//目を傷めているので、日本語訳のペースが落ちる。 //原文だけコピペしておく。 #contents(fromhere=true) ----- *王粲 [[維基文庫 王粲作品の項>http://zh.wikisource.org/wiki/%E4%BD%9C%E8%80%85:%E7%8E%8B%E7%B2%B2]] 荊州にいたせいか、楚辞にみられる江南の気風が混じっている。 曹操は「(詩の形式で)海を最初に詠んだ」、曹丕は「完全な七言詩を詠んだ」と言われるが、こうした詩風の原型は、既に楚辞などに見られる。 曹操は、曹休の祖父など、同じ曹氏に江南ゆかりの人物がいる。 さらに王粲だけでなく、元会稽太守の王朗も受け入れている。 江南の気風を知る名士は、中原の詩風にも大きな影響を与えただろう。 曹操や曹丕の功績は、単に新しい方法を生み出したというより、こうした人材を登用し、それまで低く見られていた江南文化を評価し、中原文化を融合させたことにあるという見方も出来る。 ----- **「登楼賦」 [[中国語版質問サイトでの解説>http://wenhua.youth.cn/wx/gdwx/201002/t20100221_1154839.htm]] [[返り点つき引用元>http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/895905/2]] ***本文 登茲樓以四望兮,聊暇日以銷憂。 覽斯宇之所處兮,實顯敞而寡仇。 挾清漳之通浦兮,倚曲沮之長洲。 背墳衍之廣陸兮,臨皋隰之沃流。 北彌陶牧,西接昭丘。 華實蔽野,黍稷盈疇。 雖信美而非吾土兮,曾何足以少留? 遭紛濁而遷逝兮,漫踰紀以迄今。 情眷眷而懷歸兮,孰憂思之可任? 憑軒檻以遙望兮,向北風而開襟。 平原遠而極目兮,蔽荊山之高岑。 路逶迤而脩迥兮,川既漾而濟深。 悲舊鄉之壅隔兮,涕橫墜而弗禁。 昔尼父之在陳兮,有歸歟之歎音。 鍾儀幽而楚奏兮,莊舄顯而越吟。 人情同於懷土兮,豈窮達而異心? 惟日月之逾邁兮,俟河清其未極。 冀王道之一平兮,假高衢而騁力。 懼匏瓜之徒懸兮,畏井渫之莫食。 步棲遲以徙倚兮,白日忽其將匿。 風蕭瑟而並興兮,天慘慘而無色。 獸狂顧以求群兮,鳥相鳴而舉翼。 原野闃其無人兮,征夫行而未息。 心悽愴以感發兮,意忉怛而憯惻。 循堦除而下降兮,氣交憤於胸臆。 夜參半而不寐兮,悵盤桓以反側。 ***単語の意味 【兹】この【聊】いささか【暇日】ひまな日。休日。【銷憂】憂いを溶かす。「銷」≒意気消沈の「消」 【斯宇之所處】楼の置かれた環境。空間【敞】高い、ひろびろ【寡仇】比類なし 【清漳】漳河。【通浦】川辺の流れ。【沮水】沮河。【長洲】川の中の陸地。中州? 【墳】うず高く【衍】広がる、【墳衍】丘と平地?周辺より高い丘陵。 【皐隰】水辺の低湿地。解説では楼南市周辺。【沃流】灌溉の水流。畑に引かれた人工の流れ。 【北弥陶牧】弥は久しく、遠く。一度行ったきりで久しく行っていないとか。 陶は范レイ。陶朱公。春秋五覇の一、越の名臣。呉を滅ぼした人物。[[wiki>http://ja.wikipedia.org/wiki/范蠡]]。 上記の中国語による解説では、「湖北江陵の西には、陶朱公の墓があり、古くは陶牧と称した」 【昭丘】春秋時代の[[楚昭王>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E7%8E%8B_(%E6%A5%9A)]]の墓。湖北省当陽県の東南。 《荊州記》晋の盛弘之、あるいは李善注引《荊州図記》“当陽東南七十里,有楚昭王墓,登楼即見,所謂昭丘。” 【黍稷】モチキビとウルチキビ。転じて、五穀。 【紛濁】紛糾、汚濁。混乱した乱世のたとえ。【眷眷】しきりに心がひかれる。ひたすら慕う 【懷歸】懐かしむ、帰る。望郷の念。【孰】漢詩で言う「何」に近い。何か。いずれか、誰か 【任】受け入れる。「可任」で、受け入れることが出来る。 【憑軒檻】手すりによりかかり。【遙望】みはるかす。遥かに望む。 【極目】目の届く限り、見渡す限り 【逶迤】委蛇。湾曲した道路、山脈、河川がうねうね続く。【脩迥】長遠。果てしなく遠い。 【漾】こぼれる、溢れる。【濟】渡る。 【昔尼父之~之歎音】尼父は孔子。 《論語•公冶長第五》子在陳曰。歸與歸與。吾黨之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之。 孔子さまは陳国で言ったよ「帰ろう帰ろう、村の若者たちは志が大きく美しい模様を織るが、どう裁断したらよいか判ってない」 【鍾儀幽而楚奏兮】 《左伝•成公九年》。楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていた。 晋侯が彼に琴をひかせ、『楽操土風,不忘旧也(旧き楚の気風を忘れていない)』と歎じた。 このことから、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人を、『楚囚』と呼ぶ。 【莊舄顯而越吟】 莊舄は戦国時代の越の人。楚で高位についてなお越の楽曲を吟唱した。故国を忘れないことを形容する。 史記第70卷の張儀列伝中、秦惠王と陳軫との会話で取り上げられている。 越人莊舄仕楚執珪,有頃而病。楚王曰:『舄故越之鄙細人也,今仕楚執珪,貴富矣,亦思越不?』中謝對曰:『凡人之思故,在其病也。彼思越則越聲,不思越則楚聲。』使人往聽之,猶尚越聲也。 (越人莊舄は楚に仕え、執珪(という地位)についたが、病についた。 楚王『莊舄は越人とはいえ,今は楚で働いている。富貴をきわめ、なのに越を思うのか?』 中謝『人はみな故郷を思うと,病となります。彼が越を思っていれば越の声,越を思っていなければ楚の声を出すでしょう』 使いを出し聞かせると,やはり越の声だった) 【窮達】困窮と栄達。貧賤(ひんせん)と富貴。 【逾邁】過ぎ去る。飛ぶが如し。【河清】常に黄色く濁った黄河の水が澄む。天下が治まる吉兆。 【冀】希望【王道之一平】国家の安定。統一。【假】借りる【高衢】天道【骋力】力を馳せる。自分の才を使いこなしてくれ。 【匏瓜】苦瓜。以下の逸話から、「在野」を意味することも。 《論語 陽貨篇》:吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食 私がどうして苦瓜になることができるだろうか。蔓に吊るされたままで、人に食べられずにいられるだろうか。 苦瓜こと在野であり続けるのは困るという例え。 【畏井渫之莫食】綺麗すぎる井戸を恐れ、水を汲んで飲用に使う人がいないこと。清廉潔白すぎるのも却って良くないことの例え。 《周易·井卦》:“井渫不食,为我心恻。” 洗われた井戸は食に使われず、私の心に恐れが発生した。 【棲遲】ゆっくりと心静かに。【徙倚】少し動いては立ち止まり、うろうろとする。 【匿】隠れる。【狂顧】狂ったように慌しく眺め回す【闃】静寂。 【忉怛・憯惻】両方とも悲痛の意味合いがある。【循】より。従い。 【階除】階段。【盤桓】うろうろと歩き回る。先に進まずにとどまる。【反側】寝返りを打つ。 ***てけとー訳 この楼に登って四方を望み、しばし休日を過ごすことで憂いを溶かそう。 楼から見える景色は、実に高く広々としていて比べるものもない。 清らかな漳河の河口を挟み、曲がりくねった沮河の中洲による。 広々とした丘陵を背に、水辺の低湿地で用水の流れを臨む。 北に陶朱公の墓は弥く、西は昭王の丘に接する。 花実は野を覆い隠し、黍稷は田畑に満ちる。 確かに美しくはあるが吾が故郷ではない、私がこれ以上滞在する価値はあるのか。 戦乱に遭い逃げては帰ることを繰り返し、今まであてもなく(十年以上もの)時を渡り歩いてきた。 ただただ懐郷の情はつのるばかり、誰がこのような憂いを受け入れられると言うのか。 軒檻にもたれて遥望し、北風に向かって襟を開く。 北の平原は遠く見渡そうとしても、荊山の小高い峰に覆い隠されている。 曲がりくねった道路は果てなく続き、川は既に溢れて渡るには深すぎる。 旧郷と断絶されたこの悲しみよ、涙は横に墜ちて止まらない。 昔日、尼父が陳国に在った時、帰ろうと歎音が有った。 鍾儀は幽閉されてなお楚楽を奏で、荘舄は顕れて越の曲を吟じた。 人情は同じく郷土を懐かしむ、貧賤や富貴を極めようと心変わりすることはない。 日月の過ぎ去るを思い、河清を待てども(水の色は)今だに定まらない。 望みはただ王道のもと大陸が一つとなり、天道を借りて我々の才を騁せること。 苦瓜がつるにぶら下がったまま腐るのを恐れ、洗われた井戸が人に使われないことを畏れる。 心ここにあらず楼上を漫然とうろつけば、白日がにわかに隠れようとする。 樹林を吹き抜ける風は四方八方から吹き付け、天は惨惨暗澹として色も無い。 獣は狂顧して群れを求め、鳥は相鳴き翼を挙げる。 原野は静寂にして人無く、征夫は行ったきり未だ(家に帰り着き)息をつくこともない。 悽愴たる周囲の景観に心も沈み、(先ほどまで上がっていた)意気も落胆して悲しみに心が痛む。 階の下るままに楼を降り、胸中の怒りは発散できずにわだかまっている。 夜中まで眠ることもできず、あちこち揺れ動く心を恨みつつ寝返りを打つ。 > 《昭明文選》卷十一。 > 上記の中国語による解説では、この詩における「楼」は、麦城 を指すと解釈している? [[(GoogleMap)>http://maps.google.co.jp/maps/place?ftid=0x36824eae7b1804b9:0xfb4d168ffd5ecb73&q=%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%B9%96%E5%8C%97%E7%9C%81%E5%AE%9C%E6%98%8C%E5%B8%82%E5%BD%93%E9%99%BD%E5%B8%82%E4%B8%A1%E6%B2%B3%E9%8E%AE&gl=jp&hl=ja&cad=src:ppiwlink&ei=P987ToulEYHNmAXcxLR9&dtab=0]]だとこの近くか。縮尺を広域に広げれば、左に麦城村とか麦城堤とかあると思う。 > 而、以、之、兮といった区切り、左右の対比。才への抱負と不遇、故郷への思慕、寄る辺なき放浪者の心境。 > 深読みするなら、呉を滅ぼした越が遠く、呉に滅ぼされかけた楚昭王を近いと読んでいる。 > 当時の荊州では曹操より、黄祖を倒した孫氏を、脅威と捉えていた可能性がある。それで曹操に降伏したと。 ----- **「七哀詩」 其一 西京亂無象,豺虎方遘患。 復棄中國去,遠身適荊蠻。 親戚對我悲,朋友相追攀。 出門無所見,白骨蔽平原。 路有飢婦人,抱子棄草間。 顧聞號泣聲,揮涕獨不還。 未知身死處,何能兩相完? 驅馬棄之去,不忍聽此言。 南登霸陵岸,迴首望長安。 悟彼下泉人,喟然傷心肝。 其二 荊蠻非我鄉,何為久滯淫? 方舟溯大江,日暮愁我心。 山崗有餘暎,巖阿增重陰。 狐狸馳赴穴,飛鳥翔故林。 流波激清響,猴猿臨岸吟。 迅風拂裳袂,白露霑衣衿。 獨夜不能寐,攝衣起撫琴。 絲桐感人情,為我發悲音。 羈旅無終極,憂思壯難任。 其三 邊城使心悲,昔吾親更之。 冰雪截肌膚,風飄無止期。 百里不見人,草木誰當遲? 登城望亭隧,翩翩飛戍旗。 行者不顧返,出門與家辭。 子弟多俘虜,哭泣無已時。 天下盡樂土,何為久留茲? 蓼蟲不知辛,去來勿與諮。 ***日本語訳リンク+てけとー訳 [[其一日本語訳>http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/oh_san/shichiai.html]] 其二 荊蛮はわが故郷にあらず,何ゆえ停留の久しきか? 方舟で大江を遡れば,日は暮れて我が心は痛む。 山崗に落日の残光あり,巖阿增重陰。 狐狸馳せて穴に赴き,飛鳥は故林へ翔る。 流波は清響激しく,猴猿岸に臨みて吟ず。 迅風は裳袂を拂い,白露は衣衿を霑す。 獨り夜に寐ねれず,衣攝え起ち琴を撫す。 絲桐人情を感じ,我為に悲音を発す。 羈旅に終極無し,憂思壯として任難し。 其三 邊城は心をして悲しませ,昔吾は親しむこと之を更す。 氷雪は肌膚を截ち,風飄の止期は無し。 百里に人を見ず,草木誰か當に遅る? 登城して亭隧を望み,翩翩として戍旗飛ぶ。 行者顧り返らず,出門して家を辭す。 子弟俘虜多し,哭泣巳む時無し 天下に樂土は尽き,何が為にこれに久しく留まるや? 蓼蟲の辛知らず,与に諮ること勿かれ。 【餘暎】余映というか、落日の残光 ----- *阮籍 当時の玄学や老荘思想を研究する上で欠かせない人物。 全文は長いので、漢詩大会の詩句に該当する章のみ、原文を掲載する。 文庫ではまとめのページがないので、[[兵庫教育大学の原文電子版>http://www.soc.hyogo-u.ac.jp/tosuzuki/data/eikai.htm]]や、中国中世文学会『中国中世文学研究』掲載論文:阮籍の「詠懐詩」([[1>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819573]]/[[2>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819585]]/[[3>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819594]]/[[4>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819621]]/[[5>http://ci.nii.ac.jp/naid/110003819632]])など参照。 日本語版をすべて読みたい場合は、「詠懷詩」をgoogle先生にぶち込めば宜しいかと。 作品傾向としては、この人も詩の先にある「表現されていない空間」「隠された意志」を読者に読ませるタイプ。 ----- **「詠懷詩(五言)八十二首」 其一 夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄唯鑒明月、清風吹我衿。 孤鴻号外野、翔鳥鳴北林。徘徊將何見、憂思獨傷心。 其六 昔聞東陵瓜、近在青門外。連畛距阡陌、子母相鈎帶。 五色曜朝日、嘉賓四面會。 膏火自煎熬、多財爲患害、布衣可終身、寵禄豈足頼。 其三十三 一日復一夕、一夕復一朝、顔色改平常、精神自損消。 胸中懷湯火、變化故相招。萬事無窮極、知謀苦不饒。 但恐須臾間、魂氣隨風飄。終身履薄冰、誰知我心焦。 ***編者訳 其一 真夜中に眠ることもできず、起きて琴を弾き鳴らす。 薄とばりに月光がさし、涼風が襟元を吹き抜ける。 孤高のおおとり野に叫び、空翔ける鳥が北林で鳴き返す あたりを彷徨うが何も見出せず、ひとり身を憂いて心を傷める 其六 昔聞いたところ東陵侯のウリ畑は、長安青門の近くにあって、 あぜ道は果てなく続き、鈴なりの五色の実が朝日をうけ輝き、四方から客が集まった 油の火は周囲を明るくするが、 自らも燃え尽きてしまう 大金を蓄えるものは、患いも蓄えているようなもの ぼろ着ひとつあれば生きていける、宮廷に仕えたところで何も満足しない >秦の栄華も、ウリ畑の栄養。 > 【青門】長安の東城門の一つ > 【東陵侯】邵平。李白詩 「荘周胡蝶夢」でも登場する。 > 始皇帝陵墓の管理人。秦が亡んだあとは平民となり、畑を耕した。 > 作ったウリは東陵瓜とよばれ、有名になった。 其三十三 日が昇っては沈み、沈んではまた昇る。顔色は移り変わり、心は損傷する 胸に湧き上がる熱い思いをいだくも、時の流れに浚われ冷めきってしまう 万事に極まりはなく、知謀の及ばないことに苦しむ この短い瞬間に恐れるのは、魂のともし火が風に消されること わが生涯は終りまで薄氷を踏むがごとし、誰が知りうる我が心の焦りを。 ----- *孔融 [[維基文庫 孔融作品の項>http://zh.wikisource.org/wiki/作者:孔融]] 下記の「臨終詩」は偽作と言われているせいか、維基文庫の作品一覧には掲載されていない? ----- **「臨終詩」 言多令事敗 器漏苦不密。河潰蟻孔端 山壊由猿穴 涓涓江漢流 天窓通冥室。讒邪害公正 浮雲翳白日 靡辭無忠誠 華繁竟不實。人有両三心 安能合爲一 三人成市虎 浸漬解膠漆。生存多所慮 長寢萬事畢 ***編者訳 言多ければきっちりした定め事も敗れさせ 器は漏れて密ならずに苦しむ 河は蟻の穴の端に漬え 山は猿穴を理由に壊れさる 小川も流れて江漢となり 天窓の光は冥室まで通じるのに 讒言邪言は公正を害し 浮雲は白日を翳しさえぎる 我が心からの忠告も我が忠誠を示せず 花は繁るように咲けど実を残せぬまま終わる 人は異心を抱くもの ひとつの信念に生きる辛さよ 三人が言えば嘘も信用され 染みる嘘は真実を膠や漆に漬けこむ 生存してはおもんばかる所多く 永き眠りにつけば万事がおわる > 【涓涓】糸のように細い流れ。 > 【三人成市虎】三人虎を成す > 出典は『戦国策』。「根拠のない噂も、多くの人が言えば聞き手は信用する」と言うことわざ。 **「孔融伝(後漢書卷七十-列伝第六十-鄭孔荀列伝)」 [[原文>http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B770#.E5.AD.94.E8.9E.8D]]