司馬懿[仲達]
179~251 最高官位:太傅 『晋書』立伝
- 数多くの大計を有し、学識や見聞が広く、儒教の経典をしっかりと学んだ 「知・政」
- 楊俊に大器と評価された (政)
- 崔琰は司馬朗(司馬懿の兄)に「君の弟は、君より遥かに聡明で果断な人物だ」と述べた (政?)
- 蜀を手に入れたばかりの劉備を攻めるよう進言したが、曹操は従わなかった 「知?」
- 常に国家の大計に与り、その度に優れた策を献じた 「知」
- 人民が農耕に従事するよう勧め、国を富ませた 「政」
- 荊州刺史の胡脩、南郷太守の傅方の任用に反対した。于禁の軍が壊滅すると、両名は関羽に投降した 「知」
- 関羽が迫る状況で遷都に反対し、孫権に後方を襲撃させるよう進言した 「知」
- 関羽が迫る潁川の住民を移住させる策に同様を招くと反対した 「知」
- 曹操の葬儀を取り仕切り、内外を粛然とさせた 「統?政?」
- 孫権が荊州に迫ると、襄陽を放棄することに反対した。曹丕はこれに従わず曹仁に襄陽を放棄させたが、孫権が襲来することはなかった 「知」
- 曹丕が呉へ親征すると、都の抑えとして許都に留まり、民の統治と物資の補給を受け持った 「統・政」
- 江夏を包囲した孫権、襄陽を攻撃した諸葛瑾らを破った 「統・武」
- 後に反乱を起こす孟達を重用しないよう勧めた 「知」
- 孟達に手紙を送って決起を遅らせた 「知」
- 叛意を持った孟達に対して勅許も待たず、速攻で反乱を鎮圧した 「統・武・知」
- 農業を奨励し、浪費を禁じ、人心を集めた 「政」
- 勅命を偽造していた申儀を都へ送還した
- 孟達の配下だった七千家余りを幽州に移住させた 「統?」
- 敵国から魏に下った人々に対し、大まかな法で根本のみを定め、人々が不安がることなく暮らせるよう勧めた 「政」
- 呉に対し、陸軍をもって皖へ進撃し孫権を東に引きつけ、さらに水軍で夏口を攻めるよう進言した 「知」
- 曹真と共に蜀を攻めたが、大雨に遭って軍を返した
- 軍を分割し後方の守りを置くべきとする張郃の進言を退けた 「知」
- 上邽の麦を刈り取ろうとした諸葛亮に対し、昼夜兼行で軍を進めてそれを防いだ 「統・知」
- 鹵城に屯営した諸葛亮を破った 「統・武」
- 三度城攻めに失敗した諸葛亮が、次は間を空けて野戦で挑んでくることを予測した 「知」
- 冀州の農民を上邽に移し耕作を行わせ、京兆などの製鉄を統制するよう上表した 「政」
- 成国渠を掘削し、臨晋陂を築いた。これによって数千頃の農地を灌漑して整備し、国力を充実させた 「統・政」
- 諸葛亮の侵攻に対し、渭水の南が争奪の的になると予測し、そこに砦を築いた 「統・知」
- 奇襲部隊を追い込んで諸葛亮の背後から敵を破った 「統・知」
- 軍を宥めるため、本当は戦意がないにもかかわらず、曹叡に出撃許可を求めた。曹叡はそれを汲んで出撃を禁じた 「統・知」
- 蜀の馬岱が攻め込んでくると、牛金にこれを迎え撃たせ、撃破した 「統」
- 関東で飢饉が発生すると、長安の粟を都に輸送した 「統」
- 曹叡の宮殿造営を諌めた 「政」
- 公孫淵が下策である防衛戦に臨むことを予測した 「知」
- 公孫淵軍の守りを無視して襄平に進もうとし、慌てふためいたその軍を撃ち破った 「統・武・知」
- 孫権は公孫淵に「司馬懿は用兵の達人、変幻自在なること神の如し」と伝えた (統・武・知)
- 公孫淵を包囲している中で長雨にあっても動じることなく、自軍に糧秣がある優位を生かし、包囲を進めた 「統・知」
- 逃走を図った公孫淵軍を破り、勝利を収めた 「統・武」
- 兵の中で60歳を超える者は退役させてやり、死亡した兵や官吏は弔った 「政?」
- 曹叡の死後も続いていた宮殿造営の労役を止め、農業を促進し、人々の信頼を得た 「政」
- 芍陂の役に際し、人々の楽観視を退け、自ら防衛に赴いた 「知」
- 呉の朱然に速攻をかけるように見せかけ、逃亡した敵軍を追撃し、撃ち破った 「統・武・知」
- 謙譲の上にも謙譲を重ね、それを一族にも言い含めた 「政」
- 淮北を灌漑し、開墾するよう上奏した 「政」
- 陸戦に持ち込めば自軍に有利と判断し、呉の諸葛恪を攻めて敗走させた 「統・武・知」
- 賊を滅ぼす要は備蓄食糧にあるとして、屯田を盛んにし、淮陽・百尺の二渠を拡張した 「統・政」
- 曹爽の蜀討伐に反対したが、止められなかった。軍は利益なく撤退した 「知」
- 呉の侵攻を受け、沔水の北へ避難した民衆を元に戻そうとする曹爽に反対した。曹爽はこれに従わず、再び呉の侵攻を受け、大きな被害を出した 「知」
- 耄碌した演技を見せ、曹爽の側近李勝を通じて、曹爽をも油断させた 「知」
- 曹爽に対してクーデターを起こし、一党を誅殺した 「統・知・政」
- 病を得ても、皇帝曹芳の行幸を受け、自邸において重要事項を諮問された 「政?」
- 王凌のクーデターを察知し軍備を認めず、自身が軍を進めて降伏させた 「統・知」
- 猜疑心が強く、応変の術に長けていた 「知」
- 曹操から嫌疑を受けていると知り、常に何もかもを自分で処理し、昼夜を忘れて職務に励んだ。これにより曹操の疑いを解いた 「知?政?」
- 公孫淵討伐の際、曹叡から「危機に臨み変化に応じて対処できる人物」と信頼を得ていた (知) [明帝紀]
- 荀顗、袁侃を評価した 「政」 [荀彧伝]
- 崔琰は司馬朗に「貴方の弟(司馬懿)は聡明誠実、剛毅果断で貴方の及ぶところではない」と述べた (政?) [崔琰伝]
- 鮑勛を推挙した 「政」 [鮑勛伝]
- 張郃と共にキ口で劉阿を破った 「統・武」 [張郃伝]
- 諫言を退け、退却する諸葛亮を張郃に追撃させた。張郃は伏兵によって射殺された 「-知」 [張郃伝]
- 呉質は司馬懿を「忠節で英知があり極めて公正」と推薦し、陳羣に代えるよう勧めた (知?政?) [王粲伝]
- 若年から楊俊に評価された (政?) [楊俊伝]
- 王昶を推挙した 「政」 [王昶伝]
- 鄧艾を高く評価し、属官とした 「政」 [鄧艾伝]
- 呉の張悌は「司馬懿父子は魏の実権を握ると善政を敷いて民心を集めた」と評価した (政) [孫皓伝]
司馬炎[安世]
236~290 最高官位:皇帝 『晋書』立伝
- 寛大で情けがあり、冷静で思慮深く、度量があった 「知・政」
- 司馬昭の後を継ぐと、刑罰を緩め、労役を休止して民を慰撫した 「政」
- 中正官に遺賢を推挙させた 「政」
- 禅譲を受けると、独身者や困窮者に穀物を下賜し、徳政令や大赦令を出した 「政」
- 倹約を広める一方、宮廷にあった宝物を下賜した 「政」
- 王凌や鄧艾の一門を大赦した。また刑罰の緩和や倹約を促進した 「政」
- 皇帝の廟を建設したいという申請を、労役が重いとして却下した 「政」
- 過ちを正せる者を侍中、常侍に選抜させた 「政」
- 士卒で父母の訃報に遭った者は、国境地帯の任務から外れることを許した 「政」
- 太守や国相に、治める地域の巡察を命じた 「政」
- 官倉を開き、水害の起きた地域を救済した 「政」
- 太守や国相に、品行方正な人物を推挙させた 「政」
- 裁判や獄囚に臨み、自ら公平に判断を下した 「政」
- 太守や県令などに、その土地の利益を尽くすことに躍起にならぬよう戒め、遊蕩や商いを禁じた 「政」
- 有能な人材を毎年推挙することを求めた 「政」
- 適格な諫言を行った郭廙を昇進させた 「政」
- 諸侯を招き、諮問して直言を求めた 「政」
- 隴右で戦災に遭った者の税を免除し、自活できない者には官倉から穀物を貸し付けた 「政」
- 飢饉の起きた州に大赦令を出した 「政」
- 自身と口論になった皇甫陶を許し、それを讒言した鄭徽を罷免した 「政」
- 帝が妾の位を上げて皇后とすることを禁じた 「政」
- 典礼により禁じられている珍奇な衣服を献じられると、それを焼き払った 「政」
- 呉の孫皓が降伏すると大赦を行い、人民を喜ばせた 「政」
- 呉の士人を人望と才能に応じて抜擢した 「政」
- 内外の官吏に、清廉、有能、質素倹約に努める人物を推挙させた 「政」
- 道理に通じ、策謀に長け、大事に対する判断力があった 「知」
- 司馬昭が殺害した許允の子である許奇を重用し、その寛容さを称賛された 「政」
- 天下統一が成されると政務を怠り、遊宴に耽った。皇后の一族を寵愛し、そうして高位に就いた者が権勢を握り、法は乱れた 「-政」
- 暗愚と知りつつ孫の聡明さを頼りに司馬衷を太子に据え、外戚を恐れながら没した 「-政」
- 山濤によって秘書郎に推挙された嵆紹を、さらに上の秘書丞に抜擢した 「政」 [王粲伝]
司馬師[子元]
208~255 最高官位:大将軍 『晋書』立伝
- 容姿端麗で冷静沈着、遠大な計略を数多く有した 「知・政」
- 夏侯玄、何晏と共に名声を集めた。何晏は「機微に通じ、天下の務めを成すことができる」と評した (政)
- 人材登用の法を適格に運用し、私情は挟まなかった 「政」
- 曹爽排斥の策について、司馬懿は司馬師とのみ相談し、司馬昭には当日まで知らされなかった
- 曹爽排斥のクーデターの朝、兵を完璧に統率し、司馬懿から高く評価された 「統」
- 決死の兵3000人を養って民衆の間に紛れ込ませ、それを一夜にして集合させた 「統」
- 司馬懿の後を継いで政権を担うと、長幼の序を明らかにし、貧窮者や独身者を救済し、遺賢を推挙させた 「政」
- 曹叡までの魏の三祖が定めた制度を尊び、安易な改定は許さなかった 「政」
- 諸葛恪の侵攻が、合肥に戦力を集中させることを予測した 「知」
- 諸葛恪の侵攻に対し毌丘倹らに守りを固めさせ、敵の撤退時に伏兵でもってこれを撃ち破った 「統・知」
- 曹芳、李豊らによるクーデターを阻止した 「知?政?」
- 曹髦の軽はずみな振る舞いや、華美を諌めた 「政」
- 毌丘倹らの決起が統率されていないと判断し、進軍は急がなかった 「知」
- 文欽が退却していることを察知し、追撃した。文鴦の迎撃には苦戦したが、最終的には戦果を挙げた 「統・武」
- 諸葛誕らに東興を攻撃させたが、諸葛恪、丁奉らによって撃ち破られた 「-知」 [斉王紀]
- 東興の戦いの敗戦や、陳泰の并州討伐の失敗において他者を責めず、人心を集めた 「統?政?」
- 虞松の進言を容れ、狄道を包囲する蜀軍に対しては郭淮らを差し向けて撤退させ、合肥新城を包囲する呉軍に対しては守りに徹した 「統・知」
- 賄賂が横行していた護軍の官に就くと、法令を整備しこれを止めさせた 「政」 [夏侯尚伝]
司馬昭[子上]
211~265 最高官位:晋王、相国 『晋書』立伝
- 曹叡が奢侈を極めた時代の後を受け、労役を中止し農業を促進させ、民心を集めた 「政」
- 夏侯玄の副将として征蜀に同行した際、夜襲を受けても動じなかった 「統」
- 夏侯玄に征蜀の中止を進言した 「知」
- 曹爽排斥のクーデター時、軍を率いて二宮を守った 「統」
- 蜀の侵攻に対し、敵の本拠地を突くと見せかけて姜維を撤退させ、句安を孤立・降伏させた 「統・知」
- 狄道を攻めるという姜維の宣言が偽りと見抜いた 「知」
- 新平の羌胡の反乱を平定した 「統・武」
- 毌丘倹の乱時は、洛陽に留まって鎮護した 「統」
- 司馬師の死後、曹髦は傅嘏らに命じて司馬氏から兵権を没収しようとした。傅嘏は司馬昭に与し、司馬昭はその言を用い、軍を率いて洛陽へ帰還した 「統?知?」
- 諸葛誕の乱に際し、諸州から兵を徴発し、大軍を集めた。淮南へ使者を送り、広く将兵を慰撫し、賞罰を教示した 「統」
- 呉の援軍が来るように見せかけ、諸葛誕らに兵糧を浪費させた 「知」
- 呉の援軍を警戒し、安易に寿春を攻撃せず、包囲に努めた 「知」
- 全儀らが降伏してくるとさらに鍾会の策略を用い、偽りの書簡でもって全静らも降伏させた 「知」
- 寿春から出撃してきた諸葛誕らを迎撃、撃退した 「統・武」
- 文欽の子の文鴦が降伏してくると、寿春に降伏を呼びかけさせた 「知?」
- 寿春の敵兵の戦意がなくなっているのを見て取ると攻撃をかけ、陥落させた 「統・武」
- 呉軍の降伏を許し、寛大さを示した 「統?政?」
- 前代の名臣の子孫を才能に応じて登用した 「政」
- 曹髦のクーデターは阻止したが、成済が曹髦を殺害するに至った
- 呉の蕭慎の降伏が偽りと見抜いた 「知」
- 鍾会の叛意は見抜いていたが、征蜀後に反乱を画しても失敗に終わると予測した上で派遣した 「知」
- 些細な禁令や、時宜を得ない法制を撤廃した 「政」
- 曹爽排斥の策について、司馬懿は司馬師とのみ相談し、司馬昭には当日まで知らされなかった [景帝紀]
- 呉の鄧由の降伏が偽りという王基の進言を容れた 「知」 [王基伝]
- 司馬師を弾劾し乱を起こした毌丘倹は、司馬昭については「善を尊び士人を愛し、世俗を超越した君子の風格がある」と上奏した (政?) [毌丘倹伝]
- 諸葛誕の乱時、王基らに寿春を包囲させて二重に陣を固め、高い砦を築いた 「統・知」 [諸葛誕伝]
- 征蜀が可能と判断し、船を建造して標的が呉と見せかけつつ、鄧艾、鍾会らに侵攻させ、その指揮を執った 「統・知」 [鍾会伝]
- 征蜀が終わると、叛意を持っている鍾会に圧力をかけるため、長安まで軍を進めた 「統・知」
司馬伷[子将]
227~283 最高官位:大将軍、開府儀同三司、都督徐青州諸軍事 『晋書』立伝
- 若い頃から才能があり、評判高かった 「政」
- 鄴城を監督し、民衆を心服させ、高く評価された 「政」
- 下邳を守り、四方を統御し、将兵に最大限の力を発揮させた 「統」
- 呉を討伐し、蔡機を捕縛し、諸葛靚らを降伏させた 「統・武」
- 呉平定の大功に参与したが恭倹に努めた。配下は力を尽くし、民衆も心服した 「政」
- 司馬昭を排そうとした魏帝曹髦の迎撃に出たが、帝の側近に一喝されると軍勢は離散した 「-統?」 [高貴郷公紀]
司馬孚[叔達]
180~272 最高官位:太宰 『晋書』立伝
- 温厚で清廉、広く経書や歴史書に精通した 「政」
- 度量があり、公正で、一度も人を怨んだことがなかった 「政」
- 罪を得た殷武を気遣って食事を共にし、称えられた 「政」
- 高慢な曹植を咎め、当初は受け入れられなかったが、後に感謝された 「政」
- 父の死に消沈する曹丕を励まし、天下に号令を下すよう勧めた 「政」
- 曹操の死に消沈する群臣たちをも一喝し、葬儀を取り仕切り、曹丕を奉戴した 「政」
- 曹丕の側近は知人ばかりを任用しようとしたがこれを咎め、海内から人材を選出させた 「政」
- 孫権が于禁を返還しない理由を推察し、呉に対しては寛大に懐柔するよう勧めた 「知」
- 度支尚書となると、部隊を2つ編成して賊に備えることや、屯田兵を上邽に駐屯させ耕作や養蚕、軍事訓練を行うよう進めた 「統・政」
- 曹爽一党が政を乱すと身を正して関わり合いにならないよう努め、害を避けた 「政」
- 曹爽排斥のクーデター時、司馬師と共に司馬門を固めた 「統」
- 諸葛恪に合肥新城を囲まれても進軍を急がなかった。司馬孚が急がず進軍しただけで諸葛恪軍は撤退した 「統・知」
- 毛皇后が崩じた時、銘旌の書き方について、古典を例に建議した 「政」
- 姜維の侵攻に対し、関中に出陳して諸軍事を統括した 「統」
- 曹髦が崩じると、庶人の礼で葬るという太后の命に反対し、王礼による葬儀を認めさせた 「政?」
- 諸侯のための規則を作り、官吏を充足させた 「政」
- 毌丘倹は反乱時、司馬師を弾劾しながら司馬孚については「忠孝で謹直」と称えた (政?) [毌丘倹伝]
司馬望[子初]
205~271 最高官位:大司馬 『晋書』付伝
- 司馬懿に従って王凌を討伐した 「統・武」
- 地方に在住すること8年、威勢と教化は清明、厳粛だった 「統・政」
- 広く方略を設け、姜維の侵略を防いだ 「知」
- 呉軍を防ぐために度々軍を率いたが、相手の退却により戦闘には至らなかった
- 吝嗇な倹約家で、財産を蓄えていたことで、死後に批判を被った 「-政?」
- 曹髦の討論会の一員となった 「政?」 [高貴郷公紀]
- 才能見識があり、早くから世間に名を知られた 「政」 [司馬朗伝]
- 毌丘倹による司馬師弾劾の上奏の中で「司馬望は忠実公正をもって事に当たり、官職にあっては有能と評価されている」と評された (政) [毌丘倹伝]
- 姜維に対して防御を固め、応戦せずに退却させた 「統」 [姜維伝]
司馬亮[子翼]
?~291 最高官位:汝南王、太宰、録尚書事 『晋書』立伝
- 若くして機知と才覚があった 「知?政?」
- 諸葛誕と寿春で戦って敗れ、免官された 「-統・-武」
- 胡烈の援軍に派遣した劉旂らが進軍しなかったため、降格処分を受けた
- 楊駿誅殺の論功行賞を過大に行い、かえって衆望を失った 「-政」
- 司馬瑋の攻撃を受け、反抗することなく刑に服した。純朴で調和を重んじたが、決断力には欠けていた
- 衛瓘と共に、人事制度の九品中正を廃止し、郷挙里選に戻すよう上疏した 「政」 [晋書 衛瓘伝]
司馬朗[伯達]
171~217 最高官位:兗州刺史 『三国志』立伝
- 12歳の時に経書の試験を受けたが、年を偽っているのではと試験官に疑われた。司馬朗は「父方母方の親類とも代々大柄なのです。年を偽って早成を望むのは私の願うところではありません」と答えた 「政?」
- 温に移住しようとした李邵を諌めた。李邵が聞き入れず移住すると住民は混乱し、野盗となって荒らし回る者も現れた 「知」
- 董卓に「四方の関所で逃散を取り締まり重い刑罰を課しても、戦争はなくなりません」と述べた 「政?」
- 董卓の滅亡を察知し、権力者に賄賂を贈って郷里に逃れた 「知」
- 董卓討伐軍が河内に駐留することを予測し、村の長老に黎陽へと逃れるよう進言したが、彼らは従わなかった。董卓討伐軍は河内に集まり、略奪を行って人民を殺害した 「知」
- 一族の者を労り養い、若者たちを教育し、末世だからと言って仕事をおろそかにしなかった 「政」
- 行政は寛大で恵み深く、鞭打ち杖打ちを行わなくても住民は禁令を犯さなかった 「政」
- 州と郡に兵を置くこと、井田法を復活させることを主張した 「政」
- 兗州刺史になると、政治教化は十分に行き渡り、人民から称えられた 「政」
- 軍事行動に参加している時でも、常に粗衣粗食、質素な態度で部下を導いた 「政」
- 人物評価と古典を好み、名声栄誉を得ていた李テキに低い評価を与えた。後に李テキは失敗し、人々はその見識に心服した 「政」
- 鍾繇と王粲の論文を非難し、「伊尹、顔回のような人物に数代に渡って政治を担当させれば、太平を招くことができる」と主張した 「政」
- 崔琰は「貴方の弟(司馬懿)は聡明誠実、剛毅果断、一際優れた人物で貴方の及ぶところではない」と述べた (-政?) [崔琰伝]
- 楊俊は「司馬芝は名声では司馬朗に及ばないが、実質的な内容ではずっと優れている」と述べた (-政?) [楊俊伝]
朱儁[公偉]
?~195 最高官位:太尉、録尚書事 『後漢書』立伝
- 母に孝養を尽くして名を上げた 「政?」
- 義を好み財を軽んじて、村人に敬われた 「政」
- 政に異能があり、東海国相に表彰された 「政」
- 会稽で募兵を行った 「統」
- 使者を派遣して賊の虚実を探り、朝廷の威光を宣揚してその心を動揺させてから進軍し、梁龍を斬った 「統・武・知」
- 黄巾の乱の際、多くの公卿に才略があると推薦され、右中郎将となった (知)
- 皇甫嵩と共に潁川、汝南、陳国の黄巾をことごとく破った 「統・武」
- 一万八千人の兵で、十万余の兵を率いて宛城に篭った趙弘を斬った 「統・武」
- 宛城を囲んで砦を構え、土山を築き、鼓を鳴らして城の西南を攻めさせた。敵が全軍を挙げてそこに向かうと、朱儁は精鋭を率いて東北を攻め、城内に突入した。敵将の韓忠は恐怖して降伏を乞うたが、朱儁はそれを退けた 「統・武・知」
- 囲みを解いて韓忠を誘い出し、それを攻撃して降伏させ、一万余の首級を挙げた 「統・武・知」
- 宛中で孫夏を攻撃し、敗走させた。それを追撃してまた勝利し、一万余の首級を挙げた 「統・武」
- 董卓の長安遷都に反対する一方、副官への登用は拒んだ 「政」
- 洛陽に進軍し、楊懿を敗走させた 「統」
- 河南で李傕、郭汜に敗れた 「-統・-武」
- 陶謙らは朱儁を「文武に秀で、天運に応じて現れ、全ての君子が期待を寄せている」と評し、太師に推した (全)
- 陶謙らの申し出を退け、「変事は必ず起こる。その間に乗ずれば大事を成せる」と判断し、勅命に従って長安に入朝した
- 孫堅を配下に登用した 「政」 [孫堅伝]
荀彧[文若]
163~212 最高官位:侍中、光禄大夫 『三国志』立伝
- 何顒に「王佐の才を持っている」と評された (知)
- 潁川が戦場になると予測し、冀州へ退去した 「知」
- 董卓について「暴虐が余りに酷く、禍乱の内に命を落とす」と述べた。その後、董卓は呂布に殺害された 「知」
- 張邈の謀反を見抜き、即座に兵を整えた 「統・知」
- 郭貢が数万の兵を率いて襲来すると、彼を説得して退却させた 「政」
- 范県、東阿県を説き伏せ、張邈の謀反から守り抜いた 「政」
- 兗州より先に徐州を平定しようとした曹操を諌めた。曹操はこれに従い、呂布を破って兗州を平定した 「知」
- 韓暹、楊奉に構わず、献帝を擁立するよう進言した 「知」
- 私欲のために心を動かすことはなく、親族でも才能品行が劣れば採用しなかった 「政」
- 曹操を袁紹と比べ、度量、計略、武力、徳義で勝っていると称えた 「知」
- 袁紹が関中に侵入することを恐れる曹操に対し、鍾繇に任せ、韓遂、馬超と結ぶよう進言した 「知」
- 孔融が袁紹軍を評価したのに対してその弱味を指摘した。後に袁紹軍はその予測どおり瓦解した 「知」
- 袁紹と戦闘中、許昌に引き返そうとした曹操を諌めた 「知」
- 袁紹を追討するより先に劉表を攻めようとした曹操を諌めた 「知」
- 鄴を陥落させた時点で九州制を実施しようとした曹操を諌めた 「知・政」
- 劉表討伐の際、間道から軽装の兵を進めて不意を突くよう進言した 「知」
- 六経を研究し、礼の学問を盛んにするよう進言した 「政」
- 司馬懿に「百数十年間に渡って荀彧に及ぶ賢才は存在しない」と評された (知・政)
- 推挙した人物は一代の英才ばかりで、最後に卿相の位に登った者は十数人を数えた 「政」
- 鍾繇に「顔回没後、九徳を完備し過失を繰り返さない者は荀彧一人」と評された (政)
- 河東を鎮圧する者として杜畿を推薦した 「知」 [杜畿伝]
- 日食の予言を理由に朝礼を廃することに反対した、劉劭の意見に賛成した 「知」 [劉劭伝]
荀顗[景倩]
?~274 最高官位:侍中、太尉、行太子太傅 『晋書』 立伝
- 幼くして姉婿の陳章に称賛された (政?)
- 幼少期から名を知られ、性格は至孝で、博学で見聞広く、思考緻密だった 「政」
- 司馬懿に「さすが荀彧の子」と称えられた (政?)
- 鍾会の『易』に互体が無いことを非難した 「政」
- 司馬駿と、仁と孝ではどちらが先なのかを論じ、称えられた 「政」
- 曹髦が即位すると司馬師に、地方に使者を派遣して徳を広め、情勢を調べるよう進言した 「知?政?」
- 司馬昭の諸葛誕征討時、留守を任された 「政」
- 人事官として名声を顕し、清廉で、風俗を正した 「政」
- 母が死ぬと官職を去り、体調を崩すほどの孝養を称えられた 「政」
- 羊祜らと共に晋礼を制定した 「政」
- 正徳と大豫の楽曲の誤りを正すよう命じられたが、事業が終わる前に没した
- 三礼に精通し、朝廷の大儀を知っていた 「政」
- 直言する節操はなく、荀勖と賈充の間で迎合するだけだった 「-政」
- 皇太子(後の恵帝)が妃を娶る際、賈南風を勧め、世の譏りを買った 「-政」
- 曹髦と帝王の優劣について議論した。荀顗らは漢の高祖を称えたが、曹髦はこれを退け、少康を称えた [高貴郷公紀]
- 胡昭を推薦した 「政」 [管寧伝]
- 王沈、阮籍と共に『魏書』を編纂したが、その内容は時勢に配慮したもので、陳寿の著作には劣った 「-政?」 [晋書 王沈伝]
- 親への孝養により、傅玄から君子の第一人者と称えられた (政) [晋書 何曾伝]
荀勗[公曾]
?~289 最高官位:光禄大夫、儀同三司、守尚書令 『晋書』立伝
- 早熟で、十余歳にして巧みに文章を著した 「政」
- 鍾繇に「荀爽の域に及ぶだろう」と評された (政)
- 成人する頃には博学で、政に携わった 「政」
- 孫佑を族誅しようとした司馬昭を諌め、感情に任せて刑罰を決めないよう主張した 「政」
- 蜀に入る刺客になりたいと主張する者が現れると、そのような手段を取ることは大義名分に反すると、起用に反対した。司馬昭はこの意見を称えた 「政?」
- 鍾会が反乱したという報告を真実と判断した 「知」
- 征蜀に際し衛瓘を監軍とするよう勧めた。衛瓘は動乱の収束に貢献した 「知・政」
- 裴秀、羊祜と共に機密を与った 「政」
- 孫皓に帰順を求める文を採用され、司馬昭に称えられた 「政」
- 賈充と共に律令を定めた 「政」
- 自らの権勢のため、司馬衷の妃に賈南風を勧めたことで輿論の謗りを受けた 「-政」
- (音楽の)楽を管轄し、律呂を定め、共に定着させた 「政」
- 記録や書籍を整理し、書博士を立てて生徒への教育を行わせた 「政」
- 征呉に反対した 「-知?」
- 古文竹書を編纂し『中経』として収蔵した 「政」
- 官吏の定員を削減することに反対し、その得失を論じた 「政」
- 楊珧を太子太傅、山濤を司徒に推薦した 「政」
- 洪水の被害が甚大な兗州に、都水使者を立てるよう提言した 「政」
- 下級役人に法の制定を任せることに反対した 「政」
- 太子司馬衷の資質を疑った司馬炎に対しその徳を称え、その妃賈南風の廃位が検討されるとまたそれに反対し、ともに輿論の非難を浴びた 「-政」
- 性格は慎み深く、重大な詔令に関与してもそれを公言しなかった 「政?」
- 親族に輿論の支持獲得に努めるよう勧められたが、あくまで秘密を守ること、私党を形成しないことに努めた 「政?」
- 尚書令となると官吏に試験を課し、知識のないものは全て解雇した 「政?」
- 長きに渡り機密を管理し、才能と思慮があった 「政」
- 君主の微かな意思を汲み取り、面と向かって言い争わず、生涯に渡って寵愛を得た
- 太子司馬衷の地位を守るため、政敵となり得る司馬攸を藩国に帰するよう勧めた [斉王攸伝]
- 陳寿に『諸葛氏集』を編纂させ、また『古国志』を称えたが、後に『三国志』の魏書を嫌い左遷させた [諸葛亮伝][華陽国志 陳寿伝]
荀攸[公達]
157~214 最高官位:尚書令 『三国志』立伝
- 祖父の元下役の張権が悪事を犯してきたのを見抜いた 「知」
- 張繍を攻撃しようとする曹操を諌めた。曹操はこれに従わず張繍を攻撃したが、劉表が張繍を救援し、曹操は敗れた 「知」
- 下ヒ城に篭城した呂布を攻め続けるよう、曹操に進言した。曹操はこれに従い水攻めで城壁を破壊し、呂布を捕らえた 「知」
- 劉表と張繍は思いきって動けない状況と判断し、呂布を攻撃するよう主張した 「知」
- 輜重を囮にして敵陣を乱してから攻撃し、文醜を破った 「知」
- 韓荀が守る輸送車を徐晃に攻撃させるよう進言した 「知」
- 許攸、張コウの降伏を信用するよう進言した 「知」
- 袁譚の降伏を受け入れ、劉表より先に袁尚を倒すよう進言した 「知」
- 思慮が深く緻密で、事を処理する判断力と身の危険を避ける英知を持っていた 「知」
- 曹操に「愚鈍に見えて英知を有し、臆病そうで勇気溢れ、ひ弱に見えて剛気である。善をひけらかさず、面倒事を人に押しつけない」と評された (知?政?)
- 鍾繇に「荀攸の意見は人の考えの上を行くのが常だった」と評された (知?政?)
- 白馬の顔良を急襲するよう進言した 「知」 [武帝紀]
- 賢人を推薦し士人を挙用した 「政」 [荀彧伝]
徐晃[公明]
?~227 最高官位:右将軍 『三国志』立伝
- 楊奉に従い、賊を討伐して功績を立てた 「武」
- 楊奉に、献帝と共に洛陽へ戻るよう進言した 「知?」
- 楊奉に、曹操に帰伏するよう進言した 「知?」
- 巻と原武の賊軍を打ち破った 「統・武」
- 別軍として呂布の将趙庶、李鄒らを降伏させた 「統・武」
- 史渙と共に、河内でスイ固を斬った 「統・武」
- 付き従って劉備、顔良を打ち破り、白馬を攻め落とした 「武」
- 延津で文醜を破った 「統・武」
- 曹洪と共に、イン彊の賊祝臂を破った 「統・武」
- 史渙と共に、故市で袁紹の輜重車を攻撃し、最大の戦功を挙げた 「統・武」
- 易陽県令の韓範を説得し降伏させ、曹操にそれを受け入れるよう進言した 「知・政」
- 別軍として毛城を伏兵を設けて襲撃し、三つの屯営を打ち破った 「統・武・知」
- 付き従って南皮で袁譚を打ち破った 「武」
- 平原で賊を討伐した 「統・武」
- トウ頓征討に付き従った 「武」
- 荊州征討に付き従い、別軍として中盧、臨沮、宣城の賊を討伐した 「統・武」
- 満寵と共に漢津で関羽を攻撃した 「統・武」
- 曹仁と共に江陵で周瑜を攻撃した 「統・武」
- 韓遂、馬超らが反乱を起こすと、汾陰に駐屯して河東を鎮撫した 「統」
- 蒲坂津を渡り、梁興を撃退して陣営を設置した 「統・武」
- 夏侯淵と共にテイ族を平定した 「統・武」
- 夏侯淵と共にフと夏陽にいる反乱軍の残党を平定し、梁興を斬って、三千余の家を降伏させた 「統・武」
- 張魯征討に付き従い、別軍を率いてテイ族を攻撃し、全て降伏させた 「統・武」
- 賊の陳福らの屯営三十余個所を攻撃し、全て打ち破った 「統・武」
- 別軍を率いて、街道を断ち切った陳式を打ち破った 「統・武」
- 塹壕の道を作って敵の背後を断ち切ろうとする勢いを示し、賊を敗走させて偃城を手に入れた 「統・知」
- 四家の屯営の救援に訪れた関羽を攻撃し、包囲陣の中にまで入って打ち破った 「統・武」
- 摩陂に帰還した際、他の軍の士卒は持ち場を離れる者が多かったが、徐晃の軍だけは整然としていた 「統」
- 夏侯尚と共に上庸で劉備を破った 「統・武」
- 陽平を鎮護した 「統」
- 襄陽で諸葛瑾を防いだ 「統・武」
- 慎重そのものの性格で、軍を率いる時はいつも遠くまで物見を出し、勝てない場合の配慮をしてから戦った 「統?知?」
- 夏侯淵の指揮下で大陵を包囲して攻め落とし、賊の指導者商曜を斬った 「武」 [夏侯淵伝]
- 曹仁と共に、襄陽で陳邵を破った 「統・武」 [曹仁伝]
徐邈[景山]
171~249 最高官位:光禄大夫 『三国志』立伝
- 郡の太守や典農中郎将を歴任し、各任地で名を上げた 「政」
- 曹丕に酒癖を揶揄されると冗談で返し、その弁舌を称えられた 「政」
- 隴右の三郡が蜀に呼応すると、金城太守らを派遣し、南安を平定した 「統」
- 塩池を修理して蛮地で穀物を収穫し、広く水田を開き、貧民を募集して田作させ、食糧不足を解消した 「政」
- 軍用米の余剰ができたことでそれを金や馬と引き換え、朝廷に納めた 「政」
- 民間の武器を没収して仁義により導き、学校を建て、淫祀を廃絶した。教化は大いに行き渡り、民や遠方の異民族までが心を寄せた 「政」
- 羌族の柯吾を討伐した 「統・武」
- 羌族の事件を処理する場合、小さな過失は不問に処し、死刑に処すべき者のみを斬首とし、その旨を告知した。羌族からは信頼を集め、また威光に服した 「統・政」
- 悪事を厳しく取り締まり、州域は粛然とした 「統・政」
- 司隷校尉に就任すると、百官は徐邈を敬い、憚った 「政」
鍾毓[稚叔]
?~263 最高官位:後将軍、都督荊州諸軍事 『三国志』付伝
- 頭の回転の速さ、にこやかな話術など、父の鍾繇と同じ風格を持っていた 「政」
- 諸葛亮が祁山を包囲すると、これを討伐しようとした曹叡を諌めた 「知?政?」
- 豪華な宮殿を建造する曹叡を諌め、荒地を開墾するよう訴えた 「政」
- 蜀討伐に苦戦し増援を要求する曹爽に対して、撤退を要請した 「知」
- 亡き主君や父への誹謗を取り締まる制度を作った 「政」
- 封侯された時に妻を取り替える制度を廃した 「政」
- 毌丘倹の反乱に際し、揚州と豫州を訪れ、恩赦令を頒布した 「政」
- 諸葛誕の反乱に際し、孫壱の帰順により呉は出兵できないと言う者もいたが、鍾毓はこの論を退けた 「知?」※裴松之は分かりきったことと否定的
- 曹髦、荀顗らと共に礼法や、歴代の帝王の優劣について議論した 「政」 [高貴郷公紀]
- 夏侯恵としばしば議論を戦わせたが多くの場合、夏侯恵の意見が採用された [夏侯淵伝]
- クーデターを企てた李豊が惨殺されると鍾毓は担当官として、法によって処刑されたのではないことを理由に、遺体の引き受けを拒否した [夏侯尚伝]
- クーデターを企て逮捕された夏侯玄は供述を拒否したが、鍾毓が事実に符合するよう作成した供述書を見せられると頷くばかりだった 「政」
- 胡昭を推挙した 「政」 [管寧伝]
- 弟の鍾会を「策謀に走りすぎて一貫した態度を取れない男」とし、専権の地位を与えないよう司馬昭に進言していた 「知」 [鍾会伝]
- 管輅と『易』について議論を戦わせ、屈服した [管輅伝]
蔣琬[公琰]
?~246 最高官位:大司馬、録尚書事、益州刺史 『三国志』立伝
- 諸葛亮が漢中に駐留すると、張裔と共に丞相府の事務を取り仕切った 「政」
- 兵糧と軍兵を充足し、諸葛亮の遠征軍に供給した 「統・政」
- 諸葛亮に「忠義公正を旨としており、王業を支えるべき人物」と評された。また、諸葛亮は劉禅に「臣にもし不幸があれば後事は蔣琬に任せてください」と述べていた (政)
- 諸葛亮の死後に抜擢されたが、心ばせも態度も変わらなかったことから、人々の心服を得た 「政」
- 自分を非難した楊敏を咎めず、その楊敏が逮捕された際も、個人的感情で判断しなかった 「政」
- 杜瓊の才能を高く評価した 「政」 [杜瓊伝]
・漢中にいながら、全ての恩賞・刑罰についての諮問を受けた 「政」 [費禕伝]
鍾会[士季]
225~264 最高官位:司徒 『三国志』立伝
- 幼い時から賢く、早熟だった。「瞳を見れば人間の価値を判断できる」という蔣済に「並外れた人間」と評価された「知」
- 成人するとさらに博学となり、名声を勝ち得た 「政」
- 虞松の上奏文の五文字を改変し、司馬師に「帝王を補佐する才能の持ち主」と認められた 「政」※裴松之は否定的
- 毌丘倹討伐に従軍し、密謀を担当した 「知」
- 司馬師の死後、曹髦は司馬氏の兵力を削ごうと傅嘏に兵を率いて帰還するよう命じるが、鍾会は傅嘏と相談してこれを退け、司馬昭を奉じて帰還した 「知」
- 諸葛誕の反乱を予測し、彼の召還に反対した 「知」
- 幼い頃から多くの書物について学んだ 「政」
- 呉の全輝兄弟が帰順すると彼らに文書を作らせ、一族の全懌らも降伏させた 「知」
- 書記官の仕事を司り、司馬昭の腹心の任を果たし、政治上の改革や賞罰について全てを取り仕切った 「政」
- 蜀の征伐が可能と判断し、命令に先立って地形を調査していた 「知」
- 蜀征伐に際し、胡烈らの軍を先行させ、関城を撃ち破った 「統」
- 蜀の官民に降伏を呼びかける布告を発したが、姜維らは応じなかった
- 田章らを江由に向かわせ、蜀の伏兵3部隊を撃破した 「統」
- 同僚の諸葛緒が進軍しないと告発、逮捕し、彼の軍勢をも独占した
- 姜維の守る剣閣は撃ち破れず、その地で対峙。その間に山道を越えた鄧艾が成都を降伏させた
- 蜀の降伏後、部下を厳しく取り締まって略奪を許さず、虚心な態度で蜀の高官たちを受け入れた 「統」
- 蜀に帰順した夏侯覇は「鍾会という者が朝政を取り仕切れば呉蜀にとって心配な事態となる」と訴えていた
- 鄧艾が強硬に呉征伐を訴える状況を利用し、鄧艾の文書を偽作して、彼を謀反の罪に陥れた 「知」
- 配下の胡烈らを拘束し蜀で反乱を企てたが、その子の胡淵らの襲撃を受け、殺害された 「-知」
- 弱冠にして学者の王弼と並び評判高かった (「政」)
- 曹髦の即位に際し彼を「才能は曹植、武勇は曹操に匹敵する」と評した [高貴郷公紀]
- 曹髦の主催する討論会に度々参加し、彼の帝王の優劣に関する論を文章で残した 「政」
- 逮捕された夏侯玄に馴れ馴れしい態度で近づいたが、拒絶された [夏侯尚伝]
- 許允の処刑に際し、彼の息子にも才があれば連座させる運びとなり、その息子らと会見した。息子らは母から「思ったまま鍾会と話せばそれで心配はない」と教えられており、その母の見立通り、彼らを放免した
- 荀融、王弼と共に、易経と老子の解釈について議論した 「政」 [荀彧伝]
- 『易』の互体を否定する論文を記した。荀顗はその説を批判し、高い評価を受けた 「政?」
- 在野の嵆康と会見したが拒絶され、名声を集める彼を処刑するよう司馬昭に勧めた [王粲伝]
- 裴楷を「清廉で諸事に通ずる」、王戎を「淡白で要を得ている」と推挙した 「政」 [裴潜伝]
- 才能と性格とは一致しないという傅嘏の論をまとめ、論述した 「政」 [傅嘏伝]
- 姜維と会見すると「諸葛誕や夏侯玄でも彼以上ではあるまい」と評した [姜維伝]
蔣済[子通]
?~249 最高官位:太尉 『三国志』立伝
- 孫権に合肥を包囲された際、四万の援軍が到着すると偽って、孫権を退却させた 「知」
- 淮南の民衆を移住させようとした曹操を諫めた。曹操はそれに従わず移住させようとしたため、民衆は呉に逃亡した 「知」
- 関羽に樊と襄陽を包囲された際、遷都しようとした曹操を諫め、孫権に関羽の背後を襲わせるよう進言した 「知」
- 『万機論』を献上し、曹丕に称えられた 「政」
- 詔勅で夏侯尚に「刑罰を行い恩賞を施せ」と述べた曹丕を批判した 「政」
- 濡須の中州を攻撃しようとした曹仁を諫めた。曹仁はそれに従わず、敗れた 「知」
- 曹丕が広陵に行幸する際、『三州論』を奉り、水路の交通が困難なことを上奏した。曹丕はそれに従わず行幸したが、軍船は渋滞して進めなかった 「知」
- 広陵で屯田を行うことに反対した 「知」
- 水が干上がった状況で船を任されたが、地を掘って水路を作り、土堤でせき止めておいた湖の水を放水して船を淮水に流し入れて帰還した 「統・知」
- 曹休が皖に進軍した際、朱然に背後を突かれるから救援すべきと進言した 「知」
- 劉放と孫資に権力が集中していることを批判した 「政」
- 曹叡が田豫らに遼東を侵攻させた際、それを諌めた。田豫らの侵攻は失敗した 「知」
- 曹叡の宮殿造営を諌めた 「政」
- 呉が公孫淵を救援しないことを予測した 「知」
- 魏は舜の子孫であるという高堂隆の主張に対し、文章を著してそれを否定した 「政」
- 鄧ヨウ、丁謐らが法律を改変したことを批判した 「政」
- 桓範が出奔して曹爽のもとへ向かった際、曹爽が彼を用いることはできないと予測した 「知」 [曹真伝]
- 并州の統治に失敗した畢軌の文学的才能、意志の強さを評価し、中央に召還するよう上奏した 「政?」
- 武官の登用を司る護軍の官に就いた際、賄賂を取った 「-政」 [夏侯尚伝]
- 胡昭を招聘したが、招き寄せることはできなかった 「政?」 [杜畿伝]
- 曹操によって劉曄、胡質らと共に召し寄せられた際、人物や軍隊について議論に花を咲かせた。しかし劉曄は「一人だけの会見によってその機微を十分に語らせるべきで、むやみに座談させるべきではない」と主張した。曹操は劉曄に腹心の任務を授けた [劉曄伝]
- 阮籍を招聘した 「政」 [王粲伝]
- 官吏選抜を担当する衛臻に「優れた人物なら平民や下僕でも王公に登用すべき」という手紙を送った。衛臻はこれに反論した [衛臻伝]
- 時苗が挨拶に出向いた際、泥酔していたために面会することができなかった。時苗の非難を浴びたが、しかし時苗を憎むことはなかった [常林伝]
- 合肥の城を移すべきとした満寵の上奏に反対した 「-知」 [満寵伝]
- 胡質を「品行と知謀では父に及ばないが、精密忠実に事を処理する点では父以上」と評価した 「政」 [胡質伝]
- 司馬懿に「王凌の子らの志と力は父より優れたものがあります」と話した。しかし後に、自分の言葉が王凌の一門を滅ぼすことになるだろうと悔やんだ [王凌伝]
- 鍾会を並外れた人間と評価した 「政?」 [鍾会伝]
- 許劭の人物批評を「樊子昭を高く持ち上げ、許靖を不当に低く抑えている」と非難した 「政」 [ホウ統伝]
蔣斌
?~264年 最高官位:綏武将軍、漢城護軍 『三国志』付伝
- 鍾会の交友を求めた手紙に丁寧な返書を返し、感心を得た 「政?」
- 魏軍の侵攻に対し、漢城を守った 「統・武」 [鍾会伝]
鍾繇[元常]
151~230 最高官位:太傅 『三国志』立伝
- 策略を巡らせ、長安から献帝を脱出させた 「知」
- 馬騰、韓遂らを文書で説得し、子供を人質に参内させた 「政」
- 官渡の戦いの際、馬二千頭余を軍に供給した 「統」
- 平陽で反乱した匈奴の増援に郭援が訪れると「弱みを見せれば民衆が背く。郭援は汾水を渡るだろうから、その間に攻撃すべき」と主張した。予測どおり郭援が汾水を渡ったため、馬超と共に攻撃をかけ、郭援を斬り、単于を降伏させた 「統・武・知」
- 洛陽に関中の民を移住させ、また逃亡者や反乱者を呼び込んで洛陽の住民とした 「政」
- 肉刑の復活を進言した 「政」
- 魏諷を登用した。魏諷は後に反逆し、鍾繇は免職となった 「-政?」 [武帝紀]
- 書に巧みで、胡昭らと並んで名声があった 「政」 [管寧伝]
- 大理に就任すると、優れた推察力によって法を運用し、裁きの見事さを称えられた 「政」 [王朗伝]
- 関中に進軍し諸将から人質を取ろうとしたが、馬超らはこれに不安を抱いて反乱を起こした 「-知」 [衛覬伝]
- 『左治』を好み、『公羊』を好む厳幹を議論で言い負かした 「政」 [裴潜伝]
- 易を解釈し『易記』を著した 「政」 [鍾会伝]
- 馬騰と韓遂を和解させた 「政」 [馬超伝]
諸葛誕[公休]
?~258 最高官位:司空 『三国志』立伝
- 官吏の昇進、転任について根拠を明確にし、綱紀を正した 「政」
- 朝廷において名声を馳せ、人望を集めたが、それが虚名との批判もあり、曹叡に嫌われ免官となった 「政?」
- 毌丘倹の乱に際し、豫州の諸軍を率いて寿春を占拠。敗走する呉軍を追撃し、留賛を斬った 「統・武」
- 反乱に先立ち、金蔵を傾けて民衆や侠者等の人心を引き寄せ、決死の兵を集めた 「統」
- 諸葛誕の恩賞は度を超したもので、死罪を犯した者に対しても、制度を無視して助けた
- 蔣班、焦彝の進言を退けて殺そうとし、彼らを降伏へと追いやった 「-統・-知」
- 包囲された寿春城からの脱出を図ったが、攻撃用の兵器は焼き払われ、多数の死傷者を出しながら城に引き返した 「-統・-武」
- 対立した文欽を殺害し、その子の文鴦、文虎も降伏に追いやった 「-統」
- 寿春城に総攻撃を掛けられると最早抗う者もなく、単騎で逃走を図ったが、最期は胡奮に斬られた 「-統・-武」
- 諸葛誕側近の兵たちは斬刑に臨んでも皆「諸葛公のために死ぬのだ、心残りはない」と口にした 「統」
- 配下の張特を無能と思い配置換えを考えていたが、諸葛誕の転任により未然に終わり、後に張特は合肥新城防衛に活躍した [斉王紀]
- 毌丘倹の乱に際し、肥陽駐屯の命を受けた鄧艾は、その地は要地ではないと判断。独自の行動を取り敵を敗走させた [鄧艾伝]
- 鍾会は姜維を「諸葛誕や夏侯玄でも彼以上ではあるまい」と評した [姜維伝]
- 呉の諸葛壱の偽降を迎えようとしたが中途で勘づき、撤退した 「知」 [呉主伝]
- 東興の戦いで丁奉の奇襲を受け、敗北した 「-統・-知」 [丁奉伝]
任峻[伯達]
?~204 最高官位:長水校尉 『三国志』立伝
- 楊原に河南尹の事務を代行し、反董卓の兵を挙げるよう進言した
- 曹操が征伐に出る度に留守を守り、郡の補給を受け持った 「統」
- 人民を許の県下で屯田させ、百万石の穀物を取り入れ、郡と国に田官を置いた 「政」
- 官渡の戦いで、兵器と食糧輸送を司った。袁紹に輸送路を断ち切られると、輸送車の周りを二重の陣構えで護衛し、対抗した 「統」
- 寛大で情け深く包容力があり、物の道理を掴んでいた 「政」
- 飢饉に当たっては友人の孤児を引き取り、一族の困窮者を助け、その信義を称えられた 「政」