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漢詩大会の漢詩全文/王粲・阮籍・孔融 - (2011/08/07 (日) 09:48:22) のソース

//目を傷めているので、日本語訳のペースが落ちる。
//原文だけコピペしておく。

#contents(fromhere=true)

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*王粲
[[維基文庫 王粲作品の項>http://zh.wikisource.org/wiki/%E4%BD%9C%E8%80%85:%E7%8E%8B%E7%B2%B2]]

 荊州にいたせいか、楚辞にみられる江南の気風が混じっている。

 曹操は「(詩の形式で)海を最初に詠んだ」、曹丕は「完全な七言詩を詠んだ」と言われるが、こうした詩風の原型は、既に楚辞などに見られる。
 曹操は、曹休の祖父など、同じ曹氏に江南ゆかりの人物がいる。
 さらに王粲だけでなく、元会稽太守の王朗も受け入れている。
 江南の気風を知る名士は、中原の詩風にも大きな影響を与えただろう。

 曹操や曹丕の功績は、単に新しい方法を生み出したというより、こうした人材を登用し、それまで低く見られていた江南文化を評価し、中原文化を融合させたことにあるという見方も出来る。

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**「登楼賦」
[[中国語版質問サイトでの解説>http://wenhua.youth.cn/wx/gdwx/201002/t20100221_1154839.htm]]
[[返り点つき引用元>http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/895905/2]]

***本文
登茲樓以四望兮,聊暇日以銷憂。
覽斯宇之所處兮,實顯敞而寡仇。
挾清漳之通浦兮,倚曲沮之長洲。
背墳衍之廣陸兮,臨皋隰之沃流。
北彌陶牧,西接昭丘。
華實蔽野,黍稷盈疇。
雖信美而非吾土兮,曾何足以少留?

遭紛濁而遷逝兮,漫踰紀以迄今。
情眷眷而懷歸兮,孰憂思之可任?
憑軒檻以遙望兮,向北風而開襟。
平原遠而極目兮,蔽荊山之高岑。
路逶迤而脩迥兮,川既漾而濟深。
悲舊鄉之壅隔兮,涕橫墜而弗禁。
昔尼父之在陳兮,有歸歟之歎音。
鍾儀幽而楚奏兮,莊舄顯而越吟。
人情同於懷土兮,豈窮達而異心?

惟日月之逾邁兮,俟河清其未極。
冀王道之一平兮,假高衢而騁力。
懼匏瓜之徒懸兮,畏井渫之莫食。
步棲遲以徙倚兮,白日忽其將匿。
風蕭瑟而並興兮,天慘慘而無色。
獸狂顧以求群兮,鳥相鳴而舉翼。
原野闃其無人兮,征夫行而未息。
心悽愴以感發兮,意忉怛而憯惻。
循堦除而下降兮,氣交憤於胸臆。
夜參半而不寐兮,悵盤桓以反側。

***単語の意味
【兹】この【聊】いささか【暇日】ひまな日。休日。【銷憂】憂いを溶かす。「銷」≒意気消沈の「消」
【斯宇之所處】楼の置かれた環境。空間【敞】高い、ひろびろ【寡仇】比類なし
【清漳】漳河。【通浦】川辺の流れ。【沮水】沮河。【長洲】川の中の陸地。中州?
【墳】うず高く【衍】広がる、【墳衍】丘と平地?周辺より高い丘陵。
【皐隰】水辺の低湿地。解説では楼南市周辺。【沃流】灌溉の水流。畑に引かれた人工の流れ。
【北弥陶牧】弥は久しく、遠く。一度行ったきりで久しく行っていないとか。
 陶は范レイ。陶朱公。春秋五覇の一、越の名臣。呉を滅ぼした人物。[[wiki>http://ja.wikipedia.org/wiki/范蠡]]。
 上記の中国語による解説では、「湖北江陵の西には、陶朱公の墓があり、古くは陶牧と称した」
【昭丘】春秋時代の[[楚昭王>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E7%8E%8B_(%E6%A5%9A)]]の墓。湖北省当陽県の東南。
《荊州記》晋の盛弘之、あるいは李善注引《荊州図記》“当陽東南七十里,有楚昭王墓,登楼即見,所謂昭丘。”
【黍稷】モチキビとウルチキビ。転じて、五穀。

【紛濁】紛糾、汚濁。混乱した乱世のたとえ。【眷眷】しきりに心がひかれる。ひたすら慕う
【懷歸】懐かしむ、帰る。望郷の念。【孰】漢詩で言う「何」に近い。何か。いずれか、誰か
【任】受け入れる。「可任」で、受け入れることが出来る。
【憑軒檻】手すりによりかかり。【遙望】みはるかす。遥かに望む。
【極目】目の届く限り、見渡す限り
【逶迤】委蛇。湾曲した道路、山脈、河川がうねうね続く。【脩迥】長遠。果てしなく遠い。
【漾】こぼれる、溢れる。【濟】渡る。
【昔尼父之~之歎音】尼父は孔子。
 《論語•公冶長第五》子在陳曰。歸與歸與。吾黨之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之。
 孔子さまは陳国で言ったよ「帰ろう帰ろう、村の若者たちは志が大きく美しい模様を織るが、どう裁断したらよいか判ってない」
【鍾儀幽而楚奏兮】
 《左伝•成公九年》。楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていた。
 晋侯が彼に琴をひかせ、『楽操土風,不忘旧也(旧き楚の気風を忘れていない)』と歎じた。
 このことから、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人を、『楚囚』と呼ぶ。
【莊舄顯而越吟】
 莊舄は戦国時代の越の人。楚で高位についてなお越の楽曲を吟唱した。故国を忘れないことを形容する。
 史記第70卷の張儀列伝中、秦惠王と陳軫との会話で取り上げられている。
越人莊舄仕楚執珪,有頃而病。楚王曰:『舄故越之鄙細人也,今仕楚執珪,貴富矣,亦思越不?』中謝對曰:『凡人之思故,在其病也。彼思越則越聲,不思越則楚聲。』使人往聽之,猶尚越聲也。
(越人莊舄は楚に仕え、執珪(という地位)についたが、病についた。
楚王『莊舄は越人とはいえ,今は楚で働いている。富貴をきわめ、なのに越を思うのか?』
中謝『人はみな故郷を思うと,病となります。彼が越を思っていれば越の声,越を思っていなければ楚の声を出すでしょう』
使いを出し聞かせると,やはり越の声だった)
【窮達】困窮と栄達。貧賤(ひんせん)と富貴。

【逾邁】過ぎ去る。飛ぶが如し。【河清】常に黄色く濁った黄河の水が澄む。天下が治まる吉兆。
【冀】希望【王道之一平】国家の安定。統一。【假】借りる【高衢】天道【骋力】力を馳せる。自分の才を使いこなしてくれ。
【匏瓜】苦瓜。以下の逸話から、「在野」を意味することも。
 《論語 陽貨篇》:吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食
 私がどうして苦瓜になることができるだろうか。蔓に吊るされたままで、人に食べられずにいられるだろうか。
 苦瓜こと在野であり続けるのは困るという例え。
【畏井渫之莫食】綺麗すぎる井戸を恐れ、水を汲んで飲用に使う人がいないこと。清廉潔白すぎるのも却って良くないことの例え。
 《周易·井卦》:“井渫不食,为我心恻。” 洗われた井戸は食に使われず、私の心に恐れが発生した。
【棲遲】ゆっくりと心静かに。【徙倚】少し動いては立ち止まり、うろうろとする。
【匿】隠れる。【狂顧】狂ったように慌しく眺め回す【闃】静寂。 
【忉怛・憯惻】両方とも悲痛の意味合いがある。【循】より。従い。
【階除】階段。【盤桓】うろうろと歩き回る。先に進まずにとどまる。【反側】寝返りを打つ。

***てけとー訳
この楼に登って四方を望み、しばし休日を過ごすことで憂いを溶かそう。
楼から見える景色は、実に高く広々としていて比べるものもない。
清らかな漳河の河口を挟み、曲がりくねった沮河の中洲による。
広々とした丘陵を背に、水辺の低湿地で用水の流れを臨む。
北に陶朱公の墓は弥く、西は昭王の丘に接する。
花実は野を覆い隠し、黍稷は田畑に満ちる。
確かに美しくはあるが吾が故郷ではない、私がこれ以上滞在する価値はあるのか。

戦乱に遭い逃げては帰ることを繰り返し、今まであてもなく(十年以上もの)時を渡り歩いてきた。
ただただ懐郷の情はつのるばかり、誰がこのような憂いを受け入れられると言うのか。
軒檻にもたれて遥望し、北風に向かって襟を開く。
北の平原は遠く見渡そうとしても、荊山の小高い峰に覆い隠されている。
曲がりくねった道路は果てなく続き、川は既に溢れて渡るには深すぎる。
旧郷と断絶されたこの悲しみよ、涙は横に墜ちて止まらない。
昔日、尼父が陳国に在った時、帰ろうと歎音が有った。
鍾儀は幽閉されてなお楚楽を奏で、荘舄は顕れて越の曲を吟じた。
人情は同じく郷土を懐かしむ、貧賤や富貴を極めようと心変わりすることはない。

日月の過ぎ去るを思い、河清を待てども(水の色は)今だに定まらない。
望みはただ王道のもと大陸が一つとなり、天道を借りて我々の才を騁せること。
苦瓜がつるにぶら下がったまま腐るのを恐れ、洗われた井戸が人に使われないことを畏れる。
心ここにあらず楼上を漫然とうろつけば、白日がにわかに隠れようとする。
樹林を吹き抜ける風は四方八方から吹き付け、天は惨惨暗澹として色も無い。
獣は狂顧して群れを求め、鳥は相鳴き翼を挙げる。
原野は静寂にして人無く、征夫は行ったきり未だ(家に帰り着き)息をつくこともない。
悽愴たる周囲の景観に心も沈み、(先ほどまで上がっていた)意気も落胆して悲しみに心が痛む。
階の下るままに楼を降り、胸中の怒りは発散できずにわだかまっている。
夜中まで眠ることもできず、あちこち揺れ動く心を恨みつつ寝返りを打つ。

> 《昭明文選》卷十一。
> 上記の中国語による解説では、この詩における「楼」は、麦城 を指すと解釈している? [[(GoogleMap)>http://maps.google.co.jp/maps/place?ftid=0x36824eae7b1804b9:0xfb4d168ffd5ecb73&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%B9%96%E5%8C%97%E7%9C%81%E5%AE%9C%E6%98%8C%E5%B8%82%E5%BD%93%E9%99%BD%E5%B8%82%E4%B8%A1%E6%B2%B3%E9%8E%AE&gl=jp&hl=ja&cad=src:ppiwlink&ei=P987ToulEYHNmAXcxLR9&dtab=0]]だとこの近くか。縮尺を広域に広げれば、左に麦城村とか麦城堤とかあると思う。
> 而、以、之、兮といった区切り、左右の対比。才への抱負と不遇、故郷への思慕、寄る辺なき放浪者の心境。
> 深読みするなら、呉を滅ぼした越が遠く、呉に滅ぼされかけた楚昭王を近いと読んでいる。
> 当時の荊州では曹操より、黄祖を倒した孫氏を、脅威と捉えていた可能性がある。それで曹操に降伏したと。

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**「七哀詩」
其一
西京亂無象,豺虎方遘患。
復棄中國去,遠身適荊蠻。
親戚對我悲,朋友相追攀。
出門無所見,白骨蔽平原。
路有飢婦人,抱子棄草間。
顧聞號泣聲,揮涕獨不還。
未知身死處,何能兩相完?
驅馬棄之去,不忍聽此言。
南登霸陵岸,迴首望長安。
悟彼下泉人,喟然傷心肝。

其二
荊蠻非我鄉,何為久滯淫?
方舟溯大江,日暮愁我心。
山崗有餘暎,巖阿增重陰。
狐狸馳赴穴,飛鳥翔故林。
流波激清響,猴猿臨岸吟。
迅風拂裳袂,白露霑衣衿。
獨夜不能寐,攝衣起撫琴。
絲桐感人情,為我發悲音。
羈旅無終極,憂思壯難任。

其三
邊城使心悲,昔吾親更之。
冰雪截肌膚,風飄無止期。
百里不見人,草木誰當遲?
登城望亭隧,翩翩飛戍旗。
行者不顧返,出門與家辭。
子弟多俘虜,哭泣無已時。
天下盡樂土,何為久留茲?
蓼蟲不知辛,去來勿與諮。

***日本語訳リンク+てけとー訳

[[其一日本語訳>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/oh_san/shichiai.html]]

其二
荊蛮はわが故郷にあらず,何ゆえ停留の久しきか?
方舟で大江を遡れば,日は暮れて我が心は痛む。
山崗に落日の残光あり,巖阿增重陰。
狐狸馳せて穴に赴き,飛鳥は故林へ翔る。
流波は清響激しく,猴猿岸に臨みて吟ず。
迅風は裳袂を拂い,白露は衣衿を霑す。
獨り夜に寐ねれず,衣攝え起ち琴を撫す。
絲桐人情を感じ,我為に悲音を発す。
羈旅に終極無し,憂思壯として任難し。

其三
邊城は心をして悲しませ,昔吾は親しむこと之を更す。
氷雪は肌膚を截ち,風飄の止期は無し。
百里に人を見ず,草木誰か當に遅る?
登城して亭隧を望み,翩翩として戍旗飛ぶ。
行者顧り返らず,出門して家を辭す。
子弟俘虜多し,哭泣巳む時無し
天下に樂土は尽き,何が為にこれに久しく留まるや?
蓼蟲の辛知らず,与に諮ること勿かれ。

【餘暎】余映というか、落日の残光

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*阮籍
当時の玄学や老荘思想を研究する上で欠かせない人物。

 全文は長いので、漢詩大会の詩句に該当する章のみ、原文を掲載する。
 文庫ではまとめのページがないので、[[兵庫教育大学の原文電子版>http://www.soc.hyogo-u.ac.jp/tosuzuki/data/eikai.htm]]や、中国中世文学会『中国中世文学研究』掲載論文:阮籍の「詠懐詩」([[1>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819573]]/[[2>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819585]]/[[3>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819594]]/[[4>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819621]]/[[5>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819632]])など参照。
 日本語版をすべて読みたい場合は、「詠懷詩」をgoogle先生にぶち込めば宜しいかと。

 作品傾向としては、この人も詩の先にある「表現されていない空間」「隠された意志」を読者に読ませるタイプ。

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**「詠懷詩(五言)八十二首」

其一
夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄唯鑒明月、清風吹我衿。
孤鴻号外野、翔鳥鳴北林。徘徊將何見、憂思獨傷心。 

其六
昔聞東陵瓜、近在青門外。連畛距阡陌、子母相鈎帶。
五色曜朝日、嘉賓四面會。
膏火自煎熬、多財爲患害、布衣可終身、寵禄豈足頼。 

其三十三
一日復一夕、一夕復一朝、顔色改平常、精神自損消。
胸中懷湯火、變化故相招。萬事無窮極、知謀苦不饒。
但恐須臾間、魂氣隨風飄。終身履薄冰、誰知我心焦。 

***編者訳
其一
真夜中に眠ることもできず、起きて琴を弾き鳴らす。
薄とばりに月光がさし、涼風が襟元を吹き抜ける。
孤高のおおとり野に叫び、空翔ける鳥が北林で鳴き返す
あたりを彷徨うが何も見出せず、ひとり身を憂いて心を傷める

其六
昔聞いたところ東陵侯のウリ畑は、長安青門の近くにあって、
あぜ道は果てなく続き、鈴なりの五色の実が朝日をうけ輝き、四方から客が集まった
油の火は周囲を明るくするが、 自らも燃え尽きてしまう
大金を蓄えるものは、患いも蓄えているようなもの
ぼろ着ひとつあれば生きていける、宮廷に仕えたところで何も満足しない

>秦の栄華も、ウリ畑の栄養。
> 【青門】長安の東城門の一つ
> 【東陵侯】邵平。李白詩 「荘周胡蝶夢」でも登場する。
> 始皇帝陵墓の管理人。秦が亡んだあとは平民となり、畑を耕した。
> 作ったウリは東陵瓜とよばれ、有名になった。

其三十三
日が昇っては沈み、沈んではまた昇る。顔色は移り変わり、心は損傷する
胸に湧き上がる熱い思いをいだくも、時の流れに浚われ冷めきってしまう
万事に極まりはなく、知謀の及ばないことに苦しむ
この短い瞬間に恐れるのは、魂のともし火が風に消されること
わが生涯は終りまで薄氷を踏むがごとし、誰が知りうる我が心の焦りを。

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*孔融
[[維基文庫 孔融作品の項>http://zh.wikisource.org/wiki/作者:孔融]]

下記の「臨終詩」は偽作と言われているせいか、維基文庫の作品一覧には掲載されていない?
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**「臨終詩」

言多令事敗 器漏苦不密。河潰蟻孔端 山壊由猿穴
涓涓江漢流 天窓通冥室。讒邪害公正 浮雲翳白日
靡辭無忠誠 華繁竟不實。人有両三心 安能合爲一
三人成市虎 浸漬解膠漆。生存多所慮 長寢萬事畢

***編者訳
言多ければきっちりした定め事も敗れさせ 器は漏れて密ならずに苦しむ
河は蟻の穴の端に漬え 山は猿穴を理由に壊れさる
小川も流れて江漢となり 天窓の光は冥室まで通じるのに
讒言邪言は公正を害し 浮雲は白日を翳しさえぎる
我が心からの忠告も我が忠誠を示せず 花は繁るように咲けど実を残せぬまま終わる
人は異心を抱くもの ひとつの信念に生きる辛さよ
三人が言えば嘘も信用され 染みる嘘は真実を膠や漆に漬けこむ
生存してはおもんばかる所多く 永き眠りにつけば万事がおわる

> 【涓涓】糸のように細い流れ。
> 【三人成市虎】三人虎を成す
> 出典は『戦国策』。「根拠のない噂も、多くの人が言えば聞き手は信用する」と言うことわざ。


**「孔融伝(後漢書卷七十-列伝第六十-鄭孔荀列伝)」

[[原文>http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B770#.E5.AD.94.E8.9E.8D]]