「だからお願い!佐々木さん、私たちにはあなたしかいないの!」
橘京子が両手を組んで祈るように佐々木を見つめていた。
「橘さん、確かにあなたの話はとても面白いし、非常に興味はひかれる。
でもそれを信じる信じないは別にして、悪いけれども、私自身はそんな世界を改変する力なんかに興味はないし、
それにそんな力を涼宮さんとやらの代わりに持つのに自分がふさわしい人間だとも思えない。
そんなのはお断りさせていただくよ。」
佐々木は橘の申し出を一笑に付した。
橘京子は大げさにため息をつくと天を仰いでみせた。
「橘さん、申し訳ないけれどももうその話はやめて。
全くあなたの話を聞くのに閉口しているわけではないけれども、
私に聞き手以上の役割を求められても応えることはできないよ。」
佐々木は言い聞かすような口調で橘の目を見つめていた。
しかし、橘京子は小さなため息をついて、何かを決意したように前を向きなおした。
その目には今までの懇願の気色はなく、静かに責め立てるような光を帯びていた。
「佐々木さん、あなたは本当に世界を変えたいと望んでいないと断言できるの?」
すこしだけ佐々木の唇が歪んだ。
「今のあなたは本当にあなた自身の望んだ姿なの?
そうやって一人ぼっちでいることを本当に望んだの?」
「橘さん―」
佐々木は思わず身を乗り出して、彼女を制しようとした。
しかし、
「私知っているのよ。あなたが本当は今の高校じゃなくて別の高校へ行きたがっていたこと。
両親と先生に強く反対されて、あなたの希望は通らなかったわ。
君ならもっといい高校へいける、もっと勉強しなさいってね。」
「悪いけど、もういい加減に―」
「キョンくんだったけ?」
橘京子から出た思いがけない人物の名前に佐々木は一瞬その表情を硬直させた。
「ごめんなさいね。あなたのことはあらかた調べさせてもらっているの。
あなたが本当に行きたかった高校、それは彼と同じ高校、だよね?」
佐々木は静かに橘京子の目を見据えていた。
「そんな怖い顔しないで。
中学校3年間でたった一人だけ、あなたを受け入れてくれた人。
他人に心を閉ざしていたあなたが、たった一人だけ一緒にいたいと想った人。
そして、高校へ進学したときにあなたが失ってしまった人。
―そんな彼は今涼宮ハルヒと行動を共にしているわ。
周りからはまるで付き合っているようにしか思えないくらいの親密さみたいね。」
佐々木は唇を思わず噛み締めていた。
今となっては触れられたくない心の部分。
その佐々木の表情の変化に橘は少し満足そうな色を浮かべた。
「彼さえ傍にいてくれればきっとあなたは十分幸せな毎日を送れていたはずよ。
でも、今の現実は何?
あなたは仮面をかぶったままで、
誰もあなたのことを見てくれない、
誰もあなたの話を聞いてくれない、
誰もあなたを受け入れてくれない―」
橘京子はまるで相手に考える隙を与えないように言葉を矢継ぎ早に出した。
「もしもあなたが彼と同じ高校へ進学していたら、
彼が傍にいてくれたら、『今』は大きく変わっているんじゃないかしら?
もっとあなたは幸せな毎日を送れているはずじゃないかしら?
それこそが本当にあなたのあるべき姿なのではないのかしら?」
橘京子は質問を重ねるようにまくし立てた。
「橘さん、そんなことを言われても私は・・・
自分自身のために世界を変えるなんてことが許されるとは思えない。」
佐々木の否定に先ほどのような力はなかった。
橘京子は唇の両端を少し吊り上げて笑って言った。
「あなたと同じ立場の涼宮ハルヒもきっとキョン君がいなければあなたと同じように一人ぼっちだったでしょう。
彼という受け入れてくれる人がいなければね。
でも、彼女は一人じゃない。
なぜなら、世界を改変する力で彼をつなぎとめているから。
だから、そんなことは心配しないで。
世界を改変する力で彼をつなぎとめている人が涼宮さんから、佐々木さん、あなたに代わるだけのことなの。
今の現実がほんの少しだけ変わるだけ。
いえ、世界があるべき姿に変わるだけ。」
佐々木の目には明らかに混乱の色が見えた。
ずっと自分の中に押し殺してきた感情。
自ら望んで付けた仮面の下に押し殺してきた感情。
仮面を剥ぎ取られた彼女はまるで太陽の光に目がくらむように、言葉を失った。
「彼に会いたくないの?
彼の傍にいたくないの?
ずっと自分に嘘をつきながら生きていくつもり?
大切な彼を涼宮さんにとられちゃってもいいの?」
橘京子はまるで催眠術のように言葉を繰り返す。
沈黙を続ける佐々木が口を開いた。
「わかったよ。
橘さん、あなたの言いたいことはよくわかった。
でも、今すぐ結論を出すなんてことはできないの。」
佐々木は静かに語りだした。
「彼に、キョンに会ってからでもいいかな。
私は涼宮さんのことはまるで知らないし、
もちろん、あなたたちのことも。
だから、彼に会って意見を聞きたい。
―それからでもいいかな?」
佐々木は上目遣いに橘京子を見上げる。
橘は実に満足げな微笑みを浮かべていた。
「もちろんよ、佐々木さん。
今度、彼らの定期集会、みたいなのがあるの。
その時間と場所を教えるから、そこに偶然を装っていけばいいわ。
そこには涼宮さんもいるはずだしね。」
「わかったよ。そうしよう―」
「そう、わかってくれてうれしいわ。」
そう言って橘は実に満足げな目を佐々木に向けた。
佐々木は目線を下にして地面を見ていた。
まるで、橘京子にその表情を見られないようにするために。
心をえぐられたような痛みが彼女の胸に広がっていた。
思考できなくなった意識の中で、
ただ、再び出会うであろう『彼』が以前と変わらずに自分を受け入れてくれることだけを願っていた。
『橘と佐々木』
最終更新:2008年01月28日 08:58