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気出唱 - (2014/01/16 (木) 15:59:21) のソース

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*原文
出典:《漢魏六朝百三名家集(国デジ)》 《楽府詩集(台湾)》
**其の一
駕六龍。
乗風而行。行四海外。路下之八邦。歴登高山。臨谿谷。
乗雲而行。行四海外。東到泰山。仙人玉女。下来遨遊。
驂駕六龍。飲玉漿。
河水盡。不東流。解愁腹。飲玉漿。

奉持行。東到蓬萊山。
上至天之門。玉闕。下引見得入。赤松相對。
四面顧望。視正焜煌。
開王心。正興其氣百道至。傳告無窮。閉其口。
但當愛氣。壽萬年。

東到海。與天連。神仙之道。出窈入冥。
常當専之心恬憺。無所愒欲。閉門坐自守。
天與期氣。願得神之人。
乗駕雲車。驂駕白鹿。上到天之門。
来賜神之薬。跪受之。

敬神齊。當如此。道自来。

#region(単語解説)
【六龍】易経-乾「大明終始、六位時成。時乘六龍、以御天」
(大いに終始あきらか、六位時に成る。時に六龍に乗り、もって天を御す)
つまり天候を制御し、風に乗り、雲に乗り、自由に空駈ける。

また、[[善哉行(古楽府)>http://www39.atwiki.jp/sangokushi7/pages/57.html#id_1835e8ab]]でも八仙の乗り物として登場する。

【驂駕】三匹の(もしくは複数の馬に引かせた)馬車だと思う。驂は、「そえうま」の意。
複数の馬に馬車をひかせるため、主馬、副馬を決め、それぞれの馬を使い分けることで、方向転換とかした。

【下来遨遊】
《宋書(台湾)》では、「下来翺游」。翺=(皐羽)。いずれにしても、「あそぶ」意。

【河水盡。不東流】
黄節箋:"《書禹貢》「導沇水東流為済河」「水盡不東流」謂河水有時而竭、喩年壽有時而盡也。"

【玉闕】
《宋書(台湾)》等、玉闕下とする本もある。玉で作られた宮殿。もしくは玉で飾った宮殿。

【開王心。正興】
《宋書(台湾)》では、「開王心正興。~」と区切る。

【開、王、心】歳星、天王星、心星。
黄節箋:“開,歳星也。”
史記天官書「敦牂歳:歳陰在午,星居酉。以五月與胃、昴、畢晨出,曰開明。炎炎有光。」
黄節箋:"王、天王星也。心。心星也"
「東宮蒼龍,房、心。心為明堂,大星天王,前後星子屬。」

歳は今の木星。太歳聖君と天地の中心軸を挟んで、対に語られる。
古代中国では、木星と太歳を基準にして季節を定めたため、歳星と呼ばれる。転じて、季節や年月、時を司る神。
天王星は同じか、心星は心宿か。

【百道】百、たくさんの道。もしくは一切の法を考えつくす。仏教で言う悟りの境地。

【傳告無窮】葛仙公《老子》序 「應道而見,傳告無窮,常者也」

【出窈入冥】
窈、冥の文字だけを見ると、薄暗く幽遠なさまを表す。「窈窈冥冥」という言い方自体は、混沌などをさす言葉として、《老子》や《荘子》など、多くの道教書に出てくる。
ただし大空の果てを形容する名詞としての「窈冥」は、前漢代の書籍では《六韜》でないと登場しない模様。漢代の道教で大空の形容として使用した例については調査中だが、少なくとも維基文庫をざっと検索した限りでは、なかった。

【白鹿】瑞兆をあらわす獣。神話中で、神仙が乗ったり、車を牽かせることが多い。《国語-周語上》などに登場。
肉体の枷から離れ神仙になったことで、白鹿に乗れるようになる。
六龍にのらずとも(=天の力を借りずとも)みずからの意思で、天に登れるようになる。

【敬神】なにげに神仙系の詩では曲者。楚辞だと、いわゆる神さまではなく、精神、内なる神という意味合いもあるので。
そして、この詩は兮がないだけで、楚辞のスタイルを取り入れている。
#endregion
**其の二
華陰山。自以為大。高百丈。浮雲為之蓋。仙人欲来出。隨風列之雨。
吹我洞簫鼓瑟琴。何誾誾。酒與歌戲。今日相樂誠為樂。玉女起起舞。
移數時。鼓吹一何嘈嘈。

従西北来時。仙道多駕烟。乗雲駕龍。鬱何蓩蓩。遨游八極。
乃到崑崙之山。西王母側。神仙金。止玉亭。来者為誰。
赤松王喬。乃德旋之門。樂共飲食到黄昏。多駕合坐。萬歳長宜子孫。

#region(単語解説)
【華陰山】
《山海経-西山首経》注「即西岳華陰山也。今在弘農華陰縣西南」。現在の西岳華山に該当。

【玉女起起舞】
《宋書(台湾)》では、「玉女起起儛」。儛は舞と同意。

【仙道多駕烟】台湾では、「仙道多駕煙」

【従西北来時】これも微妙…往時に従い?来たとき?

【崑崙之山】《宋書(台湾)》では「崐崘」。崑崙と同じ意。

【神仙金。止玉亭】これはちょっと判らない。玉亭は客人を迎え入れる間。もしくはあずまや

【德旋之門】一説(黄節説)には、南門星。
西暦185年に天文学者らが「客星」(空に突然表れ、しばらく光り続ける星。超新星爆発)を見つけたという記録が残る。
この客星が現れたのが、南門星のあたり。
#endregion
**其の三
遊君山。甚為真。磪磈砟硌。爾自為神。乃到王母臺。
金階玉為堂。芝草生殿旁。東西廂。客満堂。主人當行觴。
坐者長壽遽何央。長樂甫始宜孫子。常願主人増年。與天相守。

#region(単語解説)
【遊君山】「游君山」。
君山は、またの名を洞庭山、湘山。洞庭湖の中に浮かぶ山のひとつ。

【王母臺】西王母の宮殿

【金階】金の階。皇帝宮殿の台座。

【遽何】反語の一種。どうして~になるものか

【與相守】宋書(台湾)では、「與天相守」。
#endregion
*てけとーな日本語
**其の一
六龍を御す。
風に乗り、いざ往かん。往こうぞ、四海の外へ。
天路から見下ろせば、八の国々。あまねく高山を登り。谿谷を臨む。
雲に乗り、いざ往かん。往こうぞ、四海の外へ。
東は泰山に至れば。仙人玉女は下り来り盛んに遊ぶ。
六龍をさらに御す。

玉漿を飲もう。
黄河の河水も盡き。もはや東へ流れゆかぬ。
腹の愁いを解こう。玉漿を飲もう。

そのままずっと行けば。東のかた蓬萊山に到達する。
上り至れり天之門。そして玉闕。馬車から下りれば、引見を許され、入ることを得て。赤松子と向かい合う。
四方を振り望み。見れば、正に焜煌。
歳星王は心、正興にして。其の気は百道万物に通じ。声は星辰の隅々までも届くも。今は口を閉ざしている。
ただまさに気を養い。万の年月を生きる。

東の海に至る。連なる天つ雲は。神仙の道よ。静謐にして幽遠なるを出で、冥に入る。
常にまさに之をもっぱらとし。心安らかにして。貪欲に従うところなし。
門を閉ざしては、座して自らを守る。

天と期気を共にして。願くば神人たるを得ん。
雲の馬車にのり。白鹿を御し。上りて再び天之門に至らん。
歳星王、来りて神薬を賜り。跪きてこれを受ける。

内なる神を敬い、心身を清める。常にこの如くあれば。道は自ずと来る。
**其の二
華陰山。おのれをもって大と為す。高さ百丈にして。浮雲はこれを蓋う傘となる。
仙人は来ようとして。風に随い雨の列をなす。
我洞にて、簫鼓瑟琴を吹き鳴らす。
何とも楽しく言葉を交わし。酒とともに歌い戯れる。今日を相樂しみ誠に樂と為す。玉女はかろやかに舞い踊る。
数時を経てもなお。鼓吹の響きはなお響きわたり、止む事はない。

西北の時がうつろうに従い。仙道には、煙を御して来るもの多く。雲にのり龍を御し。群れること青葉の覆い茂れるように。八極を遊び戯れる。
崑崙の山にいたり。西王母のもとに、はべり。神仙金玉亭に止まる。来たれる者よ、誰がために。
赤松王喬。天空の南門にあり。樂しみ共に飲食して、黄昏にいたる。
多くの賓客が一つの間に集い、酒を飲み交わす。この宴は万年の長きにわたり、子孫に続く。
**其の三
君山に遊べば。真人となり。断崖絶壁を往けば。おのずと神人となり。すなわち西王母の宮城、王母臺にいたる。
金階、玉を堂と為し。芝草は宮殿の旁に生える。東西に廂あり。客は堂に満ちる。
今まさに、主人が杯を皆にまわす。ここに座する者の長寿に、どうして央(おわ)りがあるものか。長い楽しみは父祖に始まり、子孫に続く。
常に願おう、主人の寿命がより増すことを。ともに相守らん。
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*コメント
 其の一は、河の流れをこえ、東海や空をこえ、史記天官書にも描かれた、当時の東の夜空の果てを旅するといった感じ。
 天龍の力を借りていたのが、昇ったり降りたりを繰り返すうちに、自分の力で天に昇れるようになっている。
 昇ったり昇ったり、下ったり下ったり、上上下下左右中外……1800年前のコナミコマンド([[ニコ動辞書>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89]])である。
 まぁ天を知覚し、内なる天を見つめ、天と自我をひとつにすれば、時を司る神の元へ到達できるし、加護も得られる。そんな感じかしら。

 其の二、其の三は、宴会を神仙の宴になぞらえている、かね。
 宴の楽しみが、子孫のその子供らにも続いていくように、天とともに相守ろう。

 過去の研究者も、この詩の区切り方に悩んでいるみたい。
 原本とした《漢魏六朝百三名家集(国デジ)》と台湾、いずれも「。」の位置が違う。
 ここでは例によって国内機関の国デジを優先しているため、他と多少ニュアンスが異なる。

 自信がない部分が多いので、あとで訂正するかもしれません。というかちょこちょこ訂正してます。

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