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漢詩大会の漢詩全文/詩経 - (2013/04/01 (月) 22:10:29) の編集履歴(バックアップ)


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解説

維基文庫版 / 近代デジタルライブラリー版(例1)/(例2

 詩経は、中国最古の詩篇。いくつもの詩を集めて、ジャンルごとに分けたもの。三国時代では、卿・大夫・士の必修教養だった。
「之什」「の章」。
 大雅は(周の)文王之什、(殷の)湯王之什、生民之什の3部からなる。
 小雅は、詩経の中の作品で、為政の乱れを嘆いたもの。

 構成がシンプルなので、原文を眺めているだけでも、漢字がわかれば意味も何となく解ると思われ。

 ここで使用している資料が近デジの朱子注版なので、解説も朱子寄りかと思います。ご了承ください。


「文王之什(大雅)」


  • ''原文 文王之什''
長いので、リンク先参照維基文庫版近代デジタルライブラリー版

  • ''訳 文王之什''

文王は、受命によりて周を作るなり。
  • 詩文
我らの上にまします文王よ、その徳は天にも昭らかなもの。
周は旧き国といえど、天命により維新を迎えるものであります。
周は有れど衆目に顕れるものではありませんが、天帝の命は必要な時にいつでも下されます。
文王が生身にて天地を行来なさるから、天帝の意思もまた(文王の)左右に在るのです。

(朱熹集註版一部訳)
我らの上にまします文王よ、その徳は天にも昭らかなもの。
周は旧き国といえど、天命により維れ新たなり。
有周はつねに明らかで、帝命はつねに正しい時に下される。
文王は生身にて天地を行来し、ゆえに天帝の威徳も地上の隅々に行き渡る。

神霊が神梯を降ることを「降」といい、 天上に陟り降りすることを「陟降(ちょくこう)」という。


「蓼莪(小雅-谷風之什)」

詩経-小雅-谷風之什(近デジ
  • 原文
毛詩序:「《蓼莪》、刺幽王也。民人勞苦、孝子不得終養爾。」
蓼蓼者莪、匪莪伊蒿。哀哀父母、生我劬勞。
蓼蓼者莪、匪莪伊蔚。哀哀父母、生我勞瘁。
缾之罄矣、維罍之恥。鮮民之生、不如死之久矣。
無父何怙、無母何恃。出則銜恤、入則靡至。
父兮生我、母兮鞠我,拊我、畜我、長我、育我、
顧我、復我、出入腹我。欲報之德、昊天罔極。
南山烈烈、飄風發發。 民莫不穀、我獨何害。
南山律律、飄風弗弗。 民莫不穀、我獨不卒。

蓼蓼たる莪と思えば、莪にあらず蒿となる。哀哀たり我が父母、我を生み劬勞す。
蓼蓼たる莪と思えば、莪にあらず蔚となる。哀哀たり我が父母、我を生み勞瘁す。
空の花瓶は、これ瓶の恥。鮮民の生など、死ねず久しく在りたいとは思わない。
父を無くして何を怙(たの)む?母を無くして何を頼る? 家を出でればすぐ悲しみに満ち、入っても家はからっぽのまま。
父は我を生み,母は我を育て,我をたたき、我を養い、我を長じしめ、我を教育し、
我を顧み、我に答え、家を出入するたび、我を懐に抱く。父母の恩德に報いたいと欲しても、曇り空に果てはなく
南山は烈烈と激しく。さまよえる風は發發と発生し。民に集わぬものは居らぬのに、私は独り落ち着けず。
南山は律律と激しく。さまよえる風は弗弗と沸く。民に集わぬものは居らぬのに、私はこの世で独りぼっち!

【蒿】成長しきってしまったアザミ。蔚も鬱蒼と茂った植物の状態。【罄】空の器
ぶっちゃけ、こういう心境を読んだ漢詩↓
__ 
 父 |
 母 |
 墓 |  ∴  ('A`) トーチャンカーチャン..........
──┐ ∀  << )


「蓼蕭(小雅-南有嘉魚之什)」

  • 原文
毛詩序:「《蓼蕭》,澤及四海也。」

蓼彼蕭斯,零露湑兮。既見君子,我心寫兮。燕笑語兮,是以有譽處兮。
蓼彼蕭斯,零露瀼瀼。既見君子,為龍為光。其德不爽,壽考不忘。
蓼彼蕭斯,零露泥泥。既見君子,孔燕豈弟。宜兄宜弟,令德壽豈。
蓼彼蕭斯,零露濃濃。既見君子,鞗革忡忡。和鸞雝雝,萬福攸同。

蓼(おいしげ)る彼の蕭(よもぎ)から、露がこぼれ滴りおちる。既に君子を見れば、貴方の気持ちが私にも写ってくる。貴方と楽しく語らえば、あまりの楽しさに私も嬉しくなる。
蓼る彼の蕭から、露がこぼれ泥水となる。既に君子を見れば、竜の徳となり光となる。その徳に背かず、命の終わりまで忘れはしない。
蓼る彼の蕭から、露がこぼれ地面はどろどろ。既に君子を見れば、はなはだしく安らぐこと弟となったよう。良き兄となり良き弟となり、ともに長き生を樂しもう。
蓼る彼の蕭から、こぼれる露は濃密さを増す。さらに君子に近づきたいが、悲しくも馬轡がぶつかり進めない。彼方から響く車駕の鈴音が私の憂いを和らげる、そこは万の福が集まるところ。

【龍】《毛傅》「龍は寵なり」。次の「其德」と繋がり、「いつくしむ」「寵愛」の意をもつとする。
【壽考】寿命、「考」は老人
【孔】はなはだ
【鞗革】馬の轡から垂れる革ひも。
【忡忡】憂い悲しむという意。沖沖とする文もある。
もし「沖沖」が正しいならば、意味は「馬の轡が地に満ち並ぶ。人々を和らげる車駕の鈴は、万の福が集まるところ」みたいな感じか。
【和鸞】車駕(君主の馬車)の鈴
【雝雝】やわらぐ

ヨモギを「君主の顔」、露を「君主が放つ威徳の例え」とする解釈もある(朱熹集註)。
 「萬福攸同」は、中華圏では時々焼き物の文様として使われたりする。


「何草不黄(小雅-魚藻之什)」

  • 原文
何草不黃、何日不行。何人不將、經營四方。
何草不玄、何人不矜。哀我征夫、獨為匪民。
匪兕匪虎、率彼曠野。哀我征夫、朝夕不暇。
有芃者狐、率彼幽草。有棧之車、行彼周道。

何れの草か黃ならざらん、何れの日か行かざらんや。何れの人か將かざらん、四方を経営す。
何れの草か玄ならざらん、何れの人か矜れまんや。哀し我が征夫、獨り民に匪(あらず)と為され。
兕にあらず虎にあらず、彼の曠野をめぐる。哀し我が征夫、朝夕の暇あらず。
芃たる者狐あり、彼の幽草にめぐる。棧之車あり、彼の周道を行く。

  • コメント
仕事にかり出され大道を行く人と、荒野を自由にさすらう狐の対比。

【将】また行く 【經營四方】四方の事業をはかりいとなむ 【玄】赤黒い  【矜】あわれ  【率】循  【曠】広、空
【芃】ほう、尾長の意か 【棧】役、公用、仕事用の車 【周道】朱子は「大道」とする。古代では大道とは限らない。


「無衣(国風-秦風)」

  • 原文
豈曰無衣、與子同袍、王于興師、脩我戈矛、與子同仇
豈曰無衣、與子同襗、王于興師、脩我矛戟、與子偕作
豈曰無衣、與子同裳、王于興師、脩我甲兵、與子偕行

どうして衣がないものか、君と同じ袍をまとい、王が兵を興せば、我も矛戈を整え、貴方と同じ仇を打とう
どうして衣がないものか、君と同じ袴をはき、王が兵を興せば、我も矛戟を構え、貴方と同じように戦おう
どうして衣がないものか、君と同じ裳を着て、王が兵を興せば、我も鎧兵を着込み、貴方と道を共にしよう

【袍、襗、裳】
袍は上着(コートとか)、襗は內衣、裳はズボンみたいなもの。


「風雨(国風-鄭風)」

  • 原文
毛詩序:「《風雨》,思君子也。乱世則思君子,不改其度焉。」
風雨
風雨淒淒,雞鳴喈喈。既見君子,云胡不夷。
風雨瀟瀟,雞鳴膠膠。既見君子,云胡不瘳。
風雨如晦,雞鳴不已。既見君子,云胡不喜。

風雨は冷え冷えともの寂しく、鶏は鳴きつづける。でも私は貴方を見て、穏やかな気持ちになる。
風雨が激しく吹き荒れ、鶏は巣に篭ったきり。でも私は貴方を見て、巣からも飛び出さずにおれない。
空は月無き夜のよう、鶏はいまた鳴きやまず。でも私は貴方を見て、喜ばずにはおれない。


「雄雉(国風-邶(ハイ)風))」


  • 原文
(毛詩序:「《雄雉》,刺衞宣公也。淫亂不恤國事,軍旅數起,大夫久役,男女怨曠,國人患之而作是詩。」)

雄雉于飛,泄泄其羽。我之懷矣,自詒伊阻。
雄雉于飛,下上其音。展矣君子,實勞我心。
瞻彼日月,悠悠我思。道之云遠,曷云能來。
百爾君子,不知德行。不忮不求,何用不臧。

(毛さんがまとめた《詩経》によると「『雄雉』は、衞の宣公を風刺したものです。宣公は淫乱で国力も考えず、軍の出兵ばかり命じ、大夫の役は久しく家に帰れず、男女の恨みつらみをかっていた。國の人がこれを憂い作った詩です」)

 雄雉は雌に向かって一直線。其の羽音がしきりに響く。私は悩む、いっそ伊尹の逸話に習おうか。
 雄雉は雌に向かって一直線。其の羽音が上下に響く。君主のありさまは、実に私の心を煩わせる。
 かの日月を顧みて、私はとりとめもなく考える。道は遠くからここまで繋がるのに、旅立った人はいつ帰る?
 百の君子、徳行を知らず。害を与えず求めもせねば、どうして善くないことが起こるものか。

  • 解説
解説論文P132参照
 『伊阻』は『伊尹の悩み』。伊尹は放蕩におぼれた若君を宮殿から追放し、数年後に名君として戻った若君に再び仕えたとされる。
 『不忮不求,何用不臧』は、孔子の弟子の子路がよく口ずさんでいたことで有名(《論語》子罕第九 28)。


おまけ/「子衿(國風-鄭風)」

  • 原文
青青子衿、悠悠我心。縱我不往、子寧不嗣音。
青青子佩、悠悠我思。縱我不往、子寧不來。
挑兮達兮、在城闕兮。一日不見、如三月兮。
青青たる君の衿、悠悠たる我が心。たとえ私が往かずとも、君はどうして音を寄せぬのか
青青たる君の佩、悠悠たる我が思い。たとえ私が往かずとも、君はどうして来ないのか
迷子のように行っては戻り、宮殿に座して待つ。君を一日見なければ、三月は会わなかったような気持ちになる。

+ 単語解説
【青青】学生、特定の地位、若者。礼記?の「父母在れば衣の縁に青を用いると」から。
当時は春正月に、青い服をきた少年が、村の東門で祭る儀式もあったとか色々。
【嗣音】音をつぐ、ため息をつくとも
【佩】佩玉。帯につける玉。腰に帯びる玉飾りと青い組みひも、礼記?「青玉を佩びず」
【挑達】往来して会いまみえるさま。もしくは飛び跳ねるさま
【城闕】宮城。城門の楼閣で、男女の密会する場所だともいう。

解説書により、解釈の内容も違う。
  • 風俗が乱れ、学校を廃したことを批判したもの。乱世で学校が廃止されたため、青年たちは学校に行かず、ただ好んで城門に上り、遠くを望むことを楽しんだ。
たとえ乱世であっても、昔の友情を忘れるな、という内容。
  • 男を待ち焦がれる少女を詠んだ詩。

このへんについては、解説書から引用。
子夏は学がすたれた事を風刺するものと解釈し、朱子は男が来ないことを怨む女の詩と説いた。
いずれにせよ、世が乱れ学も廃れた為、人倫もますます乱れたのだろう。



おまけ/「鹿鳴(小雅-鹿鳴之什)」

  • 原文
呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。
吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我周行。

呦呦鹿鳴,食野之蒿。我有嘉賓,德音孔昭。
視民不恌,君子是則是傚。我有旨酒,嘉賓式燕以敖。

呦呦鹿鳴,食野之芩。我有嘉賓,鼓瑟鼓琴。
鼓瑟鼓琴,和樂且湛。我有旨酒,以燕樂嘉賓之心。

呦呦と鹿は鳴き、野の苹を食す。我に嘉賓あり、瑟をたたこう笙を吹こう。
笙を吹き簧をたたき,筐(はこ)を承けて是を將す。人これ我を好み、我に周行を示す。

呦呦と鹿は鳴き、野の蒿を食す。我に嘉賓あり、德音はなはだ昭らかに。
民を視ること恌(こころ薄)からず、君子は法則にして傚(なら)うものであり。我に旨き酒有り、嘉賓は作法に従い安らぎ敖しむ。

呦呦と鹿は鳴き、野の芩を食す。我に嘉賓あり、瑟を弾こう琴を鳴らそう。
瑟を弾き琴を鳴らし、和樂して且つ親密は深まる。我に旨き酒有り、以って嘉賓の心を燕樂せん。

関連:
短歌行(曹操)
鹿鳴館(wiki)


おまけ/「北山(小雅-谷風之什)」

  • 原文
陟彼北山,言采其杞。偕偕士子,朝夕從事。王事靡盬,憂我父母。
溥天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王臣。大夫不均,我從事獨賢。
四牡彭彭,王事傍傍。嘉我未老,鮮我方將,旅力方剛,經營四方。

或燕燕居息,或盡瘁事國,或息偃在牀,或不已于行。
或不知叫號,或慘慘劬勞,或栖遲偃仰,或王事鞅掌。
或湛樂飲酒,或慘慘畏咎,或出入風議,或靡事不為。

彼の北山に陟りて,言に其の杞を採る。強壮な容貌の役人たちが,朝夕事に従っている。王事盬(もろき)こと靡(な)し,ただ我父母を憂える。
溥(おおいなる)天の下,王土に非ざるは莫く,率土の濱(はて),王臣に非ざるは莫く。大夫均(ひとし)からず,我、事に從いて獨り賢とす。
四牡は息をつくひまもなく,王事は止まることなく。我が老いざるを嘉(よみ)し,我方に將(さかん)なるを鮮(すくな)しとす,膂力、方(にじゅう)に剛はし,四方を経営す。

時には安息のため息、時にはひとり気を揉みつつお仕事、時には突っ伏して神様にお祈り、時には路上を止まることなく突っ走る。
時にはこころ静かに、時にはみじめにも苦労して働き、時には仕事を離れ眠りにつき、時には緊急事件に顔色をうしなう。
時には湛楽の酒を飲み,時にはガクブルして冤罪を恐れ,時には自由に出入りし,或いは何一つ出来ることも無し。

+ 単語解説
【言采其杞】
杞の字が、台湾(毛詩)だと「鳏(「魚衆」みたいな字で、大魚、男やもめ。「鳏夫」で妻を亡くし再婚していない夫の意)」。
北山で妻を失ったのか、北山に妻が眠っているのか。
「杞」はというと、「くこの実」という意味の他に、孔子が夏王朝の礼を学んだ「杞国」「杞国の礼」という意味もある
(論語第三篇、礼記-中庸など)。「孟子(萬章章句)」にこの詩経「北山」についての話がある。
これらの逸話に基づき、のちの儒家が、本来の詩経を改変した可能性あり。
【偕偕】強壮な容貌。いかつい顔。
【王事靡盬】王事は堅固で敗れない。また、そのようにあらねばならない。
【嘉】良しとする
【或息偃在牀】牀が、台湾だと「祷」。字だけだと、祈りや切望の意になるはず。これも儒による改変か?
祈りのほうが、同じ文章が重ならない分、自然な気がする。
【或栖遲偃仰】栖が、台湾だと「棲」。字義は栖、棲ともに同じ。
【栖遲】世俗を離れ、官を退き、ゆっくりと心静かに田園に住むこと。
【旅】衆、古代の軍単位(五百人=一旅)などあるが、ここでは膂(膂力)。
【風議】恣意。ほしいままに出入りし。

国は堅固でなきゃいかんし、親も心配なんだが、同じ職場の同僚でも、仕事が同じとは限らない。
専門家が他にいないもんだから、おいらは安寧の日もなく、緊急事態に対処するのに忙しい。

ぶっちゃけリーマンの描写。



おまけ/「東山(国風-豳風)」

  • 原文
毛詩序:「《東山》,周公東征也。周公東征,三年而歸,勞歸士大夫美之,故作是詩也。一章言其完也,二章言其思也,三章言其室家之望女也,四章樂男女之得及時也。
君子之於人,序其情而閔其勞,所以説也。説以使民,民忘其死,其唯東山乎。」

我徂東山,慆慆不歸。我来自東,零雨其濛。我東曰歸,我心西悲。
制彼裳衣,勿士行枚。蜎蜎者蠋,烝在桑野。敦彼獨宿,亦在車下。

我徂東山,慆慆不歸。我来自東,零雨其濛。果臝之實,亦施于宇。
伊威在室,蠨蛸在戸。町畽鹿場,熠燿宵行。不可畏也,伊可懷也。

我徂東山,慆慆不歸。我来自東,零雨其濛。鸛鳴于垤,婦歎于室。
灑埽穹窒,我征聿至。有敦瓜苦,烝在栗薪。自我不見,于今三年。

我徂東山,慆慆不歸。我来自東,零雨其濛。倉庚于飛,熠燿其羽。
之子于歸,皇駁其馬。親結其縭,九十其儀。其新孔嘉,其舊如之何?

  • アンチョコ片手に意訳
序:《東山》は、周公の東征をさす。周公が東征し、3年かかって管叔武庚を討伐し、帰った。将、兵士らの苦労をいたわり、ためにこの詩を作った。
一章目は任務が完了したことを言い、二章目はその思うところを言い、三章目は家の一室でひとり待ち焦がれる女を言い、四章目は新郎新婦の結婚を言うものなり。
君子は人にたいし、情けをかけ、民の苦労を憐れみ。思いを説く。この説話をもって民を使い、民は死の恐怖を忘れて働いた。その詩は、ただ東山と呼ばれた。

我、東山に出征しては。長く久しき間、帰ることも出来ず。我、東から帰り来ようとすれば。冷たい霧雨に道すがら苦しむ。
我「東より歸らん」と言い。心は、既に西のふるさとを思い悲しむ。既に甲冑を脱ぎ捨て、平時の衣服を身につける。
うごめく蚕は。桑野に群れてあれども。ひとり男は、孤独な夜を。兵車の下に宿りて過ごす。

我、東山に出征しては。長く久しき間、帰ることも出来ず。我、東から帰り来ようとすれば。冷たい霧雨に道すがら苦しむ。
からすうりの実は。また軒下を覆いつくしているか。とこむしは、主無き部屋にすまい。あしだか蜘蛛は、戸に網をかけているか。
家のかたわらの空き地は、野鹿の遊び場となり。夜には蛍がまたたき遊んでいるだろう。我が家、いかに荒れてあるか。されど我が家を切に懐かしむ。

我、東山に出征しては。長く久しき間、帰ることも出来ず。我、東から帰り来ようとすれば。冷たい霧雨に道すがら苦しむ。
おおとり、雨を感じては土塚に鳴き。妻は家の一室に泣き。荒れ果てた夫の部屋を払いすすぐ。我往きて、ついに我が家に帰り着く。
苦瓜の実ひとつがぽつんと。栗の木の薪の上になっている。私が見なくなってから。もう三年たったのか。

我、東山に出征しては。長く久しき間、帰ることも出来ず。我、東から帰り来ようとすれば。冷たい霧雨に道すがら苦しむ。
(雨も上がり)ウグイスの飛ぶ季節。羽の色も鮮やかに。嫁いでいく新婦。見目麗しき馬に馬車をひかせる。
嫁ぐ娘の衣装を、母が直す。その儀式を9、10回と行う。祝言は喜ばしいもの。ましてや帰り来た兵と、待ち焦がれた妻とでは、いかほどか?

+ 単語解説
【慆慆】長久
【零雨】こさめ
【濛】霧雨薄暗く降り込める。
【裳衣】常に着る衣服。平服。
【士行枚】諸説あり。いずれにせよ、戦闘態勢をあらわすもの。本文では士行枚なかれ、で戦闘態勢を解くという意味。
行は陣。枚は、ものを言わずに戦うため、箸のようなものを口にふくみ、箸の両端から伸ばしたひもを頭のうしろ、首あたりで結びつけたものらしい。
【蜎蜎】虫のうごめくさま。
【蠋】かいこが桑をバリバリ食う様
【果臝】からすうりか
【伊威】虫の一種
【蠨蛸】アシダカグモ軍曹
【町畽】町外れの広場
【熠燿】光がさかんに瞬く。
【鸛】鴻。おおとり。
【倉庚】うぐいす。当時はこの時期が、結婚の季節だった。
【熠燿】鮮やかに輝かせる。
【之子】新婦。
【皇駁】美しい馬の毛色をさす。皇は黄毛に白いところがあるさま。駁は栗毛に白いところがあるさま。
【親結其縭】縭は、古代、妻が嫁ぐとき身に着けた佩巾。腰に佩びるきれ。

細かい解説は、近デジを見たほうがいいかもしれない。

関連:
苦寒行(曹操)

おまけ/「野有蔓草(国風-鄭風)」

  • 原文
毛詩序:「《野有蔓草》,思遇時也。君之澤不下流,民窮於兵革,男女失時,思不期而會焉。」

野有蔓草。零露漙兮。有美一人,清揚婉兮。邂逅相遇,適我願兮。
野有蔓草。零露瀼瀼。有美一人,婉如清揚。邂逅相遇,與子偕臧。

「《野有蔓草》は、会う時を思い出して作ったものである。君主の徳が下々へ行き渡らず、民は戦乱に困窮している。男女は時を失い、期せずして会うものなり」

野に、つる草あり。露が溢れんばかり。美しい一人あり。身も心も清らかで。巡り会えたならば。我が望みに適するだろう。
野に、つる草あり。露が一面を覆う。美しい一人あり。身も心も清らかで。巡り会えたならば。互いが互いに満足するだろう。

【揚】眉と目の間を言うとも

戦乱で人々の心がすさむ中、時を決めずにいつでも遭おうとする男女の歌。具体的な内容は色々な解釈があって不明。
ここでの「時」が、出会いの時なのか、結婚のタイミングなのか、婚姻適齢期なのか、
孔子様が鄭の詩を淫乱と評価しているためか「男女の淫奔を詠ったもの」とも言い、あるいは「乱れた世の中で、良い人物同士が巡り会えた喜びを示すもの」とも言う。
曹丕の詩とからめて考えるなら、後者だろうね。