「やあキョン」
「やっぱり佐々木か」
まとわりつくシャミセンを振り切ったある日の事。
俺の背後から声をかけてきたのは、いつもの笑顔を浮かべ、いや、珍しく笑顔を浮かべきっていない佐々木だった。
「やれやれ、やっぱり、とは失礼な奴だなキミも」
「そう思うなら常に人の意表を突こうとするその登場パターンをなんとかするんだな」
「くく、そうか。パターン化はマンネリ化というものだ。考慮しておくよ」
言って喉奥で笑ったものの、音響になんというか張りが無い。
なんだ、どうかしたのか佐々木?
「おやおや、キミは鈍重な感性がウリだと思っていのだが」
「人の特性を妙な方向性で固定するな。なんとなくだよ、なんとなく」
「ふ、くく、そうか、い」
笑顔を広げようとして失敗する。
おい、なんか本格的におかしいぞ。どうした?
「キョン、キミが余計な事を言うから余計に意識してしまったじゃないか。……ただの」
歯痛だよ、と付け足すように言った。なんだそんなことか。
別にそんなの恥ずかしがることじゃねえだろ。
「自分の不摂生を晒しているようなものだからね。僕にも恥じる気持ちくらいあるのさ」
「別に珍しいことじゃねえだろ」
「そうかな」
「そうだろ」
誰にでもある事なのに恥ずかしがるな。
お前はそうやって妙に潔癖にあろうとするのが難といえば難だな。……とまでは流石には口に出さない。
「くく、そうかい」
「なにがだ」
「さてね?」
とぼけた顔で笑う。相変わらず笑顔のストックが多い奴だ。
「しかし歯医者と言うのは巷で聞くとおり恐ろしいところだね。歯痛の痛みも然りであるが」
「なあにそれも人生の貴重な経験って奴だと思っとけばいいだろ」
「他人事だと思って。薄情だなあキミは」
「なんだ、深刻ぶって欲しかったか?」
「ふ、……くくくくく。まさか」
「まあ確かに一度は経験しておいたほうが良いだろう。人生の貴重な教訓にもなる」
二度は御免だがね、と肩をすくめる。そこはまったくの同意だ。
まあ俺は一度目も丁重に辞退したいところだがな。
「で、だ、キョン。キミにも共感してもらう方法を思いついた」
「おい何をやらかすつもりだ物騒な」
宇宙人印の珍妙な道具とか言わんだろうな?
「ああそれなら大丈夫。強いて言うならぼ、あー、そうだ、特別性とは言わないがね。ほら」
言って、品良くラッピングされた小さな箱を俺に押し付ける。
数日前に貰った品々と似た雰囲気の品だった。
「やや遅れてしまったが季節柄の品だ。これを食べてキミも僕と同じ歯痛の苦しみを味わうと良い。貴重な経験になるだろうからね」
三日遅れのバレンタインだ。そう笑った佐々木の笑顔は、中学生の頃やあの春よりもずっと、なんというか。
そう、例えて言うなら、あー、いやなんでもない。なんでもないぞ。
)終わり
「だってキョン、想像してみたまえ。口の中を鋭い刃が動いているんだ。例えば少しでも舌を動かせばズタズタになるんじゃないかな?」
「やめろ変な想像させんな」
「口を開けっ放しにする習慣なんてないからね、口がどんどん疲れてきてだね……」
「やめんかい!」
数ヵ月後、俺に呪詛の一種を投げかける佐々木である。
そのとき俺の口内がどうなっていたかなんて、まあ言うまでもないだろ。ちくしょう不摂生で悪かったな。
「くく、キョン、そうとは限らないよ」
「何故だ佐々木」
「聞いた事はないかい? 虫歯の原因となる口内細菌、ミュータンス菌というものは経口で感染するものらしいのだよ」
「……話がよく見えないんだが」
「くくっ」
「キミの不摂生ではなく、キミが僕の唇にくれた親愛の表現が原因なのかもしれないんじゃないか、ってことさ」
)終わり
最終更新:2012年09月08日 03:14