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「白馬篇」 - (2013/03/05 (火) 22:31:07) のソース

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*原文
出典:《文選》《古詩源》《楽府詩集》

白馬飾金羈,連翩西北馳。借問誰家子,幽並游俠兒。

少小去鄉邑,揚聲沙漠垂。宿昔秉良弓,楛矢何參差。
控弦破左的,右發摧月支。仰手接飛猱,俯身散馬蹄。

狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。邊城多警急,胡瞄數遷移。
羽檄從北來,厲馬登高堤。長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。

棄身鋒刃端,性命安可懷。父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。捐軀赴國難,視死忽如歸。
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*訳「白馬篇」
白馬を金羈で飾り 連綿と翻し西北へ馳せる
問いかけよう「あれは誰の家の子か」「幽并出身の遊侠児!」

年若く郷里を去り 名を砂漠の果てまでも轟かせた
その昔は良弓を取り 荒削りの矢を差し構え
弦を引けば左的を破り 右に射れば月支を砕き
仰げば飛的を貫き 身を伏せては馬蹄を散らす

敏捷なること山猿にまさり 勇敢なること聖獣のごとし
辺地の城は火急が多く 胡兵が平野を埋め尽くす
檄文が北から来れば 馬を励まし長城に登る
遠く匈奴を踏みならし 左に返しては鮮卑をしのぐ

身を鋭い刃の端に捨てよう 生命など惜しくもない
父母もかつ顧りみず まして妻子に未練があるものか
壮士の籍に名を連ねれば 私情にかまけておれやせぬ
身を賭し国難に赴けば 死を視ること帰るが如し!

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【羽檄】
(緊急の触れ文に鳥の羽を挟んだところから)急を要する檄文

【視死忽如歸】
出典:大戴礼記/上曾子制言上([[維基)>http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%88%B4%E7%A6%AE%E8%A8%98]]」「及其不可避也、君子視死如帰」
大戴礼記は大戴礼とも言う中国の経書。前漢の戴徳撰。周・秦・漢代の礼説を集めたもの。

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*コメント

 古典の名句をうまく生かした上で、現代を見事に表した名作。
 宋代、袁淑によりこの作品をもとにした「傚曹子建楽府白馬篇(傚白馬篇)」が作られている。

 ちなみに、「この作品の游侠児が、誰をさすか」については、諸説ある。
 しかし、この作品における游侠児は、福山氏の「[[曹植「白馬篇」考 : 「游侠児」の誕生>http://repo.lib.yamagata-u.ac.jp/handle/123456789/6504]]」が指摘するように、曹仁、張繍、許褚など、当時はよく見られた「少年を率いて活躍する英雄」という現象を指すものであり、明確に特定の誰かを指すものではないだろう。
 曹植は、他にも「諫取諸国子息表」で少年を論じており、当時の「少年」という言葉を研究する上で参考になる。

 政治的に君主・太子・主人など上のものを称賛する例はあるが、曹植が同時代の特定の武将を、詩歌の形で讃した例はあまりない。現存する賛の対象は、殆ど伝説上・歴史上の人物である。いわゆる「与書」や、《補臣論》など臣下を論じた文章はあるが、その対象は楊修・呉質・陳琳・鍾大傅・華大尉・曹大司馬・王司徒・陳司空・曹大将軍・司馬驃騎といった、文学仲間もしくは、魏国の中でも最高級の高官である。
 それでも仮に読むならば、《與司馬仲達書》《贈徐幹》のように名がついてしかるべきで、洛神賦と甑姫のように表だって詠むことがはばかられる状況でもないのに、白馬篇のようなタイトルで隠す必然性があまりない。

 ただし、明確になっていないというだけで想像する分には自由だし、想像の余地があるということも、この作品の魅力ではある。

#「美女篇」など他の作品と同じ曲で演じるという話もあるので、もしそっちの訳が終わったら、別に区分けするかもしれません。

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