67-9xx「次はわたしの番なのだから」

「まるで空が切り取られていくようだね」
「また今日は詩的だな佐々木」
 自転車越しにくつくつと笑いを放る。
 自転車越しに笑いあい、僕らはビルだらけの夜空の下をゆっくりと並走する。

『ん、ああ佐々木か』
『やあ親友』
 七限目を終えた学校帰り、駅前に降り立ったところで偶然に出会った。
 偶然? いやまあそれは偶然なのだろう。
 彼にだって駅前に用事くらいあろう。

『ここもビルになったんだな』
『そうだね。確かその隣と三軒隣はあの頃にビルになった。ここ数年で再開発が進んでいるのだろう』
『よく覚えてるな』
 あの頃と違うのは風景だけではない。自転車の後ろではなく、彼と自転車で並走していること。
 それはまるで、キョンとの距離感そのものの変化のようだった。
 そんな事を考えていたからかもしれない。
 だから口をついたのかもしれない。

「まるで空が切り取られていくようだね」
 まるで昔は見えていたものが、見えなくなっていくように思えたのだ。

「ま、言いえて妙だな」
 言いえて妙だが、と彼はそこで言い淀んだ。
「うん? 何かあったかな?」
「いやな? 少しばかり遠回りになるぜ?」
 言葉かな、それとも?
「距離的にだ」
 言って軽く自転車をそらし、いつか通った道へと方向を変えた。
 そう、これは「塾へ行く時の道」の逆走だ。
 ではお供しようか。

「くっくっく、なるほどね」
「だろう?」
 それはいつか通った河川敷。
 周りには相変わらず鉄橋くらいしか無い、そこには暗く星の輝く、広い空が広がっていた。

「くく、所変われば品変わるか」
「ちょっと違わんか?」
「まあいいじゃないか」
 同じ物でも土地が変わると名前や用途も変わるものだ。例えば「なげる」が地方によっては「捨てる」と同義語であるように。
 場所を変えれば変わるもの、立ち位置を変えれば見える景色なんて変わってくるのだ。
 実に、そう実に単純な事じゃないか。

「それにな佐々木」
『それにな佐々木』
 そう、そうだったねキョン。

『ビルが出来て空が見えないなら、そのビルに登って空を見ればいいだろ? 簡単な事じゃねえか』
 僕に言葉を遮られても、傍らの彼は表情一つ変えなかった。
 そう、分かっているのだから。
「だったかな、九曜さん?」


「――そう――――あなたは――――記憶している――――」
 傍らのキョンがゆらりと揺らぐと、白磁と黒曜石で出来た彫刻のような姿へ変わった。
 周防九曜、宇宙人、天蓋領域から派遣された人型イントルーダーは、今にも死にそうないつもの口調を取り戻してから
 やおら「ニッ」と笑った。

「あなたに見せたのは過去のあなた達。あなた達が忘却した過去のあなた達」
 表情も口調も今までの彼女とははっきりと違った。
 けれど今はそんな事はどうでもよい

「……私にはもう価値がないのではなかったのかしら?」
 何故この宇宙人は、いまさら私に接触するのだろう。それも私の過去を無理に揺り起こすなど。
 私が心に眠らせた過去を、現在の時間軸に見合うように再構築し私に見せる。違和感の正体はそれだったのだ。
 第一、あんな風にキョンと出会えるというのなら、この一年で一度も無かったのは妙だ。
 そうとも最初から全てが幻だったのだ。

 さすが宇宙人。その技術には素直に心を惹かれるけれど、それ以上に不思議なのは動機だ。
 私にはもう価値がないのではなかったのか?
 私は、どうすればいい?
 誰か味方は?

「わたしはあなたに興味が湧いた。他人の願望の為に自分の願望を閉じ込める精神構造に。あなたの精神に興味が湧いた」
「過去の状況を。現在の形に調整し。再現し。様子を見た」
 まるで多重音声のように言葉を並べてくる。
 割れたスピーカーが喋っているようだ。

「今日は随分と解り易い言葉で話してくれるのね?」
「あなたは自分で言った。あなたにはもう役割は無いのだから」
 それから口の端だけを釣り上げ
「あなたにその気がないから」
「あなたは自分で自分を縛る」
「そう。あなたはばかみたい」

 あの春の事件のように九曜さんは笑う。
 そう、あの春の事件で私は積極的に役割を果たそうとしなかった。彼に「私を選んで」と望まなかった。
 私は彼の選択にノイズを与えたくなんか、彼に迷惑なんかかけたくなかったから。
 そんな私の思考様式がなにやら彼女の琴線に触れたらしい。
 本当の自分を隠す、私のばかみたいな思考様式が。

「もうすぐわたしの番が来る。彼への対処法を学ぶ。情報収集として最適、最適なのよ」
 末尾の音声がクリアとなり、笑顔も今度は玲瓏な、完璧な笑みへと変わる。
「次はわたしの番なのだから」
 くすくすと笑う。

 その笑顔だけをその場に残したまま、気付けば笑顔以外が闇夜に溶け込み、それから笑顔もとろりと溶け消えた。
 昔「不思議の国のアリス」のアニメーションで見た、ニタニタ笑うチェシャ猫そのままの消え方だった。
 チェシャ猫、慣用句「チェシャの猫のように笑う」を擬人化したキャラクタだったか?
 宇宙人も、見ているのだろうか…………。
「名作、だものね」

 全く見当外れな独り言が夜空にほどける。
 いや独り言ではない、これは自分に言い聞かせているのだ。でなければどうにかなりそうだったから。
 九曜さんの言う「彼」、それが誰であるかはもはや考えるまでも無い。
 情報収集、あの春先の事件もその前振りだったのだろうか?

 ああ、そもそも彼女の目的は何だ? そう「力」だ。
 なら「力の鍵」、キョン、彼へ干渉するための前振りだったのだろうか?
 九曜さんは昨年の時点でキョンへの干渉を試みるも、その前段階で「谷口くんと誤認して」失敗したと聞いている。
 あの春の事件は、その反省を踏まえた前振りだったのか……?
 人の心を学ぶための?

「佐々木さーん!」
 ふと声がする、ロードレーサー張りの加速で橘さんが自転車をこいでくる。
 僕は彼女と共に舞台を降りた。「涼宮さんへの解りやすい敵役」という役割を自ら放棄した。
 けれどそれは間違いだったのか? 僕が「それ」をやらずとも、「それ」を狙っている者がもしかして存在しているのか?
 九曜さんが「それ」なのか? そうとも

 キョンが何の力も無い一般人、その彼がただ「涼宮さんに選ばれた」というだけで「鍵」へと変わるのならば
 その「彼の心を乱す存在」というものは、「涼宮さん」と「力」にとって、果たして一体どのような存在となりえるというのだ?

「いや待て」
 橘さんいわく僕は四年前から「器」だった。
 けれど九曜さんは「器」では

『ビルが出来て空が見えないなら、そのビルに登って空を見ればいいだろ? 簡単な事じゃねえか』

 ああそうだ視点を変えろ。
 彼女が「器じゃない」なんて誰が言った? 僕が知ってる情報なんて僕が知ってる範囲のごく狭いものでしかないんだ。
 そもそも彼女は前回の事件じゃ「彼に接触する」必要なんて初回と最後以外には無かったじゃないか。
 なのにキョンに執拗に接触するのは、接触する利点とは何だ?

「うう、ふう、無事ですか佐々木さん」
「ええごめんなさい」
「え?」
 橘さんが何か言っているようだが、それよりも気になることがある。
 果たして僕は、これからどうすべきか、そしてそれは「九曜さんに誘導された」という事ではないかという事だ。
 さてキョン、果たして僕はこれからどうすべきなのかな……?
)終わり

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最終更新:2012年09月02日 03:28
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