13-594「Forever」

「なぁ、キョン。今夜は僕に付き合ってくれないか?」
 北口駅前のいつもの喫茶店でコーヒーを飲んでいた佐々木が、こんなこと
を言い出したのは、そろそろ夕飯時かという時間であった。
 俺は、数学のノートに書かれた練習問題から目を上げて言った。
「はぁ?」
「人生は有限さ、行動をしなければならない時もある」
 ふぅむ、その意見には大いに同意するが、今夜は明日のテストのために
一夜漬けをしなければならんのだ。
「うん、知っている。さっき、聞いたからね」
 なら、なぜそんなことを言うのだ。
「そういうのは、ね、キミ。全部うっちゃっていいんだと思うんだよ。
少なくとも僕は気にしない」
 いや、そこでそんな綺麗な微笑みを見せてもらっても、その、なんだ、
困る。そりゃ、結果として下がるのは俺の成績なのであって、お前には関係
ない。確かにな。
「それでは、僕は前もって企画書を提出しなければ、キミをデートに誘うこと
すらできないというのかね」
 いや、そういう問題じゃねぇし。
「なら、いいじゃないか。涼宮さんだけではなく、たまには僕の我が儘にも付
き合っておくれよ。だいたい、僕よりも大事な用事がキミにあるはずもない」
 言い切ったよ。
 だから、俺には明日の試験がそれなりに大事なんだぜ。
「だから、僕に付き合いたまえよ。休んでいるヒマなぞないのだろう」
 なんだよ、今夜一晩、勉強に付き合ってくれるってのか?
「キミが望むなら。もちろん、それ以上でも、僕は構わない」
 おいおい、俺だって、健康な男子高校生なのだぜ。
「くつくつ、僕だって、健康な女子高生なのだぜ」
 いや、その、なんだなぁ。からかうなよ
「話は変わるが、高校生女子のことは、女子高生と呼ぶのに、高校生男子のことは男子高生とはなぜ言わないんだろうか?」
 言ってもいいと思うぜ。マイナーなだけだろう。あとは単に高校生といった
場合はデフォルトが男子なのかもしらんぜ。まぁ、女子学生からの流れなの
だろう。古い時代の悪しき慣習のひとつなんだろうさ。
「ふむ、確かに。学生とだけいった場合、男子のことを差すような気もする
ね。さて、閑話休題だ。覚悟はいいかな? 
 今夜、僕と一緒に過ごしておくれよ」
 おい! その話は流れたのではないのか?
「なぜ流さなければならないんだい? 人は永遠に生きられない。だから、
この一瞬を永遠にするために、僕と一緒にいてくれないか」
 なんで、顔色も変えずに、こいつはこんなことが言えるのだ。焦っている
俺がバカみたいではないか? 
 俺の沈黙をどう受け取ったのか、佐々木は短く息をついた。
「僕の気持ちはもうわかってくれているんだと、思ってたんだけど、ね」
 いや、その、なんで、急にそんなことを?
「いつだって、そんな風に思っていたさ。二年前、一年間、キミを見てた。
去年、一年間、キミを見ていなかった。だから、今年、一年間、キミと共に
いたいんだ。キミのことなら、分かっている。僕のこともキミなら分かって
くれる。僕はキミのものさ」
 はぁああ?
「ああ、そんな顔をしないでくれよ。物のたとえさ、とりあえず、そういう
ことにしておきたまえ。僕がキミを所有するように、キミも僕を所有するの
さ。これもひとつの平等な関係というわけだ」
 はぁ、俺にはお前が何を言い出したのか、さっぱりなんだがな。
「僕はさっきからシンプルに自分の要求を伝えているつもりなんだけどね。
え~と、これ以上シンプルにするのか……キミをものにしたい。僕のあげら
れる物なら、なんでもあげるから、僕をキミのものにしておくれよ。だから、
今夜一緒にいたいんだ」
 (もしかしてそれは性的な意味でか)口の寸前まで出かかった言葉を無理
矢理飲み込んだ。
「一度味わったら、やみつきの禁断のリンゴをあげるよ。王子様」
 そう言って、魔女は悪戯っぽく笑った。
「他の何にも、気にするなよ。人生は泡沫の夢さ、永遠に続くものなんてな
い。だから、僕はこの一瞬を永遠にしたい。僕はキミとなら、何だってでき
るのさ」
 あ~、やばいドキドキする。さっきまで、必死になって覚えていた英単語
も、数学の公式も全部吹き飛んだ。こんなんじゃ一夜漬けにもなりゃしない。
というか、今夜は眠れそうにない。
「僕の気持ちは伝わってるだろ、今日、僕がキミと一緒にいたいってことも、
この胸の高まりも、キミと一緒に……いたいんだ」
 当てなくシャーペンをいじっていた右手に佐々木の右手が重なる。おい、
こんなところで……なにを。
「僕とキミ以外の人のことなんか気にするなよ。
ここには僕たちしかいないんだ」
 周囲は漂白されたオックスフォードホワイトに塗りつぶされていた。
 視界が佐々木の顔に塗りつぶされる。
「目を閉じてくれないか、恥ずかしいじゃないか」
 意地になって開けていた。全部、俺にくれるんだろ。
「くつくつ、じゃあ、僕も全部貰うよ」
 佐々木とのキスは、ブラジルの味がした。


 ドサッと椅子から転げ落ちた衝撃で、目が覚めた。
「お、おれは、なんて……夢を」
 頭を抱えた。穴があったら、入りたいとはこういうことだ。思わず、絨毯に
爪を立てた。まったく、俺は欲求不満か? 学校帰りに久しぶりに佐々木に
会った所為なのか? 参考書選びを付き合って貰い、お礼にお茶を奢った
ことを思い出す。だからって、なんなんだ。あの夢は、現実逃避にも程があ
るってものだ。
 立ち上がり、乱暴に頭を振った。おかしいな、そんなはずはないのに、ど
うやら、俺の感覚の一部はまだ夢の中から帰ってきていないようだ。顔でも
洗ってこよう。部屋にはなぜかあの店のブレンドの香りが漂っていた。

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最終更新:2007年07月19日 21:20
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