楼に登って四方を望み、しばし休日を過ごすことで憂いを溶かそう。
楼から見える景色は、実に高く広々としていて比べるものもない。
清らかな漳河の河口を挟み、曲がりくねった沮河の中洲による。
広々とした丘陵を背に、水辺の低湿地で用水の流れを臨む。
北に陶朱公の墓は弥く、西は昭王の丘に接する。
花実は野を覆い隠し、黍稷は田畑に満ちる。
確かに美しくはあるが私の故郷ではない、私がこれ以上滞在する価値はあるのか。

戦乱に遭い逃げては帰ることを繰り返し、今まであてもなく(十年以上もの)時を渡り歩いてきた。
ただただ望郷の情はつのるばかり、誰がこの現状を受け入れられると言うのか。
軒檻にもたれて遥望し、北風に向かって襟を開く。
北の平原は遠く見渡そうとしても、荊山の小高い峰に覆い隠されている。
曲がりくねった道路は果てなく続き、川は既に溢れて渡るには深すぎる。
旧郷と断絶されたこの悲しみよ、涙は横に墜ちて止まらない。
昔日、尼父が陳国に在った時、帰ろうと歎音が有った。
鍾儀は幽閉されてなお楚楽を奏で、荘舄は顕れて越の曲を吟じた。
人情は同じく郷土を懐かしむ、貧賤や富貴を極めようと心変わりすることはない。

日月の過ぎ去るを思い、河清を待てども(水の色は)今だに定まらない。
望みはただ王道のもと大陸が一つとなり、天道を借りて我らの才を騁せること。
苦瓜がつるにぶら下がったまま腐るのを恐れ、洗われた井戸が人に使われないことを畏れる。
心ここにあらず楼上を漫然とうろつけば、白日がにわかに隠れようとする。
樹林を吹き抜ける風は四方八方から吹き付け、天は惨惨暗澹として色も無い。
獣は狂顧して群れを求め、鳥は相鳴き翼を挙げる。
原野は静寂にして人無く、征夫は行ったきり未だ(家に帰り着き)息をつくこともない。
悽愴たる周囲の景観に心も沈み、(先ほどまで上がっていた)意気も落胆して悲しみに心が痛む。
階の下るままに楼を降り、胸中の怒りは発散できずにわだかまっている。
夜中まで眠ることもできず、あちこち揺れ動く心を恨みつつ寝返りを打つ。


単語の意味


【銷憂】憂いを溶かす。「銷」≒意気消沈の「消」
【斯宇之所處】楼の置かれた環境。空間
【敞】高い、ひろびろ【寡仇】比類なし
【清漳】漳河。【通浦】川辺の流れ。
【沮水】沮河。【墳衍】丘と平地?周辺より高い丘陵。
【皐隰】水辺の低湿地。解説では楼南市周辺。
【沃流】灌溉の水流。畑に引かれた人工の流れ。

【北弥陶牧】弥は久しく、遠く。一度行ったきりで久しく行っていないとか。
 陶は范レイ。陶朱公。春秋五覇の一、越の名臣。呉を滅ぼした人物。wiki
 上記の中国語による解説では、「湖北江陵の西には、陶朱公の墓があり、古くは陶牧と称した」

【昭丘】春秋時代の楚昭王の墓。湖北省当陽県の東南。
《荊州記》晋の盛弘之、あるいは李善注引《荊州図記》“当陽東南七十里,有楚昭王墓,登楼即見,所謂昭丘。”

【黍稷】モチキビとウルチキビ。転じて、五穀。

【紛濁】紛糾、汚濁。混乱した乱世のたとえ。
【眷眷】しきりに心がひかれる。ひたすら慕う
【孰】漢詩で言う「何」に近い。何か。いずれか、誰か
【任】受け入れる。「可任」で、受け入れることが出来る。
【極目】目の届く限り、見渡す限り
【逶迤】委蛇。湾曲した道路、山脈、河川がうねうね続く。
【脩迥】長遠。果てしなく遠い。
【漾】こぼれる、溢れる。
【濟】渡る。

【昔尼父之~之歎音】尼父は孔子。
 《論語•公冶長第五》子在陳曰。歸與歸與。吾黨之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之。
 孔子さまは陳国で言ったよ「帰ろう帰ろう、村の若者たちは志が大きく美しい模様を織るが、どう裁断したらよいか判ってない」

【鍾儀幽而楚奏兮】
 《左伝•成公九年》。楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていた。
 晋侯が彼に琴をひかせ、『楽操土風,不忘旧也(旧き楚の気風を忘れていない)』と歎じた。
 このことから、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人を、『楚囚』と呼ぶ。

【莊舄顯而越吟】
 莊舄は戦国時代の越の人。楚で高位についてなお越の楽曲を吟唱した。故国を忘れないことを形容する。
 史記第70卷の張儀列伝中、秦惠王と陳軫との会話で取り上げられている。
越人莊舄仕楚執珪,有頃而病。楚王曰:『舄故越之鄙細人也,今仕楚執珪,貴富矣,亦思越不?』中謝對曰:『凡人之思故,在其病也。彼思越則越聲,不思越則楚聲。』使人往聽之,猶尚越聲也。
(越人莊舄は楚に仕え、執珪(という地位)についたが、病についた。
楚王『莊舄は越人とはいえ,今は楚で働いている。富貴をきわめ、なのに越を思うのか?』
中謝『人はみな故郷を思うと,病となります。彼が越を思っていれば越の声,越を思っていなければ楚の声を出すでしょう』
使いを出し聞かせると,やはり越の声だった)

【窮達】困窮と栄達。貧賤(ひんせん)と富貴。

【逾邁】過ぎ去る。飛ぶが如し。
【河清】常に黄色く濁った黄河の水が澄む。天下が治まる吉兆。
【冀】希望
【王道之一平】国家の安定。統一。
【假】借りる【高衢】天道【骋力】力を馳せる。自分の才を使いこなしてくれ。

【匏瓜】苦瓜。以下の逸話から、「在野」を意味することも。
 《論語 陽貨篇》:吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食
 私がどうして苦瓜になることができるだろうか。蔓に吊るされたままで、人に食べられずにいられるだろうか。
 苦瓜こと在野であり続けるのは困るという例え。
【畏井渫之莫食】綺麗すぎる井戸を恐れ、水を汲んで飲用に使う人がいないこと。清廉潔白すぎるのも却って良くないことの例え。
 《周易·井卦》:“井渫不食,为我心恻。” 洗われた井戸は食に使われず、私の心に恐れが発生した。

【棲遲】ゆっくりと心静かに。
【徙倚】少し動いては立ち止まり、うろうろとする。
【匿】隠れる。
【狂顧】狂ったように慌しく眺め回す
【闃】静寂。
【忉怛・憯惻】両方とも悲痛の意味合いがある。
【循】より。従い。
【階除】階段。
【盤桓】うろうろと歩き回る。先に進まずにとどまる。
【反側】寝返りを打つ。


コメント


 上記の中国語による解説では、この詩における「楼」は、麦城 を指すと解釈している? (GoogleMap)だとこの近くか。縮尺を広域に広げれば、左に麦城村とか麦城堤とかあると思う。
 而、以、之、兮といった区切り、左右の対比。才への抱負と不遇、故郷への思慕、寄る辺なき放浪者の心境。

 深読みするなら、呉を滅ぼした越が遠く、呉に滅ぼされかけた楚昭王を近いと読んでいる。
 当時の荊州では曹操より、黄祖を倒した孫氏を、脅威と捉えていた可能性がある。それで曹操に降伏したと。