塾からの帰り道、商店街の片隅にせわしなく飾られた笹を見て、今日が七夕だと思い出した。
祝日になるでもなく、かといってプレゼントを贈る贈られるといった風習とも無縁なこのイベントは、
節分や雛祭りと並んでどうにも僕の中では印象が薄い。
それに極めつけが、現代における七夕の主幹を成しているであろう「願掛け」ときた。
――願い事? この僕が?
世界に不満を持っていない人間は欲求が希薄になるというけれど、僕の場合はむしろ、世界に何も
期待していないと表現したほうが近い。世界はただあるがままに存在して、原因というインプットに対
して結果というアウトプットを吐き出すに過ぎないからだ。
だから努力が報われるなんてことは幻想だし、ましてや短冊に願い事を書くなんて行為を起点にして
未来が変わるだなんてちゃんちゃら可笑しい。やっぱり、僕には無縁のイベントだ。
そう結論付け、星空も見えないアーケード街に飾られた笹を少し気の毒に思いながら家路を急ごうと
した僕の前に、ひらり、と一枚の短冊が舞い落ちた。
――たかが商店街の客寄せに、小難しく考え過ぎなんだよお前は。
何も書かれていないまっさらな短冊が、聞き覚えのある声で話し掛けてきた。
ああ、またキミか・・・キョン。
そうやって他人の頭の中に自己概念を増殖させていくのはいいけれど、ことあるごとに僕に突っ込み
を入れるのはやめて欲しいな。だいたい去年そのセリフを吐いた後、キミは『宇宙人に会えますように』
なんて実にくだらない願い事を書いてただろう。そんな人間に茶々を入れられるのは大いに不満だよ。
――キョンの声。まっさらな短冊。胸ポケットにはボールペン。
キョンのいない日々が日常になって、はや四ヶ月が経っていた。別に寂しくはない。僕とキョンの関係
は元々そんなものだったし、あの卒業式の校門前での別れがふたりの関係の終着点だったとしても
それはそれで自然なことのように思う。
そう、僕たちの短冊は『宇宙人に会えますように』で良いのだ。恋人同士ではなかったのだから。
――僕は、短冊を手にとった。
世界は何もしてくれない。この世の不思議など幻だ。
だから僕はこの短冊に、『休日の街でキミにばったり出会えるように』なんて絶対に書かない。
その、僕が思い描くふたりの理想的な再会方法は、僕自身の足と時間を使って実現の確率を地道に
高めていくべきものだから。
別にダメで元々さ。自分の行為を努力と定義しさえしなければ、人は報いを求めないものだからね。
――相変わらず素直じゃねえな。
くっくっ、それはお互いさまだろう? でも「相変わらず」というフレーズはいいね、参考にさせてもらうよ。
――僕は、短冊にペンを走らせた。
これは願い事じゃない。あくまで僕の気まぐれであり独り言であり、そしてささやかな希望だ。
だからもしこの短冊に目をとめたとしても、決して叶えないで欲しい。これは彼の問題なんだから。
二十五光年と十六光年離れた織姫と彦星にそう言い聞かせながら、僕は短冊を結んだ。
キミは今どこで、誰と星空を見上げているのかな?
商店街を吹き抜ける夏の熱気をはらんだ風に、僕のささやかな希望はくるくると舞う。
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┤ キョン、キミがいつまでも変わること無きよう――
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